エリア11の空は、その日、皮肉なまでに青く、一点の曇りもなかった。だが、その完璧な蒼穹の下で繰り広げられようとしている祝祭は、この地の未来を、そして数多の魂を、血と絶望の深紅に染め上げる可能性を秘めていた。神聖ブリタニア帝国第三皇女、ユーフェミア・リ・ブリタニアによる「行政特区日本」設立宣言式典。それは、あまりにも純粋で、そしてあまりにも脆い理想を掲げた壮大な社会実験の始まりであると同時に、原作知識を持つレオンハルト・ジークフリート・アイゼンにとっては、悪夢が現実の爪を研ぐ、運命の断頭台であった。
ユーフェミアの構想は、姉コーネリアや帝国内の保守強硬派からの猛烈な反対に直面した。だが、彼女の意志は、ダイヤモンドのように硬かった。エリア11で目の当たりにした差別の現実、そこに生きる人々の苦しみを真摯に受け止め、武力による支配だけでは真の平和は訪れないと確信していたのだ。彼女の揺るぎない信念、騎士スザクの献身的な支え、そしてレオンハルトやモニカといった側近たちの(表向き、あるいは水面下での)力強い後押しを受け、ついにこの発表へと漕ぎ着けたのだった。
その発表は、エリア11に巨大な衝撃と複雑な動揺をもたらした。一部のナンバーズは「日本」の名と自治権の回復に希望の光を見出し、多くはブリタニアの新たな欺瞞ではないかと疑心暗鬼に陥った。エリア11全体が、期待と不安、疑念が入り混じった、一触即発の空気に包まれていた。
式典会場は、雄大な富士を望む広大な敷地に特設された巨大なスタジアム。数万人の参加者が見込まれ、その中には日本各地から集まったイレヴン、ブリタニアの要人、各国の報道陣が含まれていた。ユーフェミアは、この場所で、新しい日本の未来を高らかに宣言しようとしていた。
一方、仮面の男ゼロことルルーシュ・ランペルージは、この動きを自らの計画にとって最大の障害であり、同時にまたとない好機と捉えていた。ユーフェミアの理想は、彼が目指すブリタニア打倒の大義を揺るがしかねない。だが、この式典が「悲劇的な結末」を迎えれば、それはブリタニアの偽善と非道さを全世界に知らしめ、黒の騎士団の正当性を絶対的なものとする絶好の機会となる。彼は、この式典を利用し、ブリタニアの欺瞞を暴くための、恐るべき、そして冷酷な策略を巡らせていた。
レオンハルトは、この式典が、ユーフェミアの血塗られた悲劇の舞台となることを、誰よりも深く、痛切に理解していた。彼の脳裏には、ギアスによって操られ、日本人虐殺を命じるユーフェミアの苦悶の表情と、その結果引き起こされる阿鼻叫喚の地獄絵図が、何度も繰り返し再生されていた。彼は、その悪夢を現実とさせないため、考えうる全ての準備を整えてきた。改良型ギアスキャンセラーは、『ジークフリード・レジーナ』のシステムと完全に統合され、彼の意思一つで、コンマ一秒の遅れもなく起動できる。彼が極秘裏に編成した「影の騎士団」もまた、会場内外のあらゆる場所に配置され、いかなる不測の事態にも対応できるよう、神経を研ぎ澄ませていた。彼の目的はただ一つ、ユーフェミア・リ・ブリタニアの命と、彼女の高潔な名誉を守り抜き、あの忌まわしい虐殺を絶対に阻止すること。その決意は、彼の蒼い瞳の奥で、鋼のように硬く、静かに燃え続けていた。
ナイトオブトゥエルブ、モニカ・クルシェフスキーもまた、レオンハルトのただならぬ覚悟を感じ取り、彼と連携してユーフェミアを守るという固い決意を胸に、警護任務に就いていた。彼女の愛機『ディアナ・フェンサー』は、『ジークフリード・レジーナ』と共に、スタジアム上空の目立たない位置で、万が一の事態に備えていた。二人の騎士は、言葉を交わさずとも、互いの使命と覚悟を理解し合っていた。
そして、ユーフェミアの騎士となった枢木スザクは、彼女の理想が実現することを心から願い、その傍らで純白のナイトメアフレーム『ランスロット』と共に、一点の曇りもない忠誠心をもって警護の任に当たっていた。彼にとって、ユーフェミアの笑顔こそが、守るべき正義そのものだった。
式典は、厳粛な雰囲気の中、滞りなく進行していくように見えた。ユーフェミアは、希望に満ちた表情で、行政特区日本の理念を、力強く、そして優しく語りかけていた。その言葉は多くの参加者の心を打ち、会場は感動と期待の拍手に包まれた。
レオンハルトは、指揮ブースで、その光景を息を詰めて見守っていた。彼は知っていた。この美しい夢が、いつ、どのような形で悪夢へと変わるのかを。
(頼む…このまま、何も起こらないでくれ…!)
