五つ星の奇跡   作:高丸

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第九話 爆殺女王(キラー・クイーン)

 

 

二日前、夜

 

 風見野のはずれ、建設途中で中止されたままの廃ビルが、夜の闇に沈んでいた。

 コンクリートの壁は風化し、足元には朽ちた金属やガラス片が散らばっている。

 誰も寄り付かないその場所に、ふたりの少女が向かい合っていた。

 

 「あなたが佐倉杏子ね?」

 

 静かな声が背後から飛ぶ。

 杏子は振り向き、ほむらの右肩を一瞥し、鼻を鳴らした。

 

 「なんだ?怪我で戦えないので傘下に入れてください、って言いに来たツラじゃなさそうだな。」

 

 紫の制服にも似た衣装に、長い黒髪、風にはためく右袖、氷の瞳。

 

 「私は暁美ほむら。あなたに、決闘を申し込む。」

 

 杏子の眉がぴくりと動く。

 

 「はん……隻腕のくせに、ずいぶん強気じゃねぇか。で?あたしが勝ったら?」

 

 目を細め、舌打ち混じりに言うその姿には、隙がない。

 血のように赤いドレスと、肩にかけた槍の存在感が、ただの中学生じゃないことを物語っている。

 

 ほむらは無言で、布袋を取り出す。

 その中には、大量のグリーフシード。

 ひとつふたつじゃない。何十個と溜め込まれた、それこそ“歴戦”を示唆する数。

 

 杏子の目が一瞬だけ細まる。

 

「片腕で、それだけ集めたのか?」

 

 答えはなく、ほむらはただ淡々と杏子に告げた。

 

「あなたが勝ったら、それを全て渡す。でも私が勝ったら……あなたは私の下につきなさい」

 

 杏子が吹き出した。

 バカにしたように、でもどこか楽げに。

 

 「ハハハハハハ!! 面白ぇ! 」

 

 槍をくるりと一回転させ、地面に突き立てる。

 そして肩をぐるりと回し、歯を見せて笑う。

 

 「いいぜ。その喧嘩、買ってやるよ」

 

 数秒の間。

 二人の視線が交差する。

 空気がひんやりと引き締まった。

 

 錆びた鉄骨が風できしむ音だけが、場を満たす。

 

 ふたりの距離、約10メートル。

 何もない、廃ビルの広場。

 

 ――沈黙を切り裂いたのは、杏子の踏み込みだった。

 

 

 瞬間、杏子が消える。

 音を置き去りにするような踏み込み。

 

「ハァッ!!」

 

 地面がひび割れ、音より先に、空気が裂けた。

 鋭く重い、神速の突き。

 

 ほむらは一歩も動かず、わずか数センチ、盾を傾ける。

 

 ガキィィィン!!

 

 火花。金属音。

 撃ち込まれた一撃は、綺麗に弾かれた。

 

 杏子の身体が目前に迫る。

 

 弾かれた反動すら利用して、杏子は回転。

 全身のバネを最大限に活かした回し蹴りが、ほむらの顎を砕かんと、風圧を纏って迫る。

 

――だが、それも空を切った。

 

 ほむらはわずかに頭を逸らす。

 その剛脚は紙一重で前を掠め、何も砕けない。

 

 次の瞬間、杏子は回転の勢いごと、薙ぎ払うように槍を横一線。

 全身の捻りがそのまま槍に伝わり、斬撃が一直線に伸びる。

 

 振り抜く、斬る、絶つ――殺意のこもった一閃。

 

 ……けれど。

 

 ほむらは腰を落とし、

 その斬撃を、まるで計ったように潜る。

 

 杏子の目が鋭く光る。

 

 すかさず槍を構え直す。

 上段から、縦一文字。

 真上から叩き潰す、渾身の一撃。

 

 緻密な身体捌きが可能とする、流れるような連撃。

 

 ほむらが後ろへ跳びのく。

 

「逃げてばっかじゃ、――ッ!?」

 

 その言葉が終わる前。

 追撃しようと距離を詰めた杏子の足元が爆発。

 

 いつの間にか仕込まれていた小型地雷が炸裂する。

 焼けるような痛みが走り、杏子の体勢が崩れる。

 

「クッ……!」

 

 咄嗟に跳躍。

 

 空中で半回転、真紅の髪が弧を描く。

 

 着地と同時、槍が火線のごとく一直線に走る。

 ほむらの心臓を正確に狙った、鋭い一撃――しかし、これも空振り。

 

