富士の樹海の奥深く、ブリタニアの喧騒から隔絶された古い山荘は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。だが、その静けさとは裏腹に、そこに身を潜める三つの魂は、先の式典会場での地獄絵図と、それに続く血染めの逃避行の記憶によって、激しく揺さぶられ続けていた。ユーフェミア・リ・ブリタニアは、精神的なショックから未だ覚醒せず、悪夢にうなされるように苦しげな寝息を立てていた。彼女の傍らには、ナイトオブトゥエルブ、モニカ・クルシェフスキーが、献身的に付き添い、その額の汗を拭い続けている。そして、レオンハルト・ジークフリート・アイゼンは、山荘の窓から、遠く燃えるトウキョウ租界の空を眺めながら、深い思索と、重い決断の刻が迫っていることを感じていた。
ブラックリベリオン――ゼロ率いる黒の騎士団による全面蜂起は、あの虐殺事件を起爆剤として、エリア11全土を焼き尽くす勢いで拡大していた。ニュースは連日、ブリタニア軍の苦戦と黒の騎士団の進撃を報じている。その情報を見るたびに、レオンハルトの胸は締め付けられるようだった。多くの命が失われ、多くの悲劇が繰り返されている。その元凶の一端を、自分が担ってしまったのではないかという、拭いきれぬ罪悪感。そして、ユーフェミアを完全に守り切れなかったことへの無力感。
数日が過ぎ、ユーフェミアは少しずつ体力を回復し始めたが、その心は依然として深い闇の中にあった。目覚めている間も、彼女はほとんど言葉を発さず、ただ虚ろな瞳で一点を見つめていることが多かった。あの日の記憶が、悪夢となって彼女を苛み続けているのだ。
「わたくしは……取り返しのつかないことをしてしまいました……。多くの人々を…私の言葉で……」
時折、彼女の口から漏れるのは、自責の念と絶望に満ちた言葉ばかりだった。
モニカは、そんな彼女を優しく励まし、寄り添い続けた。「ユーフェミア様、ご自分をあまりお責めにならないでください。あれは、殿下の本心ではなかったはずです。何か、恐ろしい力によって操られていたに違いありません」
しかし、その言葉も、今のユーフェミアには届いていないようだった。
レオンハルトは、そんなユーフェミアの姿と、彼女を心配そうに見守るモニカの表情を見つめながら、ついに意を決した。これ以上、彼女たちに嘘をつき続けることはできない。そして、この状況を打開し、ユーフェミアを真に救うためには、彼女たちが全ての真実を知る必要がある、と。それは、彼にとってあまりにも重い秘密であり、それを打ち明けることは、彼女たちとの関係を根底から覆してしまうかもしれない危険な賭けだった。しかし、彼は、モニカとユーフェミアの強さと、そして彼女たちとの間に育まれた絆を信じることにした。
その夜、山荘の暖炉に静かに火が灯され、パチパチと薪のはぜる音だけが響く中、レオンハルトは、向かい合って座るモニカと、少しだけ顔色の戻ったユーフェミアに、ゆっくりと、そして慎重に言葉を選びながら、自らの最大の秘密を打ち明け始めた。
「モニカ、そしてユーフェミア殿下。今から私が話すことは、にわかには信じ難いことかもしれません。しかし、どうか、最後まで聞いていただきたい。そして、これが私の…偽らざる真実なのだと、理解してほしい」
彼の声は、緊張で微かに震えていた。モニカとユーフェミアは、彼のただならぬ雰囲気に、息を飲んでその言葉を待った。
「私は……この世界に、一度死んで、再び生を受けた人間です。いわゆる…転生者、という存在なのかもしれません」
衝撃的な告白だった。モニカは驚きに目を見開き、ユーフェミアもまた、虚ろだった瞳に一瞬、困惑の色を浮かべた。
「そして、私は、この世界の未来を…ある程度、知っています。それは、私が以前生きていた世界で、『コードギアス』という名の…物語として存在していたからです」
彼は、自分が知る「原作」の出来事――ルルーシュとスザクの因縁、ギアスの存在、黒の騎士団の蜂起、そして、ユーフェミアが行政特区日本で引き起こすはずだった虐殺事件、ゼロレクイエムという悲劇的な結末に至るまで――その全てを、包み隠さず語り始めた。
それは、あまりにも荒唐無稽で、そして残酷な物語だった。
ユーフェミアは、自分が物語の中の登場人物であり、そして悲劇的な運命を辿るはずだったという事実に、言葉を失い、ただ震えていた。モニカもまた、信じられないという表情でレオンハルトを見つめていたが、彼の真剣な眼差しと、これまでの彼の不可解なまでの知識や先見性、そして苦悩の理由が、この告白によって全て繋がっていくのを感じていた。
