「底の知れないダンジョン?」
アッシュは箸で器用に麺をつまんだ手を止めて尋ねた。
「ああ。ゲルド砂漠の南東あたりで見つけたんだ」
リンクは答えた。
「それで、中はどうだったんだい?もう探索したんだろ?」眼鏡を頭の上に乗せたシャッドも顔を上げて聞いてくる。
「階層状になってるんだけど、最初の十階層くらいまで行ってから引き返したんだ。何しろ魔物の数が多くって」
リンクは両手を広げて表現した。
「ずっと先まで続いてそうだったから、もっと矢とか爆弾が必要だと思ってね」
「魔物はどんな連中がいたのだ、リンク殿?」
アッシュに尋ねられたリンクは回想しながら答えた。
「ボコブリン、吸血蝙蝠、ヘビババ、大蜘蛛、大アメンボ。それから火トカゲとか火炎ナメクジもいたよ」
「ふむ。だがリンク殿の腕ならそんな連中わけもないことではないのか?」
上品な仕草で麺をひとすすりして食べ終わるとアッシュは言った。
「実は、他に少々面倒な連中もいたんだ。弓矢をもったブルブリンと蜥蜴男どもさ。それぞれが二匹とか三匹一組で待ち伏せてるんだ」
「なるほど。弓手が二人以上いると確かに面倒だ」
アッシュは納得した。最近、リンク、アッシュとシャッドは、テルマの居酒屋が開いていない曜日は魔王ラーメンのテーブル席で会合を持つのが習慣になってきた。リンク自身はあまり気乗りしなかったのだが、アッシュの強い希望からだった。しかしラフレルは議会が忙しく城の官舎に詰めっぱなしなので、三人だけになることが多い。
「いらっしゃい勇者さん。お冷やいかがですかぁ~?」昼過ぎにしてはまだ込み合った店内で一通り客あしらいを終えると、バイトの若い女性がピッチャーを持って近づいてきた。リンクは頷き、冷たい水を注いでもらうとごくごくと飲んだ。
「私もいただこう」アッシュも手を上げる。
「アッシュさん、今日もお綺麗ですね!お肌なんか真っ白でスベッスベじゃないですか」グラスに水を注ぎながらバイトの女性が軽口を叩く。
「らちもないことを申されるな。私は美容には興味はない。偶々だろう」にべもなくアッシュが答えた。
「も~、そういう発言ってすっっごいムカつくんですけどぉ。こっちは努力してるのにぃ」バイトの女性がふくれっ面をすると、シャッドが混ぜ返した。
「お姉さんお姉さん、僕は可愛い君を目当てに毎日来てるんだよ?知らなかったの?」
「やだぁシャッドさん、それってストーカーじゃないですかぁ?」笑いながらバイトの女性が立ち去ると、三人は再びダンジョンの話題に戻った。
「興味深い話だ。リンク殿、次に行かれるときには私も探索行に加わってもよいか?」
「君が?」
意外に前のめりなアッシュの反応にリンクは驚いた。
「さよう。私はリンク殿とダンジョンを冒険したことはないからこれは良い機会だ。それに近頃は実戦を久しく行っていない。このままでは腕が鈍る」
「そんなに深いダンジョンなら僕も連れてってほしいな」
シャッドも言った。
「僕は今ゲルド文明に興味があってね。どうやら滅亡した独自の文化があったらしいんだ。何かの遺跡があったら儲けものだよ」
「シャッド殿。だが常に我らが守って差し上げられるとは限らぬぞ。それでもよいのか?」
アッシュが尋ねた。
「ちょ...ちょっと、まるで僕がお荷物みたいじゃないか。見損なってくれるなぁ」
シャッドはやや鼻白んだ様子で言った。
「僕だって剣術の練習はしてるんだぜ?......まあ週一くらいだけど」
最初は勢い込んだシャッドが自信なさげな口調になって付け加えると、リンクは思いついたように手を叩いた。
「シャッド、君に頼みがあるんだ」
「何だいリンク、なんでも言ってくれ」
シャッドは嬉しそうにリンクを見た。
「僕の道具を運んでくれるか?少々重いやつもいくつかあってね」
「なんだ」シャッドはがっくりと項垂れた。
「結局は運搬担当かぁ。わかったよ。それでも役に立たないよりはマシだからね」
三人は話し合いを進めた。結局、今日中に装備を整え明日出発することとなった。
「おや、あんたたち冒険に出るのかい。気をつけて行くんだよ」
勘定場に立って三人からルピーを受け取ったテルマが言った。
「テルマさん...」
リンクは左右を見回すと、彼女に顔を近づけた。カウンターの奥で立ち働くガノンドロフのほうを見ながら囁く。
