唐突な始まりだが、まず最初に言わせて貰おう。私は死神である。
しかし、世間一般で語られるようなおどろおどろしい者ではなく、生物の死に立ち会い、その者が来世を迎えられるように未練をなくすチャンスを与える存在なのだ。また、私達死神は複数存在し、各地域で担当や役割を決め、各々でそれを全うしているのだ。言ってしまえばサラリーマンのようなものだ。ただ、面接や試験をして採用されるのではなく、生まれながらにして決まっているのかの違いだ。
故にここから後の話はそれを呑み込んで読んで欲しい。怖い話や都市伝説のように、その場所がいわくつきである事や前の住人が自殺した事を最初に話すようなものだと思ってもらおう。
さて、前置きはこれくらいで良いだろう。この物語は私が担当した一つの命の話だ。決して意味のあるものでもなければ寓話でもない。ただ、誰かに話したかっただけの思い出話だ。
【起《プロローグ》】
私はアスファルトの地面に力無く横になっていた。体温は体から出ていく血と比例して下がっていき、意識も次第に曖昧になっていく。視線の先には私を轢いたトラックが建物の壁に突っ込んで煙を上げていた。
なんて理不尽だ。自分はいつものようにお嬢様から頼まれた買い物をしただけなのだ。なのに何故、よりにもよって今日、私はトラックに轢かれて死のうとしているのだ?理不尽すぎる。
―――私はまだ死ねない。
掠れていく意識を手放すまいと足を動かすが、上手く動かない。
―――あと、少しなんだ。あと少し、ほんの少しでいいんです。
立ち上がろうとしても何故だか体が動かない。
―――だから、まだ……。
思考の中で優しげに笑い掛けてくる彼女の下に戻ろうとするが、意識は白濁となり次第に体が固まっていく。
―――お願いです。どうか私を……。
「君が今回の死者かい?」
意識を落としかけたその時、僕を見下ろす黒いスーツを着た男性が僕に向ってそう問いかけてきた。
【生《ライフ》】
清潔感のある一室。部屋の三割を占めるベット、その後ろには医療機器やナースコールが設置されてあった。
此処はとある病院の病室の一つだ。
その部屋の主である少女はベットの上で上半身だけ起こしていた。歳は十六くらいだろうか、少女の容姿は美しく、整った顔立ちに長い黒髪、外人の血が混じっているのか日本人離れした青い瞳。そして、彼女の儚げな雰囲気が少女の美しさを引き立てていた。
「レン、そこの棚の上にある本を取ってくれる」
少女のベットの横には二十歳くらい男が静かに立っていた。男の服装は白いシャツに赤いネクタイを着け、その上から燕尾服を着て下は清楚な黒いズボンと黒い靴を履いていた。
その格好は正に執事や従僕《フットマン》だった。
「はい、シセルお嬢様!」
レンと呼ばれた男は見た目に反し無邪気に元気よく答えて、棚の上に置いてあった本を取り少女の元まで持ってきた。
「ありがとう、レン」
本を受け取り、少女はレンと呼んだ彼の頭を撫でた。彼はそれを嬉しそうに目を細めて受け入れていた。
そんな光景を私は病室の隅に置かれた椅子に座り、病院にあった自販機で買った缶コーヒーを飲みながら眺めていた。
今回、私が担当した死人は従僕の男だ。彼の死因は信号無視の車に轢かれたものだった。私が彼を見つけた時には死ぬ直前だった。そんな彼の魂を救いあげて、私は彼を成仏させるため彼の願いを訊いたのだ。
そして、彼の願いは『明日までの死の遅延』だった。私は特に問題無かったので二次返事で了承し現在に至る。
仕事上、担当の死者と共に行動を決められているので私は部屋の隅で彼と彼がシセルお嬢様と呼ぶ少女そ眺めているのだ。ついでになるが私の姿は担当の死者にしか見えないのでレン以外には見えていない。
「失礼します。シセルさん、検査の時間ですよ」
病室の扉を開き小太りの看護婦がシセルを呼びに来た声で私は思考に沈んでいた意識を戻した。どうやら、あれからあまり時間は経ってないようだ。
看護婦に呼ばれたシセルは「はーい」と間延びした返事をしてベットから降りた。
「じゃあ、レン。大人しく待っていてね?」
「はい、シセルお嬢様。シセルお嬢様もお気を付けて!」
シセルは自分の隣に付いているレンの頭を撫でて、ナースに連れられて病室を出ていった。レンはシセルの後ろ姿が見えなくなるまで見つめていた。
