こんばんは、タピタピです。
大変お待たせしました。終わりも近づき、今回は菊花賞となります。
あと走るレースは菊花賞と有馬記念のみとなりました。できれば最後まで読んでいただけると嬉しいです。
それでは本編はどうぞ。
「というわけで復帰してもらう」
「Yes boss」
ダービーを終えて翌日、俺は学園の食堂で料理長と相対していた。
その料理長の顔はひどく厳しいものになっており、それだけで俺の抜けた穴が容易に想像できる。本当に仲間には感謝しかないものだ。
「流石に皐月賞、ダービー前にこちらの仕事をさせるわけにもいかなかったが我々の力不足により、お前を召集せざるを得なくなってしまった」
「いや、一応ここの職員なんだから別にまずいことではないんだけどな」
皐月賞から色々と立て込んでしまったこともあり、こちらの仕事は料理長の好意に甘える形で休ませてもらっていた。
そのことを頼んだ際に何も言わずに背中を押してくれたことに少し目元がうるっときたが、代わりにちゃっかりいい酒を買わされたのでイーブンである。
「だがそれでも記憶が戻り、トレーナーに専念したいであろうお前にこちらの仕事を手伝わせるのは少し思うところがあるのだ。……それに奴を相手にしなくてはいけないしな」
「……例の奴ですか」
「まさしく怪物。我々で何とか4、5ヶ月耐えてきたがついに戦線が崩壊した」
そういって机の上に置かれた封筒を寂しげに見る料理長。
そう、耐えきれなくなった戦士が1人ここを旅立ったのだ。
「だがそれでいて奴に量を減らしてもらうなんてことはもってのほか。我々はウマ娘のために命を捧げてご飯を作らねばなるまい。それが中央の意地である」
「おおっ!!!」
その宣誓に俺も熱が高まる。それでこそ我らがトップ、一生ついていきます!
「でも、ごめんきついから力貸して」
「おぉ……」
そして昼休みが始まって、奴がここに現れた。
「!料理長!来ました!奴です!」
「来たな!怪物、オグリキャップ……!」
その芦毛のウマ娘はゆっくりこちらに向かってくる。その背に鬼が見えるのは俺の幻覚かと周りの同僚に目で訴えるが残念なことに彼らは首を横に張った。
後で聞いた話だが、曰く腹が減るとあぁなるらしい。
「唐揚げ定食、ラーメン、にんじんハンバーグ、ハンバーガー、餃子、カツ丼を
「———任せな」
「おおっ!流石料理長だ!」
その言葉に本当に感激したのだろう。涙が溢れ続けながらもその目はとても美味しそうな香りで満ちている厨房に向けられていた。
そんな視線を受けながら俺は料理長にこそっと声をかける。
「……料理長、マジですか?」
「マジだ。しかもまだ始まりにすらすぎない」
「……」
「逝くぞ!蓮!」
「……やったらぁぁぁ!!!」
「「「おぉぉぉぉ!!!!」」」
そして俺たちの日本ダービーが始まった。
***
「でへへ〜〜」
「溶けすぎでは?」
「どうやらトレーナーさんとの長年の問題とやらが解けたらしく、ずっとこんな調子なのです……」
「そろそろ夏合宿も始まるというのに大丈夫なのでしょうか」
同じ席に座るヤエノさんとそして現在溶けまくっているチヨちゃんを見て心配をするが、恐らくは不要なのでしょう。なにせあのチヨちゃん大好きな優秀トレーナーさんがいるのですから、余計な心配は無用というものです。
「……あら?」
そんなことを考えていると先ほどまで騒がしかった厨房の方から白い毛、芦毛のウマ娘がこちらにやってきていました。
「……ここ、良いだろうか。君たちと話をしたいのだが……」
「オグリ、キャップ……」
その姿を視認したヤエノさんが名前をこぼす。
そう、彼女こそ現在のトゥインクルシリーズを騒がせている張本人。地方から出てくると破竹の勢いで現在無敗でここを駆け抜け、今回の日本ダービーでも一悶着あった人物、オグリキャップさんです。
何でも地方からの異動でクラシック登録ができず、クラシックレースには参加できないのだとか。
そんな彼女からの提案、どうするかと迷っているとその回答を出したのは唯一の対戦経験のあるヤエノさんでした。