「テルマさんも気を付けて。あの男、信用できるかどうかはまだ分からないから」
だがその言葉を聞くと、テルマは眉をひそめ、みるみるうちに不機嫌な表情になった。
「ちょいと、いくらあたしとあんたの仲でもそいつは聞き捨てならないね。うちの店長がどうかしたって?」
「いや、でも...」
リンクが慌てて言い訳しようとすると、彼女は両腕を組んで顎を上げた。
「それともなにかい、あたしには人を見る目がないってえのかい?ええ?」
「そういうわけじゃないけど..........」
口ごもったリンクに、アッシュが横から声をかけた。
「リンク殿は剣士になりたての頃に比べ随分と用心深くなられたようだ。それ自体は良いことだが、さすがに城下町の中でそれはやり過ぎではないのか?」
「そうさ。あたしはねえ、剣とか戦いのことは何も知らないけど、店をやってる人間の気持ちはよぉくわかるんだよ」
やや平静な口調になったが、それでも怒りの収まらぬ様子でテルマは言った。
「うちの店長は客に安くて旨いものを喰わせたいっていう一途な男なんだ。あたしにはそれがわかる。だから店長のことを悪くいうといくらあんたでも承知しないよ?」
「わ...わかったよ。わかったから」
慌てたリンクは両手を上げた。完全に怒らせてしまう前に退散することにした。
「だいたいリンク、こんなのあんたらしくないじゃないか。そんなに怪しいって思うんだったらあんた自身が問いただしてみたらどうなんだい?」
表情こそ和らいだがそれでもテルマは気が済まないようだ。
「あの人は隠し事するような人じゃあないからね。男同士、とことん腹を割って話し合えばあんたにもわかるだろうよ。なんなら私がお膳立てしてやってもいいんだよ?」
「いや...わかったよ。テルマさんがそういうなら僕も信じるよ」
リンクは答えた。そして少し俯くと続けた。
「ただ....」
「ただ?なんだっていうんだい」
テルマは尋ねる。
「その‥‥偶然なんだろうけど、似てるんだ。店長があの男に」
そこまで言ってからリンクは言葉に詰まった。言ってしまっていいのだろうか。だが、迷った末、彼は口を開いた。
「彼、似てるんだ。あの死んだ男にね」
「死んだ男?」
テルマは当惑した表情を見せた。
「そいつはいったい誰なんだえ?」
そう問われて、彼は逡巡したが、小さな声で答えた。
「魔王さ」
「魔王?」テルマも、アッシュも、そしてシャッドも同時に声をあげた。
「魔王に似てるんだ。彼は」
リンクは目を伏せて言った。
しばらくの間目をぱちくりさせていたテルマだったが、やがて両手を打ち鳴らし豪快な声で笑い始めた。
「魔王って.........いくらなんでも魔王ってねえ。やだねぇこの子は。いったい何を言い出すかと思えば」
「おかみさん、餃子一丁!」近くのカウンター席にいた客がテルマに声をかける。
「はい毎度!.......やだねぇ、もう。夫婦でもないのにおかみさん、だって」
テルマは顔を赤らめると、注文を通しながらリンクのほうを見て恥ずかしそうに笑った。彼女の機嫌が直ったのでリンクもホッとした。
「まいど!」
バイトの女性、ガノンドロフ、そしてテルマの声を背中に受けながら三人は店を後にした。まだ日は高く、暖かい日差しが目抜き通りの露店に並んだ花や果物を照らしている。
「リンク殿、そんな事情があったとはな。なぜ今まで黙っておられたのだ?」
アッシュが歩きながら水を向けてきた。
「なぜって.....頭が狂ってるって思われるのが関の山だと思ったからさ。一度死んだ人間が蘇ったなんてね」
リンクは答えた。
「へえ、魔王ってああいうタイプだったのかぁ。知らなかったよ」
シャッドも興味深そうに呟いて、通りを歩きながら店のほうを振り返った。
「リンク殿、魔王とひとり相対して貴殿が感じた恐れや絶望や焦燥感、いかばかりであったろう。お察し申し上げる」
しばらくの沈黙の後、アッシュがリンクの肩に手をかけながら言った。
「そしてそれを克服し彼を倒した貴殿の勇気もまた比類なきもの。だが.......」
リンクは黙って聞いていた。
「だが、そろそろ過去から離れ前に進まれる時ではないか?」
彼女は言った。
「アッシュ....」リンクは力なく微笑むと、前を向いた。
しばらく黙って目抜き通りを歩いていた三人だったが、やがてリンクは口を開いた。
