成田連山を紅蓮の炎と土砂が蹂躙した日から、数週間が過ぎていた。ブリタニア軍はその身に甚大な傷を負い、コーネリア総督率いる本隊は壊滅的な打撃を受けた。日本解放戦線もまた拠点を失い、組織としては事実上崩壊した。そして、この戦いを「奇跡」によって勝利した仮面の男ゼロと黒の騎士団の名は、エリア11のブリタニア支配を根底から揺るがす最大の脅威として、帝国内外に轟いた。
そんな激戦の余燼が燻るエリア11総督府において、レオンハルト・ジークフリート・アイゼンの名は、以前にも増して複雑な響きをもって語られていた。彼が指揮した特務小隊は、あの地獄の土砂崩れの中、奇跡的とも言える軽微な損害で戦線を離脱し、多くの将兵を救った。さらに、彼自身が駆る『ジークフリード・レジーナ』は、黒の騎士団の切り札である紅蓮弐式を一時的に退けるという驚異的な戦果を挙げたと報告されていた。これらの事実は、彼を「成田の英雄」として称賛させ、その卓越した指揮能力と操縦技術は、疑いようもなく軍内部に認識された。
しかし、同時に、「白銀の悪魔」という異名もまた、より一層その禍々しさを増して囁かれていた。彼の戦いぶりはあまりにも効率的で、無駄がなく、時に冷酷非情に見えた。土砂崩れという未曾有の大災害を前にしても、彼は一切の動揺を見せず、まるで未来を予知していたかのように最適な避難経路を選択した。その超人的な判断力は、一部の者には人間離れしたものとして映り、畏怖の対象となっていたのだ。
「アイゼン少佐、今回の貴官の功績は見事であった。多くの将兵を救い、そしてあの忌々しい紅蓮の機体を退けた手腕、賞賛に値する」
総督府の執務室で、まだ傷の癒えぬ痛々しい姿のコーネリアが、その紫電の瞳に強い意志を宿してレオンハルトに言葉をかけた。その声には、純粋な感謝と、しかし彼の底知れぬ能力に対する探るような響きが混じっていた。
「もったいないお言葉です、総督。私は、為すべきことを為したに過ぎません。多くの同胞を救えなかったことは、私の力不足です」
レオンハルトは、静かに頭を垂れた。その表情は常に変わらず穏やかだが、瞳の奥には、成田の悲劇を目の当たりにした深い疲労と、原作知識を持つが故の、誰にも理解されぬ苦悩の色が浮かんでいた。
「謙遜は不要だ。ギルフォードもダールトンも、君の判断がなければ我々はさらに大きな被害を被っていただろうと報告している。君には、相応の報奨と、さらなる重責を与える」
コーネリアはそう言うと、レオンハルトに新たな任務を命じた。それは、エリア11内の治安維持体制の再構築、各地に潜伏する黒の騎士団および日本解放戦線の残党狩り、そして何よりも、副総督ユーフェミア・リ・ブリタニアの身辺警護の統括であった。
ユーフェミアは、姉の強硬な統治方針とは一線を画し、ブリタニア人とナンバーズの融和を模索していた。成田の戦いの後、エリア11の民衆の間に渦巻く不信感と恐怖を肌で感じた彼女は、より一層その想いを強くし、自らの目でエリア11の現状を確かめ、人々と直接対話したいという強い意志を示すようになっていた。
その最初の試みとして、彼女はトウキョウ租界に隣接する、比較的治安が安定しているとされるゲットー地区への、非公式な視察を計画した。もちろん、その計画は軍内部の強硬派から猛反対を受け、コーネリア自身も当初は難色を示したが、ユーフェミアの純粋で強い願いに、最終的には条件付きで許可を与えた。その条件とは、レオンハルト・アイゼン少佐の直接指揮による、万全の警護体制を敷くことだった。
「アイゼン少佐、姉上からは、あなたの能力を高く評価していると伺っています。どうか、私の我儘をお許しください。私は、このエリア11の人々が、本当は何を考え、何を望んでいるのかを、自分の目で確かめたいのです」
視察の前日、レオンハルトはユーフェミアの執務室に呼ばれ、彼女から直接その想いを聞かされた。陽光が差し込む明るい部屋で、ユーフェミアは、緊張した面持ちながらも、その大きな瞳を真っ直ぐにレオンハルトに向けて語った。その姿は、一国の皇女としての気品と、十代半ばの少女らしい純粋さが同居しており、見る者の心を惹きつける不思議な魅力に満ちていた。
レオンハルトは、彼女の言葉を静かに聞いていた。原作知識を持つ彼にとって、ユーフェミアのこの行動は、後の「行政特区日本」構想へと繋がる重要な一歩であることを理解していた。そして同時に、その純粋さが、彼女自身を大きな危険に晒すことにも。
「副総督殿下のお気持ち、お察しいたします。しかし、ゲットーは依然として危険な場所です。最大限の警護体制を敷きますが、殿下ご自身も、くれぐれも慎重な行動をお願い致します」
彼の言葉は、彼女の理想を否定するものではなく、ただその身を案じる誠実な響きを持っていた。
「はい、肝に銘じます。アイゼン少佐…あなたのような方が傍にいてくださるのなら、きっと大丈夫だと信じています」
