繋がれし、愛しき蹄の記憶 ――この手で紡ぐ、君との軌跡   作:テクニクティクス

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ヒシミラクルと巡業と地のもの

 

――これは、ヒシミラクルと三年間走り抜けた後の、のんびりとした日常の一幕の話。

 

 

 

「トレーナーさん、次のレースってちょっと普段行かないような場所に行くんですよね」

「まぁ、ファン感謝祭というか地方巡業みたいなものも兼ねてるからね」

 

ガタガタと時折地面が揺れる。車窓に映るのは、ひたすら続く畑や田んぼだけで看板もない一本道がまっすぐどこまでも伸びている。

道端に見えるのは手入れの行き届いていない草むらばかりで、人影などほとんどなくちらほらと遠目に民家があるくらい。

 

「日帰りで戻るには少し難しい距離ですよね、ここ」

「ん~、まぁな。すまないな、かなり辺鄙なところにしか泊まれるような場所が取れなかったんだ」

「平気ですよ~、暇つぶしには慣れてますから。それにちょっとした旅行気分を味わいたいですし」

 

しかし行けども行けどもスーパーやモールどころか、自販機すら見当たらない。

窓を少し開けると車のエンジン音だけが響き、鳥のさえずりがたまに聞こえるがそれすらどこか遠くから響いてくる感じだ。

暇潰せるところあるかな……と若干不安もよぎりつつ、そうして二人は地方巡業に行ったのだが……

 

 

 

 

 

 

「ここ……本当に何もないですね」

「観光地でもないからな。カプセルホテルにビジネスホテルも無いところだし」

 

巡業を終えて、こじんまりとした部屋のベッドでうつ伏せで倒れているヒシミラクル。

泊まる宿も旅館というより民宿に近く、ビジネスホテルでももう少し広いだろうと言いたくなるほどの狭さで、シングルベッド二つあるだけでもキツキツだ。

小さなベッドデスクが備え付けられているだけで本当にテレビも何もない。

 

「うう、流石にゲームも飽きましたよぉ。お腹も空きましたし何か食べに行きましょう」

「それなんだけど、この辺名産とか無いよ」

「ええーっ!? じゃ、じゃあ晩御飯は……」

 

トレーナーがバッグから取り出したのはこういう時にお手軽に食べられる、カップヌードル……。

流石にショックを隠しきれないヒシミラクル。

 

「せ、せっかくの小旅行気分を味わいに来たのに、そんな味気ないごはんは嫌です! とにかく外に出ましょう! 辺鄙な町中華でもこの際いいです!」

 

ぷんぷんと怒り出してしまった彼女はトレーナーの手を引いて町へ繰り出すのだった。

 

 

 

トレセン学園周辺に比べるとポツポツとある街灯を除くと民家くらいしか無く、周囲もとても暗い。

若干心細くなるが、自然と傍に寄り添ってくれるトレーナーに落ち着くミラ子。

 

「本当に何もありませんね……何か食べられるものあるといいんですが」

「コンビニですら珍しいところだからね、個人商店も開いているところあるかどうか」

 

ふと、彼女がふんふんと匂いを嗅ぎだす。

 

「お漬物の匂いがします……」

「どこかの晩御飯か?」

「ふふん、晩御飯だとしてカレーならまだしも、漬物の匂いだけってことはありませんよね?」

 

こちらからその匂いが……とトレセンの食いしん坊ズのように匂いに惹かれてふらふらと進んでいくヒシミラクルを心配そうに見つつ付いていく。

角を曲がるとまだ明かりが付いている個人商店の漬物屋を見つけた。商店街の軒先にはすり減った木の看板があり、古びた文字がこれまでの年月を物語っているようだった。

店の前を掃き掃除している店主らしき人に声をかける。

 

「すみません、まだやっていますか?」

「うん? 掃除していたところだけれど、構いませんよ。中へどうぞ」

 

