私は、弱い。
どうしようもなく、弱い。
私の能力は強い、多分。練習の時、何度も暴走してそれが原因で何度も死んだから。
少なくとも威力は人を容易に殺すことができるくらいにはあるから。
さながら超高圧の水流カッターのような威力、使いこなすことができればかなり強くなるんだろう。
そう、使いこなすことができれば。
私は使いこなせない。
何度やっても、何度ループしても思うように能力が使えない。
誰もいない裏山の斜面。
林の間にぽっかりと開けた小さな広場に、鈴葉はいた。
不法投棄された廃材を利用し即席で作り上げた的に向けて、構えた。
鈴葉の能力で使われる水分は彼女の体内の水分量に依存し、能力を行使するたび体内の水分は失われていく。つまり、能力の使用は常に脱水症状の危険と隣り合わせという事になる。
人が水分不足による致死量は15~25%程度、使い方を間違えれば即死の恐れがあった。
「……ふぅ。───お願い」
意識を指先に集中し、呼吸を整える。
力が指先に集中するのが分かる。どうなるかは、能力の発動まで分からない。
───動け。
命じるように念じる。
けれど、本来なら高速発射されるはずだった水は肌に伝って落ちていくだけ。
「……」
白鷺鈴葉に才能はない。
致命的に、生まれついた能力を操る才能は微塵も持ち合わせてはいなかった。能力の訓練は常に発動の失敗か暴走の二択、暴走すれば、自分の体が切り裂かれる。
何度もそうやって死んできた。喉を裂き、腹を貫き、時には自分の足を斬り飛ばした。
そのたびに、目の前が真っ赤になって、そして次の瞬間には──すべてが巻き戻っていた。
痛みと、死の記憶だけを残して。
けれど、今回はただ濡れただけ。指先から伝った水は、掌を通り抜け、ぽたりと土に染み込んでいった。
それが暴走しなかったことに安堵すべきなのか、それとも、またしても力が出なかったことを嘆くべきなのか。
分からない。ただ、心の奥で何かが軋む音がした。
それは、焦りだった。
それとも、苛立ちだったかもしれない。
いや、もしかしたら……ただの、限界だったのかもしれない。
これ以上続けてはいずれまた死ぬかもしれない。それは、何度も死んだ末に学んだ、経験則だった。
でも。
「やらなきゃ……」
そうつぶやいた声は、自分でも驚くほどに掠れていた。
死ぬのは嫌だ。何度死んでも慣れない感覚、死んだときの無力感と絶望がどうしようもなく嫌だった。
死んだとしても次がある。その事実が唯一私の心を慰めていた。
■■■
何度も死ぬ。
悪霊に殺され、能力の暴走で自滅する。
相変わらず私は自分の能力を制御できないでいた。
それでも成長はあった。戦闘はてんでダメだけど、逃げきれるようになってきた。
相手の動きを見て攻撃をかわすのを繰り返し、何とか隙を見つけては逃げていた。これが成長なのか分からないけど、能力が使えるようになれば無駄にはならない、と思う。
今までのループの中で初めて中学校に行くことができた。
必死になって頑張ってきた甲斐があったんだと思うとなんだか救われたように思えた。能力の制御もほんの少しだけできるようになった。精度、出力の制御はまだまだだけど、自分の能力で自滅することは少なくなった。
まだ課題は山ほどある。能力の制御は勿論、襲ってくる悪霊が歳を重ねるごとに強くなっているような気がしてならない。
小さい頃遭遇した悪霊と比べて段々と質が悪くなってなってきている。考えるたびに、背筋が凍る。
ただでさえ逃げるだけで精一杯なのに、これ以上襲ってくる悪霊が強くなればいつか限界が来てしまう。
死にたくない。
その一心で私は特訓を続ける。
私にできるのは、それしかなかった。
中学生になった直後。
このころから襲ってくる悪霊の数がめっきり減り、代わりに黒いドーム状の物体が住んでいる街の至る所で見るようになった。
と言っても、黒いドームは昔からちょくちょく見かけてはいた。けれど他の人には見えていなかったから多分悪霊に関することだろう。いつも通り極力近づかないようにすればいいだけだ。
夏休みが終わり、11月に入ろうとした頃だった。
「白鷺、ちょっといいか」
「……?はい、なんでしょうか?」
「お前に推薦が来ててな……」
『東京都立呪術高等専門学校』
「……推薦、ですか?」
意外な言葉に思わず復唱していた。
