次は談話室のシーンと初授業シーンかな
壁を通り抜けた先には、深紅の蒸気機関車――ホグワーツ特急が、白い煙を吐き出しながら鎮座していた。駅は送り迎えしに来た人達でごったかえしていた。ハリーはおじさんから贈られた、重厚なポッター家の紋章が輝くトランクを運び込み、空いているコンパートメントに腰を下ろした。
発車ベルが鳴り、列車がゆっくりと動き出す。ハリーが窓の外を眺めていると、ドアが控えめにノックされた。
「ここ、いいかな? ほかはどこもいっぱいで……」
そこに立っていたのは、鼻の頭を汚した、燃えるような赤毛の少年――ロン・ウィーズリーだった。ハリーが「どうぞ」と笑いかけると、ロンは安心したように向かいの席に座ると、ハリーの足元にあるトランクに目を剥いた。
「うわぁ……すごいトランクだね! 本物のドラゴンの皮じゃないか!それに紋章……君、もしかして、すごく由緒ある家の子なの?」
「あぁ、これは叔父からの贈り物なんだ。アントワーヌっていうんだけど」
「アントワーヌ……? あっ…!」
ロンは椅子から転げ落ちそうになるほど驚き、ハリーの顔をまじまじと見つめた。
「思い出した! 父さんが言ってたよ! 抜き打ち検査に行った先で、見たこともない速さの魔改造された箒を見たって! えっと…も、もしかして君…あ、あのハリー・ポッターなの!?」
「うん、そうだよ」
「も、もし良かったら、見せてくれる?あ、あのほら傷…」
ハリーが少し照れながら前髪をかき上げると、そこには有名な稲妻形の傷跡があった。
「うん、いいよ」
「おったまげー!本物だ! 僕の父さんは震えてたよ。『あの屋敷の主、アントワーヌ卿は、魔法省の基準なんて知ったことかと言わんばかりの危険な天才だ』って。でも、君は……あのおじさんに育てられたんだね?」
「あぁ…うん。少し変わってるけど、すごく格好よくて、最高の叔父さんだよ」
ハリーがそう答えると、ロンは羨ましそうに、それでいて少し怖そうに「へぇ……」と溜息をついた。二人がちょうどお互いの身の上を話し始めた頃、通路からガラガラという音と共に、ふっくらとした顔の魔女がワゴンを押して現れた。
「坊ちゃんたち、お菓子はいかが?」
ロンは耳を赤くして、持ってきた古びた包みを持ち上げた。
「僕はいいや。家から持ってきたこれがあるから……」
ハリーは、セバスチャンが持たせてくれた豪華なランチボックス――中身はおそらくフォアグラのパテや高級な冷製ローストビーフだろう――の重みを感じていたが、ワゴンの上に並ぶ、魔法界特有のカラフルで奇妙なお菓子に目を輝かせた。おじさんは「あんなものはただの着色料の塊だ」と毒づいていたが、ハリーにとってはどれもが宝石のように見えた。
「僕も、お弁当を持たされてるんだよね……」
ハリーはおじさんから持たされた、金貨がずっしりと詰まった財布を取り出し、魔女に最高の笑顔を向けた。
「でも、興味があるからぁ…人気のやつ、全部ください!」
「全部かい、坊や!」
魔女は驚きながらも、蛙チョコレート、百味ビーンズ、かぼちゃパイといった山のようなお菓子をコンパートメントの座席に広げた。ハリーは、ロンが寂しそうに自分のサンドイッチを見つめているのに気づき、山積みのパイを彼の前に押しやった。
「さあ、一緒に食べようよ。どうせ、一人じゃ食べきれないし、おじさんの持たせてくれた弁当もすごく量が多いんだ。……ほら、これ食べてみて」
「……いいの? ありがとう、ハリー!」
ロンの顔がパッと明るくなった。二人は山のようなお菓子と、セバスチャン特製の豪華なサンドイッチを分け合いながら、最高に贅沢なランチを楽しんだ。ロンが蛙チョコレートのカード(ちなみにダンブルドアだった)について熱心に解説していると、ドアが再び開き、すでに学校のローブに着替えたもじゃもじゃ頭の少女が現れた。ハーマイオニー・グレンジャーだ。
彼女はヒキガエルを探していたが、挨拶もそこそこに、ハリーの足元に置かれた重厚なトランクと、その上に無造作に置かれていた分厚い本に釘付けになった。
「あなた、一年生でそんな本を読んでいるの? 『十五世紀の魔術理論と流体制御』…?それ、普通の書店には売っていないはずよ!」
「あぁ、これ? おじさんに『暇つぶしに読みなさい』って渡されたんだ。難しくて、まだ半分も分かってないんだけどね」
