ほむらは人気のない路地に差しかかり、足を止める。
空気が重い。空が歪んで見える。
コンクリートの壁が微かに波打つように感じた。
(……結界)
盾に手を当てる。
高火力兵器――爆薬やミサイルは、まだこの時間軸では揃えきれていない。
物資の制限。戦力の不足。準備時間の短さ。
けれど――このくらいなら、単独での対応も可能だ。
そう思っていた、その時。
空気が震えた。
次の瞬間――リボンが、風のように地面を這った。
「やっぱり、来てたのね。暁美ほむらさん」
視界の先、路地裏の影から誰かが現れる。
金の髪に、巻かれたサイドテール。
黄金のマスケット銃を抱えた少女。
――巴マミ。
その姿を見た瞬間、ほむらの肩に微かに力が入った。
マミの目は、疑念に満ちていた。
「キュウべえから聞いたわ。
突然この街に現れたイレギュラー。あなたのことでしょう?」
静寂が落ちる。
風が、ふたりの間を抜けていく。
「魔女の出現パターンを読まれて先回りされている。
僕の活動も妨害されている――そう伝えられたわ」
マスケット銃がゆるやかに構えられる。
リボンが、視界の外で静かに蠢く。
ほむらは、そのままマミの目を見つめ返す。
リボンの先を見つめながら、静かに口を開いた。
「わたしは、あなたの敵じゃないわ。
……むしろ、あなたに“協力したい”と思ってる」
ほむらの声には、嘘がなかった。
張りつめた糸のような声。でもそこにあったのは――信念だった。
その一言に、マミの瞳がわずかに揺れた。
けれど、すぐに冷たい静寂が戻る。
警戒は解かない。
リボンが地面を這い、ふたりの距離を測るように風に舞う。
「どうして、そんな言葉を、あっさり信じられると思って?」
「思ってないわ。でも、今のは本気」
マミはほむらの目をじっと見つめる。
「……いいわ」
数秒の沈黙ののち、マミは銃を下ろした。
「とりあえず、魔女を優先する。」
「……わかった」
ふたりの視線が重なったまま、
空気の奥に広がる、魔女の気配がゆらぎ始める。
街の色が、少しずつ塗り替えられていく。
ふたりの少女が、歩き出す。
まだ、敵か味方かの境界線を越えきれていない。
けれどその距離は、確かに縮まり始めていた。
魔女の気配が濃くなっていく。
視界の端が滲み、世界が紙細工のように剥がれ落ちていく。
街の色が、ぐにゃりと歪み、異形の空間へと姿を変える。
――結界、侵入。
ふたりの少女は、一言も交わさないまま内部へ足を踏み入れた。
そこは、芸術の名を借りたゴミ捨て場のようだった。
錯乱した芸術家のアトリエのようだった。
狂った風景の中、使い魔たちが無邪気に“傑作”を演じる。
最初の一体が飛びかかってくる。
「右を――」
マミがそう叫ぶ前に、
ほむらはすでに動いていた。
腰のホルスターに手を伸ばす。
取り出したのは、小型の拳銃。
火力はない。
けれど、正確に急所を撃ち抜けば、使い魔を排除するには十分。
時間すら追い越すような滑らかさで、回避。
魔力を込めた拳銃で打ち抜く。
マミも動く。
リボンが空を舞うと同時に、銃声が連なる。
軽やかに、けれど冷酷に。
少女の指先は、死を運ぶ魔法の指揮者。
マスケット銃を連射し、使い魔の脚を撃ち抜く。
「拘束――」
そう言うまでもなく――
ほむらはマミの射線に合わせて後方から援護射撃。
コンマ数秒のズレもない連携。
ほむらは、マミの行動と使い魔の出現ポイントを予測し、即座に火線を張っていた。
まるで、最初から結界構造を知っているかのように。
使い魔が歪んだ悲鳴をあげて崩れ落ちる。
マミが背後で呟く声が、緊張を孕んでいた。
「……初めての共闘とは思えないわ」
そう。あまりにも噛み合いすぎている。
