繋がれし、愛しき蹄の記憶 ――この手で紡ぐ、君との軌跡 作:テクニクティクス
――仲間と一緒なら、“可愛い”も怖くない。
トレセン学園の教室にパラパラと雑誌をめくる音が響いていた。
椅子に腰かけたセイウンスカイが、退屈そうにファッション誌をめくっている。
その隣には姿勢よく立ったキングヘイロー。ページをのぞきこむたびに「これは悪くないわね」とか「今年はまたグリーン系が来ているのね」とうんちくまじりの感想が止まらない。
「ねぇ、こういうシャツに白パンツって、爽やかだけど無難すぎない?」
「それは着る人次第よ。コーディネートは素材が命。あなたが着たら、ただのルームウェアの延長になるでしょ」
セイウンスカイは「ひどいなあ」と笑いながら、次のページをめくった。
そこへ、少し小走りで教室に入ってきたのは、スペシャルウィークだった。
「ふたりとも、何見てるの? ファッション誌?」
雑誌をのぞきこみながら、彼女は素直な興味をにじませる。が、自分に似合う服というイメージはまだあまり湧いていないようだった。
ページをめくる手を止めて、スカイがふと思い出したように言った。
「そういえば、スペちゃんって普段、よくあの格好してない?」
「……ああ、デニムジャケットに、花柄のワンピースね」
キングは少し考えてから頷いた。確かに、春でも秋でも、季節を問わずその組み合わせで現れることが多い。
デニムの色も、ワンピースの柄も派手ではない。むしろ控えめで落ち着いていて、悪く言えば印象に残らない。
「素朴っていうか……悪くはないのよ。でも、なんというか、量販店で全部済ませましたっていう雰囲気がすごいのよね」
「うん、しま〇らかパ〇オスあたりで買いましたって言われたら、納得しちゃうかも」
口ぶりは辛口でも、ふたりとも本気で貶すつもりはなかった。スペシャルウィークの素直で真面目な性格は服装にもにじみ出ている。ただ、それだけに――惜しいのだ。
「素材はいいのに、着こなしで損してる」
「もうちょっと、本人の良さを引き出すスタイルにすれば、ぐっと洗練されるのにね」
ふたりはそんな結論に達し、無言で目を合わせた。
その視線の圧を感じたのか、ファッション誌をのぞき込んでいたスペが不安げに首をかしげる。
「……えっと? なんか、私、ヘンな服着てる?」
「ヘンじゃないわ。けど、可能性を眠らせすぎてるのよ」
「というわけで、次のお休みは決まりだね。お出かけついでに、アパレルショップ行こっか」
「へ、ええぇ!?」
スペが、目をまんまるにして叫んだ。
都会の洗練された服の世界はまだ彼女にとって未知の領域。だがその未知はふたりのウマ娘の手によって、まもなく扉を開かれることになる――。
◆
休日の午後、三人は電車を乗り継いで都内のとある路地裏に足を踏み入れていた。
キングが「本当に良い服を知りたいなら、ここ」と太鼓判を押す、知る人ぞ知る隠れ家的アパレルショップ。
表通りから一歩外れただけで外観はまるで古民家のように控えめなのに、店内には洗練された空気が流れている。
ウッドフロアに、温かみのある間接照明。服が並ぶラックには流行の最先端というより“本当にいいもの”だけを揃えたような厳選されたセレクト。
スペシャルウィークは入った瞬間から、どこか居心地の悪そうな顔をしていた。
「……わ、なんか、おしゃれすぎる……」
「大丈夫よ。私がついてるもの」
キングはすでにプロの目つきで服を見て回っていた。
今回のお題は「可愛い」。スペの素朴さを生かしつつ、ほんの少しの冒険心と洗練を加える。
そんなテーマを胸にキングは手際よく数点のアイテムを組み合わせ、スペの手に押し込むとそのまま試着室のカーテンを引いた。
「えっ、えっ!? ちょ、ちょっと、これ本当に私が着ていいやつ!?」
奥から聞こえてきたのはスペの困惑まじりの乾いた笑い。普段着慣れたワンピースやトレーニング中のジャージとは違い
選ばれた服は淡い色合いのブラウスとフレアスカート、そして可愛らしいリボン付きのカーディガン。全体としては“無難”に見えるが、彼女にとっては十分すぎる変化球だ。