「君の言う通りだよ、アッシュ」
彼は上を向いて続けた。
「君の言うとおりさ。僕は魔王を倒した後も今までずっと彼を恐れていた。自分が倒したからこそあいつの影に怯えていたのかもしれない」
アッシュとシャッドは耳を傾けている。リンクは少し溜め息をつくと続けた。
「きっとあの時と同じ経験を繰り返したくないっていう僕のこの思いこそが、僕を前に進めなくしてる。きっとそうなんだ」
「今と同じことは将来二度とは起こらぬ」
アッシュは言う。
「今味わうすべての瞬間は一期一会。同じに見えて違うもの。だからこそ我ら剣士は一筋の斬撃に命を賭ける」
「だとすれば、新しくやってきた試練にも、新しい気持ちで向き合わないといけないんだね」
リンクがそう言うと、アッシュは答えた。
「さよう。リンク殿もまた過去のリンク殿ではない。常に新しくされている」
リンクは再び微笑んだ。
「なんだか吹っ切れた気がするよ。ありがとうアッシュ。君みたいな友人を持てて幸せだ」
「水臭いことを。同じ剣士ではないか」
リンクが礼を言うと、アッシュがやや頬を赤らめて目を逸らした。
「やれやれ、僕はまた仲間外れかい?」
シャッドがふざけた調子で口を挟む。
「むろんシャッド殿も仲間だ。だが稽古はもう少し熱心にされたほうがよい。少なくとも毎日一時間はな」
アッシュがそう微笑むと、シャッドの肩に手を置く。
「嬉しいんだけど、君っていっつも一言多いんだよなぁ」
シャッドが返すと、アッシュはすかさず突っ込んだ。
「今何と言われた?シャッド殿」
「いや、なんでもない。なんでもないってば!」
アッシュがその手に力を込める。細い体格からは考えられない程の強烈な握力を味あわせれた青年は悲鳴を上げた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌日、テルマは魔王ラーメンに10時ごろ出勤した。開店30分前でいいと言われていたのだが、開店よりだいぶ前に店に出るのが長年の習慣になってしまっていたからだ。
だが店の扉を開けた途端、中から出てきたガノンドロフと鉢合わせしたテルマは思わず声を上げ尻餅をついてしまった。
「おおテルマ嬢か。すまなかった。怪我はないか?」
ガノンドロフは手を伸ばしてテルマを助け起こす。
「ちょっと....あんたって人は他人より大きいんだからさ、気を付け...」
テルマはガノンドロフの手をとった瞬間、その手が手甲に包まれているのに気が付いて顔を上げた。
見ると、ガノンドロフは全身を黒光りする鎧に身を包み、マントを羽織っている。
「ちょ....ちょっと。あんたなんでまたそんな恰好して....」
「テルマ嬢、すまんが二、三日留守にする。その間店を頼みたいのだ」
助け起こされながらも、藪から棒にそう言われたテルマは目を丸くした。
「二、三日...ってあんたどうしてまた急に。だいいち明日の仕込みはどうするのさ?」
「調理の手順は全て書き記してある。儂は貴女の舌を信用する」
ガノンドロフは頭を下げた。
「面倒をかけるがその分ボーナスも弾む。だから頼む。この通りだ」
テルマは困惑した。店を切り盛りする自信がないではなかったが、それよりもガノンドロフのただならぬ雰囲気が気になった。
「頼まれないこともないけどさ、それよりも事情を説明しておくれよ」
彼女は両手を広げると相手の顔を見上げた。
「その恰好といい、そんなに血相変えていったい何するつもりなんだい?いったいどこに行こうってのさ?」
そう問われると、ガノンドロフはテルマを店内に引き入れ扉を閉じ、彼女に顔を近づけて言った。
「あの小僧が探索しにいく洞窟だ」
「洞窟?」
「そうだ」
ガノンドロフは真剣な口調で言葉を継ぐ。
「あの洞窟は五十階層ある。進めば進むほど魔物たちの数が増え、戦闘力も強くなる。今のあの小僧の力では生き残れるかが心配だ」
それを聞いたテルマはしばらく困惑した顔をしていたが、やがて声を上げた。
「ってことは?あんた、まさかあの子たちを助けに....!」
「そうだ。手遅れになる前にな」
「手遅れって....」
そう言いかけてテルマは言葉を飲み込んだが、彼女はやがてガノンドロフの顔を見上げてその肩に手をかけた。
「あんたがそんなにあの子たちの事を思ってたなんてねぇ」
