【シーン58:旧校舎セット/真野の視線】
真野 剛士は、腕を組んでモニターの前に立っていた。
額にかかる髪を手ぐせのように払っては、カメラのフレームを確認する。
その視線は冷静で、自信に満ちていた。
──白栞役の少女。
初日から“空っぽ”だった。
反応が薄い。視線も合わない。
同じモデル出身としては、彼女の容貌は確かにそそられるものがある。
オフで付き合うなら、是が非でも口説いてやりたいとも思う。
だが、役者として見た時は「共演したくない」相手というのが本音ではあった。
それなのに、キャスティング会議では、彼女が“主演”として推された。
読み合わせの時にちょっかいを掛けたのも、そういった気持ちが正直強かった。
お前に役者は無理だ。モデルの世界でずっとその才能を活かし続けるべきだ。
俺は、チャンスをふいにする奴が大嫌いだった。
今でこそ『真野 剛士』って名前が売れ認知されたが順風満帆だったわけじゃ決してない。
使えるコネを使って、努力するのは芸能界では当たり前なんだ。
影橋 鈴はそういう意味では俺よりも“持ってる”側の人間だった。
実家が太かろうが、金があろうが、容姿を磨こうが限界はある。
男に生まれるっていうのはそういうことだ。したくもない営業だってしなくちゃ生きていけない。
母が名優、父が音楽家でどっちも芸能界の歴史に名を連ねた?
いいじゃないか、大いに結構。
演技の才能はなかったかもしれねぇが、テメェにはテメェの武器がある。
それを捨てて、役者だ? 一度は失敗したんだろうが。
芸能界は落伍者に優しくはねぇ、演技の世界はもっと厳しいってのに……。
「まあ、どこぞのモデル上がりだろ」
「感情が乗らないのは演出です、って言い訳が利くキャラなんじゃないか?」
そう言って笑ったのは、数週間前の自分だった。
だが──ここ最近の“彼女”は、何かが違った。
白栞が立っている。
ただ立っているだけだ。
だが、画面の中で“場”が動いていた。
空気が、彼女を中心に組み替わっていくようだった。
「……へえ」
思わず、声が漏れる。動きがあるわけじゃない。表情も、台詞もない。
だが、“いる”。
確かに、“そこにいる”。
何があった?
何を掴んだ?
俺の視線が、モニター越しの白栞から、現場の奥──八代のいる方へと動いた。
(まさか、あの男の影響か?)
軽口のような思考とは裏腹に、胸の奥がざわつく。
かつて自分が立っていたはずの“位置”、この業界では弱肉強食なんだ、奪われる奴が悪い。
コネでも。努力でも。才能に、金や営業、なんだっていい。
奪われたことはまだいい。俺だって奪った側なんだ。
だが、このまま、何もせずに見ているだけの役なんて──
「……冗談じゃねぇ」
真野 剛士はゆっくりと身体を起こし、台本を手に取った。
その手には、演者としての“本気”が宿っていた。
翌日、真野はいつもより早く現場に入った。
ヘアメイクは終えていたが、衣装にはまだ袖を通していない。
現場の空気が張っていた。いつもよりも、少しだけ──重い。
白栞が先に入っていた。
彼女は何もしていなかった。
ただ、教室の中央に立ち、カメラのレンズを背にして、ぼんやりと一点を見つめていた。
だが、真野にはわかった。
(──ああ、何かあるな)
この少女は、何かを持ってきた。
それは、技術ではない。
呼吸の深さでも、視線の正確さでもない。
“覚悟”だった。
真野はゆっくりと歩き、白栞──影橋 鈴に近づいた。
「なあ、お嬢さん。……いや、白栞さんって呼んだ方がいいのかな」
鈴は反応しない。いや、視線が揺れた。
「俺はさ、正直おまえのことナメてた。モデル崩れのクソ女ってな。
折角、恵まれた家庭で見目麗しく生まれたのに今持ってる物をぶん投げるお飾りだってな」
「でも……昨日のカット見て、心底、悔しくなった」
言いながら、自分で笑う。だが、目は笑っていない。
彼女は、やはり何も言わない。
「なあ、おまえさ、何がきっかけだったんだ? 八代か? それとも……お母さまか?」
その言葉に、鈴の瞳がわずかに揺れた。
「ほら見ろ。……当たりか」
真野はさらに一歩、踏み込む。
