ハリーポッターと灰色の貴族   作:ヨシフ書記長

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黒の館

 

ロンドン郊外、霧深きウェスト・バークシャーの丘陵地帯。ロールスロイスが街の喧騒を遠ざけていくにつれ、窓の外の景色は静かに、そして不気味なほどに深みを増していった。森に包まれた丘陵地は、朝も昼も関係なく、常に微かな霧に覆われている。まるで時の流れを忘れたかのように動かない木々。風さえも音を潜めている。

 

ロールスロイスがゆっくりと減速したとき、ハリーは息をのんだ。目の前に現れたのは、城だった。

 

いや、“屋敷”と呼ぶにはあまりに巨大で、異様だった。

漆黒と象牙色を基調にした石造りの塔が、いくつも天を突く。視線を上げれば、そこには宙に浮かぶ庭園――三層に渡る緑と噴水の空中テラスが、まるで空に描かれた迷宮のように風に揺れていた。そして地上を見渡せば、巨大な迷宮庭園がどこまでも広がる。整然と刈り込まれた生垣は、歩けば確実に迷子になる規模だ。

 

門の上部には、金と白金で象られた鷲の紋章が飾られ、魔力で羽ばたくように動いている。ハリーには、それが生きているように見えた。

 

「ようこそ、シャトー・ド・リュシヨンへ」

 

アントワーヌが胸元から銀の鍵を取り出し、それを門にかざす。途端に低くうなるような音と共に、重厚な門が左右にゆっくりと開いた。

 

ハリーはその奥に広がる景色に言葉を失った。

 

白と黒の巨大な屋敷。外壁には魔法の光が走り、塔の窓には中空に浮いたランタンが灯り、まるで星のように瞬いていた。

 

「ここが……僕の家、になるんですか……?」

「いや、ここは“君の家ではない”。まだね。ただ、君に見せるべき“私の世界”ではある」

 

アントワーヌの声には、どこかしら覚悟と、寂しさが混じっていた。

 

屋敷内部

 

玄関ホールに入った瞬間、ハリーは目を見開いた。

 

星空だった。

 

天井一面が夜空のように輝き、星座が静かに動いていた。まるで空そのものが屋敷に組み込まれているような錯覚すらある。床は黒曜石のように滑らかで、壁には浮かぶようにして古代文字が踊っていた。

 

扉が幾つも並び、それぞれ異なる装飾が施されている。一本の廊下の奥には、音を立てずに空を飛ぶ蝋燭の群れが、照らすべき主を待っていた。

 

「こっちだ、少し見せておきたい部屋がある」

 

アントワーヌが歩き出すと、扉の一つが自動で開く。ハリーがついていくと、その先には――

 

地下・車庫

 

「わ、うわあ……」

 

それはまるで、魔法の宝物庫だった。

 

天井まで届くほど高い空間に、ずらりと並ぶクラシックカーの数々。

 

黒曜のような輝きのシボレー・インパラ 1967年型。

青く光るシェルビー・コブラ427。

重厚な赤のプリムス・ロードランナー。

シルバーフレームが美しいフォード・マスタング Mach 1。

その一つ――黒のインパラが、まるで感応したかのようにボンネットを自動で開き、煙のような光が舞い上がった。

 

光の帯には、小さくこう記されていた。

 

《アントワーヌ・ド・ポッター・カスタム》

 

「整備も自動か……?」

 

ハリーが思わずつぶやくと、宙をくるくると回る工具がまるで返事をするかのように動き続けていた。

 

アントワーヌの魔導具工房

 

「……こちらはあまり見せたくないが、君にならいいだろう」

 

屋敷のさらに奥、分厚い鋼鉄の扉の先にあった部屋は――混沌そのものだった。

 

アントワーヌの完璧な身なり、紳士然とした態度からは到底想像できない、荒れた部屋。

 

書斎机は書類に埋もれ、判読不能な魔法式がびっしりと記されている。

作りかけの魔導具が机に山と積まれ、時折…キュインと光を放ったかと思えば、ブルルと爆ぜるように震える。

魔法書は、まるで積み木のように縦に山積みにされ、今にも倒れてきそうだ。

ソファ近くには、中身が乾ききったコーヒーの痕跡を残す紙コップが、五つ以上も重なっている。

そして、傍らの灰皿には赤いフィルターのタバコが溢れんばかりに詰め込まれていた。

 

「……なんだか、学校の物置みたいですね」

「否定はしない。ここでは私は“片付けの下手な魔法職人”に過ぎないよ」

 

アントワーヌは笑いながらも、その中から小さな指輪のようなものを拾い上げた。

 

「これは未完成だが…君にとっては、後に重要な意味を持つことになるだろう」

 

