繋がれし、愛しき蹄の記憶 ――この手で紡ぐ、君との軌跡   作:テクニクティクス

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夏の終わりに咲く、ひとつの笑顔

 

とある夏の日。

スペシャルウィークとトレーナーは、街へ買い出しに出ていた。

トレーニングに必要な補助器具や新しい蹄鉄、それにトレーナー室に置いておくお菓子まで。

目的を並べれば実用一辺倒だが、二人で歩く道のりには自然と笑みがこぼれる。強い日差しの中で、彼女が横にいるだけで空気はどこか軽やかだった。

 

大通りを抜けたとき、ふと目に入ったのは派手な幟と提灯。正月に訪れたあの福引会場が、夏仕様に姿を変えていた。

向日葵の飾りに囲まれた看板には「夏の福引大会」の文字が踊っている。

 

「トレーナーさん! 見てください、あそこ!」

 

袋を抱えたまま駆け出すスペシャルウィーク。胸の高鳴りを隠しきれずに声が弾んでいる。

ポケットを探ると、確かに先ほどの買い物でもらった福引券があった。思い返せば正月には一度だけ挑戦して、二等を当てたのだった。

あのときも意外な幸運に驚かされたが、今回は5回分。

 

「今回は5回分チケットがあるよ、引いてみる?」

「5回も!? すごいです! わたし、やりますね!」

 

手渡されたチケットをぎゅっと握りしめ、彼女は期待に目を輝かせた。

 

カラカラと木玉の響き。

落ちてきたのは白い玉。もう一度回して、また白。三等、四等と続くたび、スペシャルウィークの背中が小さくしぼんでいく。

 

「うぅ……せっかくなのに、なんだか今日はツイてないかも……」

 

肩を落としながらも、まだ諦めていない眼差しがこちらを盗み見る。その子どもっぽさに苦笑しながらも、どこか愛おしさが胸に残った。

 

「泣きの一回!」

 

彼女は勢いよく宣言すると、両手でガラガラを抱きかかえるように回した。祈るような仕草に周囲の視線も集まり、しばし空気が張りつめる。

 

――コロン。

落ちた玉は、夏の光を反射して眩しく輝いた。

 

「き、金色!? トレーナーさん! これ、特賞じゃないですかっ!」

 

歓声と拍手が周りから湧き上がる。掲げられた札には『大型プールリゾート1泊2日ペアチケット』の文字。

 

「やったぁぁぁぁぁーーーっ!!」

 

スペシャルウィークの声は、真夏の空を突き抜けるように響いた。

 

 

 

 

 

 

更衣室を出たトレーナーの目に飛び込んできたのは、眼前に広がる巨大なプールリゾートの全景だった。

真新しい建物は白と水色を基調にした南国風のデザインで、夏の陽射しを受けてまぶしく光っている。

大きなメインプールからは歓声と水しぶきが絶えず響き、規則的に打ち寄せる人工の波がまるで海岸のような光景をつくりだしていた。

遠くには、うねるように続く長大なウォータースライダーがあり、曲がりくねりながら高所から滑り落ちていく姿に子どもも大人も列をなしている。

 

広場の中央には巨大な木造の遊具が組まれており、最上段の大タルには水が少しずつ溜まっていく。

合図のベルが鳴ると、待っていたかのように数百リットルの水が一気に落下し、歓声とともに地響きのような轟音が響き渡る。

その迫力に誰もが笑い声をあげ、暑さも疲れも忘れさせられていた。

 

視線を巡らせれば、色とりどりのパラソルが咲き、ヤシの葉を模した日陰が点々と並ぶ。

そこに腰を下ろす家族連れやカップルの姿は、休日の余韻を絵にしたかのようで、ここが「遊ぶための場所」であることを強く印象づけていた。

 

トレーナーはタオルを肩にかけたまま立ち尽くし、これから一日を共にする場所の賑わいを改めて胸に刻んだ。次の瞬間、背後から駆け寄る足音がして――。

 

「トレーナーさん! お待たせしました!」

 

