灰の神は、演じきった   作:ククルス

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記録と再生

 

 

──再生ボタンを押す。

無音の映像が立ち上がる。

その場にいたはずの空気が、フィルムのなかで別の命を持ち始めた。

 

小さな試写室。

スクリーンの最前列で腕を組み、椅子にふんぞり返る男──監督・三神浩史(みかみ・こうじ)は、沈黙のまま映像を見続けていた。

その隣でメモを取っているのは脚本家の若林紗綾(わかばやし・さや)、背後には助監督たちが立ったまま控えている。

 

「……ああ、やっぱり変だな。いや、"いい意味で"だが」

 

ぽつりと、三神がつぶやく。

モニターの中の少女。影橋鈴。

彼女のオーディション映像は、どの参加者よりも地味で、台詞もなければ演技らしい演技もない。

ただ、彼女は"立っていた"。まるで演出のすべてを拒絶するかのように、動かず、黙って、目だけで何かを訴えて。

 

「普通、あそこは動くんだよ。演技指導も入れてたろ?"彼女が扉を開ける"って段取りだったのに」

 

若林がメモをめくりながら言う。

 

「はい、台詞もない代わりに"微細な感情の変化を見せてください"と伝えました」

「それだよ。その感情の出し方が……出てないのに、出てるんだ」

 

スクリーンの彼女が、カメラを一度も見なかったことに誰かが気づいた。

 

「ずっと誰かの目を避けてた。でもな、それが演技じゃないって分かるんだ。

"本当に目を合わせたくなかった"んだよ、あの子は」

 

三神は煙草の箱を取り出したが、喫煙不可の赤い表示を見て悪態をついたあと、

ぐしゃりと箱を潰してポケットに押し込んだ。

 

「なあ若林ちゃん。脚本家のお前の目には、あれどう見えた?」

「……脚本家としては、"何もやってない"です。演出を殺してるとも言える」

「だが?」

「だが、"白栞"がそこにいました。演技じゃなくて……そのままで」

 

若林は自分の言葉に驚いたように視線を落とした。

三神は頷いた。

 

「俺が言いたいのは、それなんだよ。あの子は、脚本も演出も無視した。だが──"いた"。」

「……いた、ですか?」

「そうだ。"白栞"として、その場に生きてた。

泣くでも、怒るでも、叫ぶでもない。ただ、そこにいた。あんなの初めて見た」

 

沈黙。

やがて助監督が小さく声を出した。

 

「ですが、他の子の方が"演技"は……」

「それが駄目なんだ。演技として完成してる奴は、こっちが作れる。

でも、あれは……"存在そのもの"だった。もう、変に手を入れたら消える。そんな気がする」

 

全員が再び、映像の中の少女を見つめる。

睨みつけるようにこちらを見るその目は、確かに感情を押し殺していた。

けれどその押し殺し方が、美しくて、痛々しくて、まるで"心音"のようだった。

 

三神は短く告げた。

 

「──主演、影橋鈴に決定だ」

 

空の器。それは、なによりも雄弁だった。

 

 

 

──オーディションが終わった後、ボクは家に帰り日常に戻る。

「今日もまた何も変化はなかった」──そう呟いてベッドに沈み込む。

しかし帰宅するとマネージャーの北里さんが家を訪ねてきていた。

彼女は何故か少し不安げな表情を浮かべながら、一枚のDVDを手渡す。

 

「これ……鈴さんのオーディション映像です。監督が勝手に録画してたみたいで……」

 

ボクは驚きながらもそれを受け取る。自室で再生機に入れると映し出されたのは──

見覚えのあるオーディション会場で、自分の知らない表情で睨む女の子だった。

 

その瞬間、不思議な感覚が湧き上がった。

まるで自分ではない誰かが画面に映っているようだ。"白栞"としてではなく"影橋鈴"として映し出されている気がした。

この感情が何なのかボクにも分からない。

 

あの日からボクは意識的に八代透の出演する番組『勇者ユリピコ』を避けていた。

でもそれは意識的過ぎて、却って視界に入って来る。

CM中にちらっと映るだけでもその姿に目を奪われてしまう自分に気づくくらいには。

彼の存在感は確かにそこにあった。そしてその時々の表情や仕草から、彼が感じている感情が伝わってくる。

まるで演技をしているというよりは自然体で存在しているかのようだった。

それはどこか羨ましさと同時にボク自身への不満を抱かせる。

 

「どうしてこの人のことばかり目で追ってしまうんだろう……」

 

自分でも不可解なその感情を抱えつつも、ボクは日常へと戻っていく。

モデルの撮影仕事だって、別に楽じゃない。

 

撮影となれば、ボクはただ求められるように人形をこなすだけでも、

指名依頼を除けばモデルの仕事一つとってもオーディションは発生する。

指名されたとしても対外上、オーディションを実施することだって業界じゃ珍しくもない。

 

『機会は全ての人間に与える』そのうたい文句掲げなければ容易く炎上する世の中だ。

 

採用されれば企画会議に事務所同士の打ち合わせ。

正確な契約金などは、母と北里さんに任せているのでボクは知らないけれど交渉だってしているのだろう。

撮影所に入れば現場打ち合わせ、イベントやショーのモデルだった場合なんて撮影の比ではないほど多くの人が関わるから、

少しでも満足してもらえるものを魅せようとは思う。

 

でも……本当に心から楽しめたことなんて一度も無かった。

そんな事を考えながら日々は過ぎていく。

 

しかし心の奥底ではいつだって演技への渇望が燻り続けていることを否定できなかった。

でも同時に思う。ボクは演技で何を表現したいのだろう。

モデルとして様々な衣装やメイクを身に纏いカメラの前に立つ。

その瞬間だけは世界が自分中心に回っているかのように錯覚できる。

しかし心の奥底では常に孤独感が付きまとっていた。

他のモデルやスタッフとのやり取りも必要最低限で済ませてしまうボク。

そして気づくと、いつも独りぼっちのような感覚に襲われる。

 

「ボクは一体何をしているんだろう……」

 

本当の自分は一体どこにあるのか。演技の道に進むことで何か変わるのだろうか?

そんな考えが頭をよぎりながらも、日々の仕事は続く。

 

オーディションの結果通知は、まだ来ない。

 

 

 

次の日、朝目覚めるとボクはベッドから起き上がりいつものように支度を始める。

その日はマネージャーの北里さんが事務所から連絡を受けるまで、何も変わらなかった。

──そしてその日の午後、北里さんから連絡が入った。

 

「鈴さん」と淡々とした声で彼女が話し始める。

 

「オーディションの結果が出ました。……主演、決まったわよ」

「え……どうして」

 

ボクは驚きで言葉を失い、ただ茫然と立ち尽くした。

思わず口から漏れた疑問に対する答えは、普段の北里さんらしからぬ冷たい声で返ってきた。

 

「知らない。けど、そう決まったの。──覚悟しなさい」

 

彼女の言葉には明確な期待感とプレッシャーが込められていた。

心臓がドキドキと高鳴り始めた瞬間、同時に事務所のテレビ画面には彼の出演していた映画『似通う刃』最終公演を

報じられるニュースが流れてきた。

画面の向こうで彼はまた別の「誰か」になっていた。

 

その姿にボクは一瞬目を奪われてしまう。

 

──もう後戻りはできない。

 




75話読みました。一期完結、お疲れさまです!!
二期、できれば早く読みたいのでよろしくお願いいたします。
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