クラウス・パックの率いる部隊が、14バンチでモビルスーツを奪取していた頃。
ズム・シティにあるジオン公国軍首都防衛隊本部の一室で、二人の男が会話をしていた。
「……仮にもオレは、お前さんの上官だぞ。そんなクソ真面目な顔ばかりじゃなく、少しは愛想良く笑ってみたらどうだ?」
将校用制帽を被った男が、肩をすくめながら笑う。
彼の名はヘルマン・ヨーム、階級は大尉。
椅子にもたれかかるように座っているヘルマンは右手にラム酒の瓶を持ち、左手には空のグラスを持っていた。
「せっかく、オレと違って
着崩した制服、若い頃に喧嘩相手からつけられた左頬の傷跡。
不良軍人という表現がぴったりと似合う男であり、その外見に違わぬ素行の悪さは評判だったが、ルウム戦役では連邦軍の戦艦を三隻も沈めた腕利きのパイロットでもあった。
ヘルマンは左手のグラスにラム酒を注ぐと、対面に立っている男にそれを差し出す。
だらしないヘルマンとは対照的に、まるでお手本のようにかっちりと制服を着た男、ベルク・ファラウェイ少尉は露骨に嫌そうな顔をした。
「……そんなくだらないことを話すために、大尉の部屋に来たわけじゃありません。あと、当たり前のように酒を勧めないでください」
ベルクは長いまつ毛と色白な肌、すっきりとした輪郭に切れ長の目という美女と勘違いしてしまいそうな顔立ちをしている。
「まったく、クソ真面目だねお前さんは。首都防衛隊なんて
ベルクに酒を断られ、ヘルマンは残念そうに自分でそれを飲み始めた。
一方のベルクはいつもの調子で彼を揶揄い、一向に話を真面目に聞こうとしないヘルマンに対し、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
「僕は!
思わず後ろで組んでいた手をほどき、握った右拳を自らの胸の前で震えさせるベルク。
「守るべきコロニーの住民を殺し、スペースノイドの住処であり大地であるはずのコロニーを地球に落とした! ジオン公国軍の大義は既に汚れきっています! 人類を数十億人も殺して、まだ戦争を続けるなんて……!」
思いのままに言葉を吐き出す彼を、ヘルマンはグラスに注がれたラム酒に口をつけながら黙って見ていた。
戦争中に、首都防衛隊本部という場所で、忠誠を尽くすべき国の大義を疑う。
これがどれほど危険で、真っ当な軍人がすべきではないことかを理解できぬほど、ベルクは愚かではない。
しかし、彼は言わざるを得なかった。
誰かにこの思いを吐露しなければ、ベルクはとても耐えられなかったのだ。
「……ギレン総帥は、狂っています。総帥やザビ家の人間は、この戦いをスペースノイドの独立戦争だと言った。けれど、解放すべき民衆を虐殺し、あまつさえその人々が住んでいた場所を質量兵器として扱う独立戦争なんて、あっていいはずがない」
そういう思いをぶつけられる相手として、自分を選んでくれたことにヘルマンは少し喜びつつも、あまりに青い感性を持つ目の前の若者に危うさも感じていた。
「だから戦争をすぐに止めるべき……、とでも言いたげだな」
「大尉は、そう思われないんですか?」
琥珀色の瞳で、ベルクはまっすぐにヘルマンを見る。
ヘルマンが思わず目を逸らしたくなるほど、彼の目には濁りがなかった。おおよそ軍人の目ではないなとヘルマンは内心で笑いつつ、彼は言葉を続ける。
「分かっているつもりさ、少尉。……コロニー落とし、あれは悪魔の所業だ。
二人は理解していた。
ギレン・ザビという男は、扇動の天才だ。
大衆が心の底で欲しがっている言葉を、大衆が想像もしないほど鮮烈な言葉で心に刻み込ませる。大衆が知りたい情報のみを伝え、
スペースノイドの父と呼ばれたジオン・ズム・ダイクンの名を冠しただけのちっぽけな国がまるで地球圏の革命者、或いは解放者であるかのように振る舞い、地球連邦政府に対する戦争に踏み切ったのもギレン・ザビの扇動に依る所が大きかった。
