何とかかけた次はハリー視点かなと思う
翌朝、ハリーは窓から差し込む眩しい光で目を覚ました。
ベッドの傍らには、昨日買ったばかりのニンバス2000が立てかけられている。見た目は昨日と変わらないはずだったが、心なしか柄に刻まれた見慣れないルーン文字が、生き物のように微かに脈動しているように見えた。
「行こう、ヘドウィグ。昨日のおさらいだ」
ハリーは着替えると、まだ寝静まっている邸宅を抜け出し、広大な裏庭へと飛び出した。ヘドウィグが低空で並走する中、ハリーは箒に跨り、ゆっくりと地面を蹴った。最初はいつも通りの浮遊感だった。しかし、わずかに加速した瞬間、箒の先端から独特のヒュンヒュンという音が鳴り始めた。
風を切る音とは明らかに違う、何かが圧縮されているような音。ハリーがさらに速度を上げると、その音は次第に甲高くなり、まるで飛行機のジェットエンジンのような轟音へと変わった。
その瞬間、衝撃が走った。
「うわぁっ!?」
これまでの「飛行」とは次元が違った。地面を蹴った刹那、箒の後方から目に見えない爆発が起きたかのような衝撃がハリーを襲う。アントワーヌが徹夜のテンションで組み込んだ『魔導ラムジェット』が、ハリーの加速を感知して自動起動したのだ。
空気の壁がハリーの顔を叩く。景色が線となって後ろへ流れる。あまりのスピードに、ハリーは呼吸することも言葉を発することもできず、ただ目を見開いて空を駆けていくしかなかった。
「止まれ! いや、ゆっくり! 落ち着け!」
ハリーが必死に柄を抑え込むと、空気を取り込むインテークのルーン文字がさらに激しく発光した。速度が上がれば上がるほど、大気中の魔力が圧縮され、さらなる推進力へと変換される――まさに狂気のサイクル。ハリーは必死に箒にしがみつき、庭の端にある大樹を間一髪で回避した。
「すごい……なんて速さだ!」
恐怖はすぐに、純粋な興奮へと変わった。ハリーは直感的に、この暴れ馬のような箒を制御する方法を理解し始めていた。
ようやく地上近くへと降りてきたハリーは、顔面蒼白だった。ぜいぜいと荒い息を繰り返す。強烈な風圧を受けていたせいで、彼のいつものくせっ毛は、まるで糊で固められたかのように完璧なオールバックになっていた。
「だ、だけど、少しやり過ぎかな…」
その時、邸宅の正面玄関には、魔法省の公用車が停まっていた。
車から降りてきたのは、燃えるような赤い髪の男、アーサー・ウィーズリーだ。魔法省「マグル製品不正使用取締局」の局長である彼は、上層部からの特命――アントワーヌ・ド・ポッターの動向調査を帯びて、抜き打ち検査に訪れたのだ。
「……さて、アントワーヌ卿。今日こそはその薄暗い書斎の中を……」
アーサーが玄関のベルを鳴らそうとしたその時だった。
——ドォォォォォン!!
頭上で雷鳴のような
「……なんだって!? あれは……箒か!?」
アーサーの目が、マグル製品マニアとしての好奇心と、取締官としての職業倫理で激しく揺れた。あんな速度を出す箒は、クィディッチのプロチームでも存在しない。何より、あの背後に残る炎のような魔力は、明らかに『違法改造』の証だった。
アーサーが驚愕のあまり硬直していると、邸宅の扉が開き、シルクのガウンを羽織ったアントワーヌが姿を現した。二晩徹夜したとは思えないほど優雅な立ち姿だが、その目は蛇のように冷徹だ。
「おや、朝早くから騒々しい。我が家の庭で土下座をするのが君の趣味かね、ウィーズリー君」
「アントワーヌ卿! 一体ハリー君に何をしました! 今の箒はなんだ! 魔法省の安全基準を大幅に超えている!」
アーサーは立ち上がり、怒りに顔を赤くして詰め寄った。しかし、アントワーヌは片眼鏡を直し、退屈そうに空を仰ぎ見た。
「
「音速を超えた研究成果などあるか! 国際魔法機密保持法にも抵触する!」
アントワーヌは冷ややかに微笑んだ。
「もし、君らが家宅捜索をしたいなら、ウィゼンガモットの正式な令状を持ってくるんだね。もっとも、君たちが私の書斎の結界を解くのに、あと数世紀はかかるだろうが」
