繋がれし、愛しき蹄の記憶 ――この手で紡ぐ、君との軌跡 作:テクニクティクス
今日もまた、トレセン学園の中庭に、あの高笑いが響いていた。
声の主は、いつも通りの安心沢刺々美。不法侵入の常習犯であり、なぜか懲りずにウマ娘たちへ笹針治療をしようと現れる変わり者だ。
「またやってるなあ……」と、二階のトレーナー室の窓からその騒ぎを見下ろす。たづなさんの制止の声、職員たちの慌ただしい足音。なんだかもう、いつもの光景になりつつあった。
けれど、いつものようにただ笑って済ませることができない自分がいるのも事実だった。
確かに彼女のやり方は強引で、あまり褒められたものではない。だが――
施術を受けたウマ娘たちの中には、体調が良くなったとか、走りにキレが戻ったという話もある。
信じすぎるのは危うい。でも、全部が全部まゆつばだと決めつけるのも、それはそれで思考停止かもしれない。
窓の外から視線を戻すと、ふと机の端に置かれた資料に目が留まる。
キタサンブラック。自分が担当しているウマ娘の名前だ。
主戦場は中距離から長距離。どのレースも負荷が高く、肉体にかかる疲労も大きい。
真面目で頑張り屋な彼女は、少し疲れていても「大丈夫です!」と笑ってしまう。たぶん、無理していることに自分でも気づいていないこともあるんだろう。
だからこそ、こちらが気づいてあげなければならない。
整形の医師や保険医に任せるのも大切だ。プロのケアは欠かせない。
でも、それだけじゃなくて、自分自身の手でも――少しでも彼女の力になれたら。
レース後に「お疲れさま」って、ちゃんと気持ちよく体を伸ばしてあげられたら。
そんな風に思ったのは、彼女の笑顔がほんの少しだけ疲れて見えた日だった。
「アスリートのためのストレッチ&ボディケア入門」
そうタイトルのついた本を今日は帰りにひとつ、買ってみた。
知識も経験も、まだまだ足りないけれど。
せめて、“大切な担当ウマ娘”のためにできることを増やしていきたい。
それがトレーナーとしての自分にできる、ささやかな第一歩なのかもしれない。
資料の山を片づけてから、ふぅと小さく息を吐く。肩を回そうとして思わず顔をしかめた。思っていたよりも、ずっと重い。
「……お疲れですか、トレーナーさん」
そう声をかけてきたのは、ちょうど部屋に顔をのぞかせたキタサンブラックだった。トレーナー室に入ってくると彼女はすぐさま背後に回り――
「ちょっと、失礼しますねっ」
言うが早いか両手が肩にそっと触れる。温かな掌がためらいもなく凝りの芯をとらえて、押しほぐしていく。じわじわと張り詰めていたものが和らいでいくのがわかる。
「ああ……相変わらず……上手いな」
そう言葉をこぼすと、背中でキタサンがくすっと笑った。
「前にもこうやってトレーナーさんのコリをほぐしてあげたことありましたね」
その声が嬉しそうでつられてこちらまで頬がゆるむ。
「……ほんとに助かるよ。最近ずっと座りっぱなしだったから、肩がバキバキで」
「やっぱり! ちょっと張ってましたもん」
得意げに言いながらも指の動きはどこまでも丁寧だった。
彼女の手はよく鍛えられているのに、どこか優しい。力任せではなく相手の痛みを察しながらそっと寄り添ってくれるような温度があった。
「よし、これでOKですっ!」
満足げに言って両手を離す。肩を回してみると、たしかに軽くなっている。
すごいと感心して彼女を見るとキタサンは少しだけ胸を張って照れたような笑みを浮かべていた。
「これで、明日からもまた頑張れますね!」
「……うん。ほんと、君のおかげだ」
そう口にしてから、ふと気づいた。――こんなにも気づかってもらって嬉しくないわけがない。
「……ねえ、キタサン」
