フランス編はあと1話を予定しております
1960年製の真紅のフォード・マスタングが、長い空の旅を終え、南仏ボルドーの地に降り立った。太陽の光を浴び、車体の曲線が艶やかに輝く。魔法で改造された古き獅子は魔導エンジンを唸らせる。
運転席のドアがゆっくりと開き、初老の紳士が姿を見せる。銀縁のモノクル、銀髪を撫でつけ、赤いシルクのスカーフが風に揺れる。アントワーヌ・ド・ポッター――かつて“グリンデルバルドの副官”と恐れられた男だ。彼は南仏の温暖な空気を胸いっぱいに吸い込むと、ゆるやかに目を細めて言った。
「ううむ……
助手席から降りてきたハリーは、少し伸びをすると、初めて踏みしめる異国の地に、やや緊張した面持ちで彼は声を漏らす。
「ここが……フランス……」
その声には、驚きと戸惑い、そしてほんのわずかな興奮が混じっていた。
「そうだ。ヨーロッパの中でも、“古き魔法の地”と呼ばれている場所のひとつさ。ここでは建物だけでなく、歴史そのものが語りかけてくる」
アントワーヌはふと足を止め、港の方へと視線を投げた。
「さあ、行こう。まずは“我が母校”へと向かおう。君の“未来”のひとつが、そこにはあるのかもしれない」
「“母校”?」
「ボーバトン魔法アカデミー――フランス魔法界の学問の殿堂にして、私の“師…ニコラス・フラメル”も通った場所さ」
アントワーヌは軽やかにマスタングのドアを閉め、手袋を整えると、サングラス越しに空を仰いだ。空には、まだ微かな渡り鳥の列が浮かんでいた。
「さぁて…君の見聞の旅が、これから始まるのさ。準備はいいかい?」
その言葉に、ハリーは車に乗り込んだ。しかし、ハリーは、まだ
そして二人は、赤きマスタングと共に、山間の霧の向こうに広がるもう一つの世界へと旅立った。
同じ頃――
グリンデルバルドの副官、ヨーロッパに戻る! ――アントワーヌ・ド・ポッター、その手は再び血に染まるのか
世界魔法大戦より幾星霜。欧州魔法界を凍てつかせた“黒の副官”、かのグリンデルバルドの腹心アントワーヌ・ド・ポッターが、フランス・ボルドー港にて目撃された。特派員による写真には、真紅のマスタングと共に彼の姿がはっきりと収められている。
戦時中、非魔法族への弾圧と“魔導具による非人道的な実験”に深く関わった罪状により、ニュルンベルク・ウィザード裁判では懲役80年を言い渡されたが、近年の各種特許や魔導具開発における功績をもって赦免。釈放されて以降、公の場にはほとんど姿を見せていなかった。
――グリンデルバルドの“より大いなる善の為に”を最も深く理解し、それを実践した者。彼こそ現代魔法史の闇であり、その影響はまだ残っている。
過去を精算する意志があるのならば、まずその口から語られるべきは「後悔」であり、「謝罪」であるはずだ。だが、我ら魔法界に、その言葉は未だ一度も届いていない。
山間を抜ける
真っ白な霧の渓谷を抜け、古城のようなボーバトン魔法アカデミーがその姿を現した。山肌に抱かれ、塔と大理石の柱が静かにそびえている。季節外れの雪が、しんしんと舞っていた。
「さぁ見えてきたぞ、愛しき学び舎が…」
馬車が校庭に降り立つと、すでにそこには威厳ある姿の女巨人――マダム・マクシーム校長が待っていた。雪の中に立つ彼女の瞳が、鋭くアントワーヌとハリーを見据える。
「ボンジュール、マダム・マクシーム」
「これはこれは、出所なされていたとは……アントワーヌ・ド・ポッター」
「まぁ、刑期を終える前に証拠不十分で何度も仮釈放を繰り返してたがね? とはいえ、いまはただの民間人だよ。今日、甥のために少々“選択肢”を見せに来ただけさ」
マクシームは深く一礼した。教員たちの表情は、驚愕と警戒に満ちている。ある若い教授が、隣の同僚にささやいた。
「なぜ、あの男に礼など……」
「君は知らんのか? 奴はグリンデルバルドの右腕だったんだぞ」
「だからこそ……でしょう。最も恐れられ、最も理解されなかった男。ヨーロッパではヴォルデモートなど児戯に等しい。恐怖の格が違うんだ」
雪の音の中に、確かに何かがひっそりと動き始めていた。
マダム・マクシームはアントワーヌをじっと見つめていた。雪に濡れながらも、その背筋は崩れない。だがその瞳には、戸惑いと――そして深い記憶の光が宿っていた。
(なぜ、彼はこの学び舎に何故…私を入れたのか)
少女だった頃の記憶が蘇る。巨人の血を引くというだけで、あらゆる門戸が閉ざされた日々。名門校ボーバトンの門を叩いたときも、教師たちは露骨に眉をひそめた。
“より大きな善のために”
回想:世界魔法大戦中~ボーバトンアカデミー会議室
厚い石壁に囲まれた円形の会議室。浮遊する燭台の火が古参教師たちの顔を暗く照らし出す。その中央に座る名誉理事長アントワーヌ・ド・ポッター。深い黒髪に金縁眼鏡、冷徹な知性を湛えた瞳は揺るがない。
「半巨人の子女? 危険ではないか!」
「身体も制御できぬ種族だ。規律を乱すだろう」
議題としてあがった一人の少女について議論をしだす面々…。アントワーヌは静かに指を鳴らし、場に沈黙を呼ぶ。
「――半巨人だからなんだと言うのかな? 知性があり、魔力があり、“意志”がある。それで十分だ。血統に未来の指標を委ねる必要はない。それは愚か者のする事だ」
アントワーヌがそう言うとある教師がこう呟く
「だが、力を制御できなければ──」
そう呟いた教師を睨みつけるとこう言った。
「ならば、我々が教えればいい。我々は“教師”だ、その為にいるのではないかね?」
そして静かに締めくくる。
「――『より大きな善のために』。
アントワーヌはテーブルに乗せた手を組むとさらにこう続けた。
「それこそが、より大きな善のため、ではないのかな? 違うと言うなら、君の“善”とやらを定義してみたまえ」
その声は、会議室に冷たくも鋭く響いた。
「君は……
「皮肉に聞こえるかもね。だが彼はこう言ったはずだ――“すべては、より大きな善のために” 言葉は言葉に過ぎない。重要なのは、その後に続く行動だろう?」
