眼下のフロアにいたのは、兜と面甲を被って全身を重い装甲で覆い、巨大な盾と戦棍を携えた、異様に背の高い武者たちだった。
あいつだ。時の神殿とハイラル城で戦った鎧武者。しかも二体だ。
「確か、タートナックとか」アッシュはリンクの傍らで階下を見下ろしながら言った。その横顔は厳しい表情だ。
「知ってるのか?」リンクは尋ねた。
「父から教わったことがある。もっとも、ただの巨人伝説か、仮に存在しても既に滅びたはずだと聞かされたがな」
「なんなんだいあいつら?」シャッドがやや不安そうな面持ちで言った。
「見てのとおりさ」リンクは装備ベルトを確認しながら答えた。
「でかいから力だけは凄い。頭も悪いし口も悪いけどね」
「リンク、戦ったことあるのかい?」驚いたシャッドが尋ねた。
「ああ。二度ほどね」
「倒したのだな。そうでなければ貴殿は今ここにはおらぬ」アッシュは少し唇の端を上げた。
だが、頷きつつもリンクには少し不安があった。一体だけなら確実に倒せる。だが二体いる場合、戦いがどういう展開になるかがわからない。例えば、隙ができるのを覚悟で二体が一人を狙ってきた場合、こちらに負傷者が出るのは避けられないだろう。
今回は勇を試される。リンクは覚悟を決めた。
二人とも身支度が終わると、シャッドが言った。
「二人とも、武運を祈ってるよ」
「まかせといてくれ」リンクはウィンクして微笑みかけた。「残念だけど、今回君の出番はないかもね」
「なんだ、気が抜けるなぁ」シャッドは応じた。「ま、せいぜいチェーンハンマーの練習でもしながら待ってるよ。お声がかかるのをね」
二人が飛び降りて剣を抜くと、敵は早速気づいたようで声をかけてきた。
「貴様か、勇者の小僧というのは」左側に立った赤い鎧武者が言った。
「女など連れおって、物見遊山のつもりか」傍らにいた青い鎧武者が巨大な戦棍を右手でひと振りした。
「来い。本物の戦さというものを見せてやろう。そこにいる女にもな」
「女、女と随分こだわられるな、貴殿らは」
アッシュは傲然と顔を上げると言った。
「女に殺されるのがそんなに恐ろしいのか?」
「ふん、強がりを言いおって」
青い鎧武者が応じる。
「そのようなか細い身体で何をしようというのだ。余の一撃で跡形もなく消し飛んでしまってからでは後悔することすらできぬぞ」
「あいつら魔物と一体になる手術で身体を強化してるっていうんだ」
リンクが補足する。
「ただの大男にあらず、というわけだな。これぞ剣士冥利に尽きるというもの」横目でリンクを見たアッシュは微笑んでいた。
「気を付けるんだ。動きは鈍いが力と耐久力だけはやたらとあるから」
「心得た」アッシュが答える。
リンクは剣と盾を構え直した。アッシュも右半身になって右手の剣を下段に、左手を後ろに軽く出して構えた。
二人は、散開してそれぞれが一体のタートナックと向き合った。アッシュの相手が青い鎧、リンクの相手が赤い鎧だ。その鎧武者たちは、距離が詰まってくると盾を上げ、右手の戦棍を高く掲げる独特の構えを取った。
アッシュは摺り足で敵との距離を詰めていった。だが自分の剣は下げたままだ。攻撃を誘って後の先を取るつもりなのだろうか。その瞬間、青いタートナックが戦棍を振り上げ思い切り振り下ろした。
アッシュは体を躱してギリギリで避ける。一瞬前まで彼女が立っていた床を重い戦棍が直撃し、地響きがした。敵が戦棍を再び振り上げる前に、女剣士は滑り込むような足さばきで距離を詰めると、丁度敵から死角となる盾の陰に入った。そこから脇に飛び込んで急所を狙う作戦と見えた。
「アッシュ!そいつは...」リンクが叫んだ瞬間、青タートナックはやおら盾アタックを放った。
壁がそのまま飛んできたようなものだった。盾の直撃を受けたアッシュは完全に体が浮いた。次の瞬間鎧武者が巨大な戦棍を横に払った。女剣士は咄嗟に剣を身体の前に立てて防御しようとした。だが自分の体重よりも重い戦棍の一振りに吹き飛ばされ、数メートルを飛んで壁に叩きつけられた。
