息が切れないのは3年間の訓練の成果だ。上空で立体機動の音がする。鷹野は走る。ガスを節約するためだ。
嫌だ。
トロスト区戦では補給班の本部籠城によりガスが届かず、訓練兵達が壁の向こうの安全地帯に戻れなくなる。
怖い。
アルミンの作戦で最終的にはガスを手に入れることができるが、ガス切れで巨人から逃れられず死んだ兵士もいる。
死ぬのか。
少なくとも自分のガスは余裕を持たせておきたい。
鷹野に比べ、他の人は多少楽観的かもしれない。だけどこの状況、死なんていつだって横で気味の悪い笑みを浮かべている。訓練でも大変だったのなら、実戦はそれ以上、果てしない危険がある。どうして動くことができるのか。いや、動けるはずがない。動けるはずがないのだ。
ふと、胃が痛いことに気づいた。つねりあげられ、そのまま揺さぶられ、混ぜられ握られている。腸もうねっている。胸に熱い気体が入ったまま出てこず、ぐるぐるしている。そのムカムカとした気体が胃液と混ざって泡立ちながら喉に競り上がり、食道の肉壁を引き裂きながら昇ってくる。その流れに任せて転ぶように地面に突っ伏し口を開ける。と、胃液と、朝食のパン、唾液が少し粘性の高い水の塊となって地面に広がる。同時に体力も引きずり出されたようで荒い呼吸をする。もう一波やってきたが、今度は酸っぱい唾液だけしか出なかった。
もうそのまま座り込んでしまいたい、絶望的な気分だ。しかし、一度座ったらもう起き上がれないだろう。
上着の袖で口元を拭き、大きく息を吐いて体内のむかついた空気を出してしまう。また体内が波打つが、これ以上立ち止まってはいられない。血が全て内臓側に流れた体は寒気がするが、脚だけは不調の上半身とは関係なしに動かせられる。
苦しさで出てくる涙を流したままに考えた。
死なないためにはどうするかと。
鷹野は最悪、自分だけでも生き残ればいいと思っていた。班の人が死んだとしても、それは多分元々死ぬはずだったから。
しかしきっと、班の人が死ぬ時、自分も無事では済まないだろう。班の危険が自分の危険に直結する。それに班が分解するのは死者を報告するために絶対にだめだと叩き込まれた。自分だけ逃げるのも、敵前逃亡で死刑。馬鹿らしい決まりだが、つまり、班の皆に危険な行動を避けてもらわなければならない。
守備よく運ぶとは思っていないが、原作ではこの戦いで104期は全滅しなかった。だから奮闘する意味は十分にある。
鷹野の属する15班のメンバーは、鷹野と、ダズ、フロック、テオ、ミカサ、エラの計6人。3年目の後半に組まれた仲間たちだ。鷹野が屋根の上に立った時、ミカサを除く全員が屋根の上に集まっていた。
「あ、タカノ来たよー!」
「ミカサ知らないか?まだ来てないんだが」
フロックが遠くから声をかける。ミカサはきっと、原作通り後衛にいるだろうと思う。
「ごめんね遅れて。あ、ミカサは命令で後衛に行った」
「えーあの子強いのにー」
「まあ立体機動上手かったよな、総合順位も一位」
エラは明らかに落胆している。しかし他の人も納得のようだ。
「ほら、作戦の話をしてる途中だろ」
テオが口を挟む。
「さっきも話したけど、訓練通り自分が班長として指揮を取る。で、巨人なぎ倒しながら前衛に行って活躍する」
そう、自信たっぷりに断言した。彼もまた成績上位組で、先日の襲撃想定訓練でもこの15班の班長として指揮をとっていた。異質な者の揃う南方訓練所の104期でなければ上位10名に入っていただろう。大した努力もしていなかったのに対人格闘含め、身体系の成績が抜群に良かった。クリスタのいた10位には自分が入るハズだったのにズルをされたと言っていたのを、解散式の日に聞いた。
「運がよければ憲兵昇格だってあり得るぞ」
その言葉に、鷹野は反論せずにはいられなかった。
