「それでは判決を下します」
その場が静まり返る中、ゼルダ女王は口を開いた。高官や官吏たち、百人以上にも及ぶ傍聴人たちの目が一斉に女王に注がれた。
「被告人ガノンドロフ。あなたへの判決は....」
皆が唾を飲み込む音が聞こえるような気がした。わずかに間を置いて女王は宣言した。
「判決は無罪です」
その場にいる誰もが一瞬時が止まったような気がした。
そして次の瞬間、これまでより一層大きなどよめきが起こった。「静粛に!静粛に!」官吏がひと際声を荒げて怒鳴った。だが、その騒ぎが静まるまで結局数十秒を要した。ようやく静寂が戻るとゼルダ女王がおもむろに口を開いた。
「判決理由を述べます」
彼女は言うと、一呼吸置いて続けた。
「まず最初に、我らがハイラル王国における法のあり方を確認しなければなりません」
女王はやや声を張り上げて言った。
「人を殺した者は、その者も必ず殺されねばなりません。他人の財物を損なった者は、同じ価値の物で償わなければならない。目には目、歯には歯。打ち傷には打ち傷。従って、人の血を流した者は、その者の血も流されなければならない。これは永遠に変わることのない神の定めた法であり、このハイラルの法律の土台となっています」(注*1)
そこまで言うと彼女は傍らにいた高官を見た。
「法務長官殿、そうですね?」
「は...はい。仰せの通りにございます、陛下」法務長官と呼ばれた老人は慌てて答えた。
「従って被告人の罪状に照らせば、被告人は必ず殺されなければなりません。しかし.....」
女王はここで自分の周囲と傍聴席を見渡した。
「しかし、このハイラルにはもう一つの法があります。一度罰を受けた者を再度罰してはならない。一度死んだ者を、悪人だからといって墓から掘り返し改めて罰することを我々ハイラル人は行いません。これもまた、神の定めた法を元にしており、古来からハイラルの定めとなっています。ですから我々は反逆者や国家の敵であってもその死体を損なったり晒しものにすることを厳に控えるのです。生前どんな行いをした者であろうと全ての死者を最大限の敬意をもって葬る。このハイラルの習慣もその永遠の法を元にしています」
居合わせた全ての者がゼルダ女王を見つめ、次の一言を待ち受けていた。
「従って、この判決は蘇った後に被告人が行った善行を元に情状を酌量したものでは断じてありません。一度死に、そして蘇ったという被告人の特殊な立場を鑑み、古来からの法を元に下したものです」
女王はやや声を元に戻して続けた。
「なお、この被告人が一度死んだということについては、勇者リンクの証言に加えて私自身が証言することができます。確かに勇者の聖剣は被告人を刺し貫き、被告人は私たちの目の前で息絶えました。従って疑問の余地はありません」
余りの驚きに、聴衆はざわめくことさえ忘れてしまったかのように静まり返っていた。廷臣たちは皆信じがたいといった表情で、何人かは額に噴き出した汗をハンカチで拭っている。
「被告人の縄を解きなさい」
女王が命じると、呆然として佇立していた兵士たちが慌てて動き出した。ガノンドロフの上半身に巻き付けられた鎖が解かれ、その両手に嵌められていた手枷が取り外された。
「いまひとつ被告人に申し伝えることがあります」
女王は告げた。ガノンドロフが顔を上げると、女王は立ち上がった。その光景に、聴衆たちの中にはどう振舞って良いか混乱する者が続出した。慌てて帽子を脱いで立ち上がる者も数人いたが、結局大多数が座ったままなのを見てまた着席した。
「ガノンドロフ殿、貴殿は再びこのハイラルを奪おうとお考えですか?」
女王の意外な問いに再び聴衆がどよめいた。ガノンドロフは答えずに女王の顔を見つめていた。
「今ここでお決めなさい。この私と戦うか、それとも和議を結ぶか。もし戦うと申すならば....」
その瞬間、女王の手の甲についた三角形の痣が光を放ち、その声は深く、低く凄みのある声に変わった。さらにその髪の毛が逆立ったように宙に浮き、風まで生じたのか服の裾が翻った。その左手にはいつの間にか眩い光でできた弓の形をしたものが握られているのが見えた。まるで女王の全身が光を放ったかのような錯覚を覚えた聴衆のうちの何人かが思わず顔を背け手で自分の目を覆った。(注*2)
「今ここで、死力を尽くして私は貴殿と戦いましょう。私はこの国の守護者として一歩も退きません。わが力、わが弓矢、わが剣をもて、勝敗が決するまで」
リンクもまた驚きのあまりゼルダ女王を見つめた。自分がかつて狼の姿だったときに見た幽閉された姫君、悲し気な顔のゼルダ姫とは全く別人のように、厳しく、また力強い顔で、その全身には凄まじい闘気が溢れていた。女王の変貌を見た何人かの聴衆は怯えた声を上げはじめた。
「陛下。儂は陛下に弓引くつもりはござらん」