呼吸、配置、判断。どれも寸分違わず。
「……戦い慣れている、どころじゃない」
マミの手のひらに、汗が滲んでいた。
この少女は――初対面のはずのこの子は、まるで、
既に何度も、共に戦ったことがあるかのように。
キュウべえの警告が頭をよぎる。
「彼女はイレギュラーだ。特別な例外。
僕も契約した覚えのない魔法少女。油断しちゃだめだ」
マミは一歩、ほむらから距離をとるように立ち位置を変えた。
マミの目が、鋭さを帯びる。
そのときだった。
空間がひしゃげ、絵の具を撒き散らしたような色彩が広がった。
魔女が姿を現そうとしていた。
視界のすべてが、“作品”で埋め尽くされる。
ほむらは背負ったバッグに手を伸ばした。
その中には、自作の爆弾。
無駄なく、迅速に――
すべてを終わらせる。
結界の奥。巨大な門のような魔女が姿を現した。
模倣の化身。
芸術家の魔女。
パリの凱旋門に、魔女独自の言語を刻み込んだような姿。
魔女としては珍しい、建造物の形を取っている。
その身体から溢れるのは、どこかで見たような作品の集合体。
けれど、どれも歪んでいて、奇妙で、美しくない。
壁に掲げられたキャンバスから、ドロリと絵の具が這い出す。
それはまるで空間そのものが、魔女の筆の延長にあるかのようだった。
塗られた線が現実を切り裂き、牙のような色彩が襲いかかる。
この結界自体が、生きた絵画であり、殺意の塊だった。
マミは一歩、前へと踏み出した。
「ティーロ!」
右腕を鋭く振り上げ、リボンが宙を裂く。
周囲に展開したマスケット銃が、一斉に火を噴いた。
銃声が木霊し、炸裂音が美術館のような静寂を乱す。
魔女は浮かび上がったキャンバスを盾のように差し出し、銃弾を受け止める。絵の具が滝のように溢れ出し、それがぐるりと回転しながら凝縮されていく。
次の瞬間、強烈な圧力を纏った色の奔流がレーザーカッターのように空を裂いた。
マミは跳ねるように回避。すぐさま着地と同時に次弾を発射。
今度は魔力を増幅。火力も命中精度も段違い。
魔女はまたキャンバスで防御しようとするが、数発を受け止めた瞬間、バリバリと裂けて千切れ、無残に崩れ落ちる。魔女は迷わず廃棄。それと同時に新たな手を描いた。
鋼鉄の壁。
濃厚な絵の具から即座に描かれ、物質化し、魔力によって硬化された壁は、まるで戦車の装甲のような威圧感を持って出現する。
それは先程の銃弾を完璧に弾き返した。
しかしマミの瞳は、揺るがない。
すかさずリボンをその壁に絡ませ、ぐるぐると巻き付け——
「ふっ!」
信じられない腕力で地盤ごと引っこ抜いた。
まるで巨人のように壁を振り回し、プロペラのように回転させる。加速されたそれは、凄まじい唸りをあげて魔女めがけて叩きつけられた。
魔女は直前で具現化を解除。
壁は絵の具に戻り、空中に飛び散ったそれが結界全体に毒々しい色の雨となって降り注ぐ。
——否、それはただの比喩ではなかった。
魔女は壁を絵の具に戻すだけでなく、即座に毒素へと再構築していたのだ。
絵の具の雨が地面に落ちるたび、ジュウ、と腐食音が鳴り響く。床は泡立ち、穴が空き、結界はどんどん歪んでいく。
マミは肌に雨が触れる刹那、リボンを素早く編み込み、即席の傘を生み出す。
傘の下、彼女の眼が射抜くのは、雨の向こうから迫る影。
鉛筆、絵画、彫刻、銅像、――ノミや金槌といった金属製の作業具まで。
それら芸術の道具たちが、空気を裂いて飛来してくる。
ただの素材ではない。すべてに魔力が込められ、殺意が宿っていた。
「物は大切に扱わないと、罰が当たるわよ?」
マミの言葉は静かに、しかし確実に空気を支配する。
芸術の名を借りた殺意。