「浮かれない方がいいと思う。これは訓練じゃない。迂闊に前に進むと巨人がいることに気付けない。見逃して民間人が襲われるかもしれないし。それに憲兵は繰り上がり合格なんてできないよ」
「うるさいな。そんな規則はない」
「落ち着いてよ!2人とも」
「みんなだって死にたくないだろ?」
鷹野は周りに問いかける。
「そりゃあね」
「好きで死にたがるのはエレンくらいだろ」
「じゃあ」
鷹野は一呼吸おいて、口を開こうとして、やめた。こんなところで話し合っている時間もない。会話中は敵が現れないお話みたいに巨人は待ってくれない。今にもこちらに向かって来ているだろう。
「いや、わかった。指揮は訓練通りテオに任せる。ごめん。でも巨人との戦闘はしないで欲しい」
「はぁ?敵前逃亡は死刑ってついさっきにも言われたばかりだろ」
「俺たちの役割は、民間人が避難するまで巨人を食い止めることだ。殲滅しろなんて言われていない」
「いや」
「それに話している時間もない。変なこと言ってごめんね。ほら、行こう」
「……ああ、そうだな…」
誰かが呟いた後、一瞬気味の悪い時間が流れたが、それを感じるか感じないかの間の後に駐屯兵の声が響いた。
「15班前進!」
その声が聞こえた瞬間テオが飛び出した。芋の茹で汁で固めようとした髪が少し乱れている。変な奴だ。
「よし…」
「行くぞ!」
「ゴーゴー!」
皆意気揚々と駆け出して行く。しかしその背中はどこか頼りにならなかった。鷹野はその一番後ろを、見通しが良いところを通るようにしてついていく。
周りを警戒しながらも考えずにはいられない。
いつ前から巨人がやってくるかと。
いつ後ろから巨人に襲われるかと。
いつ下から巨人の手が伸びてくるかと。
いつ横から奇行種が飛び出してくるかと。
そして、いつ班員が死ぬかと。
それさえも考えていると集中力が削がれる。集中力を削ぐと立体機動装置の操作をしくじり、建物に激突して巨人に喰われる。何も考えていないと立体機動装置の操作をしくじり、建物に激突して巨人に喰われる。
「ねえ、こんなすぐ巨人が入ってくる想定だったっけ?」
エラが器用に操作装置を動かしながら前方に話しかけた。気づいたらはるか先、一本道の奥に、怒り顔の面長巨人と、口を肉が引きちぎれそうなほど横に広げて、その中に大量の歯が並んだ胴長の巨人がのそのそと歩いていた。
「だよな…、俺も思ってた」
テオに引かれるように速度を出していたフロックが減速してエラに並ぶ。班の中で視線が交わされたが、そのことにテオは気づかない。
「おい!テオ、聞いてるか?」
「聞こえてるよ!でも最悪の想定よりはマシだろ!?落ち着けよ、まだあんなに遠いじゃないか」
鷹野が呼びかけても彼はスピードを緩めようとしない。
「あ、おう、だよな。…大丈夫だよな!」
「大丈夫…なのか…うん。問題ない、はず」
「訓練通りだよね、」
鷹野はわかった。そうか、皆怖いのだ。怖いから逆に恐怖をなくすために自信満々に奮い立とうとしている。正常性バイアスに近いもなのか。
ヒュッと近くを掠めたものを感じた。手に変な力が入りレバーを強く握ってしまい、急加速した。すぐに持ち直したが、鷹野は混乱した。もう巨人が来ていたのか、どこにも見当たらなかったのに。
「あんなに訓練した私たちなら大丈夫だよ!そんな怖い顔、しないでよ!」
自分の前にいたのは、巨人ではなく、エラだった。彼女は赤い髪をひるがえして宙で回転し、後ろを向いて鷹野に自慢げな笑顔で笑いかけた。とても美しい笑顔だった。クリスタのただ全てを受け入れるのみという無償の笑顔とは違う、心から明るく輝く意気軒昂な笑顔だった。
その笑顔はオレンジ色の闇に落ちた。
切りのいいところまでまとめて投稿したかったけれど、時間がかかるのでちまちまいくことにします。