灰の神は、演じきった   作:ククルス

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『再構成:共鳴の距離』

 

 

──パルティール南青山、夜2時。

 

居間のソファに沈み込むように座りながら、明日香はスマホを握りしめていた。

画面には一件のメール通知が表示されたまま、時折消える。

内容はまだ、確認していない。

 

件名:FIGAROte 特別企画案

サブタイトル:『感情は、光になる:再構成されたふたり』

 

そのフレーズが、妙に脳裏に残っていた。

くすぶる感情は怒り半分に決意半分といったところだろうか。

 

「……再構成、ね」

 

口に出してみると、途端に苦笑がこぼれる。

 

「言ってくれるじゃない、あたしのこと壊れたみたいに……」

 

隣では、オカメインコのスズが羽を膨らませて止まり木で首をすくめている。

握りしめたスマホをソファに放ると、両手で顔を覆った。

 

気がつけば、深夜2時を過ぎていた。

 

感情を切り取るなんて、簡単に言うな。

でも──その切り取られた感情で、誰かの心を動かせるなら。

あたしが、ただの装飾じゃないと証明できるなら。

 

「やる。やるしかない」

 

独り言は、決意のようで、呪いのようだった。

 

 

 

──FIGAROte編集部企画会議、午前11時。

 

東京都渋谷区神宮前5丁目──コモンズ・イーストビルの高層ビル。

10階にあるその一室で、編集長・副編集長・スタイリスト・カメラマン雫川、そして明日香と透が集められていた。

 

あたしは、会議室に足を踏み入れた瞬間から不快だった。

コンクリート打ちっぱなしの壁面。冷たい蛍光灯。洒落たインテリアに囲まれてなお、ここには熱がなかった。

生の感情が、最初から加工される前提で待たれている、そんな空気。

 

誰かの“企画”の中で、自分がどう扱われるのか──それを見せつけられる場。

 

編集長が開口一番、指を組んで机に乗せる。

 

「君たちふたりには、“構造的な緊張”がある。それを前面に押し出したい」

「……喧嘩しろってことですか?」

 

明日香が真顔で尋ねる。

その言葉のどこが面白いのか、編集長は笑って手を振り組み直す。

 

「いや、衝突はもう十分に記録されている。

 我々が欲しいのは、その“後”。つまり、感情がぶつかったあとの『余白』だ」

 

──余白?

中身もないくせに、演出だけは一丁前。白々しい理屈。

 

「それって、つまり……」

「透くんはそのままでいい。飛鳥さん、あなたが“崩れる”側です」

 

「…………っ」

 

あたしは瞬間、息を飲んだ。

自分が“崩れる”側。そう指定されたことの意味。

そういう比喩じゃない。

今まで見せてきたモデル“飛鳥 明日香”を壊して、素でやれと彼は要求している。

澁谷社長の耳に入れば、きっと金輪際はここからの依頼は受けないに違いない。

 

──“あたしが壊れて見せる”ってこと?

隣に座る、あの男……透に負けた女の姿、それが面白いって?

 

喉の奥が焼けるようだった。

言葉に出したら叫びそうで、明日香は自分の膝を強く握り込む。

 

スタイリストがボードを開いて言う。

 

「今回のテーマは“境界の消失”。

 あなたの衣装は、外と内の境界があいまいになるよう設計してます。

 透くんは、“境界の外側”を象徴します」

 

──透は動かない。

その静けさを背景に、あたしが乱れる。壊れる。

それを、シャッターで切り取られる。

 

まるで、あたしの感情は“演出用の爆弾”扱いだ。

抑圧して、溜め込んで、いつか破裂することを期待される。

その瞬間を、レンズ越しに“収集”される──美しい消費物として。

 

ふざけるな。

あたしの痛みは、道具じゃない。

都合よく切り取られるために、生きてるわけじゃない。

 

「面白いでしょ」と、副編集があたしを見て笑う。

 

明日香は唇を噛みしめ、かろうじて──本当にかろうじて、頷いた。

 

こんなの、ただの消費じゃない。

でも……なら、利用してやる。こっちも。

 

あたしが壊れる様を撮るつもりなら、その熱で、セットごと燃やしてやる。

 

 

 

──STUDIO NEST(ネスト)、東京湾倉庫区画C-17の午後3時。

 

撮影現場は、品川湾岸にある旧倉庫群の一画、《STUDIO NEST》だった。

 

天井まで7メートルある無柱空間は、冷たく乾いた空気に満ちている。

一面真っ白に塗り込められた壁、その中央に置かれた巨大な鏡──

まるで誰かの“視線”を待っているような、無言の劇場だった。

 

床には古びたモルタルの継ぎ目が残され、天井の鉄骨は剥き出し。

過去の用途を引きずりながらも、どこか“生まれ変わり”を感じさせるその空間が、

今回の撮影テーマ『境界の消失』と、妙に噛み合っているとは思う。

 

あたしの衣装は、背中が大きく開いた艶やかな黒のドレス。

足元は裸足、髪はゆるく崩された。

対する透は、無彩色のコートを羽織ったまま、鏡の縁に立っている。

 

まるで最初からセットされた“静と動”の構図。

あたしが動く側。あたしが暴れる側。いつものあたしの魅せ方ではある。

そして、透は“ただそこにいるだけ”で完成される存在。

 

ただ、何より気に入らないのはその演出が──鈴を思い出させたから。

鈴なら、彼女ならあたしを崩さない。

あたし“が”鈴を引っ張り上げて、鈴“が”明日香の魅力を更に引き出す。

 

かつての撮影。白い背景。沈黙。

鈴が、何も言わずにただ“そこにいた”時の、あの圧倒的な存在感。

 