試着室の隙間から、そっと顔を覗かせたスペシャルウィークは恥ずかしそうに眉を下げ、頬をうっすら赤く染めていた。
「……あの、これ、なんか間違って……」
「間違ってないわ」
キングが即座にピシャリと答える。その横でセイウンスカイがのんびりした声で付け足す。
「ほらほら、早く着替えて出ておいでよ~。見てあげるからさ」
カーテンの内側ではスペシャルウィークが小さく息を飲んだ音がした。
緊張と戸惑いと、ほんの少しの期待――そのすべてが混ざったような気配だった。
やがてカーテンが音もなく引かれた。一瞬、空気が止まる。彼女がおそるおそる試着室から姿を現した。
ブラウスの袖をそっと握るようにして立つその姿はどこか緊張で強張っていた。
淡い桜色のブラウスに、ミルクティーベージュのフレアスカート。カーディガンの裾には小さなレースが施されており、全体的に優しい雰囲気にまとまっている。
たしかに「可愛い」といえば可愛い。だが――
「……あ、あの、どうかな……?」
スペがそっと問いかけるように視線を上げた。キングは微笑を浮かべて、一歩前へ出た。
「悪くはないわ。似合っていると思う」
その言葉に嘘はない。色味も雰囲気も、彼女の素朴さと真面目さを引き立ててはいた。
しかし、それだけだった。セイウンスカイも頭をかきながら言葉を探す。
「うーん……無難、だね。よくまとまってるけど、“いつものスペちゃんよりちょっとマシ”くらいっていうかさ」
スペは小さく「そっか……」とつぶやき、すこし肩を落として再びカーテンの中へと戻っていった。
試着室の中から、布擦れの音と、脱ぎ着する気配がかすかに聞こえる。
その間に、ふたりは声を潜めて話し始めた。
「……ねえキング。もしかして、最初だからってちょっと遠慮しすぎたかもね」
「ええ。私たちが“無難”を選んだせいで、彼女の“らしさ”がまるで見えなかったわ」
キングはふと、ラックの向こう側に視線を移した。ふわりとしたチュールスカート、遊び心のあるリボン、明るい柄のブラウス――
彼女には、そういった少し甘めの服も案外似合うのではないかと思えてきた。
「スペちゃんって、ああ見えて結構……可憐な衣装とか似合うと思うんだよね」
「そう。だからこそ、こちらが押しつけるんじゃなくて、彼女自身の“可愛い”を見つけてほしいわ」
ふたりの目が自然と合った。こちらから選んで渡すのではなく、スペシャルウィークに“好き”を選ばせてあげよう。
その選択を少しだけ背中から押してあげる――そんな役割になれたなら、それはとても素敵なことだと思えた。
スカイから勧められた衣装を持って試着室に入り、しばらく経って再びカーテンが開かれる。今度のスペシャルウィークは、先ほどよりも少しだけ落ち着いた足取りで姿を現した。
羽織ったのは深い藍色のケープ。それはまるで魔法学園の廊下を静かに歩く見習い魔女のような雰囲気を纏わせていた。
ブラウスは控えめなフリル付きで、袖元には繊細なレース。スカートは少し長めで重心が低く、可憐さよりも“気品”が前に出る。
そして、何より目を引いたのは頭につけた大きなリボンだった。ケープと同じ色調のそのリボンは彼女の髪とよく調和し、素朴だった彼女にどこか幻想的なニュアンスを与えていた。
「うわあ……これ、なんだか、おとぎ話の中にいるみたい……」
自分でもそう感じたのか、スペは小さくくるりと一回転してみせた。その姿にスカイがふっと笑う。
「ね、似合ってるでしょ。トレセンの制服もいいけど、こういうちょっと異世界っぽいのも、スペちゃんっぽいなって思ってさ」
「……うん。なんか不思議と落ち着く……」
いつもより少し背筋を伸ばしたスペシャルウィークの姿に、キングも目を細める。
ただ、彼女にはもう一つ別のプランがあった。
「さて。じゃあ、次はこれよ」
そう言って差し出されたのは――まったく雰囲気の違う、まさに「攻め」の一着だった。
光沢のあるミッドナイトブルーのクロップドトップスに、大胆なスリットが入ったスカート。そしてそのトップスは腹部が大きく開いており――着れば、文字通りおへそがまる見えになる。
「えっ、こ、これ、着るの!?」