彼の祈りは、しかし、無情な運命の歯車によって、打ち砕かれようとしていた。
**式典が一時中断され、ユーフェミアは舞台裏の控室で、一人の人物と密かに会談していた。それは、彼女が「ぜひ直接お話ししたい」と強く願っていた、黒の騎士団の指導者、ゼロことルルーシュ・ランペルージだった。**ルルーシュは、この会談を、ユーフェミアの真意を探り、あわよくば彼女を利用するための絶好の機会と捉え、極秘裏にその申し出を受けていたのだ。レオンハルトも、この密会の情報を掴んでいた。原作通り、全てが進んでいる。彼の全身に、嫌な汗が滲む。
密室で二人きりになったルルーシュとユーフェミア。ユーフェミアは、行政特区日本の成功のために、ゼロの協力を心から求めた。そのあまりにも純粋で、穢れを知らない言葉と眼差しに、ルルーシュの心の奥底にあった、かつての優しい記憶や、妹ナナリーへの想いが呼び覚まされ、彼の心は激しく揺れ動いた。彼は、ユーフェミアの理想が、かつて自分が抱いていた「誰もが笑って暮らせる優しい世界」と、どこか重なる部分があることを感じ、一瞬、彼女と手を取り合い、共に新しい未来を築くという、ありえないはずの未来を夢想したかもしれない。
しかし、運命の女神は、彼らに微笑むことはなかった。会話の中で、ふとした気の緩み、あるいは長時間のギアス使用による精神的な疲弊からか、ルルーシュの左目に、紅いギアスの紋様が不吉に、そして抗いようもなく浮かび上がったのだ。それは、彼自身にもはや制御できない、ギアス能力の暴走の明確な兆候だった。それに全く気づかないまま、彼は、ユーフェミアのあまりの純粋さと、ある意味での頑なさに、半ば呆れ、そしてほんの出来心から、悪意のない、しかし致命的な冗談を口にしてしまった。
「分かったよ、ユーフェミア。君の理想は本当に素晴らしい。だが、もし君が本気で俺に協力を求めるというのなら…例えば、そこにいる日本人を、そうだな、『皆殺しにしろ』とでも命じれば、俺は喜んで君の騎士として従うがね」
それは、彼の本心からの言葉では決してなかった。ただの、皮肉と自嘲が入り混じった、最悪のタイミングでの、最悪の冗談だった。しかし、暴走したギアスは、その言葉を、ユーフェミアの意思とは無関係に、絶対遵守の命令として、彼女の清らかな魂の奥深くに、冷たく、そして深く刻み込んでしまったのだ。
ユーフェミアの表情が、一瞬にして凍りついた。彼女の大きな、慈愛に満ちた瞳から、急速に生気が失われていく。何か恐ろしいものに魂を奪われたかのように、彼女の顔はみるみるうちに蒼白になり、その美しい唇は言葉にならない恐怖に微かに震えていた。
ルルーシュは、そのユーフェミアの異変に気づいた時には、もう全てが手遅れだった。彼の脳裏に、かつてマオに指摘されたギアス暴走の危険性が、絶望的な現実となって突きつけられた。
レオンハルトは、指揮ブースで、ユーフェミアとゼロの密会が終わるのを、息詰まるような緊張感の中で待ち続けていた。彼のAI「オーディン・アイ・ネクスト」は、控室周辺の微弱なエネルギー変動や音声パターンを解析し続けていたが、ギアスの発動そのものを外部から直接検知することは不可能だった。しかし、彼の胸騒ぎは、刻一刻と強まっていた。
(頼む…何も起こらないでくれ…! ルルーシュ、お前のギアスが、どうか、どうかこの最悪のタイミングで暴走しないでくれ…!)