「今日のシーン、俺も出るんだ。南條 明彦、霊に触れちまった男。
本当なら五十歳の僧侶の役、だった。なのに、スポンサーの力で俺がブッ込まれてきた。
……わかってるよ、若林ちゃん、泣いてるよな」
鈴が、ほんのわずかに眉を寄せた。
「……だがな、それでも俺はこの役に魂を込める。何故かって? おまえが、魂を込めて立ってるからだ」
静寂が落ちた。
「俺は負ける気がねえ。だけど、俺たちが“演じ合う”なら……このシーン、絶対に“映す”ぞ」
「白栞。あんたは“そこ”にいるか?」
真野は、真っ直ぐに彼女を見る。
あまりにも押しつけがましく自分勝手な発言で、でもだからこそ“本音”だと分かる。
その本音に鈴の口が、何かを返そうとわずかに開く。しかし、言葉にはならない。
──だがそれでよかった。
「……いい顔になったな」
鈴の反応に、伝えたいことを伝えられたと察した真野は
そう言い残し、振り返る。
その様子を遠目で恐る恐る伺っていた女性スタッフが声をかけようとしていた。
「真野さん、衣装……」
「今行く。今日は、俺も本気出すんでね」
そう言って笑ったその目に、余裕はなかった。
勝負の前に立つ演者としての──ただの、男の目だった。
【シーン59:旧神社跡セット/共演の幕開け】
真野は南條 明彦の衣装を身にまとい、静かに立っていた。
その姿には、いつもの軽薄さはない。背筋はしゃんと伸び、表情には無駄な遊びがなかった。
彼の正面には、白栞がいる。
透が演じる蓮見は、まだフレームの外。
静けさが、現場を支配していた。
セットは実際にある朽ちた旧神社を利用したもの。撮影にあたって美術班が多少、手を入れたおかげで
神聖さを取り戻したそこに紙垂が揺れ、木々のざわめきがSEで挿入される。
その中央、石畳に立つ白栞と南條。
「……白栞」
真野が放った第一声は、台本にない声色だった。
年齢を感じさせる柔らかな語尾。老僧を演じる意識が、彼の声に乗っていた。
白栞は、少しだけ顔を上げる。
その瞳に、怯えも拒絶もない。ただ、“聞こうとしている者”の静謐さがあった。
「おまえのまとう霊気は、ただのものではない。……違うな。これは、痛みだ」
真野は歩く。台詞通りの動線。
白栞の周囲を回るように、慎重に、だが堂々と。
「この土地が、おまえに語りかけている。……それは、おまえ自身の声ではないのか?」
白栞は、答えない。
だが、真野の目は見ていた。
わずかに、唇が震えた。
「……なぜ、黙っている。おまえの声を、聞かせてほしい」
その声に、カットはかからない。
それが、正解だった。
白栞の肩が、ひとつだけ震える。
だが、それは演技ではない。震えた、のではない。
“応じた”のだ。
真野の視線が、かすかに揺れる。
(──これが、おまえの芝居か)
そこに“芝居”はなかった。
あるのはただ、“生きている”存在だった。
【シーン59:楽屋裏/若林の葛藤】
若林は控え室の隅で、台本を開いていた。
膝の上の脚本には、幾つもの付箋と書き込み。
──南條明彦、五十歳、老僧。
設定には確かにそう記されている。だが、今そこに座しているのは、真野 剛士。
肌に皺一つない。背筋はまっすぐ。
僧侶というより、若き説教師にしか見えない。
「……違う。けど、違うままではいられない」
小さく呟き、ペンを走らせる。
演技の空気に合わせて、台詞をわずかに削る。
老僧としての重さではなく、“霊性を知ってしまった男”として台本を再構成する。
それは演者に合わせた、苦肉の応急処置。
「……お願いだから、届けてよ」
呟いたその声を、扉越しに聞いていた者がいた。
「ずいぶん熱心ね、脚本家さん」
滝本 梨沙(たきもと・りさ)。
映画プロデューサー。長身に革のジャケットを羽織ったその姿は、現場では目を引く存在だ。
「……だって、納得できないんです」
「私が書いた南條は、こんな風に若くない。
でも──あの人が“役”を奪ってきたのなら、それでも、物語の中で生かしてあげたいんです」
若林の声には、震えがあった。
「じゃあ、ちゃんと届くわよ」
滝本はそう言って、若林の頭をぽんと撫でた。
「あなたがここまでやったんだもの。
あの人たち、ちゃんと応えてくれるって信じてなさい」
