ベルク・ファラウェイが、人類史上初のモビルスーツ戦を経験する少し前まで時間は遡る。
ジオン公国、総帥府。
ペーネミュンデ機関の通称でも知られるギレン・ザビ麾下のこの組織は、プロパガンダ放送を制作、放送する組織として一般には知られている。
しかし、それはこの組織が担っている活動の一端に過ぎない。
反体制派の監視や弾圧、ジオン国内の防諜活動といった政治警察のような活動から、公国軍の部隊内に管理官を派遣するなど多岐に及ぶ。
機密情報に対するアクセス権が高く、軍内部にも特権を持っていることもあり、公国軍人からの評判はすこぶる悪かった。
また、左右対称に作られたゴシック様式の白い建物は、スペースコロニーという新たな時代の象徴ともいえる巨大建造物のなかにあって、まるで旧世紀に逆行しているかのようにわざとらしいほど荘厳、かつ威圧的に作られていた。
「……
そんな総帥府のエントランスホールで、ヘルマン・ヨームは人を待っていた。
総帥府勤務の証である華やかな制服を着たエリートたちが行き交うなか、だらしない軍服姿のヘルマンは一人ぽつんと正面入口に一番近い柱に寄りかかっている。
当然ながら周囲から白い目で見られている彼だったが、それがどうしたと言わんばかりにわざとらしく大あくびをした。
「おいおい。ここはジオン公国の中心である総帥府だぞ、不良軍人さん」
眠たそうに瞬きをするヘルマンに、ある人物が話しかける。
ランス・メリウム特務少尉。
総帥府の戦略作戦部に所属する男だった。
本来は交わる機会のないタイプの二人であったが、たまたま行きつけのバーでカード賭博に興じ始めたことからできた奇縁である。
「ハッ、悪だくみの中心って意味なら認めるがね。いけ好かない建物にいけ好かない連中、用がなければ近づきたくもない場所だ」
ヘルマンのあまりの言いぐさにムッとしつつも、ランスは軽く咳払いをして話題を切り替えた。
「……なら、その用ってヤツを聞こうじゃないか。ここで立ち話もなんだから、奥の休憩室にでも行こう」
ランスの提案にヘルマンも応じて、二人はエントランスホールを抜けた先にある赤い絨毯が敷かれた通路を歩き、休憩室へと移動する。
「それで? この総帥府勤務のしがない公僕に、いったい何を聞きたいんだ」
休憩室の隅にある喫煙所で、咥えた紙巻き煙草に火を点けたランスが尋ねた。
スペースコロニーという有限の空気をやりくりしなければならない環境で、煙草という嗜好品を楽しめるのはそれなりに裕福な者や社会的地位が高い者に限られている。
本物のタバコの葉を用いた煙草には高額の税が課されており、その日暮らしの労働者などは電子タバコなどでニコチンを摂取しているというのが、スペースコロニーの喫煙事情であった。
しかし、それ故にこの喫煙所という分厚いガラスで区切られた特異な空間は、内密に話をしたいときにうってつけの場所である。
「いま起こっていること。つまりは14バンチの兵器実験場からモビルスーツがまんまと盗まれ、それがダイクン派の仕業ってことにされている事件の真相さ」
そう言ったヘルマンに対し、ランスは敢えてすぐに答えなかった。
咥えた煙草の紫煙を天井の換気扇に向けて吐き出し、じわりと燃えていく煙草の先を少しのあいだ眺めたあと、忌々しげにヘルマンを見ながら返答する。
「……仮に
至極真っ当な、役人らしい答えだとヘルマンは思う。
だが、そんなお定まりの回答ではいそうですかと引き下がる彼ではない。
何よりヘルマンは知っていた。
こうやって上っ面こそ真面目な役人を気取っていても、それを本当に徹底できる人間は極めて稀だということを。
「へぇ、良いのかい。オレにそんな口をきいても。お前のカードの負け、今すぐ耳を揃えてきっちり払ってもらってもいいんだぞ? 子供も生まれたばかりだってのに、旦那が馬鹿なばっかりに奥さんは苦労するね」
「なっ、汚いぞヘルマン!」
「総帥府の連中に言われたくないね。……で、教えてくれる気にはなったか?」
苦虫を嚙み潰したような顔をしたランスはしばらく躊躇していたが、観念したかのように喋りはじめた。
「……キシリア様だ」
「なに?」