ふと、声が自然にこぼれた。
「君、最近、脚とか重く感じることってない?」
「えっ? あ、はい……そうですね。トレーニングは楽しいんですけど、やっぱり夕方になるとちょっと脚がずーんって重くなる時はあります」
少し照れたように、けれど正直に話してくれるその姿に胸の奥がやわらかくなる。
「実はね、最近ちょっと勉強しててさ。ウマ娘のケア用にストレッチとか筋膜リリースのやり方を覚えてみたんだ。プロには敵わないけど、疲れを和らげるくらいならもしかしたらできるかも」
キタサンは目を丸くして、次いでぱっと表情を明るくした。
「ほんとですか!? わあ、やってもらえたら嬉しいです!」
「無理しなくていいんだよ。慣れないうちは変に痛くなるかもしれないし」
「だいじょうぶです、私、トレーナーさんの手なら安心ですから!」
その一言に、不意を突かれたように鼓動が跳ねる。
そんなにまっすぐに言われると、逆にこちらが恥ずかしくなってしまう。
「……じゃあ、少しだけやってみようか」
「お願いしますっ!」
彼女の声がいつもよりほんの少しだけ柔らかく響いた気がした。
部屋にノックの音がして「お待たせしましたー」といつもの朗らかな声が届いた。
トレーナー室に戻ってきたキタサンは白のTシャツにえんじ色の短パン。どちらもごく一般的な練習着のはずなのに、なぜか少しだけ視線のやり場に困った。
「こっち、座ってくれる?」
「はいっ!」
彼女は返事と同時にヨガマットに正座し姿勢よく背筋を伸ばす。どこか整った所作がキタサンらしくて可笑しい。
……けれどそれ以上に、目の前の背中の存在感に、思わず息を呑む。
少女としての柔らかさのその奥に、アスリートとして鍛え上げられた筋肉がある背中。
Tシャツ越しでも肩甲骨の動きや呼吸でわずかに上下する肋のラインが見える。普段の制服姿では隠れていた素の彼女の輪郭がそこにあった。
「それじゃ、ちょっと触れるよ」
小さく声をかけてからそっと肩に手を置く。キタサンの身体が一瞬びくりとわずかに反応した。
「ご、ごめん。くすぐったかった?」
「い、いえっ……ちょっとだけ、びっくりしちゃって。でも、大丈夫です」
振り向かずにそう言う声はほんのりと甘く、どこか照れの混じった響きをしていた。
手のひらでTシャツ越しに肩甲骨の周辺を探り、指で軽く押す。筋肉はしなやかだが確かに張っている。
負荷がかかっている証拠だ。そこを丁寧に、呼吸に合わせながらゆっくりと解していく。
「ん……っ、あ、そこ、ちょっと気持ちいいです……」
息が漏れるような声が、耳に届く。
それは単に“楽になった”という反応なのだと分かっていても――なぜか胸の奥がざわついた。
肩から背中、腕へ。触れる範囲が少しずつ広がるにつれて、キタサンの身体の熱が手のひらに乗ってくる。
彼女の呼吸、肌の下で動く筋肉。汗ではない淡い香り……五感のすべてが、彼女の存在を確かに刻んでくる。
「いつも、こんなに疲れてるんだな……」
ぽつりとこぼした言葉に、キタサンは小さく笑った。
「でも、走るのが好きだから。……それに、今みたいにケアしてもらえるの、なんだか安心するんです」
トレーナーとして、彼女を支えるための手だった。
だけど、今この瞬間――自分の手が彼女に触れていることそのものが、どこか特別に思えてしまう。
だめだ、落ち着け。これはあくまで、彼女のための施術なんだから。
そう自分に言い聞かせても、触れている手が少しでも強くなりすぎないようにと慎重になるほど、余計に意識が集中してしまう。
彼女の髪がわずかに揺れ、首筋がすっと見えた。不快ではない少女らしい香りがじんわりと空気に混ざって伝わってくる。
「……大丈夫、ですか? わたし、変な座り方してないかな」