若林は、眼鏡の奥の目を伏せて──そして、そっと笑った。
「……はい」
【シーン60:境内の影/蓮見の登場】
その瞬間、フレームの向こうから、透が歩いてくる。
蓮見として、彼は何も言わない。
ただ、白栞の隣に立つ。
真野の表情が、わずかに変わる。
(……この男、何もしてないのに、場が締まる)
「南條さん……彼女に、何か見えましたか?」
透が、低く問いかける。
それは、共演者へのサインだった。
「……いや。見えているのは、彼女のほうだ」
真野が返す。
台本にある台詞。それを、自然に、芝居の中で渡す。
蓮見が白栞を見る。
白栞もまた、蓮見を見る。
その一瞬に、三人の空気が一致する。
モニタールームで、若林が呟く。
「……入った」
三神監督は頷きもせず、ただ画面を見つめる。
共演が、始まった。
だがそこに“勝負”の空気はなかった。
真野は喰らい付くつもりで、必死に演じていた。
だが、透は──ただ、そこに“在った”。
その落差が、奇妙な静寂を作り出していた。
演技でも、力技でもない。
ただ“共鳴”が起きていた。
真野は、そこでようやく悟った。
(こいつらは、俺と戦ってなんかいねぇ……いや眼中にすらねぇってか)
(ただ──物語の中で、生きてるんだ)
カメラドリーはぐるりと回り込み、映すシーンを蓮見と南條が向かい合う角度に切り替える。
白栞はその間も、まるで空気のように立ち続ける。
透の声が、静かに空気を震わせた。
「この場所に残る声……それは、彼女のものか」
「いや、もっと古い。だが、彼女はその声に“重なって”いる」
真野の返答には、南條という男の戸惑いと確信が入り混じっていた。
蓮見はふっと目を細める。
「彼女は、過去に縛られてなどいない」
「ただ、誰かの残した痛みを、忘れてくれと頼まれているだけだ」
その言葉に、白栞がはじめて視線を向ける。
その瞳に、涙があった。
それは感情ではない。記憶の裂け目から溢れた、過去の残響だった。
その涙を初めて、いや鈴という少女が見せた感情の一端に驚き南條が一歩、後ずさる。
(くそっ!思わず──動いちまった)
ここまで共鳴した、演じ合うなどと吹っ掛けた自分自身が失態をやらかしてしまった。
そういう焦りが一瞬走り、汗が一筋垂れる。
その一歩下がった真野に合わせるように蓮見は逆に一歩、前へ出る。
(こいつ……!)
両者共に台本にはない動きだった。構図が最も美しく見えることを“映える”という。
真野のミスを、何の合図もなく当然のように透がフォローしたのだ。
一見すると、いや監督陣以外には真野がミスしたことさえ気づかないだろう。
両極端の動きとカメラに収まる左右対称の今の位置づけこそがこのシーンの映えだった。
三神監督は止めない。
「……もう、充分だ」
真野が本心から、そう言った。
それは、南條の台詞だった。がその言葉は真野の敗北感からの言葉。
「この子は、もう“向こう”には行かない。……そうだろう?」
蓮見が、無言で頷いた。
白栞もまた、目を閉じる。
そのまま、三人の芝居は、沈黙の中に収束していった。
スタッフは、誰も声を上げなかった。
SEが止み、風の音だけが、セット内に流れていた。
そして、三神監督が一言だけ呟いた。
「……カット」
撮影がすべて終わった夜、透は控え室の片隅で、差し入れの弁当を開けては閉じ、また開いては溜息をついていた。
現場の緊張がほどけた反動か、疲れはあるのに食欲が追いつかない。
普段の自分ならこの三倍は食べれる。正直、それくらいの疲労感だった。
そのとき、控え室のドアが静かに開き、鈴が顔をちょこんとのぞかせた。
「……一緒に、ご飯、どう?」
まるで呼吸のように自然な言葉だったが、透は一瞬戸惑い、目を丸くした。
「いいよ。……外、少し涼しいしな」
彼女からの誘いは初めてだったし、共演者同士で仲を深めて悪いこともないだろうと
差し入れの弁当を冷蔵庫に放り込むと鈴と透は
ロケ地近くの宿にある簡素な食堂で、ふたりは並んでカレーをつついていた。
「うまい……けど、レトルトっぽいな」
「でも、なんか……落ち着く。こういう味って、嫌いじゃない」
