灰の神は、演じきった   作:ククルス

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空の器、舞台に立つ

 

 

映画の撮影初日。

ロケ地に選ばれたのは、廃校となった山間の旧校舎。

ひと気のない朝靄の中、最初に現れたのは、真っ白なワンピースに身を包んだ一人の少女だった。

 

影橋鈴(かげはし・すず)、十七歳。モデルとしては誰もが知る名前。だが、演技の現場ではただの新人だ。

 

誰よりも早く現場入りした彼女を出迎えたのは、誰の挨拶にも反応しない重苦しい沈黙──ではなく、

機材を運ぶスタッフの「また気まずいぞ、今日も」という、ほとんど聞こえない小さな呟きだった。

 

カメラが据えられ、照明が立てられる。

だがスタッフの目線は、どこか鈴を避けるように泳いでいた。

 

──またダメだったらしい。

──昨日のテストでも、目が死んでるって言われてた。

──監督の顔も、もう限界だったぞ。

 

そんな空気を、彼女は無言で飲み込んだ。

 

感情が出ない。

表情が浮かばない。

カメラの前に立っても、自分の顔が何を表しているのか、わからない。

 

(でも──この役なら)

 

脚本を読んだ時、初めてそう思えた。

感情を失くした少女。家族を亡くし、世界と断絶したまま生きる役。

 

それはまるで、自分のために書かれたかのようだった。

そうして、この映画の主演に立った──そう、“立たされ”たのだ。

才能のない娘が、両親の遺した名声を背負って、撮影現場に立っている。

 

カチン、とクラッパーボードの音が鳴る。

初日の撮影カット、静止した世界に浮かぶ少女が、廊下の突き当たりで振り返るだけのカット。

 

「……影橋さん、もう少し“空虚さ”を見せてくれ。無ではなく、“感情があったことを諦めた”人間として立って」

 

三神監督がそう指示するが、鈴は頷くだけで何も掴めていなかった。

再テイク。再テイク。再テイク。

目の前で、時間が、熱量が、焦りとともに擦り減っていく。

 

初日、それは本来、“現場が温まる日”であるはずだった。

けれど、この日は冷え切っていた。誰もが、声を出すのを恐れていた。

だが、そこに──

 

「すいません、遅れました!」

 

バタバタとした足音とともに、現場に駆け込んできた青年がいた。

八代透(やしろ・とおる)、助演。もともとは端役の予定だったが、急遽差し替えられた“謎の大学生”。

芸歴二年未満とは思えない、妙に“演技慣れした”空気を纏った青年。

 

「八代くん、今日からよろしくね。じゃあ先に着替えて、影橋さんとの立ち位置合わせから──」

 

そう言いかけた監督に、透は軽く首を傾げた。

 

「その前に、ひとつ……この役って、“こういう子”って解釈で合ってます?」

 

台本を片手に、何の迷いもなく鈴に向けてセリフを一言、ぶつけてきた。

 

「──世界を拒絶することで、自分を保ってる。だからこそ、誰かに踏み込まれた瞬間が映えるんですよね」

 

その言葉に、スタッフがざわつく。

彼は自分の役ではなく、“彼女の演じる役”を分析していたのだ。

 

しかも、演出側の意図を“汲んでいた”。

 

「……いいね、八代くん。その解釈で、彼女に一言ぶつけてみてくれ」

 

三神監督が珍しく笑った。

 

そして、そのワンカット。たった一言の“問いかけ”に、影橋鈴は初めて、“演技で応えよう”とした。

心が追いつかないまま、体が演じようとした。

それは演技とは呼べなかったかもしれない。

 

だが──カットがかかった後、三神監督が呟いた。

 

「今の目線……残そう。あれは、虚無じゃない。“拒絶の中のわずかな好奇心”だ」

 

彼は軽く笑っただけだった。

 

「本番までに、もっと引き出しますよ。彼女から」

 

鈴は何も言わなかった。

ただ、初めて──その場に、“立った”気がした。

 

 

 

 

影橋鈴、ボクの人生は敗北者の人生だった。

 