「アッシュ!」
「どこを見ておる。貴様の相手はこっちだぞ!」
赤い鎧武者がリンクに向かって戦棍を振り下ろす。それをすんでのところで躱したリンクだった。横目で見ると、アッシュは既に気絶しているのか、壁際の床に横たわって微動だにしない。その傍らには真っ二つに折れた長剣が落ちていいる。目の前の敵に集中しようにも、このままではアッシュが殺されてしまうのは明白だった。
その時だった。
いつの間にか降りてきていたシャッドが、アッシュと青い鎧武者の間に進み出て立ちはだかった。手にはチェーンハンマーの鎖を握っている。
「化け物め。それ以上彼女に近づくな!」
青年はそう言うと、鎖を持ち上げて鉄球を振り回し始めた。リンクは驚きのあまり一瞬呆然としたが、赤い鎧武者が再び戦棍を振り上げるのが視界に入り我に返った。敵の一撃をバックホップで躱す。距離を置きながらもう一度肩越しに振り返ると、シャッドが叫び声を上げながら鉄球を鎧武者に向かって放ったところだった。
投擲された鉄球が真っすぐに鎧武者に向かう。青タートナックは盾を持ち上げた。鉄球は盾にぶち当たり激しい金属音を立てて床に転がった。だが、小柄な人間の身長ほどもある盾にわずかな凹みがついただけだ。鎧武者は何事もなかったかのようにシャッドに近づいていった。
「どけい!」
シャッドが必死で鎖を手繰って鉄球を回収しようとしているところに、青タートナックはいきなり盾アタックを叩きつけた。シャッドは人形のように吹き飛ばされて壁に叩きつけられ、アッシュの上に覆いかぶさるように倒れた。
「なんたる虚弱な連中だ」青タートナックは舌打ちすると言った。足音を響かせてアッシュとシャッドに近づきながら、魔物は自分の相棒のほうを見て言った。
「おい。その小僧を余が行くまでは殺すでないぞ。折角黄泉から目覚めたのにこれでは張り合いがないわい」(注*1)
「埒もないことを言いおって」赤タートナックがせせら笑った。
「ならばその二人をとっとと片付けろ。余とて久しぶりの獲物を前にそうそう大人しくもしてられぬわ」
剣と盾を目の前の敵に向けて構えながらも、リンクは全身が焦りで熱くなった。どうすればいい?どうすればいい?
青タートナックは、倒れ伏したアッシュとシャッドの傍まで来た。その時、シャッドの両手がピクリと動き、青年は顔を上げた。
「あ.....アッシュは.....ぼ.....僕が守るんだ.....」
鼻血を出したシャッドは、それでも上体を反らして片手を床に突っ張り、立ち上がろうとしていた。もう片方の手でチェーンハンマーの鎖を探して地面を探っている。
「死ねい!」
青タートナックが巨大な戦棍を振り上げた。その刹那、リンクは彼らの方に向かって猛ダッシュした。青タートナックとシャッドの間に割って入るように立ちはだかり、盾を上げる。
凄まじい衝撃が腕に来た。戦棍の重さを支えきれず、リンクは床に膝をついてしまった。青タートナックは今度は戦棍を横に払った。リンクは咄嗟に盾をかざしたが、左腕ごと跳ね除けられた。もともと体勢が崩された状態で喰らった打撃により、バランスを失って床に転がされてしまった。
「愚か者め。仲間など見捨てて余と尋常に戦っておれば貴様にも勝機はあったものを」
赤タートナックが足音を響かせながらこちらに近づいてくる。
「是非もない。せめてこやつらを微塵切りにして無聊を晴らそうぞ」
青タートナックが戦棍でリンクたち三人を指した。リンクは必死で立ち上がった。だが焦りで頭が働かない。剣を振り上げて目の前の青タートナックに一撃を与えようとしたが、盾で難なく防がれてしまった。敵が戦棍を払った。盾でも受けきれず、リンクは後ろによろけて壁際に追い詰められた。
「観念せい!」