ハーマイオニーの目が、驚愕と抑えきれない好奇心で大きく見開かれた。
「おじ様……? もしかして、今朝キングズ・クロス駅の裏で、スポーツカーから降りてきた、あの銀髪の方?」
ハーマイオニーの問いに、ハリーは少し驚いて目を丸くした。
「……見てたの?」
「たまたま見かけたのよ!見た事ないようなヴィンテージカーが停まったから!あら? あなた、もしかして"あのハリー・ポッター"なのね? 英雄だっていうのは本で読んだけど、あなたのおじ様にも興味があるわ!」
一気にまくしたてるハーマイオニーに対し、ハリーは少し困ったように笑いながら、思い出したように言った。
「多分、新聞に載ってると思うよ。おじさん、昨日法廷に行って、帰りは記者に囲まれて大変だったんだ」
「え? 新聞?」
ハーマイオニーが聞き返すと、それまで隣でパイを頬張っていたロンが、カバンから丸められた紙の束を取り出した。
「僕のサンドイッチを包むのに使ってしわくちゃだけど、読めるよ。……ほら、これ」
ロンが広げたのは、今日発行されたばかりの『日刊予言者新聞』だった。一面には、法廷の階段をハリーの肩を抱きながら悠然と降りてくるアントワーヌの動く写真がデカデカと掲載されている。フラッシュの光を浴びながら、アントワーヌはカメラを一瞥し、不敵な笑みを浮かべていた。
【アントワーヌ卿、親権獲得! 生き残った男の子、ハリー・ポッターはアントワーヌ卿の保護下へ!】
ウィンゼンガモット法廷で、アントワーヌ・ド・ポッター卿に対する判決が下された。かつて「黒の副官」として恐れられてきた彼だが、出所してからはハリー・ポッターの親権を主張し、保護者としての立場を貫いてきた。今回の裁判により、親権はアントワーヌ卿のものとなった。
闇の魔法使いとの関与が疑われている卿であるが、未だに深いことは不明である。
"生き残った少年"ハリーポッターへの悪影響を及ぼさないか、魔法省は酷く懸念している。
「信じられないわ…」
ハーマイオニーは、しわくちゃの新聞をひったくるようにして読み耽った。その目は、アントワーヌの経歴や法廷でのやり取りを記した文章を恐ろしい速さで追っていく。
「『黒の副官』……。本で読んだ、あのグリンデルバルドの右腕だった人物が、ハリー・ポッターの親族だったなんて! しかも…!この写真、見なさいよ。魔法省の役人たちが、まるで蛇に睨まれたカエルみたいに怯えているじゃない」
ロンが横から口を挟んだ。
「僕の父さんも言ってたんだ。あのアントワーヌって人は、魔法界のルールを全部ひっくり返そうとしてるって。ハリー、君って本当にとんでもない人と一緒に住んでるんだね」
「そうかな? 家にいる時は、お気に入りのレコードを聴きながら、セバスチャンの淹れた紅茶を飲んでるだけなんだけど」
ハリーの「普通」の感想と、新聞に躍る「悪の天才」という肩書きのギャップに、コンパートメント内には何とも言えない空気が流れた。ハーマイオニーは興奮冷めやらぬ様子で、ハリーを見つめた。
「ねえ、ハリー。ホグワーツに着いたら、もっと詳しく聞かせて。あなたのおじ様の経歴…!すごく興味があるわ!どの近代魔法史にも、彼が戦後どうなったかは書かれていないし、グリンデルバルドと共にどのような魔術体系を築いたのかも謎だったの!」
「でも、おじさんは昔の話をあんまりしたがらないんだ…。僕が知ってることぐらいなら…」
ハリーは、おじさんについて興味津々のハーマイオニーの言葉に「いいよ」と呑気に軽く頷くのだった。
再びコンパートメントのドアが勢いよく開き、薄い金髪の少年が冷ややかな笑みを浮かべて立っていた。ドラコ・マルフォイだ。後ろには取り巻きのクラッブとゴイルが、岩のように立ちはだかっている。
「おやおや、これはこれは話題のポッターじゃないか。もうファンがついたのかい?」
ドラコは鼻で笑いながら、ハリーの隣に座るロンと、本を握りしめているハーマイオニーを値踏みするように見た。しかし、その視線はすぐにテーブルの上のしわくちゃの新聞――アントワーヌが不敵に笑う写真――へと吸い寄せられた。
ハリーは、おじさんから教わった「余裕のある態度」を無意識に思い出し、穏やかに答えた。
