11歳になったあたしは、すでに“売れてる子役モデル”だった。
身長はどんどん成長し160cm目前。
ジュニア層向けファッション誌、スポーツブランド、カタログ撮影など、
撮影現場では名前を呼ばれるより「いつもの子」「あの子」と言われるほうが多くなった。
ボーイッシュで表情を崩さない、でもしっかり目線を決める。
どうにも、その“クールな画”がウケていたようだ。
スタッフとの信頼もできていたし、撮影中の立ち位置や光の拾い方も、
もう口頭で言われなくても分かった。
カメラマンが息を吸うタイミング、ライティングが切り替わる瞬間、そういう“空気”すら察知できるようになっていたと思う。
あたしには自分の強みが、はっきりわかってきていた。
“媚びない目線”“笑わないカット”“存在感”。
それが、今の明日香を作っていた。
だから、あの現場も、最初は“いつもの仕事”のはずだった。
変わりのないあたしの現場。あたしだけの現場。
映像撮影とスチール、二部構成の複合案件。
新ブランド立ち上げのキービジュアル。その現場で、あたしは“その子”と出会った。
「今日はよろしくお願いします」
台本を胸に抱えて、関係者たちにいつも通りの挨拶をして回る。
その流れで控え室の扉を開けたとき──あたしの胸に、何かが引っかかった。
その室内に漂う空気が、違ったのだ。
控え室に入ると、すでに一人だけ座っている子がいた。
影橋 鈴──当時の年齢は10歳。髪は腰まで届くほどに長く小柄で、あたしの目測で130cmちょっと。
椅子に座って静かに本を読んでいた。気配も存在感も薄く、黙ってうつむいているのが印象的で。
その姿は、あまりに無音すぎて、そこに“いる”ことすら忘れてしまいそうだった。
「あの子、あの子だよ」
「例の、ね……」
「うん、伝説の女優の娘って……」
聞こえないふりをしていても、スタッフたちの“距離感”はわかる。
台本を配る手が鈴の席を避けるように震え、視線はあえて合わせないように逸らされていた。
まるで──腫れ物扱い。
でも、それだけじゃなかった。
撮影直前のメイクチェック、同じ控え室にいた2人の子役モデル──あたしと同じ事務所のライバルがわざと通路で立ち止まり、ぶつかったフリをして彼女の鞄を押しのけた。
「わっ、ゴメン~? あれ、通れないな~」
「やだぁ、気づかなかった」
押された鞄が床に落ちても、メイクさんは手を止めず、ディレクターも台本に目を落としたまま。
それを見ていたスタッフも、大人も、誰も何も言わなかった。
「……は?」
あたしだって業界に、そういった側面があるのは知ってた。
でも普通は、誰か身近な人が止める。
それは別にマナーなんかじゃない、そういった人物の業界人生は長くないからだ。
学ぶことを止め、他人の足を引っ張ることをするやつなんてすぐ消える。
それとは別にして無意識に足が前に出た。
ただ──あたしは、その無関心が、何より許せなかった。
近寄って、鞄を拾って鈴に手渡すように返す。
「……大丈夫?」
彼女は、目を丸くして、ただ首を縦に振った。
その顔は無表情だったけれど、ほんのわずか、唇が揺れた。
本当にそれだけだった。
でも、この時──あたしの中に、何かが芽を出した。
この子は何か、他の子とは違う。
リハーサル中、カメラ前でうまくポーズが決まらず戸惑う鈴。
立ち方、視線の置き方、足の向き。何もかも“知らない”まま連れてこられたようだった。
「そっち足、逆だよ」
「カメラ、カメラ。見ないと」
演出助手の小声。
鈴は言われるたびにぎこちなく動いて、それが余計にチグハグになっていた。
聞いた限り芸歴はあたしより上のはず。なのに、ここでは完全な“初心者”だった。
とはいえ、ここは業界で三年前の私にすら厳しい世界。
現場に入ってから──出来ませんでした、では通らない。
特に大人たちは見知らぬ、それも愛想を振りまかぬ子ども相手には、誰も。
何も教えてはくれない。
まるで自分自身を見ているようで我慢できなくなったあたしは、ふと横から声をかけた。
「……立つとき、重心を片足に乗せると綺麗に見えるよ」
鈴は驚いたようにあたしを見た。真っ直ぐな黒い目。揺れない瞳。
「こう……肘を少し外に開いて。肩は落として、首筋を見せて」
「……こう?」
鈴は、一度見ただけで完璧に真似た。
身長差もあるのに角度は全く同じ、腕揺れなどもない。
その動きに、あたしは思わず息を呑んだ。
「すごい……」
綿みたいだった。入れたものをそのまま吸い込んで、形にする。
お手本を見つけたように、鈴はあたしの技術をどんどんと学習していく。
更に、興味を抱いた。
「これ……知ってる? パリのショーでやってたやつ」
「パリ……? わからない」
「後で見せてあげる。スマホに動画あるから」
無表情の中で、ほんの一瞬だけ、鈴の目が光った。
まるで、“学ぶ”という行為に喜びを見つけたみたいに。
気づけば、次のリハも、その次のリハも、鈴の立ち位置の確認にあたしが付き添っていた。
距離が近づくごとに、不思議な感情が胸の奥で育っていた。
この感覚……なんだろう。あたし、こんな風に誰かと並んで歩いたこと、あったっけ?