伝説の女優、影橋小百合(かげはし・さゆり)と音楽の鬼才と呼ばれた小津正芳(おず・まさよし)の娘。

世間は期待しただろう。

両親の才能をしかと受け継いだサラブレットとしての“影橋鈴”を。

世間は失意しただろう。

容貌以外の何一つ引き継げなかったモデルの“影橋鈴”に。

 

思考を彼方に飛ばしながら、まばゆい光が一閃した。

ソフトボックスの白い布越しに照らされたその光は、ただの撮影用ライティングなのに、何故だか、夢から引き戻すような鋭さを帯びていた。

ファッション誌を専門に撮る眞鍋さんは、いつものようにボクに対し悪意のない賛辞を送ってくれる。

 

「鈴ちゃん、今日も最高だね!その表情、完璧!」

「すごく綺麗でした、鈴さんの美しさには誰も敵いません」

 

続けて、マネージャーの北里さんが歯の浮いたような言葉で私を褒める。

この言葉には、やや別の意味合いを感じ取れた。

ボクは微笑むことができないため、カメラマン曰く感情が読み取れないという。

しかし、プロフェッショナルなポーズと雰囲気を作り出すモデルとしては現場での評価が高いようだった。

要するに「与えられた衣装と表情だけで飾られた高級人形としては……」ということなのだろうとボクは認識していた。

今だって自分自身の事しか考えていない、服の事もポーズの魅せ方も教わったまま実践している。

一流のモデルは自分の魅せ方を知っているらしいから、ボクは一流と感じた"誰か"の真似をしているのだ。

 

「鈴ちゃん、今日もありがとう!本当に助かったよ」

「いえ、仕事なので……ボクの方こそありがとうございました」

 

カメラマンさんたちへの返事は、本音の言葉だ。

北里さんだって仕事は取って来てくれる、でもそれは現場側がどれだけ受け入れてくれるかに掛かっている。

当然、撮影は一人では成り立たない。

モデルの仕事におけるスタッフの人数は、仕事の内容や規模によって大きく異なるけれど

今回のようなモデル雑誌の仕事ならモデルの他に、カメラマン、ヘアメイク、スタイリスト、アシスタント、編集者などが関わる。

場合によってはデザイナーに、スポンサーだって見に来ることもある。

 

だからこそ、普通はコミュニケーション能力も重視される。

モデルが仕事を選ぶように、スタッフ側にだって仕事の程度は選ぶのだ。

同じ人間だから、全力を尽くしてくれるか。

納品可能な程度になるかはスタッフとの人間関係に影響する。

そんな中で、敢えてボクを推してくれると公言してくれるこの現場の人たちは、他の現場と比べると少し気が楽だった。

 

ロッカールームで私服に着替え、送ってくれるという北里さんの提案を断り撮影終了後、ボクは一人で帰ることにした。

 

車内は苦手だった。言葉のない空間は苦痛だ。

さりとて、無理に会話をされたときの歯車の噛み合わない相手の表情を見るのが嫌いだ。

スクランブル交差点を歩いていると、その人や車の出す騒音にボクがかき消えていくように感じられとても安心感を感じる。

我がことながら面倒な女だ。

可笑しさに自嘲しながらも、行きつけのカフェに立ち寄る。

落ち着いた雰囲気の中で席につき、スマホを取り出してぼんやり眺め始めた。

 

「ねぇ、最近の『似通う刃』の演技見た?」

「うん、八代透だっけ?すごい良かったよね」

「だけどドラマの初期じゃ棒演技だったんでしょ?」

「そうそう。でも最近急に良くなって驚いたよね」

 

という隣席から聞こえる同年代の女子たちの会話が自然と耳に入った。

八代透、聞いたこともない名前だ。

他人に興味を持つことが少ないのけれど、女子学性の"演技"という言葉に無自覚ながら反応してしまった。

会話の内容に耳を傾けるうちに、八代透とはいかなる人物か勝手に想像する。

男性で役者、噂話になる程度の実力の持ち主なのか、あるいはコネの類か。

容貌はどんな人だろう。性格は。人生は。

それを理解出来れば、ボクもいずれは……と妄想して。馬鹿馬鹿しくなり席を立った。

 