二体のタートナックが目の前に立ちはだかる。両者が戦棍を大きく振りかぶった。足元にはアッシュとシャッドが倒れている。無理だ。戦えば仲間が犠牲になる。だが仲間を庇えば自分が死ぬ。そして仲間もその後必ず死ぬ。
もはやこれまでか----
リンクの頭に諦念が浮かんだ。
その時だった。
自分たちが今いる壁際と直角側の壁の高所にある入り口から何者かが飛び降りるのが視界に入った。その何者かが床に着地すると、ズシンという重々しい音と、軽い地響きがした。
それを感じ取ったのか、鎧武者どもが動きを止めた。二体の魔物たち、そしてリンクの視線はその闖入者に注がれた。
その何者かは、黒い甲冑とマントを身に着けた大柄な男だった。
そう、あの男だった。
* * * * * * * * * *
その男。黒光りする甲冑を身に着けマントを羽織った巨漢。
その男が着地した際に舞い上がった土煙が収まると、リンクには薄暗がりの中でもその顔が見えた。ガノンドロフだ。
鎧武者たちも気づいたらしい。構えを解き、口々に歓迎の意を表した。
「おお、ガノンドロフ殿ではないか」
「噂では、勇者の小僧に殺されたと聞いておりましたぞ。ご復活なされたとは何よりですな」
ガノンドロフは仁王立ちしたまましばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。
「........忌々しい」
それを聞いた赤タートナックが答えた。
「まったくその通りですな。我々も貴公と同じ気持ちですぞ。この小僧によって我が同胞の一人が殺されてしまったのですから。それも二度も」
「しかしご安心を、ガノンドロフ殿。今こやつを仲間とまとめて挽肉にしてやろうと思っておったところですわい。そこでごゆるりと御見物くだされ」
「忌々しいと言ったのは貴様らのほうだ、ガラクタ剣士どもめ」
ガノンドロフは遮った。クワッと目を見開くと、巨人鎧武者たちをねめつける。
「なっ...」
二人の鎧武者たちは驚いたのか一瞬言葉を失った。
「........ガノンドロフ殿。今何と申されましたかな?」少しの沈黙のあと赤タートナックが言った。
「忌々しいと言ったのは貴様らのほうだ。失せろ、ガラクタどもめ」
魔王はタートナックに勝るとも劣らないほどの巨大な手で拳を作り、もう片方の手のひらに打ち付けた。そこからわずかに紫の霧のようなものが立ち上ってきたのがリンクにも見えた。
「その小僧に指一本触れてみろ。貴様らの頭を捻じ切って外にいる猪の餌にしてやる」
鎧武者たちは混乱したのかしばらく沈黙していたが、今度は青タートナックが口を開いた。
「解せぬことですな、魔王殿」
鎧武者が軽く首を振った。
「我らは貴公によって黄泉から甦らされ貴公に雇われてここに配置された。勇者の小僧を仕留めよと命を受けてな」
そこまで言うと青タートナックは疑わしげに声を低めた。
「それを今更何を申されるのか。心変わりの理由をお聞かせ願いたいものだ」
「よもや、魔王殿」赤タートナックが声を上げた。
「いわゆる、光堕ち、という言葉がある。まさかそれではありますまいな」
ガノンドロフは黙っていた。赤タートナックは戦棍を持ち上げると続けた。
「だとしたら見損ないましたぞ魔王殿。我ら魔族が人間の安っぽい情や義に絆されるとは」
「全くだ、同胞よ」青タートナックも苛立たしげに戦棍の石突きで地面を突いたあと、リンクたちを指さした。
「ひたすら人間どもを殺し、奪い、恐れられ、支配する。これが我々の生きる目的のはず。それなのにその頭領たる魔王殿がこの脆く弱い人間などに心を寄せるとは不甲斐ない。いや.....貴殿はもはや我ら魔族の恥だ!」
黙って聞いていたガノンドロフは、いきなり笑い始めた。
「何がおかしいのだ、ガノンドロフ殿?」赤タートナックが尋ねる。
「魔族だと?ちゃんちゃらおかしなことをほざきおって」魔王はさも可笑しそうに言った。
