メガネは最高   作:息抜きのあんこ

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ここからメガネ強火勢は少し成りを潜めます。ネタが尽きたともいう。


03.疲れたとき一瞬だけメガネを外すんですね。+25点。

「お邪魔します」

 

 折ヶ谷さんに続いて美術室の扉をくぐると、美術室の長机ごとに決まった縄張りでもあるのか、既にいくつかの机の側に荷物を置き、キャンバスを広げたり粘土の準備をしたりしている生徒が見えた。折ヶ谷さんも例によって迷いなく歩を進めて、美術室の中央奥の長机の側の椅子にリュックを下ろし、別の椅子を引っ張ってキャンバスの準備を始めている。

 視線を感じて目を向ければ、他の部員の人たちがこちらに珍しい物を見る目を向けていた。まるで愛娘が彼氏を連れてきたかのような驚きように、折ヶ谷さんが美術部でどんな扱いを受けているのかを案じてしまう。少なくとも、あまり会話ができているようには思えなかった。部活の空気上そういう感じはないのかもしれないが。

 

「そこら辺に座って」

 

 折ヶ谷さんが荷物を置いた椅子が属している長机の真ん中より少し手前側を指定されたので、もしかすると一個の長机を二人で使う形なのだろうかと想像する。美術部員が何人いるのかは知らないけれど、自分が想像するよりは多いのかもしれないなどと益体もないことを考えた。

 椅子を引っ張ってきて、荷物は足元に。顔が完全に見えない位置は勿体ないので、折ヶ谷さんの横顔が見えるぐらいの場所に椅子を置いて、木の椅子へ深く腰掛ける。メガネをかけていたらどの角度から見ても絶品なのは間違いないが、流石に後頭部とフレームのみというのは少し薄味が過ぎるというものだ。

 周囲の視線に気付いた折ヶ谷さんが先輩らしき人のところへと小走りで駆けて行って、事情を説明しようとして惑っているのに気が付いてフォローに向かう。

 

「初めまして、折ヶ谷さんと同じクラスの新井(あたらい)です。少し折ヶ谷さんに()()()見学させてもらってもいいでしょうか?」

「ご丁寧にどうも。副部長の鴨永です。入部希望なら、空いている机を貸すけどどうする?」

「要らないです、副部長。新井は、とりあえずそういうのじゃないので」

 

 副部長の鴨永さんの問いに、折ヶ谷さんが先に応えてしまったので出番が潰える。わざとぼかした理由を副部長に詰められるよりも早く、彼に会釈をしてその場を辞す。

 折ヶ谷さんの方は発言の意図に気付いたのかこちらに正気を疑うような目を向けていて、少しだけ面白い。そういう趣味はないので特に反応することなく先程セットした椅子に腰を下ろして、宣言通り()()()()()の見学を始めることにする。

 視線に気付いた彼女はこちらに何か言おうとして、しかし作業の方を進めることを優先したのか筆を持ってキャンバスに向かう。その真剣な眼差しを初めて見たこちらが瞠目したことに気付くこともなく色を乗せ始めた彼女の集中力に舌を巻きつつ、その筆が落ち着くまで大人しく待っていることにする。

 しかしその配慮は不要だったのか、彼女は話しながらでも支障がないタイプなのか、視線をこちらに向けることのないままこちらに話を投げてきた。

 

「……昼休みのあれ、本気?」

 

 表情と言葉が一致しないとはこのことか。真剣な面持ちをしている(かんばせ)からは想像できないほど迷いを感じる言葉が届く。

 一瞬だけどれのことだろうと考えて、普通に考えれば一番最後の七瀬さんからの質問のだろうと結論を下した。あの場と違って別に濁す必要もないだろうと判断して、彼女が求めているであろう言葉をそのまま渡す。

 

「本気だよ。折ヶ谷さんの方が可愛いと思ってる」

「それは、メガネをかけているから?」

「愚問だね」

「即答されるとそれはそれで複雑」

 

 折ヶ谷さんの機嫌を損ねてしまったらしい。しかしメガネは不機嫌だろうが可愛さ百倍にしてくれる強化パーツ。横顔から見える不貞腐れた顔も――残念さっきから変わらない真剣な表情だ。可愛いのは変わらないが。

 しかし折ヶ谷さんはマルチタスクが可能な性質(たち)らしい。もしかしたら既に完成像があって作業をするタイプなのかもしれないが、少なくともあまり変な話題を振らない限りこちらとの会話が彼女の邪魔にならないという認識で良さそうだ。

 その事実が分かったことで、話を投げやすくなったのは僥倖である。話相手になれとのお達しなので、ちょうどいい話題を振れれば良いものだが。

 

「今は何を描いているの?」

「滝」

 

 回答を貰ったので少し首を伸ばして絵をじっくり眺めて見るが、滝だというのに水が全く描かれていない。そこには滴る水滴もなければ滝つぼもなく、岩と岩壁だけがそこに鎮座している。

 それなのに、滝だと言われてみれば確かにその絵は滝であると納得してしまう説得力を持っていた。今この瞬間は描かれていないが、水が流れているところが想像できる。過去のどこかのタイミングで水が流れていたのだとこちらに思い知らせて来る。既に感心するほどの出来だというのに、まだこれが完成していないというのだから驚きである。いや、色が乗っているのは中央付近だけなので未完成というのは見ればわかる事実ではあるのだが、完成と言われても()()()()()()だと思わせるような迫力を感じさせた。