アントワーヌは、書類を閉じた。
「彼の思想が誤っていたとしても、言葉そのものまで否定することはない。この少女を入学させることこそ、“より大きな善のため”なのだろう?それ以外に、ここに入学を許すべきでない理由を挙げてみたまえ」
誰も応えられず、わずかの静寂の後、マクシームの入学が承認された。
現在:雪舞うボーバトン中庭
冷たい雪が降りしきる中、マクシーム校長は背筋を伸ばして立つ。その瞳は昔よりも鋭い。
「あなたは“あの言葉”を引用したわ、“より大きな善のために”」
アントワーヌは微笑もせず、目をそらさず応える。
「“善のために”――迷うことが悪ではない。“信じ、疑うこと”も…人それぞれだがね」
「でも私は、あなたが一体“何者であったか”を知ってしまった」
アントワーヌは深く一礼し、低く穏やかに言葉を選ぶ。
「私は、君がここにいることが“答え”だと思っているよ。“言葉”は使い手の心を映す鏡だ。君がそれを“行動”にした。それが、すべてさ」
マクシームは言葉を失い、目を伏せる。 しばし歩みを進める二人とハリー。石造りの廊下、柔らかな魔法燭台の光の中を進む。
「あなたが先輩でなければ――私は門前で追い返していたわ」
「ご理解していただき、光栄ですな…。私も君の毅然とした態度は嫌いではないよ」
「然し…あなたの足跡は、この大陸に“火種”を残した」
「火種なら誰にもある。でも今必要なのは、“その火をどこへ向けるか”を教えることだ…。制御を失った力は…始末に悪いからね」
アントワーヌとマクシームの会話を聞いたハリーは、少し悩みながら呟くように言った。
「叔父さんの過去は……重いかもしれません。だけど、僕は知りたい。何を選べば、間違わないかを」
その言葉に、マクシームはほんのわずかに表情を和らげた。
アントワーヌはハリーと共に校舎内を見て回った。大理石の廊下、歴史を感じさせる肖像画、そして、トロフィーやかつての卒業生たちの発明品が展示された「名誉の広間」。その一角で、ハリーの目が釘付けになったものがあった。ガラスケースの中に収められた、複雑な歯車と精密な魔法文字が刻まれた、手のひらサイズの懐中時計だ。それは、まるで時そのものを封じ込めたかのような、美しい輝きを放っていた。
「これ…何ですか、叔父さん?」
ハリーが指差すと、アントワーヌはモノクルを外し、懐かしそうに目を細めた。
「ああ、それかい。私が学生時代に作ったものだ。“時の歯車”と名付けた。時間の流れを微調整するための、ちょっとした遊び心さ…。当時は、時間さえも制御できると本気で思っていた愚かさの証拠でもあるけどね」
「時間を……?」
「そう。厳密には、空間の認識速度を操作するものだがね。使いようによっては、一瞬を永遠のように感じさせたり、その逆も可能だ。魔法界には、まだ解明されていない神秘が山ほどある。私の知的好奇心は、あの頃から尽きることがなかった。いつの時代も、真理の探求は最も魅力的な病さ」
アントワーヌは、かつて自身の創造物だったその時計を、感慨深げに見つめていた。彼の若き日の天才性と、彼を突き動かした知への飽くなき探求心が、ハリーの目の前に広がっていた。この時計には、アントワーヌの純粋な研究者としての顔を持っていた証だった。
学食ホールに灯る暖かな光と、生徒たちのざわめき。銀の燭台が揺れる。数人の会話がテーブルを囲む。
「マジで来てたんだって、“あの”アントワーヌ・ド・ポッターが」
「新聞で見たわよ…“黒の副官”って書かれてた…怖っ」
「でもマダム・マクシームが丁寧に迎えてたらしい。それって……?」
「あのグリンデルバルドの副官だったんだろ? つまりは戦犯だぞ? ウチの親……あの人の名前出すだけで壁を殴ったぞ」
「でも、彼が私たちマクシーム校長を推薦したって噂って本当なのかな?」
「そうだよ。アントワーヌは戦時中の名誉理事長で、入学選考を主導してた記録がある。マダムマクシームは当時“初の半巨人”として──」
噂話が続く中、雰囲気は次第に重くなる。彼の名前は、単なる恐怖の記憶ではなく、時を越えた議論の火を灯していることを示していた。
ボーバトンでの滞在を終え、アントワーヌはハリーをマスタングに乗せ、フランス魔法省へと向かった。パリの中心、セーヌ川のほとりに魔法で隠されたエントランスをくぐり抜け、荘厳な中央アトリウムに車を停める。
「ハリー、ここで待っていなさい。少々、手続きが必要なものでね… 。行政というものは、いつの時代も効率を嫌うものだよ」
「何か…大変なことなんですか?」
「なぁに、ハリーが気にする事じゃないさ。 私は昔から、厄介事を引き寄せる特異体質なのだよ」
ハリーの問いに、アントワーヌはサングラス越しにニヤリと笑った。そしてこう続けた。
「だが、私にとっては日常茶飯事といったところだ。君はここで、ドライブの疲れを癒しておくといい。ここがいちばん安全だからね」
そう言い残し、アントワーヌは一人…車を降りた。
アントワーヌは、フランス魔法省の巨大な彫像が立ち並ぶ中央アトリウムに足を踏み入れた。足元には、磨き抜かれた大理石が、天上から降り注ぐ魔法の光を反射して、無限に広がるかのような錯覚を生み出す。天井は高く、まるでプラネタリウムのように星々が瞬く魔法の光で満たされている。しかし、その輝きは、彼の黒い影を吸い込むかのようにぼんやりとしていた。
周囲のざわめきが、彼が足を踏み入れた途端、不自然なほど静まり返る。職員たちが一斉に彼に視線を向け、その目は驚愕、好奇、そしてはっきりとした警戒の色を帯びていた。
「何やら、サーカスのライオンや象になった気分だ…悪くないね」
アントワーヌは、そんな彼らの視線をものともせず、ゆっくりと歩き出した。彼の黒いコートの裾が、磨き上げられた床に僅かな音を立てる。すれ違う職員たちは、まるで疫病神にでも出会ったかのように、一斉に目をそらす。中には、まるで彼がそこにいないかのように、早足で通り過ぎようとする者もいた。