四方から押し寄せるそれらの一撃は、どれか一つでも掠れば、一般人など即座に跡形もなくなる威力だった。
マミとてまともに喰らえば、ダメージは浅くとも、隙は必ず生まれる。
だが、マミはそんな攻撃に付き合ってやるほど、優しくもない。
避ける。
撃ち落とす。
リボンで弾く。
まるで重奏する音楽のように、攻撃と迎撃のリズムが重なり合う。
彼女の動きは研ぎ澄まされており、わずかな狂いもない。
黄金のリボンが宙を切り、銃声が戦場に花を咲かせる。
ほむらは、その後方で冷静に周囲を見渡した。
影の奥から、使い魔たちがじわじわと姿を現す。
その数は思ったよりも多い。
マミの背後を狙って、動きを伺っている。
(……あの数を放置すれば、巴さんの機動が鈍る)
判断は瞬時。
拳銃を抜き、銃口を真横に構える。
引き金を絞る。
鋼鉄の音とともに、使い魔の頭がひとつ、またひとつ弾け飛ぶ。
その所作は、静かで速く、正確だった。
まるで戦場に染まった兵士のように、迷いなく、躊躇いなく。
その動きは誰の視線にも映らず、しかし確実に敵を屠っていく。
一方——マミの正面では、結界が変質していた。
魔女が筆を走らせるように、空間の色が滲み、揺らぎ、混ざり合う。
色彩が舞い、音が弾け、視界のすべてが創作の渦に飲み込まれていく。
次の瞬間、マミとほむらの姿が描かれた巨大な絵画が目の前に現れ、
その中から、模写された“彼女たち自身”が浮かび上がるように現れた。
「……あなたの作品、ずいぶんと個性に欠けてるわね」
マミの声は冷たい。
同時に、黄金のリボンが空を裂いた。
だが偽マミは、まったく同じようにリボンを放ち、軌道を重ねて打ち消す。
偽ほむらもまた、拳銃を構え、マミの射撃を正確に迎撃した。
「ティーロ!」
『ティーロ!』
同じ言葉。けれど、そこに宿る“魂”が違う。
偽マミの声は録音を無理に再生したような、無機質で、平坦な音だった。
金の銃弾が交差し、火花が散る。
偽ほむらはその隙を縫って、偽マミを完璧に援護する。
「……コピーってわけね。上等じゃない」
跳躍。
空を舞い、紙一重で銃弾を躱す。
着地と同時に、地面に向かって銃口を向け、引き金を引く。
爆ぜる石片を目隠しに、左斜め前へとステップ。
そのまま死角から銃撃。だが——
躱される。
反撃。
避ける。
銃撃。
また躱される。
交差する応酬の中で、マミは気づく。
「なるほど。手札を見せれば見せる程、不利になるってわけね」
“彼女たちは、見たものをそのまま模写してくる”。
偽物たちは、見た技しか再現できない。
だが、それさえ見せてしまえば、彼女たちはどんどん精度を上げてくる。
(ならば——模写される前に、終わらせればいい)
マミは一気にリボンを解放する。
金糸が空を這い、無数に枝分かれしながら敵を包囲する。
「レガーレ・ヴァスタアリア!」
命を与えられたように舞うリボンが、偽物の身体を絡め取り、空中に固定する。
それと同時に、ほむらが動いた。
距離を詰め、マミのタイミングと完璧に合わせて爆弾を放る。
小さな金属塊が弧を描き、偽物たちの足元に着地する。
「起爆」
轟音。
熱風と閃光が結界を揺るがし、偽物たちを木っ端微塵に吹き飛ばす。
だが——
破片となった偽者の残骸は、再び絵画の中に吸い込まれ、より高精度の模写となって蘇った。
その動きは、先ほどよりも無駄がない。
偽マミは、リボンを巻き戻すように捌き、地を這わせながらマミの足元を狙う。
それは、マミがよく使う牽制の動き――そのまま、罠に引き込むパターン。
「しつこい女は嫌われるわよ!」
マミはリボンで弾き返そうとした瞬間、気づく。
(……これ、私のリズム?)