ガノンドロフは簡潔に答えた。するとゼルダ女王は微笑み、その全身から発せられる光も次第に弱くなり、やがて消えた。彼女の服を翻していた不穏な風も止まった。
「ガノンドロフ殿。貴殿をわが王国の一部とは認めることはできません。しかししばらくの間寄留者として逗留することを許します」
着席したゼルダ女王は再び微笑むと、そう申し渡した。
「しかし時が来たら砂漠にお帰りなさい」
「そうさせていただく」ガノンドロフも頭を下げそう答えた。
「あんた....良かった...良かったよ....」
傍聴席にいたテルマはハンカチで目を拭いながらすすり上げてそう言った。
「あたしは砂漠だってどこだってついていくよ....あんたが生きていてくれさえすればさ.....」
リーナもまた涙を流しながらテルマの肩に抱きつき、頷いていた。
「女王陛下」ガノンドロフは口を開いた。
「儂は陛下から大切なものを幾つも奪った。その事実は変わらん。それを償い切ることもできん。だが儂はほんのわずかな期間ながらこの町の中に皆が寛げる場所を作りたかった。もしもお気に召すならばあの場所を取り潰さずに置いていただきたい」
「その通りにしましょう。ですが償いの必要はありません、ガノンドロフ殿」
ゼルダは言った。
「必要がない?なぜです陛下?」
ガノンドロフは意外な顔をして尋ねた。
「私は既にあなたを許したからです」
「ゆ....許す....?」魔王は衝撃を受けたかのように呟いた。
ゼルダ女王は言った。
「あなたは私自身と我が国土を汚し多くの民を傷つけた。その歴史は変えられません。ですが一度死んだあなたを、聖剣が新たに蘇らせたのです。それがその光の力によるならば、今こうして生きている貴殿を過去の貴殿と同じものとして憎み続けるのはこの世界を造り出しトライフォースを生み出した偉大な神の御心に反します」
「ゆ....許す....」しかし魔王はまだ信じられないかのように中空を見つめた。
「許す....だと....?ありえん。ありえんのだ、そんなことは」ガノンドロフは額に汗を浮かべ、自分の両手を見た。
「あんた.....」テルマが立ち上がった。その顔は喜びに満ちていた。
「許す....許す....」同じ言葉をガノンドロフは繰り返し、ヨロヨロと立ち上がった。途端に彼はがっくりと膝をついて、激しく震え始めた。
見ていたリンクの心の中で危険信号が鳴った。謁見の間での恐ろしい戦いの記憶が蘇った。だが、ゼルダ女王は微笑みながらガノンドロフにこう言った。
「これで全ては始まりに戻りました。これからあなたがどの道を選ぶかは、今までとは違ってあなた自身の選択に委ねられています」
すると、ガノンドロフは唸り声を上げ始めた。最初は小さな唸り声が、次第に大きくなっていく。やがて彼は激しく震えながら顔を上げ、両腕を広げると、叫び声を上げ始めた。
やにわにガノンドロフの身体が眩い光を発し始めた。服に覆われていない顔、頭、首筋、両腕が強い光を発する。周囲にいた者たちは思わず顔を覆った。
リンクは手近で呆然としていた衛兵から咄嗟に槍を奪い取ると、傍聴席に囲まれた広間の中央の空間に飛び出し、ガノンドロフの近くに駆け寄って槍を向け、いつでも突き立てられるよう用心深く構えた。
廷臣たちが右往左往しているなか、証人席にいたラフレルは女王の近くまで駆けつけ、庇うように目の前に立ちはだかってこう言った。
「陛下、お逃げください。こやつ魔法を使う気かも知れませぬ」
「その心配はありません」ゼルダ女王は平静な表情で言った。「彼の時が来たのです。もはや彼はここに留まることはないでしょう」
ガノンドロフはまだ叫び声を上げながら天を仰いでいる。傍聴人たちもパニック状態になったかのようにうろたえていた。数人が立ち上がって出口のほうに駆け出し始める。扉を守っていた兵士たちはどう行動していいのかわからず互いに顔を見合わせていたが、何人かの怯えた傍聴人たちはその脇をすり抜けて勝手に退出していってしまった。
数分間が経過しただろうか。ガノンドロフはいつしか叫ぶのをやめた。彼は立ち上がると、自分の両手を見た。光の強さこそやや弱まったが、それがまだ明るく輝いているのを見て、彼は不思議そうに呟いた。
「儂は生まれ変わったのか?」
彼は自分の手をためつすがめつ眺めたあと、こう言った。
「何もかも新しくなった気分だ」
「あなたのその姿を見られて幸運です」ゼルダ女王は再び立ち上がると微笑んだ。
彼女は自らの場所から一歩進み出ると、わずかに膝を曲げて挨拶をした。
「これでお別れです。次にお会いするときはあなたと敵同士ではないことを祈ります」
それを聞いたガノンドロフは少し黙っていたが、やがて答えた。
「約束はできん。だがそう努めることとしよう」
そして魔王は微笑んだ。いつしか槍を下ろしていたリンクにはその横顔しか見えなかった。だが、魔王の微笑みは以前謁見の間で見た微笑みとは全く異なるものだった。それは何か、新たに学校に入学した子供のような、期待と不安に満ちた笑顔だった。