明るい声に振り返った瞬間、夏の日差しよりもまぶしい存在が駆け寄ってきた。

ハイビスカスの耳飾りが揺れ、橙色のチェック柄ビキニにふわりと重ねられたパレオが軽やかに翻る。

弾む足取りと笑顔に、周囲の喧騒が一瞬遠のいたようにさえ感じられた。

 

少女らしいあどけなさと、どこか大人びた雰囲気が同居する姿は、スペシャルウィークという名のままに“特別”を映し出している。

無邪気に伸ばされた手を取ったとき、こちらの胸の奥に思わず熱が灯る。

 

「今日は何もかも忘れて、目いっぱい楽しみましょう!」

 

待ちきれないとばかりに引かれる手は小さく、けれど不思議なほど強くて、心まで導かれていくようだった。

 

 

二人乗りの浮き輪型ボートを押し出され、階段の上で揺れながら待つ。

先に腰を下ろしたスペシャルウィークが振り返り、太陽の下で濡れた髪をきらめかせながら笑った。

 

「ぎゅっと捕まらないと、振り落とされちゃいますよ!」

 

そう言って当然のように自分の腕へ手を回させる。その無邪気さに戸惑いながらも、背後に腰を下ろす。

水着越しに伝わる体温に、一瞬胸が跳ねた。彼女は気にも留めず、前方の曲がりくねった滑り台へ目を輝かせている。

合図の笛が鳴った。ボートが勢いよく流れに吸い込まれる。視界がぐんと傾き、遠心力が身体を押しつける。

思わず腕に力を込めると、彼女も同じように声を張り上げた。

 

「きゃーーーっ!」

「うわっ……!」

 

互いの声が水音に重なり、滑走はあっという間に終わりを告げた。

最後のカーブを抜けた瞬間、巨大な波に飲み込まれるようにして二人はプールへ落ちた。

水の中で一瞬だけ音が消える。泡が弾け、浮き上がった先にあったのは、息を弾ませながら笑う彼女の顔。

 

「トレーナーさん、すっごく楽しいです!」

 

無防備な笑顔に、こちらもつられて笑ってしまう。

先ほどの動揺などどこかへ消えて、ただ彼女と同じ時を分かち合っていることが嬉しかった。

それでも心の奥に残った微かな熱は、水の冷たさでも消えずに残っていた。

スペシャルウィークが何も気にしていない様子で髪をかき上げる姿に、その対比を強く意識してしまうのだった。

 

 

午前中にひとしきり遊びつくし、腹ごしらえも済ませて、午後に向けて少し休もうかという頃。

トレーナーが「飲み物を買ってくる」と軽い調子で立ち上がったきり、なかなか戻ってこない。

スペシャルウィークは浮き輪を抱えたまま待っていたが、時間が過ぎるほどに落ち着かなくなっていった。

炎天下の賑わいの中、笑い声と水音だけが耳に響く。胸の奥で不安が小さな棘のように膨らんでいく。

 

「…探しに行こう」

 

そう呟いて人混みを抜けると、プールサイドの一角に見慣れた背中を見つけた。

 

トレーナーの周囲に集まっているのは、よく日に焼けたギャル風の女の子が二人。

彼女たちに半ば囲まれるようにして立っている。

そのナンパギャルと共に居るのは、同じような年頃の少女――白いメッシュは入っていないが、同じような短めのボブカットにウマミミがついていた。

 

「…トレーナーさん?」

 

思わず声をかけると、彼がほっとしたようにこちらを振り返った。

 

「ああ、助かったよスペ。連れがいるって言っても聞いてくれなくて」

 

苦笑混じりのその表情は、いつもと同じ穏やかさで、心配がすっと溶けていく。

 

近づいて少女たちに声をかけると、どうやら彼女は中央トレセンに届くほどの成績を残せず、地方のトレセン選抜レースでもギリギリ掲示板内止まりだったらしい。

だからこそアスリートではなく地元の普通科に入学し、同じ学校に通う幼馴染の男の子に、ギャルっぽい友人たちと共にここに遊びに来ていたようだ。

迎えに来た少年と彼女は自然に手をつなぎ、照れくさそうに笑い合っている。その姿に、友人二人も結局は茶化すことをやめ、肩をすくめながら引き下がってついていった。

 