「……っ、のらりくらりと……! 貴方がハリー・ポッターの保護者に相応しいか、徹底的に洗いたいところだが、今の件だけでも十分だ!」
アーサーは怒りに顔を赤くしながら、手帳に激しくペンを走らせた。
「この件は直ちに大臣に報告させてもらう。覚悟しておけ、アントワーヌ・ド・ポッター!」
アーサーは激しく手帳にペンを走らせたが、庭の隅でオールバックになったまま立ち尽くすハリーが、少し震える声で言った。
「おじさんは、僕のためにやってくれたんだ。それに、この箒を僕は操れるよ」
ハリーの真っ直ぐな言葉に、アーサーは絶句した。
アントワーヌへの強い警戒心を持ちながらも、この少年が彼を心から信頼している事実に、アーサーは複雑な思いを抱きながら邸宅を後にした。
翌日。アントワーヌの元に、魔法省のフクロウが舞い込んだ。
届けられたのは、厳重に封印された一通の召喚状。
『ウィゼンガモット法廷への出頭命令』
罪状は、危険な魔法道具の違法改造、ハリー・ポッターに対する不適切な養育環境の疑い、そして旧グリンデルバルド派との不透明な関係。
「……ふむ」
書斎でその手紙を読んだアントワーヌは、むしろ楽しそうに口角を上げた。彼は隣に座って、昨日の飛行の影響がまだ残っているハリーの頭を優しく撫でた。
「ハリー。明日は少し、おめかしをして出かけよう。君をあの『鳥籠のような親戚の家』へ戻したがっている退屈な老人たちに、ポッター家の流儀を教えてやる必要があるからね」
ハリーはおじさんの言葉に不安を感じつつも、あのアドレナリンが噴き出すような加速をくれたアントワーヌを信じて、深く頷くのだった。
ロンドンの中心部、ホワイトホールの地下深くに位置する魔法省。そのアトリウムにある巨大な暖炉から、緑色の炎が爆発するように噴き出した。炎の中から現れたのは、煤ひとつ付いていない完璧な身なりのアントワーヌ・ド・ポッターと、彼の隣で少し目を回しているハリーだった。
「
アントワーヌが静かに促すと同時に、待ち構えていた記者たちが一斉に押し寄せた。『日刊予言者新聞』のカメラが激しい閃光を放ち、魔法の羽ペンが羊皮紙の上で狂ったように踊り始める。
「アントワーヌ卿! グリンデルバルドの残党である貴方が、なぜ英雄ハリー・ポッターを連れているのですか!」
「ハリー君、君が誘拐されたという噂は本当ですか!?」
容赦ない質問の嵐にハリーが身をすくめたその時、一人の記者が声を張り上げた。
「昨日、卿の屋敷の上空で爆発音がしたという通報がありますが!」
アントワーヌの歩みが止まった。周囲の空気が一瞬で数度下がったかのような錯覚を記者たちに抱かせ、彼はゆっくりと、その問いを発した記者へ視線を向けた。
「爆発音かね?」
アントワーヌは、まるで聞き慣れないマグル語を聞いたかのように、大袈裟に首を傾げてみせた。
「私の耳に届いたのは、未来へ向かって空を切り裂く、甘美な産声だけだったがね。君たちの言う『爆発音』が何を指すのかは知らないが、もし魔法省の古びた安全基準に収まらない音をすべて爆発だと定義するなら、この国の魔法工学は一生、火を起こす呪文で止まったままだろう。さあ、行こうかハリー。音を怖がるのは、無知な者たちだけで十分だ」
彼は怯えるハリーの肩を抱くと、迷いのない足取りで第十法廷へと向かうエレベーターに乗り込んだ。
重厚な鉄の扉が開くと、そこには冷気と静寂が支配する空間が広がっていた。円形状に配置された高いベンチには、紫色のローブを纏った五十人以上の魔法使い――
「被告人、アントワーヌ・ド・ポッター。着席を」
ダンブルドアの厳格な声が響く。アントワーヌはハリーを傍らの椅子に座らせると、自分は中央の被告席に、まるで王座にでも座るかのような優雅さで腰を下ろした。
「被告人だと? 心外だね、アルバス。私は正当な親権の確認と、個人の研究発表に来ただけのつもりだが」
アントワーヌは足を組み、不敵な笑みを浮かべた。その視線の先には、昨日の「被害者」であるアーサー・ウィーズリーと、告発状を手にした魔法省大臣コーネリウス・ファッジが座っている。