 音楽選択だったが故に知らなかった折ヶ谷さんの一面を知って、なんだか得した気分になる。

 

「涸れ滝っていうんだっけ? それとも、後から水を描くの?」

「いや、あとは周りの景色を描いたら終わり」

「周りに埋もれて忘れられるもの、か。自分と重ねてる?」

 

 折ヶ谷さんが手を止めた。

 その顔が僅かばかりにこちらに向けられて、彼女は目を細め抗議の言を垂れる。

 

「気付いても普通言わないでしょ。デリカシーがない」

「自覚はあるよ」

「新井も友達といるとこ見たことないけど、そういうとこじゃないの?」

 

 それだけ言って機嫌が悪そうにキャンバスに向き合い、しかし次の瞬間には芸術家の面持ちに戻っている。その切り替えの早さは間違いなく彼女の強みであるだろうと考えつつ、耳が痛い話からは目を逸らしておくことにした。

 そうして集中している折ヶ谷さんを黙って観察していると、段々と話し相手として存在している意味に疑問を抱き始める。彼女は集中するとストンと入り込むタイプで、先程の反応を見るに音が聞こえなくなるタイプではないとは思うのだが、この集中具合だと話し相手が必要なようには思えない。

 作品が終わっていない生徒が出入りしたり他の美術部の部員がぶつぶつと独り言を喋っていたりしないときには、誰かが絵具を水で落としている音が聞こえてくるぐらいである。この静かな環境を壊すことの方が良くないことのようにも思えてしまう。

 折ヶ谷さんが没頭する姿を見てて飽きなかったメガネ馬鹿の存在も、美術室が静けさを保った理由の一つになることは自覚しているが。

 

「ぅはぁ」

 

 緊張の糸が途切れたように、折ヶ谷さんの背筋が少し曲がった。完全にのめり込んでいたのか、こちらのことなど忘れたように筆を置き――彼女はメガネを外した。

 

「……? …………あ」

 

 こちらの視線に気付いた折ヶ谷さんが、霞んでいるだろう視界でクラスメイトの存在を発見し、慌ただしく動いてメガネを掛け直す。

 別に一瞬眼鏡を外すぐらい気にしないのに。新鮮さの提供という括りなのでむしろ加点対象である。無論やりすぎはアイデンティティを失うことになるのであまりお勧めはしないけれども。

 

「ずっと見てたの?」

「まあ、そうだね」

「つまんなかったでしょ」

「いや? 真剣な折ヶ谷さんも可愛いなって思って見てた」

 

 折ヶ谷さんが若干引いたような反応を見せたので、まあこれは次はないだろうと諦観する。

 しかし彼女が疲れたときに一度メガネを外すタイプだったとは驚きだ。シチュエーションとしてはかなり好きだし、実物を見れたのは初めてなのでそれもあって内心はお祭り騒ぎである。今日という一日、ほんの少し関わりを持っただけなのに彼女が提供してくれた価値はあまりにも大きい。

 少なくとも名ばかりの話し相手として座っているだけでは借りが増えただけかもしれない。

 (もっと)もいつまでやるかは彼女のさじ加減なので、持ち越し分についても彼女が決めることだ。彼女が価値を感じたらならば相殺、彼女が価値を感じなかったら増加、こいつ一緒に居たくない消えろと思ったら接触禁止令が展開されて状況終了。すべては彼女の思いのままである。

 

「そういえば、結局涸れ滝にはしなかったんだね」

 

 先程折ヶ谷さんがほぼ完成済みだと言っていた滝部分に手を加えていたのを思い出し、立ち上がって少し近くで彼女の絵を見させてもらう。

 周りに景色が描き足されていく中、埋もれていったはずの涸れ滝は、僅かばかりの命を繋いだ。よく見なければ気付かないほど僅かではあるが、それは間違いなく自身が生きていることを主張している。まだ、諦めていないのだと、そう感じさせる力強さがあった。

 その一筋の流水に、彼女自身が自分を諦めていないと足搔いている姿を幻視する。

 そしてそれを感じ取ってしまった私を咎めるように、彼女はこちらを批判した。

 

「だから、そういうところだって」

 

 でも、と折ヶ谷さんは一度目を伏せて、顔を強張らせる。

 それから彼女が何をいうのか分かってしまって、自分の行動の重さを思い知る。

 

「これは、新井のせいだから」

 

 言外に責任を取れと言われているようで、思わず目を逸らす。

 分かっていない振りをするんだったらそういう演技をするべきだったかと考えて、しかしそれは不義理だなと思って議題を却下した。第一、過去のことを考えても意味は薄い。考えるべきは、これから彼女とどう接するかである。

 

「明日も、よろしく」

 

 美術室の時計を見た彼女がそう告げたすぐ後、下校時刻十五分前を報せる時報が鳴り響く。

 この時間まで彼女の横顔だけ見て過ごしたのは流石に自分の頭を心配になるが、それでもやっぱり折ヶ谷さんは可愛いからなとメガネをかけた少女が片付けに勤しむところに目を向ける。

 なにはともあれ、どうやら彼女はこのメガネ過激派の人間がここに座っていることに僅かばかりでも価値を見出したようだ。ひとまず明日も放課後はここに来ればいいのだろうなと解釈し、とりあえずの方針を得られたことに安堵した。

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