アースキンはリドルを引き取る事となった。
マグルの孤児院から魔法界にリドルを引き取るのはアースキンの想像以上に簡単なことだった。
マグルの世界では──まあ魔法界も同じだが──戦争が度々起こり、孤児が増えている。引き取り手など滅多に現れない孤児を引き取りたいという申し出があるのなら、孤児院は喜んでリドルを差し出した。
勿論、身元のはっきりとした書類を作成することが必須だったが、アースキンは魔法使いである。その辺の工作などどうとでもなった。
ダンブルドアには一応形式的に「息子かもしれない。トム・リドルを引き取る事になった」と伝える手紙を送ったが、彼は彼で忙しいのか返事は来なかった。もともとアースキンとダンブルドアは卒業後交流が深かったわけではなかったので、アースキンはさして気にする事はなかった。
色々な手続きをして数日。
アースキンは孤児院の前で小型のトランクケース一つだけを持つリドルと再会した。
そのトランクケースの中もほとんど空なのか、リドルの手から受け取ったアースキンはその軽さに驚き、僅かに不憫に思ったほどだ。十一年生きてきて、こんな少ししか私物がないだなんて。
リドルと孤児院の職員との別れは形式的な物であり、感動的な別れなどはちっとも存在しなかった。「おめでとう、元気で」「うん」「さようなら、トム」「さよなら」その程度の言葉のラリーしか続かない愛想のない物だったのだ。別れのハグは勿論無い。
それも、マグルの世界で暮らしていた魔法使いならば仕方のない事だろう。魔法使いは、たいてい幼い時に制御しきれない魔法を発動してしまうものだ。マグルはきっと、リドルを奇妙な子どもだと思い、厄介払いができたことを喜んでいたのかもしれない。
「行こうか」
「うん」
緊張しているのか、新しい人生の幕開けに興奮しているのか。硬い表情のリドルは大人しくアースキンの後ろを、まるで鴨の子のように従順について歩いた。
アースキンはリドルに聞こえないようにため息をこぼし、路地裏へと向かう。そのまま誰も近くにいない事を確認し振り返り足を止めた。
いきなり止まったことでリドルは慌てて足を止め、ぶつかりそうになったと不服そうな顔でアースキンを見上げる。
「何──」
突如、アースキンの腕がリドルの腕を強く掴んだ。リドルは一瞬で警戒し、身体をこわばらせたが──そうしている間に体が浮き世界が歪み、周りの景色が光のように飛んでいく。自身に起こったことがわからず、リドルはあたりを見る余裕もなかった。
気がつけば、別の路地裏に立っていた。
「な──何、今の……」
「何って、姿眩まし──ああ、そうか──魔法族はこうして移動する」
「すごい」とリドルは思わず呟き、感激で高揚した頬を赤く染めアースキンを見上げる。アースキンはその瞳から逃げるように視線を逸らすとリドルの腕を離し、路地裏から表通りへ出た。
そこはマグルの街だったが魔法族向けの隠れたコミュニティがあり店も魔法界への通路もあった。アースキンは早歩きでアパートへ行き、リドルはキョロキョロとあたりを見ながらその後をついていく。
「ここは?」
「私の家がある場所だ」
普通のアパートの前でアースキンは普通の鍵を取り出す。小説に出てくるような魔法使いらしい不気味な家を期待していたリドルは、少し残念に思ったが、それでも初めて、自分の家がある、という事実に心臓のあたりが小さく震えた。
「ここが家だ。鍵を複製しなければならないな……ようこそ、トム・リドル」
アースキンは役者のようにお辞儀をし、演技かかった口調でリドルを先に通した。
リドルは開いた扉の中を覗き、目を見開く。火に誘われる虫のように、リドルはふらりと足を踏み入れた。
「すごい……」
アースキンや魔法族にとっては何の変哲もない普通の家も、リドルにとっては刺激的だった。
家具は見知ったものだが、壁にかけられている絵画に描かれている木はさわさわと揺れていて鳥が羽を休めたり、飛んで行ったりしている。
アースキンが杖を振ればランプに火が灯り、暖炉は暖かな火を起こした。脱いだコートが一人でに浮かび上がり、コート掛けへと飛んでいく。
そんな魔法がそこかしこで見られる家は、幻想的であり、夢のようであった。それに家の広さがリドルの常識外だった。
