コードギアス:静観者のアリア   作:F.M

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第7話:蠢く影、エリア11の深淵

河口湖の静かな湖面に刻まれた傷跡は、ブリタニア軍にとっては辛うじて塞がれたものの、その醜い瘢痕はエリア11全土に不気味な影を落としていた。日本解放戦線の過激派は自滅という形で壊滅したが、その屍の山の上に立ち、漁夫の利を得るかのように現れた仮面の男ゼロと「黒の騎士団」は、その存在を世界に強烈にアピールし、神聖ブリタニア帝国に対する明確な反逆の狼煙を上げた。そして何より、ユーフェミア副総督が一時的とはいえテロリストの手に落ちたという事実は、帝国の威信を著しく傷つけ、コーネリア総督のプライドを深く抉った。

 

事件後、エリア11総督府では連日、ゼロと黒の騎士団を如何にして殲滅するかを議題とした軍事会議が開かれていた。レオンハルト・ジークフリート・アイゼンは、ユーフェミア救出における直接的な貢献――ホテル内部への電光石火の突入と人質解放の主導――をコーネリアに高く評価され、二十歳という異例の若さで、ギルフォードら歴戦の騎士たちと肩を並べ、最重要会議への出席を許されていた。

「ユーフェミアを無事保護し、犠牲者を一人も出さなかった貴官の判断は賞賛に値する。功績は大きいぞ、アイゼン少佐」

コーネリアの言葉は厳格だが、その奥にはレオンハルトの能力への確かな信頼が窺えた。事実、ユーフェミア自身も、間一髪で自分を救ったレオンハルトに、深い感謝と全幅の信頼を寄せており、そのことが彼の総督府内での立場を、ある種不可侵なものにしていた。

「…しかしだ」とコーネリアは続けた。その声には抑えきれぬ憤怒が滲む。「結果として、あの忌々しい仮面の男を取り逃がした事実は看過できん。奴の行動は計算されすぎていた。まるで、我々の動きを全て見透かしていたかのようだ。貴官の見解は?」

その問いは、責任追及ではなく、得体の知れない敵への苛立ちと、意見の渇望だった。

 

レオンハルトは、コーネリアの鋭い視線を受け止め、恭しく頭を垂れた。

「総督閣下のお言葉、誠にごもっともです。ゼロの逃走を許した責任の一端は、現場指揮官たる私にもあります。弁解の余地もございません」

ブリタニア軍人として模範的な謝罪を述べつつ、彼の内心は複雑な感情で揺れていた。原作知識を持つ彼にとって、ゼロがここで捕まることはあり得ない。むしろ、彼がこの事件を巧みに利用し、黒の騎士団の名を世に知らしめ、逃走に成功することこそが、「定められた歴史」の正しい流れなのだ。ユーフェミアを守るという一点においてのみ歴史に介入すると誓った彼にとって、ゼロの逃亡は、ある意味で「原作準拠」の必然であり、心の奥底では、計画通り事が進んだことへの歪んだ安堵すら覚えていた。

(今はこれでいい…いや、こうなるしかなかった。ルルーシュ…ゼロがここで消えれば、ユーフェミア様が救われる未来もまた閉ざされる可能性が高い。俺の目的は、あくまで彼女の生存。そのためには、この男にはまだ生きていてもらわねば困る。たとえそれが、どれほど多くの犠牲と混乱を生むとしても…)

だが、その安堵は、これから起こる悲劇への確実な予感と、自らの手を汚さずに歴史を操ろうとする行為への自己嫌悪にも繋がっていた。彼は、ブリタニア軍人としてゼロを追う立場でありながら、その実、ゼロの存在を必要とするという矛盾を抱えていたのだ。

そして、黒の騎士団の傲岸不遜な宣言は、彼らが今後、より巧妙かつ大胆にブリタニアに挑戦してくることを確信させていた。その先に、ユーフェミアの悲劇が待ち受けていることも、彼は知っていた。

 

(俺は、ブリタニア軍人として、ゼロと黒の騎士団の脅威を最大限に演出しなければならない。彼らの行動を予測し、対策を講じることで、コーネリア総督の信頼を得る。そして、その信頼こそが、いずれユーフェミア様を守るための最大の武器となる。たとえ、それが道化を演じることであっても…)

レオンハルトは、自らにそう言い聞かせ、心の仮面を深く被り直した。

 

そんな中、エリア11の治安を脅かすもう一つの深刻な問題が、議題に上るようになっていた。違法薬物「リフレイン」の蔓延である。

リフレインは、使用者に過去の幸福な記憶を追体験させる強烈な幻覚作用を持つが、その代償として精神を徐々に蝕む危険な薬物だった。特に、未来への希望を失ったゲットーのナンバーズの間で急速に広がり、社会の不安定要因となっていた。また、その密売利益が、反ブリタニア勢力の活動資金源となっている疑惑も囁かれ始めていた。

「リフレインの蔓延は、エリア11統治における看過できぬ問題だ。軍としても、この薬物汚染を放置できん。治安維持部隊と連携し、密売組織を摘発せよ。テロリストの資金源を断つという意味でも、これは最重要任務となる」

コーネリアの厳命が下り、レオンハルトの部隊はその高度な情報収集・分析能力を買われ、密売ルートの解明や、大規模な密造組織の背後関係の調査といった、知能戦が主体の任務を任された。

