灰の神は、演じきった   作:ククルス

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トリガーは鳴り響く

 

 

──スタジオMoss(モス)、午前10時過ぎ。

 

中野にある地下型多目的スタジオ、静まり返った空気を、シャッター音が細く裂いていく。

コンクリ壁やレンガ、廃墟風のセットが売りのスタジオセットで敢えて

白く光を跳ね返す背景紙の中央、飛鳥 明日香はポーズを決めていた。

 

その隣に立つのは、この現場ではひどく珍しい青年。

職業は役者、透──八代 透。

 

カメラマンの雫川 マナ(しずくかわ・まな)の指示が飛ぶ。

 

「はい、もう少し寄って──明日香さん、肩の角度、そう、それで──」

 

──違う。こいつは違う。

 

明日香の心のなかで、じわじわと何かが沸騰していく。

視界の端で、透の目線が宙に漂っていた。

 

あの目だ──見ているようで、何も見ていない。まるで、抜け殻。モデルの皮をかぶったマネキン。

……違う。あたしは、こんなのを見せられるためにここに来たんじゃない。

 

そのシャッターが切られた直後、明日香は声を上げた。

 

「……カット。」

 

雫川があたしの言葉に軽く目を見開く。スタッフたちも、空気を読むように動きを止めた。

 

「ごめん、いまの無し。透、あんたさ……そこ、なに見てたの?」

 

透は、まるで何も聞こえていなかったかのように首を傾けた。

 

「……視線、ずれてた?」

「ずれてるとかじゃなくて、“何も”ない。空っぽじゃ、意味ないでしょ!?」

 

──あたしが、子役モデルの時にずっと言われてきた言葉。

今、自分がそれを、他人に言ってる。

 

なのに、なんでこんなに喉が詰まるの。

あんたに言ってるんじゃない。あの頃の自分に言ってるみたいで、気持ち悪い。

あたしだって、立ってるだけで“見てるふり”してたくせに。

 

再び沈黙。カメラマンの雫川が静かに手を下ろし、「ちょっと休憩入りましょうか」と言った。

 

スタジオに、妙な静けさが満ちる。

 

 

 

──ヴェルメイユモデルエージェンシー事務所、数日前。

 

港区北青山のガラス張りビル内。高層階20階から24階まで入居しここは24階の社長室でもある。

自身の経験を活かした結果、モデル業に特化した大手芸能事務所を貫き。

性別不問・才能主義・攻めの美学を掲げ、男性モデルにも機会を与えるという方針を早期から採用した。

スカウト基準は「映った瞬間に世界観を変えられるか」。

 

そういった審美眼に長けた女社長、澁谷 志帆(しぶや・しほ)社長が机に資料を並べる。

 

何かを思案するように、彼女は年齢こそ40代後半だが元パリコレモデルでもあり、

年齢を感じさせない美貌と覇気を纏っていた。

業界では女傑だなんて呼ばれる、そんな彼女が眉尻を少し上げ思案に耽る。

 

それは業務依頼の内容の『男女モデルの合同撮影』にあった。

この業界では男性モデル(俳優よりは多いにしても)は希少だ。

需要はあるが、素質のある成り手が居ない。

雄々しい(女々しい)男では意味がないし、売れている女性モデルのファン層は大多数を女性が占める。

撮影内容次第で、下手な共演はモデル人生を縮めることになりかねなかった。

 

今回の場合は、“相手役”が特に問題だった。

 

そんな中、明日香はドアを勢いよく開けて入ってきた。

その表情から強い意志を感じさせる。怒りにも似た何か、強い感情。

後から続くようにマネージャーのカレン ミナセが、おっとりと入室して扉を静かに閉める。

 

「例の案件、決まったって聞いた。八代 透が男モデルって?」

 

澁谷が顎を引いて鷹揚に頷く。

 

「あちらからの指名だったわ。彼の映画を観て惚れ込んだのでしょう」

「じゃあ、女側は? 決まってないんでしょ」

 

沈黙。正確には透という男性モデルと、見劣りしない素質と男性問題は発生しない人物。

その両方を満たす人物が目の前にいる事務所のエースしかいないということだ。

 

「やる。あたしがやる」

 

澁谷の目が一瞬だけ細くなり、すぐに元の無表情に戻る。

彼女が想い人である影橋 鈴に関連した透を、意識しているのは当然把握している。

そういう意味でもこの透という男は、とてつもない劇物なのだ。

なにせ、あの“鉄面皮の少女”を溶かした人物。

明日香は思春期を迎えてから“ずっと”、精神面での不安定感が否めなかった。

 

問題ははっきりしている。

ライバルであり、彼女は認めないだろうが想い人でほぼ唯一の友人である影橋 鈴。

澁谷とて何度か共演NGも考えた。

ただ、そうした時──モデルの飛鳥 明日香は終わりを迎えるという確信に満ちた何かが有った。

なんだかんだと互いに魅力を引き出し続けているのもある。

彼女のことになると、幼くなるだけで社会人としては及第点の対応、炎上もしたことはない。

 

だから許している。

だが、今回は毛色が違った。

男性でしかも、ライバルと想い人を一度に奪われた感覚を抱いているであろう明日香に……?