彼女は心なしか微笑みながら相手の顔を見上げた。彼女は勝ち誇るような思いが胸の内に湧き出てくるのを感じていた。やっぱりだ。やっぱりあたしは男を見る目がある。この人はそういう人だったんだ。
ガノンドロフは黙っている。テルマは続けた。
「でもね、安心おしよ。だって、なにしろあのリンクは魔王を倒したんだよ?」
「ああ。知っている」
「アッシュも一緒だし、そう簡単にやられるわけが....」
「テルマ嬢。儂はゲルドの出身だ。あの地方には呪いがある。魔物の強さも他とは比べものにならん」(注*)
ガノンドロフが遮った。
「儂は行かねばならん。あの小僧を死なせるわけにいかんのだ」
「あんた....」
穏やかだが、有無を言わさないような決然とした口調に押されてテルマは黙った。彼女はしばらく男の顔を見上げていたが、やがて溜め息をついた。
「しょうがないひとだねぇ、あんたも」
そう言うと彼女は胸を張って顔を上げた。
「わかったよ。行っておいで。その代わり約束してほしいことがあるんだ」
「何だ?」
「あんたも無事に帰ってくること。それが条件だよ」
それを聞いてガノンドロフは頷いた。
「わかった。必ず戻ってくる」
「おはようございま~す!」
その時扉が開いてアルバイトの女性店員が出勤してきた。
「あれっ?....店長どうしたんですか、冒険者みたいな恰好して?」
「うむ、二、三日外出する。店を頼む。詳細はテルマ嬢に話してある」
困惑する彼女にそう言うとガノンドロフはテルマに向き直った。
「では頼む」
「まかしときな!安心して行っといで!」
テルマがその背中をパンと叩く。ガノンドロフは扉を開けて出ていった。男の姿が見えなくなるまで窓ガラス越しに見送ると、彼女はカウンターに入って壁についた鉤からエプロンを取り、身に着けた。
「さ、今日からしばらく私たち二人っきりだからね、気合い入れていかないと。よろしくねリーナちゃん」
「はぁ~い!了解でぇす」アルバイトの女性も帽子を被り服装を整えながら返事した。
「でもテルマさん、ひとつ質問いいですかぁ?」
二人が身支度を終えたあと、リーナと呼ばれた女性店員は客席の調味料入れや箸立てなどの位置を整えながら言った。
「なんだいリーナちゃん?」
「あのぉ...テルマさんって...。店長のこと、好きなんですか?」
それを聞いた瞬間、テルマは自分の顔がみるみる紅潮していくのが分かった。なんてことだろう。まるでうぶな生娘みたいじゃあないか。
「す.......好き....?またぁ。この子ったらなに言ってるんだい」
テルマは両手を振ると、寸胴鍋の蓋を開けてスープの状態を確かめるふりをして誤魔化そうとした。
「でもぉ、あのぉ、私ずっと思ってたんですけどぉ.....」
リーナと呼ばれた女性店員はカウンター席に腰かけると、両肘をついて両手の甲に自分の顎を乗せ、テルマを見た。
「店長とテルマさん、すッッッごくお似合いですよ。いっそ結婚しちゃえばいいのにって思います」
「け..っ...こ....ん...?」
それを聞いたテルマは思わず寸胴鍋の蓋を落としそうになった。
「ば....バカなことをお言いよ。まだつきあってもないのにさ。全く今の子は気が早いったらありゃしないよ」
テルマは辛うじてそう言い返すと、鍋の蓋を閉じて自分の顔を手で扇いだ。身体が火照ってたまらない。
「あ...なんかすいません、勝手なこと言っちゃって!さ、仕事しなきゃ」
リーナと呼ばれた女性店員はカウンター席から滑り降りると再び客席を整え始めた。
ようやく心が落ち着くと、テルマは溜め息をついて再びスープを掻き混ぜる仕事に戻った。味見してみると、良い出来だ。これで今日の客の分は万全だ。あとは開店時間を待つだけだ。
胸の鼓動は高鳴りっぱなしだった。だがそれと同時に鼻歌が自然に出てきた。多幸感に包まれ、まるで足のつま先が床から数センチ浮いているみたいな感覚だ。
恋なのだ。これは恋なのだ。こんな感情を覚えたのはどれほど久しぶりだろう。
彼女は考えた。あの人が戻ってきたらどんな言葉をかけてやろうか。それとも何も言わずあの広い胸に飛び込んでしまおうか?
そんな想像を繰り広げていたテルマだったが、彼女はこの恋が束の間の悲恋に終わる運命にあるということを知る由もなかった。