推薦。そんな言葉が、自分に向けられる日が来るとは思っていなかった。
───東京都立呪術高専門学校
この学校の名前を私は知っている。
前世の“俺”が読んでいた漫画、呪術廻戦に登場する学校だ。
心臓が、ぎゅっと掴まれたように跳ねた。
「……な、なんで……?」
そう聞いて、最初はただの偶然だと思おうとした。
世の中には似たような名前の学校なんていくらでもあるし、私はそもそも、この世界が“あの作品”の舞台だなんて一度も考えたことがなかった。
黒いドーム、気色が悪い悪霊、私の能力……。
線と線が繋がる。
小さく、呟くように尋ねる。
先生は、鈴葉の困惑に少し気まずそうな表情を見せながら、言葉を選ぶように説明した。
「……あー、実はな。お前、陸上部でタイムかなり良かっただろ? 県予選まで行ってるって聞いてるし、身体能力が高い子ってことで、スポーツ推薦枠で声がかかってな」
───ああ、そういうことか。
鈴葉は、どこか納得したように目を伏せた。
確かに、陸上部には入っていた。
自衛のためだ。体力をつけなければ、逃げ切れない。
逃げられないなら、死ぬ。
だから走った。毎日毎日、死にたくない一心で、走り続けた。
多分能力───術式を練習していた場所が見つかって特定されたんだろう。
彼らから見て、私の残穢はどう映るだろうか。
残穢で私の才能の無さが知られているはず。私になんらかの才能があると見出されて推薦したのか、それとも才能が無くとも手元に置いて監視したいのか……多分、後者だ。
漫画の知識はもう殆ど残っていない。
今回のループで40回目のループ、遠い昔に見た漫画の記憶が風化するのも無理はない。
だけど、これはあくまで私の妄想の域のまま、この世界が漫画の世界だと言うことは確定ではない。
「体験入学ってできますか?」
「体験入学?募集してる話は聞かなかったが……あー、確認取ってやるから少し待てるか」
「ありがとうございます」
そう言った瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
ほんの数語の言葉なのに、それが喉を通るまでにどれだけの迷いがあったか。
そして、鈴葉は自然と、深々と頭を下げていた。
制服の前襟が胸に触れるほど、腰を折る。
形だけじゃない。心からの感謝だった。
もし私の考えが正しければこの世界は呪術廻戦の世界で、私は呪術の扱い方を学べるようになる。
そうすれば現状をなんとか出来るんじゃないかという思いがあった。
まだ確証は無いけれど。私は微かな希望でも縋りたかたった。
■■■
数週間後。
体験入学の日がやってきた。
新幹線の車内は、平日の昼間ということもあってか空いていた。二人掛けの窓側に座ると、カバンを膝の上に抱えて鈴葉はじっと外を見つめていた。目まぐるしく流れていく風景に、心はなぜか追いつかなかった。
車窓の向こうに広がる景色は、何度も繰り返してきたループの中で見慣れたはずのものだった。それでも「今回」が特別に思えたのは、この行き先が「呪術高専」だからだろうか。
心臓が、ひどく落ち着かなかった。
今までのループで初めての事だ。
何度も何度も死を経験して、何度も挫折しかけてきた。
その末に得る事ができた確かな、前進。
これは賭けだ。今日で私の運命が決まると言ってもいい。
もし私の予想が外れたら終わり、予想通りであれば希望はまだある。後者の方が圧倒的に、良い。現状を打破できる可能性がまだあるからだ。
待ち合わせ場所に指定された駅前のロータリーに、黒塗りの車が滑り込むように現れた。
無駄のない動きでドアが開き、黒スーツの男が一人、外に出る。駅の喧騒とは一線を画した静けさと気配の重さ。近くにいた数人の通行人が、自然と距離を取った。
「白鷺鈴葉さんですね。東京都立呪術高等専門学校から参りました。こちらへ」
その言葉に、胸の奥が冷たくなるような緊張が走った。
これは、いつもと違う日だ。明らかに「普通じゃない日」。だからこそ、緊張するなと言う方が無理だった。
「……はい。よろしくお願いします」
そう答えて、小さく頭を下げる。
慣れない動きで乗り込んだ車の中は、思っていたよりもずっと静かだった。エンジンの音も、タイヤの摩擦音もほとんど耳に入ってこない。まるで結界でも張られているかのような沈黙。
私は、窓の外を見た。けれど、すぐに視線を伏せた。
車は、滑るように山道を登っていく。