 

一瞬の逡巡の後に、軽くため息を吐いて返事を返す。

 

「……いいわ。やってみなさい」

 

その隣で、マネージャーのカレンが手帳に予定を書き込み、パタンと閉じて笑いながら

明日香の両肩に手を置いておっとりと微笑んだ。

 

「アスカち〜ん♥ やる気スイッチ入ったね〜」

 

両肩の手など気にも留めず、明日香は黙って頷いた。

──絶対に、抜かれるわけにはいかないという意思を滾らせて。

 

 

 

──スタジオMoss(モス)控え室、現在。

 

カレンから透が“指名された”というその一言を耳にした時、頭が沸騰した。

あたしを差し置いて、あいつが“見られる側”で許されてるの?

役者とかいう役の上でしか輝けないなら、あたしは実在するこの場所であの男に証明してみせる。

 

メイクルーム。

 

鏡越しに、透の後ろ姿が見える。どこか儚げで、無垢に近い。

でも、無垢ってそんなに価値あるの?

中身のない無垢さなんて、ガラス細工と変わらない。

脆くて、美しいだけで、壊れるしかないじゃない。

それが許されるのは、あたしの中では“ただ一人”だけなのに。

 

明日香は息をつく。

 

「……違う。あんなの、ただの影絵でしょ」

 

鏡の中で、自分の目とぶつかる。

 

「……綺麗すぎるのよ。あんたの立ち方。だけど、違う……」

 

──まるで、過去のあたしみたいじゃない。

ただ立ってるだけで、誰かの目を奪う静の理想形。

だけどあんたには中身がない。燃えてる場所がない。魅せたい自分がない。

 

「透、あんたさ。あの映画で“見てた”じゃない」

「本当に、白栞のこと、見てたでしょ。だったら今は、なんで見ないのよ……っ」

 

言葉にならない憤りが、胸を焼いていた。

羨ましい。妬ましい。哀れみたくなんか、ない。

それを抱いてる自分が、一番嫌いだ。

 

 

撮影再開──そして限界。

 

光が戻ったセット。

ポーズを再び合わせる明日香。だが、透は依然として感情を浮かべない。

無表情ということではない、表情はある。だけどそうじゃないのに。

 

「こっちを見て。違う、“見る”って、そういうことじゃないのよ……!」

 

透が目線を合わせた瞬間、あたしの声が爆ぜた。

 

「もう、やってらんないッ!!」

 

セットから歩き出す明日香に、雫川が追う。

 

「飛鳥さん!」

 

だが、振り返らず、スタジオの扉を叩くように閉じた。

 

──また、あたしが壊した。何も変わってないじゃない……!

 

完璧になりたくて、誰よりも目立ちたくて、それでも空回って。

あいつを見てると、あたしの過去の失敗が、今も生きてるみたいで怖くなる。

でもそのくせ、どうしようもなく、羨ましい。

 

 

ビルの屋上。あたしは缶コーヒーを飲みながら風に髪を揺らしていた。

カレンは先の行動に関しては何も咎めず、ゆっくりと隣に腰を下ろす。

彼女のゆる巻きの黒髪ロングヘアーが風になびくのを横目で見て、何度目かの溜息をこぼす。

 

「ねえ、アスカち〜ん。怒ってるのって、ほんとは自分に、じゃないの?」

「……違う」

「そう? でもさ、さっきのあれ、“鈴に負けた”って時の顔だったよ♥」

「……あんな表情、見せつけられたら……」

 

あたしは言い淀み、目を伏せた。

 

「……そりゃあ、ちょっとは……悔しい、って思ってるかもね」

「ふ〜ん♥ でもそれって、認めてるってことよね? “透くん”を」

「……うるさい」

 

悔しい。でも、それだけじゃない。

映画で鈴があの演技をした瞬間、本当に世界が止まって。空気が変わった。

まるで。子供の頃の撮影現場で、鈴に魅せられたあの時のような。

 

胸の奥で、何かが細く、澄んだ音を立てた。

──ちりん。

 

誰かがどこかで鳴らしたような、小さな鈴の音。

でもそれは確かに、あたしの内側で響いていた。

呼吸が止まった。心臓が、跳ねた。

まるでその音が、あたしの感情を形にして、名前を与えてくれたみたいに。

 