「そして、ユーフェミア殿下。あの式典でのあなたの行動は、あなたの意思ではありませんでした。それは、ルルーシュ・ランペルージ…ゼロが持つ『ギアス』という、他者の精神を操る絶対的な力によるものです。そして、それは彼の意図したものではなく、ギアス能力の暴走によって、偶然あなたにかかってしまった、悲劇的な事故だったのです」
レオンハルトは、ユーフェミアの虐殺事件の真相を、はっきりと告げた。
その言葉を聞いた瞬間、ユーフェミアの瞳から、再び大粒の涙が溢れ出した。しかし、それは先ほどまでの絶望の色だけではない、僅かな安堵と、そして兄であるルルーシュへの複雑な想いが入り混じった涙だった。
「ルルーシュが……わたくしを……?」
「はい。彼は、あなたを傷つけるつもりなど毛頭なかったはずです。しかし、ギアスという力は、それほどまでに恐ろしく、そして制御不能なものなのです」
レオンハルトは、さらに続けた。
「私が開発を急がせていた『シールド・オブ・ヴァルハラ』…ギアスキャンセラーは、そのギアスを無効化するための装置でした。幸い、あなたの行動そのものは阻止できましたが、一度発せられた言葉の呪いは、残念ながら、あの惨劇を引き起こしてしまいました。私の力が及ばず、本当に申し訳ありませんでした」
彼は、深く頭を下げた。
長い沈黙が、部屋を支配した。暖炉の火だけが、パチパチと音を立てている。
やがて、モニカが口を開いた。その声は、震えていたが、確かな意志が込められていた。
「レオンハルト……あなたは、そんなにも重い秘密を…ずっと一人で抱えていたのですね……。どうして、もっと早く、私たちに話してくれなかったのですか…!」
彼女の瞳には、レオンハルトへの心配と、そして彼を信じきれなかった自分への悔しさが滲んでいた。
「…怖かったんだ。信じてもらえないかもしれない、と。そして、この知識が、君たちを危険に晒すことになるかもしれない、と」
レオンハルトは、正直な気持ちを吐露した。
次に口を開いたのは、ユーフェミアだった。彼女は、涙を拭い、レオンハルトの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、先ほどまでの虚ろさはなく、強い光が宿り始めていた。
「アイゼン少佐…いいえ、レオンハルト様。あなたの言葉、信じます。そして、感謝いたします。あなたは、わたくしを…わたくしの心を、救ってくださいました。そして、わたくしがギアスに操られていたという真実を教えてくださったことで、わたくしは、ようやく前に進むことができます」
彼女の声は、まだ弱々しかったが、その中には確かな決意が感じられた。
「わたくしは、自分の名の下に行われた虐殺の責任から、逃げるつもりはありません。しかし、いつか必ず、真実を明らかにしたい。そして、ルルーシュが、ギアスという苦しみから解放される日が来ることを、心から願っています。そのためならば、わたくしは、どんな困難にも立ち向かう覚悟です」
ユーフェミアの言葉は、その場にいたレオンハルトとモニカの心を強く打った。彼女は、絶望の淵から立ち上がり、新たな戦いを始めようとしていたのだ。
「ユーフェミア様……」モニカは、感動に声を詰まらせながら、ユーフェミアの手を固く握りしめた。「わたくしも、レオンハルトと共に、全力であなたをお支えいたします。それが、私たちの騎士としての誓いです」
「ありがとう、モニカさん…そして、レオンハルト様」
三つの魂は、この静寂の山荘で、一つの確かな絆で結ばれた。秘密は共有され、絶望は希望へと変わり、そして新たな決意が生まれた。
レオンハルトは、もはや一人ではなかった。彼には、共に未来を切り開く、かけがえのない仲間がいたのだ。
「これから、我々はどうすべきか…」レオンハルトは、二人に向かって問いかけた。それは、絶望的な状況の中で、それでも未来を諦めない、彼らの新たな戦いの始まりを告げる言葉だった。
ブラックリベリオンの嵐が吹き荒れるエリア11で、彼らは、ユーフェミアの名誉を回復し、ギアスという脅威に立ち向かい、そして、より良い未来を創造するために、静かに、しかし力強く、その一歩を踏み出そうとしていた。
白銀の騎士と黄金の騎士、そして紫の姫君。三人の誓いは、暖炉の炎のように、暗闇の中で温かく、そして力強く燃え続けていた。