五つ星の奇跡   作:高丸

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第八話 夢を見た罰

 

 

 夜になりかけた街道。

 ネオンの光も届かない、裏路地の壁際で、まどかとさやかは肩を並べて立っていた。

 遠くを走る車の音と、表通りから漏れてくる人の気配――

 現実のざわめきだけが、静かな空間に溶け込んでいた。

 

 さやかの指が、紙袋の端をくしゃ、と握りしめる。

 

「……ねえ、さやかちゃん」

 

 まどかの声は、風の音に溶けそうなほど、弱かった。さやかは答えない。答えられない。

 目を伏せたまま、白いスニーカーの先をじっと見つめている。

 そのつま先には、赤黒く乾いた血の染みがポツンと残っていた。

 

 さっきまで、非日常の中だった。

 あの魔女――そして、ほむらの右腕が。

 

 「ほんとに……魔法少女って、あんな……」

 

 まどかの言葉が続かない。唇が震えたのを、さやかは見なかったふりをした。

 

「私……」

 

 ぽつり、とまどかが言いかけて、息を吸い込んだ。

 けれど、その先の言葉は、すぐには出てこなかった。

 

「なりたいって思ってたの。魔法少女に」

 

 そう言ったまどかの声は震えていた。涙は落ちない。でも、ぎりぎりでこらえているのが伝わる。

 

「誰かを助けられるって、素敵だなって……」

 

 さやかは少しだけ顔を上げて、まどかの横顔を見る。

 その視線に気づいたのか、まどかが小さく唇を噛んだ。

 目を伏せ、呼吸を浅くするようにして、ぽつりとつぶやいた。

 

 「……マミさんも、ほむらちゃんも、“命懸け”って何度も言ってくれてたのに……」

 

 言葉の途中で、喉が詰まったように感じた。息苦しさが胸の奥を締めつけてくる。

 

 「ちゃんと聞いてたはずなのに……ぜんぜん、わかってなかった……!」

 

 言い終えたあと、自分の声が少し震えていたことに気づいた。

 その震えは、恐怖じゃなかった。

 “なりたい”って口にしたときの自分が、今の自分を見たら何て言うだろう。

 「助けたい」「守りたい」――そんな綺麗な言葉の中に、どれだけ死の匂いが潜んでいたか、知らずに笑ってた。

 そのことが、痛かった。怖さより、恥ずかしさより、ただただ申し訳なくて……

 

「まどか」

 

「うん……?」

 

「アンタ、それでも、なりたいって思う?」

 

 まどかは答えなかった。

 ほんの少しだけ視線を逸らして、ふと見上げた先、灯りのない窓が静かに浮かんでいた。

 

 ほむらは、今どこで、何をしているんだろう。痛みで目を閉じてるのか。

 もう眠っているのか。それとも……何も考えず、次の魔女のことを想っているのか。

 

 さやかが、小さくつぶやく。

 

「……あんなの、見せられたらさ」

 

「……」

 

「怖くなるよ、当たり前だよ。正直、もう無理だって思ったよ」

 

 まどかはその言葉に、何も返さない。

 ただ、ゆっくりと、両手を胸の前で握りしめた。ぎゅっと、痛いくらいに。

 

「でも、」

 

そのひと言で、まどかの肩がぴくりと動く。

 

「でも……“それでも”って、思う気持ちがあるの」

 

 さやかは、真っ直ぐ前を向いていた。

 その目に、怯えと、迷いと――それでも消えない、希望の火が宿っていた。

 

「私は……ほむらちゃんに、謝りたい。怖がってごめんねって、助けてくれてありがとうって」

 

 その言葉に、さやかは何も言わず、ただその横顔を見つめていた。

 

 謝りたい――その言葉に、さやかの心の奥が揺れた。

 まどかの気持ちと、きっと同じ。

 

 自分も、本当はそうだった。

 上辺だけで知った気になって、わかったような顔で、ほむらを責めた。

 あの時、自分が口にした言葉のひとつひとつが、どれだけ無神経だったか、今ならわかるのに。

 

 助けられても、「ありがとう」さえ言えなかった。

 なのに、何もできなかった自分を、見て見ぬふりをしていた。

 せめて言葉にすれば、少しは変われたのかもしれないのに――それすらもしなかった。

 

 まどかが今、やろうとしてることは、

 自分が逃げてきたこと、そのものだった。

 

 その悔しさと、自分への怒りが、ずっと胸の奥でくすぶっている。

 どこにもぶつけられないまま、静かに、熱だけを残して。

 

 沈黙が、ふたりの間に流れる。夜風が、ふっと吹き抜ける。

 

 まどかのリボンが揺れて、さやかの髪がかすかに踊る。

 どちらも、言葉を交わさないまま、ほんの少しだけ顔をあげて。

 少しだけ強くなった風の中を、並んで歩き出した。

 ふたりの背中が、夜の街に溶けていく。

 その歩幅は、どこかぎこちなくて、だけど確かに、隣を歩いていた。

 

 

***

 