都心から離れるにつれて風景は徐々に静まり返り、やがて周囲を囲むのは木々と岩肌だけになった。鈴葉は膝に置いたカバンを握りしめ、手のひらの汗がじんわりと滲んでいくのを感じていた。
道の先、ふいに視界が開ける。
急に視界に現れたのは、日本の城門を思わせる巨大な門だった。
重厚な木材で造られた両開きの門扉には、黒漆が塗られ、ところどころに打たれた鋲が鈍く光っている。上部には屋根瓦があしらわれ、全体の輪郭が鋭く、静かな威圧を放っていた。
空気が変わった。門を境に、何か見えない境界線のようなものが張り巡らされている。
まるでこちら側とあちら側では、世界そのものが違うのだと告げているようだった。
刈り上げ頭で、特徴的な顎髭を蓄えた強面の男性が私を迎えた。
1級術師、夜蛾正道。
呪術廻戦に出てくるキャラクターが今、目の前に立っていた。
「……初めまして。呪術高専の教師を務めている夜蛾正道だ」
鈴葉は、咄嗟に姿勢を正し、深く頭を下げた。
「白鷺鈴葉です。本日はその……よろしくお願いします」
夜蛾はその様子をじっと見つめ、何も言わずしばし沈黙した。
だが、それは威圧のためではなかった。むしろ、彼の視線は「計っている」ような色を帯びていた。評価でもなく、疑念でもない。ただ、現実を見極めようとする者の眼だ。
「……推薦の話、聞いてるな?」
「はい。あの、体験入学ということで……」
「そうか」
短く言ったあと、彼は背を向けた。
「ついて来い。まずは案内だ」
その背中に続きながら、鈴葉はわずかに息を吐いた。恐ろしい人物ではない。ただ、真っ当な人間だ。自分のような、歪で、未熟な存在を「見るべき対象」として認識している。たぶん、それだけで十分だった。
歩きながら、夜蛾はぽつりと呟くように訊ねた。
「お前、自分の術式、制御できるか?」
「……いえ。まだ、できません」
その返答に、夜蛾は足を止めた。
振り返りはしない。ただ、少しだけ背を傾け、鈴葉の言葉の重さを受け止めるように、静かに口を開いた。
「そうか。……まあ、見りゃわかる」
厳しい言い方ではなかった。けれど、はっきりとした線が引かれている。事実を確認し、事実に基づいて判断する。術師という職業において、それがいかに重要かを、彼は誰よりもよく知っていた。
「お前の残穢を見て、そう思った」
心臓が跳ねた。やはり、見られていたのだ。訓練の跡、残された呪力の痕、それがどれほど未熟で、どれほど危険だったか──彼はそれを、正しく見抜いていた。
「俺なら入学は許可しない。だがお前が入学するかどうかは、上が判断するところだ」
言葉は冷たくも、情に欠けていたわけではなかった。淡々と、だが正確に突きつけられた現実に、鈴葉は口を結んだまま、目を伏せることしかできなかった。
この言葉は彼なりの優しさかもしれない。
自分に才能が無い事は鈴葉は重々承知していた。呪術高専に来る途中もかけられる言葉が優しいものではないと薄々予想できていたから、受けた衝撃は少ない。
それでも、彼女にとって1級術師から言われる言葉は自分で自覚している以上に重いものであった。
風が吹いた。肌寒さを含んだ秋の空気が、制服の裾を揺らす。
夜蛾の歩調に合わせ、鈴葉も続く。
広い敷地内は予想よりも整然としていた。校舎へと続く石畳の道には落ち葉が少しばかり散っている。風にさらわれるままにカサカサと音を立てながら、葉は静かに流れていった。
その景色すら、どこか現実感がなかった。夢の中にいるような、あるいは……懐かしいものに触れてしまったような奇妙な感覚。
グラウンドの入り口で夜蛾は立ち止まり、鈴葉に向き直った。
目の前に広々としたグラウンドが広がっていた。人の気配はなく、まるで彼女の為に用意された舞台のようであった。
「そういえば聞いてなかったな。白鷺、お前の術式はなんという名前だ」
「名前、ですか?」
「術式に名前をつけてないのか?」
夜蛾の問いに、鈴葉は一瞬言葉に詰まり、それから唇を噛んで視線を落とした。
「……つけて、ません。ずっと、まともに使えたことがなかったので……」
それは言い訳だったかもしれない。けれど、それ以上の正直もなかった。
彼女にとって“名前”とは、自分がその力を掌握し、初めて与えるべきものだと感じていた。いまだ暴走と失敗しかしていない術式に、名前を与える資格があるとは思えなかった。