「審議を始めよう」と、ダンブルドアが静かに告げた。
「被告人。貴方には二つの大きな嫌疑がかけられている。未成年者であるハリー・ポッターに対する、制御不能かつ極めて危険な魔法道具の使用を強要した疑い。そして、魔法省の査察に対する不当な威圧と妨害だ」
ファッジ大臣が、鼻を鳴らしながらアーサーの報告書を掲げた。
「アントワーヌ卿! 貴方は危険な魔改造を施した箒にハリー君を乗せた! 箒にあの様な物を組み込むなど正気の沙汰ではない! これは立派な犯罪だ!」
法廷全体がざわめきに包まれる中、アントワーヌはあくびを噛み殺すような仕草で口を開いた。
「アルバス、君までこの様な退屈な議事進行に加担するのか? 制御不能だと? ――ハリー、君は昨日、あの箒で地面に叩きつけられたかね?」
突然振られたハリーは肩を震わせたが、アントワーヌの落ち着いた瞳を見て、はっきりと答えた。
「いいえ。最初は驚いたけど、最後にはちゃんと……自分の思う通りに飛べました」
「聞いたかね、裁判員諸君」
アントワーヌは立ち上がり、壇上の議員たちを一人ずつ見据えた。
「魔法省が『危険』と呼ぶものの正体は、いつも決まっている。自分たちの理解が及ばない『進歩』だ。私はハリーに、世界で最も速い翼を与えた。それを『虐待』と呼ぶのであれば、魔法省はハリー・ポッターに、一生地に這いつくばっていろと命じるつもりか?」
「屁理屈だ!」とファッジが叫ぶ。
「貴方の過去――グリンデルバルドとの繋がりを考えれば、ハリーくんを『闇の手先』として洗脳しようとしている疑いすらある!」
アントワーヌの目が、一瞬だけ鋭い銀色に光った。彼は懐から、昨晩書き上げた「ポッター家の正当な守護権」を証明する羊皮紙を取り出し、机に叩きつけた。
「闇の手先か。面白いことを言う。ではコーネリウス……君たち魔法省が、彼をあの階段下の物置に放置していた十年余り、彼を『英雄』としてではなく、ただの『厄介者』として扱っていた事実は、どう説明するのかね?」
その言葉が落ちた瞬間、法廷は水を打ったように静まり返った。ダンブルドアの半月型の眼鏡の奥にある瞳が、わずかに揺れた。
「さあ、始めよう。君たちがどれだけ無能で、どれだけこの少年の未来を縛ろうとしているか……ここで白日の下に晒してやろう」
「君らはあまりにも閉鎖的すぎではないのかね?」
アントワーヌは、まるで舞台役者のような優雅な足取りで中央を歩き、壇上の重鎮たちを見上げた。
「第一次世界大戦のかつての同盟国が、これほどまでに臭いものに蓋をする隠蔽体質だとは思わなかったよ。自分たちにとって都合の悪い技術は『闇』と呼び、都合の悪い人間は『残党』と呼んで隔離する。……実に嘆かわしい」
「同盟国」という言葉が飛び出した瞬間、法廷には動揺が走った。第一次世界大戦中、魔法界もまた独自の混乱の中にあり、当時の魔法省が特定の勢力とどのような「貸し借り」を作ったかは、今や公文書の奥深くに封印されているはずのことだった。
「だ、黙れ! 今ここで関係のない過去の話を持ち出すな!」
ファッジ大臣が、今や顔を紫色にして叫んだ。しかし、アントワーヌは冷ややかな笑みを崩さない。
「関係がない? 大いに関係があるとも。君たちは、私が持つ『知識』と『血』を恐れているだけだ。ハリーが私から学び、君たちの想像を超えた魔法使いになることを恐れている。……だからこうして、無理筋な容疑を捏造してまで、彼を私から引き離そうとしているのだろう?」
彼はハリーの方を振り返り、優しく、しかし確信に満ちた声で続けた。
「だが、この子はもう知っている。風を切る音速の世界を。狭い物置で見上げていた天井よりも、もっとずっと広い空があることをね」
ダンブルドアは、組んでいた指に力を込め、静かに口を開いた。
「アントワーヌ……君の主張は理解した。しかし、進歩には責任が伴う。ハリーの安全を危うくしたという事実は、君の美学だけでは拭い去れない」
「責任、か。アルバス、その言葉はそのまま君に返そう」
アントワーヌは一歩、ダンブルドアの座る教壇へと詰め寄った。
