灰の神は、演じきった   作:ククルス

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活動報告しておりました、脚本の文庫化です!


文庫版『鈴がなるとき』第一章 ~ 第二章

※この文庫は、映画『鈴が鳴るとき』の文庫版小説化プロジェクトの一端である。

 

 

第23回映文祭プレミア枠にて正式上映された映画『鈴が鳴るとき』は、

封切り直後から全国ミニシアターランキングにて初登場1位を記録した。

 

評論家たちは「日本映画の静寂の中に宿る声を見た」と絶賛し、

公開一ヶ月後にはすでに海外映画祭への招致が複数舞い込んでいた。

 

静謐な映像美と、台詞よりも“沈黙”で語る脚本の妙──その源にあったのは、ひとつの原稿だった。

撮影終了からほどなくして、製作委員会内部──正確には梶原 昇の鶴の一声で

「結末がどうあれ、──私の目に映ったものの脚本をそのまま埋もれさせるにはあまりにも惜しいでしょう」という声が上がった。

 

脚本家・若林 紗綾は、映画プロデューサーである滝本 梨沙からの電話でその決定を知らされた。

 

「若林ちゃん、一応だけどそーいう話で正式に決まっちゃったわ。

 “初期脚本を原作とした文庫版”が、出版委員会と製作委員会の連名で動くけれど、大丈夫?」

 

その問いは、若林が映像では再構成と再撮影によりハッピーエンドを迎えさせたあの二人が

原案通りの別離を向かえてしまうことに対する、滝本なりの気遣いだ。

電話口の声の背後には、製作デスクのざわめきが微かに響いていた。

若林はしばらく言葉に詰まり、それから静かに頷いた。

 

「大丈夫です。……そうですか。あの子たちの声が、紙の上にも残るんですね」

 

 

 

台詞にならなかった感情たち。

映像では触れられなかった心の襞。

迎えることのなかった結末。

 

本書は、脚本家・若林 紗綾による、映画『鈴が鳴るとき』の“もうひとつの本編”である。

 

登場人物たちが交差し、黙って通り過ぎていった“想い”が、ページの隙間から呼吸する。

映画で感じた沈黙の温度を、ぜひ紙の上でも──。

 

 

 

『鈴が鳴るとき』

 

著:若林 紗綾

絵:篠田 いつか

「製作協力:鈴が鳴るとき製作委員会」

 

出版:澪標文庫(みおつくし文庫)

 

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◆第一章《空の器》

 

 

夜明けよりも静かに、音のない風が山を撫でた。枯れ葉一枚も動かぬその空気の中に、ひとつの人影が立っていた。

 

少女だった。

 

名を、白栞という。

 

ただの名ではなかった。それは“名”である前に、“器”だった。人が誰かと呼ぶために与えられたものではなく、何かを“宿す”ために空けられた、空虚な器。だから彼女は、誰にも呼ばれなかった。

 

彼女は長いあいだ、声もなく、名もなく、ただそこにいた。

 

杜乃村──境界の地

 

舞台は、杜乃村(もりのむら)。

 

県境の山奥に沈む寒村。地図にもろくに記されず、かつて「巫女神の杜」と呼ばれた神域の残骸。

 

ここには廃寺がある。かつてこの地を鎮めるために築かれたが、戦後の混乱とともに焼け、放置されたまま、木々の間に埋もれている。だが、その場所はただの廃墟ではない。

 

ここには、まだ“在る”。人が忘れ、祈りも絶えたはずの神域に、少女──白栞がいる。

 

白いワンピース。地を這うように伸びる裾。

 

裸足のまま、崩れかけた石段の前に立つ姿は、まるで長い時をそこに繋がれたまま、季節の巡りを知らぬ者のようだった。

 

彼女は“見られていない”ことに気づいていた。人々がこの地に訪れても、自分の姿を見ようとすらしないことを。

 

──あるいは、見ないふりをされているのか?