(……“鈴”の音……)

 

ただの比喩じゃない。

彼女の名前が、そのまま“音”になって、あたしの胸を打った。

 

悔しさと、嫉妬と、感動と、焦燥と──

ごちゃまぜになったすべてが、その一音に揺すられて、

“好き”と“負け”の境目を溶かしていった。

 

それが本物だって、あたしは、見てしまった。

だから──悔しいんだ。

あいつを通して、あたしはあの時の“鈴”と“あたし”を見ている。

 

「アスカち〜ん、わたしね。あなたがあの子に勝てる日、来ると思ってるの。

 でもそれって、鈴ちんを“超える”んじゃなくて、“あなた自身で立つ”ってことだと思うな〜」

 

カレンの遠慮のない励ましに、あたしは小さく笑った。

 

「……そんな言い方、ずるい」

「でしょ♥」

 

──でも、きっと、その通りだ。

 

 

 

──パルティール南青山、夜。

 

一応は高級賃貸マンションの分類に入る、あたしの住まい。

2LDK(約72㎡)+ウォークインクローゼット+防音設備あり

階層は12階建ての10階。南向き、日当たり良好、窓は遮光ガラス。

 

あたしが一人で暮らすにはやや、広すぎる。そんな住まい。

 

初めて一人暮らしをする時は色々あったけれど、

今の事務所ヴェルメイユの澁谷社長に引き抜かれてからは会社で費用を持つから

『絶対にここに引っ越せ』と押し通され、ママとパパも賛成したことで住み続けている。

 

分不相応とは思うけれど、本社の港区北青山に近くセキュリティ面がかなり厳重で

芸能人向け物件として、部屋の足音・声の響きなどが外に漏れないらしく住人も業界関係者が多い。

要は、厄介なストーカーや記者から身を守る為の“必要経費”ってことらしい。

 

静かなリビング。

明かりを落とし、あたしは肩にオカメインコを乗せて、冷蔵庫を開ける。

料理は自炊。カレンに教わってからは栄養管理士の助言を基にした献立を週単位で計画している。

といっても、主に「鶏胸肉/ブロッコリー/雑穀米/発酵系食品(納豆・キムチなど)」のローテーションだけど。

 

料理をする音、カセットコンロの火、漂う香り。

気はそぞろで身体だけが慣れたように動く。

 

「……あたし、あいつに……負けたの?」

 

肩に乗ったスズが、あたしの言葉に反応するように小さく「ピィ」と鳴いた。

鼓膜をかすめるその音は、まるで「大丈夫」とでも言ってくれるような響きだった。

オカメインコ特有の高くて透き通った声が、夜の静けさをほんの少しだけ明るくした気がした。

 

「……スズ。あんた、何か知ってるの?」

 

肩の上で首をかしげる小さな身体に、あたしは半分冗談、半分本気で問いかける。

 

「……そっか。まだ、終わってない……よね」

 

いつもの流れでまな板に乗せた鶏胸肉を叩いて、切って、茹でる。

ブロッコリーを蒸して、雑穀米の保温器を開ける。食器は白、盛り付けもいつもの通り。

ルーティンが指先に染み込んでいる。考えなくても、手が勝手に動く。

それが安心だった。だからあたしは、余計なことを考えずにいられた。

でも、そうやって無理に落ち着こうとする自分が、何より悔しい。

 

スマホに通知が光る。

そのタイトルを見た瞬間、心臓が一度跳ねて、すぐに早鐘のように鳴りはじめた。

 

 

件名:FIGAROte 特別企画案

サブタイトル:『感情は、光になる:再構成されたふたり』

 

 

明日香の指先が、微かに震えた。

それって、あたしと──透ってこと?

いや、きっとそう。わかってる。あたしが、見なきゃいけないのはそこだ。

 

もう一度、世界に宣戦布告するように。

あたしはスマホを握り締めた。

 

「……やってやる。何度でも、あんたに見せてやる。こっちが“本物”だって」

 

──やってやろうじゃない。

今度こそ、ちゃんと“見る”って何か、思い知らせてやる。

 

負けたままでいられるほど、あたし、やわじゃない。

 

 

 

 




時系列的には『鈴がなるとき』舞台挨拶で、透がまだ日本にいる頃を・・・。

一応補足させてくださいませ。
透がモデルとして未熟なのは当然な上に、カメラは有っても
モチーフにする題材や人物理解(カメラマンが何を求めているのか)が
全くないからです。

芸歴二年で映画やドラマ、アクターや端役も熟したと彼でも
『求められている人物像』が不明瞭で学べない以上は当然こうなると思い
鈴ではなく明日香と絡ませました。反論は受け付けます。
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