キタサンが振り返らずに尋ねるその声が、なぜだか少しだけ近く感じた。不意に胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「……ああ、大丈夫。すごく、がんばってるんだなって、思った」
「ふふっ、ありがとうございます」
そんな当たり前のやりとりすらも、今はひどく意味を持っている気がして、言葉の一つひとつが胸に染み込んでくる。
まだ、上半身が終わったばかり。このあと脚や腰のストレッチに移ると思うと――このざわつきが今以上に増していく気がしてならなかった。
「じゃあ、次は脚のストレッチに移るね」
そう告げるとキタサンは素直に頷き、床に仰向けになった。体操服のTシャツがわずかに腹部に沿って引かれ、呼吸に合わせて上下しているのが見える。
視線を逸らさないようにしながら、彼女の片脚をそっと持ち上げる。膝の裏に手を添え、もう一方の手で足首を支えてゆっくりと伸ばしていく。
張りのある筋肉が押し返すような抵抗を見せるが、彼女はじっと呼吸を整えて受け入れていた。
「……んっ、そこ、ちょっと……」
小さく息をこぼす声が、なんでもない言葉なのに耳の奥に熱を残していく。
決して艶めいた声ではない。けれど、それがかえって生々しい温度を持ってこちらの理性を焦がしてくる。
自分の膝で彼女の脚を支える形になっていて、その接点から熱がじんわりと伝わる。
柔らかな肌の上に指を這わせ、張っている部位を軽く圧すたびにキタサンはほんの少しだけ身体を震わせた。
「痛くない?」
「……だいじょうぶです。……トレーナーさんの手、あったかいですね」
その言葉に、思わず胸が鳴った。彼女の瞳は天井を見つめているはずなのに、その言葉はまっすぐこちらを見ているようだった。
手のひらに宿る熱が自分の中にも伝わってくる気がする。ケアをしているのは脚なのに、まるで心を撫でられているようだった。
もう一方の脚へ移り、今度は膝を胸に寄せるような形のストレッチへと変える。自然と距離が近くなり、彼女の顔がすぐそこにあることに気づく。
吐息の微かな熱が、頬にかかる距離。
「トレーナーさん……」
ぽつりと、名前を呼ぶ声が落ちる。思わず目が合ってしまった。その瞳の奥に、わずかな戸惑いと同じくらいの信頼が、混ざっていた。
触れているのは筋肉。しているのはあくまでケア。――なのに、なぜこんなにも鼓動が乱れるのか。
腰部に触れるため彼女をうつ伏せにさせる。Tシャツの裾がわずかにずれて腰のラインが見えた。目を逸らそうとするほど、意識がそこに引き寄せられてしまう。
「ちょっと……くすぐったいかも」
声が少しだけ熱を帯びる。自分の指が腰の筋をなぞるたびに、彼女の背中が微かに揺れる。
緊張ではない。むしろ、彼女自身がその手を信じて預けてくれている証だ。
――たまらなく、愛おしかった。
ただ施術しているだけだと、言い聞かせようとしても、もう身体は嘘をつけない。
肌に伝わる鼓動、掌の下で感じる呼吸、そしてこの空間に満ちているなにかを予感させる静かな高まり。
何もしていないのにすべてに触れてしまっているような錯覚。指先ひとつで、世界が変わってしまいそうだった。
「ありがとうございました……」
そう言ってゆっくりと上体を起こしたキタサンの声は、どこか掠れていた。施術を終えたばかりの身体は、まだ熱を帯びている。
整えられた筋肉の奥深くにまで染み込んだ指先の記憶が、呼吸のたびに蘇るようで――それが彼女を、静かに、しかし確かに揺らしていた。
トレーナーのほうを向いたその瞳の奥に、燃え上がる前の灯が見えた。かすかに、けれど、どこまでも真剣に。
言葉にするのはためらわれるほどの強さで、キタサンは彼を見つめていた。