「今知り合ったばかりなんだ。君とはダイアゴン横丁以来かな?」
「……あぁ、そうだったな」
『ダイアゴン横丁』という言葉が出た瞬間、ドラコの顔が一瞬強張った。父上を赤子のようにあしらったあの銀髪の男の冷たい瞳。
ドラコは新聞を指差し、声を少し低めて言った。
「その新聞の記事は本当か? ……あの男が、正式に君の守護者になったというのは」
「うん、そうだよ。おじさんは昨日、魔法省と話をつけてきたんだ」
「……そうか。父上も言っていたよ。あのアントワーヌ・ド・ポッターは、魔法省ですら扱いきれない劇薬のような男だとね」
「そうかな?優しい叔父さんだけど…」
ドラコはいつものように「僕の父上が――」と続けようとして、途中で言葉を飲み込んだ。いつもなら「お前の家なんかより僕の家の方が上だ」と誇示するところだが、相手はあの魔法省を屈服させた『黒の副官』の甥っ子だ。マルフォイ家といえど、安易に敵に回していい相手ではないことを、彼は父ルシウスから厳しく言い聞かされていた。
「ポッター、一つ忠告しておく。君が誰に育てられようが、学校では実力がすべてだ。君がその『叔父上』の名に泥を塗らないことを祈っているよ」
「うん、善処するよ」
ドラコはそう言い捨てると、ハリーを威嚇するよりも、むしろその背後にいる「アントワーヌの影」を恐れるように、足早に立ち去っていった。
「何なの?あいつ。感じ悪いわね」
ハーマイオニーが不快そうに鼻を鳴らした。一方、ロンはお菓子を飲み込んでから、感心したようにハリーを見た。
「すごいよハリー! あのマルフォイが、あんなに大人しく引き下がるなんて。いつもならもっと嫌なことを言うはずなのに……やっぱり、君の叔父さんの名前って、僕たちが思っている以上に効き目があるんだね」
「うーん、そうかもね?」
ハリーは、去っていくドラコの背中を見送りながら、おじさんの言っていた「ポッター家の誇りと、力による抑止力」の意味を、少しずつ実感し始めていた。
列車が速度を落とし、ついにホグワーツの最寄り駅、ホグズミードに到着した。夜の冷たい空気の中に飛び出すと、聞き覚えのある力強い声が響き渡った。
「イッチ年生、こっちだ! イッチ年生、こっちへ来い!」
ランプを振りかざして立っていたのは、ダイアゴン横丁でハリーを救い出してくれた大男、ハグリッドだった。ハグリッドはハリーを見つけると、毛むくじゃらの顔をほころばせた。
「おぉ、ハリー! 元気で何よりだ。アントワーヌ卿の屋敷での暮らしはどうだ?酷いことされちょらんか?」
「う、うん!大丈夫だし、最高だよ!ハグリッド!」
ハリーが答えると、周囲の一年生たちは「アントワーヌ卿だって?」と顔を見合わせ、再びひそひそ話を始めた。ハグリッドに導かれ、一年生たちは暗い小道を下っていく。やがて視界が開けた瞬間、全員が「わぁっ!」と息を呑んだ。
黒い湖の向こう、切り立った崖の上に、無数の窓を光らせた巨大な城――ホグワーツ城がそびえ立っていた。
ハリーは、ロン、ハーマイオニー、そして内気な少年ネビルと同じボートに乗り込んだ。ボートが魔法で滑り出す中、ハリーは城の鋭い塔や重厚な石壁を見つめ、おじさんの言葉を思い出していた。
(『英国魔法界の歴史が積み重なった場所だ。英国の謎を知るにはとてもいい所だ』)
城内に到着し、厳格な面持ちのマクゴナガル先生に導かれ、一年生たちはついに大広間の二重扉をくぐった。
何千本もの浮遊する蝋燭が照らす大広間は、まさに壮観だった。四つの寮のテーブルには上級生たちが並び、正面の教職員席には、おじさんが「因縁の相手」と呼んでいたアルバス・ダンブルドアが中央に座っている。
緊張を抱えながら、ハリーは自分の名前が呼ばれるのを待った。組み分け帽子によってどんどん組み分けされていく。やがてマクゴナガル先生が「ハリー・ポッター!」と叫ぶと、広間は水を打ったように静まり返った。
ハリーは三脚椅子に座り、古びた「組み分け帽子」を頭に被せられた。
(ふむ……)
帽子の小さな声が耳元でささやいた。
(これは驚いた。驚くべき英才教育、そして強固な意志。知識への渇望はレイブンクローでも通用するし、野心と力への理解はスリザリンでも花開くだろう。だが……根底にあるのは、おじと同じ、燃えるような情熱と誇りか。よろしい。決まったぞ!)