 

それすらも分からない。

 

鈴の供えと、封じられた声

 

廃寺の本堂跡に、一つだけ残された祭壇のような石台がある。

 

そこには朽ちた供物──鏡面を持たぬ小さな手鏡、白布に包まれた杯、音を鳴らさぬ鈴。

 

それらはすべて、かつての神に仕えた巫女たちが捧げたものだと伝わる。音なき鈴は、“声を封じた鈴”と呼ばれた。声を持たぬ者の象徴。

 

白栞はそこに、ただ座っている。

 

鳴らぬ鈴を膝の上に置き、朝が来るまで動かない。

 

光も風も、彼女には届かない。彼女は、まだ“器”であることをやめていないから。

 

大学生・蓮見 廻の訪問

 

そんな地に、ある日、一人の青年が訪れた。

 

蓮見 廻(はすみ・めぐる)。

 

大学で民俗学を学ぶ青年。神道系の家に生まれ、子供の頃から“見る”力を持っていたが、それを信じることを早くにやめていた。だが、卒業論文のため、この杜乃村を訪れた。

 

旧神事の痕跡を追い、祖母の記憶にあった“鈴の巫女”を調べて、朽ちかけた文献に記された「白栞(しらしおり)」という名に辿り着いた。

 

──それは、人の名前ではなかった。

 

それは“封じられた神”の名。

 

はじまりの共鳴

 

蓮見は廃寺の前に立つ。

 

風が止む。白栞は、彼の姿を見ていた。

 

隠れることはもうしない。

 

──だって、見えないから。

 

でも──

 

「……君、ここにいたんだ。ずっと、誰にも気づかれないふりしてたんだね」

 

その声は、確かに彼女に届いた。

 

活字の共感

 

声にはならない。言葉ではない。

 

けれど、確かにふたりは“語った”。

 

「私、あなたのこと全然知らないんだけど」

「僕だってあなたのこと知らないよ」

「私、あなたの気持ちもわからない」

「僕もあなたがわからない。だけどね」

 

「──私たちは似ているね」

 

実際に会話しているわけではなかった。

 

蓮見の心が、白栞の沈黙に触れた。白栞の虚無が、蓮見の記憶を透かした。

 

それは、共鳴だった。音を鳴らさぬ鈴が、確かに“誰かに応えた”初めての瞬間だった。

 

そして、彼女は立ち上がる。

 

まだ、器のまま。

 

けれど、誰かの目に“在る”自分を知った瞬間だった。

 

その日から、世界は少しずつ、音を取り戻し始める。

 

彼女の物語は、ここから始まる。

 

まだ“誰かの物語”になる前の──

 

ひとつの器が、初めて音を受け取った朝の話である。

 

 

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◆第二章《白に閉ざされて》

 

 

白無垢の白、

死人の白、

この世とあの世の間を歩く白。

 

その白が、村の奥にひっそりと佇んでいた。

 

境界の向こうにある村──名を「鈴ノ杜(すずのもり)」という。

 

地図には記されぬが、幾つかの伝承集にはその名が載っている。

曰く、風鈴信仰と白蛇の供養が交わる“音の里”──あるいは“音なき里”。

 

山奥の旧道を辿った果て。今は廃村同然のその場所に、白栞はいた。

 

名を持たぬ少女。紙のように薄い存在。風も雨も、光さえ通り抜けていく。

 

彼女はただそこにいた。生きていたのか、存在していたのか、それすら曖昧なままに。

 

村の中心に据えられた古い風鈴棚──それは祠のように、あるいは神体のように、無数の風鈴をぶら下げていた。

どれもこれも、古びた陶器の鈴。

 

誰かが鳴らすわけではない。

風が吹くでもないのに──その音が響いた。

 

チリリ、チリリ。

 

その音が鳴った瞬間、白栞の視線が僅かに動いた。

まるで、“その音を知っている”かのように。

 

まるで──“自分”というものが、ほんの一瞬だけ、そこに現れたように。

 

彼女は、風鈴の音が鳴るたびに、少しだけ首を傾けた。

 

まるで“誰かの気配”を感じるように。

 

だが誰もいない。

この村に訪れる者は、いまや誰一人として存在しない。

 

──そう、“まだ”誰も。

 

白無垢のような白装束を纏った彼女の姿は、遠目にはまるで死者の影のようだった。

 

その足元には白蛇の抜け殻があった。乾いた大地に広がるそれは、まるで大地の古傷のようだった。

 

かつてこの村には、供養として風鈴を奉納する風習があった。死者を弔うのではなく、風に還すために。

音は魂の揺れであり、風鈴の震えは“この世とあの世の通路”を意味した。

 