「14バンチの兵器実験場で死体になって発見された将校は、数日前から行方不明だった。そして最後に目撃されたのはグラナダの宇宙港、つまりはキシリア様のお膝元だったんだよ」
グラナダ。
フォン・ブラウンと並ぶ月面都市であり、多くのジオン系企業の支社が置かれている他、キシリア・ザビ指揮下である突撃機動軍の本部がある場所だ。
「我々、総帥府が追えたのはそこまでだ。宇宙港にキシリア様の配下が彼を迎えに来て、それから消息を絶ったんだ」
「
「……ギレン総帥とキシリア様の不仲は有名だ。おまけに、高齢の公王陛下はまだ後継者を指名していない。ルウムの大勝でギレン総帥は軍と国民の支持を得て、水面下では連邦との講和も進めているとも聞く」
────功を立てるギレンに焦ったキシリアが、ダイクン派のクーデターに見せかけてギレン総帥を暗殺しようとしている。
ランスは決してそうは言わなかった。
しかし彼がこれまでに話した情報は、言外にそう伝えている。
「なら、兵器実験場で陸戦用のモビルスーツを奪ったのは、キシリア様の息がかかった者か?」
「いや、それはないだろう。失敗時に事が露見するような博打をうつタイプじゃない。サイド6や月にも伝手があるキシリア様のことだ。どこかで適当な人間を見繕ったんだろう」
「おいおい、簡単に言ってくれるね。モビルスーツの操縦経験はマニュアルやモビルワーカーで代用できるにしても、まったくの素人が兵器に……」
そう言いかけたヘルマンの脳に、ひとつの閃きにも似た考えが浮かぶ。
例え操縦技術を最低限習得していようとも、モビルスーツは戦闘を行う兵器である。軍隊経験もない素人が乗ったところで、よほど機体性能に差がなければ勝負にはならない。
戦闘とは即ち効率的、かつ計算された殺人。
戦場という異常な空間で、敵と見做した他者を自らの手で殺めるというのは、何らの訓練や覚悟もなしにできるものではない。ただ叫びながら突っ込むだけで敵を斃せるのは、フィクションの世界だけである。
だが、軍人ならばどうか。
「いまこの地球圏で、軍隊を持っている組織は
ジオン公国内部の者でないならば、あとはひとつだけ。
ランスに別れの挨拶すら述べることなく、ヘルマンは休憩室を飛び出した。
「あのモビルスーツに乗っているのが、連邦軍の軍人だとするなら……! 連中の目的は、ギレンの暗殺
総帥府の廊下を、何ら人目を憚ることなく走り抜けるヘルマン。
彼は脱兎のごとく駆けながらも、頭のなかで状況を整理していった。
14バンチの兵器実験場に、キシリアの手引きで連邦軍の兵士たちが潜入。
陸戦用モビルスーツを奪取し、何らかの方法でズム・シティのコロニー内部に侵入したとして。
キシリアに請われるがまま、ギレンがいるであろう公王庁を襲撃するだろうか。
結局のところ、連邦軍にとってはキシリアも敵である。
協力の見返りとしてギレンの命を一応は狙う素振りを見せるだろうが、ヘルマンたち首都防衛隊やギレン直属の親衛隊の存在を向こうが知らないわけはない。
また、彼ら連邦軍の兵士たちはこのコロニーにおいて完全に孤立しており、目標を素早く達成して撤退しなければまず生きては帰れないだろう。
つまり、侵入した連邦軍側が命を捨ててまでギレン・ザビの命を狙う可能性は極めて低いということだ。
そしてキシリア側もそれらの事情は理解し、それを想定したうえでこの一連の計画を準備したはずだ。
ならば、彼らにはギレン・ザビ暗殺以外の目標が存在するということになる。連邦軍とキシリア派、双方の要求の落としどころともいえる、
しかし、わざわざ兵器実験場からモビルスーツを強奪し、首都コロニーであるズム・シティに斬り込んでまで狙う価値がある目標とは何か。
戦局の打開を狙う連邦軍と、ギレンの失脚を画策するキシリア派の双方が合意する目標とは何か。
そんなものは、このズム・シティにひとつしかない。
────レビル将軍。
ルウム戦役でジオン公国軍のエースパイロット、黒い三連星が捕虜とした地球連邦軍の司令官。現在は総帥府の地下で囚われの身となっているこの人物ならば、その目標たり得るとヘルマンは確信していた。