「貴様らは人間と魔物を継ぎはぎにしたオモチャに過ぎん。貴様らもまた人間の産物なのに、立派な魔族気取りとは笑わせるわい」
やっと笑いの収まってきた魔王はもう一言付け加えた。
「のう、古くなった玩具は皆子供たちから捨てられる運命にあるのだ。この道理がなぜわからん?」
「何っ.....」鎧武者たちが言葉に詰まった。面甲で顔は見えないが明らかに動揺しているようだ。
「そのような侮辱、魔王殿とて許容できぬぞ」いっそう低い声で青タートナックが言った。
「貴殿に忠実に仕えてきた我らを裏切り、人間どもに与すると言われるならこちらにも考えがある」
「ほう、どんな考えだ?聞かせてみろ」魔王は傲然と顎を上げた。
「我らの技を侮られては困りますな」赤タートナックも言った。盾を改めて構え、戦棍を持ち上げる。「魔王殿と言えども、この一撃を受けたら無傷では済みますまいて」
先ほどからの展開に、見守っていたリンクは驚きのあまり呼吸も忘れそうになった。だが、足元でうつ伏せに横たわっていたアッシュが呻き声をあげ身じろぎしたのが聞こえ、あわてて助け起こし、仰向けに寝かせた。シャッドは意識はあったが、頭を強打したうえ眼鏡を失ったため座り込んでいる。リンクは手拭いを取り出し水筒の水で湿らせるとアッシュの額の上に置いた。
ガノンドロフはフロアの真ん中に陣取り、泰然として動かない。しかも素手だ。それに対して、二体のタートナックは用心深く盾を掲げ、姿勢を低くし、戦棍を構えてにじり寄っていった。
「魔王殿、抜かれぬのか」赤タートナックが構えたまま声をかけた。
「貴様らに剣などいらぬ」ガノンドロフは余裕の表情で答える。「素手で十分だ」
「魔王といえども我ら二人を相手に無謀ではないか」今度は青タートナックが言った。「一人づつお相手致してもよいのだが?」
「いらん気遣いだ」魔王は答える。「ガラクタの癖に剣士気取りか?儂を侮って後悔するのは貴様らのほうだぞ」
「む...これ以上の無駄話は無用とみえるな」赤タートナックが苛立った調子で言った。「では参るぞ」
二体のタートナックが距離を詰めて来た。赤が右、青が左だ。二人の戦棍の射程内にガノンドロフが入る。
その刹那、青タートナックが進み出て戦棍を振り上げた。魔王目掛けて縦に振り下ろす。魔王は横にステップして躱した。だが、赤タートナックがすかさず戦棍を横に払う。
その瞬間魔王が跳躍した。その脚の下を戦棍が唸りを上げてかすめる。だが、離れて見守っていたリンクには魔王の動きが極めて不自然に見えた。一度跳躍したあと、まるで空中に見えない踏み台があるかのようにもう一度跳躍し、いきなり垂直に高く飛び上がったからだ。
あの技か?リンクにはハイラル西平原での一騎討ちが思い出された。あの時魔王はいきなりリンクの視界から消えたのだ。
魔王は一瞬にして天井に届くほど高度を上げていた。タートナックたちは敵が視界から消え去ったのに狼狽し、左右を見回している。降下してきた魔王は、二人の背後、青タートナックの真後ろに降りてきた。
途端に、重い戦槌が直撃したかのような衝撃を後頭部に受けた青タートナックがたたらを踏んだ。着地直前で魔王が上体を捻って裏拳を放ったのだ。魔王は着地するや否や、今度は青い鎧武者の背中に丸太のような脚で蹴りを入れた。さしものの巨体を誇るタートナックも完全に浮かされて数メートルほどよろめいた。
「そこか!」魔王の位置に気づいた赤タートナックが戦棍を振り上げる。だがその瞬間、魔王は姿勢を低くし右足を突き出した体勢をとったかと思うと、何か見えない外部の力で撃ち出されたかのように低空の飛び蹴りを放った。足先からは紫色の炎が噴き出している。赤タートナックが武器を振り下ろしたときには完全に射程外だった。(注*2)