「当然よ。“可愛い”にもいろいろな形があるんだから」
「……お腹、冷えちゃうよぉ……」
試着室の中から聞こえたそのか細い声に、スカイが吹き出した。
カーテンの隙間から顔を真っ赤にしたスペが少しだけ覗く。
その姿はさながら巣から顔を出したばかりの小動物のようで、いたたまれないような、けれど可愛らしい緊張感に包まれていた。
キングは腕を組んだまま、揶揄うように言った。
「寒いかどうかじゃないのよ。これは精神の勝負なの。スペさん、あなたの覚悟、見せてちょうだい」
「そ、そんな……覚悟って……!」
スペの声は今にも涙目になりそうなほど震えていたが、それでもカーテンの中では衣擦れの音が続いていた。
鏡の前で、そっとスカートの裾をつまむ。トップスからのぞくお腹が気になって、何度も視線を逸らしてしまう。
けれど、それ以上に胸の内に広がっていたのは――言葉にならない漠然とした居心地の悪さだった。
スペシャルウィークは試着室から顔を覗かせて、しばらく黙っていた。
キングとスカイが言葉をかけようとしたそのとき、彼女はポツリと口を開いた。
「……わ、私には“可愛い”っていうのが、よく分からなくて……。だから、普段のままでいいのかなって、思っちゃって……」
その声は決して拗ねているわけではなかった。ただ、自分で自分のことがよくわからない、そんな戸惑いの滲む響きだった。
キングは小さくため息をついてから、そっと微笑んだ。
「ねえ、スペさん。“可愛い”っていうのは、きっと正解があるわけじゃないの」
「うん。誰かが決めた形じゃなくて、自分が“こうしたい”って思えるかどうかだよ」
セイウンスカイも、いつになくまっすぐな口調で続ける。
「もちろん、TPOってのはあるけどね。でも、少なくとも今日この場所では――どんな服を着たって、誰も笑ったりしないよ」
「ファッションって、ね。少しだけ踏み出すことで、新しい自分に出会えるのよ。レースだって、ここでの一歩を勇気を持って踏み出したら違うものが見えたりね」
ふたりの言葉が、まるで布の繊維をほぐすように、彼女の中の緊張をゆっくりほどいていく。
しばしの沈黙のあと、スペは顔を上げた。目元はまだ不安げだったけれど、その瞳には微かに意志の光が灯っていた。
「……じゃ、じゃあ……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと、でも確かに。
「私自身が、“可愛い”って思えるのを……選んでみたい。……だから、その……協力してくれる?」
その一言にキングとスカイは顔を見合わせ、同時にぱっと笑顔を浮かべた。
「もちろん!」
「さあ、戦いよ!スペちゃんの“ときめき”を、全力で探しにいくの!」
次の瞬間、三人はまるで宝探しに出るように店内へと散っていった。 ラックをくぐり、棚を開け、並べられた色とりどりの衣装を文字通りすべてひっくり返す勢いで。
“着せられる”のではなく“自分で選ぶ”。その喜びにまだ不慣れな手つきのまま、でも確かに一歩を踏み出した少女の、心躍るような午後が始まった。
◆
スペシャルウィークが自分で選んだその服は、確かにどこか「お嬢さま」めいた雰囲気があった。
淡いクリーム色のブラウスには繊細なピンタックとレースがほどこされ、襟元には小さなリボンがひとつ。
合わせたのは、優しいモスグリーンのロングスカート。腰のあたりには薄手のベルトが巻かれていて、動くたびにさりげなく揺れる布が柔らかい印象を与える。
それら全てをふんわりと包みこむのは、ニット地のカーディガン。ちょっと肌寒い午後の空気にもよくなじみ、清楚な中にぬくもりを感じさせていた。
深窓の令嬢――そんな言葉がふと浮かぶほどに上品でいて、それでいてどこか“親しみ”を感じさせる装い。
何より、それを着たスペシャルウィーク自身が、どこか嬉しそうに見えた。
「これ、ちょっと……緊張するけど……でも、着てると嬉しくなる……かも」
そうつぶやいたときの笑顔は、鏡に映っていたどんな服よりも、いちばん“似合って”いた。
そして三人は、陽の傾きはじめた街へと歩き出した。
いつもの道なのに、少しだけ風景が違って見える。