「彼をダーズリー一家に預け、十年間も見放した君に、安全を語る資格があるのか? ……あの家で彼が受けていた扱いは、私が作った箒よりもよほど『危険』だったはずだがね」
法廷内は、騒然を通り越して、パニックに近いどよめきに包まれた。救世主ハリー・ポッターが不当な扱いを受けていたという事実は、議員たちの多くにとっても初耳だったのだ。
「さて」と、アントワーヌは懐から一通の銀の封筒を取り出し、法廷のテーブルに置いた。
「これが私の『最終的な提案書』だ。君たちがハリーの親権を私から奪おうとするなら、私は喜んで、当時の魔法省とグリンデルバルド派が交わした――例の『密約』を、日刊予言者新聞の全紙面を使って公開する準備がある」
それは、魔法省を内部から崩壊させかねない、文字通りの爆弾発言だった。
「私は君らの知るとおり、彼の副官だったんだ。いくらでも話は聞いているとも」
アントワーヌの声が、冷たく静かに法廷の隅々まで染み渡っていく。
「この密約があったからこそ、当初、国として彼――グリンデルバルドをどうすることもできなかったのではないかな? 君らの内部にいる『聖28一族』とやらのせいでね。……何も君たちが知らないのも頷ける。英国魔法省よりも先に、彼らが我々に接触してきたからだ」
その瞬間、ベンチに座る議員たちの数人が、幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせ、あるいは激昂して立ち上がった。彼らの多くは、その「聖28一族」の末裔か、彼らと密接な繋がりを持つ者たちだったからだ。
「貴様……っ! 妄言を吐くな!」
「警備員! この男を連れ出せ!」
怒号が飛び交う中、アントワーヌは動じることなく、ただ静かにダンブルドアと目を合わせた。ダンブルドアの表情は、深い悲しみと、抗いようのない事実を突きつけられた苦悩に満ちている。
「静粛に!」
ダンブルドアの杖の先から放たれた衝撃音が、法廷の喧騒を力ずくで抑え込んだ。彼は沈痛な面持ちで、アントワーヌを見つめた。
「アントワーヌ。……君が何を握っているのか、そしてそれが公開された時にこの国が受ける傷を、君は理解しているはずだ」
「理解しているからこそ、交渉のテーブルに着いているんだよ、アルバス」
アントワーヌは優雅に座り直し、ハリーの肩に手を置いた。
「私の要求はシンプルだ。ハリーの法的保護者としての権利を正式に認めること。そして、私の研究に対する魔法省の不当な介入を一切禁じること。これさえ飲めば、その銀の封筒の中身が世に出ることはない」
ファッジ大臣は震える手でハンカチを握り、周囲の重鎮たちの顔色を窺った。スキャンダルを最も恐れる彼らにとって、もはや選択肢はなかった。
「……検討、せねばならん。審議を一時、中断……」
「あ、あの発言してもいいですか?」
不意に、子供らしい、しかし凛とした声が法廷に響いた。ハリー・ポッターが、椅子から立ち上がっていた。ハリーは眼鏡を直し、自分を値踏みするように見つめる大人たちの視線を真っ向から受け止めた。
「僕は、おじさんといたいです。階段下の物置にいた時、誰も僕を助けに来てくれなかった。おじさんは、僕を見つけてくれた。……あの箒の速さも、僕を守るために作ってくれたものだって分かっています。僕は、僕を本当に必要としてくれる人のそばにいたい」
ハリーの真っ直ぐな言葉に、議員たちは言葉を失った。救世主が自ら「魔法省よりも、元闇の魔法使いの副官を選ぶ」と宣言したのだ。
ダンブルドアは深く、重いため息をついた。そして、
「……ハリー・ポッター自身の意思、およびアントワーヌ・ド・ポッター卿による養育環境の『特殊性』を鑑み、当法廷は全ての訴追を取り下げる。親権は、正式にポッター卿に委ねられるものとする」
コン、コン、コン。
木槌の音が、アントワーヌの完全勝利を告げた。
重厚な第十法廷の扉が左右に開くと、待ち構えていた熱気が津波のように押し寄せた。
アトリウムのホールには、裁判の結果を一目見ようと、日刊予言者新聞をはじめとする数多くの記者や、野次馬たちが黒山の人だかりを作っていた。