青タートナックは、体勢を立て直す間もなく、背中に破城槌のような衝撃を受けて吹き飛んだ。鎧の胴巻きがひび割れ、破片が飛び散る。飛び蹴りから着地した魔王は、そのままダッシュして左肩を突き出しタックルをかました。もはや成す術もない鎧武者は、巨大な猛牛に跳ね飛ばされたかのように宙を舞った。
しかし魔王は追撃をやめなかった。前方に跳躍すると、後ろ宙返りを打ちながら蹴りを放つ。足先が、空中に放り出された体のタートナックの腹に食い込む。落下を開始していたタートナックは再び宙に蹴り上げられた。先に着地した魔王は、もう一度跳躍し同じ後ろ宙返りと蹴りを繰り出す。今度は鎧武者の背中に蹴りが直撃し、その胴巻きが完全に破壊された。
魔王は着地するともう一度空中の獲物に向かって跳躍した。左手を大きく前に出し右手を振りかぶる。
「セイッ!!」
気合もろとも、巨大な拳がタートナックの頭部に直撃した。またしても戦槌のような一撃だ。タートナックの頭蓋骨が割れなかったのはひとえに強化手術の賜物だったろう。だが兜を完全に粉砕されて頭を先にして吹き飛び、鎧武者はフロアの壁際に叩きつけられた。
「むうッ....!や...やるではないか」青タートナックは頭を振りながら必死で両手をついて上体を起こそうとした。だが顔を上げると、魔王が足音を響かせながらこちらにダッシュしてくる。その脳裏に、久しく味わったことのない感情が浮かんできた。
「恐怖」だ。
慌てて立ち上がろうとしたときには魔王は既にゼロ距離に迫っていた。左足を後ろに伸ばすと、思い切り蹴り上げる。腹を蹴り上げられたタートナックは砂袋のように空中に放り上げられ、天井にぶち当たり、そして落下して床に叩きつけられた。
その時にはもう魔王は次の攻撃体勢を整えていた。右脚を高々と上げていたのだ。タートナックは薄れそうになる意識の中、必死でもがき顔を上げた。だがその瞬間、突風が吹いてフロア内の空気全てが竜巻のように魔王に引き寄せられ始めた。砂煙があがり、離れて見守っていたリンクは思わず腕で顔を覆った。
魔王が、振り上げた脚を青タートナックの背中に叩きつけた。その瞬間爆発が起こった。
そう、爆発である。
凄まじい轟音が響き、粉塵がもううもうと舞い上がった。離れたところにいたリンクにも衝撃波が感じられ、彼は顔を背けた。轟音が収まったあとも数十秒ほど沈黙があった。
粉塵の中、リンクは戦況を確かめようと目を凝らした。
何が起こったのか理解できていない体で、赤タートナックが呆然と佇立している。その向こうの壁際には、魔王が仁王立ちになり、足元の地面には青タートナックの身体が半分埋まっていた。
ガノンドロフはゆっくりと振り向いて、次なる敵に目を向けた。その目は完全に、あの時の魔王だった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「な...なんとも見事な腕。ガノンドロフ殿、さすがと申し上げよう」
赤タートナックは思わず感嘆の声を漏らした。
「だが、敵が強ければ強いほど燃え上がるは我が一族の戦士の魂。こうなれば死力を尽くして戦うまで」
やっと気を取り直した赤タートナックは、改めて盾と戦棍を構えた。
その時、ガノンドロフが背中のマントをはぐった。腰に手を伸ばし、長剣を引き抜く。
「おお、抜かれるか、ガノンドロフ殿」赤タートナックは驚きと喜びの入り混じった声を上げた。
「それでこそ真剣勝負というもの。心ゆくまで剣を交わし合いましょうぞ」
鎧武者は姿勢を低くし、油断なく構えると少しづつ相手ににじり寄った。
「この決闘、どのように決着しようとも後世の語り草となりましょう。さあ、いざ」
ところが、ガノンドロフは剣の刃を一瞥したあと、それを鞘に納めてしまった。
「なっ...」赤タートナックは一瞬構えを解き、驚きの声を上げた。「ガノンドロフ殿、なぜ剣を納められる?」
「貴様らのような魔物の血を吸わせると掃除が面倒だ」ガノンドロフは腰をパンと叩くと言った。