そして鈴を通して、その存在に“見られる”ことで、物語になった。

 

今回の構図は──あたしが、透に“見られる側”として置かれている。

アンタが、鈴の位置に。

 

冗談じゃない。

 

「ほんとうに……冗談じゃない」

 

「構図入りまーす」

 

雫川の声が、乾いた空間に反響する。

最初のカット、明日香が透に向かって歩く。

 

足元が冷たい。打ちっぱなしコンクリートはあたしの熱をどんどんと奪っていく。

この白い空間が、明日香という感情を吸っていくようだった。

 

透は動かない。ただ見ている。ずっと、あたしを。

その視線が、うざったいほどに真っ直ぐだった。

 

──また、それかよ。

あたしは、燃えてんのよ。剥き出しで、脈打って、

ぶつけようとしてるのに、あんたは、また、

 

まるで“鈴”を演じてるみたいじゃない。 黙って、ただ“そこにいる”だけで、成立するような顔して。

 

思い出すだけで胃がきしむ。

あたしが、どれだけ鈴に焦がれて、憧れて、嫉妬して、

「そこにいるだけの鈴」にすべてを持っていかれたか。

やっと納得して、互いを引き出せるようになったことか。

 

いま、透が同じポジションにいることが、

あたしの中のなにかを決壊させそうだった。

 

「……なによ、その目」

 

小さく吐き捨てた声が、マイクに拾われる。

雫川は何も言わない。

 

透はほんの少しだけ首を傾けた。

 

「見てるだけ、じゃダメなの?」

 

──“見てるだけ”で成立するやつに言われたくないのよ。

 

「見てる“だけ”で成立すんのが、ズルいって言ってんのよ」

 

あたしは、こんなにも動いてるのに。

こんなにも、吠えて、曝け出して、張り詰めて。

なんで、そっちは黙って立ってるだけで正解なのよ。

 

怒りだった。

憎しみだった。

そして、最も認めたくない、

 

──羨望だった。

 

あたしの声は震えていた。

身体より、内側の熱が揺れていた。

体中が煮えたぎって、声にならない叫びをあげたがっている。

 

だが、その瞬間。

シャッターが切られる音が、空気を裂いた。

 

──この“間”を、撮られた。

明日香は気づく。

この瞬間にこそ、呼吸が、交わった。

 

シャッターの音と同時に、どこかでスタッフの息が止まったような気配がした。

カメラを持つ雫川の手が、ほんの一瞬だけ震えたようにも見えた。

 

「……いまの、いい」誰かが呟く。

誰が言ったかなんて、もうどうでもよかった。

この瞬間は確かに、飛鳥 明日香“そのもの”でしか撮れなかったものだった。

 

崩れたのは、あたしだった。

でも──確かに、透も“見ていた”。

それが、たった一瞬でも、救いに近かった。

 

撮影が終わったというのに、心臓の音だけが現場に残されているようだった。

あの瞬間、あたしの叫びと透の静けさが、レンズの中で交わったのだとすれば──

それはきっと、“共鳴”だった。

 

“鈴の音”のように。誰かの胸を打ち、余韻として残る震え。

透が発したわけじゃない。ただ“あたし”が響いてしまったのだ。

まるであの子と初めて出会ったときと、同じように。

 

 

 

──STUDIO NEST(ネスト)、控え室の一室。

 

撮影終了後。メイクを落としたあたしは、控え室の隅で汗を拭いていた。

 

この部屋にはあたしと透以外は誰もいない。

鏡には、乱れた髪と、少し熱を帯びた自分の目。

そして──背後で平然と水を飲んでいる透。

 

「……バカみたい」

 

言葉は口に出さなかったが、心の中で何度も繰り返した。

あの静けさ、あの無垢な表情。透のそれが、どれだけ鈴の幻影を思い起こさせたか。

“あたし”があれほど追いかけて、求めて、ようやく隣に並べるようになったのに。

それなのに、透がその“席”を奪ったような気がして、胸がざわつく。

まるで“鈴の隣に立てる者”が、取替え可能な存在だと見せつけられるみたいで。

 

「……あんたってほんと、面倒な相手ね」

 

ポツリと漏れた声に、透が振り返る。

 

「でも、合わせやすかった。今日の明日香さんは、怖かったけど」

「ふん。怖くてなにが悪いのよ」

「いや、悪くなんてないよ。綺麗だった、すごく」

 

透の声は、ただ真っ直ぐだった。

その真っ直ぐさが、今はやけに耳に障る。

 

明日香は鼻で笑った。

嘲るように、吐き捨てるように。けれど、それは自分自身に向けた笑いでもあった。

 

──なに、透に“見られた”ことで、救われた気になってんの。

──あたし、ほんの一瞬、鈴を重ねてたじゃない。

──バカみたい。

 

情けなさと悔しさと、どうしようもない弱さが、胸の奥で火花を散らす。

あんな中途半端な“鈴の亡霊”みたいな存在に、一瞬でも揺さぶられた自分を、軽蔑したかった。

 

透に気を許したわけじゃない。

認めたわけでも、まして心を開いたわけでもない。

 

だが──次は。

あたしが圧倒的に、支配する。

あんたを見下ろして、動かして、震わせてやる。

 

その時こそ、あたしが“鈴”の隣に立ち続けるんだ。

他の誰でもない、自分の名前で、あんたを沈黙させてみせる。

 

それは、復讐にも似た静かな炎だった。

 

「……ま、次はもっと、荒れるかもね」

 

鏡の中で、明日香は自分に笑っていた。

 

 

 

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