彼の言葉は毒蛇が牙に持つ劇毒のごとく、サイド3に住まう鬱屈とした感情を持つ大衆の心を蝕んでいたのである。
現にベルクとヘルマンも、ギレン・ザビのいう戦争とはこういうものなのだということを看破できなかった。彼らもまた、まんまと踊らされた道化である。
そして堰を破った濁流は、一人の人間では止められない。
同じように、始まってしまった大戦争を個人の力で止める術などない。
「それでもな、少尉。これは戦争で、戦争ってのは
ヘルマンは舌の回りを良くしようと、グラスのラム酒を一気に飲み干す。
「戦争の終わり方を決められるのは勝者だけだ。オレたちはもう、始めちまったこの戦争に勝つしかないんだよ。オレたちにとって、マシな終わり方をするためにな」
「……たとえ悪鬼の所業と呼ばれようが、ですか」
澄んだ琥珀色の瞳は、まだヘルマンを見ていた。
何も納得できていない、と言いたげなその瞳に自分が失ってしまった若さを感じた彼は、自分がいま憎まれ役になることでこの若さの暴発を防げるのならそうしようと思う。
ヘルマンはこういう若者が嫌いではなかった。
「そうとも。馬鹿なオレたちは、戦争を未然に防ぐことをしなかった。広がっていく憎しみと怒りを前に、自分は無関係だと見て見ぬふりをした。……だから、その愚かさを噛みしめながら、起こしてしまった戦争に少しでも早くケリをつけるしかないんだよ」
そう言い終えた彼は自嘲気味に笑って、再びラム酒をグラスに注ぐ。
「……とまぁ、ここまで偉そうに講釈を垂れたが。お前さんと違って、所詮は大学も出てない酒飲みの戯言だ。聞き流してもらっても構わん。ただ、こういう話はあまり大っぴらにするなよ。ギレン総帥は地獄耳だ」
ヘルマンはグラスを口に近づける。
しかし、これまでずっと立っているだけだったベルクが彼からそのグラスを奪い取ると、驚いているヘルマンを他所にグラスの中身をぐいっと飲み干した。
一気飲みした酒の強さにすっかりやられたベルクは面白いほどに頬を赤らめ、据わった目で空になったグラスをヘルマンに突き出す。
想定外の行動にしばらく目を丸くしていた彼だったが、ベルクのとったあまりに捨て身の強がりがよほど面白かったのか、部屋の外まで聞こえそうなほど大笑いしながらグラスを受け取った。
「どうした? こんな馬鹿げた戦争を、
仮にも上官の前だということでベルクは後ろで手を組み、少しふらつきながらも立っている。
「……違います。いまの酒で、
「まったく、つくづく面白いヤツだよお前さんは。戦争が終わったら、大学に復学するよりオレと一緒に起業でもせんか? 書を捨て、街に出よと言うだろう」
「丁重にお断りします。そういうのは、捕らぬ狸の皮算用というんです。妹も大学に行かせたいのに、大尉と起業なんて博打みたいな真似はできませんよ。第一、まだ戦争も終わっていないのに」
酔いが回っているのか、ベルクの言葉にいつもの切れ味はない。しどろもどろになっているわけではないが、アルコールが入ったことで重たくなった瞼をどうにか持ち上げているといった様子だった。
「そうは言うがな、ベルク少尉。先のルウムで連邦軍の艦隊はほぼ壊滅して、レビル将軍すら捕虜になった。そして何より、
「だから、それが捕らぬ狸の皮算用と言うんです」
連邦だって、馬鹿じゃない。何かしら手を打ってくるはず。
ベルクがそう言い続けようとしたとき。
「失礼します、ヘルマン大尉! 先ほど14バンチの兵器実験場から緊急の報告があり、格納庫のモビルスーツが数機と宇宙港にあったパプア級補給艦が一隻、強奪された模様です!」
部屋に飛び込むようにして入ってきた総帥府勤務の女性士官が告げた衝撃的な知らせは、ベルクの酔いを一気に醒ますのに十分なものであった。