 風が吹くたびに、包帯がかすかに揺れる。

 ほむらの右肩には白い布が何重にも巻かれていて、そこにあったはずの腕はもうない。

 まどか達を帰らせた後、病院の駐車場で簡易の治療をしながらほむらは沈黙を貫いていた。

 

 その姿にマミは視線を向けることができなかった。

 疲労も、痛みも、その表情からは何も感じ取れない。

 ほむらはいつも通り――冷たいほど静かに、ただ座っていた。

 

 「あなたが来なければ、私は……あの時……」

 

 マミの言葉がそこで途切れる。

 言葉が、涙と一緒に詰まってしまったようだった。

 

「……私、死んでたのよね」

 

 静かに、だけどはっきりと彼女は言った。

 

 ほむらの目が、わずかに揺れる。

 視線がふっと下がり、彼女は無言のまま、マミの隣に腰を下ろした。

 

 少しの間、風の音だけがふたりの間を流れる。

 

「どうして……」

 

 マミがぽつりと口を開く。

 

「そこまでしてまで、私を助けようなんて……あんな無茶をしてまで……」

 

「理由が必要?」

 

「……ううん。でも、知りたいの。あなたの口から、ちゃんと聞いておきたいのよ」

 

 ほむらは少しだけ間を置いてから、目を伏せて呟いた。

 

「……私には、貴方が必要だったから。それだけよ」

 

「それだけ、で?」

 

「ええ。それ以上は言いたくない。言葉にすれば、何かを壊してしまいそうだから」

 

 マミはふっと息をのんで、俯いた。

 それでも、その目は――たしかに揺れていた。

 

「……ごめんなさい。私、あなたのこと、誤解していたのね。

 冷たいって、勝手に思ってた。自分勝手で、何も分かち合おうとしない子だって……」

 

「その通りよ。私はそういう風に振る舞ってきた」

 

 ほむらの声は、否定しなかった。

 マミが顔を上げる。その瞳は、もう以前のようにとがっていない。

 

「ありがとう……あなたがいてくれて、ほんとうによかった」

 

 その一言に、ほむらの目が、僅かに見開かれる。

 ありがとう――その言葉が、胸の奥に届いた瞬間。

 鈍く、古傷のような痛みが心の奥で波打った。

 

 でも、それ以上に――“救われた気持ち”が、確かにそこにあった。

 

 言葉が途切れる。

 

 けれど、それは気まずさではなくて、

 互いの沈黙を“信頼”で包み込めるような、あたたかな間だった。

 

 やがて、マミが手を差し出す。

 

「こんな私でも、まだ必要としてくれるなら、貴方に協力させてほしいの」

 

 その手は、かつて孤独に耐えてきた少女の手だった。

 

 だからこそ――

 

「ええ、喜んで」

 

 ほむらの返事は淡々としていた。

 でもその声には、確かに喜びが滲んでいた。

 

 ふたりの距離は変わらない。

 けれど、心の位置だけが、少しだけ近づいていた。

 

 

***

 

 マミは帰り道、薄暗い小道をひとりで歩いていた。

 昼間なら誰もが行き交う駅前の裏手も、夜の帳が降りると、まるで別の世界のように静まり返っていた。

 

 すれ違う人の視線が、どこかよそよそしい。

 泥のついた制服のまま、ほつれたリボンもそのまま――

 今さらそんなことを気にしている自分に、思わず苦笑がこぼれた。

 

 …そんなこと、気にしてる余裕なんて、本当はないはずなのに。

 

 一度思い出したら、もう止まらない。記憶の奥から、あの声がよみがえる。

 

「私の魔法少女としての素質は、そのほとんどを固有魔法に割いている。

 ……ワルプルギスまでにこの腕を治す余裕は、おそらくないわ」

 

「……だから。暫くの間は、あなたの力をあてにさせてもらう」

 

 その時は、ただ黙って頷いた。

 ほむらの声は、どこまでも冷静で、事務的だった。

 ……でも、あの言葉を思い出すたびに、胸の奥がじわじわと痛んでくる。

 

――“貴方を頼る”と、彼女は言った。

 

 あれは命令でも期待でもない。あの子なりの、最大限の信頼だった。

 

 エレベーターの前で足が止まる。壁に背を預けて、そっと目を閉じる。

 

 ひとつ、呼吸が浅くなる。

 ――震えていた。

 手が。膝が。

「何も怖くない」ふりをしていた身体が、今さらになって、その荷重に音を立てて軋み出す。

 

 悔しい。情けない。怖い。

 でも、それでも――

 

 命の恩。

 戦力の重さ。

 この先にある、誰かの死を――自分が背負うということ。

 

 簡単に受け止めていい言葉ではないのはわかってる。

 

 いずれ、あの腕は治る。

 治癒が間に合えば、また彼女は“完全な戦力”に戻る。

 

 ……でも、それまでのあいだは――私がその役を担う。

 

 一時的だとしても、彼女は命の一部を私に預けたのだ。

 

 それは、“あの子の戦いを一部託された”という事実。

 ほんの一時でも。ほんの一部でも。

 誰かが差し出した“生き残るための選択肢”に、自分がなるということ。

 

