人修羅は、何気なく立ち寄った団子屋、『清蘭屋』で、月の世界に関する思わぬ収穫を得ていた。自分の存在を紫にリークしたのは、どうも月世界に身を置く何者からしく、その手掛かりを求めていたからだ。
そのため、慧音から伝えられた、かつて月世界の住人だったという医師、八意永琳が身を置いている『永遠亭』に向かうつもりだったのだが、里の団子屋などで、月世界に関する情報が得られると思っていなかった。
「そこはどんな世界なんだ?」
これは願ってもいないチャンスだ。少し罪悪感はあるが、彼女からより情報を引き出すため、話を合わせて、何かをポロっと喋ってくれるのを待った。
「月はねぇ......あの『天津神』の、ツクヨミ様が治める、穢れなき理想の世界なんだよ!」
「天津神...?」
ツクヨミという名前は、現代人の人修羅でも耳にしたことはあった。確か月の神様だかなんだかだった気がするが...。古今東西の伝承の存在、『悪魔』が集うボルテクス界には、ツクヨミの姿はなかったので、想像がつかない。
それよりもさらに気になるのが、『天津神』という存在である。『魔神』や『邪神』のような神の種族の1つだろうか?人修羅は聞き返して、彼女の反応を待つ。
「ツクヨミ様のことを知らないの?まぁ...私も下っ端の玉兎だから、お目にかかれることなんて全くないし、滅多に姿を見せないらしいから、とにかく凄い方だ...ってことぐらいしか知らないんだけど...。」
清蘭は自嘲するように苦笑いを浮かべながら言った。しかし、月世界の統治者という言葉が本物だとするならば、その存在力は計り知れないだろう。月を丸々支配してしまうような存在なら、確かに自分の存在を知覚できても何らおかしくはない。
「お兄さん大丈夫?ほんとに何も知らないんだねぇ〜。天津神っていうのは、簡単に言うと、大昔の外の世界に、天から来た神様のことだよ。そして、国津神ってのが、その時外の世界の大地に元々居た神様。でも、天と地なら、どっちが凄いかって分かるよね?」
清蘭から得た情報を整理して、考え込んでいると、彼女はまだピンと来ていないのかと勘違いをして、更に情報を与えてくれた。そういえば、かつて仲魔の一人だった、鬼神タケミナカタが、アマツの奴らがどうこうと話していた記憶がある。
「守矢神社で祀られてるのが、国津神の一柱だね。あ、守矢神社も知らない?妖怪の山にある、新しめの神社だよ。なんでも、カワイイ巫女さんがいるって、里の人たちに人気らしいよ~。」
また知らない情報を与えてくれた。彼女曰く、数年前までは月の都に兵士として配属されていたらしいが、潜入捜査員として地上≒幻想郷に送り込まれて、任務に失敗して以来、こうして団子屋を営みつつ住み着いている。
と、かつての扱いに不満があったのか、色々とぶっちゃけてくれた。
色々な事情にやたら詳しいのは、そういった背景によるものだと人修羅は納得した。しかし、同時に、一瞬ではあるが、彼女に危機感を抱いた。
潜入捜査員だったということは、もしかしたら自分に対しても何かがあるのかもしれないと感じたからだ。
しかし、もう何年も月の都に帰っていないらしいため、その心配はなさそうだった。そもそも、本当に狙われているなら、こんな情報が漏えいしまくっている話はしてくれないだろう。
「色々とためになった。また来る...」
「どういたしまして~!今後ともヨロシク!」
なんとなく立ち寄った団子屋で、かなりの手がかりを集めることができた。清蘭との出会いに感謝しながら、礼を述べて清蘭屋を後にする。団子を食べ終えてからかなり長々と話こんでしまっていた。
里はもう、通りに置かれた灯籠の側以外、すっかり暗闇に飲まれてしまっていた。しかし、暗くても問題はない。
人修羅は、道具の収納空間のような、悪魔としての能力の一つに、歩き回った箇所を脳内の地図に記憶することができるものがある。里の全てを回ったわけではないが、自宅までの最低限の道のりは記録してある。
まだ歩き慣れない未知であろうと、周りが暗かろうと、1度通ってしまえば、脳内の地図に従って歩けばいいだけである。人修羅は、乱れの無い一定の歩幅で黙々と自宅に向かっていたが...