 ほむらの動きを目で追う暇もなく、ワイヤーで連結された多数の小型爆弾が、槍の一部に絡みつく。

 

「ッ、この……!」

 

 振り払おうと視線を向けた瞬間、視界の端でほむらが何かを投げたのが見えた。

 

――閃光弾。

 

 杏子は即座に槍を手放し、飛びのきながら顔を覆う。

 

 カチリ。

 

 次の瞬間、爆発と閃光。

 

 世界が真っ白に染まる。

 

 焼けつく光が網膜を刺し、鼓膜を叩く衝撃音が平衡感覚を奪う。

 

 見えない。

 聞こえない。

 足場の感覚すらあやふや。

 

 けれど、わかる。

“あいつ”だけが、動いている――

 

 爆炎の奥。

 光の向こうから、機関銃の一斉射。

 

 杏子は着地と同時に新たな槍を錬成、ほぼ反射と直感で降り注ぐ銃弾を打ち払う。

 

 身を屈め、弾道に逆らいながら、壁を駆け、柱を蹴り、徐々に体勢を立て直す。

 

――――再びの閃光弾。

 

「……ッ!!」

 

 遅れた。

 対応が、ワンテンポ遅れた。

 目をつぶったが、残光が焼き付き、足が鈍る。

 

 その刹那、弾丸が体中を掠め、咄嗟に身を反らすも、右足に激痛が走る。

 

「ぐッ……ああッ!!」

 

(なんだこいつ、気味が悪ぃッ!未来でも見えてるみてぇだ……!)

 

 汗が頬を伝う。杏子の顔に焦りが生まれる。

 

 攻撃の癖。

 槍の間合い。

 踏み込みのタイミング

 

――全て見抜かれている。

 

 後方に飛び退きながら、杏子は苦しげに息を吐く。

 

 

 目の前の少女は、初めて現れた時と何も変わっていなかった。

 

 無表情。無言。冷徹。

 

 冷たい、ただ淡々と仕事を処理する機械。

 

「その程度?」

 

 ほむらの声が、静かに、容赦なく、杏子の心臓に突き刺さる。

 

 ギリィッッ!

 

 杏子の奥歯が砕けんばかりに軋む。

 悔しさと、怒りと、否定しようのない“焦り”が交錯する。

 

「……ッ、ざっけんな!!!」

 

 怒声とともに、杏子の槍がうなりを上げる。

 

 槍が分節し、蛇のように軌道を変えて襲い掛かる。

 

 槍の先端が宙をうねり、壁を舐めるように跳ね、死角からほむらの側頭部を狙う。

 

 しかしほむらは数センチ首を傾けるだけで、その一撃を避ける。

 

 嵐のように襲い来る連撃を見極め、最小限の動きでいなしながら、

 走らず、跳ばず、ただ、歩いてくる。

 

 杏子の目が見開かれる。

 

(ッッ!……これならッッ!!)

 

 鞭状に変化した槍の連撃が風を裂く。

 柱、壁、天井、鉄骨。あらゆる角度を利用した同時多角攻撃――息をもつかせぬ連続五打。

 

 だが、全てかわされる。

 

 わずかに重心をずらす。

 一歩踏み出すだけで、どれほどの破壊を伴った槍撃も、空を切る。

 

 二手、三手、いや、それ以上。

 

 槍の軌道を完全に見切り、

 針の穴を通し続けるような精密な動きで、片腕の少女は攻撃の隙間を縫うように歩く。

 

 呼吸が荒くなる。

 

 心拍が跳ねる。

 

 杏子の目が血走る。

 

 ――舐めんじゃねぇ………

 ――舐めんじゃねえっっ…………!

 ――私の力はこんなもんじゃねえええええええ!!!!!

 

 自分に必死に言い聞かす。

 

 手首のスナップ、足の回転、腰の捻り――

 右足の痛覚を遮断し、杏子は渾身の魔力と、持てる全ての技術と経験をもってして、槍を操る。

 

 それでも――届かない。

 

 視界の端が涙でにじむ。

 

 体が震える。

 

 全身から、嫌な汗が噴き出す。

 

「うおおおおおっ!!」

 

 それは気合から来る咆哮か、あるいは恐怖から来る悲鳴か、もうわからない。

 

 わからないけど、叫ばずにはいられなかった。

 

 技術も、経験も、戦術も、全てをかなぐり捨てて、剥き出しの本能のままぶん回す。

 

 そしてその瞬間、

 杏子の奥底、長い間自分で封じていた“幻”が、ついに鎖を断ち切った。

 