ハリーは、その部屋をただ眺めながらふと気づく。

 

完璧な紳士にも…人間くささがあるのだと。そして、それがなぜだか…少しだけうれしかった。

 

広大な車庫から地上階へ戻ったあとも、シャトー・ド・リュシヨンの驚きは終わらなかった。

 

「これから、君にいくつか場所を見せておこう。どうせ明日には迷うのだ、先に印象だけでも与えておいた方がいい」

 

アントワーヌはそう言って、滑らかな大理石の廊下をすたすたと歩き出す。彼が通るたび、廊下の壁に取り付けられたランタンが自動で灯っていった。

 

図書室

 

アントワーヌが手をかざすと、重厚な木の扉が音もなく開いた。

 

「ここが、我が家の図書室――だが、もはや“図書館”の方が正確かもしれないな」

 

ハリーは絶句した。

 

大広間ほどの天井高。書架が何層にも重なり、見上げれば螺旋階段の先にまで本が詰め込まれている。空中を魔法で浮遊する書見台が行き交い、本棚の合間には羽根ペンが勝手にメモを取り続けていた。

 

「全部、あなたの蔵書なの……?」

 

「いや、三分の一は祖父のものだ。残りの三分の一は私の研究書。そして……最後の三分の一は、借りっぱなしのままだ」

 

とぼけたように言うアントワーヌに、ハリーは苦笑した。

 

そのとき――ふいにポンと音がして、しもべ妖精の一人が現れた。

 

「セバスチャン、掃除は済んだかね?」

 

「はっ! セバスチャン、完璧に仕上げましたとも。第二閲覧区の『禁術雑誌1939年秋号』も埃ひとつなく! 坊ちゃまにおかれましては、ようこそおいでくださいました。何卒、末永くご贔屓に……もっとも、この混沌を整理整頓できるのは私だけですがな」

 

ハリーは思わず振り返る。現れたのは――燕尾服のような衣装に、ちょび髭まで生やしたしもべ妖精。どこか給仕長のような貫禄があり、彼は深々と一礼すると、再び消えた。

 

「……いまのがセバスチャン。給仕と記録係だ。誇り高き皮肉屋だが、仕事は完璧だよ」

 

客室

 

続いて通された客室は、まるでホテルのスイートルームのようだった。

 

高い天井には、星空と雲の魔法装飾。ふかふかのベッドには赤い天蓋が掛かり、窓際には小さな書き物机と、ペンと紙、インクが完備されていた。

 

「明日からはここで寝るといい。もっと大きな部屋もあるが、最初はこのくらいがちょうどいいだろう」

 

「……十分すぎます」

 

ハリーは、まるで夢の中にいるような気分だった。壁にはジェームズ・ポッターの若き日の肖像写真が飾られている。小さな額縁の中で、彼が人懐っこくウィンクしていた。

 

「父さん……」

 

食堂

 

「さて、腹が空いているなら、少し食べていくかね」

 

食堂と呼ばれた部屋は、ちょっとした晩餐会が開けそうな広さだった。長いオーク材のテーブルがあり、壁には年代物の肖像画がずらりと並び、どれもが目を閉じたり開けたりしている。

 

「ご主人、夕食は二人分? それとも客間用の軽食コースにしますか?」

 

別のしもべ妖精――ウォルターが音もなく現れた。セバスチャンとは違い、こちらは真っ白なシェフ服を着ており、頬がふくよかで、メニュー表を持った手が少し震えていた。

 

「軽食でいい。ワインは要らない。子供用に……そうだな、ココアにしてくれ」

 

「畏まりました」

 

ウォルターは元気よくお辞儀をすると、魔法の煙の中に消えた。

 

次の瞬間、テーブルの上に温かいパンプキンスープ、チキンと茸のパイ、フルーツサラダ、そしてココアが完璧に並べられていた。ハリーは黙ってそれらを見つめたあと、ゆっくりとスプーンを取った。

 

庭園

 

夕食を終えると、アントワーヌは手首を軽くひねり、庭園への扉を魔法で開いた。

 

夜霧の中、広大な迷宮庭園が広がっていた。

 

整然と刈り込まれた生垣が、月光の下で銀色に輝いている。所々には燭台のような光球が宙に浮かび、妖精のようにふわふわと庭を照らしていた。

 

そして庭の一角では――数体の“魔導人形”が、庭師のように作業していた。

 

まるで人間のように動く魔法仕掛けの人形たちが、ハサミを持って剪定をし、水を撒き、噴水の掃除をしている。ひとつの人形が顔を上げ、ハリーに向かって帽子を取ってお辞儀をした。

 

「彼らは我が庭園の管理者だ。夜でも疲れを知らず働く。昔、ホグワーツの温室を参考にして作ったのだよ」

 