アパートの一室にしては広く天井も高い、おまけに階段がある。多分部屋数も、かなりあるんだろう。
リドルは呆然としながら部屋に踏み入れ、促されるままにソファに座る。その柔らかさは衝撃的で、隠れて座った院長室にある椅子よりも良いものに思えた。
ソファの横にトランクケースを置こうとして、ぎゅっと持ち手を握る。見事な高級そうな気品ある家具が並ぶ中に、自身の色褪せた見窄らしいトランクケースはかなり異質だった。自身のせいではない、むしろアースキンのせいだが、何故かリドルは苛立ちと恥からか、咄嗟にトランクケースを机の下に隠すように押し込んだ。
アースキンはそんなリドルの心情に気付いていたが何も言わず、自分の家、自分の城に異分子のように子どもがいる事に不気味な寒気に似たものを感じながら、もう一つのソファに腰掛けた。
途端に気を取り直してリドルは姿勢を正し、周りを盗み見ていたのをやめた。
「さて、トム。まだ互いに殆ど何も知らないだろう。私はトム──トム・リドル。今年五十歳になる。君には苦労をかけて申し訳なかったが、本当に息子がいたとは知らなかったんだ。……すまないね」
「ご……五十?嘘だ!」
「男相手に年齢の嘘をついて何になる?」
「だ、だって……どうみても、三十後半か、四十程度にしか……」
「ああ、魔法族はマグルよりも緩やかに歳をとるんだ」
そう言われてしまえば、リドルは納得するほかなかった。
魔法、魔法界、魔法族。
それについて何も知らない。何か特別なものが自分にあるとは思っていたが──これから、この男、僕の父さんが教えてくれるんだ。
「君の母親について、私は探そうと思う。亡くなっていたとしても、どうして亡くなったのか、親族がいるのなら知らせなければならないだろうし……」
「母さんは、マグルだったの?父さんと、母さんは──結婚したわけじゃないんだよね」
「……君の母については何も知らない。もう少し大きくなったら理由は察すると思うが……。私は一度も結婚した事はなく、今後しようとも思わない。まだ幼い君に言うのは本当に、申し訳なく、身の恥を晒す事になるが、私は……誰とも恋に落ちたことも、愛を与えたことも、貰ったことも、それを願ったこともない」
子どもには辛い言葉に、リドルはぐっと唇を噛む。浮き足立っていた高揚感が一気に冷え、孤児院の寒々とした自室に舞い戻ったような気がした。
リドルとて、目の前にいる男が自分の父親だとうまくイメージはできない。十一年もの間、家族を知らなかったリドルは今更どのように親子関係を築けばいいのか、わからなかった。それでも、微かに期待したのは──本の中にある物語のように、親子に憧れがあったからだろう。
いつか、いつか誰かが迎えにきてくれる。明日の朝、目が覚めたら手紙が届くかもしれない。それでこんな最低な場所から連れて行ってくれるにきまってる。きっと。それを夜に願わなくなったのはいつだったか、リドルは思い出せなかった。
わかっていた、望まれて生まれた子ではなかったのだろう。
それでも、僕は、ただの人間じゃない。
魔法という特別な力を使える、選ばれた人間だ。
「……でも、僕はあなたの子どもだ。だから、あなたは僕を育てる義務がある、僕に魔法について教える義務がある!そうだろう?」
「そのようだ。だが君が私との暮らしに嫌気がさし元の場所に戻りたいというのなら──」
「そんな事言うわけがない!」
リドルは強く叫ぶ。
叫んだ後で、恥いるように表情を険しくすると膝の上で手を握り、目を伏せた。
「僕は、あなたの息子だ。トム・リドルだ。だから、ここにいる」
その声は小さく、必死に冷静さを装っていた。
リドルは伏せていた目を上げ、アースキンを強い目で見つめる。アースキンは驚いたような顔をしていたが、すぐに額を手で押さえ表情を隠し、苦笑した。
「そうだ、君にはその権利がある。そして、私は君の父親だ」
アースキンの言葉に、リドルはほっとした。
素晴らしい魔法という世界を知った後にあの孤児院に帰るだなんて耐えられない。互いに親子の情なんてなくてもいい。何としてでもこの男を利用してやる。そうリドルは考え、胸の痛みを押し殺し、再び部屋の中を興味深そうに見回し始めた。
アースキンは隠した表情の奥で後悔と苛立ちを必至に悟られないようにしていた。
私の息子?アースキン家の血筋?
