翌日、リンクがチラシ配りを始めた途端に魔王ラーメンは一気に来客が増えた。
それも当然である。勇者リンク御用達の店だと噂がひとたび広がれば町民たちの耳目を引くのは早い。
朝から目抜き通りの往来に立ったリンクは三百枚のチラシを二時間ほどで配り終えてしまった。チラシの包み紙を丸めて片付けながら店のほうを見ると、もはや行列ができている繁盛ぶりだ。
「ねえねえリンクさぁ~ん」黄色い声に振り返ると、いつもスタアゲームの天幕の近くにたむろしている少女たちが来ていた。
「リンクさん、あのお店って本当に美味しいの?」
一人が尋ねてきた。どう答えたものだろう。だが、取り繕うのが苦手なリンクはとりあえず頷いた。
「そぉなんだ!やっぱり!」尋ねてきた少女が声を上げて仲間と顔を見合わせた。
「私、脂っこいもの苦手なんだけど、リンクさんのお勧めなら食べてみようかな」
「私も!」
「私も!」
少女たちは口々に言うと行列に並び始めた。
「あ..ちょっと」
だがリンクは引き留めようとして口ごもった。
魔王が、あの魔王が供する料理なのだ。もしも奴の改心が偽りで、城下町全町民に毒を盛ってその心を操り、ハイラルを再び乗っ取ることを企んでいたりしたら、一体どうするのだ?そこまで思い至ってから恐ろしい事実に気づいた。自分は既に彼の料理を食べてしまっているのだ。それも腹一杯。
何ということだろう。もしかすると自分はとんでもない悪事に手を貸しているのだろうか?これが元で城下町を、そしてハイラルを再び凶事が襲ったら、自分はどう責任を取ればいいのだろう?
とりあえずチラシを配り終えたことをガノンドロフに報告しようと、リンクは店のほうにフラフラと歩み寄った。
思案に暮れながら店の前の行列の間を通り抜けドアを開ける。中に入ると、満員のカウンターの奥で、ガノンドロフは頭に鉢巻を巻きフル回転で働いている。
次々と入る注文に「へい!」「毎度!」と答えながら、八面六臂といった勢いで麺を茹で、盛り付けをし、配膳している。
「大将.....あの....チラシ....」
「小僧か。ご苦労だった」
ガノンドロフはカウンターに巨体を乗り出し、食器を片付けながら目線だけ上げてこちらを見た。
「じゃあ僕はこれで...」
言いかけたときガノンドロフがまた口を開いた。
「済まん。悪いがもう少し手伝ってくれんか?」
リンクは、人の頼み事を決して断れない自分の気質をこのときほど厭わしいと感じたことはなかった。
ガノンドロフが放ってきたエプロンを身に着け、カウンターの中に入ると客のあいだから歓声があがった。
「いよっ!勇者さんのお出ましだ!」
「いっそ魔王ラーメンじゃなくって勇者ラーメンにしたらどうだ?」
「それじゃ面白くないだろ。今日び勇者の名前をつけた店なんて山ほどあらぁな」
客たちはてんでに勝手なことを言っている。リンクは指示されるままに注文を取ったり皿を洗ったりした。その日、用意された全食分が完売になったのは日没よりだいぶ前のことだった。最後の客が帰り、リンクが一息ついてエプロンを脱ぐと、ガノンドロフは封筒を彼の前に差し出した。
「給料だ」
ガノンドロフはそれだけ言うと背を向け、デッキブラシを持って厨房の床を掃除し始めた。リンクが封筒を覗くと、入っているルピーは約束された時給よりだいぶ多い。また、「ラーメン無料券」と印刷された札が数枚入っている。
「大将....いや、ガノンドロフ」
リンクは封筒を手にしたまましばらく躊躇していたが、やがて呟いた。相手はこちらに背を向けたままだ。
「手伝いは今日限りにさせてもらうよ。やっぱり僕はお前のことを心から信用することはできない」
ガノンドロフは黙ったまま掃除を続けていた。リンクは溜め息をつくと、カウンターの下に置いておいた剣と盾を担ぎ、踵を返して店の扉に手をかけた。
すると、ガノンドロフはやにわに手を止め、首だけ曲げてこちらを見、言った。
「小僧、今日はよくやってくれた。礼を言う」
リンクは困惑した顔でしばらく思案に暮れていた。だが彼は首を振ると、扉を開けて店の外に出た。
心の中には不安と混乱が渦巻いていた。一日の労働で空腹を感じていたが、なぜか食事をとる気にもなれなかった。
* * * * * * * * * * * *