廊下を抜けてエントランスホールへと戻ってきた彼は、なんとかしてベルク・ファラウェイにその事実を伝えようとする。
だが、一手気づくのが遅かった。
総帥府の正面入口から爆発が起こり、轟音と衝撃が辺り一帯を震わせる。
ヘルマンの視界は瞬く間に暗転して、激しい耳鳴りが彼の聴覚を遮断。爆風の衝撃によって吹っ飛ばされた彼の身体は、全身の骨が軋んでいるかのような痛みを発していた。
「……なんだ、なにが起こった」
床に倒れ伏していた彼はどうにか身体を起こそうとするが、
そうやって為す術もなく倒れている彼を他所に、事態は急速に変化していった。
「────行け、行け、行け! 時間は敵の味方だ! 速やかに目標を確保し、モビルスーツ隊の合流までに撤収するぞ!」
勇ましい声と共に連邦軍特務部隊の兵士五名が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した総帥府のエントランスホールへと突入。
どうにか起き上がって抵抗を試みる警備兵や、逃走しようとする総帥府の職員に銃撃を加えつつ、奥の廊下を進んでいった。
そして人の悲鳴、或いは怒声の混じった爆発音や銃声が数分間続いたあと。
戻ってきた連邦軍特務部隊の兵士たちに囲まれて、立派な髭をたくわえた一人の男がエントランスホールに姿を現した。
ヨハン・イブラヒム・レビル、つまりはレビル将軍である。
そのとき、ようやく朦朧としていたヘルマンの意識は回復し、立ち上がるだけの力が身体に戻り始めていた。
連邦軍の兵士たちに気取られぬよう、ゆっくりと身体を起こすヘルマン。
不幸中の幸いというべきか、彼は都合よく柱の陰にまで爆発で吹き飛ばされており、兵士たちは彼の存在を認識していなかった。
そして、さらに都合が良いことにヘルマンのすぐ近く、僅か三メートルほど先には小銃を持ったまま息絶えている警備兵の死体が転がっていたのだ。
「……やめとけ、ヘルマン。柄にもないことをやると、ロクなことにならんぜ」
彼は柱の陰で独り言を呟く。
レビル将軍を取り囲む連邦軍の兵士は五名。
例え警備兵の死体から小銃をとって奇襲を仕掛けても、果たして仕留めきれるかどうか。
あまりにも危険で、分の悪い賭けだった。
それならばここは死んだふりでもしてやり過ごし、危機が去ってからベルクに連絡する方が、後手に回ることになるもののヘルマンにとっては安全だ。
しかし、彼にはある確信に近い予感があった。
もしここでレビル将軍を見逃せば、この戦争は間違いなく長期化するだろう、と。
地球圏ではもっと大勢の人間が長引く戦争のなかで死に、長期戦ともなれば国力で連邦に劣るジオンは一年ほど持てばいいほうだ。
ヘルマンは国家としてのジオン公国などに、何らの思い入れもなかった。負けて解体されることになろうと、彼にとっては知ったことではない。
ただ。
このサイド3に住まう人々や、ベルク・ファラウェイをはじめとする戦友たちにまで被害が及ぶとなれば、話は別だ。
戦争が長期化した挙句にジオンが負ければ、こういった人々が無事でいられる可能性も低くなる。
いま、ヘルマンがいるエントランスホールのような破滅的な光景が、コロニーの至る所で再現されるのだ。
────宇宙で暮らしたこともない人間に、スペースノイドの暮らしが支配されているのはおかしいと思ったから、僕はこの戦争に参加したんです。
ベルクの声と琥珀色の瞳が、ヘルマンの脳裏をよぎった。
「……戦争の終わり方を決められるのは、勝者だけ。自分の言ったことくらいは、責任を持たないとな」
まったく、らしくないことをする。
ヘルマンはそう思いながら自嘲気味に笑ったあと。
意を決して柱の陰から飛び出し、前方に転がりながら素早く小銃を拾った。
そこから、立てた左膝の上に小銃を保持する左肘を載せて銃を構え、ヘルマンは小銃の
タタタッという短い発砲音がエントランスホールに二度響き、レビル将軍の後方を歩いていた連邦軍兵士がその場に倒れる。
「敵襲ッ!」
残り四名となった連邦軍の兵士たちが、ヘルマンに気づいた。
しかし応射されるよりも先にヘルマンはもう一度小銃を発砲し、もう一人の兵士を射殺する。