二人が姿を現した瞬間、無数のフラッシュが爆発し、視界が真っ白に染まる。
「判決は! 判決はどうなりましたか!」
「親権は一体誰の手に! 魔法省に留まったのですか!?」
「アントワーヌ卿、一言! 英雄ハリー・ポッターは、今後どこで暮らすことになるのですか!」
記者たちは羽ペンを突き出し、怒号のような質問を浴びせかけた。ハリーはあまりの勢いに気圧され、アントワーヌのローブの裾をぎゅっと掴んだ。
しかし、アントワーヌは止まらない。
彼はまるで、群がる羽虫を払うかのような無関心さで、人混みの中を悠然と歩き続けた。記者たちが進路を塞ごうとすれば、彼の周囲に漂う目に見えない魔力の圧迫感に気圧され、波が引くように道が開いた。
一人の記者が、必死にマイク代わりの杖を突き出した。
「アントワーヌ卿! 魔法省が貴方の過去を問題視したという噂がありますが、それでも親権を維持されたのですか!?」
アントワーヌは歩みを止めず、前を向いたまま、冷たく、そして法廷全体に響くような声で言い放った。
「当然の結果だ。魔法省は、自分たちの無能さをこれ以上露呈する前に、賢明な判断を下したに過ぎない。……ハリーは、彼を愛し、彼に『真の魔法』を教えられる者のもとに留まる。それ以外に、どのような結末があるというのかね?」
その傲慢なまでの勝ち誇った宣言に、記者たちは一瞬沈黙し、次の瞬間にはさらなる狂乱となってシャッターを切った。
アトリウムの中央、緑の炎が燃え盛る巨大な暖炉の前まで来ると、アントワーヌはふと足を止めた。そして、近くで呆然と立ち尽くしていたアーサー・ウィーズリーへと振り返った。
「アーサー君。先ほども言ったが、君の息子にも、いつかハリーの箒に乗せてあげるといい」
アントワーヌは、混乱する記者たちの前で、わざとらしく、そして優雅にアーサーの肩を叩いた。
「……もっとも、今の魔法省の基準では一生かかっても到達できない速度だがね。精々、墜落しないよう役所で祈っていることだ」
皮肉なウィンクを一つ残し、アントワーヌはハリーを伴って緑の炎の中へと足を踏み入れた。
「行こうか、ハリー。こんな湿っぽい場所はもう十分だ。帰ったらセバスチャンに、勝利を祝う最高のディナーを用意させよう」
「うん、おじさん!」
二人の姿が炎の中に消えた後、ホールには記者たちの喧騒と、ただ一人立ち尽くすアーサー・ウィーズリーだけが残された。
ホグワーツ入学当日の朝。ポッター邸の空気は、爽やかな九月の風と、どこかピリついた興奮に包まれていた。
ハリーが身支度を終えて一階へ降りると、ホールにはセバスチャンによって磨き上げられた、見慣れないトランクが置かれていた。黒い革張りに銀の金具、そして中央にはポッター家の紋章が誇らしげに刻まれている。
「Bonjour, ハリー。よく眠れたかね?」
階段の上から、アントワーヌが優雅に降りてきた。仕立ての良いスーツを完璧に着こなし、その立ち居振る舞いは、まるでスクリーンの向こうから抜け出してきた貴公子のようだ。彼はハリーの驚く顔を見て、満足そうに目を細めた。
「そのトランクは、君の新しい『相棒』だ。ただの荷物入れではないよ。内部は拡張呪文で私の書斎と同じ広さがあり、図書室も完備している。さらには、強力な防護呪文も仕込んでおいた。……何しろ、ホグワーツは案外、
「ありがとう、おじさん! すごいや……」
「礼には及ばないよ、ハリー。さあ、時間は待ってくれない。駅まで行こう」
邸宅の正面玄関に出ると、そこには一台の車が、朝露に濡れて鈍い光を放っていた。ACシェルビー・コブラ 427。 鮮やかなブルーのボディに、白のレーシングストライプ。
「これに乗って行くの?」
「あぁ。門出にはいい車で行く物さ、ハリー」
アントワーヌが自ら重厚なドアを開け、ハリーを助手席に促した。ヘドウィグの籠と特注トランクは、セバスチャンが指をパチンと鳴らすと、後方のスペースに魔法のように収まった。
アントワーヌが運転席に座り、慣れた手つきでイグニッションを回す。
ドォォォォォン!!