「彼女は、身体が悪いのか?」
私は少女が居なくなったことで周りを気にせず話せると思い、レンにシセルの事を聞いた。彼は突然声を掛けられたのに少し驚きを見せたが、すぐに落ち着き彼は答えてくれた。
「はい、シセルお嬢様は生れながらお身体に病気を持っていて長い間この病院に入院しています」
「そんなに酷いのか?」
「はい。私には病名が分からないのですが、時々口から血を吐く事や高熱を出す事が度々あります」
そう言った彼の表情には陰が射していた。私は医学には詳しくないがそれがどれだけ酷いのかは解った。そして、それが長い間となると彼女の余命はほぼ絶望的だろう。
「何故、君は従僕をしているのだ?」
私は話を変えようと思い、さっきから気になっていた彼の職について訊いた。私は仕事上、多くの死人と関わってきた。消防士や警察、神父や坊主にただのサラリーマンなど、中には殺人犯やテロリストもいた。だが、まだ私は従僕をしている人間には会った事がなかったからだ。
「何故か、ですか…。そうですね、強いて言えば『私達はそういう生き物だから』でしょうか?」
彼の言葉に意味が解らず私は悩む。それを察したのか彼は説明してくれた。
「私達は古くから自身の主に仕えて共に生きてきました。ある時は主人の足として、またある時は主人の眼として。そう、私達は生れながらにして従僕なのですよ」
そう言った彼の自身に嬉しそうに見えた。
「成程、なら私達死神と同じだな。私達も生まれた時からこの仕事をこなす事が決められている」
「へぇ、死神さん達にもそう言うのがあるんですか?」
「ああ、だが私達の多くは仕事を真面目にやらぬ奴ばかりだよ」
死神の多くは仕事中に担当者から目を離して煙草や音楽を聴きに行ったりと嗜好品や娯楽に夢中になって仕事を投げ出す者が多い。そもそも私達の仕事は死者を成仏させるために担当者の願いを訊いて成仏するまでの間見張るというものだ。しかし、担当者は願いが叶えば自然と成仏するので見張る必要は実はあまりないのだ。故に仕事を投げ出す同僚は多く、それを咎めるにも、担当者が成仏しているので指摘する者も少ないのだ。
「貴方はとても真面目なのですね」
「ああ、そうだ。私は同僚と違い仕事に対して真面目だ」
私の言葉に「ええ、そうですね」と、レンは何かツボにはまったのか笑っていた。私は不機嫌に少し睨むと彼は謝ってくれた。
「すみません。ただ、少しばかり解りますよ、そういう仕事に真面目になれるの」
そして、彼はどういう経緯でシセルの元まで来たのかを話してくれた。
昔のレンは捨てられ一人孤独で路地を彷徨っている時、シセルの父親に出会い拾われたそうだ。そして、シセルの両親は共働きで娘を一人にする事が多く、それを如何にかせねばと悩んでいたらしく、彼にシセルの世話を頼んだそうだ。
「私はシセルお嬢様の身の周りの世話をお嬢様のお父様から御命令されました。勿論、私は拾って貰った恩を返すためでもあります」
そして、シセルの父親に連れられてきたこの病院でシセルと出会ったのだ。
「私は初めてシセルお嬢様にお会いした時、この人だと思いました。私の主はこの方しかいないと」
初めて会った時、彼女は優しく彼に笑いかけてくれたのだ。その笑顔を見た時、彼女の笑みを守りたいと思ったのだ。彼は彼女に忠誠を誓い彼女に仕えたのだった。
「シセルお嬢様はさっきも見た通り、とてもお優しい方です。私にできない事を命じてもらった事がないし、一つのご命令をこなせば決まって私を褒めてくれます」
―――そんな彼女だから、僕は彼女に尽くそうとと思ったんです。
彼のその言葉には自信と誇りに満ちていた。
「ほう、では君も仕事に真面目なのか?」
私はそんな彼に共感を持ち少しばかり嬉しかった。彼は「ええ、そうです」とはにかんだ。
そんな話を聞いていて、ふと自分と同じようで違うある人物を思い出した。リンボや辺獄と呼ばれるあの世とこの世の中間地点に石造りの町を築き、そこに迷い込んだ死人を成仏させる仕事を一人でこなす自分が知る限り一番仕事に真面目な少年。彼は色々と融通が利かなかった。そして、彼は死人に決まってある事を訊いていたな。
「なあ、訊くんだが…」
私は特に考えもなく、その質問を彼に言った。
―――死ぬのは怖くないのか?