ハリーは、静かな風に吹かれながら、どこか心の底から安心するような感覚を覚えた。

 

――ここは確かに現実ではないような世界だった。

 

だが、なぜか「自分がここにいてもいい」と思える。不思議な空間だった。

 

アントワーヌがふと、ハリーの肩に手を置いた。

 

「一晩ゆっくり休むといい。……明日から、君の“魔法”の時間が始まる」

 

ハリーは、黙って頷いた。

 

その夜、階段下の物置ではなく、天蓋付きのベッドで、彼は人生で初めて“守られている”と感じながら眠りについた。

 

ある日の夜

~ 書斎 ~

 

 

暖炉の火が静かに揺れ、赤い光が書斎の壁に映し出す影が刻一刻と形を変えていた。古地図と肖像画に囲まれた空間で、ハリーは重厚な椅子に腰を下ろし、向かいのアントワーヌの動きをじっと見つめていた。

 

アントワーヌは手元のグラスを軽く回しながら、まるで夜の静寂を噛みしめるように、ゆっくりと語り出した。

 

「君は、自分の家系について、何を知っている?」

 

「……両親のことも、ほとんど知りません。名前と……死んだ理由くらいしか」

 

「そうか。――なら、少し語っておこう。“ポッター”という名は、ただ有名だから知られているのではない。血脈が、誇りに足る道を歩んできたのだ」

 

ハリーは、静かに聞き入っていた。

 

「我々ポッター家は、古くから“発明家”の系譜にある。魔法の技術と道具に秀でた一族なのだよ」

 

アントワーヌは懐から小さな銀の懐中時計を取り出し、蓋を開いた。内部には時計の針の代わりに、淡い光の帯が揺れていた。それはまるで、時の記憶を映しているかのようだった。

 

「我らの祖先、スティンチコームのリンフレッドは、中世の魔法薬の開発者だった。彼が作った軟膏、解毒剤、万能な軟化液の理論は今も魔法薬の基礎になっている」

 

「その“骨生薬”――スケル・グロウと呼ばれている薬を、改良したのが君の祖父、フリーモント・ポッターだ。彼は卓越した薬品研究家だったよ。人見知りだったが、ユーモアのある人物でね」

 

「……知らなかった」

 

「だろうな。彼の名は歴史書には小さくしか載っていない。だがその薬は、今も病院の棚に並んでいる。人々の身体の中で、彼の功績は生きているのさ」

 

アントワーヌはグラスを傾け、一口だけ飲む。

 

「ヘンリー・ポッターという人物もいた。我らの一族から出た法廷の番人、ウィゼンガモットの議員だった。彼はマグルとの関係改善を訴えたが、当時の保守派には受け入れられなかった。時代の先を行きすぎていたが……誇り高き人物だよ」

 

「マグルって……?」

 

ハリーが問いかけると、アントワーヌは少し間を置いてから答えた。

 

「魔法を持たぬ人間を、我々の社会では“マグル”と呼ぶ。君の両親も魔法使いだったから、君にもその力がある。いずれ、自分で気づく時がくるだろう」

 

アントワーヌは目を細め、火に照らされる自らの影を見つめた。

 

「……さて、私は少しばかり特殊でね。“ポッター”の名を持ちながら、ラルストン・ポッターの弟がフランスへ渡り、そこで分家を築いた家系の末裔にあたる。つまり私は、“ド・ポッター”家の人間だ、さらにはアメリカに行った者も居るらしい」

 

「君の父ジェームズとは直接の親戚ではないが――」彼はそこではっきりと、ハリーの目を見て続けた。

 

「家系的には君の父と血縁にあたる。遠いが、確かに“ポッター”だ。紛れもなく、我々は“同じ血”を継ぐ者同士なのだよ」

 

ハリーは、その言葉をじっと噛みしめるように黙っていたが、ふと疑問を口にした。

 

「アメリカにも……親戚がいるんですか?」

 

「噂はある。十九世紀末、あるポッター家の一族が船でアメリカに渡り、イルヴァーモーニー魔法学校に籍を置いたという話が残っている。だが私は……詳しくは知らないし、探してもいない」

 

アントワーヌはグラスを机に置き、ゆっくりと立ち上がると、暖炉の火を見つめたまま語った。

 

「だが君が知るべきなのは、“自分が何者か”という過去だけではない。君が何を選び、何を守るか――それが未来を作る。ポッターの名は、血で受け継ぐだけのものではない。行動で示すものなのだ」

 

ハリーは、そっと頷いた。

 

「……わかりました。僕、ちゃんと知りたい。僕の家族のことも、魔法のことも」

 