「――グリフィンドール!!」
帽子が叫ぶと、グリフィンドールのテーブルから爆発的な拍手が巻き起こった。双子のウィーズリー兄弟が「ポッターが手に入ったぞ!」とはやし立てる中、ハリーは誇らしげに席へと向かった。
ハリーが着席し、最後の生徒の組み分けが終わった。広間が静かになり、校長であるダンブルドアが、歓迎の挨拶を述べようとにこやかに立ち上がった。
「皆のもの、よう来た!ようこそホグワーツへ! 新しい年度を祝して、まずは一言、ご挨拶を――」
――バリィィィィィィィィン!!!
校長の言葉を、暴力的な衝撃音がかき消した。
教職員席の真後ろにある巨大なステンドグラスが、内側へ向かって粉々に砕け散ったのだ。
「な、なんだ!?」「キャー!」
悲鳴が上がる中、夜の闇を裂いて突っ込んできたのは、魔法の閃光ではなく、重厚な鉄の塊だった。
イギリス製の古い真っ赤なオートバイ、アリエル・レッドハンター。
そのバイクは、砕けたガラスの雨を切り裂きながら教職員席の床に激しく着地すると、凄まじいスキール音を立てて車体を派手にスライドさせ、ダンブルドアが立つ演台の目の前で、タイヤから白煙を上げながらピタリと停車した。白煙の中から声が響く。
「……アルバス。相変わらずこの城は遠すぎる。利便性を考えた方がいい…。本当に
大広間に漂う焼けたゴムの匂いの中、ライダーがゆっくりとヘルメットを脱ぐと、キラリとモノクルが光る。その鋭い銀の瞳が、一瞬で広間の空気を氷点下まで下げた。銀髪を完璧に整えた不機嫌そうなアントワーヌが、一分の隙もないライダースーツに身を包んで座っていた。
「お、おじさん……!?」
ハリーが椅子から立ち上がりそうになる中、アントワーヌは不機嫌そうにエンジンを切り、大広間全体を支配するほどの圧倒的な威圧感を持って、その場に平然と居座った。それを見ながらダンブルドアはこう言った。
「皆に紹介しようかの、アリフ・シカンダー先生の後任としてマグル学を教えてくれるアントワーヌ・ド・ポッター先生じゃ、客員教授ではあるが、皆よろしく頼むのぅ」
ダンブルドアの朗らかな宣言とは裏腹に、大広間には冷や水を浴びせられたような沈黙が広がり、直後、ハチの巣をつついたような騒ぎが巻き起こった。
「ポッター……教授? まさか、あの『黒の副官』が教授だって!?」
「マグル学? マグルをゴミのように扱ってきたグリンデルバルドの右腕が、マグル学を教えるのかよ!」
「信じられない!」
生徒たちの動揺は凄まじく、特に純血の家系の生徒たちは、アントワーヌという名が持つ歴史的な重圧に顔をこわばらせている。
教職員席も例外ではなかった。マクゴナガル先生は信じられないといった様子でダンブルドアとアントワーヌを交互に見ており、特にスネイプ教授は、毒液を薄めたような冷たい視線を新任の客員教授に突き刺していた。
しかし、当のアントワーヌはそんな喧騒など羽虫の羽音ほどにも気にかけていなかった。
「……アルバス、その呼び方は語弊があるな」
アントワーヌはバイクに跨ったまま、ヘルメットをシートに置くと、低く、だが広間の隅々まで響く声で遮った。
「私が教えるのは『マグル学』などという、まるで彼らを珍獣か何かのように観察する退屈な学問ではない。私が教えるのは、『マグル工学と魔法理論の融合』。すなわち、杖に頼り切って思考を停止させた諸君らの頭を、再起動させるための授業だ」
アントワーヌはそう言い放つと、凍りつく生徒たちに背を向け、くるりと教職員席の方へ向き直った。そして、マダム・フーチの隣にある空席に、ドカりと音を立てて遠慮なく腰を下ろした。
隣でフーチ先生が、鷹のような目を丸くして身を引くのもお構いなしだ。
「さぁ、みな頂くとするかのぅ」
ダンブルドアの能天気な一声と共に、テーブルの上には山のようなご馳走――ローストビーフ、ポテト、ヨークシャープディング――が湯気を立てて現れた。
しかし、アントワーヌはそれらを一瞥すると、眉間に深い皺を寄せた。まるで、目の前に出されたのが料理ではなく、泥の塊であるかのような表情だ。