「!......?」
「あら、ごめんなさい...」
ルートに従って歩くことを意識しすぎたのか、何かにぶつかる感覚がするまで、目の前の光景を意識していなかった。感覚が地図から現実に引き戻されてすぐに、こちらに謝罪する女性の声が響いた。
「こちらこそ、すみません」
反射的に返答して、改めて視界を意識する。そこには、赤い前垂れが掛かった黒い着物姿の、狐色の髪を持つ美しい女性の姿があった。
一般の里の人々とは違う豪奢な服装、そして身に纏う気品から、彼女もまた何らかの妖怪なのだろうかと感じた人修羅は、これまでの経験もあって、技(スキル)の一つである、
「......どうかしましたか?もしやどこかお怪我でも...?」
「いや...」
人修羅が
「...?」
「...............ふふっ」
人修羅の手を握った瞬間、彼女は先程までの慌てた様子が嘘のように静かになり、何かを確かめるように握った手に力を入れた。人修羅はその行動の意味を理解できずにいると、彼女は妖しい笑みを浮かべ、ゆっくりと手を離した。
「......!」
人修羅は背筋に何か冷たいものを感じ、瞬発的に身を後ろに引いて、思わず構えを取った。その行動は、彼女は後者の存在であると証明していた。
「そんなに怖がらないで、人修羅。また近いうちに逢いましょう...」
「お前は......?」
彼女は人修羅の名を呟くと、一気に距離を詰め、構える人修羅の脇を通り抜けて、通りへ消えていった。素性が割れていた事を知った人修羅は、彼女を追いかけようと構えを解き、通りへ走るが、そこにはもう、誰もいなかった。
──なんだったんだ...彼女は
人修羅は、薄暗く誰もいない静かな路地で、立ち止まって、幻想郷では異物である自分の存在を把握しており、力を巧妙に隠すなど、紫を除くと、これまでにない存在だった女性のことを回想していた。
考えていても仕方がないか...
しかし、人修羅は彼女について考えるのを諦め、帰路へと歩き出した。自分には考えつかない出来事というのは、いつものこと。危害を加えるようなら抗い、得られるものがあるなら享受する。
一般人とは言い難い割り切りの良さで、不穏な空気を断ち切り、薄暗い路地を歩いていく。都心の街灯で照らされた路地よりは断然暗いこの景色は、文明が数世紀前をベースにしている幻想郷特有のものだった。
様々な事が起きた1日だったが、流石にこれ以上はなにも起きないようで、人修羅はあっさりと幻想郷での一応の自宅に到達した。まだまだ見慣れない家の姿を一瞥すると、古臭い造りの出入り口に向かい、取り出した鍵を差し込んで扉を開く。
玄関に上がると、まずは淡々と靴を、備え付けた布巾で拭いていく。これは、人修羅となった際に、それまで履いていたスニーカーが人体と一体化し、外すことができなくなってしまったためだ。
悪魔としてはこの程度、どうでもいいことだが、人間としては必要なことだ。清潔になった靴で居間へと上がると、そこには先客の姿があった。
「おや、帰ってきましたか」
居間の座布団に座っていた人間姿のアークエンジェルが、人修羅に気が付き声をかけた。どうやら、思ったよりも早く、紫のもとから解放されていたようだ。
「ただいま?」
誰かが待っている所に帰るという、人としては特に意識もするようなことがない行動を、長い間とっていなかった人修羅は、かなりぎこちない様子でアークエンジェルに返すと、フッ...と笑われた気がした。
「これを私に?貢物であればもっと風格のあるものが良いのですが...まぁ、頂けるものは頂いていきましょうか。」
『しまって』おいた団子の袋を取り出し、アークエンジェルに手渡すと、彼はしぶしぶ受け取った。どうやら、この贈り物にはあまり良い効果はなかったようだ。まぁ、最初から何かに期待していたわけではないが...。
「そういえば...」
「どうした?」
お互いに黙々と団子を頬張りながら団らん?していると、おもむろにアークエンジェルが話しかけてきた。
「貴方の役に立ちそうなウワサを耳に挟みましたよ」
「なんだ?」
彼と出会ってから持ちつ持たれつで行動してきたが、今は純粋な好意で何かを伝えようとしてくれているようで、人修羅は鈴奈庵の件を通しての信頼関係の深まりを感じていた。
「『紅魔館』という場所の住人が、定期的に悪魔を呼び出す邪悪な儀式を行っているそうですよ。もしかしたら、仲魔...というのを増やせるかもしれませんよ?」
「なるほど...」
─永遠亭の次は、そこを調べてみるか...
密かに次の行動を決めると、人修羅はまたアークエンジェルに問いかけた。何ともない様子で戻ってきているが、連行される際は、かなり大事であるかもしれないと考えていた。結局なんだったのか、仲魔として聞いておいた方が良いだろうという考えだ。
「その件ですか。まぁ、いろいろありましたよ......」
アークエンジェルは、心底うんざりした様子で語り始めた。今のところは無事らしいが、やはり何かあったようだ。
「妖しい女のところに連れて行かれましてね。この世界に来た経緯やら、貴方に契約を結ばされるまで何をしていたか...とか、根掘り葉掘り聞かれましてね。」
いつものような、もはやナルシストに片足を突っ込んでいるような自信満々さはなく、沈んだ様子で淡々と話すその姿からは、疲労が見て取れた。
「まるで私が『悪』のような対応を取られましてね。全く心外ですよ。」
人修羅も、向こうでは天使と色々あり、警戒していたので、紫たちの気持ちも分かる。しかし、このアークエンジェルは、今のところは『善い』行いしかしていないので、確かに少し可哀想だ。
「結局、元の世界に返すことも出来ないし、大人しくしていろと言われましたよ。人間のフリをして生きるしかないようです。どういう訳か、貴方の仲魔としてなら力を使っても良いと言われましたよ。人目の付く場所では禁止らしいですが。」
鈴奈庵の事件での功績は一応認められているのか、一度霊夢に叩きのめされた人修羅とは違って、穏便に済まされたようだ。アークエンジェルは結局帰れないらしい。ということは...