夜蛾は少しだけ眉を動かしたが、特に咎めることなく、静かに頷いた。
「……そうか。なら、これからつければいい。名前は呪いだ。お前がその術式をどう扱いたいか、自分で決めるんだな」
「呪い……」
その言葉に、鈴葉の胸の奥が少しだけ熱を帯びた。
“呪い”という言葉が、どこか自分の術式にしっくり来るような気がしたのだ。
この力は、誰も幸せにしていない。ただ自分を傷つけて、自分を脅かして、時には殺してきた力。けれど、それでも捨てられない。どれだけ拒絶されても、自分はこの力と生きていくしかない。
それはまさしく、“呪い”だった。
「……すみません。名前……ちゃんと考えます」
「ああ。思い付きでも構わん。お前の言葉でいい」
そう言って夜蛾は前を向き、グラウンドの中央を指差す。
「白鷺。そこで、術式を見せてみろ。今出せる範囲で構わん。暴走したら、俺が止める」
瞬間、鈴葉の体が微かに震える。
暴走したら──止める。
それはつまり、彼は“暴走する前提”でこちらを見ている、ということだった。
安心ではなく、恐怖の裏返しだった。
それでも。
(──ここで、逃げたら)
今まで積み重ねてきたものが全部、崩れてしまう気がした。
失敗してもいい。見られてもいい。どうせ才能なんて、ないってことはもうバレてる。
だったらせめて──この力を、見てほしい。
「……はい」
答えて一歩、前に出る。
グラウンドの空気が変わった。風がぴたりと止まり、冷えた静寂が鈴葉を包み込む。
彼女は膝を曲げ、低く構える。
指先に集中する。全神経をそこへ流し込み、全てを絞るように。
(お願い……動いて)
恐怖も、痛みも、忘れた。
ただ、自分の中の水流を、刃に変える。
微かに、水音がした。
ぴちり。
指先に、透明な水の刃が生まれた。
だが、ほんの数センチも進まないうちに──軌道が逸れ、弾け飛ぶ。
小さな爆ぜる音。水の粒が宙を舞い、彼女の頬に一滴、冷たく触れた。
成功とは程遠い。
けれど、それでも「形」にはなった。
暴走せず、暴れもせず、ただ──弾けただけ。
「……ふむ」
夜蛾が一歩、彼女のもとに歩み寄る。
鈴葉は俯いたまま、膝に手を置き、小さく震える息を吐いた。
「お前の術式……少なくとも、“水”を刃に変換する系統だな」
「……はい。高速で圧縮し、射出……できるはず、なんです。まだ、うまく、いかないけど」
その言葉に夜蛾は少し考えた後、頷いた。
「面白い術式だ。ただし、今のお前では自分を切るだけだな」
「……わかってます」
白鷺は唇を噛みしめたまま、夜蛾の言葉を聞いていた。
その通りだ。自覚はある。いくら訓練しても、自分の力はいつも制御を裏切る。痛みと死と挫折の記憶ばかりが積み重なっていく。けれど、それでも。
「でも……私は、使いこなしたいんです」
声は小さく、それでいてしっかりと芯があった。
「この術式、ずっと名前もつけてなかったけど……今日、つけます」
夜蛾が、わずかに目を細めた。否定しない。ただ静かに待っている。その沈黙が、鈴葉の背を押した。
名前を与えるということは、責任を持つことだ。
力の在り様に、自分の意志を刻むことだ。
(切り裂く力……水の刃……でも、これは私自身をも傷つける、私の呪い……)
浮かび上がった言葉を、鈴葉は口にした。
「──
自らの術式に、初めて名を与えた瞬間だった。
静寂が訪れる。
風が、枯葉を一枚、さらりと巻き上げた。
「水刃操術、か」
夜蛾はその名を反芻し、低く呟く。
「悪くない。術式に名を与えたことで、お前はもう逃げられん。いいか、名をつけるってのは、ただ格好をつけるためじゃない。これから先、お前の呪いは、その名とともに、生きていく」
そう言って彼は歩き出す。
「忘れるな。名を呼ぶたび、お前はその術式と、運命を結ぶんだ」
鈴葉は、そっと拳を握りしめた。
水刃操術──
それは、己をも裂く刃。
けれど、いつかその刃で、誰かを守れるようになりたい。
そう思った。
術式に名前をつけた今、この力とどう向き合うかが、ようやく“始まった”のかもしれない。
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随分さきになるけど恋愛描写いる?
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いらない