トレーナーと担当。たしかに、その関係は揺るぎない絆だった。でも今、この胸を焦がしている思いはそれだけじゃなかった。
支えてくれる人としてだけではなく、ひとりの異性として、もっと――近づきたかった。
「トレーナーさん……」
名前を呼ぶ声は震えていない。迷いは、すでに心の中で焼き尽くされた。
次の瞬間、彼女の両腕がそっと、でも確かな意志で彼の身体を抱き寄せる。目の前の顔が近づき、肌の距離が消えたかと思うと、唇が重なった。
甘く、熱を孕んだ口づけだった。焦がれるような切なさと、逸るような想いの混ざった深いキス。
彼が驚いたのがほんの一瞬だったのがわかる。すぐにその背に腕を回し、キタサンの鼓動を受け止めてくれた。
息をするのも惜しいほどに唇を重ね合う。優しさと、情熱が幾重にも絡み合って彼女の中の何かが崩れていく。
身体を預けるたび、触れ合う面積が増えていく。耳元に届く吐息の音、指先に伝わる微かな震え。全てがこの瞬間だけのものだった。
やがて、彼の手がそっと彼女の背をなぞる。慎重に、けれど確かな温度で――彼女の艶やかな黒髪をすくい上げたりしつつ、服の上から柔らかな線へと触れていく。
それは、まるで大切なものを確かめるような手つきだった。思わず、キタサンは息を呑む。優しく、けれど抗いがたい力で包まれるような感触が胸の奥から広がっていった。
触れられた場所から心までとろけてしまいそうだった。ふだんは明るく前向きで、どこか子どもっぽさすらある自分が
今だけは女の子として、彼に見つめられている――その事実がくすぐったくて、嬉しくて、たまらなかった。
もっと近づきたい。もっと、このぬくもりを知りたい。そんな想いが言葉にならず、ただ唇に、腕に、呼吸に宿っていく。
指先が、静かに彼女の輪郭をなぞる。肩から腰へ、そして背中のラインに沿ってごく浅く、空気を滑るような距離感で、まるで羽根のように軽やかで、けれど確かな温度がそこにあった。
緊張と甘さの入り混じった吐息が、胸の奥から零れそうになる。意識しないようにしても身体の奥深くが確かに応えてしまう。
視線を逸らしても、彼の手の記憶が肌の上に残っている気がした。柔らかさも、張り詰めた熱も、すべてを見透かされるようで――それでも、不思議と嫌ではなかった。
自分という存在を、ひとりの女の子として受け止めてもらえている。そう思えるたびに、心がじんわりと熱を帯びていく。耐えてきた甘い声がどうしても溢れてきて、愛される悦びを奏でてしまう。
もしかしたら、この瞬間から、すべてが変わってしまうかもしれない。でも、それでもかまわなかった。彼が、自分を受け止めてくれるのなら。
――もう少しだけ、夢を見させてほしい。
――カタン。
静寂の中、不意に棚の上の小物が落ちるような音がして、ふたり同時にそちらへ振り向いた。
「……っ!?」
ほんの少しだけ開いたドアの隙間から、誰かの顔が覗いていた。興味津々にデバガメしているのはキタサンの友人且つライバルのサトノダイヤモンドとシュヴァルグランだった。
「サ、サササ……サトちゃん!? いつからそこに!?」
キタサンが目を見開いたまま、がばっと跳ねてトレーナーから距離を取る。
まるでコンセントレーション発動時のような勢いで、お互い慌てて空気を取り繕うが、すでに手遅れだった。
「い、いえ……キタちゃんがどこにもいなくて……トレーナーさんのところにいるかもって思って……それで、ちょっと前から……」
サトノダイヤモンドはいつものにこやかな表情を崩さぬまま、ぽんわりと笑う。けれどその頬はほんのりと赤く、明らかに耳が興味深そうにパタパタとしている。
そして息が少しだけ乱れているあたり、何かしらを“見て”しまったことは明白だった。
