2025年6月12日 14:14
暖かい朝だ。昨日の間ずっと雨を落とし続けた空は雲ひとつなく晴れ、地面に残る水をきらめかせている。陽光が暖めた廊下を通り、高奈はまだ細い足でリビングに走り込む。
「おとうさんおはよう!」
「おう、おはよう」
いつものようにコーヒーを片手に新聞を読む父が優しく応じる。
シーン、
と言う音が聞こえた気がしたのはその時だ。見ると、父親の足元に一円玉が落ちていた。傷ひとつない、ピカピカの一円玉。
高菜は父のものだと思った。
「これ、落ちてたよ」
一円とはいえ勝手に持ち去っては泥棒になってしまう、いけないことだ。
「あー、それはやるよ」
父はこちらを向かずに答えた。
高菜は朝食に食べたパンの香ばしい匂いをまとって家を出る。握りこぶしの中にはピカピカの一円玉。いい天気で、快い気温で、美味しい朝食をとって、きれいな宝物を手に入れた朝は心が踊る。しかしそんな高菜の気分も前方を歩く人に気づくと落ち込んでしまった。彼はいつも高菜にいじわるをする。そのくせあまり喋らないものだから高菜は彼を嫌っているのだ。それでもあいさつをしなくてはならない。先生がそう言ったから。
「おはよう」
彼は答えない。その代わりにまた鋭い金属音が響いた。彼の足元にはまた硬貨が落ちていた。五百円玉だ。何本かの深い傷がついている。拾い上げ、落とし物を彼に渡そうとする。しかし顔を上げると彼は既に走り去っていた。手には高菜お気に入りのキラキラのインクが出るペン。胸ポケットに刺してあったのが落ちたのだろう。
高菜はランドセルに中の教科書が跳ねる音をたてながら彼を追いかけて校門に走り込む。
「おはようございます!」
息を切らせながら先生にもあいさつをする。また金属音。表面がくすんだ五十円玉。
気づいたらペン泥棒はもう校舎内に入っていくところだった。
硬貨と紙幣は高菜が話しかける度に落ちる。
高菜が嫌う怖い先生からは千円札。そいつは何につけても高菜含め生徒たちを叱るのだ。おかげでその意地の悪い髪型と顔含め、生徒全員から嫌われている存在だった。その日だってペン泥棒を追って廊下を走る高菜を「廊下は走るな!危ないだろ」とわざわざ手で強引に止めてまで怒ったのだ。
教室に入った頃には高菜の手はお金で溢れていた。しかし高菜の気分は晴れなかった。最も彼女はお金に執着するタイプではなかったし、脳内にはある仮説が浮かんでいたからだ。
このお金は、嫌いな人ほど高額になるのではないだろうか。
お父さんは大好きだし、ペン泥棒と頭の固い先生は大嫌いだ。仲良しのクラスメイトたちは大抵百円だった。
それならと高菜は親友の元へ向かう。幼稚園の頃からの付き合いで、人に触れられるのが嫌いな高菜でも彼女にだけは気を許せた。
「おはようみーちゃん!」
「たっちゃんおはよ!」
高菜は父親のと同じくらい美しい音がするものだと思っていた。
「たっちゃん、またアイツにペン取られたの?」
親友は話し続ける。しかしその声は高菜には届いていなかった。
親友の後ろにはらりと落ちたのは二千円札。高菜は混乱した。私はみーちゃんを嫌っている?心のどこかで?
「…絶対、アイツたっちゃんのこと好きだよ」
好き、という言葉で高菜は我にかえった。
「好き?」
「うん!だから気を引こうとしてちょっかいかけてるんだよ。前だってたっちゃんの名前を自由帳にいっぱい書いてた!ヤバない?キモいよねー」
高菜の頭の中にはもうペン泥棒のことはなかった。代わりに新しい仮説が脳を揺さぶっていた。
このお金は、自分を好いている人ほど高額になるのではないだろうか。
高菜自身は無自覚だったが、彼女は裏表のない素直な性格で年齢問わず好かれていたのだ。
放課後、高菜は一人しゃがんでいた。胸ポケットにはいつのまにか机に戻っていたキラキラインクペン。手にはお金の山。友達にも先生にも何も言われないのを見ると、このお金は自分にしか認識できないのだろう。高菜はそう思っていた。
少し残念にも思いながら床にお金を並べていく。まずは大量の百円玉。これは主にクラスメイトから落ちたものだ。新しいものも、傷がついているものもある。五百円玉は自分に片思いをしているらしい、しているであろうペン泥棒の彼のもの。千円札はおかしなことにあの忌まわしき先生から。そして三枚ずつある十円玉と五十円玉は他の先生から。
たくさん並んだ不思議な宝物たちを高菜は満足気に眺める。風が吹いても飛んでいかない不思議な宝物。それにこの不思議な力、自分しか持っていない力。高菜は鼻歌を歌いながらお金を集める。
その時、親友から落ちた二千円札の下に硬貨を見つけた。夕日を受けて灯明の端のような色を放っている。この美しい一円玉は
「お父さん?」