ユーフェミアは、安心したように微笑んだ。その笑顔は、レオンハルトの心の奥底にある、冷たく凍てついた何かを、ほんの少し溶かすような温かさを持っていた。
視察当日、ゲットー地区は厳戒態勢が敷かれた。表向きは通常のパトロールを装いつつも、レオンハルトの指揮する部隊が、あらゆる場所に配置され、ユーフェミアの安全を確保していた。『ジークフリード・レジーナ』もまた、万が一に備え、上空の目立たない位置で待機していた。
ユーフェミアは、質素な衣服に身を包み、最小限の供回りと共に、ゲットーの通りを歩き始めた。そこは、トウキョウ租界の華やかさとは対照的な、貧困と絶望が色濃く漂う場所だった。埃っぽい道、老朽化した建物、そして、ブリタニア人に対して警戒と不信の眼差しを向ける人々。
しかし、ユーフェミアは怯むことなく、道端で遊ぶ子供たちに優しく微笑みかけ、露店で働く老人に労いの言葉をかけ、時には、ブリタニアへの不満をぶつける若者の言葉にも、真摯に耳を傾けようとした。
その姿を、レオンハルトは常に数歩離れた位置から、鋭い警戒心と共に、しかしどこか複雑な想いを抱いて見守っていた。彼女の行動は、確かに無防備で、危険極まりない。だが、その純粋なまでの善意と、人々を信じようとする姿勢は、彼の心を強く揺さぶった。
(これが、ユーフェミア・リ・ブリタニア……。彼女のこの想いが、もし本当に実を結ぶのなら、この歪んだ世界も、少しは変わるのかもしれない。だが、現実はそれほど甘くはない。そして、ゼロという存在が、彼女のこの純粋さを利用しようとしないはずがない…)
視察の途中、一つの小さな事件が起こった。ユーフェミアが、栄養失調で道端に倒れていたイレヴンの老婆に駆け寄り、自らのハンカチで汗を拭い、持っていた水を飲ませようとした時、周囲を取り囲んでいたナンバーズの中から、数人の男たちが、憎悪に満ちた表情で彼女に詰め寄ろうとしたのだ。
「ブリタニアの皇女が、何を企んでいる!」
「我々を騙そうというのか!」
一触即発の雰囲気。警護の兵士たちが銃を構えようとした瞬間、レオンハルトが静かに前に出た。彼は、男たちを威圧するでもなく、ただ静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで言った。
「この方は、ただ純粋に、あなた方の苦しみを理解しようとされているだけだ。武器を向けられるようなことは何もしていない。道を開けていただきたい」
彼の言葉と、その圧倒的な存在感の前に、男たちは一瞬怯んだ。その隙に、ユーフェミアは老婆に水を飲ませ、駆けつけた医療班に引き渡すことができた。
視察を終え、総督府に戻る車中、ユーフェミアはレオンハルトに深々と頭を下げた。
「アイゼン少佐、本日は本当にありがとうございました。そして、私の軽率な行動で、あなたや皆さんに危険な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「殿下がお気になさることはありません。我々の任務は、殿下の安全をお守りすることです。しかし…」
レオンハルトは言葉を続けた。
「殿下のそのお気持ちは、尊いものです。ですが、今のエリア11は、殿下の純粋な善意だけでは、どうにもならないほど複雑で、危険な場所でもあります。どうか、ご自身の安全を第一にお考えください。あなたを失うことは、ブリタニアにとっても、そして…エリア11の未来にとっても、大きな損失となります」
その言葉は、彼の偽らざる本心だった。
ユーフェミアは、レオンハルトの真摯な眼差しを見つめ、静かに頷いた。
「……はい。アイゼン少佐の言葉、胸に刻みます。でも、私は諦めたくありません。きっと、道はあるはずだと信じています」
その瞳には、先ほどまでの憂いを帯びた表情はなく、再び強い意志の光が宿っていた。
その夜、レオンハルトは自室で、エリア11の地図を広げ、赤いペンでいくつかの地点に印を付けていた。それは、原作でゼロが大規模な作戦行動を起こした場所や、ユーフェミアが関わることになる重要な場所だった。
(黒の騎士団の動きは、日増しに活発になっている。成田での「勝利」は、彼らに大きな自信と支持者をもたらした。次なる一手は、おそらく藤堂救出作戦……そして、その後は……)
彼の脳裏には、ユーフェミアが血に染まる、あの悪夢のような光景が蘇る。
(ギアスキャンセラーの開発は進んでいる。だが、それだけでは足りない。彼女を守り抜くためには、あらゆる事態を想定し、万全の準備を整えなければならない。たとえ、それが歴史の流れに逆らうことであっても…俺は、俺のやり方で、彼女を…)
白銀の騎士の瞳の奥に、密やかで、しかし鋼のように硬い決意の光が灯っていた。エリア11の不穏な風は、彼のその決意を試すかのように、ますますその勢いを強めていくのだった。
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