馬鹿な!この血は私で途絶えさせると誓った。呪われた血だ!最悪の性質だ!
浅ましくも力を欲し、狂い、呪われ、それゆえに衝動を抑えられず獣に成り果ててしまった一族の、血を受け継ぐ?
マーリンの髭!信じられない!
「そういえば、あの言葉は何だったんだ?──父さん?」
「あ、ああ?」
アースキンは、リドルの口から出た「父さん」という言葉に内臓が引っ掻かれたような痛みと寒気を感じつつ、首を傾げる。
「何だって?」
「……初めて会った時。孤児院で、この言葉がわかるのなら、私の息子だろう。って言ってた」
「それは言ったが、言っていない」
「……なぞなぞ?」
リドルは鼻で笑うような小馬鹿にした笑みを浮かべた。その家名の通り、なぞなぞが好きなのかと呆れたがアースキンは至極真面目な表情で「いや」と否定する。
「私が言ったのは、『この言葉がわかるのなら、私の息子だろう』だ」
「同じじゃないか」
「全く違う」
「……僕をからかっているのか?」
「違う。私が話したのは蛇語──パーセルタングという。それを理解できる者はパーセルマウスと呼ばれる。君も蛇と話せるんだろう?」
リドルはアースキンが重要そうに言う意味がわからず眉を寄せ首を傾げる。
確かに蛇と話せるが、それがどうしたのか。魔法族にはそんな人普通にいるんじゃないのか?
「うん。でも……それが何の意味が?ダンブルドアは例がないわけじゃないって」
「そうだな。度々現れる。しかし天性の蛇語使いは血筋によるものが多い。私と同じ蛇語を使える、トム・リドルという名のものが父である子が、世界に何人もいると思うか?」
「……そうか、あの時喋っていたのは蛇語で、僕はあなたの息子だから、それが理解できたのか。普通の言葉にしか聞こえなかった……」
「蛇語使いには、そうだろうな」
そう。
アースキン家は、呪われた家はスリザリンの家系がルーツであった。
直系ではなく傍系であり、力を得るために人として在るまじき行為を繰り返し理性のストッパーがイカれてしまった一族。
その反動か、誰かの呪いか因果か、アースキン家の者は魔法族にしては短命な者が多く、すでにアースキンの両親や兄弟は死んでいた。
蛇語を使える。
トム・リドルという名の男が父。
と言う事は、やはり自分の息子なのだろう。
信じたくはない、認め難い事だが自分の身から出た種なのだろう。
この子どもは、まだアースキン家を知らない。ただの子どもだ、知らせずとも良いだろう。
私の両親や先祖のように、近親婚をして生まれた命ではない。母親がマグルならば、あの呪い的衝動も、きっと無いはず。
そもそもこの子にとって、私はトム・アースキンではなく、トム・リドルなのだから。
「トム。多分、私は君にとって良い父にはなれないだろう。それでも、私を父と呼ぶのか?」
リドルは視線をアースキンへ戻した。
同じ色の目の視線が絡む。
リドルは、無言のままこくりと頷いた。
「そうか。──そうか。わかった。よろしく、我が息子よ」
「よろしく。……父さん」
アースキンは手を差し出し、リドルはその大きな手を握った。孤児院にいた大人とは異なる、カサついた、それでいて包み込むような手だった。
「……トム、私は君の母親を愛したことはない。私は人を愛せない」
「……」
「それでも、君は生まれてきた。君は母親に望まれて生まれた命だ。母親に願われ、母親に愛されて生まれてきた命だ。それだけは、忘れないでくれ」
リドルは、愛を知らなかった。愛が何だかわからず、愛に狂う安っぽい小説は大嫌いだった。
だが、その時リドルは愛が何だかわからないにしろ、アースキンの真剣な言葉を否定することなく小さく頷いた。