「さらばだゼルダ姫」
魔王はそう言った。その途端に、魔王の身体が再び強く光り始めた。その光は、周囲の者にとって目を開けていられなくなるほど強くなり、そして唐突に消えた。
光が消え、皆が再びガノンドロフのいた場所を見たときには、彼はもういなかった。そこには彼の服とエプロンとサンダルだけが残されていた。
「あんたぁぁぁぁぁ....!」テルマは傍聴席を飛び出し泣きながら駆け寄ってきた。彼女は呆然とした表情で自らの想い人が立っていた場所を見つめていたが、やがてひざまずいて残された服とエプロンを手に取った。
「あんた....どうしてさ.......あたしも連れてって欲しかったのに....」
パニック状態でてんでに立ち上がっていた傍聴人たちに対して官吏たちが座るよう指示し始め、ようやく法廷内の騒動が収まりつつあったが、テルマの嗚咽の声と傍らに近寄ってきて座ったリーナのすすり泣く音だけはいつまでも響き続けた。
テルマたちのそばに立っていたリンクの傍にゼルダ女王が歩み寄ってきた。
「姫さま...いえ、女王陛下。これっていったい....」
リンクは思わずゼルダ女王に尋ねた。
「あれはあなたの剣によって滅ぼされなかった彼の魂の部分。いわば悪に染まる前の彼の思念体です」
女王は言った。
「じゃあ、女王様。ガノンドロフはもしかして...」
リンクは胸に期待が膨らむのを感じた。シャッドが言ったことが本当になるかも知れない。無論自分が生きているうちにではないにせよ、将来の転生でガノンドロフは正義の側に立って戦うかも知れない。そんな考えが浮かんだ。
「その確証はありません。人間とは弱いものですから」
リンクの心を読んだかのように答え、ゼルダ女王はやや悲し気な顔をして首を振った。
「転生した後、再び恨みと憎しみを募らせ悪に転落することもないとは言えないでしょう。たとえあのように浄化された後だとしても、人の心の一生は自らの内に住む悪との戦いなのですから」
リンクは衛兵に槍を返すと、リーナと二人でテルマを助け起こした。ラフレルが沈痛な表情でテルマの肩に手を置く。やがて廷吏が閉廷を告げ、傍聴人たちは三々五々扉から退出し始めた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
以上が、緑の勇者と四勇士たちによるハイラル城奪還から一年後に起こったとされる、魔王の復活と城下町への出現、そして消滅の顛末である。筆者はできるだけ多くの町民に聴き取りをし、可能な限り詳細にこの摩訶不思議な物語を書き記そうと試みた次第である。
もっとも、筆者はこの物語について歴史的に絶対的な正確性を有すると主張するものでは全くない。事実関係が齟齬する部分や資料が不足した部分については、筆者独自の解釈を加えて補った面も多々ある。その点については注記を参照されたい。
なお、勇者リンクはその後、自らの戦い方を大幅に変え、剣、弓矢、ブーメラン、爆弾、クローショット全てを総合的に駆使した新たな戦闘術を編み出し、さらには魔法防御術も身に着けたという。それにより、勇者の武勇に関する名声は魔王を倒したときよりもいっそう増して高まりハイラル全土に広がった。彼はまた、城下町で自分とミドナを救った青年ジョバンニとの約束を果たし六十の幽霊の魂を集めるため、再びハイラルを巡る長い長い冒険の旅に出たとされる。そのことについてはここでは頁が足りないため、別の機会に書くこととしたい。
さて、ここで筆者は改めて考えたい。果たして悪人は心を入れ替え善人になることができるのだろうか。ある人はできる、と言うだろう。別の人は、そんなことはできない、と否定するかも知れない。筆者としてはことの結論を読者諸兄の一人ひとりにお委ねしようと思う。
ただ、もしも筆者の願いがこのささやかな物語を楽しんで頂いた諸兄の目から見て大それたものでないならば、ご多忙の中のほんのひと時だけでも次なる命題を考えていただけないだろうか。
いったい、世の悪人たちの行状を見るとき、多くの場合そこに改悛の可能性を見い出すことは困難かも知れない。事実、人を殺し傷つけたうえ微塵も反省の情を見せない、そのような者は多数存在する。だが、この世を造られた存在、高次におられる方のご意志により、時としてそのような者たちのうちから、新しくされる----つまり一度死んで新しい者としてよみがえる者----が出てくるといったことは本当にないのであろうか。そしてそのように新しい者とされた場合、その者はもはや以前と同じ悪人ではない。この世を造られた存在の偉大なるお力を考えれば、時としてそのような不思議なことも起こりうるのではないか、と筆者は考えるのである。
最後に、読者諸兄の幸福を祈りつつ筆を置きたい。