アントワーヌはその目をまっすぐ見返し、穏やかに笑った。

 

「それでこそ、我が血の者だ」

 

――暖炉の火は静かに燃え続け、書斎の夜は、長い余韻のまま静かに幕を下ろしていった。

 

朝――新しい一日のはじまり

 

朝の光が、シャトー・ド・リュシヨンの大理石の廊下を淡く照らしている。ハリーは高天井の自室で目を覚ました。赤い天蓋付きベッドから降りると、昨日の夜の語りがふと胸によみがえる。あの懐中時計、祖父の名、アントワーヌの静かな声。

 

“僕は……ポッター家の一員なんだ”

 

廊下の扉がふわりと開き、しもべ妖精のウォルターが、温かなココアと焼きたてパンの載った銀の盆を抱えて現れた。

 

「坊ちゃま、おはようございます。お目覚めのココアと朝食をご用意しました」

 

ハリーは少し照れたように「ありがとう」と返すと、ウォルターは誇らしげに消えた。

 

続いて、セバスチャンが音もなく現れ、整えられた制服を載せたトレイを運んできた。淡いブルーのベストに、紺のネクタイ、白いシャツ。

 

「本日の服装でございます。糊とアイロン済です。新聞もご用意しました」

 

ハリーが新聞を開くと、そこにはこう記されていた。

 

《“ド・ポッター氏、釈放! 英国に帰還か?” 魔法界の沈黙が破られる日》

 

見出しを読んだ彼の胸に、小さな興奮が灯る。

 

ドアの前には再びウォルターが現れ、湯気の立つカップを差し出した。

 

「坊ちゃま、今朝は庭園の魔導人形たちが剪定作業をしております。お散歩、いかがでしょうか?」

 

ココアをすすりながら、ハリーは白い庭のアーチを歩き始めた。霧のかすむ空の下、花々が小さく魔法で動き、風に乗って小鳥の声が舞う。

 

静かだが、確かに何かが始まっている――そんな予感が、彼の胸に満ちていた。

 

それはまだ何者でもなかった少年が、“魔法の世界”へと歩き出した第一歩だった。

 

午前の静寂――魔法省からの知らせ

 

白い朝靄が丘を包み、庭園の魔導人形たちが剪定に精を出していたころ、シャトー・ド・リュシヨンの食堂には、紅茶の香りと温かなパンの湯気が立ちのぼっていた。

 

ハリーはアントワーヌと向かい合って朝食をとっていた。テーブルには、トリュフ入りのスクランブルエッグ、ハーブバターを塗ったバゲット、そして鮮やかな果物の盛り合わせが並んでいる。

 

「口に合うかい?」

「は、はい!」

「それなら良かった」

 

アントワーヌは新聞を読みながらそう呟いた瞬間だった。

 

“トン”という音と共に、空中に現れたのは、深緑色の封筒だった。封蝋には英国魔法省の刻印、双頭の獅子が魔法の炎に揺れていた。

 

アントワーヌがそれを静かに受け取り、封を切る。文章は羊皮紙に書かれていたが、その筆致には妙に硬直した“官僚的”な力が籠もっている。

 

数秒、読み進めたアントワーヌの眉が、ぴくりと動いた。

 

「……ふむ」

 

ハリーは、彼の表情に何かを察して、そっと声をかけた。

 

「ど、どうかしましたか?」

 

アントワーヌは文をたたみ、食後の紅茶をひと口飲んだ後、ゆっくりと答えた。

 

「“出頭命令”だ。英国魔法省からの、公式な召喚だよ。明日、ロンドンへ赴くようにとのことだ」

 

「……出頭?」

 

「そう。『未成年魔法使いの身元保護に関する確認』だと」

 

彼は言葉を切り、ふっと鼻で笑う。

 

「そしてこの文には、こう書かれている――『同行する未成年の同伴(ハリー・ポッター)を義務とする』とな」

 

その声音には、かすかに怒気が含まれていた。けれど、それは噴き上がるような怒りではなく、長年の政治的鬱屈に対する、諦めと警戒の混ざったものだった。

 

「つまり……僕も一緒に行くってことですか?」

 

「ああ。……だが、これは単なる形式ではない。“君を見せること”が、彼らにとっての()()なのだろう」

 

アントワーヌはその場に届いた文を卓上に置き、指先で封蝋の獅子を軽く弾いた。

 

「ハリー・ポッターが、今どこにいるのか。“誰の手にあるか”。――そういうことに敏感な連中なんだよ、魔法省というのは。今は特にね…」

「え……?」

 

ハリーが小さく問うと、アントワーヌは首を横に振った。

 

「いや、すぐに何かが起こるわけではない。だが、彼らの“目”の中に入るということが、どういう意味を持つかは、今のうちに理解しておいて損はない」

 