「はい、こちらにお座りください」
「ありがとう。サクラチヨノオーはなんで溶けているんだ?」
「……色々あったみたいで……」
ヤエノさんのその目には呆れと、そしてどこか優しさが見て取れました。
その反応にオグリキャップさんが少し頬を固くする。
「そうか。彼女とも話したかったのだが……」
「?何かご用ですか?」
「!いつの間に……!」
話しているうちにいつの間にか元のチヨちゃんに戻っていたのを見て、3人して目を見開く。
その様子に少し気まずそうにチヨちゃんが頬をかいた。
「いえ、最初から……」
「溶けていたはずでは?」
「流石にずっと溶けているわけじゃでへへ」
「残ってますよ」
「おっと」
またすぐに溶け始めたチヨちゃんにヤエノさんが指摘するとよだれを拭ってまた少しして頬が溶け始めた。
「そ、それでお話しとは?」
「サクラチヨノオー、わたしは君と戦いたい」
「……はい?」
ある程度復活したチヨちゃんの問いにオグリキャップさんは唐突にそんなことを言いだした。
その目にはまるで冗談などなく、ただ真剣に言葉にしているのだとわかる。
「トレーナーから聞いた。私と同世代で争えるとしたらタマモクロスか君ら3人だと」
「なるほど?」
「だから戦いたい」
「えぇ……」
「あなたは相変わらずというか……」
想像通りというか、相変わらずのマイペースぶりを見せる彼女に流石のチヨちゃんも困惑を隠しきれていない。
その感じにため息をついたのはこの中で唯一対戦経験のあるヤエノさんでした。
「……オグリキャップさんは走るのがお好きなんですか?」
「?好きだぞ」
「そうですか。じゃあ私も一緒に走ってみたいですね」
「チヨちゃん!?」
「チヨノオーさん!?」
その話を聞いたチヨちゃんがいきなり同じようなことを言い出したことが意外で、私たちが一緒に声を上げてしまう。
それに少し驚いたのか、さも当然なように
「え?だって走りたいって言ってくれる子がいるんなら一緒に走りたいと思いませんか?」
と宣っていた。
「……まあ、それはそうなんですが……」
「この2人、どこか似てる気がしますね……」
その言葉を聞いてヤエノさんが少し遠い目をしだした。
そんな私たちを置いといてオグリキャップさんが話を進めようと体を一歩前に出した。
「チヨノオーは菊花賞だろう?その後走るレースは決めているのか?」
「…….多分、菊花賞の後は有馬記念だと思います。ありがたいことに出走権利はもらえると思うので」
年末に行われるG1、有馬記念。人気投票によって走れるかどうかが変わってくるがなにせ話題の彼女、流石に走れないと言うことはないだろう。
「有馬記念か……。うん、トレーナーと相談してくるとしよう」
「オグリキャップさん、オグリさんと呼んでも?」
「ん?構わないが」
「オグリさんはG1レースを走るとしたらまずはどこになるんでしょう?」
「……確か、天皇賞?とかトレーナーが言っていたような———-
それから数十分、オグリさんがご飯をお代わりしにいくまでなんとも言えない空気で会話は続けられていきました。
***
「あ、マルゼンさん!おはようございます!」
久々のグラウンドに少し浮き足立つ足を抑えていると少し離れたところにいたチヨちゃんが元気に駆け寄ってくる。
こう見ると、かわいいワンちゃんにしか見えないのだから可愛くて可愛くて仕方がない。
「おはよ〜チヨちゃん♪今日はいい勝負にしましょうね」
「はい!私が勝ちますっ!」
「……!」
その言葉に少し心がドキッとする。
こんなに直球で勝つと言われたのはいつぶりだっただろう。何度も勝って勝って、そしていつの間にかこんな目で見てくれるかなんていなくなっていた。
だから、少し嬉しくなる一方で、
どうしようもなく怖いのだ。
「マルゼンさん?」
「……ん?」
「少し怖い顔になってましたけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫!大丈夫!もちのロンよ!」
「じゃああっちです!あっちでトレーナーさんがゲート用意してくれてるので!」