「……え、ええと、その……ストレッチの……もうちょっと強めの刺激が欲しくて……っていうか……?」
キタサンが顔を手で覆いながらも、絞り出すように言い訳を口にする。
どう聞いても無理のある言葉に思考がぐちゃぐちゃになりつつある中、一方のシュヴァルグランはというと、なぜかドアの傍で目をぐるぐるさせながら完全に熱暴走していた。
「うわぁ……う、うわわ……これ……ヴィブロスが友達から借りて読んでた、レディコミの、あれだ……や、やっぱりトレーナーとウマ娘って、こういうの……あるんだ……あるんだぁ……」
ぼそぼそと誰にも聞かせるつもりがない独り言を呟きつつ、顔を真っ赤にして固まっているシュヴァル。どうやら脳内では別の物語が高速再生されているらしい。
キタサンはもう顔を真っ赤にして頭を抱える。トレーナーはというと、完全にフリーズしていた。
まるで今のこの現実からログアウトしたかのような無表情で、ただ遠くを見つめている。……ついさっきまでの情熱と静けさは、まるで夢のように掻き消えていた。
◆
後日。
「あの……今日は、大丈夫ですよね。誰にも、見られてませんよね……?」
ストレッチマットの上にそっと座り込みながら、キタサンブラックはちらちらとトレーナーと扉を見比べた。
無意識に小さな声になっていたのは、決して周囲を気にしてのことだけじゃない。自分の中に、ほんの少し恥ずかしさが残っていたからだ。
――あの日のこと。情熱に任せて、勢いでキスをして、トレーナーの手を引いて……。
思い出すたびに、胸の奥がじんわりと熱くなる。顔が赤くなるのは夏のせいでも施術のせいでもなくて、あの時の記憶があまりにも鮮やかすぎるせいだ。
「トレーナーさん、あのとき……びっくりしました、よね」
ぽつりとこぼした言葉に、トレーナーは優しく微笑んだ。その表情が優しすぎてキタサンは余計に胸の奥がくすぐったくなる。
“変なふうに思われてないかな”
“重いって思われたら、どうしよう”
そんな不安も、正直少しはあった。けれど――
「……でも、あれからずっと、考えてました。あのとき自分がどんな顔してたかとか、トレーナーさんの手が、どんなふうに触れてくれてたかとか」
恥ずかしそうに、けれどどこか嬉しそうに、キタサンは小さく笑う。彼の手が肩に触れる。それだけで体温がほんのり上がる気がした。
「……不思議です。レースの前でも、ここまで緊張しないのに。トレーナーさんとふたりきりになると、どこか、胸がドキドキしてしまって……」
手のひらがゆっくりと肩を押さえ、筋肉を解していく。力強くも優しいその動きに、キタサンは自然と目を閉じた。まぶたの裏に浮かぶのはほんの数日前のこと。
重なった唇。
近づきすぎた距離。
彼の手が、自分を大切に包んでくれた温もり。
「……今度は、ちゃんと見られないようにしますね」
ぽつりと冗談めかして言ったあと、小さく笑って、続ける。
「……それに、その、またああいうことをしたくなったら……もうちょっと、大人になってからにします。私には、まだ早いかなって思って」
けれど、本心はもうわかっていた。あのときの気持ちは、ただの一時の衝動なんかじゃない。この人となら、いつか――きちんと向き合える気がした。
マッサージマットの上で、身体は少しずつほぐれていく。けれど、トレーナーの手が触れるたび、心のほうはむしろ締めつけられるような甘い気持ちで満たされていく。
「……だから、それまでは……ちゃんと、ストレッチだけでお願いしますね」
そう言って、キタサンは目を開けてトレーナーを見つめつつそっと笑った。その笑みはどこか照れていて、けれど芯の強さがあった。
少しずつ、大人になる。
少しずつ、気持ちを伝えていく。
それでいい――今は、まだ。