 

 

 

「……ただいま」

 

返事はない。

予想通りの沈黙に、少しだけ、胸の奥が凍る。

広いだけの家。壁に音が吸い込まれるたび、自分の声が“なかったこと”になる気がする。

それでも、やめられない。ただの習慣じゃない。“誰か”に気づいてほしかった名残が、まだ喉にこびりついている。

学校と家にいる時間が一番、苦痛だった。

それが寂しさなのか思考で溢れるからなのかはボクには分からない。

手洗いうがいを済ませ、居間に置いてある母親からのメモには、

 

「今日のメニューはダイエット食。訓練メニューもしっかりこなすこと、前回の仕事の反省は――」

 

小言ばかり。それがボクの日常。

自室に戻りながら心中で思う。

この世界はどうしてこんなにもボクを孤独にさせるんだろう、思考に浮かぶのは自分勝手なことばかり。嫌になる。

 

友人関係も築けるはずもなく、学校でも一人でいることが多い。

勿論、いじめなどを受けている訳ではないけれど……彼女らのボクを見る目には何だか嫌悪感を覚えた。

ボクが男性として生を受けていれば、こんなに苦しまなかったかもしれないのに。

 

夕食を済ませ、ストレッチから訓練メニューを消化する。

就寝前には追加で"演技"の自主練や学業の勉強をこなす。

いつものように、期待されていないとしてもボクは勝利者になりたくて無駄な努力を繰り返す。

 

やがて夜も深まりテレビをつけると、噂の「勇者ユリピコと霧の島」が放送されていた。

なんというか……ドラマというより演劇のような、軽くふざけた空気感を感じる作品だなと思った。

でも画面越しでも役者の演技はボクの心を強く打つ。

あそこに、あの場所に立ちたい。

やがてシュージンという男性が画面に映り演技に少し心を動かされる。

その瞬間、ボクは日常の中で唯一の楽しいと感じていることにこの時は気付いていなかった。

 

テレビに映る八代透の演技に見入っていることを気付いて、自分の感情を抑えようと意識する。

しかし内心では、複雑な思いも渦巻いていく。

なんで彼はあんなにうまくやれるんだろうという疑問が頭をよぎり、

そして同時に、私はなぜこんなにうまくいかないんだろうという自己批判が強く浮かび上がる。

気が付くと放送は終了していて、就寝する気にもならずスマホを取り出し検索する。

 

「彼の名はたしか……八代透、と」

 

スマホの検索バーに名前を打ち込む。指が震えるのは冷えのせいか、焦りのせいか。

上位に表示されたのは、AIが書いた記事風のプロフィールまとめ。

「八代芸能の孫」「ある日を境に覚醒した」とか、よくある“天才の物語”。

動画クリップも流れる。

ドラマの一幕、まるで役そのものになったかのような台詞回し。

コメント欄には「こいつ、化けたな」「憑依型ってやつか?」の嵐。

……違う、そうじゃない。

そんな才能なら、ボクだって欲しかった。

そんな風に“突然”、評価されてみたかった。

 

誰かが作った文章と、誰かが切り抜いた映像の羅列に、

ボクの心がいちいち打ち抜かれていく。

 

どう表現しても「ぽっと出」として突然成功を収めた八代透に強い嫉妬心を抱いてしまう。

八代透もまた八代芸能の孫という立場にあるため、自分と同じ境遇ながらも

彼だけが成功していることが一層悔しい気持ちを掻き立てる。

特に突然、演技が向上した彼を見て「もし自分もあんな風になれたら」という羨望が心に広がって燃え始めた。

 

 

鈴は自分の才能不足を痛感している。

モデルとしての仕事は順調だが、それは彼女の美貌やプロフェッショナルな態度による部分が多い。

役者としての道を進むためには、もっと深い表現力や演技力が必要で

それを理解しているからこそ、自分自身へのフラストレーションが募っていく。

 