――軌道が、自分の癖とまったく同じだった。
リボンの動き、牽制のタイミング、そのすべてが“自分と寸分違わぬ”のだ。
偽ほむらにいたっては、銃撃のフェイント、動線の確保、果てはリロードの“演技”まで織り込んでくる。
その動きはあまりにも正確で、だからこそ“異常”だった。
焦げた匂いが残る結界の中、火薬の煙が漂う。
視界の隅で、偽マミと偽ほむらが静かに並び立つ。
それはまるで、“戦い続けてきたふたり”の完成形のようだった。
「――それで、わたしになったつもり?」
『……ふふ』
笑ったのは、偽マミだった。
声だけは似ていても、そこに感情の波はない。
マミが思考を切り、再びリボンを硬化させ跳ね上げる。
黄金の糸が炸裂し、偽マミの首元を狙う。
だが――
偽物は、そのタイミングすら“知っていた”。
偽マミはリボンの動きに合わせて逆方向へ跳躍し、偽ほむらが空中で弧を描きながら拳銃を構える。
視界の外から来る、完璧な援護射撃。
その角度すら、マミの動きを読んだものだった。
黄金の閃光が空を裂き、銃弾がマミの頬をかすめる。
ギリギリで回避。
だが、かつてない冷や汗が背を伝った。
(完璧……私と、暁美さんの連携、そのすべてが――模写されている)
偽物たちは一歩も乱れない。
攻撃の角度も、移動の軌道も、まるで「本物より本物らしい」精密さ。
だが、だからこそ――マミは気づいた。
(……違う。“完璧すぎる”)
あまりに無駄がなく、あまりに“機械的”な動き。
それは確かに私たちを模している。
けれど――“あえて選ばない”という選択肢がない。
わたしたちは、時に迷い、時に賭ける。
けれど、この偽物たちは違う。
“記憶の最適解”しか選べない、ただの模倣物。
マミの背後、一段下がった位置から声が響いた。
「……感情の“揺らぎ”は、コピーできない」
ほむらが、静かに言った。
視線を交わすまでもない。
言葉の裏にあるものが、マミには理解できた。
次の動き、次の一撃。
“私なら、こうする”――
それをあえて、外す。
マミはリボンを跳ね上げる――
ように見せて、ほんのわずかにタイミングを“ずらした”。
『レガーレ・ヴァスタアリア!』
その瞬間、偽マミのリボンが正確なタイミングで飛び出す。
「……やっぱりね」
それはマミのリボンに交わらず、空を切り、隙を晒す。
偽マミの目が、わたしとまったく同じタイミングで瞬きをした。
(……気持ち悪い。)
偽マミは、瞬きの速さまで、わたしと寸分違わなかった。
鏡より、もっと正確に。
「私の外側」から、「私自身」が迫ってくる感覚。
マミのリボンが、迷いなくその隙間を縫った。
偽マミの腕を絡め取り、空中に固定する。
「暁美さん!」
同時に、偽ほむらがカバーに入ろうと拳銃を構える――
だが、その“動線”すら予測済み。
爆弾を投げる“フリ”をする。
偽ほむらの目が、一瞬、視線を滑らせる。
その瞬間ほむらは、あえて最短ルートではなく、迂回するように動いた。
直前の判断では絶対に選ばない、非合理的な動き。
偽ほむらの銃口が迷いを見せた。
その瞬間、マミのリボンが伸び――
本物の爆弾が、死角から足元に滑り込んだ。
(そう……お前たちには、“予測外の選択”はできない)
偽ほむらが気づいたときにはもう遅い。
「……これで終わり」
マミのリボンが偽マミを引き寄せたまま、
偽ほむらの足元から、小型爆弾が起爆。
閃光。
炸裂とともに、偽物たちは再び吹き飛ばされた。
散り散りの破片となって結界の空に舞うその姿は、
さっきよりも……どこか、形が崩れていた。
そしてマミは迷わず偽物たちが這い出てきた絵画へと向かい、
額縁ごと粉々に破壊する。
「ねぇ……」
マミは、リボンをゆっくりと収める。
「真似るだけじゃ、たどり着けないのよ。“本物”には」
その言葉に、結界の奥――
芸術家の魔女が、絵画のキャンバスを震わせ、悲鳴のような音を漏らした。
「……まして、作品に込められた“想い”までは、決してね」
まるで、自身の“創作”が否定された芸術家のように怒り狂う魔女。
「巴マミ、早く決めたほうがいいわ」
「あら、貴方に名前を教えた覚えはないのだけれど」
マミは薄く笑う。
「そうね。でも、見滝原の巴マミと言えば有名よ。現役でも最強クラスだとか」
「おだてても何も出ないわよ?」
「そんなことより、早く」
「ええ、わかってるわ。また出てきたらたまらないもの」
マミは膨大な魔力をその手に集中させると、巨大な砲身を作り出す。
「ティロ・フィナーレ!」
ちょうど空間がねじれた穴の中心に黄金の砲撃が直撃する。
爆炎が吹き上がり、歪んだ門の中央に衝撃が走る。
作品の断片が悲鳴のように舞い、炎に溶けた。
魔女がひしゃげ、奥にあった模倣の世界が音もなく崩壊していった。
色と音が崩れていく。
「……終わったわね」
マミが、銃口を下ろしながら言う。
「ええ、そうね」
その横で、ほむらは自分の手元のバッグを整えていた。
完璧だった。
機を逃さず、援護も抜かりなく、爆破のタイミングは寸分の狂いもなかっった。
マミは横目でほむらを見た。
「あなた、何者なの?」
マミの問いに、ほむらは答えなかった。
けれど、その肩が――わずかに、揺れた気がした。
笑ったわけじゃない。
でも、静かな諦めと、それでも消えない意志だけが、背中から滲み出ていた。
その背中を見つめながら、マミはふと息を吐いた。
(問いかけたところで、きっと答えは出てこない)
そう思いながらも、心のどこかで確かに感じていた。
“この子は、誰かのために戦っている”。
だからこそ、余計に分からない。
(その“誰か”は、いったい誰なの?)