そこから彼はまた横に転がり、連邦軍兵士が射撃を加えるよりも早く柱の陰へと戻った。
「急げ! 制圧射撃を行いつつ、将軍を速やかに外へ!」
味方が二名やられてもなお、連邦軍兵士たちは何ら取り乱すことなくエントランスホールから撤退しようとする。
「……流石に、敵地のど真ん中まで潜入してくる部隊は練度が違うか」
雨あられのように銃弾を浴びる柱の陰で、ヘルマンは小銃から
残弾数は二十発程度だと視認し、弾倉を再装填。
ヘルマンが大きく息を吸い込み、吐き出す。
次の瞬間、連邦軍の制圧射撃が止み、周囲が不気味なほどの静寂に包まれた。
柱の左側から上半身を出し、小銃を構えるヘルマン。
その視界に、エントランスホールの正面入口から外に出ようとする敵部隊の姿が映った。
「逃がすかよ!」
フルオートではなく単発で三度射撃を加えて、十メートルほど距離が離れていた兵士一名の胴体に命中させる。
敵は残すところ、二名。
決着をつけるべく、ヘルマンは小銃を構えて単発での射撃を行いながら前進。
レビル将軍を庇うように立っていたことが災いし、さらに一人の兵士が倒れ伏したことで、残りは一名。
鬼気迫るヘルマンの表情に思わずレビル将軍がたじろぎ、将軍を守るように最後の一名がヘルマンの前に立つ。
そして一秒にも満たない、空白の時間のあと。
一発の銃声が鳴り響き、エントランスホールで立っているのはヘルマンとレビル将軍だけとなった。
ヘルマンは息を荒げながらも、構えたままだった小銃の銃口をゆっくりと下ろし、将軍に話しかける。
「すいませんね、レビル将軍。あなたをここで逃がすわけには……」
そう言いながら、ヘルマンがレビル将軍に近づこうとしたとき。
三度、拳銃の乾いた銃声。
それから、ヘルマンの身体から力が抜けていき、どうにか小銃を保持しようとするも再び二発の拳銃弾を撃ち込まれ、小銃をその場に落としてよろけながら近くの柱にもたれかかる。
「……大したものだ。将軍を迎えようと、イフリート・レーヴェを降りて正解だったな」
正面入口から聞こえてきた声の主は、右手で拳銃を構えたクラウス・パックであった。
吐血し、息も絶え絶えという様子のヘルマンは、正面入口から歩いてきたクラウスの方を見る。
「なる、ほど……。連邦軍の軍人らしい、真面目そうなツラだ。オレも、詰めが甘い……」
「ジオン軍人というには、些か気の抜けた面構えだ。しかし、将軍を撃たなかったことに関しては礼を言おう」
「ハッ……。レビル将軍を、殺しても、早期講和の道は絶たれる。それぐらいは、分かるさ……」
再び血を吐くヘルマンに、クラウスは拳銃を向けた。
「最期に、お前たちのお決まりの台詞は言わないのか?
「……バカ言え。死ぬ前に、あんな薄ら寒い台詞、吐けるかよ」
「ほう? なら、貴様は何と言って死ぬつもりだ」
拳銃の引き金に人差し指をかけながら、クラウスが尋ねる。
ヘルマンは自らを見下ろすクラウスの目を見据え、不敵に笑いながら言った。
「オレの部下が、必ずお前を止める。せいぜい、覚悟しとけ」
「なるほど、注意しよう。だが、この戦争は連邦が勝つ」
死ぬ者の目ではない。
そう思いながら、クラウスは拳銃の引き金を引こうとした。
しかし、弾は出ない。
二度、三度と引き金を引こうとも、拳銃はまるで役目を終えたかのように発砲できなかった。
クラウスは笑い、弾倉を引き抜いて薬室から不発弾を排出した拳銃を投げ捨てる。
「……貴様は運がいい。寿命が数分伸びたぞ」
「そりゃあ、どう、も────」
対するヘルマンはそう言い終わるとがくりと項垂れ、まったく動かなくなった。
気を失ったかとクラウスは思いつつ、レビル将軍のもとに近づく。
「それでは将軍、これより我々はこのズム・シティを脱出します。コロニーの整備艇に偽装した小型船を、浄水場付近のメンテナンス区画から繋がる場所に待機させていますので、そちらでひとまずは月面まで」
周囲を警戒しながら、レビル将軍と共に正面入口から出ていくクラウス。
気絶したフリをしているヘルマンがその会話を聞いていることに、彼は最後まで気づかなかった。