だから、俺が代わりに甲子園優勝を目指す。
兄さんが死んだ、自殺だった。
あんなに野球が好きだった兄さんが野球に殺された。
『10年に一度の天才』、それが兄さんにつけられた称号だった。高校3年間で通算113本のホームラン。圧倒的、まさに怪物だった。
当たり前のように甲子園にでて優勝すると思っていた……。
だが、違った。兄さんは負けた、大阪代表の誠真学園の1年生エース、サイトウ コウキに敗れた。
2死2・3塁、最後の打席、兄さんは空振り三振で倒れた。響いたのは相手の応援スタンドからの歓声だった。兄さんが打てば勝てたかもしれなかった。
その責任に追い込まれ兄さんは自殺した。去年の11月だった。いずれプロに行き、活躍することを約束された将来が潰された。
母さんは泣いていた。俺は泣けなかった、あんな野球を楽しんでいた兄さんが死ぬなんて納得がいかなかった。
「母さん、俺。甲子園行くよ。絶対に優勝するから」
俺は誓った、兄さんの無念を晴らすには俺が甲子園に出て優勝する。それしかないと思った。
だから、俺は今、打席に立っている。目の前には兄さんを討ち取った男が立っている。
サイトウ コウキ、『100年に一度の天才』
高校球界を激震に陥れたピッチャー。1年でありながら大阪の超強豪校『誠信学園』のエース。去年の甲子園では決勝でノーヒットノーランを達成した正真正銘の天才。最高球速160km/hのストレート、落差50センチのフォークボール。甲子園史上、ここまでのピッチャーはいないだろう。
そして、俺の兄さんが死ぬ原因を作った張本人。
俺はこいつを倒すために今日この日まで練習してきた。毎日、バッドを振るった。血豆ができてそれが潰れても、雨が降り注いだとしても毎日だ。全てはこの男から打ち崩し、野球で勝つため。血の滲むような努力の末、俺は1年にして3番サードの座を勝ちとった。
夏の甲子園2回戦、誠信学園(大阪代表) 対 八王峰高校(西東京代表)。
1球目は外角から内角へ鋭く突き刺さるスライダー。ボールだと思って見逃す、しかし、白球はわずかにストライクゾーンに触れていた。
「ストライク! 」
日射が照らすグラウンドに球審の声が響く。電光掲示板には黄色の丸が灯った。
「ファール! 」
2球目はアウトコース高めのストレートを振り抜く。バッドに当たった打球は三塁線ギリギリのファール。
断言する、高校野球でここまでの投球ができる男はいないだろう。
だが打つ、そのために俺はここに立っている。
3球目、ど真ん中へのストレート、バッドを全力で振り抜く。打てる、そう思った瞬間だった。
バッドを目の前にして白球が落下した、ほぼ垂直にだ。
確殺のフォークボール、サイトウの必殺の一撃。1打席目は俺は見事に仕留められた。
次の回、誠信学園の攻撃。7番までが得点王級の打者たちからつけられた七戦神打線が火を吹いた。1回裏にして4得点。その後のベンチのムードはまさに絶望の2文字が相応しい様子だった。
「お前らなに落ち込んだ! まだ1回だぞ! 」
大きな声がベンチに響く。その声はキャプテンのイシイさんだった。去年、誠信に敗れたときショートを守っていた男だ。
「勝つためにここにいるんだろ! そのためにここに来たんだろ! 」
その声を聞いた仲間たちは声を上げる。それは強敵に立ち向かう戦士の雄叫びだった。そうだ、まだ1回だ。
2回表の攻撃、先頭打者がライト前ヒットでの出塁、次打者の送りバント、1死2塁。6番打者が1塁線スレスレのヒットを打った、長打コース、2塁ランナーは生還。1点を返した。
またも1死2塁、つづく7番打者は粘ってフォアボール。しかし、8番、9番と三振で倒れてその回は終わった。だが、流れはこちらへと確実に傾いている。
2回裏は自陣のピッチャーが調子を取り戻し三者凡退の好投を見せた。
3回表、先頭打者が三振で倒れるも、次打者が綺麗にセンターへとヒットを打った。
1死1塁、そして、回ってきたのは3番打者、俺だ。監督からのサインを見る。
指示はヒットエンドラン、俺は天を仰いで深呼吸をする。変に力を入れれば打てなくなる。リラックスしろ。
打席に入る。
大きく振るな。できるだけコンパクトに、最短コースで振るんだ。
勝負の1球目、インハイへのストレート。
上から切り裂くようにバッドを振り抜く。金属バットの鈍い音が響く。打球は3塁線を貫く一打になった。俺は走る、全力だ。
1塁ランナーは帰還、俺は3塁へ到達した。
