人類が、増えすぎた人口の捌け口を宇宙に求めてから半世紀以上が経過した、
地球から最も離れた宇宙都市、サイド3は
連邦とジオンの国力差は、およそ三十対一。
一見すれば無謀とも思えるこの独立戦争。
しかし、戦争はわずか一ヶ月の戦闘によってジオンの勝利に終わる。
地球へのコロニー落としという想像を絶する凶行と、戦場の様相を一変させた新型兵器であるモビルスーツの投入によるルウム戦役での大勝が決定打となり、開戦から約一ヶ月後の1月31日には南極で休戦条約が調印された。
地球連邦軍の大幅な規模縮小や宇宙における連邦政府の影響力排除など、実質的には連邦側の降伏に等しい内容であったこの条約に反発した一部の軍人によるクーデター未遂や、弱体化した連邦政府に見切りをつけた独立勢力の出現による混乱が
宇宙世紀0080、2月18日に瓦解してしまった地球連邦政府の後継である臨時政府の議会で批准。
後世において一年戦争と呼ばれる殺戮と混乱は、ここに一応の終止符が打たれた。
この戦いでジオン公国と連邦軍は、総人口の半数を死に至らしめた。
人々は自らの行為に恐怖した。
だが、この戦争は更なる争乱を生み、より混迷する時代のなかで悲劇は繰り返される。
────ときに、宇宙世紀0083。
分裂と対立の波は地球圏のすべてを巻き込み、戦火は広がり続けていた。
分かたれたソラを仰ぎて
北アメリカ大陸で随一の規模を誇る大都市、
そこはかつて地球連邦と呼ばれた政府の残骸、現在は再統一政府と名乗るいち国家の首都として定められていた。
「……すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とについて平等である。人間は理性と良心を授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」
そんな都市の中心に存在する政庁の一室で、一人の男がぽつりと呟く。
男は政治家であった。
名はジョゼフ・マーレイ。
少し垂れた目じりと、見る者に紳士的な印象を与える口ひげが特徴的な人物であった。
ダークグレーの地味な背広。
濃紺のネクタイと真っ白な清潔感溢れるシャツ。
整髪料を使ってきっちりと整えられた髪型。
このジョゼフという男は、こうした三十代の若手議員とは思えないほど地味な見た目や生真面目で敵を作らない性格、元経済官僚という経歴から政府内では
彼はいまレザーチェアに座り、執務机の上に広げられた資料へと目を通している。
「それは何の引用でしょうか、先生?」
ジョゼフの隣に控える秘書官の女性が尋ねた。
女性の名はナタリー・マーレイといい、眼鏡の裏で光る切れ長の目と長い金髪を後ろでまとめたその姿はまさに聡明な補佐役というに相応しいものである。
その姓からも分かるように、彼女はジョゼフの妻でもあった。
しかし、この夫妻は仕事とプライベートをはっきりと区別しており、政治家としてのジョゼフを呼ぶとき、ナタリーは常に先生という呼び名を使っていた。
「世界人権宣言ですよ。まだ人類が西暦を使っていた頃、1948年に採択された基本的人権についての宣言です。この頃はまだ、人類が宇宙を第二の住処とするなど絵空事でしかなかった」
ジョゼフは秘書官の問いに答えながら、読むことが嫌になってくる内容ばかりが書かれている資料を読み進めている。
再統一政府内において、政治的準内戦とすら表現されるほど激化しつつあるタカ派とハト派の対立。
一年戦争後に地球連邦政府から分離独立を果たした、
地球圏での勢力伸長を続けるジオン公国に対抗、報復すべく立案された『
画像と文字がところ狭しと並べられた資料から語られる情報のどれもが、ハト派の有力議員であるジョゼフ・マーレイにとって頭痛の種だった。
「その絵空事が現実のものとなった宇宙世紀でも、いまだ人類は世界人権宣言で謳われた自由や平等、理性と良心などは空想だと吐き捨てられる世界で生きています。……なんとも嘆かわしいことだ」
大きくため息をつき、手に取った資料を机の上に放り投げてしまうジョゼフ。
「ですが、そういう世界を少しでもマシにするのが先生の役割です。先の一年戦争での敗戦以降、地球にはこれまで以上に貧困と争乱が溢れかえっています。
歯に衣着せぬ物言いのナタリーだが、こういう直截で力強い彼女の言い方をジョゼフは気に入っていた。
そして、彼女の意見は的を射ている。
先の一年戦争は地球連邦政府にとって事実上の敗戦であり、その休戦条約であった南極条約の内容は極めて屈辱的なものであった。
その条約によって地球連邦政府は宇宙のほとんどを手放すことになり、鉱物資源の産出地として知られていたオデッサなどは連邦政府を見限った独立勢力によって占領。
地球連邦軍の規模も大幅に削減させられたことで、ただでさえルウム戦役において壊滅的被害を受けていた地球連邦軍宇宙艦隊は名実ともに消滅した。