彼の祈りは、しかし、無情にも打ち砕かれることになる。
やがて、会談を終えたユーフェミアが、再び式典会場の壇上へと、どこか覚束ない足取りで姿を現した。しかし、その表情は、先ほどまでの希望に満ちた輝きを完全に失い、どこか虚ろで、まるで精巧に作られた人形のようだった。会場の参加者たちは、彼女のその異様なまでの変わりように、何か不吉な、そして恐ろしい予感を覚え始めていた。スタジアム全体が、水を打ったような、不安な静寂に包まれる。
そして、ユーフェミアは、ゆっくりとマイクの前に立ち、その場にいる全ての者の耳を疑うような、信じられない言葉を発した。
「日本人の皆さん……死んでいただけますか?」
その言葉は、静かだったが、スタジアム全体を瞬時に凍りつかせるほどの、恐るべき、そして絶望的な響きを持っていた。会場は、一瞬の完全な静寂の後、理解できない出来事への恐怖と怒号、そして悲鳴が入り混じった、大混乱の渦へと叩き込まれた。
ユーフェミアは、しかし、その混乱を意に介する様子もなく、さらに言葉を続ける。その声は、一切の感情の起伏を感じさせない、まるでプログラムされた機械のようだった。
「ブリタニアに逆らう日本人は、一人残らず殺しなさい。それが、私の命令です。さあ、皆さん、喜んで死んでください!」
そして、彼女は、傍らに警護のために控えていたブリタニア兵から、何の躊躇もなく、そして驚くほどの力で拳銃を奪い取ると、その冷たい銃口を、ステージの最も近くにいた、行政特区日本への参加を表明し、希望に満ちた表情で彼女を見上げていたイレヴンの代表者たちへと、ゆっくりと向けた。
(来たッ……!!! 最悪の、最悪の事態だ!!!)
レオンハルトは、その光景を指揮ブースのモニター越しに見て、全身の血が逆流し、心臓が凍りつくような衝撃と、底知れぬ絶望感に襲われた。原作通りの、いや、原作で文字として知る以上に恐ろしく、そして悲劇的な光景が、今まさに目の前で、現実のものとして起ころうとしていた。
「全軍、最大警戒態勢! 副総督殿下のご身柄を、何としてでも確保せよ! 何があっても、殿下に発砲させるな! そして…『シールド・オブ・ヴァルハラ』、強制起動ッ!!! 目標、ユーフェミア・リ・ブリタニア殿下!!!」
彼の絶叫が、指揮ブース内に木霊した。その声は、怒りと、悲しみと、そしてユーフェミアを救いたいという、最後の、しかしあまりにも脆い希望を乗せて、『ジークフリード・レジーナ』のコックピットシステムと直結したギアスキャンセラーへと、緊急シグナルとして伝達された。
ユーフェミアに向けて、不可視の、しかしギアスという呪縛を断ち切るための、最後の希望のエネルギー波が照射される。
同時に、スタジアム上空に待機していた『ジークフリード・レジーナ』と『ディアナ・フェンサー』が、猛禽が獲物を狩るかのような凄まじい速さで、ユーフェミアの元へと急降下を開始する。モニカもまた、レオンハルトのただならぬ様子の緊急通信と、会場の常軌を逸した異常事態を即座に理解し、迷いなく行動を開始したのだ。スザクもまた、ユーフェミアの信じられない豹変に愕然としながらも、彼女を止めようと、そして守ろうと、ランスロットで必死に駆けつけようとしていた。
果たして、レオンハルトのギアスキャンセラーは、ユーフェミアを恐るべきギアスの呪縛から解き放つことができるのか。そして、この絶望的な状況を、彼は、彼らは、打開し、悲劇の連鎖を断ち切ることができるのだろうか。
白日夢は悪夢へと変わり、血塗られた悲劇の刻は、無情にも、そして容赦なく、その秒針を進めていた。エリア11の運命は、今、一人の皇女と、彼女を救おうとする騎士たちの手に委ねられようとしていた。