2025年5月16日 13:12
これが掲載されて、あなたがみた時には、僕は死んでいます。
失敗した可能性もあるにはあるけれど低いし、今から探して引き止めることもできない。投稿を確認した直後に決行するから。これはただ、僕の終活について意味もなく記録した物だ。
死のう、そう決めたのはいつだっただろうか。確か、高校一年生の暑くなってきた時期。
動機は、ただめんどくさくなっただけだ。毎日のつまらない授業と勉強の積み重ねが。
でも死ぬ前に身辺整理をしなければならないと思う。周りは就活の話をする時もある中、僕の終活が始まった。これダジャレだ、面白い!終活に何をするかは一般的なものと同じ、身の回りの整理が主だった。
まずは物。ただ十五年と少ししか生きていなくても気の遠くなる数だ。
まずは服。そして本、小物達。それぞれ分けてスーパーでもらってきた段ボールに詰める。母は驚いて、一部の思い出深い小物を持っていった。
母に頼んでフリーマーケットの大きな区画を借りて出店した。服は一枚五円。全てだ。本は一冊十円。小物は並べて一つ五円。人気ゲームのキャラクターで状態の良い物も。すごい量の人だかりができた。無料コーナーも作ったのだが、なぜかそれよりも値段付きのほうが売れたのは驚いた。人は価値あるものが欲しいものらしい。大盛況だったが出店料を引くとお菓子代くらい。その代わり安く売ったことで品物をほとんど処分することができた。
大切にしていたもの、それなりに高価な貴金属などはメルカリで一つ一つ売った。それなりに大変な作業だったが、これは死ぬため心の整理でもあると思う。
それでも売れ残ったものと売りづらいものはまとめてリサイクルショップへ。最初から全てこの手段で捨てなかったのは、できれば自分の手で大事にしてくれる方に譲るほうが気持ちもいいし物にとってもいいと思ったからだ。段ボール二箱が百円玉一個に化けた。
それだけでかなり物が減った。それでも残っている物がある。古く汚れていてリサイクルショップでも引き取ってもらえないが、とても思い出のある物で捨てるだなんてそんな仕打ちはできない。ぬいぐるみ達だ。幼い時母と、時には父と、ゲームセンターで見かけるたびに馬鹿みたいにお金を使ってとった球体のいろんな種類の鳥達の。最初はボタンインコ、二つ目はオカメインコ。そこからの順番は覚えていない。この二羽は、あの年齢にして百均で自分のお金で買った紙製の宝箱に入れて公園に持って行っていた。その後増えていっても、母がパジャマにつけれくれた大きな蓋付きのポケットに毎晩詰め込んで寝ていた。
その子たちは数年間同じ場所に飾れていた場所から外し、一つ一つ眺めた。そして枕元に置いて寝た。幸運な数羽は家のあちこちに置いて残すことにした。そして残りは人形供養に。と、思って調べたら一体あたり数千円かかるところもあるとか。NPO法人のぬいぐるみ寄付というものも見つけた。しかしこれらもまた、ひどく汚れていては行けないなど条件が厳しい。それでも送れそうな子たちは送った。送れない子達はやはり人形供養に。通帳にそれなりのお金があったのでそれを使って。
どこでも売れない、人形供養でもない、普通のゴミでは捨てられない物達もある。
家に帰ると、残っていたのは数枚の普段着など生活に必要なもの、学校に行くのに必要な教科書類、そしてスマホだけだった。いや、そうじゃない。もう一つある。インコのぬいぐるみだ。供養に出した子とは違う。この子は特別だ。十年近く前のこどもの日、祖母が今はないショッピングモールで買ってもらったもの。その時は毛がサラサラのフワフワで目が毛に埋もれていたその子は、今や頭はハゲかけている。長い間一緒にいろんなところに行った。もうこの子が僕の一部で、親友でも家族でもない繋がりがある。この子なしでは僕は僕じゃない。不完全で不安定な。精神安定剤のような存在というべきか。とにかくこの子は最期まで手放さない。
そういえば、学校には今まで通り通っている。母に余計な心配をかけたくないからだ。どうせ死ぬのだから心配もクソもなかろうが、無理はさせたくない。だから物も片付けている。もちろん授業はまともに受けていない。どうせ死ぬのだから。そう思うと心が楽だった。将来を見据えて行動する必要がないからだ。
次に整理したのは自分のインターネット上のもの達だ。リーディングリストの削除、写真の整理。それを「最近削除した項目」からも消した。誰にだってやましいものはあるだろう、残念ながらまだ親の管理下にあるスマホでは履歴を消すことはできなかった。それでも死んだ後警察あたりが復元して調べるのだろう。
あとはSNSのアカウント。これは残しておく。この小説投稿サイトのアカウント、これは最後に投稿するためにも残した。
スマホのロックも無くした。死んだ後に親がめんどくさい手続きを減らせるように。
死に場所はどうしたものか。電車にはねられるのは皆に迷惑をかけるし、死体がぐちゃぐちゃになってしまう。飛び降りも同様だ。でも、家で首を吊ったりするのは親に衝撃を与えてしまう。めんどくさい。
だからとりあえず夏休みの内一週間、友達と旅行に行くと母に言って出かけることにした。
その前に最後に残っていた数枚の服も旅行用としてのバッグに入れてリサイクルショップに。通帳とカードも持っていき、全財産十八万円の内五万円をおろした。旅をしながら死に場所を探そうと思ったのだ。飛行機に乗ろうとすると親の許可が要ったりするのでバスと電車だ。
それにしても、なぜ世間は死ぬのをあんなに神経質に嫌うのだろう。生きたくないのなら迷惑をかけないよう死んでもいいと思うのだが。難しい事情はあるのだろうけど。
今までの文章はその都度コツコツと、この文章は駅で一時間後の電車を待つ時、待合室の中で書いている。
一応最後に親、友人、その他にメッセージ。別に僕はこの世界に絶望したわけでも、何かしんどいことがあったわけでも、いじめられたわけでもない。ただふと死のうと思いついてそこに向けて行動しただけなのだから。自分は全く苦しくない。だから自分を責める必要はない。それに僕が死んでも世界には何の影響も損害もないから問題ない。
でもどうせ死ぬなら言っておきたいことが。山朽と川山、お前らを許さない。お前らのせいで僕は死ぬんだぞー。一生背負って生きろ。ばーか。
と言うことで僕は死にます。場所と死因を書くと特定されるかもだからやらないよ。あの子だけが心残りだけれど。あの子ならきっと僕のことを理解してくれているはず。
追記 息子は死にました。自殺ではなく事故です。ニュースで見た方もいらっしゃるでしょうが、バスに乗っている時に横からトラックにぶつかられました。ここにも書かれている通りスマートフォンにロックがかかっていなかったのでこのサイトの、この下書きを見つけることができました。この文章を投稿するか否か迷いましたが、息子の意思を尊重することにします。