カム・オビシンドの水筋   作:福長

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見切り発車。
戦犯ちゃんのご両親のラブ(じゃない)コメ(でもない)です。


胸突き斜坂

 とある村落の若者たちが、正規国籍を持たない異民族数名を匿い、夜な夜な村の外で何やら談合をしているという。オビシンド内政の不安定化を招きかねないとの憂いを連ねた書簡が、件の村落の敬虔なる兵衛から山影府さんえいふ*1に宛てられた。

 山の影に限りはなく、総導そうどう*2に仇なしかねない報告とあらば山影やまかげの衛まもり*3はどんな要件であろうと調査に出向き、その労を惜しまない。

 

「面倒な……」

 

 夜のように暗い夕刻の森。鬱蒼と生い茂る木々。その樹冠を伝って寄り集まり大粒になって零れ落ちてくる雨粒。それを長時間受け続けては、平原一の職人がシヤック*4の毛を二年かけて密に織り込んだ外套ですら、弾ききれなかった水を吸って鉛のように重くなってくる。山影の証であり素性を隠す仮面は豺やまいぬを模しており、その突出した耳部分のデザインは雨笠を被るにあたって、邪魔なことこの上なかった。

 

「いっそ外してしまおうか」

 

 できもしないことを実際に仮面に指をかけながら呟いてしまうくらいには、この衛士は自棄になっていた。そも、山影には任務中、声を出すことすらも禁じられている。人気のない木々の狭間でボソボソと愚痴を吐くのも、衛士にとっては初めてのことであった。

 そうしていると、人目を避けるためあえて獣ですら通らないような悪路を選んで進む衛士の視界が、徐々に開けてきた。山に人の手が入り、道も踏み固められているようだ。確か、件の村落を新たな移動拠点、宿場町として発展させるべく、風化しかけの補給路を整備している最中、とのことであったか。恐らくそこに行き当たったということで間違いないだろう。となると、先行した山影の報告と総合すれば、ここから尾根側に進むと件の集団の談合場、古い木こり小屋があるということだ。

 重木坂かさねぎざか。挑む者の心臓を砕くという言説がしばしばなされる、オビシンドではそう珍しくもない難所の一つである。衛士は少しため息を吐くと、そびえ立つようなそれを直登し始めた。

 

△▼△▼△▼△

 

 偵察と調査は恙無く完了した。

 集団とその談合場の実在は山影の衛二名以上で確認できた。その構成員の名と顔から素性を照合しても、取り立てて優秀な成績を残した訓練生なども特にいなかった。今日は一先ず上の指示を仰ぐため引き返すことになるが、いずれにしろ彼らは殺すことになるだろう。彼らの会話の内容などは関係ない。山影が動いたという事実を残すことが肝心要であると判断されるからだ。

 高台から、先程登ってきた斜面をそのまま下りながら、辺りを見下ろす。雨音がこれでもかと響き渡っているはずの森になぜか、静かだ、という感想を抱いた。その理由は衛士には分からなかった。

 そうしていると、衛士は視界の端に、ちらと動く影を見つけた。坂下にいる相手もこちらを認めたのか、少し迷うような間を置いてから「おい」と呼びかけてきた。やはり、この大雨の最中にあって声がやけに通る。静かな森だ。呼びかけられたからには用があるのだろう。衛士は彼を待つことにした。

 遠目にも随分と体格に恵まれた大男だと分かる。年齢的にもあの集団の関係者だとは考えづらい。こちらの山影の仮面を見てなお声をかけてくるということは、彼が書簡の主たる兵衛だろうか。それにしても、なぜこんな所に。

 考えているうち、大男はあっという間に衛士の下までたどり着いた。近くで見るとさらにでかい。衛士の二回りは上をいくだろうか。感心していると、彼は前置きもなく、開口一番。

 

「じきに地が鳴る。ここは退くぞ」

「……」

 

 どこに向けてるかも分からない方向に指を指し、そう告げた。

 衛士は閉口した。それは山影としての戒めとか以前に、彼の言ったことの要領が全く掴めなかったからだ。

 地が鳴るという表現は一般的には地震の際に起こる衝撃音を指すが、オビシンドにおいてはそれとは別の災いを意味することもある。地すべり、崖崩れ、山崩れ──要は、山肌の崩壊だ。

 しかし衛士は、この斜面が安定しているとの報告を受けていたし、実際に登りながら自分もそう感じていた。むしろ今となっては、静かすぎるとすら。だから衛士には、の言うことが妄言や虚言の類いにしか聞こえなかった。

 

「説明している暇は無い。いつ崩壊が始まっても不思議はない」

 

 不思議しかないのだが。そう言いたい気持ちは山々であるが、今度はきちんと山影としての自覚から、その言葉を飲み込んだ。

 その時。

 

「走れ!」

 

 声の意味を考える間もなく、衛士の視界は斜め下にずれ込んだ。遅れて、ゴゴゴゴ、と異様な音が衛士を包む。正しく、地が鳴いているかのようだった。山肌が、衛士を飲み込もうとしていた。