7リッターV8エンジンが目を覚まし、周囲の森を揺るがすような咆哮を上げた。
「しっかり掴まっていろ、ハリー。音速には届かないが……退屈はさせないよ。
アントワーヌがシフトレバーを叩き込み、クラッチを繋いだ。シェルビー・コブラは、白煙を上げて邸宅の私道を蹴り出した。ハリーは、おじさんが色んな「猛獣」を操るのを何度も助手席で見てきたが、この地を這うような加速感だけは何度経験しても格別だった。
ロンドンへと続く道中、アントワーヌは魔法で周囲の一般車を幻惑し、自分たちだけの「高速道路」を作り上げながら、猛スピードでコブラを駆った。やがてロンドン市街の渋滞が近づくと、アントワーヌは退屈そうに指先でダッシュボードの隠しスイッチを叩いた。
「おじさん、また飛ばすの?」
「Oui. 道が詰まっているなら、道のない場所を行く。それがポッター家の、いや、私の流儀だ」
アントワーヌがレバーを引くと、サイドマフラーから青白い炎が噴き出し、車体全体がふわりと浮き上がった。マグルたちの目には陽炎にしか見えない認識阻害魔法を纏いながら、コブラは渋滞の遥か上空、ロンドンの空へと駆け上がった。
オープンカーの車内に暴力的なまでの風が吹き込み、ハリーは笑った。
「ははは! 最高だよ、おじさん!」
ハリーの歓声が、空を裂くエンジンの咆哮に混じって九月の空に消えていく。
やがて、シェルビー・コブラはキングズ・クロス駅の裏手に着陸した。アントワーヌはハリーの肩を抱き、駅の構内へと歩き出した。
行き交うマグルたちが、そのあまりに場違いな名車と、そこから降りてきた銀髪の貴公子と少年に目を丸くする。
「いいかい、ハリー。九と四分の三番線へは、あの壁に真っ直ぐ突っ込めばいい」
「ううん、大丈夫だと思うよ」
ハリーは笑いながら、カートを押して魔法界への入り口である壁を見つめた。
「おじさん……僕、行ってくるね」
アントワーヌはハリーの目を見つめ、静かに、しかし力強く頷いた。
ハリーは勢いよく壁に吸い込まれて行くのだった。
アントワーヌは、愛用するステッキの銀の握りに手を置き、ハリーの消えた先をじっと見つめていた。その表情は、愛弟子を送り出した満足感と、ほんの少しの寂寥感が混ざり合った、実に絵になるものだった。
「Bon voyage, ハリー。君の物語が、退屈な喜劇にならないことを祈るよ」
彼が独り言を呟き、翻って踵を返したその時だった。
駅の高く煤けた天井から、一羽の大きな鴉が、吸い込まれるような鋭さで舞い降りてきた。それは魔法省が急を要する連絡に用いる、フクロウよりも速く、そして不吉な伝令だった。
鴉はアントワーヌの肩をかすめるように飛び、彼が差し出した指先に鋭い爪を立てて止まった。その脚には、魔法省の赤い封蝋が押された、重厚な羊皮紙の筒が結ばれている。
「おやおや、魔法省の連中は、余韻を楽しむという雅な心を持ち合わせていないらしい。
アントワーヌは嘆息しながらも、優雅な手つきで手紙を受け取った。封を開き、そこに記された数行の文字に目を走らせる。
一瞬、彼の銀色の瞳が鋭く細められた。それは法廷で見せた皮肉な笑みとは違う、かつて「副官」と呼ばれた時代の冷徹な光だった。
「……なるほど。アルバスが私を法廷に引きずり出した真の理由は、これだったか。
アントワーヌは手紙を指先で軽く弾くと、それは青白い炎となって瞬時に灰へと変わった。しかし、その炎よりも熱い苛立ちが、彼の眉間に深い皺を刻んでいた。
「はぁ…アルバス、君の考えることは、使い古された推理小説のように読みやすい。
彼は重い溜息をつき、ステッキをコツリとプラットフォームの床に鳴らした。魔法省が自分をどう扱うか、その「苦肉の策」が手に取るように分かったからだ。
「自由な研究を認めさせる代わりに、私の首に『鎖』をつけるつもりか。それも、君の目の届く場所でかな?私を教壇に立たせるなど、この国の魔法教育を根底から作り替えろと言っているようなものだというのに。
アントワーヌはひどく面倒そうに首を振った。彼にとって、自分を監視下に置こうとする魔法省の浅知恵も、それに加担したダンブルドアの思惑も、極上のワインに泥水を混ぜられたような不快感でしかなかった。
「やれやれ。ハリーを送り出したばかりだというのに、追いかけるように同じ城へ向かわねばならんとは…」
彼は不機嫌さを隠そうともせず、しかしその足取りだけは優雅に、シェルビー・コブラが待つ駅の外へと向かった。
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