案内された店内には真空パックではなくさまざまな樽や壺に入った漬物がずらっと陳列されている。

ぬか漬けやたくあんのような見知ったものから、味の予想もつかない珍しいものまで沢山あって目移りしてしまう。

 

「さて、何にしましょう? 浅漬けはきゅうりと菜っ葉がちょうどよく漬かっているよ。カブなら丸々あるね」

「あー、それなんですが私たちここに旅行として来てまして」

「そんなに沢山は持ち帰れないので」

「えっ、こんな何もないところに? 変わってますねぇ」

 

名産や観光できる名所もないところに来ているのだから驚かれるのも無理はない。

よかったらひとつどうぞと試食で渡されたきゅうりを二人でいただく。程よい塩かげんに唐辛子にピリッとしたアクセントが確かに美味だ。

多くは無理ならと店主は雑多な漬物樽の中から地ものを多めに包んでくれた。一応お腹にたまるものを手に入れはしたが流石に漬物だけは寂しい。

 

「厚かましいですが、他に晩ごはんになるようなもの売ってるお店知りませんか?」

「そうだねぇ……あ、近所の知り合いの爺さんがやってる惣菜店がある。案内するよ」

 

店主の後に続きこじんまりとした総菜屋に足を運ぶ。

そこでも一人、店先で帳簿をつける老人がいた。その横に置かれた古びたラジオから、懐かしい演歌が流れていた

やはりこんな辺鄙なとこにやって来た旅行者の二人に驚かれる。

 

「この辺で昔から捕れるミズヨシっていう魚を使った酢漬けだ。持っていくかい?」

「へぇ~あまり聞いたことない名前ですね。美味しいんですか?」

「油で揚げたのもいいが、これが一番だとわしは思うね」

 

白身魚の切り身が透き通るような琥珀色の酢に漬け込まれ、薄い皮には湖の水を思わせる清らかな輝きがあった。

ほんのりと漂う酸味の香りが食欲を刺激する。

そこに住居に繋がっているのだろう廊下から人の良さそうな柔らかな笑みを浮かべたお婆さんがやってきた。

 

「お嬢さん。よかったらこれもいかが? 残り物で悪いんだけれど」

「えぇ!? いいんですか! ありがとうございます」

 

アルミホイルに包まれた焼きおにぎりからはふんわり漂う味噌の香り。

老夫婦に何度もお礼を言って酢漬けにおにぎりを手に入れほくほくで宿へと向かう。

ルドルフやブライアンみたいな重賞を取った者は威厳を自然と持つものが多いが、現役の頃から変わらずゆるふわとした彼女は逆にこういう時にすっと懐に入っていける強みがある。

 

「いや~、出歩いてみるもんですね。お腹もペコペコです」

「まさかこんなに沢山地ものがあるとは思わなかったな」

 

ふと、前を行くヒシミラクルが足を止めて何かを見つめている。その視線の先には酒造があり、其処もまだ明かりがついている。

 

「……だめ、ですか? もう飲める歳ですし、いいじゃないですか~?」

「あんまり飲み過ぎるのはダメだからな」

 

ぱぁっと顔を明るくして、酒店へと向かう。

小さな酒屋に入ると、古びた木の棚にずらりと並んだ瓶が目に飛び込んできた。透明な瓶の中に浮かぶ琥珀色の液体には手書きのラベルが貼られている。

「いらっしゃい。この地酒、どうです?」と声をかけてきた店主は、にこやかだがどこか控えめな表情を浮かべていた。

量り売りされている店長のおすすめの品。おちょこに注いでもらって一口味見をすると、どっしりした米の甘みとほのかな酸味が口いっぱいに広がる。

 

「これ、いいですね」

 

トレーナーがそう呟き、思わず笑みがこぼれる。こんなところで見つける酒にしては、妙に心にしみる味だと思った。

つい先ほどまではカップ麺で終わる予定の夕飯が流石に持ち切れないくらいの量になってきた。もう十分だろうと二人は宿に戻っていき、ミラ子はるんるんとご機嫌なスキップを踏んでいた。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ、何だかすごいことになっちゃったぞ」