 

レオンハルトは、『ジークフリード・レジーナ』のコックピットではなく、総督府の一室で、膨大な情報データと向き合っていた。「オーディン・アイ・ネクスト」の演算能力を駆使し、エリア11の闇社会に張り巡らされたリフレインの流通ネットワークを、丹念に解析していく。押収されたリフレインの化学成分、逮捕された売人の供述、ゲットー内部の協力者からもたらされる断片的な情報。それらを緻密に繋ぎ合わせ、パズルのピースを埋めていく地道な作業。

その過程で、彼はエリア11の深淵に広がる絶望と退廃を垣間見た。ナンバーズたちが、なぜリフレインという虚構の幸福に逃避せざるを得ないのか。ブリタニアの支配が、彼らから何を奪ったのか。それは、レオンハルトの心に、ブリタニア人としての、そして一人の人間としての重い問いを投げかけた。

(リフレイン…過去にしか救いを求められない者たちの、悲しい魂の叫びか。だが、その弱さにつけ込み私腹を肥やす者たちがいる。そして、その汚れた金が、さらなる悲劇を生む温床となっている…この負の連鎖を断ち切らねば、エリア11に真の平穏は訪れない。そして、その先にこそ、ユーフェミア様の望む未来があるはずだ)

 

調査を進める中で、彼は黒の騎士団のエースパイロット、カレン・シュタットフェルトに関する極秘資料に、一つの記述を見つけた。彼女の日本人の母親が、重度のリフレイン依存症であるという事実だった。

(カレン・シュタットフェルト…彼女が黒の騎士団に参加した動機の一つに、この母親の状況が深く関係している可能性は高いな。ブリタニアへの憎しみ、そして、母親を蝕んだ社会そのものへの絶望…敵ながら、その境遇には同情を禁じ得ない。だが、感傷に浸る暇はない。彼女は、黒の騎士団の極めて危険な戦力であり、俺の、そしてユーフェミア様の前に立ちはだかる明確な敵だ)

レオンハルトは、その情報を冷静に、そして客観的に分析し、カレン・シュタットフェルトという人物の危険度プロファイルを更新した。個人的な感情を挟むことなく、ただ淡々と。

 

リフレインの捜査と並行して、レオンハルトは常にゼロと黒の騎士団の動向にも最大限の注意を払っていた。ホテルジャック事件以降、彼らは表立った活動を控えているが、それは嵐の前の静けさに過ぎないことを、レオンハルトは原作知識から確信していた。次なる大きな動きは、「ナリタ攻防戦」。そこでは、日本解放戦線のエース・藤堂鏡志朗がゼロによって救出され、黒の騎士団に合流する。そして、ブリタニア軍は、ゼロの巧妙な戦術と紅蓮弐式の圧倒的な性能の前に、屈辱的な敗北を喫するはずだ。

 

(ナリタ…あの山岳地帯での戦いは、ブリタニア軍にとって悪夢となる。事前に情報を掴み、対策を講じなければ、コーネリア総督自身も危険に晒される。だが、どこまで介入すべきか…歴史の大きな流れを、俺一人の力で、それもユーフェミア様を救うという一点を除いて、変えることは許されるのか? いや、許されるか否かではない。俺は、俺の目的のために、最善の選択をし続けるしかない)

レオンハルトの葛藤は、常に彼の中で燻り続けていた。原作知識という強大な力は、未来を予見させるが、同時にその知識に縛られ、自由な行動を躊躇させる重いジレンマも抱えていたのだ。

 

そんなある日、彼の元にもたらされた一つの情報が、彼の警戒心を確信へと変えた。日本解放戦線の藤堂派残党が、ナリタ山周辺で活発な動きを見せているという。そして、それと呼応するかのように、黒の騎士団内部でも、何らかの大規模作戦の準備が進められている兆候が掴めたという。

(来たか……! やはり、ナリタだ。ゼロの次の狙いは、藤堂鏡志朗の確保と、サクラダイト鉱山の利権、そして何より、ブリタニア軍主力を誘い込み、これを撃破することによる黒の騎士団の威信向上だ。これは、阻止すべきなのか? それとも、この戦いの中で、俺が取るべき別の道があるのか…?)

レオンハルトは、即座に「オーディン・アイ・ネクスト」を起動し、ナリタ山周辺の極めて詳細な地形データ、ブリタニア軍の配置状況、そして過去の藤堂の部隊の戦闘データを徹底的に解析し始めた。ゼロがどのような戦術で来るのか、そして、それに対してブリタニア軍が、そして自分自身がどう対処すべきなのか。彼の頭脳は、再びフル回転を始め、無数のシミュレーションを繰り返す。

 

エリア11の深淵では、リフレインという甘く危険な毒が、音もなく人々を蝕み続ける。その一方で、黒の騎士団という新たな嵐が、着実に勢力を増し、次の戦いの準備を虎視眈々と整えていた。白銀の騎士レオンハルトは、その両方の影を鋭敏に認識しつつ、自らの信じる道と、守るべき唯一つのもののために、次なる一手を、そして究極の選択を模索する。

彼の孤独な戦いは、まだ終わらない。むしろ、これからが本当の意味での本番なのかもしれない。エリア11の運命を左右する、より過酷な戦いの足音が、すぐそこまで、不気味なほど静かに迫ってきていた。




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