そう言いながら、アントワーヌは食事のナプキンを静かに畳んだ。

 

「準備しておこう。服装も、心も。それが“戦場”でなくとも、“審問”という名の舞台であることは変わらない」

 

ハリーは、その言葉を静かに受け止めていた。

 

ロンドン行き――霧のなかの入口

 

翌朝、シャトーの暖炉室で、アントワーヌとハリーは煙突飛行の準備を整えていた。壁に並ぶ緑のフルーパウダー壺の一つを手に取ったアントワーヌは、軽く指先で灰をすくい上げると、ハリーに目配せした。

 

「しっかり名前を。――『英国魔法省』だ」

 

「お、オーケー……」

 

灰を掴んだハリーが炉に飛び込むと、火花が緑に閃き、一瞬にして姿を消した。数秒後、アントワーヌも後に続く。

 

――ごうん、と低く響く音。

 

到着した先は、ロンドン地下に広がる魔法省の煙突ネットワークホール。高い天井から吊るされたシャンデリアが、硝子のように輝く光を落としている。床は黒い石でできており、幾何学模様の紋様が延々と続いていた。

 

「着いたか、ハリー」

 

「は、はい……うわ……なんか、広い……」

 

だが、ゆっくりと歩みを進めようとしたその時――

 

「ド・ポッター氏!こちらを向いてください!」

「ご子息の保護は事実か!?」

「其方はハリー・ポッター、ご本人で?」

 

どこからともなく、記者たちが押し寄せてきた。黒いローブを纏った男女、羽根ペンを構えたカメラマン、魔法録音器を構える若手記者――ざわめきは瞬く間に円となって二人を包囲した。

 

ハリーは一歩身を引きそうになったが、その肩に、アントワーヌの手がそっと置かれる。

 

「見ていなさい」

 

アントワーヌは、杖すら抜かなかった。代わりに、ゆっくりと右手を前へかざし、ひと振り。

その瞬間、まるで厚いガラスの壁が降りたかのように、記者たちの喧騒がぴたりと止んだ。声も、質問も、シャッターの音も、すべてが“見えない膜”に阻まれ、空間が不自然な静寂に包まれる。記者たちの群れは、まるで水を割くように、静かに、だが確実に左右へと引き裂かれていった。

 

「我々は、ただの来訪者に過ぎない」

 

アントワーヌの声は低く、だが確実に届いた。

 

「道を通るだけだ。それ以上のことは、しかるべき場所で話そう」

 

記者たちは押し黙り、道を開けた。誰もが杖にすら手をかけていないことに気づき、微かな緊張が走る。

 

ハリーは目を丸くしながら、アントワーヌの隣を歩いた。その背にあるのは魔力ではなく、もっと別の、“在り方”そのものが生む重みだった。

 

「……なんだったんですか、あれ」

「ちょっとした“礼儀”だよ。私がどこでどう歩むか、それを教えるだけのね」

 

淡々とそう語るアントワーヌの足取りは、あくまで静かで揺るがない。エレベーターへと続く回廊の先、魔法省の上層――審問の間への道が、ゆっくりと開かれつつあった。

 

ウィゼンガモット法廷

 

エレベーターが最後の音を立てて停止すると、重々しい鉄扉がゆっくりと開いた。そこは魔法省地下の最深部――「ウィゼンガモット法廷」へと続く、冷えた石造りの回廊だった。

 

空気は澱み、まるでこの場所そのものが“言葉”の重みを吸い込んでいるかのようだった。

 

ハリーが一歩を踏み出しかけたその瞬間、アントワーヌがそっと彼の肩を押しとどめた。

 

「ここから先は私だけが行く。君はここで待ちなさい」

 

「……でも、文には僕も“同行を義務とする”って――」

 

「“同行”はした。だが、“証言台に立て”とは書かれていない」

 

アントワーヌの口元にはうっすらと笑みが浮かんでいたが、その瞳の奥に宿るものは、ただならぬ厳しさだった。

 

「こういう場では、“出すカード”は慎重に選ばねばならん。――ハリー、君は今はまだ“切り札”だ。軽々しく場に晒すものじゃない」

 

ハリーはわずかに唇を噛み、小さく頷いた。

 

「……わかりました」

 

「それから、これを渡しておこう」

 

アントワーヌは内ポケットから銀色の懐中時計を取り出し、そっとハリーの手に握らせた。その時計は、まるで心臓のように、淡い鼓動の光を刻んでいた。

 

「時は、見る者の心を映す。焦るな。すべてには“時”がある」

 

言い終えると、アントワーヌは踵を返し、静かに歩き出す。革靴の音が、石畳に低く反響する。

 