元々、汚職や腐敗にまみれた地球連邦政府という組織を曲がりなりにも地球圏の支配者たらしめていたのは、地球と宇宙の両方から宇宙移民を主導し統治する役割を持つという大義名分と、並ぶものがない武力によって裏打ちされた権威である。
その両方が失われたのだと周知されたとき、ジオン公国に続いて地球連邦政府の存在を否定するものが現れることは必然であり、コロニー落としと敗戦によって混乱状態となっていた連邦にはそれら激化する分離独立運動を鎮圧するほどの力はもはや残されていなかった。
かくして地球には旧世紀の遺物と思われていた国家という概念が各地で復活し、さながら戦国時代の様相を呈し始めていたのである。
こうした不安定極まりない情勢を踏まえて、ジョゼフは思う。
ナタリーの言うように、この混迷とした状況を誰かが何とかしなければならない。
このまま分裂と割拠の時代が続けば宇宙世紀と呼ばれた世界は旧世紀の頃、つまりはイデオロギーや民族によって世界が分かたれていた頃へと逆戻りしてしまう。
だが問題なのは、再統一政府内の有力な議員や軍人はもちろんのこと、アフリカ連合や中央アジア連邦などの連邦から分離した諸勢力、全スペースコロニーを手中に収めようとしているジオン公国もまた、他者を出し抜き踏みつけてもなお、この誰かになろうとしていることだ。
彼らはそれぞれの思惑、思想によってこの乱世と化した宇宙世紀を統一する支配者、次なる新秩序の設計者になろうとしている。
その新秩序形成の過程で発生する、夥しい量の流血には目もくれず。
「人類が皆ニュータイプにでもなれば、こんなつまらない覇権争いを何度も繰り返すことはないんでしょうがね……。ないものねだりをしても仕方ない。いまやれることを、地道にやっていきましょう。僕にはそちらの方が向いている」
「はい。先生はゴップ様のように巧みな根回しを行ったり、ジャミトフ様のように強権的な振る舞いをするのに向いていませんので」
憂鬱な表情でぼやくジョゼフに対して、眉ひとつ動かすことなくストレートな言葉を投げつけるナタリー。
「ははは……、そりゃあどうも。じゃあお言葉に甘えて、毒にも薬にもならない僕は地味にやらせてもらいますよ。ところで、この資料にあったV2作戦、新型モビルスーツの開発計画ですが。他のハト派議員……、例えばゴップさんなんかは前々から知っていたんですかね?」
ジョゼフは『V2作戦の概略とその懸念点』と書かれたファイルを手に取り、ナタリーに尋ねる。
この資料を作成したのは、他ならぬ彼女であった。
「はい、そう考えて間違いないでしょう。元々、ゴップ様は軍人です。我々よりもずっと軍内部に友人も多いはず。敗戦直後から行われていたこの計画を、知らないはずがありません」
「ふむ……。なら、何かしらこれについて手を打っているとは思いますが、それでも不安ですね」
ジョゼフは自らの口ひげを右手で触りながら、うぅむと唸る。
正直に言えば、自分の手に余る。
彼は内心でそう思っていた。
V2作戦。
一年戦争時のジオン公国軍制式採用モビルスーツで、終戦後はスペースコロニーの軍警察に払い下げられている
それによって得られた知識や技術、他にも辛うじて割譲を免れたルナツーから採掘された資源、反ジオン運動が活発なスペースコロニーからの協力を元に、ジオンのモビルスーツを超える高性能機体を開発、量産しようとする一大プロジェクトである。
もっとも、これだけでは単なるモビルスーツ開発計画と思うだろうが、このV2作戦には再統一政府の様々な意図が含まれていた。
作戦発動時の再統一政府は経済面において敗戦の痛手からようやく立ち直りつつあったものの、内外の安全保障に関しては極めて脆弱な状態のままだった。彼らはモビルスーツを持っていなかったのである。
また、地球連邦から独立を果たした諸勢力はジオン公国や月面都市の企業などから秘密裏に軍事援助を受け取り、再統一政府の呼びかけなど気にも留めず紛争に明け暮れていた。
まさに弱体。
再統一政府の権威は地に堕ち、民衆からは
つまりV2作戦に含まれた意図とはこうした現状を打破し、再統一政府こそが地球圏の正当な統一政府たり得る力を持つのだと、内外に誇示しようとする意図も含まれていたのである。
しかしこの程度の情報であれば、再統一政府内でそれなりの地位にいる政治家なら誰もが知っている。
ジョゼフが不安視しているのは、そこではない。
「V2作戦によって、再統一政府はその目標である地球連邦政府の復活に向けて大きく前進したことは事実です。現在の地球で割拠するどの勢力よりも高性能な機体を、いまの我々は自らの力で量産することができる」
「はい。我々にとって初となる量産型モビルスーツ、
以降は派生形の少数生産や改修、紛争地での戦闘によって蓄積されたデータを用いた発展型の登場によって、ジオン製モビルスーツに迫るほどの高性能機体へと進化しつつあった。
