シャーレのオフィスに、静かな緊張が漂っていた。
私は正座をして頭を下げている。机の上には、私がこの間つい衝動買いしてしまった高額プラモデルが、誇らしげに鎮座していた。
「先生...これは流石にどうかと思います」
真正面に座る燈在キミヨが、真剣な表情でそう言った。
「...はい。申し訳ないとは思っています」
素直に答えると、彼女の視線がさらに鋭くなった。思わず言い訳しようと口を開きかけたが、良い案が浮かばず、何も言えずに口をつぐむ。
「もし、不慮の事故で生徒がこの“おもちゃ”を壊してしまったら...先生は生徒に弁償させるおつもりですか? “ウン十万”もするようなおもちゃを」
眉をひそめながら、彼女が追い討ちをかけてくる。
……正論すぎて、ぐうの音も出ない。私は情けなく肩をすぼめ、ただひたすらに頭を下げ続けるしかなかった。
「それに、そんな高額なおもちゃにお金を使いすぎたら、先生の生活はどうなるんですか?」
さらに畳みかけるように言うキミヨに、私は答えた。
「コッペパンともやしだけでも、生活は成り立つと思います」
わりと本気だった。
呆れたような顔をした彼女が、小さくため息をつきながら言った。
「...そんなこと言われても、私は先生の体も大事だと思っています。あなた一人のものじゃないんですから」
その一言に、私ははっとした。
確かに、自分の健康を軽視して、無理を重ね、挙げ句の果てに趣味に浪費。もし私が倒れてしまったら、生徒たちを守れるのか?教育者としての責任を果たせるのか?
考えれば考えるほど、自分の行動の浅はかさに頭を抱えたくなった。今すぐ過去の自分をぶん殴りたい。
私は一つ、決意を固め、彼女に言った。
「もう二度と...おもちゃは買いません」
キミヨは一瞬、目を見開き、そして無表情のまま呟いた。
「....は?いや...マジですか、あんた...」
あまりにも真顔だったため、その表情と彼女の整った顔立ちが相まって、正直ちょっと怖かった。
沈黙の時間が流れる。
やがて、キミヨは小さく、でもはっきりと口を開いた。
「私は、別に“おもちゃを買うな”とは言いたいわけじゃないんです。限度を知れって言ってるだけです」
まっすぐに私を見つめたまま、言葉を続ける。
「趣味は、人にとって生きる希望だと思います。たとえそれが周囲に理解されないものだったとしても....それを奪う権利なんて、誰にもないって思うんです。まぁ....私、趣味なんてないから、実際のところよくわかんないですけど」
その言葉は、どこか寂しさを帯びていた。
まるで、感情を抑えて生きてきた誰かが、初めて心の奥を少しだけ覗かせたような、そんな声音だった。
何か、声をかけたかった。
けれど、どう言えば良いのかわからず、私は手元にあったBlu-rayのケースをそっと手に取った。
「..,ならさ。これから趣味を一緒に見つけていかない?試しに...今から《カイテンジャー》でも観てみる?」
キミヨの目がわずかに見開かれる。少し考え込む素振りを見せた後、彼女は小さく微笑んで頷いた。
「....そうですね。仕事も終わってますし、先生の“ウン十万”払わせる趣味に興味もありますから。今から観ましょう」
「よし! じゃあお菓子と飲み物買ってくるけど、何がいい?」
彼女は少し悩みながら、可愛らしく指を立てて言った。
「お菓子はカステラで....飲み物は、いちごミルクでお願いします」
「了解、カステラといちごミルクね!」
私はウキウキしながらエンジェル24へと走り出した。
「先生先生!カイテンロボめちゃくちゃカッコいいです!! 観終わったらすぐにポチりますので、先生のおすすめをぜひ教えてください!!」
夜は更け、二人で《カイテンジャー》を一気に全話観た。その日は、解散することなく、気づけば時計の針が一周していた。
翌朝。
「おはようございます、先生。キミヨ」
私は珍しく軽やかな足取りでシャーレの部室へと入っていった。目的はただひとつ――親友であるキミヨと、ちょっと手がかかるけど憎めない先生に会うことだ。
扉を開けた先にいたのは、あまりにも元気なキミヨと、すっかり魂の抜けたようにソファで寝息を立てる先生の姿だった。
「先生、先生!!もう一回全話観ましょう!」
キミヨが叫ぶ。瞳はキラキラと輝き、完全に“推し”の顔になっている。
先生は....もう限界らしく、スゥー....スゥー...と平和な寝息を立てていた。
思わずため息が漏れる。だが、机に並ぶ書類を確認して、私は目を見開いた。
三日分の仕事が、すべて終わっている。
そう、今は勤務時間だけど、文句は言えない。むしろ、これだけやっておいて、そのうえで趣味に打ち込んだのだ。ならば、咎める理由なんてどこにもない――けれど。
けれど、私は知っている。
本当は怒りたくないだけだ。久しぶりに見た、あんな楽しそうなキミヨの顔を、壊したくなかったのだ。
だからこそ、私は悩みに悩み、数分の間黙り込んだ。
だが、やがて心を決め、二人に向かって声を上げた。
「二人とも!! 何をしているんですか!!!」
雷のような怒声がオフィスに響いた。
ビクン!と驚いて飛び上がる先生。キミヨも、口をぱくぱくと動かして言葉を失っていた。
その様子が、あまりに間抜けで――そして微笑ましくて、私は思わず小さく笑ってしまった。
果たして彼女には、どんな過去があるんでしょうね。