「あ、聞いたことあるセリフ」

「ふっふっふ、グルメネタならこういうセリフ言わないと」

 

そうは言ったものの、確かに小さな机の上にはかなり豊富な種類のおかずが立ち並んでいる。

わくわくしながら二人はまず、ぐい呑みに地酒を注ぎかちんと軽く合わせる。

 

「乾杯」「かんぱーい」

 

甘露を口に含むと芳醇な甘い米の香りが鼻に抜け、飲み下せば胃の中を温めてくれる。

 

「はふぅ……甘口ですが、嫌な後味はないですね」

「むしろ市販されてる淡麗辛口の日本酒より美味しいかもしれない」

 

皿の上に並べられた野菜はどれも色鮮やかだった。きゅうりは深い緑がぬか床の中で磨かれたように艶を放ち、大根は純白で表面に浮かぶぬかの細かな粒が独特の素朴さを際立たせている。

一口食べると歯を軽く押し返すようなパリッとした食感が心地よい。噛むたびに広がる塩味と野菜そのものの甘さが調和し、アクセントの唐辛子の辛みで食べる手が止まらなくなりそうだ。

 

「試しに食べてみた時から思いましたけど、お酒と手が止まらなくなりそうです」

「粕漬けに魚の漬け物も美味しいぞ」

 

粕漬けのカブは琥珀色の酒粕に包まれて、淡い黄色が美しく透けて見える。

粕の香りがふんわり漂い、少し甘いような、でもしっかりとした深みのある香りが鼻をくすぐった。

一口食べると柔らかな食感とともに、酒粕のほのかな甘味とカブのほろ苦さが絶妙な塩梅。

 

あまり他で見たことのなり珍しいカブと魚の漬け物は、白く輝く麹と薄切りのカブをふっくらとした魚の身で挟んで漬け込んだものだという。

口に含むと魚の塩気と麹の甘さが一体となり、カブのシャキッとした歯ごたえがアクセントになっていた。

頬を抑え、どの漬け物を食べても極上の美味さで身を振るわせるミラ子と、箸が止まらずいろんなものをまんべんなく食べて酒が進んでいくトレーナー。

 

「さて、満を持して登場! 女将さんから借りたミニコンロとフライパンですよー。これでお爺さんたちから貰った魚やおにぎり焼いてみましょう」

 

チチチと細かい音を立てて、火がついたミニコンロの上に小ぶりなフライパンを乗せる。

温まったフライパンから立ち上る味噌の香ばしい香りが鼻をくすぐる。表面を焼き直したおにぎりは表面がカリッとした食感に変わり、口の中でほろほろと崩れるような柔らかさが心地よい。

あつっ、はふはふとおにぎりを頬張りながら、魚の酢漬けも口にすればさっぱりとした酸味が効いていて、ご飯の素朴な甘みを引き立てる。

 

「あっ! この魚の酢漬けも焼いてみたらどうでしょう!?」

「それは悪魔的所業じゃないのか? よし、やろう」

 

フライパンに置いた途端魚の酢漬けからふわりと立ち上る香りは、酢の酸味が和らぎまるで甘く煮詰めた果実のような芳醇さを部屋に漂わせる。

ちりちりと表面がこんがりと焼けはじめ、ほんのりキャラメルのような焦げ色がつくとともに香ばしい匂いが広がった。

焼き上がった魚は噛むとほのかな酸味が広がり、焼いたことで凝縮された旨味が後からじんわりと追いかけてくる。

 

「うわぁぁ……これ無限に食べられちゃうやつですよぉ」

「箸が止まらないってこういうことだよな」

 

気づけば、皿の上に残ったのはほんの少しの酢漬けとおにぎりの香ばしいカケラだけだった。

旅館などで食べられる名産の夕餉も悪くないが、地元ならではの料理や食材を活かしたごはんは二人を満足させ旅情を味わうには十分だった。

お互い軽い酩酊状態でベッドの上で残った地酒をちびちびと飲んでいる。

 

