それからリドルはアースキンと共に過ごした。
勿論初めはぎこちなく、無言の時間が長く続き、アースキンは書斎やリビングを意味もなくうろついたり、リドルは自分の部屋にこもったりしていた。
それでもリドルは不満は特に感じなかった。
部屋は孤児院の時と比べ物にならないほど広く、上質な家具が一式用意されていたし、いつでも好きな時にシャワーを浴びることが許されたし、面倒な家事や手伝いをする事もない。
好きな時に棚にあるお菓子を食べることも、書斎にある本を好きに読むこともできた。なにより幸福だったのはアースキンから魔法界への通路を教えてもらい、門限があるとはいえ自由に行き来する事を許されていた事だ。
アースキンとの会話が「おはよう」「おやすみ」だけの日々が続いていても、リドルは全く気にしなかった。
リドルはアースキンを自分の父とは思いながらも、父親らしい振る舞いや交流を望むことはなかったし、父性を求める事も無かったからだ。
何より、リドルは静寂を好み、不用意に踏み込まれる事を嫌っている。アースキンの距離感は、リドルにとって好ましいものだった。
そうだ、そうに違いない。そうに決まってる。
だから窓の外に広がる闇がいつもより深く感じるのも、心地よい静寂で包み込んでくれた夜がいつもよりよそよそしく冷たいのも、きっと気のせいだ。
リドルはそう、胸の奥で何度も呟き、そう思い込み、心の奥底にある寂しさや家族への憧れに蓋をして気付かぬふりをしていた。
「父さん、この本の続き、ある?」
「ん?……ああ、これかな」
とはいえ、全く交流が無いわけではない。
アースキンは自らリドルに踏み込むことはなかったが、リドルを蔑ろにする事はなく、いつでも真摯に向き合った。それが、自らの罪滅ぼしだとでも言うように。
書斎で本を読んでいたアースキンは、突然扉が開きリドルが現れた事に慌てる事も嫌がる事もなく暖かく微笑んだ。
アースキンはリドルが持つ本の題名を読むとすぐに本棚に向かって杖を軽く振った。本棚からふわりと本が飛び出て、その本はお行儀良く机の上に置かれた。
「どうすれば、そうやって魔法が使えるようになる?」
「ホグワーツで学べばいい。未成年の学校外での魔法は禁じられているからね。まあ、トムは物覚えもいいし、きっと優れた魔法使いになるだろう」
そう言い、アースキンは目を細めた。
その言葉に完全な歓迎の気持ちや喜びが含まれていない事をリドルは悟っていたが、何も言わずに本を受け取り書斎からさっさと出た。
書斎から出て扉を閉め、扉を背に付けてリドルは足元を見下ろした。
艶やかな革靴、清潔で良い匂いのする衣服。与えられるものは全て一級品で数ヶ月前の自分のと差に思わず笑ってしまうほどだ。
トム・リドル。僕の、父さん。
一緒に暮らしても、まだどこか他人行儀でよそよそしい。それでも父親として最低限の義務は果たそうと努めていると思うし、しっかりと目を見て僕と話してくれる。
父親というよりは、ただの同居人のような、昔読んだ本に出てきていた足長おじさんのような。……まあ、何だっていいか。お金持ちらしいし、本はたくさんあるし。
自室に戻ったリドルはベッドに上がり足を投げ出した。脚の上に分厚い本を置き、表紙をひらく。魔法界の歴史が記されたその本は、リドルに新たな発見を授け探究心をくすぐった。
しばらく読み耽っていたが、歴史書の中にホグワーツの文字を見つけ、そういえば、ホグワーツへ通うためのものをまだ何も買っていないとリドルは気付いた。
書類と金は受け取っている。
あの時はまだ本当に父さんが見つかるとは思っていなかったから、ダンブルドアが僕に資金を渡して行った。教科書は古本で買わなければならないって言っていたけど、父さんがいるのなら、中古で買う必要はないだろう。……資金は返した方がいいのか?