その風鈴が鳴った──誰もいない村で、誰のためでもなく。

だが、確かに白栞はそれを“知っている”ような目をした。

 

……それは、彼女が“白”である理由に繋がっていた。

 

白無垢の白は、死者の白装束を意味した。

死人の白は、語られぬ過去を包む無音の帳だった。

そして、この世とあの世の狭間を歩く白は──

 

名を失い、記憶を失い、時間さえも曖昧になった者の色だった。

 

白栞の目は、時折、遠くを見るように空を仰いだ。

だがそこに映るのは、空ではない。

 

風鈴の音が鳴るたびに、彼女は“誰か”の影を見る。

思い出すのではない。ただ、感じるのだ。

 

あの時、誰かが風の中で呼んでいた気がする──

その声はもう思い出せない。だが、耳に焼き付いていた。

 

この里が“音なき里”と呼ばれる所以は、そこにある。

 

音は風によって運ばれ、風は気配となり、気配は“存在”を生む。

ここではすべてが反転する。だから音のない村なのに、風鈴だけは鳴る。

 

白栞は、それをただ聴いていた。

 

それが、自分の存在理由のすべてであるかのように。

 

風鈴がまた、ひとつ鳴った。

 

チリン──という音は、世界にとっては些細な風景音にすぎなかった。

だが、白栞にとっては違った。それは、彼女がこの地に縫いとめられている証のようだった。

 

この村で白装束を纏う者は、生きた者ではないとされている。

正確に言えば、“生きながらにして死の側にある者”──祭祀と呪禁の狭間で、境界を歩く存在。

 

白栞が纏う衣も、誰かが与えたものではない。

彼女自身が、そう在るべきだと選んだ。記憶が失われた後にさえ、その選択だけは変わらなかった。

 

彼女の歩く足音は、土の上にも残らない。

風は彼女を避け、陽光は輪郭をすり抜ける。

 

だが、ただ一つ──音だけが、彼女を忘れない。

 

風鈴棚の下に立った彼女の耳に、幾重もの音が降る。

それは名もなき死者たちの呼吸のようであり、無数の“誰か”の声のようでもあった。

 

音が風とともに揺れるたび、白栞は目を閉じる。

視覚を閉ざすことで、より深く“音”に身を預ける。

 

──チリリ、チリン……チリ──ン。

 

その中に、ひとつだけ異なる音が混じる。

 

小さく、けれど確かに異質な風鈴の音。

 

耳がそれを識別するよりも早く、白栞の身体が動いた。

 

静かに、だが明確に、音の鳴った方へ歩を進める。

まるで導かれるように、否──待ち続けていた“何か”が、ようやく届いたかのように。

 

歩みの先にあるのは、祠のさらに奥。

苔むした参道を抜けたその先に、ひとつの古井戸があった。

 

人々が“願い”を投げた井戸。

声を飲み込み、記憶を封じ、時には命を受け取ってきた場所。

 

その縁に、白蛇の姿があった。

 

──否、その“抜け殻”だ。

 

けれども、それは先ほどのものとは違った。

まだ温かさを宿したような、ついさっきまで生きていた痕跡があった。

 

抜け殻の上に、ひとつの風鈴が置かれていた。

 

見たことのない、白磁の鈴。

 

誰が置いたのかもわからぬそれは、風もなく鳴った。

 

──チリン。

 

その音に、白栞は震えた。

 

まるで誰かが、自分の名を呼んだようだった。

 

思い出せない名、語られなかった言葉──

それらすべてが、音という形で存在している。

 

白栞の頬を、一筋の涙が伝った。

 

涙の理由はわからない。

だがその涙は、初めて彼女が“この世に存在している”と実感するものだった。

 

──誰かが、来る。

 

音が告げていた。

 

この“無”の村に、ようやく誰かが訪れる。

 

それは過去の亡霊か、未来の幻か。

 

けれど、それが誰であれ──白栞は確かに“待っていた”のだ。

 

その証拠に、彼女は風鈴を拾い上げ、胸元にそっと抱いた。

 

音はまだ鳴っている。

 

村の全ての風鈴が、まるで目覚めるように──一斉に。

 

──チリリ、チリ、チリン──

 

白無垢の少女が、初めて“動き出した”。

 

それが、すべての始まりだった。

 

 

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