「……芸がない」
彼は短く吐き捨てると、ライダースーツの懐に手を突っ込んだ。
教師たちが「杖を取り出すのか?」と身構える中、彼が取り出したのは、脂の染みがついたマグルのファーストフードの紙袋だった。
ガサガサという安っぽい音が、静まり返った教職員席に響く。
アントワーヌは袋の中から、銀色のアルミホイルに包まれた太い棒状のもの――ブリトーを取り出した。
「なっ……」
マクゴナガル先生が眼鏡をずり落としそうになるのを他所に、アントワーヌは優雅な手つきで、しかし豪快にアルミホイルを剥くと、スパイシーな香りを漂わせるその塊に、大きな口を開けてかじりついた。
バリッ、ムグムグ…。
ホグワーツの長い歴史の中で、大広間の歓迎会でファーストフードを貪り食う教授など、前代未聞だった。
生徒たちはフォークを持ったまま固まり、教員たちはギョッとしてその光景を凝視している。
「本当にイギリス料理というのは芸がない。産業革命と共に、君たちは味覚まで機械に売り渡してしまったようだな」
黒い革手袋を油で汚すのも厭わず、ブリトーを頬張りながらアントワーヌは冷淡に言い放った。その声は、隣で絶句しているマダム・フーチや、困り顔のダンブルドアに向けられたものというより、ホグワーツという「古臭い伝統」そのものへの宣告のようだった。
「アントワーヌ卿……」
少し離れた席から、地を這うような低い声が響いた。セブルス・スネイプだ。彼は、アントワーヌが持ち込んだスパイシーでジャンクな香りに、これ以上ないほど不快そうに鼻筋を歪めていた。
「ここは神聖な学び舎だ。その……下品な匂いを、どうにかしてくれませんかな? 魔法薬の調合に支障をきたしたら、どう責任を取ってくれるのですかな?」
「おや?私が何を食おうと勝手だろう? セブルスくん。それは個人の尊厳の問題だ」
アントワーヌはブリトーを咀嚼したまま、一瞥もくれずに答えた。
「君の髪に染み付いた古びた油脂の匂いよりは、このサルサソースの方がよほど健康的で、かつ知的な刺激に満ちている。不快なら、嗅覚を遮断する呪文でも自分にかけるがいい。君の得意分野だろう?」
アントワーヌの言葉に睨みつけながら、スネイプは今にも立ち上がろうとしていた。
「それにしても、君に会うのはいつぶりだったかな?ジェームズの結婚式では見なかったが、リリー嬢に私が会った時以来か?そういえば…君はあの時何処に居たんだい?」
「貴様…!!」
スネイプの顔が青白く引き攣るが、ダンブルドアはフォークに刺した大きな糖蜜タルトを口に運ぼうとして、困ったように微笑んだ。
「まぁまぁ、2人とも…ここで喧嘩をすることはなかろう…。別に何を食べてもらっても構わんよ。じゃが、アントワーヌ、このデザートは美味しいと思うがね。一口どうかな?」
「その砂糖の塊をデザートだと言うなら、そうなんだろうな、アルバス。私の膵臓には、君のような過剰な冒険心は備わっていない」
アントワーヌは冷たく突き放すと、目の前に置かれた銀のゴブレットを手に取った。スンスンと鼻を近づけ、中身の匂いを嗅ぐ。
「……なんだ、ワインか。マダム・ロスメルタの店から仕入れたものか? 少しはいいスコッチでも飲めるかと期待してたが。いやはや、学校という場所はこれほどまでに禁欲的な場所だったとはね、まるで修道院じゃないか」
アントワーヌは心底がっかりしたように首を振り、ゴブレットをテーブルに戻した。その一挙手一投足、そして「学校の権威」である校長のデザートをゴミのように切り捨てる態度を、ホグワーツ生たちは固唾を呑んで見つめていた。
彼はゴブレットの中身を指パッチンで消すと、懐から彫金の施された銀のスキットルを取り出した。
蓋を開け、琥珀色のブランデーを銀のゴブレットへドポドポと、景気良く注ぎ込む。芳醇なアルコールの香りが周囲を包む中、彼はそれを一気に煽った。
「ふむ。ようやく喉に血が通ってきた」