「それにもうすぐ社員の給料日だ。こいつはまた質に入れねばならんからの」
「....?」赤タートナックは意味不明といった感じで言葉を詰まらせたが、やがて言った。
「何にせよ、我らを侮ると後悔しますぞ。先ほど倒れた同胞は単に貴殿の技を知らず油断していたゆえ。余が貴殿の手の内を知ったからにはそう簡単には....」
「手の内だと?貴様に何がわかる」ガノンドロフは呆れたように言った。
「身体を改造したくらいで強くなった気になりおって。本当は剣も何も知らない餓鬼が大口を叩くな」
「なっ....が....餓鬼...」これには赤タートナックも色を失ったようだ。「ぬ....ぐ...」
憤りのあまり言い返すこともできなくなった鎧武者は肩を怒らせると、進み出て戦棍を大きく振り上げた。
「喰らえ!」
タートナックは武器を横に払う。その瞬間ガノンドロフは跳躍した。彼が先ほどまでいた空間を恐ろしい重量と速度を帯びた戦棍が通り過ぎる。ガノンドロフはそこからまた大ジャンプを打った。
「同じ手を二度とは喰わぬぞ!」タートナックは背後からの奇襲に備えて向きを変える。だがその予測は外れた。
魔王は彼の真上に降りてきた。リンクが見ていると、魔王は両脚を真っすぐ伸ばし肘を軽く曲げて両脇に引き付けて、自らの身体を杭のようにして鎧武者の真上から打ちつけた。一瞬、小さな雷が魔王の脚から鎧武者に伝わったように見えた。
巨大な杭の一撃を受けたようになり、タートナックの兜が砕け散り、鎧の肩上(わたがみ)が吹き飛んだ。さらに雷の威力による痺れからか、鎧武者はよろめいて倒れた。
「ぬ....う....」頭を振るとタートナックは立ち上がった。
「手の内を読んだ、と言ったな」ガノンドロフは鎧武者の目の前に立ってせせら笑った。「なら当ててもらおう。次に儂が使う手は何だ?」
「黙れ!」
タートナックはいきなり盾アタックを放った。だが、その感触が空振りと分かった瞬間、彼は混乱した。魔王は確かに目の前にいたのに?
だが、横から見ていたリンクにはわかった。左を前にして半身に立っていた魔王は鎧武者の盾アタックの瞬間、左脚を伸ばして右脚を曲げ身体を後ろに引いていたのだ。両手を組み、両肘を突っ張っている。
「セイッ!」
気合いと共に魔王は肘撃ちを放った。体重移動による勢いの乗り切った肘撃ちを受けたタートナックの盾は、艦船の衝角がぶち当たったかのように真っ二つに割れた。紫の火炎のようなものが魔王の肘から迸り、その衝撃波で鎧武者がよろめく。
「なんの!」鎧武者はそれでも体勢を立て直し戦棍を振り下ろした。ガノンドロフは身体を反らせて躱すと跳躍した。
今度は上か?それともまた後ろか?上方にいる魔王を見上げ、一瞬だがタートナックが躊躇した。だが案に相違して魔王は空中で一回転すると飛び蹴りの体勢をとり、斜め下にいる相手にそのまま突っ込んで来た。その足先から吹き出す紫の炎がタートナックに迫る。
魔王の全体重が乗った飛び蹴りが鎧武者の胸に突き刺さる。胴巻きが完全に割れて破片が飛び散り、さらに蹴りの勢いに押されたタートナックは後ろに吹っ飛んで倒された。
「ぬ‥‥ぐ‥‥」タートナックは地面に手を突いて立ち上がると、体にぶら下がっていた鎧の残骸を自らの手で剥ぎ取り、右手の戦棍を相手に投げつけた。
ガノンドロフは横に飛び退いて躱す。鎧武者は皮鎧の姿になり、腰に差した長剣を抜き放った。その長さは人の身長ほどもある。
「この程度では余を打ちのめすことはできぬ。勝負はこれからですぞ」
そう見栄を切って剣先を魔王に突き付ける。だが、その先にある魔王の姿を見て、次の瞬間彼は言葉を失った。
魔王は、大きな白い扇子を取り出すと、しきりに自分の顔を扇いでいた。
「まったく通気性の悪いダンジョンで暗黒魔力など使うもんではないわな」
ガノンドロフはぼやいた。緊張感の欠片もない語調だった。