やがて重い扉の前で立ち止まり、それが一人でに開いた。

中は、かつて数多の魔法使いが裁かれてきた“法廷”だった。

 

天井は高く、漆黒の壁には記録用の羽根ペンがいくつも浮かび、静かに旋回している。半円形の黒壇に囲まれた中央には、一本の椅子と、その上に垂れた銀鎖――拘束呪文の名残が、いまだに重くぶら下がっていた。

 

アントワーヌは椅子には座らず、壇上の人物たちを見渡すように立った。

「アントワーヌ・ド・ポッター入廷を許可します」

 

その名が呼ばれた瞬間、傍聴席に一斉にざわめきが走った。

 

アントワーヌ・ド・ポッター。かつてフランス魔法界を震撼させ、ヨーロッパ中に名を馳せた魔法貴族であり、今は亡きジェームズ・ポッターの叔父。

 

アントワーヌは堂々たる歩みで中央へと進み、まるでこの場に裁かれる者ではなく、“裁く者”が来たかのような風格に満ちていた。

 

中央の議長席に座るのは、灰色の髭をたくわえた細身の男。その声は濁りなく、冷静だった。

 

「ド・ポッター氏。我々はあなたを、“未成年魔法使いの不規則保護”および“国際魔法保護協定違反の可能性”に基づき、聴聞に招致した。出頭に感謝する」

 

「“感謝”の言葉と“強制の書状”は――矛盾すると思わんかね」

 

アントワーヌの声は静かだが、その底には鋭利な棘があった。

 

「……子を守ることが、罪となるのか?」

 

議場に、かすかな緊張が走る。記録ペンが羽音を立てて書き進める中、壇上の数名が目配せを交わした。

 

「“保護”の定義が問題となる。英国魔法省の法下にある未成年が……出所間もない貴殿の庇護下にあることは……」

 

「では問おう。なぜこの“少年”に対して、魔法省は何年も保護の手を差し伸べなかった? なぜ、生死の確認すら行わず、今さらになって“どこにいるか”を騒ぐのか?」

 

重く、冷たい沈黙。

 

やがて、別の議員が立ち上がり、言葉を張る。

 

「それは過去の判断であり――今は未来のための制度を……」

 

「“過去”が歪んでいれば、“未来”もまた曲がる。私は、それを正すために来たのだ」

 

アントワーヌは黒壇の上を、ひとりひとり射抜くように見据えながら、静かに言った。

 

「我が名はアントワーヌ・ド・ポッター。――この名に、過去も未来も偽りはない」

 

記録ペンがわずかに震え、羽先が羊皮紙の上で力強く滑った。

 

一方、外の廊下では、ハリーがひとりベンチに腰掛けていた。

 

扉の先で交わされる会話の内容は、何ひとつ届かない。

 

けれど、彼の手の中では、アントワーヌから渡された銀の懐中時計が、静かに時を刻み続けていた。

 

法廷では、半月型の眼鏡に銀白の髭を湛えた男――アルバス・ダンブルドアが議長席の傍に立ち、静かに言った。

 

「審問を開始します。ただし、これは断罪ではなく、必要な“対話”とするべきものと考えます」

 

議長が頷く。

 

「ド・ポッター氏。あなたがポッター家の血筋であること、それ自体に異論はない。しかし、未成年の魔法使いを無届けで保護下に置いた件については、重大な法的問題がある」

 

アントワーヌは首をわずかに傾けて笑った。

 

「Mon dieu. 問題とは、“法律”のことではなく、“慣習”の崩壊では? 君たちはハリー・ポッターを十三年近く、あのダーズリー家の納戸に放置していたじゃないか」

 

ざわめきが走る。

 

「あなたは、“ポッターの子”をどのような意図で連れ出したのですか?」

 

アントワーヌは手を広げる。

 

「意図など、ひとつだ。“子供を、生き延びさせる”こと。それ以上の意図など、ありはしない」

 

沈黙が場を包む。だがダンブルドアだけは、ひときわ鋭い視線で言った。

 

「君は、グリンデンバルトと“時”を共有した。今も“禁じられた研究”を続けていると、我々は聞いている」

 

「それが事実だとしても、私は殺しをしない。決して。ジェームズにもそう誓った」

 

ダンブルドアの表情が揺れる。

 

「その“誓い”に、何が勝つ? 知か、孤独か?」

 

一瞬の間。

 

アントワーヌはかすかに微笑み、低く呟いた。

 

「過去に戻ることはない。だが未来に備えることはできる。君もそうしたろう、アルバス」

 

「それが“教育”だというのなら……我々はまだ“味方”でいられるだろう」

 

しかし、ダンブルドアの次の問いは、鋭く突き刺さった。

 

「だが、君のやり方には、“彼自身の選択”が含まれていないのではないか?」

 

アントワーヌの瞳が鋭く光る。議場の空気が張りつめる。

 

「選ばせて……? 君たちはあの子に、“選択肢”など与えてきたか?」

 

「壁のない納戸で寝起きさせ、食事も満足に与えず、名前も満足に呼ばれず…11年だ。11年、“息を潜めること”だけを教えられてきた子供に、何を“選べ”というのか?」

 

沈黙。

 

彼は書類にそっと指を置き、続けた。

 

「子供を、子供らしく生かすことの、何が悪い?