 幻影魔法。

 忘れたくても忘れられなかった、あの頃の力。

 呪いと祈りが混ざった、過去そのものが蘇る。

 

 槍が幾重にも分裂し、空を舞い、壁を這い、

 ありえない軌道で、過去すら引き裂く勢いで飛んでいく。

 

 質量を持った幻。

 魂をぶつけるという言葉じゃ足りない。

 これはもう――生きた証そのものだった。

 

 ……だが、

 

 それすらも。

 その全てですらも――

 

 ほむらにとっては、“既に見た景色”だった。

 

 予兆もなく、影もなく。

 ただ冷たい視線で、彼女はそれを見上げるだけ。

 

 その瞬間、柱に激突した槍の幻影。

 

 カチッ

 

 起爆。起爆。起爆。起爆。

 

 完璧な位置に設置された爆弾たちが、音を重ねながら連鎖する。

 

 爆風が、全てを飲み込む。

 衝撃が、足場ごと杏子の“世界”をぶち壊した。

 

 「――あッッ!!??」

 

 身体が宙に浮く。

 

 地面が上に来る。

 天井が下に沈む。

 自分の身体がどこにあるのか、もうわからない。

 

 視界がぐるりと反転し、バランスを失った体が、背から地面へ叩きつけられる。

 

 痛みに顔を歪める。

 血の味、息が抜け、思わず咳がこぼれた。

 

 立ち上がろうとする――が。

 

 額に、冷たい感触。

 

 見上げた先、ほむらの顔と、銃口。

 

「勝負あったわね」

 

 間違いなく、己は全力を出した。

 いや――全力なんて、とっくに越えていた。

 

 骨が軋もうと、筋肉が悲鳴を上げようと、関係なかった。

 火事場の馬鹿力すらも捻り出し、

 過去の記憶も、誇りも、痛みも、全部武器に変えて――

 

 今あるすべてどころか、“自分という存在そのもの”をぶつけた。

 

 それでも、届かなかった。

 あと一歩。あと一歩。

 

 その距離が、海より深くて、空より高かった。

 

 いくつ積み重ねても届かない“あと一歩”が、

 どれだけ全力で踏み込んでも、縮まる気配さえなかった。

 

 その距離を埋めるための手段が、もうどこにもなかった。

 

 魂ごと叩きつけた拳は、最初から空気を殴っていた。

 頑張れば届くと思ってた“根拠のない希望”ごと、砕けていた。

 

 そこには、悔しさすら入りこむ余地がなかった。

 ただ、静かに――敗北だけが、心を染めていく。

 

 「……へへっ……」

 

 杏子の瞳には、もう怒りも、敵意もなかった。

 

 杏子はしばらく黙ってから、ポケットから新しい飴玉を取り出し、口に含んだ。

 甘さが舌に広がる。少しだけ、心の奥で苦笑が滲んだ。

 

「……わかったよ。あたしの負けだ、ボス」

 

 もう、張り合う気も起きなかった。

 

 ただ――コイツには、敵わねぇ。

 そう、認めざるを得なかった。

 

 ほむらは、何も言わず、銃を盾に収める。

 そして一歩杏子に近づき、尋ねる。

 

 「どうする?」

 

 杏子は少し黙り、空を見上げた。

 星の見えない、ネオンで濁った夜空。

 

 その下で、吐き出すように言った。

 

 「……ついてくよ。負けたんだ、文句はねぇ」

 

 それを聞いたほむらは、ほんのわずかだけ目を伏せ――

 

 そして、いつもの無表情のまま、ただ一言。

 

 「じゃあ、ウチに来なさい」

 

 敗者に向けた、勝者からの命令。

 

 しかし杏子の内心は不思議と晴れやかだった。

 

 居場所のなかった少女に向けられた、

 “生き残るための道”――いや、もっと別の、“可能性”だった。

 

 やがて杏子は起き上がり、ふたりは歩き出す。

 

 肩を並べてではない。

 ほむらが先に立ち、杏子がその後ろを歩く。

 

 それは二人の格をそのまま表している。

 

 隻腕ながらも、それ以外は無傷な紫の少女。

 

 片や足を負傷し、傷だらけでぎこちなく歩く赤い少女。

 

 しかし不思議と距離が開くことはない。

 

 この距離は――以前の杏子が決して許さなかったはずの、“近さ”だった。

 

 この夜の決闘は、

 たった一人で戦ってきたふたりの少女が、

 初めて、同じ場所に“立った”夜だった。

 

 

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