鈴は上品にスプーンを口に運びながら、ふと視線を上げる。
「ねえ……あの撮影のとき、“白栞”って、どう見えた?」
「ん? どうって……すごく、真っすぐだった。見てるこっちが刺されそうなくらい」
鈴はふっと目を伏せて笑った。
「……そっか。じゃあ、よかった」
「なんでそんな他人事みたいに言うんだよ。あれは、影橋そのものだったろ」
少し沈黙が落ちる。鈴はゆっくりと、言葉を選ぶように話し始めた。
「実は……初めて八代さんの演技、見たとき。嫉妬、したんだ」
「えっ?」
「ユリピコ。あのドラマ。面白かったよ。
“こんなに表情で語る人がいるんだ”って思った。
そしたら悔しくなった。……羨ましくて、でも認めたくなくて」
「はは……なんか、うれしいような、怖いような」
「今日も、怖かった。でも……なんか、平気だった。
ボク、自分でも知らない自分が、少し見えた気がした」
透はじっと鈴を見つめた。そして、ぽつりと言った。
「影橋さんは、強いな」
「……“鈴”でいいよ」
その一言に、透の目がわずかに見開かれた。
「そっか。じゃあ……俺のことも“透”でいいよ」
「うん。……透」
呼ばれ慣れたはずの名前が、なぜかやけに照れくさかった。
役を通して縮まった距離感のおかげか、透はさっきまで文句を言っていたカレーが美味しいように感じた。
カレーを食べ終え食器を食堂のカウンターに渡して暖かいお茶を一服していると、鈴はテーブルに突っ伏す。
「……眠い、限界」
「お、おーい。寝るならちゃんと布団に──」
完全に意識を失っている。
俺はしばし頭を抱えた。
「これ、抱えてベッド運んだら通報案件か? いやでもこのままも……」
意を決して、スマホを取り出して北里マネージャーに電話をかける。
『──ああ、透くん? え、鈴さん寝ちゃったんですか? じゃあ、お姫様だっこして運んでくれる?
今日は旧校舎の仮宿に一室借りてベッドに寝かせてあげて下さいますか。
変なことしたら殺しますからね? ……まぁ、君は真野みたいな男じゃないから大丈夫だと思うけれど』
「了解でーす……理不尽だぁ……」
俺は椅子を引き、慎重に鈴を抱き上げた。
身長の割に彼女は意外にも軽く、肩にもたれる頭の重さと手に触れるサラサラの髪の感触に、なんとなく胸がざわつく。
──こんな美少女、膝の上に乗せたら、死ぬほど誤解されるよな。
何かあったとき「違うんです!」って言っても、誰も信じないやつだ。
でも、放っておけるほど、俺は冷たくない。
「まったく。これで訴えられたら泣くぞ、俺……」
そっとベッドに横たえると、鈴は深く眠っていた。
「……今日のカレー、美味しかったね」
寝言のような声に、透は思わず吹き出した。
「夢の中でも飯食ってんのかよ……」
仮設の食堂から旧校舎の宿になっている一階まで運びながら、
俺は誰にも見つかってくれるなという一心だったし、
受付のおばちゃんは驚いたように口に手を当てると、「まぁまぁ!」と、
とても良いものを見たかのような反応をしてくれるし……。
案内された一室のベッドに、鈴を起こさないように静かに降ろし電気を落とす。
無表情だなんだって話だったけれど、目蓋を閉じると本当に、芸術品めいて見える。
ただ、気が張り詰めていないのか無表情というよりは、
ほんのり赤らんだ頬と微笑んで見える寝顔はとても可愛く見えた。
今日は、旧校舎に泊まろうと思ったけど何か誤解されても怖いし、ロケバスに乗せてもらって
隣街のホテルで戻るかと扉を閉め、受付の誤解していそうなおばちゃんによろしくおねがいしてから
旧校舎を出た。
念のためと北里から連絡を受けた神代は、透が壊れ物を扱うように旧校舎へと運び去っていく
その背後をロケ地の端に立っていた眺めて、そっと目を細めた。
「“騎士様”って感じね。……ふふ、がんばりなさい、共演者くん」
部屋には、穏やかな夜が流れていた。
一方、同じくロケ地旧校舎の宿の一室で、一人の男がくしゃみをした。
「へくしっ……誰か噂してんのか? ったく……」
真野は、自室のベッドで脚本と編集前の映像見合わせながら一人ごちる。
「……次は負けねぇからな」
薄笑いと共に、また一ページをめくる音が室内に響いた。