「汝、平和を望むならば戦いに備えよ……。つくづく、宇宙世紀など名ばかりだと思わされます。私が不安なのは、ジャミトフたちがこの計画に極秘の最終段階を設定していることです」
「……
ナタリーの言葉に、ジョゼフはまた大きくため息をつく。
これこそが、ジョゼフを最も悩ませている問題であった。
V2作戦の最終目標は独立勢力が跳梁跋扈する地球の再統一達成と、宇宙で肥大化するジオン公国に対する牽制を可能にするだけの軍事力の獲得。
少なくとも、再統一政府内の政治家や将校たちの大半はそう認識している。
ナタリーの資料を読むまで、ジョゼフもそう思っていた。
しかし、ジャミトフらタカ派はその先に何かを見ている。語ることすらおぞましい計画を、彼らは実行に移そうとしている。
いまのジョゼフはそう確信していた。
高性能機体であるジム・カスタムをベースとして、コロニー内部での戦闘や暴徒鎮圧も可能なように設計された汎用型モビルスーツであるジム・クゥエル。
ミノフスキー粒子散布下においても、誘導なしで戦略核兵器を確実に運用可能な名称不明のモビルスーツ。
既存の毒ガスよりも格段に致死性を高め、かつ広範囲に拡散可能な毒ガスであるG3ガスの開発。
こんなものがまともな計画に使われるわけがないだろう、とジョゼフは不快極まりない思いを抱く。
おそらく、ジャミトフらが計画の最終目標としているのは報復戦争だと、彼は考えていた。
そして、それは単なるジオン公国に対する報復ではない。
この八十年ほどの年月のなかで行われてきた宇宙移民、それによって形成されたスペースノイドという民族に対する報復なのだ。
「我々は何としても、ジオンに勝たねばならない。だがそれは新しい地球連邦政府として、理性ある地球圏の代表として、でなければならないんです。我々もまたジオンのようになってしまったら、この宇宙から明るい光が消えてしまう」
ファイルを机に置いたジョゼフは、胸の底に蓄積した不快な思いを吐き出すように、大きく深呼吸をする。
「
ギレン・ザビの主導によって行われたコロニー落としでも、数億人が犠牲となった。
二次被害を含めれば、十億人は優に超えるだろう。
それと同等、或いはそれ以上の報復を一年戦争の終結から十年も経たないうちに行うなど、狂気という表現すら生ぬるい。
何としても止めねば、と決意を固めたジョゼフは席を立つ。
「ジャミトフやその腹心のバスク、ジオンのギレン・ザビなんかはそれが理解できていない。彼らは、
彼は壁に掛けられた時計を見る。
時刻は、11時55分。
正午すぎから予定されているハト派議員たちとの会議の時間が迫っていたが、彼はその壁掛け時計でちくたくと進む長針と短針を見たとき、ふと別のものを想像した。
世界終末時計である。
旧世紀では、核兵器などによる人類文明の滅亡を午前零時として、それまでの時間をあと何分かで示すことで国際的緊張度や迫りつつある破滅的な危機に警鐘を鳴らす試みがあった。
────いまはちょうど、五分前というくらいか。
ジョゼフはそう思いながら時計から目を離し、机の上にある資料をまとめていたナタリーの方を見る。
ジョゼフとナタリーの間には、息子が一人いた。
この二人の存在は彼にとって、とてつもなく大きな力であった。
「これから未来を生きることになる子供たちのために……。例え僅かでも、明るい世界を作らねば。それが大人として、親としての役目だ」
そう呟いて微笑んだジョゼフに気づいたナタリーもまた秘書官としての彼女ではなく、ジョゼフ・マーレイの夫として、そして愛する息子を持つ母親として笑みを浮かべる。
「宇宙世紀という時代が始まったとき。多少の差異はあれど、人々は地球の空を通じてひとつの宇宙を見ていた」
ジョゼフは己の器に相応しい、小さな使命と信念を抱いて会議へと赴く。
本来の自分はこんな混迷の時代で政治家をやるような器ではない、と彼は常々思っていた。
世界の未来や人の革新など、何も見通すことのできない凡庸な人間だとも。
ジオン・ズム・ダイクンのような多くの人類を導く英明な指導者が再び現れて、いまの地球圏が抱えている問題を何もかも解決してくれれば、とジョゼフは常に願っている。
しかしこの混迷を極める時代において、願っているだけでは何も起こらないのだ。
願いのない力は破滅を呼ぶが、力のない願いは空想でしかない。
ならば、自分がやるしかないだろう。
そんな思いを胸に宿して、彼は政庁の廊下をナタリーと共に歩いていった。
「……この分かたれてしまったソラを、修復しなければ」
廊下の窓を通じて差し込むか細い陽光が、ジョゼフたちを照らしている。
────ときに宇宙世紀0083。
本来分かたれることがなかったものが分かたれ、混迷を極める歴史において。
様々な場所で、様々な人物の物語が始まろうとした。