「恥ずかしがり屋が多いようだね、どうも」
アントワーヌは、誰に聞かせるでもなく、小声で呟いた。その口元には、薄く嘲るような笑みが浮かんでいる。
「おいおい見ろよ」
「本当に、アントワーヌだ」
「出所したってのは本当だったとは」
「黒の副官様、堂々の凱旋だな」
彼らのひそひそ話が、アトリウムの冷たい空気に溶けていく。アントワーヌは、それらを全て聞き流しながら、奥へと続く通路を進んだ。通路の壁には、複雑な紋様が彫り込まれた古い魔法の地図が飾られ、所々に動く肖像画が並んでいる。しかし、それらの人物たちも、アントワーヌが近づくと途端に表情を曇らせ、目を伏せた。まるで、彼と視線を合わせることすら許されないかのように。
エレベーターホールに差し掛かると、そこは黄金に輝く装飾が施された、巨大な複数のエレベーターが並んでいた。ちょうど一つの扉が開き、中に数人の職員が乗り込もうとしているところだった。だが、アントワーヌの姿を認めた途端、彼らは一瞬で凍りつき、次の瞬間には蜘蛛の子を散らすようにエレベーターから飛び出していった。誰も彼と二人きりになることを望まないらしい。
アントワーヌは、空になったエレベーターに一人、悠然と乗り込んだ。
「
彼はニヤリと笑うと、エレベーターの案内役の妖精に目的の階層を告げた。妖精は震える手でボタンを押し、重厚な扉がゆっくりと閉まる。彼を乗せたエレベーターは、軋むような音を立てながら、深奥へと向かって下降していった。
エレベーターが地下二階で止まると、目の前には薄暗く、金属的な音が響く廊下が広がっていた。その奥には、張り詰めた雰囲気の魔法犯罪捜査局が見える。鋭い視線を持つ捜査官たちが、慌ただしく行き交う中、アントワーヌはまるで彼らの存在を意識しないかのように、真っ直ぐさらに奥を見つめていた。
「何か用か?」
最深部から、低い声が聞こえる。アントワーヌは目もそらさず、その声の主が誰であるかを知っているかのように、微かな笑みを浮かべた。
さらにエレベーターは下降を続け、地下六階で再び止まった。ここは魔法運輸部のフロアだ。煙突ネットワークの粉が舞い、箒のブンブンという音が微かに聞こえる。多忙な部署だが、アントワーヌが乗っているエレベーターが降り立つと、やはり一瞬の静寂が訪れた。
彼はそこで、懐かしさを覚える香りを嗅ぎつけた。移動キー局の魔法的なエネルギーの残滓と、姿現しテストセンターから漏れる微かな時間の歪みの匂い。彼の専門分野とも言える「時間」の気配が、ここには色濃く漂っていた。
アントワーヌは少しだけ顔を出すと、その匂いを深く吸い込む。そして、エレベーターはまた動き出し、下降を続けた。彼の目的地は、さらに深層にある。
エレベーターは最下層に近い地下十一階で止まった。案内役の妖精が、震える声で告げる。
「ま、魔法取締部、犯罪者管理局にご到着でございます。アントワーヌ様」
「ご苦労」
重厚な扉が開くと、冷たい石壁に囲まれ、古びた記録の香りが立ち込める半地下のような空間が広がっていた。空気は静かで、時計の音すら遠い。アントワーヌは、まるで第二の故郷に帰ってきたかのように、その場所へと足を踏み入れた。
【犯罪者管理局 事務課】
磨き上げられた黒曜石の床が、来訪者の姿を冷たく映し出す。壁には時代遅れの金属製インク壺が埋め込まれ、この部署の重々しい歴史を物語っていた。
アントワーヌ・ド・ポッターは、杖も持たずに静かに歩を進める。その姿を見た受付の魔女が、まるで石になったかのように硬直した。
「……ま、まさか……アントワーヌ・ド・ポッター…!?」
アントワーヌは、軽く帽子を取り、わずかに口角を上げて微笑んだ。
「何、しばらく本邸に滞在するのでね。監視対象の移動申請ぐらいは、正規に通したくて来たのだよ」
「し…少々…!お待ちください…担当官を…」
彼女が呼び出そうとしたその時、背後から女性の、冷徹な声が割り込んできた。
「正気かい? アンタ、ほんとに戻ってきたとはね……」
アントワーヌはゆっくりと振り返る。その視線の先に立っていたのは、白髪交じりのショートカットに、マントの下から軍靴の音を響かせながら近づいてくる女性だった。その目つきは、あの頃と変わらず冷たく鋭い。
「……おや? カロリーヌじゃないか。これは嬉しい再会だね…半世紀ぶりかな? 最後に会ったのはフレンスブルクだったかい?」
トマ・カロリーヌ―世界魔法大戦で、アントワーヌと対峙した経験を持つ魔法捜査官だった。
「ふん!所詮は腐れ縁ってやつよ。あたしが管理局に異動したとたん、あんたが出てくるとは」
アントワーヌはくすりと笑った。
「運命とは皮肉なものだ」
「あんたがまた“罪と法”の狭間を歩く気なら、次は見逃さないわよ?」
アントワーヌは目を細め、静かに答えた。
「“善か悪か”で語るより、“必要か否か”で語る方が、私は好きなのだがね」
「だから危険なのよ、アンタは」
二人の間に流れる張り詰めた空気は、過去の因縁を如実に物語っていた。
【エレベーター内】
同じ頃、別のフロアのエレベーターでは、カロリーヌの同僚たちがささやき合っていた。
「……ド・ポッター、本当に戻ってきてたのか? マジで?」
「嘘じゃないよ、今しがた犯罪者管理局に顔出したってさ。あのカロリーヌが対応してる」
「よく“ご無事”で……」
「あの捜査官も昔、こっそりあいつに惚れてたって噂があったけどな」
「はは、そりゃ世話焼きたくなる顔してたからな……今でも60に見えないってのが恐ろしい」
彼らの会話は、魔法省全体にアントワーヌの帰還が波紋を広げていることを示していた。
その頃…アントワーヌは、廊下を歩く間も、すれ違う職員たちの奇異な視線を浴びていた。彼らは一様に目をそらし、小声でひそひそと何かを話し合っている。アントワーヌは、そんな彼らに気づかないふりをして、面白がるように微笑んだ。