スペシャルウィークは、目の前のカップルの手と手を見て、胸の奥がきゅっと痛んだ。

――もし、自分があのときトレセンに来ていなかったら。

ここにいる少女のように、地元で競うこともなく、ただ普通の恋をして、誰かと並んで歩いていたのかもしれない。

 

想像は一瞬で、けれど鋭く心に残った。自分は「夢を追う道」を選んだ。だから今ここで、トレーナーと並んでいる。

選んだ道が正しかったと信じているけれど――ふと垣間見た“もしも”の自分が、淡い切なさとなって胸に広がっていった。

笑顔を見せながらトレーナーと歩き出す。その手を取りたい衝動を覚えたが、言葉にも行動にもできず、ただ強く心に刻み込む。

 

 

 

 

 

 

日が沈み、昼間の賑わいが夢のように遠のいていく。

リゾート全体を包むざわめきも和らぎ、夜風はほんのりと湯気を揺らした。

館内にはさまざまな湯が並んでいる。赤紫の湯面に芳醇な香りが漂うワイン風呂、ほろ苦い香気が鼻先をくすぐるコーヒー風呂。

蒸気に包まれるミストサウナでは、熱と静寂が二人の笑みを曇らせてはまた晴らしていった。

子供のようにはしゃぎながら一つ一つを巡ったはずなのに、胸の奥には昼間から続く余韻が残っていた。

 

――あの時、彼女の瞳にかすかに影が差した。

無邪気さに混じる微かな揺らぎ。それは単なる楽しさの表情とは違っていた。

長くそばにいて、信頼を重ねてきたからこそわかる小さな変化。

軽やかに笑っていても、心の奥に何かを抱いていることを感じ取ってしまう。

 

夜空は墨のように澄み渡り、星々が温泉の水面に揺れて映る。

人の気配がすっと途切れた瞬間、互いに言葉を交わさぬまま、足は自然と奥の露天風呂へと向かっていた。

 

湯面を照らす灯籠の光は柔らかく、湯気に滲んで世界を淡くぼかす。

笑顔だけでは語り尽くせない何かが、二人の間に静かに漂いはじめていた。

決意なのか、それとも願いなのか――胸の奥に芽生えた思いが、ようやく形を求めて動き出そうとしているのを互いに感じながら。

 

 

湯気が夜風に溶けていく。静かな露天の水音と、遠くでかすかに聞こえる虫の声だけが耳に届いていた。

二人は湯に足を浸したまま、縁に並んで腰を下ろしていた。肩が触れるほどの距離なのに、互いの吐息は妙に遠く感じられる。

 

ぽつりと、スペシャルウィークが口を開いた。

 

「……トレーナーさんと、担当として一緒に走ってきて……本当に幸せだったんです。重賞だって取れて、夢みたいで……全部、本当なんです」

 

言葉を重ねるほど、笑みの奥に影がさした。彼女は湯面を見つめたまま、小さな声で続ける。

 

「でも……今日、あの子たちを見て思ったんです。別の道を選んでても……きっと、幸せにはなれてたんだろうなって」

 

静かに揺れる湯面が、彼女の表情を映しては崩していく。

 

「私も、そうやって……誰かと並んで歩ける未来があったのかもしれない。でも――」

 

言葉が喉で途切れ、しばし沈黙が落ちる。夜空の星がひときわ強く瞬いた。

そして彼女は顔を上げ、真っ直ぐにトレーナーを見た。

潤んだ瞳には、昼間の笑顔とはまるで違う色が宿っている。

 

「シニアになっても、まだ走れます。でも……いつかは、終わる日が来るんですよね。そのとき、もしトレーナーさんと離れちゃうなんて……考えただけで胸が張り裂けそうで」

 

声は震えていた。だがその震えを抑え込むように、彼女はひと呼吸おいて、はっきりと告げた。

 

「だから……お願いです。ずっと、ずっと傍にいてください」

 

夜風が湯気をさらい、月明かりが彼女の濡れた頬を淡く照らす。

その真剣な眼差しは、担当とトレーナーの関係を超えて、ただ一人の女性として、愛する人にすべてを託そうとする輝きを帯びていた。

 