「体が火照って仕方がない。厨房より暑いわい」
「ぬ‥‥ぬ‥‥」あまりの舐められっぷりに血管が切れるほど激昂したタートナックは、魔王に向かって殺到すると長剣を振り上げた。
「余を見くびるな!」タートナックは袈裟斬りを放った。だが魔王は上体を反らして躱す。次に横斬りを放つ。魔王は巨体に似合わない身軽さで側転して身を退き、それを回避した。
「そこだ!」タートナックは魔王の位置を見極めると、突進して三連技の決め手、最も得意とする突きを放った。この距離だ。しかも敵は自分と並ぶほどの巨体だ。外すわけがない。取った。
タートナックがそう確信した瞬間、透明な泡のようなものが魔王の身体の周囲に広がり、硬い物同士が激しく打ち合わされる音が響いた。鉄の壁に剣を弾かれたような感覚を手に覚え、鎧武者は思わずたじろいだ。
その刹那魔王は自らの左手を掲げた。するとその左手から紫の炎を吹き出し、次の瞬間魔王は一瞬で距離を詰め鎧武者の首を掴んだ。床の上を飛んで滑るような動きだった。
万力のような凄まじい握力で首を締め上げられた上、床から持ち上げられたタートナックは思わず足をジタバタさせた。
「魔法防壁術がそんなに珍しいか」(注*3)
タートナックは剣を持っていない方の手でなんとか魔王の手を外そうとする。だが、ガノンドロフは相手の首をますます締め上げ、身体ごと持ち上げながら言った。
「防壁といってもごく弱いものだがな。だが敵の攻撃と同時に発動することでその威力を相殺する」
その途端にガノンドロフの手から紫の炎が爆発するように迸り出た。喉元から胸までを炎で焼かれたような感覚とともに、タートナックは床に投げ出された。
「やれ、そろそろ終わらせて戻るか。店が心配だ」魔王が左腕に嵌めた時計を見ながら誰にともなく呟く。
「く‥‥うう‥‥」それでもタートナックは立ち上がった。「ま...まだ終わってはおらん...ぞ」
彼は足を踏みしめると剣を持ち上げた。
「このタートナックを黙らせたくば、心臓に剣を突き立てねばならんぞ、ガノンドロフ殿」
魔王は扇を畳み、肩に担ぐように当てながら退屈そうにそれを眺める。
「あきらめい」彼はボソッと言った。「やるだけ無駄だわい」
「なんの!」タートナックが剣を振り上げる。だが魔王はその瞬間扇で思い切り鎧武者の横面を叩いた。タートナックは衝撃のあまりよろめいた。扇と見えたのは偽装だったのだ。重くしなやかな素材でできた鞭のような武器だ。それでも彼が頭を振って体勢を立て直そうとした途端、再び反対側の顔面を扇が襲う。破裂音と衝撃が凄まじく、一瞬タートナックは意識を失いそうになった。魔王は息もつかせない速度で容赦なく相手の顔面を連打し始めた。(注*4)
「パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパパンパンパンパンパンパン」破裂音のような音がフロアに響く。重い鞭のような扇で顔面に凄まじい連打を喰らったタートナックは思わず後ろによろめいていった。両耳、鼻腔、目、口から血が噴き出していくのがわかった。剣を振るおうにも、弄ばれるように顔面そのものが振り回されているため構えることさえできない。
五分ほども叩かれ続けただろうか。魔王は突如として扇を放り捨てると、タートナックにくるりと背を向けた。
朦朧とした意識の中、タートナックは思った。耳が完全に聞こえなくなった。面甲の中で顔面が腫れ上がって視界が悪い。目が霞んでよく見えぬ。脚がふらつく。だが、だが余はまだ死んではおらぬ。勝機はある。
タートナックは次の攻撃を喰らう前の一瞬で勝負を決することを心に決めた。魔王はこちらに背を向け、右腕を頭上に回し、左腕を下から腹の前に回り込ませながら唸り声を上げている。手から紫の炎が立ち上っているのがチラッと見えた。呪文を詠唱しているのだろうか?