「どうやら、私は“有名人”らしい。これは……皆にサインでもして回った方がいいのかな?」
カロリーヌは、苛立ちを隠さずに書類を机に叩きつけるように置いた。
「あんた……本気で言ってんのかい?」
アントワーヌは茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「いやいや、ジョークだとも。だが、あまりウケは良くないようだね」
「サインが必要なのは、こっちの書類だよ。“滞在許可証”、特別許可付き。あんたがこの国に戻ってきてるだけで、こっちに苦情が寄せられてるんだから」
アントワーヌはサイン用の羽根ペンを手に取った。
「気の毒なことだ。私があの時…時空の渦に巻き込まれていたら良かったろうに」
「あんたが“静か”だったことなんて一度でもあったかい?」
アントワーヌはペンを走らせながら、平然と答えた。
「一度か二度、気絶していた時ぐらいにはね…記憶に無いが」
カロリーヌは深いため息をつき、椅子に座り込んだ。
「あんたのこと、何もかも過去になったと思ってた。もう“語るべき話”なんて残ってないって」
「それは間違いだよ、カロリーヌ。歴史には“語られなかった話”が多すぎる。私が戻ったのは、それを正すためでもある」
「正すって?また“理想のために”とか言うつもりかい?」
アントワーヌはペンを止め、視線を上げて真剣な眼差しでカロリーヌを見つめた。
「いや――“甥の未来”のためだよ。ハリーには、選ばせたい。私がかつて選べなかったものをね…」
カロリーヌはしばし沈黙し、視線を落とした。彼女の表情には、複雑な感情が入り混じっていた。
「……そうかい。なら、せいぜい“静かに嵐を起こす”ことだね。あんたが嵐の目になるのは、慣れてるだろうから」
アントワーヌはペンを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう、カロリーヌ。昔から、君の“皮肉”には愛がある」
カロリーヌは顔を背け、ぶっきらぼうに言った。
「やめな。女が年取ってから口説かれるのが一番腹立つんだから」
アントワーヌは冗談めかして微笑んだ。
「なら、今度は若い頃の様に口説こうか?」
「失せろ、ド・ポッター」
魔法記録管理部
半地下のような場所。冷たい石壁に囲まれ、古びた記録の香りが立ち込めている。空気は静かで、時計の音すら遠い。
アントワーヌ・ド・ポッターが、手袋をはめたまま巨大な記録台の前に立ち、魔法で召喚された古い資料を一枚ずつめくっている。ページには、彼の名前と「世界魔法大戦中の行動記録」「グリンデルバルドとの通信抜粋」「高等魔法科学開発局との協力関係」など、過激な見出しが並ぶ。
アントワーヌはそれらの資料をみながらこう呟く。
「ふむ……赤裸々だね…こんなことまで調べていたとは。随分と骨が折れる作業だったことだろうね」
彼の指が止まる。ある報告書の一節に目を細める。
「ん? おいおい…ここは内容が違うよ。これは私がケーニヒスベルクにいたときの話だ。ポーランド侵攻の前日……確か、雷雨だった。ミュンヘン経由で動いた部隊の報告と混同されているな」
その瞬間、奥の通路から足音が聞こえる。重厚なマントに身を包んだ女性が姿を現した。
「……記録ってのはね、間違えるためにあるのよ。特に“都合のいい真実”を残すためにね」
「ベアトリスか…まさかの再会だが、歓迎するよ」
現れたのは、かつてのグリンデルバルド側の諜報魔女・ベアトリス・リュサン。灰色の目は鋭く、姿は年齢を感じさせないほど若々しい。グリンデルバルドの“不老の実験体”にしてアントワーヌを自らの派閥に繋ぎ止めておく楔だった。
「久しぶりね、“名誉理事長”殿。死んだとばかり思ってたけど?ロジエール辺りに刺されたりしてね?」
「君のような“目”が見張っているのなら、下手に死ぬわけにはいかなくてね」
「どうせ“過去の罪”を掃除しに来たんでしょう。…でもこの記録は、誰かが意図して書き直した形跡がある。あなたにとっても都合が悪い内容が消されてる」
「“都合の悪い真実”は、生き残った者が抱えるべきものだよ。私も…君もね」
「……あの時、逃げようと思えば逃げられた。けど、あんたはあの場所で戦った。私たちを守る為に」
「君たちがいたから、戻る“意味”があった」
「……相変わらず、女を口説くのが上手ね。けど、私が惚れてたのは“言葉”じゃない。貴方の“信念”よ」
ベアトリスは、そう言うと漆黒の闇に消えていった。
記録保管室の魔法照明が、古びた帳簿のインクを柔らかく照らしている。
閲覧室の中心で、アントワーヌ・ド・ポッターは優雅な仕草で重厚な記録帳を閉じる。周囲には静寂が流れているが、分厚い棚の陰からひそひそと囁き声が漏れていた。
「……あれが、“黒の副官”?」
「本当に出所してきてたとは…まるで絵画から抜け出したみたいだ」
「目を合わせるなよ、何か呪われそうだ」
目線の先、記録棚の影に複数の魔法省職員たちが隠れている。だが、その視線を感じていたアントワーヌは、ふっと口角を上げて声を放った。
「そこの君、ディアボロ・マントを持ってきてくれるかい? 喉が渇いてね」
一瞬、静寂が凍りつく。
「……え?」
「君だよ君。……三列目の棚の陰、黒縁眼鏡の青年。そんなに凝視していたのなら、給仕の役目くらい果たしてくれてもいいじゃないか?」
「え、あっ……はいっ、ただいまっ!」
慌てて走り去る青年を見送りながら、アントワーヌは面白がるように呟いた。
「いやはや、有名人というのはつらいね……何をしても注目される」
資料棚の奥から視線を送っていた初老の記録係がひとつ咳払いをして話しかけてきた。
「……昔から変わらないんですね、ド・ポッター卿。余裕と毒と、芝居がかった皮肉…あの頃と変わらない」
「おや?誰かと思えば、エルマン・マリニャック? ずいぶん枯れた声になったね」