その質問に彼は虚をつかれたように一瞬固まった。そして、彼は口を開き、「怖くはありません、それよりも怖い事がありますから」と答えた。
私は理由を訊こうと思ったが、彼の雰囲気がさっき今で纏っていたものと違い、暗く重いものになっているのを感じて開きかけた口を閉じた。
それからの私達は会話もなく、検査に行ったシセルが帰ってくるのを待った。
そして、検査からシセルが帰ってきて先のような時間が過ぎた。私はその間、レンとシセルの二人を眺めていたが、喉が渇き病室を出た。
夕方に差し掛かった頃だろうか、病院の廊下は夕日が射して茜色に染まっていた。私は缶コーヒーを買いに自販機までの道をゆっくりと歩き向かう。
そして、自販機あと数メートルというところで前からシセルの担当の小太りの看護婦と医師が来ていた。彼等は何かの話で談笑しているのか、看護婦の品のない笑いが廊下に響いていた。それに私は気分を悪くし、早足で通り過ぎようとした。
看護婦は唐突に何かを思い出したのか、声のボリュームを下げた。私はそれを気にすることなく通り過ぎて、
「そう言えば、あの患者さん」
―――今日までらしいわよ?
看護婦の言葉に私は反射的に振り返った。だが、そこには看護婦と医師は居らず角を曲がったのか見えなくなっていた。
「まさか…」
私は何かに突き動かせられるように急いで元来た道を戻りレンの居るだろう病室に戻った。
そして、病室に入って見たものは四五人の白衣を着た看護師と医者が忙しなく動き、顔色が悪く大玉の汗を流して息の荒いシセルをキャスターの付いたベットに運び変えている光景だった。
彼女の居たベットの枕には夥しい血が付着していた。
そして、それを眺める従僕であるレンは悲しげな目で主である彼女を見つめていた。しかし、その姿には少しも驚きがなく。まるで、こうなる事を知っていたようだった。
【点《カンマ》】
集中治療室前の廊下。そこのソファーにはシセルの母だろう金髪碧眼の女性が目を瞑り手を合わせて娘の無事を必死に祈っていた。その前ではシセルの父だろう逞しい男が忙しなく動き、娘の心配に足を忙しなく動かして短い距離を何度も行ったり来たりしていた。
そんな光景を少しばかり離れた場所で私とレンは見ていた。
「で、君は彼女の容体を知っていたのだな」
私は敢えて断定的に彼に言った。あの場で彼は医師達の次に落ち着いて苦しむ彼女を見守っていた。まるで、こうなる事を知っていたようにだ。それに、彼の願いは『明日までの死の遅延』だった。これはただの偶然にしてはあまりにも出来過ぎているではないか?