結界が完全に消えた後、しんとした空気がその場に満ちる。
燃え残りのリボンが空に舞い、ただ風だけがふたりの間をすり抜けていく。
重く静かな沈黙。
それを破るように、ほむらが一歩、マミの方へ踏み出した。
「巴マミ。貴方と、同盟を結びたい。」
短く、けれど強く放たれた言葉。
マミはすぐには答えなかった。
先ほどまでの戦いを思い返すように、じっとほむらの顔を見つめる。
マミはその意図を測るように、目を細めて問い返す。
「理由を聞いてもいいかしら?」
その問いに、ほむらの瞳が一瞬だけ揺れる。
だけど、すぐに真っ直ぐにマミを見返した。
「23日後、この街に――ワルプルギスの夜が現れる」
空気が変わった。
マミの肩がピクリと震え、目が見開かれる。
呼吸が一瞬止まった。
「ッ……! ワルプルギスって、あの?」
声に驚きがにじむのも無理はない。
それは“ただの噂”であって、“現実”ではなかったはずだった。
「そう。伝説の名を持つ、最強の魔女。
……それの討伐に、貴方の力を貸して欲しい」
その言葉には誇張も虚飾もなかった。
ただ、“知っている者の声”だった。
マミの顔色が変わる。
困惑。警戒。ほんの僅かな恐れ。
「……情報源は?」
「私の固有魔法よ」
その瞬間、ほむらの声色が少しだけ硬くなる。
背中に手を当てるような、何かをかばうような声音。
「私の戦い方も、その魔法で知ったのかしら」
「これは私の生命線だから、仲間じゃない人に詳しく話せないわ」
その言葉に、マミの眉がわずかに寄った。
だが、言い訳じみた軽さはどこにもなかった。
本気の中の、“言えなさ”だった。
そんなやり取りの中で、ほむらはさらに一歩、踏み込む。
「もちろん、同盟を組んでくれるなら、もっと詳しく話すわ。
……あと、このことは――キュゥべえには絶対に話さないで」
その一言だけ、語気が違った。
お願いでも懇願でもない。
――警告。いや、ほとんど“命令”に近い。
マミの眉がわずかに動く。
「どうしてかしら?そんな重要なことなら、猶更キュゥべえに相談したほうがいいんじゃないの?」
マミの声に、ほんの少し怒気が混じる。
だが、ほむらはその言葉に怯まなかった。
「キュゥべえは既にこのことを知ってるわ。その上で、貴方にこのことを話していない」
マミの胸にざわりと不安が広がる。
「知っているとバレれば、邪魔に入る可能性がある」
「信用できないわね。キュゥべえは友達なの。その友達を疑えっていうの?」
マミの拒絶の言葉。
それは、“親しい存在を疑うこと”への本能的な抵抗だった。
ほむらの唇がわずかに震えた。
言い返すでもなく、ただひとこと――
「お願い……」
その一言は、まるで心の底から漏れた願いのようだった。
長い沈黙。
戦いが終わった直後だというのに、ふたりの間には新たな緊張が生まれていた。
マミは答えを出せずにいた。
キュゥべえを信じること。それは自分の“正義”の土台だった。
ようやく、マミがゆっくりと口を開く。
「……少しだけ、考えさせてくれるかしら」
ほむらは、黙ってうなずいた。