飛び跳ねて、笑って、泣いていい。それが、子供だろう? 君たちはその時間を、あの子から剥ぎ取ったのだ」

 

ダンブルドアはわずかに目を伏せ、静かに言った。

 

「……ジェームズも、君に言われたな。“今だけは、大人になるな”と」

 

アントワーヌは目を閉じる。

 

「そして、彼は大人になりすぎて、死んだ。」

 

重苦しい沈黙。

 

「君の哲学は理解しよう。だが、ハリーは“選ばれた子”だ。魔法界の中心から遠ざけることはできない」

 

「――選ばれた子? 誰が? 君か? この国か?」

 

アントワーヌの声音が低く、張り詰めた。

 

「なぜ、彼の人生を勝手に定義する? あの子は君たちの“道具”ではないぞ、アルバス」

 

傍聴席の空気が凍る。

 

「なぜ彼が――イギリス魔法界のための生贄にならねばならん?

そうであるなら、私は彼をアメリカで育ててもいいと思っている」

 

議場がざわめき出す。

 

「国外へ?」「保護法違反だ!」「正気なのか!?」

 

その騒然を、彼の静かな声が押し潰す。

 

「……私は、世界中に身を置ける立場にある。マグル界においても、魔法界においても」

「何を言って……」

「名義は偽らぬ。数々の企業に私の名が記され、発明や財団は私の手にある」

 

沈黙。誰もが息を呑む。

 

「つまり、私は、どこの国にいても“普通”に暮らせる。そして、それをハリーと共に行う可能性があるということを……ここに示しておく」

 

そして一歩、席を立ち、壇上から告げた。

 

「……子供一人、守れぬ国に未来など無い」

 

空気が、止まった。

 

闇祓いの一人が反射的に杖を抜こうとする。

 

「控えよ。下郎!」

 

その一言が雷鳴のように響いた。

 

アントワーヌの杖は抜かれなかった。ただ片手を挙げただけで、法廷の空間が軋み、圧倒的な魔力が空気をねじ曲げた。

 

杖を抜こうとした者たちは、吹き飛ばされることなく、ただその場に押しつけられるように立ちすくむ。

 

「……私は忠告をした。これは宣戦布告ではない。

だが、次にあの子を意図的に巻き込んだ者がいれば、その時は“魔法界全体”を敵に回す覚悟がある」

 

誰も、返す言葉を持たなかった。

 

「なんなら、彼をフランスの魔法学校に通わせてもいい。我が師、ニコラス・フラメルが学んだ学院だ。――アルバス、お前も名は知っているだろう?」

 

議場の空気が震える。

 

「フランス魔法省が条件付き帰還許可? ふん……私はあの貴族会議に、大きな貸しがある。条件など、今すぐ撤廃できよう」

 

最後に、彼は扉へ向かいながら、振り返らずに言い放った。

 

「……この子を“守れぬ国”に未来などない」

 

そしてその背中が、法廷を後にした。

 

日刊預言者新聞・朝刊一面

 

(イギリス各地に無数のフクロウが新聞をばら撒く朝)

 

■見出し:

“ハリー・ポッター謎の叔父、魔法省で激昂――『彼は貴様らの道具ではない!』”

 

■サブタイトル:

“元・グリンデンバルト派にして発明家、アントワーヌ・ド・ポッター氏、フランス移籍の可能性を示唆”

 

■本文抜粋:

「……法廷での騒然たるやり取りの中、アントワーヌ氏は“フランスへの帰還と、甥の移籍”を堂々と言い放った。

同氏は、フラメルとも縁ある魔法貴族家系に属し、英仏の魔法政治に大きな波紋を広げている。

ある筋によれば、“古代魔法”と“禁呪理論”の両方に精通し、その魔力量は歴代魔法大臣クラスとの声も。

フランス魔法界は沈黙を保っているが、魔法貴族連盟内では『彼を再び迎え入れるかどうか』を巡り、既に緊急の集会が招集されたとの情報も――」

 

新聞には、法廷を背に去るアントワーヌの、銀髪を翻す後ろ姿の写真が大きく掲載されていた。

 