「はい。僕は彼女の容体が今日までもたないと知っていました」
彼は私の言葉を肯定し、何かを逡巡するかのように目を瞑り、数秒の後決断したのか彼は口を開き、懺悔するように私に話してくれた。
「私がご主人様に雇われたのは三年前です」
それは一人の従者の物語だった。
彼は幼い少女に仕えたが、彼は余りにも彼は非力だった。
力仕事はその小さな体では出来ず、彼にとって人に言葉を伝える事はあまりにも難しかった。
しかし、彼の主はそんな彼にとても優しかった。
彼に求めたものはただ少しの身の回りの手助けと一緒に居るだけだった。
「私はシセルお嬢様に頭を撫でてもらうのがとても好きでした。褒められた時なんて喜びのあまり駆け回りました」
―――そんな彼女だから、僕は彼女に尽くそうとと思ったんです。
二度目になるその言葉は一度目と違い自嘲めいたものだった。
「私はシセルお嬢様が求める事は全て応えてきました。そういう私をシセルお嬢様は好きだったんだと思います」
従僕は自分に出来る限りの事を尽くして主を微力ながら助け、それに主は従僕に礼を伝える。そうやって二人は日々暮らしていた。外に出る事の出来ない彼女と彼女に付きっきりで外に出る事があまり無かった二人にとってこの病院こそ自分達の世界だった。それに対して不満など無かった。否、彼はこんな日常が永遠に続けばとすら願っていたのだ。
だが、そんな日常はある日終わりを見せた。
「ある日のことです。シセルお嬢様が私にそれを話してくれたのは…」
―――ねぇ、レン。私、一か月ももたないんだって。
その日も彼女が毎日のように検査から病室に戻ってきたのだが、彼女は一言も言わず速足で自分のベットに寝ころんだ。そして、暫くしてから発した第一声がそれだった。
彼女は検査の帰り、偶然にも自分の担当の医師と看護師が話しているのを聞いてしまったのだ。
「シセルお嬢様は泣きながら私に話してくれました」
故に知っていたのだ。彼女の命が今日までしかもたない事を。
「あの時訊きましたよね、死ぬのが怖くないのかって?」
彼は自身の主が居るだろう集中治療室に視線を移した。視線の先では集中治療室から出てきた医師の一人がシセルの両親に何かを話していた。
「私はお嬢様より先に死ぬ方が怖いのですよ。シセルお嬢様を孤独にする事だけは自分には出来ません」
―――だって、非力な私に出来るのは彼女を孤独にさせない事ぐらいですから。
彼は自虐的な笑みを浮かべてそう言った。
医師の話を聞いていた二人の男女は涙を流し、一人は膝から崩れ落ち、もう一人は壁を殴った。
【結《エピローグ》】
薄暗い霊安室。静かに眠る少女を目の前に私とレンの二人は立っていた。数時間前まで部屋を満たしていた彼女の両親の嗚咽が嘘のように霊安室は静寂と暗闇に包まれていた。
眠る彼女の顔は今は白い布で覆われて見えないが、表情は生れながら持っていた病から解放されたからか安らかなものだった。
「君は、これで良かったのか?」
私は隣にいる彼に問うた。彼は静かに微笑み「はい」と短く答えた。
「私がお父様からもらった命令は『シセルお嬢様の遊び相手』だったんです」
彼は彼女の元までゆっくりと歩きながら言葉を綴る。彼の体を段々と陽炎のように薄くしながら。もう彼の約束の期限はあとほんの数分しか残っていないのだ。
しかし、彼はそれを気に留めるようすはなかった。
「誰でも出来る事かもしれません。ですが、私にとってそれはとても難しい事でした」
一歩一歩彼が進むにつれて四肢は薄く厚みを消していく。
「でも、あの事故で私は死にひんした時、貴方が現れてくれた事に私がどれだけ救われたか」
振り返り、彼は本当にありがとうございます。と透き通った頭を下げた。そして、彼はまた彼女へと足を進める。
「ああでも、良かった。シセルお嬢様お一人を彼方に行かせずに済みます」
主人の下まで辿り着いた彼にの体はもう掠れて見えなくなっていた。
彼は彼女の手を愛しげに握り、倒れるように床に腰を落とした。
「シセル、お嬢様…今参り、ます……」
そして、彼は見えて無くなり、そこには二つの亡骸が残った。
それを見届け私は霊安室の扉を開いた。そのまま閉じて出る前に一度振り返った。
そこには永遠の眠りについた彼女の眠るベットの脚下で彼女を守るように黒い犬が安らかに眠っていた。
その光景を目に収め、私は扉を閉じた。