友達とか、仲間とか、学校ではどこか浮いていたあたしが、こんなふうに“肩を並べる”なんて。
(……ばぁばなら、なんて言ったかな)
ふと浮かんだのは、昔、ばぁばが言っていた言葉だった。
──「ひとはな、何かを教えるときに、一番、自分のことを学ぶんだよ」
あの頃はよく分からなかった。
でも、今は……少し、わかる気がした。
教えているはずなのに、どこかで、あたしのほうが癒やされていた。
必要とされている喜び。誰かに“ありがとう”って思われることの、あたたかさ。
ばぁばがいなくなってから、空いたままだった場所に、ぽつりと灯るような、そんな感覚。
──これが、繋がるってことなのかな。
そのときはまだ言葉にならなかったけど、あたしはきっと、はじめて“家族以外の誰か”と心を通わせた瞬間だったと思う。
誰かに“教える”こと。
それがこんなに楽しいなんて、思いもしなかった。
撮影本番。
カメラの前に立った鈴は、前回に出会った時とはまるで違う子だった。
一つ一つの動作が滑らかで、ぎこちなさが消えていた。
目線の先に確かに何かを見つめる意思が宿っていて、その静けさが画面越しに“感情”として伝わるほどだった。
「──OK!今の、そのままでいこう」
カメラマンの声が響いた瞬間、あたしは気づいていた。
(この子……吸収だけじゃない)
演出意図を超えて、“表現”に昇華している。
一枚のスチール。
そこには、静かな強さを湛えた鈴の目線が映っていた。
──あたしには、出せない画。
……そのときだった。
胸の奥で、何かが小さく鳴った気がした。
心臓の鼓動にまぎれて、それでも確かに耳に残る音。
──ちりん。
まるで銀の鈴が風に揺れるような、澄んだ音。
それは確かに、目に見えない何かが“鳴った”音だった。
撮影スタジオの無機質な空気の中で、あの子が放った感情は、光ではなく“音”だったのだ。
響いて、重なって、胸の奥で余韻だけを残していく。
──誰かの声ではない。誰かの鼓動でもない。
たったひとつの心が“ここにいる”と告げる、
世界でいちばん小さな鐘の音。
……それが、鈴の音だった。
透明で、脆くて、それでいて、ひとつ芯の通った――心を貫くような“響き”。
(……いま、あたし、なにかを失った? それとも……)
焼かれるような敗北感。
けれどその裏で、何かとんでもなく美しいものに触れてしまったような、震え。
それは、“好き”に似ていた。
彼女が画面の向こうに置いてきた“感情”が、確かにあたしの中に落ちていた。
何も語らず、ただ立つだけで、人の心を動かすなんて。
あたしが、ずっと憧れていた“表現”を――彼女は、もう手にしている。
(……鈴の音、だ)
そう思った。
誰も気づかずに通り過ぎてしまうような、細くて、繊細で、でも耳に残って離れない“あの音”。
その一音で、景色が変わる。
……あたしにとって、影橋 鈴は、そういう存在になってしまったんだ
でも、あたしが教えたことの上に、それはある。
それが、逆にくやしいのだ。
モデルだって色々な人がいる。容貌も性格もそれが個性で、武器(売り方)だ。
だから一人一人が自分自身の“魅せる構図”、それが分かるようになるまで人によって差はあるだろう。
けれど使えるものにするのには、それなり以上の時間が必要なのに……。
じわじわと胸が焼けるように熱くなった。
悔しさと、誇りと、何かもっと深いものが絡まって、うまく呼吸ができなかった。
(……負けた)
頭ではもう理解している。
でも、身体が理解したのは別の感情だった。
鈴に“魅せられた”心臓がうるさく脈打つ。
脇腹が少し痛いほどに、感じたことのない感情が暴れていた。
教えていたはずが、教わってしまったのだ。
天狗になっていた──認めよう。
モデルとして売れていた自分自身に傲慢になっていた──それも認める。
鈴と同じじゃゼッタイ駄目だ、“アレ”と同じではあたしは勝てない。
あたし自身の“魅せる構図”を見つけ直すべきだった。
「──あたし、笑ってみようかな」
誰に言うでもなく、鏡の前で、思いっきり口角をあげる。
「動いて、笑って、全部さらけ出すモデルになる」
鈴に、あの子に静の美しさに負けたなら、動で勝てばいい。
──そう決めた。
その日の帰り道。
驚くことにSNSには、あたしよりも“鈴ちゃん”の名前が先に並んでいた。
「何もしていないのに、見惚れた」「この子、天才だ」「お人形さんみたい!」
たった一回の仕事、一瞬で認知されていくライバルに心がずしりと沈む。
でも、嫌じゃなかった──だってあの子は、あたしが先に見つけたんだ。
そしてたぶん、このときもう、あたしは──
“この子のことが、好きになりかけていた”。
《
@ask_askka
今日の現場、なんかすごい子がいた。
笑わないのに、ちゃんと伝わってくる目。
表情なんてひとつもないのに、泣きそうになった。
……悔しいけど、あたし、見惚れたかもしれない。
#影橋鈴 #モデルってこういうこと
明日香視点の過去回想は、ここで終わりです。
でも外伝はもうちょっとだけ続くんじゃ……。