 

言葉を受け止めた瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。

――自分はまだ卵の殻が取れたばかりの新人に過ぎない。経験も浅く、実績と呼べるものも数えるほど。そんな自分が彼女の「ずっと」を背負っていいのだろうか。

 

ためらいが心を縛る。しかし湯気の向こうでこちらを見つめる瞳は、いかなる迷いも許さぬほど真剣だった。

思い返せば、彼女は常に愚直に、自分を信じて走り続けてきてくれた。

 

たったハナ差で涙に暮れた日。悔しさに拳を握り締め、互いに言葉を失った夜。

そして初めて冠を戴いたあの瞬間――周囲の視線も忘れて抱き合い、声を上げて喜んだ記憶。

どんな時も彼女は、自分と共に歩むことを選んでくれたのだ。

 

これから先、中央に残るなら新たな担当を任されることもあるだろう。いずれはチームを率い、責任も増えていくはずだ。

だが――そんな未来を思い描いてもなお、傍らに居て欲しいと願う顔がある。

 

勝ち負けの舞台を超えて、ただ一人、支え合いながら生きたいと思える相手がいる。

 

湯面に映る彼女の横顔が揺れる。

胸の奥に絡みついたためらいが、静かにほどけていった。

 

 

トレーナーの胸にそっと引き寄せられた瞬間、スペシャルウィークの瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。

それは哀しみではなく、張りつめていた心の糸がほどけた証のように、頬を伝って湯面へ落ちる。

 

「……っ、うれしいです……」

 

震える声が胸元に吸い込まれていく。

 

彼女を抱く腕に、自然と力がこもった。

これまで勝敗のたびに重ねてきた抱擁とはまるで違う。ここには担当バとトレーナーの関係を超えた、もっと深い願いが宿っていた。

 

温かな湯気に包まれながら、互いの鼓動が肌越しに響き合う。

肩に、指先に、触れるたびに彼女の体温が甘く広がり、どこまでもとろけていく。

唇が重なったとき、すべての迷いは音もなく溶け去り、ただ「相手を大切にしたい」という思いだけが残った。

 

「ん、ふ……ぁっ、あふっ……んんぅ。もっと、キスしたい……です、ああっ、ふぁっ」

 

彼女は子どものように無邪気に笑い、同時に女性としての切なさを滲ませながら、その身を預けてくる。

互いを求める行為は決して激しくはなく、けれど一つ一つの仕草が熱を帯び、静かな露天の夜を官能と情緒で満たしていった。

 

時折、スペシャルウィークが小さく息を漏らし、胸元に顔を埋めながら囁く。

 

「ずっと……一緒にいてくださいね」

 

その願いに応えるように抱き締めるたび、心と身体が溶け合い、境界がなくなっていく。

 

やがて二人はただのトレーナーと担当ではなく、一組の恋人として、夜空の星々に見守られながら確かに結ばれていった。

 

 

 

差し込む朝日のまぶしさに、細めた瞳がゆるやかに潤む。

スペシャルウィークはシーツにくるまったまま、熱を帯びた身体をそろそろと起こした。

昨夜のことは、夢と現実の境目が溶け合ったように朧げで――けれど、肌に残る熱と指先の痕跡が、確かに彼と過ごした夜を刻み込んでいた。

 

「……っ、あんなに……」

 

頬を覆い隠すように両手で抱え込む。まさか自分が、あんなふうに声を震わせ、涙がにじむほど乱れてしまうなんて。

思い返すだけで耳の先まで熱くなり、胸の奥が甘く疼いた。

自分でも知らなかった弱い部分を責められたり、恥ずかしい恰好を惜しげもなく晒されたり、気持ち良すぎてちょっと多く泣いてしまったり……

 

それでも、心のどこかでは――嬉しかった。

彼にだけは知られてもいい、見せてしまってもいい。

そんな弱さをさらけ出せたことが、恥ずかしくて、愛おしくて、どうしようもなく胸を締めつける。

 