それでもと努力だけは続ける。

毎日繰り返される自主練習や勉強は、自分が追い求めるゴールへ向かうための確固たる道筋で

誰もが"当たり前"にしていることなのだから。あの彼、八代透だってそうだろう。

しかし、その過程で感じる孤独感や無力感が彼女の心を蝕んでいく。

 

そして次の週の深夜、ベッドに横たわりながらテレビを見つめる。

その瞬間だけは孤独から解放される気がするから、画面越しに見る八代透の成功を目の当たりにすることで、

自分もいつか同じ場所に立てることを夢見る。

しかし同時に、その夢がどれほど遠く感じるかも理解している。

 

 

……それでも私は、今日も舞台に立つ。

中身のない器だろうと構わない。

光を浴びて、影を焼きつける。

それが、私に残された“演技”だから。

 

 

 

 

 

 

【芸能】影橋鈴で今日も白米がすすむ 51合目【モデル女優】

 

247 :名無しの食卓:04LgdxWMxEk0

表情がなくても飯がうまい、CMの女王こと影橋鈴ちゃんを語ろう。

過去ログ:[https://rice-girls/archives/suzu50.html]

 

 

248 :名無しの食卓:O9PHeNsSNEKN

新作映画の主演マジ???

雑誌以外はCM専属かと思ってたわ……演技いけるの?

 

 

249 :名無しの食卓:OKFcdhVu4iCf

>>248

>>ビジュが強すぎて演技の粗が気にならんまである。

>>というかあの「目」、あれはもう才能じゃね?

 

 

250 :名無しの食卓:AFgc4te005AR

演技力?より“演じない”ことに説得力あるんだよなあ

あの虚無っぽさ、画面に映えるのがズルい

 

 

251 :名無しの食卓:DdOrUfCaTfpK

正直「感情のない少女役」ってのが逆にチート起用だろw

本人と役が一致してるからハマり役説

 

 

252 :名無しの食卓:ObdX5ZI2x0xa

親があの伝説の劇団出身って知って正座した

どんな家系よ…

 

 

253 :名無しの食卓:eQOn3dQ21bd3

正直ずっと“芸能界のお人形さん”って印象だった

あの娘が、泣く演技できんの?

 

 

254 :名無しの食卓:CCC4QrpbgfSO

>>253

>>その「泣けない子」が「泣けない少女」を演じるって

>>もうこれ実質ドキュメンタリーだろ

 

 

256 :名無しの食卓:87kOEbqP6dYz

予告観た。

目線ひとつ動かさずに存在感あるの怖い(褒めてる)

 

 

257 :名無しの食卓:IKzq5N8eE3ar

このスレのタイトルおかしいって毎回思ってるけど

今朝も鈴の透明感見ながら米炊きました(10合)

 

 

258 :名無しの食卓:kTzzCHgwRnEN

>>257

>>普通に炭水化物過多で草

>>でも分かる、“咀嚼されない感情”がこっちの胃袋に来る

 

 

259 :名無しの食卓:6Vjzdut6hEjG

マジで一回、生で見てみたい。

感情なくても「映える」ってどういうことなのか

 

 

260 :名無しの食卓:SGkTuySVEVo7

彼女の演技、じゃない、“佇まい”って

なんか不安にさせる。妙に記憶に残る。不気味なくらい。

 

 

261 :名無しの食卓:Ekz12ICdZTpL

映画公開前に再燃してきたな、このスレ。

さて次は52合目か……炊飯器の限界が近い

 

 

261 :名無しの食卓:Asuka88su91zu

>>253

お前、何もわかってないな。

あの子の“虚無”が何か、ちゃんと観てないだろ。

白栞を演じてるんじゃない。

白栞そのものが、影橋鈴なんだよ。

 

 

262 :名無しの食卓:gHd29VkePq

>>261

Asukaきたwww

いやでもマジでこの人の解像度は異常。尊敬してる

 

 




6/30 17:46 スレ芸修正、加筆
7/07 18:40 モデル撮影シーンのカメラ描写変更
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