「そういうわけで、今日からここでお世話になりますよ。今後ともよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ...」
幻想郷へ流されて数日、人修羅は天使とひとつ屋根の下で暮らす事になってしまった。この部分だけ切り取ると、まるで小説のような話だが、実際はさほど華やかなものではない。
人修羅は人間だったころから、基本的に口数が少なく、「何を考えてるのか分からない」と、評判だった。最近は非常事態が多く、自発的に発言する機会が多かったが、普段はほとんどしゃべらない。
そのため、一件落着した今は、無言フェーズに入っていた。自信満々で口数の多かったアークエンジェルも、基本は天使の姿でいることを禁じられ、布教なども禁止されたためアイデンティティーを喪失し、すっかり落ち込んでいた。
ゆえに、長かったこの一日は、特に会話もないまま二人が休眠に入る事によって、あっさりと終わりを迎えた。
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翌日、疲労が蓄積していた人修羅は、また昼間まで眠っていた。それを予見して訪れた慧音に、地獄のように強烈な頭突きをお見舞いされ、それでようやく目が覚めた。ちなみに、里の代表のような立場であるため、鍵は持っているスペアで開けたらしい。
「まったく...昨日は色々あったかもしれないが、それとこれとは別だぞ!」
寺子屋の教師...つまり学校の先生をやっている慧音は、なかなか世話焼きで、改めて先日の件の感謝を述べられたあと、早寝早起きや、日常の過ごし方など、人修羅は色々とお説教された。その途中、アークエンジェルの姿が見えないことに気が付いた。
「同居人...?あぁ、あの天...西洋人風の男性のことか。」
アークエンジェルの姿を見てしまっていた慧音だったが、気を使って、違う表現をしてくれた。
「彼は...朝っぱらから通りで見かけたよ。どうやら困っている人の声を聞き分けて、片っ端から人助けをしているようだ...。それ自体はいいことだと思うんだが...」
霊夢に連行されてからすっかり自信を喪失していたが、どうやら吹っ切れたらしい。天使の事だろうし、善行を積めば報われると思って行動しているのだろう。確かに悪いことではないが...。
「なかなかいい体つきの男が、何かあるや否やすぐに飛び込んで来るからな。みんな驚いているよ。もう少し落ち着くように言ってくれないか?」
「分かった」
アークエンジェルがあれこれしている姿は容易に想像でき、多分明日中にでもその名声は、(悪い意味で)里中に轟いているだろうなと考えつつ、生返事をした。まぁ、ボルテクス界の傲慢な天使たちに比べれば、まだまだ善良と言えるが...。
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「お兄さん毎度あり~!」
清蘭の明るい声が響く。クダンの予言に出た悪魔の舘の事も気がかりだったが、ひとまず永遠亭へ向かう事を決めた人修羅は、アークエンジェル用に書き置きを残し家を出る。
竹林までの道中の暇つぶしとして、清蘭屋で団子をいくつか購入していた。その後、通りを抜けて一般人にとっては危険な世界へ繋がる門をくぐり、里から抜けた人修羅は、途中までは
しかし、幻想郷に来てまだ数日。そして、ロクに外出もしていないので、地図はほとんど記録されていない。数分歩いただけで、見たこともない未知のエリアに到達した。
ここからが本番で、人修羅は団子を頬張りながら、慧音に教えてもらった迷いの竹林までのざっくりとした通り道を、ゆっくり辿っていく。
幻想郷に関する知識はほとんどないので、下手に動けば、竹林に進んでいると思っていても、違った場所に向かっているかもしれないからだ。
幻想郷で生き抜く事が出来る者たちは皆、基本的に空を飛んで行ってしまう。しかし、人修羅は踏み固められた道を辿っている。
ということはつまり、この道は、空を飛ぶことができないような人々...力のない者たちが、何らかの理由で里の外にある場所へ向かうための道である。
そのため、この道は、人里で騒ぎを起こせない妖怪達にとっての格好の餌場である。人修羅も、得物を待ち焦がれる妖怪たちの視線に晒されていた。
だが、そのたびに体内を巡回するマガツヒを一部放出することによって、人外であることをアピールし、妖怪達を追い払っていた。
これは、幻想郷で生き抜くために人修羅が編み出した戦法である。ボルテクス界の悪魔は、相手が誰だろうと、たとえ格上の存在であろうと、無謀にも戦いを挑んでくるのでこの戦法は通用しなかったが、幻想郷の存在は、基本的に、人外同士で争うのを嫌う傾向にあるらしい。基本的には...。
妖怪を追い払うために行ったこの行動が、よりにもよって竹林の案内人である少女を触発してしまうことを、人修羅はまだ知る由もなかった...。