援助が必要な者の為の資金がホグワーツにはあり、リドルにはまとまった額が渡されていた。しかしどうみても裕福な──仕事をしているのかどうかリドルは知らないが──アースキンは、惜しみなく学用品を買い与えることだろう。
この家にある書斎には素晴らしい本が数多くあったが、それでも魔法学校の教科書とはどういうものなのか気になるリドルは本を閉じ立ち上がった。
その途端、ぐう、と腹が控えめに不満を訴えた。窓を見れば空に紫色と橙色の綺麗なグラデーションが見え、遠くの藍色の部分が夜の訪れを告げていた。
今日の夕飯は何だろう。昨日は肉だったし、魚かな。なんて生ぬるく幸せな事を考えながらリドルはリビングへと向かった。
リビングへ続く階段を降りる前から香ばしい良い匂いがふわりと流れこんでくる。
リドルは、アースキンには一度も言ったことがないがアースキンの料理ほど、感動したものを人生で食べたことが無かった。まあ今まで暮らしていたのが困窮した孤児院だから仕方のないことだとはいえ、父さんがあの人で良かった、と一番に思うのは料理の美味さだろう。──ちなみに、同位に金の羽振りの良さが挙げられる。
「トム、ちょうど呼びに行こうと思ったんだ。食事の用意ができたところだ」
「うん」
リドルはいそいそとモダンな天然木のダイニングチェアにつき、皿に乗った美しい料理の数々がふわふわと自分の前に置かれるのを待った。
そのダイニングチェアと広いダイニングテーブルは、リドルが食事をとるためにわざわざアースキンが購入したものだが、勿論リドルはそんな事を知らない。この家に来た時からそれらは用意されていたから仕方のない事だ。
リドルに振る舞う料理も、アースキンが一人で暮らしていた時は一切しなかった。
基本的に外食ばかりでバーかパブかに入り浸り、家では酒と酒のつまみと紅茶くらいしか無かったのだが、流石にリドルがこの家にいる時にそれらを出すわけにはいかない。
アースキンはリドルが夢中になって白身魚のポワレを食べているのを見ながら、白ワインを飲み喉を潤した。
リドルのよりも随分小さく質素なポワレを気品のある自然な振る舞いで音も立てず食べ、ワインのつまみのチーズを食べる。
リドルは口いっぱいに幸福な味を詰め込みながら「そうだ」とわざとらしく呟きカラトリーをかちゃんと皿に乗せた。
「教科書とか、杖を買いに行きたいんだ。この前──まだ父さんを知らなかったとき、ダンブルドアから資金をもらったんだけど、それはどうすればいい?」
「後で渡してくれ。私からダンブルドアに返しておく。……明日にでも買いに行こうか」
「必要ない。行き方はわかってるし、資金だけくれたらいい」
「わかった。用意しておくよ」
アースキンの目が明らかにほっとしたのを見て、リドルは目を伏せパンを手に取り齧り付く。
これでいい、一人で行くのには慣れている。今更この男に父親らしさを求めていない。一人の方が気楽だ。ゆっくりと本を見れるし、魔法界を堪能できるし。
リドルは白いパンを指でほじくり穴を開ける。パン屑がぱらぱらと皿の上に落ちるのを、アースキンは片眉を上げて見た。
育った場所が孤児院だからか、食事のマナーが全くなっていない。教えるべきか?嫌がられるか?ホグワーツではいろんな子がいるだろう。……もしスリザリン寮に選ばれたら、こんな無作法な食べ方しか知らないトムは冷ややかな目で見られるだろうな。あの寮は純血で貴族めいた振る舞いをする者が多いし。きっと今も変わらないだろう。私の血を継いでいるのなら、スリザリン寮になる可能性が高いだろうな。
ぼんやりとリドルを見ていたアースキンは、いつまで経っても食べられないパンと山のようになるパン屑を見ていたが、パンで遊ぶリドルの唇がいつもよりつまらなさそうに、ちょんと尖っていることに気付いた。
その動作はベッド上で本当は「YES」にも関わらず恥から「NO」と言ってしまう乙女が見せるそれだった。
自分の気を引こうとしている素朴な田舎の幼い乙女と同じ態度に、アースキンは目を瞬かせた後でついつい、場を盛り上げるために覚えた戯れの甘いリップサービスをこぼしてしまった。
「……やはり、私も行こう」
「必要ない。一人で行くのは慣れてる」
リドルは視線を合わさず早口でそう言いながら、パンの奥を変わらず掘り進めていた。
「私が行きたいんだ、どうか、連れて行ってくれないかな?」
「……」
「それに、あそこには良いカフェがあるんだ。トムはあそこを気にいると思う。トムが喜ぶ表情を、私は見たい。どうかな?」
「カフェなんて一人でもいける」
「そうだね。なら一人ではできない事をお望みかい?例えば、熱い紅茶と、夜の夢のようなアフタヌーンティーセット。この時期なら雪のように白いケーキがついてくるだろう。一緒にどうかな?」
「……そこまで言うなら、ついてきたら?」
リドルは口を尖らせぼそぼそと呟く。ついに指は白いパンを貫通し、哀れなパンは食べられる事もなく皿に戻された。
どこか満足気で上機嫌に見えるリドルはかちゃんと音を立ててカトラリーを掴み、素知らぬ顔で付け合わせのマッシュポテトを掬い出した。
──マーリン。まるで田舎の領主の娘だ!
アースキンはリドルに領主としてのプライドがあり素直に頷かない生娘のような片鱗を見た。
素直に頷くのはプライドが許さない。だからこそ、お願いをされ、心地よくお膳立てされた上で「私があなたを許したの」という言い訳がなければ無防備な姿を見せることができない、そんな田舎の娘。
せめて、生まれたのが息子ではなく娘なら、こう言う駆け引きもプレイだと楽しめたのになぁ。
と、まがりにも父親として外道な事を一瞬考えたが、その想像こそが近親婚を繰り返したアースキン家の呪いのようだと感じ、アースキンは一人身震いした。
「トム。もし生活する上で欲しい物があったら言いなさい。それらもついでに買ってしまうから」
「別に……まあ、でも父さんがそうしたいなら、何か考えておく」
リドルはそう言うと、何故か背中あたりが擽ったくなったような気がして背を撫でた。むずむずとした衝動を誤魔化すために皿の端に添えているラディッシュをフォークで突こうと何度も手を下ろし、その度に皿がキンキン高くうるさい音を奏でていた。
そんな彼の全く素直ではなく、人によっては受け入れ難い捻くれた動作を、アースキンはあきれ混じりに受け入れ、甘めの白ワインを口の中で転がした。