 完全に足をとられている。そんな絶体絶命の状況にありながら、衛士は冷静であった。どのくらいの規模の災害になるかは定かでないが、自分の遺体が見つかるのにはかなりの時間がかかるだろう。他の影たちへ死亡を知らせるため、山影の仮面だけでも目のつく所に避難させられないだろうか。

 そして遠ざかる大男が目に入った。彼の予言は当たった。少なくとも、山影の衛として特殊な訓練を受けた己よりも山に詳しいと見える。場所もいい。彼なら巻き込まれずに生きて帰れるやもしれない。せっかくで申し訳ないが、彼にも死んでもらおう。

 山影は、その素性を知っても知られても、その全てが口封じのために殺される。だからこれは、死刑宣告にも近い。が正味、こんなもの、受け取らずにトンズラしてしまえばどうとでもなる。なる、が……。衛士はなぜか、この男はそうしないような気がした。山影らしからぬ、実に非合理な思考に気づいて、ひとり自嘲した。

 そして仮面の紐を緩め、鷹揚に尋ねる。

 

「仮面、預かってもらっても?」

「チッ」

 

 すると男は何を血迷ったか、彼の方まで崩壊が及びつつある急峻な足場を全力で踏み込み、衛士が流されていく下方へと滑るようにして高速で駆け下りてきた。そして巨木の根元にぶつかるようにして掴まって止まり、衛士へと先回る形で手を差し伸べた。

 

「そこまでしてくれなくとも、投げ渡したものを」

「違う。お前だ。馬鹿か」

「……あ! そっか!」

 

 本当に馬鹿だ。その可能性を完全に排除して、状況の変化に着いて行けてなかった。

 どうせ死ぬにしても、生きられるのであれば今はなるべく生きられそうな方を選んだ方がいい。その後ゆっくり声を聞かれたこの男を消せば、或いは誰にも聞かれなかったことにもなろう。

 衛士の体勢は既に崩れかけだ。むしろよくこれまで直立に近い形を保てていたものだ。しかしおかげで、辛うじてその手を取り返すくらいはできそうだった。

 

「捕まれ!」

「ああ!」

 

 雨で滑る互いの手を離さぬよう、手首同士を固く結び合う。

 

「ぐっ!」

「うべぇえ」

 

 急斜面による滑落速度に、人間一人の質量と、それを捉えて離さず押し流そうとする土塊の圧力。想像以上の衝撃が両者の腕に走り、互いに苦悶の声を漏らす。身体を引き伸ばされるような痛みに徐々に手が滑り、やがて後が無くなった二人は無意識に指と指を絡ませて少しでも摩擦を高めようとする。

 それすらも引き剥がさんとする自然の猛威にしかし間一髪、衛士の足は土塊の奔流から解き放たれた。

 

「抜、けた!」

「引くぞ!」

 

 火事場の馬鹿力というのはこういうことを言うのだろうな。衛士はそんなことをぼんやりと考えながら、どこから湧いてきたかも知れぬ力を振り絞って男に応える。

 そして地の鳴き声が徐々に遠ざかってきた頃。男が最初に掴まった時より幾分も傾いた巨木の枝の上、二人は抱き合うような形で互いを労い合っていた。

 

「ああ痛いな。ありがとう、助かったよ」

「……よく耐えた」

 

 呼吸を整えながら、いつまでも命の恩人に覆いかぶさっているのもどうかと、まだ気怠い身体を起こそうとした、その時。

 

「あ。」

「……」

 

 カラン、と小枝にぶつかるいい音を立てながら、仮面がキャストオフ。それは中途半端に解いていたため完全には外れきらず片耳に紐がかかったまま、しかしその相貌をしっかりと男の目の前に晒す運びとなった。

 

「あは。ははははは!」

 

 緊張が解け切り、仮面の紐も解けた、とでも? やかましすぎる。あと、せっかく仮面を外さずに済ませてくれたはずの男に、一瞬で素顔を晒すはめになっている。やはり、馬鹿すぎる。

 いけない。何か分からないが面白すぎた。

 

「……何を笑っている」

「いいや! いいや! 何でも!」

「……少し休め。先程から心拍が全く落ち着いてない」

「あははは!」

「……」

 

 男の指摘にまた笑って、その笑い声にあからさまにうるさそうな顔をする男を見てさらに笑った。

 

「それは当然だ! 君はここ、重木坂の別の呼び名を?」

「…………。胸突き斜坂はすざか」

「あははははは!!」

 

 何でもよくご存知で。そう言うことも出来ずに、呼吸も忘れそうなほどにゲラゲラと笑った。

 

「はー、笑った。私はアクイーファ。君は?」

「山影だろう」

「今更。で、君は?」

 

 衛士──アクイーファは、開き直ってそう名乗った。彼女は非難のようにも聞こえる男の言葉を軽く流し、しつこく彼の名を聞いた。

 

「……フロッド」

「フロッド。よろしく」

 

 絶対に殺さなければな。

 よろしく頼んだ舌の根も乾かぬうちに、アクイーファはそう考えてまた笑うのであった。

 

 

 

 

 

*1:
総導直属親衛官司。

*2:
エン・オビシンド最高権威者。

*3:
山影府所属衛士。またはその隊。

*4:
家畜化した高地適応型偶蹄目動物。オビシンド諸方固有種。





気が向いたらまた更新していきたい(願望)
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