「ラーメン屋の店主?それがどうかしたのかい?」
シャッドは眼鏡の奥の目を丸くした。翌日はテルマの酒場の営業日だったので、リンクは昼過ぎに立ち寄ったのだ。奥の客室にいつものように陣取っていたシャッド、アッシュ、そしてラフレルと合流したリンクは、詳細は話さないようにしながらも自分の懸念を彼らに打ち明けた。
「彼が言うには、自分は若いころはかなりのワルだったけど今は回心したって話なんだ。昨日、行きがかり上店を手伝ったんだけど、本当に彼が心を改めたのか気になってね」
「そいつの人相風体はどんな感じなんだい?」
シャッドが興味を持って尋ねてきた。
「身長は二メートルくらい。筋肉質で、色黒で、凄くいかつい顔だよ。多分外見だけ見たら皆怖がるだろうね」
リンクは答えた。
「乱暴者か?ならばこのアッシュが多少の仕置きをしてやればその回心も本物となろう」
アッシュがやや冗談気味に口を挟む。
「いや、それが違うんだ。店の隣で商売をやってるゴロンの言うには礼儀正しいって話だし、まあ無口なほうなんだけど失礼なことは全然しないんだよ」
リンクは答えた。
「ふうむ、ここで話し合ってもらちが開かぬ。皆で会ってみたらどうですかな?」ラフレルが提案した。
結局夕刻までそこで時間を過ごしてから、四人は席を立った。
「おや、四人揃ってお早いお帰りかい?」
込み始めた客席で給仕をしていたテルマが振り返ってこちらに声をかけてきた。
「テルマ嬢、本日はこれで失礼する。我らラーメン屋というところに行くことにしましたのでな」
ラフレルが手を上げて答える。
「ラーメン屋ぁ?若い人たちはともかく、あんたがそんな新しいもの好きとはねぇ」
テルマは空の食器を盆に載せながら笑った。
「いや、料理を食するのは主目的ではない。店主の人物を見定めてほしいというリンク殿の頼みで参るのだ」
アッシュが口を挟んだ。
「店主の人物?なんだいそれ?」テルマは手を止めて不思議そうな顔でこちらを見た。
「町外から来たよそ者なんだ。今ひとつどんな人なのかわからなくてね。用心のため皆にも会ってもらうおうと思って」
リンクが補足する。
「よりによってあんたがそんな心配をするなんてヘンな話だねぇ、リンク」
テルマはそう言うと、食器を満載にした盆を手に近づいてきた。
「もしそいつが悪いヤツでも、あんたとアッシュにかかればイチコロだろ?」
「ま.....まあね」テルマにポンと肩を叩かれたリンクは笑顔を作ると誤魔化した。
もしも、もしもあの男が改心していなかったら。前回ヤツと戦ったときは、ミドナとゼルダ姫の助けを借り、幸運にも恵まれ、ようやく倒すことができたのだ。だが今はどうだろう?あの男がもし元のガノンドロフに戻り、憎悪を剥き出しにして襲ってきたら?
そうなれば、自分とアッシュとの二人がかりでも歯が立たないかも知れない。そんな想念が浮かんできたリンクは自然と背筋が寒くなるのを感じた。
一行はテルマに見送られ問題の店に向かった。裏通りから目抜き通りに出て、右に曲がってしばらくすると、件の特徴的な匂いが漂ってくる。店の前には昨日と同様行列ができていた。町中にすっかり噂が広がったようだ。
行列の最後に並ぼうとすると、やにわに扉が開いた。
「済みませ~ん。もうすぐ売り切れなんですぅ。そこのお客様たち、申し訳ないけど明日来てもらえます?」
金髪に染めた髪を束ねてエプロンを付けた若い女性が出てきて申し訳なさそうに頭を下げた。
しかし、その背後から巨大な影がぬっと姿を現した。
「あと四食ならギリギリなんとかなる。今テーブル席が空くから待っててくれ」
出てきた店主はそう手短に述べると、女性店員に向き直った。
「すまんが今日は賄いは無しだ。その代わり食事手当は出す。20ルピーで足りるか?」
「まじでぇ?ラッキー、店長太っ腹ぁ!」
喜んだ女性店員は店主の腹を拳で軽くつつく。リンクたち四人は顔を見合わせた。
「ふむ。雇い人の扱いは悪くないと見えますな」ラフレルは顎髭を指でつまんで捻ると、店主に続いて店に引っ込んでいく女性店員の後ろ姿を見ながら呟いた。
「確かに」アッシュも同意した。「脅されたり無理強いされている様子は見受けられぬ。むしろ喜んで働いているようだな」