 永久に代わるわけじゃない。

 

 けれど――それまでのリスクと重さを、自分が預かるということには、変わりない。

 

 その覚悟が、いま彼女の歩みに確かな熱を宿していた。

 

***

 

 ほむらが腕を失った、翌日も、その翌日も、教室にほむらの姿はなかった。

 

 「……ほむらちゃん、今日も来てないか」

 

 まどかがそっと呟いた。

 少し気まずそうに、でも気にしているのが伝わる声だった。

 その横で、さやかが腕を組んで窓の外を見ていた。

 

 「まぁ……そりゃそうだよね」

 

 言葉は軽いが、その顔は沈んでいる。

 その“そりゃそうだ”の中に、本当は知りたいことが山ほど詰まっていた。

 

 どこにいるのか。

 誰かと一緒なのか。

 あの腕のことは……本当に、大丈夫なのか――。

 

 でも、それを誰に聞けばいいのかも、わからなかった。

 

 「……連絡とか、来てないんだよね?」

 

 「うん……マミさんも、何も言ってなかった」

 

 まどかは少し俯いて、小さな声で言った。

 マミに聞こうとした。でも――あの人の背中も、どこか遠かった。

 ただ“命を助けられた”という事実だけが、あの夜からマミの空気を変えていた。

 

 「ねえ、さやかちゃん」

 

 「ん?」

 

 「……なんか、変だよね」

 

 まどかが小さな声で言う。

 

 「こんなことがあったのに……教室の空気とか、授業とか、みんな、いつも通りで……」

 

 「……」

 

 「なんか、“なにも変わらないんだな”って……私だけ、時間止まってるみたいで……」

 

 その言葉に、さやかは返す言葉を見つけられなかった。

 

 「……そうだね」

 そう言ったけど、本当はよくわからなかった。

 もしかしたら、自分も“変わらないフリ”をしてるだけなのかもしれない。

 

 ほむらの右腕が、魔女に食いちぎられたその瞬間。

 叫びも、涙も、何も出なかった。

 ただ、心が止まるような感覚だけが残っている。

 

 あの日から、何度も頭の中で思い出すのに、慣れることは一度もなかった。

 

「変身して、戦って、悪い奴を倒す。

  ……それだけのことじゃ、なかったんだね」

 

 さやかの声は、静かに落ちていく。

 何かを噛みしめるように。

 そして、まどかもまた、黙ったまま机の端を見つめていた。

 

 その日の放課後。

 まどかとさやかは、いつもの帰り道を歩いていた。

 学校帰りの街は、どこか静かで、でも確かに人の気配はあった。

 制服の袖をかすめる風が、どこか冷たく感じる。

 

「マミさん、今日もパトロールかな……」

 

 何気ない調子でまどかが呟く。

 

「たぶん。」

 

 さやかは短く答えた。

 

 ふたりの間に、沈黙が落ちる。

 足音だけが、コンクリートの歩道に小さく響いた。

 

「……ほむら、あれから……2日も学校来てない」

 

 さやかがぽつりとつぶやく。

 言葉に、わずかに迷いが滲んでいた。

 

「うん……」

 まどかも、同じように小さな声で返した。

 

「いま、どうしてるんだろう」

 

「あの怪我……魔法でなんとか……できるのかな、あれって……」

 

さやかが答える声にも、不安がにじんでいた。

 

「マミさんとかは回復魔法とか使ってたし、もしかしたら……」

 

 でもその言葉は、自分に言い聞かせるような響きだった。

 ――でも、あの日のことは、どうしても忘れられない。

 血と煙。砕けた地面。右腕を失っても、何も言わずに立ち続けた少女――暁美ほむら。

 思い出すたび、胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。現実とは思えないのに、記憶だけが妙に鮮明で。

 

「ねえ、さやかちゃん」

 

 まどかは、スカートの裾を指先でそっと握りしめた。それでも、迷いの中にある小さな決意を、ちゃんと言葉にする。

 

「この後……ほむらちゃんのお見舞いに行かない?」

 

 その言葉に、さやかは少し驚いたように目を丸くした。

 

「え、急に?」

 

「うん、急に。でも……今行かないと、きっとこのままずっと言えない気がして。

 

“ありがとう”とか、“ごめんね”とか……いっぱいあるのに」

 

 さやかは一瞬、返事に迷ったように視線を泳がせたけど――

 次の瞬間、少しだけ笑った。

 

「……言えるかな、あたしたちに。今さらさ」

 

「言えなかったら……せめて、顔だけでも見たいなって」

 

「……わかったよ。行こう」

 

 さやかは、ポケットに手を突っ込んで、ふっと息を吐いた。

 

「でも、玄関で帰れって言われたら、泣くなよ?」

 

 さやかが暗い空気を断ち切るように、わざと軽い調子で言う。

 

「う、うん……がんばる」

 

 まどかの声には、少しだけ緊張と笑みが混ざっていた。

 二人の歩幅が、ゆっくりと揃い始める。

 風が吹くたび、まどかのリボンが揺れて、さやかの髪がふわりと踊った。

 

 

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