「そちらこそ、ずいぶん若いじゃないですか。まだあの“処置”の効力は残ってるようだ」
「“贈り物”というのは、呪いでもある……そう教えてくれたのは、他でもない君だったな。代償はというものは、常に付きまとうだったかい?」
「それでも、我々はあの時代を選んだ。もう“贖罪”の方法すら、忘れかけていた」
「贖罪とは、“選び続けること”だ。私は―まだ“選ばされている”ようだがね?」
青年職員が震える手で
「ありがとう。これでようやく、次の記録が読めそうだ……さて、ポーランド侵攻の夜の資料はどこだったかな?」
「お戻りになったのは、“あの少年”のためですか?」
「そうだよ。“あの子”は、“選ばれる側”ではなく、“選ぶ者”にならなければならないんだ」
アントワーヌが次の資料を開くと、彼の鋭い目が、ある箇所で僅かに揺らいだ。インクの色、文字の筆跡、そして何よりもその内容の整合性。ポーランド侵攻直前の、とある機密情報に関する報告書の一部が、不自然なほど綺麗に書き換えられていた。それは、単なる誤記ではない。“誰か”が意図的に、この歴史の一片を塗り潰そうとした痕跡だ。
「ふむ……これは、面白いね」
アントワーヌの口元に、新たな知的好奇心に満ちた、危険な笑みが浮かんだ。彼の長い指が、改竄されたページをそっと撫でる。
アントワーヌが魔法省の記録管理部から事務手続きを終え、廊下を進み、アトリウムの出口へ向かおうとしたその時だった。一人の魔法省職員が、慌てた様子で小走りに近づいてきた。
「ド・ポッター様、お待ちください!」
アントワーヌは足を止め、振り返った。その顔には、既に先ほどまでの皮肉めいた笑みはなく、静かで落ち着いた表情が戻っていた。
「何かね? 私の書いた滞在許可証に不備でもあったか?」
「い、いえ!さようでございません。フランス魔法議会より、至急の招致が来ております。非公式ではございますが、地下審問室にて……二時間後に」
職員は、手に持っていた厳重に封印された羊皮紙の書簡を、アントワーヌに差し出した。その書簡には、議会の紋章がくっきりと刻まれている。
アントワーヌはゆっくりと書簡を受け取ると、その封を破り、内容に目を通した。彼の銀縁のモノクルが、書簡の文字を正確に捉える。彼の表情は変わらない。
「なるほど…“歴史的調停の参考証言”ね。つまり、“歴史の亡霊”に口を利かせたいわけか。さて、何を語るべきか…。真実の全てか、それとも都合の良い部分だけか」
その声は、まるで誰にも向けられていない、独白のように響いていた。職員は、アントワーヌのその言葉を聞いて、ただ静かに一礼し、踵を返して去っていった。アントワーヌは再び書簡に目を落とし、微かに口元を歪めた。
鉄と大理石が交差する重厚な円形の空間。天井には星を模した魔法紋がゆるやかに明滅し、声の反響を打ち消すための静音結界が張られている。正面には半円状に並んだ七席。そこにフランス魔法議会の主要評議員たちが腰掛けていた。中央に据えられた一脚の古びた椅子に、両手を銀鎖で拘束された男が座っている。
アントワーヌ・ド・ポッターだ。
「アントワーヌ・ド・ポッター。あなたは本日、“世界魔法大戦”の歴史的検証における《調停証言者》として、非公式ながら招致されています。呪文封印の強制は行われませんが、虚偽の発言には法的責任が伴います」
「光栄ですな、死者の数を並べる場としてはずいぶん丁寧だ」
「これはあなたの“贖罪”ではない。“事実”を拾い上げるための場だと理解してください」
「記録とは、沈黙の上に築かれた塔です。それを崩すなら…崩れた瓦礫に、何を刻むかが問われましょうな。新たな歴史は、常に古い物の残骸の上に築かれる」
「では問います。あのグリンデルバルド政権下、あなたは“感応魔導具”“精神浸蝕石板”などの開発と運用に関与していた。この件における責任をどう認識していますか?」
「責任は認めます。私が“設計”した。理論を提出し、適合試験を現場に許可した。ただし──私の想定は、“対非魔法生物災害”への応用であって、“強制労働者”への使用ではなかった」
「しかし…あなたは、《西部第7開発区》に直接出入りしていた。そこで拘束された被験者に対し“精神遮断呪具”の装着が行われた記録があります」
「それは、感情の暴走を防ぐための措置でした。被験者達は魔力の制御すら未習熟で、戦線崩壊の原因となりかねなかった。私は“選別”ではなく、“隔離”と“治療”を提唱していた。…だが、現場はその提案を“管理しやすい沈黙”に変えた」
「その“沈黙”が、多くの犠牲を生んだ」
アントワーヌは静かに目を伏せた。
「否定は致しません。私は、“研究の成果”ばかりを見て、犠牲を見なかった。あるいは、見たうえで黙殺した」
「であれば、いまここで“謝罪”すべきでは?」
アントワーヌは少し間を置いた。
「謝罪とは、“正義”の側に立つ者が与えられる権利です。私はいまだ、自分がどちら側だったのかを決めかねている。“無知”という名の信仰で動いていたことを、後悔はしていますが… 愚かさへの後悔は、決して赦しにはならんでしょう」
沈黙。誰も軽々しく言葉を返せなかった。その時、審問室の扉が静かに開く。灰色のマントをまとい、杖をついた老魔法使いが入ってきた。元・収容所所長、ルシアン・モローだ。
「アントワーヌ…」
アントワーヌは微かに笑んだ。
「ようやく来たか、ルシアン。何度呼ぼうかと思ったよ。君の顔を見ると、雪降るアルデンヌを思い出すよ」
「君は……あの頃と同じだ。理屈と原理で自分を守る」
「理屈に従ったのは君も同じさ。強制収容所での“魔力抽出機構”にサインしたのは、君の筆跡だった」
「…だが、君がそれを設計した」
「我々は“思想”に従ったんだ。従う者がいなければ、思想はただの夢想だ。責任とは、連帯なのさ」
「ここは、個人の因縁を語る場ではありません。……アントワーヌ・ド・ポッター、あなたに問う。“記録されること”を、あなたは恐れていないのですか?」