通りすがりのカフェから漂う甘い香り、街角で奏でられるアコーディオンの音、すれ違った子どもに「かわいい~」と囁かれて、スペはちょっと照れながらもスカートの裾をきゅっと握りしめた。
「ほら、見なさい。世間の評価は上々よ」
得意げに言うキングヘイローに、スカイがくすりと笑う。
「うん、今のスペちゃん、ちゃんと“可愛い”を着こなしてるよ」
「えへへ……ありがと……」
その日は、特別な何かがあったわけじゃない。
ブランドものを買いあさったわけでも、高級なカフェに行ったわけでもなかった。
けれど彼女にとって、心の奥にそっと灯がともるような、そんな午後になったのだった。
朝の光が差し込む廊下を、スペシャルウィークは文字どおり“軽やかに”歩いていた。足取りは自然と弾み、スカートの裾がふわりと揺れるたび、気持ちまで舞い上がっていくようだった。
よく見ると今日は髪のまとめ方も少しだけ違う。前髪の整え方さえ細やかなこだわりが随所に見える。誰が見てもそれは、“何かいいことがあった後の女の子”の姿だった。
キングはちらりと彼女を横目で見ながら、わずかに口元を緩める。セイウンスカイもいつもの眠たげな目をほんの少し見開いた。
「……今日はまた、朝からやけにご機嫌じゃない?」
問いかけたキングに、スペは頬を染めながら手を胸元でぎゅっと組んでふんわりとした笑みを浮かべた。
「えへへ……あのね、この前の新しい服、すごく気に入っちゃって。グラスちゃんとエルちゃんに写真を送ったの。そしたら“凄く似合ってる!”ってすぐ返事が来て……!」
誇らしげに話すその表情はまるで咲きたての花のように初々しく、嬉しさを隠しきれていない。
「へえ、よかったじゃない。ちゃんと着こなせてた証拠ね」
キングがうんうんと満足げに頷く。スペはさらに声を潜めて、ちょっと恥ずかしそうに続けた。
「で、えっと……その流れで……ちょっとテンション上がっちゃって……トレーナーさんにも……その……送っちゃって……」
言いながら、指先をつんつんと突き合わせる。背筋をぴんと伸ばしていた姿勢もだんだん縮こまっていった。
「うわ~っ、どうしようーっ!てなったけど……でも、すぐに“すごく似合ってて可愛いね”って返ってきて……」
その瞬間、背中に小さく羽が生えたのではないかと思うほど、スペの全身から喜びが滲み出た。
それだけでなく、次の休みにその服でちょっとしたお出かけの約束まで取りつけたというのだからその浮かれっぷりも納得だった。
キングとスカイは一瞬だけ目を合わせる。何も言わずとも、だいたいの腹の内は共有できていた。
「……ふぅん。なるほどね」
キングはふわりと髪を払うと、躊躇なくスマホを取り出した。その仕草にはもはや貴族的な風格すら漂っている。
「もしもし? ねえ、次の休み予定空いてる? この一流のキングのコーディネートに付き合う“権利”、あなたにあげるわ。ええ、当然でしょ?」
対抗するようにスカイもポケットからスマホを取り出し、特に感情も込めずに淡々と通話を始めた。
「トレーナーさん。今度一緒に出かけませんか? いや、釣りじゃなくて。ちょっと行ってみたいお店があるだけ。……そうそう、ふたりきりで」
スペシャルウィークのはしゃいだ声が耳に残っていた。
鏡に映る自分の姿に頬を染め、くるりと回ってスカートをふわりと揺らすその姿。
あまりに嬉しそうで、あまりに無邪気で……けれどそれは、ただ楽しいだけじゃない。誰かに“見てほしい”という、少女らしい気持ちがきっとそこにあるのだと、ふと思わされた。
――きっと、当てられたのだろう。あの眩しい笑顔に。
心の奥に、ぽつりと落ちた小さな願い。
「自分も、誰かに見てもらいたい」
少し背筋を伸ばして、髪を整え、いつもより丁寧にリップを引いてみる。
それは決して押しつけではなく、ただ静かに、そっと差し出すような気持ち。
可愛く着飾った自分を、大切な人にそっと見せてみたい――そう願う、いじらしくて、けなげで、でも確かに“女の子らしい”小さな計略。
まるで花が、見てくれる誰かのためにそっと花びらを開くような、そんな優しい企みだった。