「ゲートまで引っ張り出してきたの?」
「そりゃそうですよ!私たち楽しみにしてたんです!」
純粋な目でこちらを見てくるチヨちゃんから目を少し、ほんの少しだけ逸らしてしまう。
だって、私は————
「マルゼン、体はほぐしとけよ?久々に走っていきなり怪我とか笑えないんだからな?」
チヨちゃんと少し離れたところでストレッチをしていると、トレーナーちゃんがこちらにやってきてそんなことを苦笑い気味に言う。
「んもう!分かってるわよ!トレーナーちゃんに心配されるほどやわじゃないわよ♪」
その返事を聞いて少し頬が緩むと、すぐにまた顔を硬くする。
「……それで、本当に走るのか?」
「どう言う意味?」
「……お前、手抜こうとしてるだろ」
「…………」
「図星、か」
図星、手を抜かれていることを完全に悟られてあることを認めて、少し楽な体制で芝に落ち着く。
「……チヨちゃんにはまだ未来がある。こんなとこで負けて調子崩されたら私が託したものも意味無くなっちゃうでしょ?」
「……まぁ、そうだな。じゃあ賭けをしよう」
「賭け?」
「そうだ。もしお前が勝ったらお前の言うことを一つなんでも叶えてやる」
「マジ?」
いきなりの提案、それにあまりに私に都合の良すぎる景品に思わずガチの声で聞き直してしまう。
「大マジだ。そんでお前が負けたら、そうだな、たまーにチヨちゃんの練習に付き合ってくれ」
「え?それでいいの?別に言われなくても手伝うぐらい……」
「いいんだ。だってこの賭けにお前が勝つことはないからな」
「どんな不平等な賭けなのよ……」
確かに内容は言われてなかったな、と少しがっかりしていたのも束の間。
「簡単だぞ。お前が今回最後まで全力で走ったら俺の勝ち。途中で手を抜いたらお前の勝ちだ」
「?そんなの私が勝つに決まってるじゃない」
「だから言ったろ?簡単だって。でも一つ勘違いがあるなら、お前は全力で走るよ」
「……そんなの」
「いや、走る。だってお前はウマ娘だから」
話を終え、帰ってきたチヨちゃんと話し合いで内外を決めると、私は外側のゲートに入る。
今回のレースは芝の2000m。チヨちゃんの最も得意な距離ということで指定されたもの。流石にシニア級と戦うんだからそのぐらいのハンデは与えてもいいだろう。
先ほどの提案が頭をよぎる。
いや、まずは
(目の前のことに集中……!)
そして、トレーナーちゃんが旗を振り下ろす。
それを目視したと同時に足を前に踏み出した。それよりも先にチヨちゃんが前に出る。
(……まさか私よりスタートが早いなんて)
これでも逃げウマ娘としてスタートにはそれなりの自信があった。それでも彼女は私の前にいる。
それはスタートの上手さゆえなのか、それとも、彼がスタートを出したからなのか。
少し、少しだけ、それだけの信頼を羨ましく思ってしまう。
次第にチヨちゃんはスピードを下げ始める。いつものパターンだ。一気に抜き去って前に出ようと私もスピードをあげる。
そして横に並んだ瞬間、彼女もスピードを上げてきた。どちらも前には出ずに横に並んで走る。
いや、並ばされている。
(わざと、抜きも抜かれもしないスピードで走って外側を走ってる私のスタミナを削る気ね……)
だが私にも意地がある。さらにスピードを上げる。これ以上は必要ないと感じたのかあっさりとチヨちゃんは足を下げていった。
その勢いのまま私は差を広げていく。
少し息が乱れている。結構先の競いで体力を持っていかれた。
チヨちゃんのロングスパートは残り大体1000mから来る。それまでにある程度の差をつけておかなければいけない。
そのまま加速を続け、差が10バ身と広がった頃、その空気が歪んだ。
(来る……っ!)
少し後方を確認するとすでにチヨちゃんのスパートが始まっていた。あらためてあまりにデタラメなスタミナだ。
それに対し、私のスタミナに余裕はない。
これが1600mだったら、そう思ってしまったがこの条件を提示したのは私。それに彼女はまだジュニア級、シニア級で走っていた私とはーーー
(…………え?クラシック級?これで?早すぎない?)