二人がそう話し合っていると、再び扉が開き女性店員がテーブルに案内してくれた。
「彼をよく観察していて欲しいんだ」席に着いたリンクは三人に顔を近づけると、囁いた。「何しろ正体がいまいちわからない。以前どんな仕事をしていたのかも話してくれないし」
「心得た、リンク殿」アッシュは答えた。
「それにしてもこの匂い、食欲をそそるなあ」シャッドが言う。
「まことに。実は、老輩は医者に脂身を控えるよう言われているのだが、こうも匂いを嗅がせられるとなかなかに我慢できぬものですな」ラフレルも応じた。
「魔王ラーメン一つ!」シャッドが慣れた様子で注文する。
「老輩も!」ラフレルも続いた。
「はあ~い!魔王ラーメンお二つで!」女性店員が空いたカウンター席を片付けながら元気よく答え、アッシュとリンクのほうを見た。「おあとは?」
尋ねられ、アッシュが手を上げた。「私は一番高いものを頂く。店の真の実力がわかろうというものだ」
「は~い。じゃあ全部のせ一丁で!」女性店員はエプロンのポケットから伝票を取り出して記入した。
「勇者さんは?今日もお腹空いてるんじゃないの?」彼女から人懐っこく尋ねられ、リンクは戸惑ったがやがて答えた。
「じゃ...じゃあ僕も全部乗せで」
「は~い!毎度あり!全部のせ二丁!」
「やっぱり二人とも若いね。僕は最近食が細くってね」シャッドがおどける。
「シャッド殿、やはり日頃の運動が肝心ですぞ」ラフレルはしたり顔で説いた。「少なくとも一日一万歩は歩かれてはいかがか?」
「ラフレルには敵わないよ。その歳でその運動量だもんなぁ。ご隠居さんとは到底思えないね」シャッドは言ってからあわてて言い直した。「おっと、今は元老院議長閣下だったね。失敬!」(注*)
「なあに、それも形式だけのこと。女王陛下直々のご下命で断りきれなかったが、一期だけで辞めるつもりでしてな」
「ならばラフレル殿、ご勇退の暁には我らとともに冒険に出られてはどうか?」アッシュが持ちかける。
「いやいや、こんな老いぼれ、お若い方々の足手まといになるだけですわ」
「ご謙遜を申される。ハイラル城での戦いで見せた貴殿の火筒の腕、百発百中だったのを忘れませぬぞ」
女性店員が行ってしまうと、三人は雑談に花を咲かせる。リンクは再び当惑して宙を眺めた。「もし毒を盛られていたら?」という心配が昨日から胸中に去来していたのに、仲間たちは何も疑うことなく料理を注文してしまった。そしてリンクが何かを言い出す前に料理が目の前に運ばれてきた。
「噂通り旨そうだね。いただきます!」シャッドが声を上げた。ラフレルも続いて食べ始める。
アッシュは、スープを掬うと用心深く匂いを嗅いでいる。
「香りに違和感はない」
彼女はリンクの顔を見ると言った。
「リンク殿。昨日貴殿も食べたのだろう?その貴殿が今こうしているということは毒ではないということだ。その点は安心していいだろう」
「そ....そうだね」
リンクも答えた。
「豚の骨、肉、油、塩、ニンニク、胡椒か。豆を発酵させたたまり汁も使っているようだ」
「匂いだけでわかるとはさすがアッシュ嬢ですな」
ラフレルが麺を嚙みながら言う。アッシュの表情はスープの匂いを嗅いでいるうちだんだん変わってきた。眉をやや顰め、その二重瞼の目はやや潤んでいる。鼻腔が心なしか膨らんでいるのがリンクにもわかった。
「アッシュ、冷めないうち早く食べたらどうだい?」
隣の席のシャッドが麺をすすり込みながら声をかけてくる。
アッシュは、覚えず自分の唇を舌の端で舐め始めていた。もはや我慢できないといった風情だ。
「で....ではいただこう」
彼女は取り澄ました口調で言うとスープを一口すすった。
「こ....これは.....」
彼女は目を大きく見開いて感嘆の息をついた。次の瞬間、アッシュも夢中になって麺をすすり込み始めた。リンクは、昨日から食欲がないような気がしていたが、匂いを嗅ぐと身体が条件反射的に反応して腹の虫が激しく鳴る。彼も結局自分の分のラーメンに手を付け始めた。
食事をしているうち、他の客は一人また一人と帰っていく。お先に失礼しま~す、とアルバイトの女性店員が元気よく挨拶して帰っていくと、店内には後片付けをするガノンドロフとリンクたち四人だけが残された。