サードベースを踏みながら雄叫びを上げる。サイトウから俺はヒットを打った。それだけだ、それだけなのに心が躍る。
4番バッターは外野へのフライを打ち上げる。それが犠牲フライとなり俺はホームへ生還。
3回表、点差は3−4に縮まった。
つづく3回裏、またしても自陣のピッチャーが鮮やかな投球で敵クリーンナップを三者凡退で抑える、スタンドからは歓声が上がった。
だが、その流れも4回表で変わる。
三者連続三振、サイトウはさっきと別人のような投球で打ち取った。鬼神のような投球だった。もう絶対に打たせないという明確な意思が表れていた。
4回裏、こちらの1死2・3塁のピンチに陥りながらもスクイズの阻止に成功し、失点せずに回を終えた。
5回表も三者連続三振だった。サイトウの圧倒的な投球はまたしてもベンチを絶望に陥れた。
5回裏、相手打線が火を吹く、今大会2号目となるホームランが飛び出した。打球はレフトスタンドへと吸い込まれていった。それに続き連続ヒットでこの回4失点。スコアは3−8。
ベンチは沈黙に包まれていた。
「俺が絶対に出塁します! だから、絶対に繋いでください! 」
俺は勝手にそう言った。その言葉がベンチの影に日を射した。
「後輩が諦めてないのになんで俺たちが諦めようとしてんだよ! 」
イシイさんの言葉で沈黙は終わった。それぞれが前を向いた、全ては勝つために。
6回表、先頭打者は俺だ。絶対に出塁してやる。どんな球が来ても絶対に打ち返す。
「ストライク! 」
2球目は流麗な線を描くカーブ。バットを避けるようにキャッチャーミットにボールが吸い込まれた。
2球目は鋭く突き刺すように曲がるスライダー、しかし、バットは白球を捉えた。打球は1・2塁間を抜くライト前ヒット。有言実行、俺は出塁した。ファーストベースの上で俺はベンチに向かってガッツポーズをした。
監督からのサインは盗塁、サイトウがクイックで投げた瞬間、俺は全力で2塁へ向かう。
スライディング、コンマ数秒でセーフだった。
無死2塁、絶好のチャンスでバッターは4番。
4番の豪快なスイングは白球を弾く、白球はフェンス直撃の特大ヒット。俺は余裕でホームに生還する。
その後も6番打者のスクイズで1点を返した。スコアは5−8。
しかし、ここからどちらも無得点のまま回が流れる。
そして、9回表、スコアは5−8。この回で逆転できなければ負けだ。
だが、ベンチで諦めている者は1人としていなかった。逆転して、その先にあるものを、『勝利』の2文字を掴む。そのためにここにいる。
しかし、現実は非情だった。2者連続三振、一気にツーアウトに追い込まれる。
やはり勝てないのか……? そう諦めていたときだった。イシイさんが出塁した。執念のバッティングだった。ギリギリまでファールを打って粘り、投球が甘くなったのを狙って打ったのだ。
続く打者もヒット、ヒット。三者連続ヒット、2人がホームに生還。点差は1に縮まる。俺たちの夏はまだ終わってなかった。
2死2・3塁で俺に打順が回ってきた。1打逆転、絶好のチャンスだ。
俺は空気を深く吸い込み打席に入る。絶対に打つ、打って見せる。
1球目、内角へ食い込むスライダーを空振り。
「ストライク! 」
電光掲示板に黄色の丸が灯る。
2球目、真ん中高め、釣り球だ、見逃す。
「ボール! 」
続く3球目、外角低めのストレート、金属の鈍い音が響く。
「ファール! 」
カウント、ワンボール、ツーストライク。
俺は18..44メートル越しでサイトウの顔を見る。サイトウの顔は闘志でみなぎっていた。そのとき、次の球がなにが来るか確信した。
4球目はど真ん中のストレート。俺はバッドを振り抜く。
「ストライク! バッターアウト! 」
バットは
その瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。スコアボードには155km/hの文字、甲子園歴代球速トップタイ。
結局俺は兄さんの無念を晴らせなかった、負けた。涙が溢れ出す、呼吸が浅くなった。
試合が終わるとイシイさんが俺に声をかけてきた。イシイさんの目は泣いていたのか赤く腫れ上がっていた、それは俺も同じだった。
「先輩ともう……、野球できなくて……俺」
目からこぼれ落ちる涙を必死に拭う。イシイさんが俺の背中を叩いた。
「お前はまだ2年ある! 絶対に、絶対に優勝してくれ! 」
18.44メートル、その先にサイトウが立っていた。そして、打席には俺がいる。
今日、サイトウに勝つために俺はここに立っている。