「恐れていません。ただ、“どう記録されるか”には興味がある。“亡霊”として残るなら、せめて誰かの抑止力であれと思う」
彼は立ち上がり、静かに銀鎖を自ら解いて、床に落とした。それを見た議員達は驚愕した。
「私の知識と記憶が、未来の“魔法の逸脱”を防ぐのに役立つなら、私は語ろう。だが、私の存在がただ“名簿の一行”になるだけなら……」
一瞬、魔力の波動が審問室全体を震わせた。結界がわずかに波打つ。……しかし彼は、杖すら持っていない。ただ、気迫が意志を語っていた。議員たちは顔を見合わせる。誰もが…かつての“黒の副官”が、今も己を裁いていることを感じていた。
「願いは、検討します。あなたの証言は、未来に対する責任の一部と見なされます」
「それが、過去と共に生きる唯一の道だと……今は、そう思っています」
アントワーヌは手を膝に乗せたまま、静かに口を開いた。
「それにね?諸君…私はフリッツ・ハーバー博士ではないよ」
議場の一角がざわめく。歴史に通じた者はすぐにその名を理解する。毒ガス兵器の創案者、ノーベル賞級の功績を持ちながら、戦争の罪と化学兵器の悲劇の象徴とされた科学者だ。
アントワーヌは少し笑いを含んだ声で続けた。
「確かに、私は“魔導具”を発明した。それが人体に適用され、精神を破壊し、時には命さえ奪ったことも知っている。……そして、その過程で私自身が、知的好奇心を優先させてしまったことも、認めよう。それこそ、
アントワーヌは目を伏せつつ続ける。
「だが、誤解なきように。私は、ただの“研究者”だった。“人を殺す”ために発明したことなど、一度としてない。悪意を持ってやったことなど、一つ足りとて、ありはしないさ」
沈黙が広がる中、アントワーヌは目を細め、議員席を一人一人見渡しました。
「大層に“黒の副官”などと呼ばれてはいるが…あれは政治的なラベルに過ぎん。私はゲラート・グリンデルバルドの思想すべてに共鳴していたわけではない。“非魔法族を支配すべきだ”という点には、いささかの同意もなかった」
アントワーヌは少し悲しげに、さらにこう続ける。
「だが、“魔法界が分裂したままでいれば、やがて滅ぶ”という彼の見解には、確かに共感を覚えた。私と彼は、理念ではなく“必要性”を利用し合った。ただ戦略的提携があった…それだけのことだ」
彼の声には怒りも悲しみもなく、ただ過去を丁寧に洗い出すような、重く低い響きがあった。すると、議長がゆっくりと尋ねた。
「……つまりあなたは、“知識を追いすぎた結果”、その利用を制御できなかったということですか?本当に?」
アントワーヌは肩を落としつつ答える。
「その通りです。だからこそ、私は自ら語るのです。“研究者が背けた責任”は、後に続く者が必ず災厄を被ることになるでしょう」
議長が改めて問いかける。
「アントワーヌ・ド・ポッター。あなたは、先ほど話した“強制収容所区域”における魔導具実験――特に“感情操作呪具”および“記憶強化魔法陣”の開発に関わっていた。これは事実ですか?」
アントワーヌは静かに目を伏せながら、こう続けた。
「記録にある通り。設計も理論も、全て私が監修しました。ですが、それらは……オブスキュラスをどうにかするためのものだったのです」
議場に、かすかなざわめきが広がった。オブスキュラス――それは、魔法を抑圧された子供の体内に宿る、暴走した闇の魔力。忌まわしい存在として、魔法界の暗部として封じられてきたものだった。
「全ての始まりは…第一次世界大戦。あの惨禍は、多くのものを破壊しました。そして、無数の孤児を生み出したのです。彼らは、親を失い、家を失い、未来を奪われ…その絶望と抑圧の中で、オブスキュラスをその身に宿していった。あの悲劇が生んだ、最も忌まわしい副産物だ」
アントワーヌは絞り出すようにそう言った。その言葉には深い悲しみが宿っているようだった。
「当時の欧州では、オブスキュラスによる事件が多発していました。子供たちの純粋な魔力が、制御不能な破壊の力となり、周囲を巻き込んでいく。私は……私自身も
彼はゆっくりと顔を上げ、議場の評議員たちをまっすぐに見据えながら、こう発言した。
「私が開発した魔導具の目的は、子供たちの肉体から、暴走した
後悔に滲む様に片手でモノクル側の顔を覆った。
「当初は、肉体年齢を早める魔導具を開発しようともしました。それも試作品まではできましたが、思うような結果は得られなかった。時は…私に味方をしなかった…」
アントワーヌは残念そうに目を伏せるとさらに続けた。
「なので、
首を力なく横に振りながら、酷く後悔したようにこう言った。
「だが…結果は散々たるものだったよ。私の魔導具によってオブスキュラスを抽出された子供たちは、二度と目を覚まさなかったり、意識障害に陥ったり、あるいは生ける屍となるケースが多かった。彼らを救うために行ったことが、結果として彼らの命と尊厳を奪ってしまった…!これほどの皮肉があろうか」
アントワーヌの声に自責の念がにじみ、ギリッと拳を握った。
その非人道的な実験の裏には、アントワーヌなりの「救済」の目的があったという、重い事実が語られたのだ。
「私は…その魔導具によって抽出したオブスキュラスを、設計し製造した機械仕掛けの人形の中に入れたのが、いわゆる『魔導人形』です。制御不能な力を、外部の器に封じ込める。それが、当時の私にとって、唯一の解決策だと信じていた…それが無駄なあがきであったとしても…」
議場は静まり返った。アントワーヌの非人道的な実験の背後にあったのは、悲劇的な背景と、彼自身の苦悩が赤裸々に語られ…それは、単純な善悪では割り切れない、戦争の深い傷跡を示すものだった。
「それでも、その結果は多くの犠牲者を出しました。あなたは、その責任をどう捉えているのですか?」
アントワーヌは目を閉じながらこう答えた。