満足げに呟くと、アントワーヌは椅子に深く背を預けた。そして、広間に座る数百人の生徒たちを、文字通り「見下ろす」ように眺めた。
銀色の鋭い瞳が、まずはスリザリンのテーブルを射抜く。
あの日ダイアゴン横丁で屈辱を味わわされたドラコ・マルフォイをはじめ、純血の誇りを掲げる生徒たちがその視線に触れた瞬間、蛇に睨まれたカエルのように慌てて目線を逸らした。
その反応を見て、アントワーヌは鼻で笑った。
それは教師が教え子を見る温かい眼差しでも、権力者が支配者を見る冷酷な眼差しでもなかった。まるで、これから自分が行う「実験」のサンプルを品定めするかのような、圧倒的な優位に立つ者の視線だった。
ハリーもまた、高座から自分たちを見下ろすアントワーヌの視線を受け止めた。その瞳には、かつて「黒の副官」として一時代を築いた男の、隠しきれない威圧感が宿っている。
――だが、ハリーと目が合った瞬間だった。
アントワーヌの鋭い瞳がふっと和らぎ、その口元に柔らかな微笑が浮かんだ。彼は甥を見つけると、まるで休日の朝に庭で出会ったかのように、ゆっくりと、親しげに手を振ってみせたのだ。
その温度差に周囲が呆気に取られる中、アントワーヌは再び指をパチンと鳴らした。虚空から現れた銀のポットが、漆黒のエスプレッソを注ぎ始める。
「さあ、見世物は終わりだ。さて、生徒諸君、私の授業は、遅刻者にはとことん冷酷だ。遅刻をしないことを祈るよ」
誰に聞かせるでもなく、しかし広間全体に届く声でそう告げると、アントワーヌは湯気を立てるエスプレッソを、この上なく優雅な所作で啜り始めた。
彼はふと思い出したように、ライダースーツのタイトなポケットから、鎖のついた懐中時計を取り出した。それはマグル工学の粋を凝らした精密な歯車と、古のルーン文字が刻まれた、異様な魔力を放つ「魔導具」だった。
アントワーヌが時計の竜頭を軽く叩くと、カチリという硬質な音が広間に響き渡った。
その瞬間、時間が逆流を始めた。
床に散らばっていた無数のステンドグラスの破片が、生き物のように一斉に宙へ舞い上がった。粉々になった極彩色のガラスが、パズルのピースが埋まっていくような正確さで、元の窓枠へと吸い込まれていく。
ヒュンヒュンと風を切る音と共に、一秒前までそこにあった「破壊の跡」が消えていく。最後の一片がカチリと嵌まった瞬間、窓は突っ込んできたバイクの衝撃などなかったかのように、月明かりを美しく反射する元の姿へと戻っていた。
「信じられない…。杖も使わず呪文も唱えずにガラスを直すなんて…!」
ハーマイオニーが、持っていたフォークを落としそうになりながら愕然と呟いた。
マクゴナガルは厳格な表情を崩さなかったが、その瞳には明らかな驚愕が宿っていた。単なるレパロではない。それは、その空間の「時間」そのものを局所的に巻き戻す、極めて高等で危険な術理だったからだ。
ダンブルドアは眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、その時計を興味深そうに、しかし警戒を孕んだ目で見つめていた
スネイプは忌々しそうに顔を背けたが、その手は無意識に杖を強く握りしめていた。新任の客員教授が、自分たちの想像を絶する領域に足を踏み入れていることを、教職員の誰もが悟らざるを得なかった。
アントワーヌは、修復された窓を一瞥もすることなく、満足げに懐中時計を仕舞った。
「アルバス。これで器物破損の件は帳消しだ。……さて、私はお先に失礼させてもらうよ…。最近よく眠れてないからね」
彼は最後の一口を飲み干すと、音もなく立ち上がった。教職員席の後ろに鎮座するアリエル・レッドハンターに指を触れると、巨大な鉄の塊は、まるで幻だったかのように霧となって消え去った。
大広間を後にするアントワーヌ。その背中を見送る生徒たちの間には、もはや嘲笑や動揺ではなく、本能的な「畏怖」が渦巻いていた。
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