「ああ腹いっぱいだよ。幸せだなあ」
シャッドは自分の腹を軽く撫でた。ラフレルもやはり満足そうな顔をして、テーブルに置いてあった筒からとった爪楊枝で歯の間をつついている。アッシュは食べ終わったあとしばらく放心状態だったが、やがて気を取り直して立ち上がり、カウンターのほうに歩いていった。
「店主殿。私はアッシュと申す。実に見事なお点前、感服いたした」
アッシュが格式ばった挨拶をすると、店主は手を止めて珍しく相好を崩した。
「それは恐縮だ。気に入ってもらえて何よりだ」
「ところで店主殿にお尋ねする。剣術の経験はおありか?」
そう単刀直入に問われ、店主は少し口をつぐんだが、やがて口を開いた。
「ゲルド剣術を若い頃齧った程度でな。今は老いぼれて剣など持てぬ」
だがアッシュが何か言う前に、横からラフレルが身を乗り出した。
「この老輩よりはだいぶお若く見えますぞ。失礼ながら御年はおいくつですかな?」
ラフレルと店主は馬が合うのか、たちまち話が盛り上がった。二人は政治、国際情勢から歴史、さらには相撲や観葉植物の育て方まで幅広く論じ合い、すぐ時間が経ってしまった。
だがリンクは三人に合図すると昨日もらったラーメン券を出してカウンターに置いた。四人は夜道に出ていった。気温が下がり始めているが火照った体には丁度よい。
「みんな、どう思う?」
リンクは歩きながら尋ねた。
「悪人ではなさそうだが、ゲルド剣術というのが気になる」アッシュは顎に手を当てた。
「いずれにせよ、あの店主は相当の使い手だということは間違いない。おそらく私やリンク殿と同程度のな。あの巨体なのに動きに慢心が全く見られないのがその証拠だ」
「そう思うかい?」
相槌を打ったあとリンクは再び問うた。
「でも、そんな男が万が一悪者だったら、酷いことになると思わないかい?」
アッシュは少し考えた後答えた。
「リンク殿、おそらくその心配はないと私は推測する」
「なぜ?」
リンクは聞いた。
「武をもって暴虐を働く男というものは普段から人前で自分の強さをひけらかしたがるものだ」
彼女は答える。
「あの男は今の自分の仕事を愛し心から打ち込んでいるように見える。彼がそうしている限り誘惑に陥ることはない。例えそういった欲望が心のどこかにあってもな。それが私の見立てだ」
「そうか.....」
リンクは前を向いて呟いた。
「老輩は気に入りましたぞ。なかなかの好人物と見える」
ラフレルが横から言った。
「でもラフレルさん、怪しいところとかは見当たらなかったですか?言ってることとか、あるいはしぐさとか...」
それでもリンクは尋ねてみた。
「ふむ、特にござらんな」ラフレルは答えた。
「老輩の経験でも、悪事を心に秘めている人間というものは本心を隠すため不自然に笑顔を作ったり、大仰に丁重な振る舞いをするもの。だがあの男からはそのような様子は感じられませぬ」
「そうですか...シャッド、君はどう思う?」
リンクが問うと、青年は驚いたようにこちらを向いた。
「え?あ...ああ。何の話だったっけ?」
「あの店主だよ。信用できそうな人に思えるかい?」
重ねてリンクが尋ねると、シャッドは決まり悪そうに頭を掻いた。
「ごめん、リンク。あの料理は食べてるうちに眼鏡がすっかり曇っちゃうのが難点だね」
「眼鏡?それがどうかしたのかい?」
リンクは尋ねた。
「ああ。僕、途中から眼鏡を外しちゃったから、店主の顔も全然覚えてないんだ」
彼はそう言いながら、胸ポケットから眼鏡を取り出して顔に掛けた。
リンクは溜め息をついた。
結局、レジスタンス仲間の三人は皆同じような意見だった。店主に怪しいところはない。あのラーメンという料理は実に旨い。雑談しながら中央噴水広場に着くと、一同は解散し、ラフレルは城内の官舎に帰っていった。アッシュとシャッドは東通りのそれぞれの自宅へ戻り、リンクは滞在中の安宿のある貧民街に向かった。
宿で床についたリンクは昨日の魔王との会話を何度も反芻した。
ガノンドロフは自分だけでなく三人の仲間の目をも欺けるほどの演技上手なのだろうか。それとも彼は、彼が言った通り本当に変わったのだろうか。心の中を当惑と疑問が去来するなか、リンクは眠りに落ちていった。