「責任は、私にあります。私が救おうとした多くの子供たちを、結果的に傷つけてしまった。ですが……もしあの時、私が何もしていなければ、もっと多くの子供たちが…人々がオブスキュラスによって命を落としていたかもしれない。私はその狭間で、最も罪の少ない道を選ぼうとした。… それは私の傲慢だったのかもしれんがね?」
アントワーヌは続けます。
「その様なことを知っていたからこそ、ゲラートの『より大いなる善のために』という言葉に賛同してしまったのかもしれん」
彼の言葉は、議会の評議員たちに重くのしかかった。アントワーヌ・ド・ポッターは、ただの「闇の魔法使い」ではなかった。彼は、時代と悲劇に翻弄され、自らの信念と過ちの間で苦悩した、一人の人間だった。
しかし、ある議員がそれを批判した。
「それでも、あなたは“あの時代”、声を上げなかった」
アントワーヌは、目を細め皮肉気に微笑み、そう発言した議員を見つめると言った。
「――“声を上げなかった”と?」
彼は一拍おき、席をやや傾けて議員たちを見渡す。
「それは少々、滑稽な物言いですな。……ゲラート・グリンデルバルドがフランスで“支持者”を増やし、演説を重ね…信奉者を取り込みはじめたあの頃、諸君の“フランス魔法省”は、果たして止めようとしましたかな?いや、むしろ、彼を放置したんじゃないのかな?」
議員たちは沈黙したが、アントワーヌは続けた。
「私はあの現場にいたゲラートの側近として…いや、観察者として、と言っておきましょう」
そして視線を上げ、明確な一言を放ちます。
「あの時…あのカタコンベに止めに来たのは君達…フランス魔法省ではなかった。“魔法動物学者”――ニュート・スキャマンダーと、彼に付き従った少数の者たちだけだった」
議長が眉を寄せながら、こう言った。
「それは記録にあります。だが、彼は“戦闘員”ではなく、“研究者”です」
アントワーヌは答える。
「その通り。研究者が、命懸けで声を上げた。“学者”が、戦争を止めに来た。……皮肉だとは思いませんかな? 真に“善のために戦った”のは、国ではなく、個人だった。君達にそれを理解できるかね?」
アントワーヌは審査官達を見渡しながら、低い声で続ける。
「私の声は、確かに届かなかった。だが、誰も聞こうとはしなかったのだよ。君たちは“恐怖”を監視することに忙しく、“忠告”を拒絶していた」
アントワーヌの言葉に、反論する様に議員が問い詰めた。
「…だとしても、あなたが“止められたかもしれない”瞬間はいくつもあったはずだ。あのニュート・スキャマンダーの一行が何度も現れていた記録もある」
アントワーヌは静かに頷きつつ、こう返した。
「ああ……彼らは確かに現れた。勇敢にも、何度も。血を流す覚悟をもって、我々の前に立った。スキャマンダー、そしてダンブルドア派の者たち――誤解なきよう、私は彼らを軽んじたことはない。むしろ、敬意を抱いていたとも言える」
少し間を置いて、アントワーヌは視線を議会の面々に巡らせつつ、こう言った。
「……だが、皮肉なことに――フランス魔法省は、その時“何もしなかった”。いや……私の記憶では、“気付けば我々の傘下”に入っていたと記憶しておりますが。……違いましたかな?否、違わないはずだ」
審査会の空気がぴたりと凍りついた。誰も即答が出来なかった、それは、かつての“沈黙”と“迎合”が突きつけられたからだった。
アントワーヌは口元に皮肉を浮かべ、こう言った。
「記録とは残酷ですな。“記憶”よりも静かで、しかし嘘はつかない。……それでも、私ひとりがすべての過ちの代弁者であるというなら、それもまた受け容れよう。所詮、歴史は勝者によって書かれるものさ」
アントワーヌの皮肉に議員が声を荒げて叫ぶ。
「あなたの行いを“歴史の歪曲”で正当化することは許されない! 現在の魔法省とは、あの時代とは違う!」
それに対して、アントワーヌは静かに目を細めて、こう返した。
「アルバスにゲラートが敗北した時…自由フランス魔法省とやらが、倒された私を捕縛しに来ましたが…。しかし、その中には、つい先日までゲラートに媚びへつらっていた者が、何人も混じっていたと記憶していますが」
議長が慌てて声を鋭くして注意した。
「言葉を慎みたまえ、アントワーヌ・ド・ポッター!」
アントワーヌは椅子にもたれ、ため息まじりにまだ続けた。
「ほう。半世紀以上前の話をすることすら“慎め”と。なるほど……いまの魔法省も、耳の痛い記録には蓋をしたがるようですな」
その言葉と共にアントワーヌは指を鳴らすと、空間から一冊の古びた革張りの資料ファイルが出現し、それを拡げるとこう言った。
「……私は、当時の選別官名簿、公式通達の控え、忠誠誓約文の写し、すべてを“保管”しておりましてな…。これが世に出れば、現在のフランス魔法省は――少々“足元”がぐらつくのではありませんかな?」
議場内は、息を呑むような沈黙に包まれた。
魔法記録課の担当官は、顔を蒼ざめながら言いました。
「そんな記録は、戦後の焼却命令で――」
アントワーヌは静かにニヤリと笑うとこう言った。
「誰が命令を守ると言ったかな? 私は“魔導具の技師”だ。記憶を封じる水晶も、“事実を写し取る万象写筆”も、すべて私の設計だよ。君たちは、私の残した技術で“証拠を隠した”つもりだったかもしれんが……」
議長がぴたりと動きを止め、アントワーヌを見つめ問います。
「何が目的か…答えなさい。貴殿は、何を望んでこの場に立っている?」
アントワーヌはわずかに目を細めて答えます。
「清算さ――ただし、“正しく”、だ。私はすでにこの身を過去に捧げてきた。だが、未来まで捧げる気はない。“事実”だけは、誰にも消させない。それが私に残された唯一の責務だ」
アントワーヌは、再び椅子に深く腰をかけると、議員たち一人一人に視線を巡らせる。
「私が語るのは“自己弁護”ではない。“自衛”だ。――未来において、甥が選び、歩むべき道を“知る”ために。
アントワーヌの言葉は石のように重く、審査会の面々に重く受け止められた。それはもはや、裁かれる者の語りではなく、“記録される者”の声でした。