シーツの端をぎゅっと握りながら、スペシャルウィークは小さく笑みをこぼした。

可愛らしい羞恥に頬を染めつつも、昨夜の幸福な余韻が全身を包み込み、まだ夢の続きを歩んでいるような気分だった。

 

部屋を抜け出して浴びたシャワーの冷たさでさえ、火照った心を鎮めることはできない。

鏡に映る自分の首筋に紅い痕を見つけたとき、思わず頬が熱を帯びた。

 

「……あう、これ、虫刺されって言えば信じてもらえるかなぁ……」

 

誰に聞かせるでもない小さな呟きが湯気に紛れて消える。

 

チェックアウトを済ませ、帰りのバスに揺られても、気持ちは落ち着かない。

外の景色を眺めながらも、ふとした拍子に昨夜の声や仕草が思い出され、心臓が跳ねる。

その度に膝の上で握りしめた手がじんわり汗ばんでいくのが自分でもわかった。

 

そんなとき、隣から差し出された大きな手。

一瞬ためらいながらもそっと重ねると、優しく包み込むように握り返してくれる。

ただそれだけの仕草が、昨夜のすべてを肯定してくれているようで、胸の奥が温かく満たされた。

 

スペシャルウィークは、頬を赤らめながらも、最高の笑顔を返した。

たとえ気まずさや恥ずかしさがあっても――それ以上に、この人と歩む未来が愛おしいと、心から思えたから。

 

 

 

学園に戻ったスペシャルウィークは、いつも通りに仲間たちと駆けていた。

全力で走り抜ける姿は変わらない。無邪気に汗を拭い、声を弾ませるその姿もまた、誰もが知るスペシャルウィークのままだ。

 

けれど、併走していたグラスワンダーとエルコンドルパサーは、ほんの小さな変化を見逃さなかった。

走りの力強さ、笑顔の明るさ――その根底に、もうひとつ別の輝きが宿っている。

 

「……スペちゃん、この前のお休みで、何かあったのですか?」

 

グラスが問いかけると、スペは一瞬ぽやんとした後、満面の笑みを返した。

 

「えへへ。福引でね、特賞が当たったんだ! それでトレーナーさんと一緒に出かけただけだよ」

 

その言葉はあまりにも素直で、あまりにも無邪気だった。

しかし、彼女の頬をかすめる柔らかな紅潮や、笑みの奥に潜む甘やかで落ち着いた光を見れば――「だけ」で済む話ではないことを、二人は感じ取らずにはいられなかった。

 

「……先を行かれてしまいましたね」

 

グラスがわずかにため息をつくと、すかさずエルが横から突っ込む。

 

「その前に、グラスもエルも相手を見つけるところからスタートデス!」

 

無邪気さに艶やかさが重なった彼女の横顔を見て、グラスとエルはそっと視線を交わした。

 

汗に濡れた額を拭いながら、スペシャルウィークはまっすぐに前を見ていた。

その瞳には、仲間と走る喜びと同じくらい、傍らにいる“たったひとり”を想う強さが宿っている。

 

――スペシャルウィークは、もう新しい季節を走り始めているのだ。

 

視線の先にトレーナーの姿を見つけたスペシャルウィークは、弾むように片手を高く掲げた。

 

「トレーナーさん!」

 

声を張り上げるその仕草は、いつも通りの無邪気さに溢れている。けれど、胸の奥から零れる笑顔には、確かに昨日までとは違う色が宿っていた。

 

駆け寄ってくる彼女を見て、トレーナーは一瞬言葉を失う。

ただまぶしい、ただ愛おしい――その感情が胸いっぱいに広がり、自然と微笑みが零れていた。

 

やがて傍らに立ったスペシャルウィークは、疲れなど微塵も見せぬ満面の笑顔で見上げてくる。

その笑みは、勝利を掴んだ時よりも眩しく、涙を拭ったあの日よりも優しかった。

 

トレーナーは静かに頷き、彼女の視線を受け止める。

そこには、ウマ娘としての未来と、ひとりの少女としての未来と――ふたつの道を抱きしめながら歩もうとする決意が映っていた。

 

愛おしさが溢れ、胸が熱くなる。

その感情こそが、これからを共に走る理由なのだと、トレーナーは改めて確信した。

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