「んふ~、ふわふわして気持ちがいいです」

「気持ち悪くなったら早めに言いなよ」

 

あーいと気の抜けた返事を返しながら手の中でぐい呑みを弄んでいるミラ子。部屋の灯りがほんのりと二人を照らしている。

 

「元々バリバリと重賞レース走って皆に夢と希望って感じじゃないですし、普通の子でも頑張ればやれるんだってことを見せられただけでも十分なんです」

「未だ町歩いててもオーラとかないから気づかれないしね」

 

交流会などでファンに囲まれてキャーキャー言われる子とは別の場所で、どちらかというと地味で引っ込み思案な子や彼女と同じく覇気のなく普通な子から応援を多く受ける、それがミラ子だ。

でもそれこそが彼女の魅力であり強さだとずっと傍で支えてきた者として一番分かっていると自負している。

 

「私、これからも普通に楽しくやっていきたい。ずっと。……だから、トレーナーさんも一緒にいてくれますか?」

 

もちろんと頷きを返すとえへへ……やったぁとふにゃふにゃと柔らかな笑みを浮かべて彼女がしな垂れかかってくる。

彼女の髪がトレーナーの肩にふわりとかかり、ほのかに甘い香りが漂う。耳元から近く聞こえる「すう……すう……」という寝息。彼は初めて、ミラ子が眠っていることに気づいた。

 

「どこまでいっても、緩いよなお前は……そこが魅力でもあって、俺も好きなところなんだけれどさ」

 

その呟きが聞こえているのかは定かではないが、安心したかのようにより力が抜けて本格的に寝入ってしまうようだ。

彼女を支えながら彼女の髪を少しだけ直してやっても寝息は変わらず穏やかで、気づく様子もない。

しかしいつの間にかトレーナーの服の裾をしっかりと掴んで離そうとしない。このままでは隣のベッドに運んでも離れることは無理そうだ。

 

「本当に仕方ないな……」

 

掛け布団をめくり、何とかミラ子を起こさないようにしてベッドに入る。

んんぅ……と軽く身じろぎはしたが、トレーナーの胸に顔を擦り寄せてまた穏やかな寝息をたて始める。

明かりを消して、暗闇の中で彼女の安らかな寝息を聞きながら静かに心を落ち着ける。

満腹感と酒精、そして愛おしい担当の体温に包まれてすぐに睡魔が瞼を下ろしてきた。

 

 

 

 

 

 

カーテンの隙間から漏れた光が部屋の壁をやわらかく照らしている。鳥の声が遠くで聞こえ風が草原を渡る音が微かに響いていた。

ベッドから這い出して伸びをし、宿の外へと足を伸ばす。山の頂きから太陽が顔を覗かせ、薄い霞がかった空に朝の陽射しがやさしく広がっていた。

周りには人影もなく、どこかひっそりとした静けさが漂っていたが風に揺れる木々の音が耳に心地よい。

 

「うにゅぅ……おはようございます……」

 

ミラ子はまだ寝ぼけ眼で、ぼさぼさの髪を直そうともせず外へと顔を出した。むにゃむにゃと呟きながら目を擦りつつ、目の前に広がる静かな風景にふっとため息を漏らした。

 

「いい天気になりそうな空ですね」

 

朝焼けの中、二人は心地よい空気に身を預けて佇む。ふと彼女が耳を澄ませると、遠くから微かに人々のざわめきが聞こえた。

 

「何か遠くでざわめきが聞こえます」

「あっちで朝市がやってるみたいだ。寄ってみる?」

「それもいいですね、ささっと着替えていってみましょう」

 

朝の静かな空気の中、二人の笑い声が心地よく響いた。辺鄙な場所で過ごした旅もなんだか特別なものに感じられる。

見上げた空はすっかり青く澄み渡り、朝陽が二人の背中を柔らかく押しているようだった。

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