フランス・魔法貴族連盟・特別会議

 

古城の中に円卓が並び、重厚なマントと銀の指輪を身につけた魔法貴族たちが沈痛な表情を交わしていた。

 

「……また、“あの男”が動いたか」

 

「英国相手に、真正面から宣戦布告じみた発言を――」

 

「だがアントワーヌ殿には大恩がある。我らの領地が無事だったのは、世界魔法大戦の時彼が助けてくれたからだ」

 

「だが今さら彼を迎え入れれば、イギリス魔法省との関係が――!」

 

重苦しい声が飛び交う中、議長ル・ブラン公爵がゆっくりと立ち上がった。

 

「……“ド・ポッター”という名が、再びフランスの地を踏むことを、我らは拒む資格を持たぬ。

これは“義理”の問題ではない。“格”の問題だ」

 

沈黙。

やがて議会は、**“アントワーヌ・ド・ポッターの帰還”と“その甥の魔法学籍受け入れ”**を可決した。

 

数日後:ロンドン郊外・アントワーヌ邸

 

魔力で守られた庭園に、一羽の金の羽根を持つフクロウが舞い降りた。

その足には、古の百合と盾の紋章が封蝋された手紙が巻きつけられている。

 

アントワーヌは静かにそれを受け取り、封を切り、目を細めて内容を読む。

 

「……やはり来たか」

 

その隣で、ハリーが不安げに見つめる。

 

「な、何それ……?」

 

アントワーヌはふっと微笑み、しかしその声には熱がこもっていた。

 

「君に、“選択肢”を与える手紙さ。

英国に縛られるか、他国で自分を知るか――ようやく、“君自身の意志”で決められる時が来た」

 

英国・アントワーヌ邸前・数日後

 

灰色のロンドンの空の下、魔力で封じられた古い屋敷の前に、闇祓いや報道陣が列を成していた。

 

「……やはり、誰もいない」

 

「中からの魔力反応もない……どういうことだ?」

 

その時、邸宅の正門上部に設置された魔道具――“魔法映写投影機”が淡く起動し、銀白色の光が空間に立ち上がった。

 

そこには、アントワーヌ・ド・ポッターの上半身が映し出される。

 

「やあ、みなさん。来訪感謝するよ――だがもう遅い」

 

その微笑みは、どこか愉快そうで、どこか怒りを含んでいた。

 

「可愛い甥っ子を旅行に連れて行くのは、叔父として当然の義務だろう?

入学までのわずかな猶予……私は、彼に“世界”を見せてやるつもりだ。それのどこがいけない?」

 

ざわつく現場。

闇祓いの一人がつぶやく。「まるで……亡命だ」

 

アントワーヌの映像は、飄々と続ける。

 

「この邸宅には、私の魔法技術で作られた構造が残っている。どうぞ好きに調査するといい。

ただし――破壊すればその瞬間、フランス魔法省に通報される仕組みになっているがね」

 

映像の彼が、ふっと笑った。

 

「君たちは彼に、何を教えた? 監視か? 管理か?

私は――ただ“人生を味わわせる”つもりなのだ。

それでは、ごきげんよう、諸君」

 

映像がフェードアウトする。

 

アラスカ上空・赤い空飛ぶマスタング

 

夜空を疾駆する真紅のマスタング。

車体に刻まれた魔法陣が淡く光を放ち、拡張呪文によって車内は屋敷のような広さを誇っていた。

 

広い座席、移動式の魔法書棚、小さなカフェ台――

ハリー・ポッターは、窓越しに広がる針葉樹の森を見つめながら、まだ呆然としていた。

 

「す、すごい……ここ、車なんですか?」

 

運転席でハンドルを握るアントワーヌが笑う。

 

「ああ。“自由”という名の乗り物さ」

 

ハリーが戸惑いながら呟いた。

 

「じ、自由……?」

 

「君には、与えられなかったものだ。だが今からでも、遅くはない」

 

彼は軽く空を指差す。

 

アメリカ魔法議会(MACUSA)には、古くからの知己がいる。いくつか、見せたいものがあるのだよ――

“かつてのイギリスが見過ごしたもの”をね」

 

夜空に流星が走り、真紅のマスタングは静かに、それでいて確かな意志を持って飛び去っていった。




ハリーの愛の護りについてですが、ヴォルデモートの死の呪文からハリーを守る。そして、ダーズリー家にいた理由として、大人になるまではその血縁、家族と言える者の家にいる限り安全が保障される。
これはダンブルドアが拡張、強化したからになりますので、なら古代魔法的なあれなのかなと思ったので
魔導具とかで何とかなるんでは?というのと、リリー血縁者ではないものの、そこら辺何とかできるんでは?と言うやつです


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