フランス魔法議会の審問室。アントワーヌの衝撃的な証言が終わり、重苦しい沈黙が支配していた。議長は深く息を吐き出し、静かに宣言した。
「アントワーヌ・ド・ポッター。あなたの証言は、極めて重大なものです。本日は、これで終了とします。今後の対応については、改めて通知いたします」
アントワーヌは、顔色一つ変えずに立ち上がる。その時、審問室の扉が開き、数人のフランス魔法省の役人が入室してきた。彼らはアントワーヌに一礼し、こう告げた。
「ド・ポッター卿。議会の決定により、貴殿には当面の間、滞在の制限が課せられます。しかし、ご子息――ハリー・ポッター氏との同行は許可されています」
職員は、アントワーヌの表情を窺うように、さらに続けた。
「貴族議会の決定もありますので、一応、英国魔法省に対するポーズを取らなくてはいけないのです。何卒、ご理解ください」
アントワーヌは、その言葉に微かに眉を動かしたが、役人達を労うようにこう言った。
「苦労をかけるね」
アントワーヌは振り返ることなく、静かに審問室を退廷した。その背中は、過去の重荷を背負いつつも、未来へと歩みを進めるかのような覚悟を漂わせていた。
アントワーヌがフランス魔法省のロビーに出ると、すぐ外に停められた鮮やかな赤いマスタングが見えた。その助手席のドアが勢いよく開き、中にいたハリーが飛び出した。彼はすでに3時間ほど待たされていたにも関わらず、不平を言うこともなく、アントワーヌの姿を認めるやいなや、勢いよく彼に駆け寄った。
「アントワーヌおじさん!」
ハリーは小さな体でアントワーヌに抱きつくと、アントワーヌは、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに片腕でハリーの頭を軽く撫でた。
「少々待たせてしまったな。詫びと言ってはなんだが、このままパリの街を案内してやろう。ここに来たついでだからね」
ハリーは目を丸くして喜んだ。アントワーヌは、ハリーを連れてルーブル美術館へと向かった。ハリーは初めて見るパリの景色に目を輝かせ、珍しそうに周囲を見回した。アントワーヌは、そんな
「あれがルーブル美術館だ。かつては王宮であったが…革命を経て美術館となった。数多の芸術と、そして人間の愚かさの歴史が詰まっている」
ハリーは興味深そうに首を傾げながら、こう言った。
「ねぇ、アントワーヌおじさん。ここに展示されてる物に魔導具とかあるの?」
アントワーヌはハリーの言葉に微かに口元を緩めた。
「それは…どうだろうね?もしかすると、あるかもしれない」
二人はルーブルの荘厳な佇まいを眺めながら歩いていたが…
しかし、その穏やかな時間は突然破られた。
美術館前の広場で…粗野な男がアントワーヌの顔を見ると、突然怒鳴り声をあげた。彼の目には…怒りの炎が揺らぎギラついていた。
「貴様! この前のテレビで見たぞ! あの戦犯が!のうのうと街を歩き回りやがって! 恥知らずめ!」
そんな男の手には、熟したトマトがあった。そのトマトが、アントワーヌの顔めがけて投げつけようとした、その瞬間――!
アントワーヌは、顔色一つ変えずに、ただジッと冷たい目でその男を見つめた。
彼の瞳の奥には、凍てつくような、しかし揺るぎない力が宿っていた。それは、長年戦場を生き抜いた者が持つ、本能的な威圧感だった。
男は、アントワーヌの視線に射抜かれたかのように動きを止め、恐怖に顔を引きつらせた。投げつけようとしたトマトは、男の手から滑り落ち、地面に鈍い音を立てて転がった。男は何も言えずに、青ざめた顔でよろめきながら人混みに消えていった。
ハリーは驚いてアントワーヌを見上げた。
アントワーヌは、何もなかったかのように、ただ前を向いて歩き続ける。
しかし、ハリーは、その一瞬の出来事が、アントワーヌの過去と深く繋がっていることを…幼心に感じ取った。アントワーヌの計り知れない力量も改めて認識したのだった。
アントワーヌは、次にハリーを連れて凱旋門へと向かった。巨大な石造りの門は、フランスの勝利と犠牲を物語るように、荘厳にそびえ立っていた。
「この門は、フランスの栄光の象徴だ。だが、同時に無数の血が流された証でもある。輝かしい勝利なぞ、存在しない…数多の犠牲の上にあるものさ」
ハリーは凱旋門のレリーフを見上げていた。その時、建物の陰から若者たちが現れました。
彼らはスキンヘッド…そして腕には入れ墨があり、明らかにネオナチの思想を持つ者たちだった。彼らはアントワーヌの姿を認めると、その顔に興奮と尊敬の色を浮かべながら近づいてきた。
「おお! 貴方は……! 大義に殉じた、時の賢者! 長きにわたる忠誠に、敬意を! ハイル!」
彼らは右手を上げて敬礼し、アントワーヌに賛辞を投げかけた。その言葉には、彼らがアントワーヌを、自分たちの思想の「英雄」として見ていることを示していた。
ハリーは若者達の行動に困惑し、アントワーヌの顔を見た。
しかし、アントワーヌの表情は、先ほどの男にトマトを投げつけられた時とは全く異なっていた。アントワーヌの瞳には、侮蔑と嫌悪がはっきりと宿っていた。
「恥を知れ」
その短い言葉には、怒りも感情的な動揺も何も無い。ただ、絶対的な拒絶と、彼らの思想に対する深い侮蔑だけが込められていた。
ネオナチの若者たちは、予想外の反応に戸惑い、顔色を変えた。彼らはアントワーヌの放つ冷たい威圧感に、言葉もなく立ち尽くすしかなかった。アントワーヌはすぐにハリーの手を引いて歩き始めた。
ハリーは、そんな
だが、自分の叔父を名乗るアントワーヌの過去には…薄暗いナニカがあるんだろうと、漠然と感じたのだった。
二人の乗った真紅のマスタングは、パリの街の喧騒を後にし、夕暮れの空の下へと走り去っていく。ハリーの新しい旅は、まだ始まったばかりだ。そして、アントワーヌの過去という名の霧は、まだ晴れる気配を見せなかった。