余が動けないと見て、大技で勝負を決めるつもりか。だがそうはいかぬ。タートナックはふらつく脚を踏みしめ、剣を握り直した。この一瞬が勝負だ。魔王を討ち取り名を上げるのだ。
タートナックが乾坤一擲の突きを放とうと剣を引いた瞬間、魔王がまたくるりと身体を回してこちらを向き、左前の半身に構えた。
大仰な呪文の詠唱などではなかった。ただの打撃技だ。右腕を上、左腕を下に腹の前に配置し腰をどっしりと落とした魔王の構えを見て、タートナックは悟った。あと零コンマ一秒反撃の時間があると見積もっていた彼は、悟った。もう間に合わない。
「と゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!」
まるで引き摺り出すような低く濁った気合の声。魔王は体重移動で勢いの乗り切った裏拳を放った。魔王の腕から激しい噴射のように紫の炎が迸る。その裏拳がタートナックの身体の中心にクリティカルヒットした。
離れたところで見ていたリンクは不思議に思った。魔王の拳がヒットした瞬間、身体の浮いたタートナックがすぐには吹き飛ばされず、まるで魔王の拳に貼りついたように止まったのだ。ほんの一瞬の間だったが、タートナックの身体がそこに止まったま激しく振動したように見えた。
だがその刹那、鎧武者の身体は大砲に撃ち出された砲丸のように高速で吹っ飛び、壁に激しく衝突した。フロアが揺れ、壁のほうぼうに亀裂が走った。鎧武者の行方を目で追ったリンクは見た。その身体は壁の中に深くめり込んでいた。
戦いが終わってもしばらくの間、リンクは呆然自失のまま、壁の中に半分埋まった鎧武者の崩れつつある遺骸を眺めていた。何秒が経過しただろう。戦いの土埃が収まったころ、魔王はリンクのほうに近づいてきた。
「小僧、しばらくここで待ってろ」
そう言い置くと、ガノンドロフは開いた出口扉から次のフロアに降りていった。途端に爆発音、衝撃音が次々と聞こえてきたかと思うと、数十秒して再び静寂が戻る。出口扉が開く摩擦音が聞こえてきた。そして十分ほど静寂が続いた。
リンクは放心状態だった。自分は一体何を見たのだろう?
いや、あの男は何者なのだろう?
自分が戦ったあの魔王と、あいつは本当に同一人物なのか?頭が混乱してきたリンクだったが、アッシュが呻き声を上げて再び身じろぎしたのを見て、その額の上に乗せた濡れ布巾の位置をあわてて直してやった。
「シャッド、生きてるかい?」リンクはシャッドに声をかけた。
「なんとかね。何も見えないけど」シャッドは座り込んだまま弱弱しく微笑んだ。その顔は土埃と鼻血で汚れていた。
「で、あいつらは倒したのかい、リンク?」
「僕じゃあないけどね。とにかくもう大丈夫だよ」リンクは答える。
しばらくすると魔王はフロア出口から戻ってきた。
「その二人を連れて運べるか?」
魔王に尋ねられてリンクはアッシュとシャッドを顧みた。アッシュはまだ歩ける状態ではないが、シャッドは眼鏡を失って視界が悪いだけだ。リンクがアッシュを背負えば自力で移動できそうだった。
「二人を連れて第五十階層に降りろ。貴様らをラネールの泉に連れていくよう大妖精に話をつけてある」
「えっ...話、って」リンクは思わず尋ねた。
「儂はやることがある。二人は貴様に任せたぞ」
「待ってくれガノンドロフ」我に返ったリンクは、背を向けて歩き始めた魔王に声をかけた。
「なぜ僕らを助けた?」
「貴様らは儂の店の上客だ」
魔王は振り向きもせずに答える。
「客を大切にするのは商売の基本だからな」
ガノンドロフはフロアの入り口の真下まで行くと、そこで大ジャンプを打って飛び上がり、戸口を潜って姿を消した。