一瞬、頭にそんなことがよぎったが頭を左右に振って雑念を消す。
よく今の状況を見直す。
このペースで進めば直線に入ったと同時に抜かれるぐらいだろう。
———それでいいのだ。
私は勝ちたくてここで走っているんじゃない。私の全てはもう彼女に託したし、結果として私の出れなかったダービーも取ってくれた。
今更私が—————
そして直線前、チヨちゃんが私の横に立ち、そして追い抜いた。
見るな、見たら、きっと————
見ろ、見れば、きっと—————
見えてしまったんだ、彼女の楽しそうなその顔が。
「!!!」
私は楽しくいたかった。
色々あって出たいレースに出られないこともあったけど、どんなレースでも出れたら楽しかった。
だけど周りはそうでもなかったようで次第に周りは離れていった。誰も私と走ってはくれなくなっていった。
私は強すぎたんだ。
だから、
楽しそうに私と走る子なんていなかった。
だから、
私は全力で走らなかった。
だというのに、彼女は、サクラチヨノオーは楽しそうに走る。
私の隣で楽しそうに走っていた。
「—————————いいなぁ」
そんな言葉を漏らした自分自身に驚く。
……あぁ、走りたかったんだ私。
この楽しそうに走るこの子と走って、それで
勝ちたいんだ。
私だって走りたい。
楽しみたい。
自由に、思いっきり、
「走る!!!」
諦めていた足を再度上げて、前へスライドさせる。
あぁ、そうだ。この感覚だ。
楽しい。走るのは、楽しい!
「いくわよ、チヨちゃん!!!」
「私もいきますよ!マルゼンさん!!!」
2人してゾーンを開く。
限界のその先へ。
完全に横並びになる。
残り50m、
差が生まれた。
「はぁぁぁぁぁっ!!!」
彼女の走りの特徴は加速。
あのスタミナはあくまでも後天的なもの。先天的に得ていたそれは加速距離が長ければ長いほどスピードが上がっていく。
今回はスタミナを残しての二回目のスパートはしなかった。おそらくこのまま上げ続けるつもりなのだろう。
その足の差、そして序盤のスタミナ削り。それが勝負の分け目になってしまった。
最初にゴールを駆け抜けたのは悔しくも私より楽しそうに走るチヨちゃんだった。
「ぃやったぁぁぁぁ!!!」
「うぅ〜くやしい!!!チヨちゃん!もう一回走るわよ!」
「えぇ!?もうですか!?」
「負けたままじゃいられないでしょ!?」
「私勝ったんですけど!?」
「本当に、あのマルゼンが……」
隣で観戦していたミスターシービーがそんな声を漏らした。その顔にも信じられないといった表情がありありと浮かんでいる。
先日、どこからかこの並走を知ったらしく、既知である俺のところに来たシービーは
『やめたほうがいいよ?どうせ今じゃああの子に火はつけられない』
と言ってきた。
なので
『あはははははっっはははっはっ!』
『なーに言ってやがんだ!この!くらえ!』
『や、やめっ、もうくすぐりはやめてぇぇぇ!!!』
そのイケメン顔が余裕なくなるまでくすぐり倒しておいたのだ。
そして10分ほど。
『ひー。あー、楽しかった。それで?策はあるの?さっきも言ったけど、あの子じゃ、まだ』
『お前がマルゼンを心配してるのはわかる。だけどな———-』
「な?言ったろ。今のチヨなら1人の燻ってるウマ娘1人起こしてやるぐらい造作もないって」
「全くだったね。私の負けだよ、Mr.トレーナー」
そう言って自分の間違いを認めるとどこかウキウキとした様子でその自由人らしさを見せながらコースの方に歩いていく。
「おい、なぜそっちに足を進めようとしている?」
「?何って私も走るんだよ?」
至って当然のように笑顔で言ってのけるシービー。その瞬間に俺は叫ぶことを選んだ。
「チヨぉぉぉ!逃げろぉぉぉ!!こいつら永遠と走るつもりだぞ!」
「私も混ぜて〜〜!!!」
そうしてその日は2人に捕まったチヨちゃんは2人が満足した夕暮れ時まで走り続けてることになったのだった。
***
秋の爽やかな風が軽く髪を撫でる中、ターフに降りた私は会場全体からの大きな歓声を受けることになった。
観客席を見ると、多くの人が今出てきた私を見て応援などの声をかけてくれている。G1ともなれば入っている観客も相当なものであり、その声に少し圧倒されてしまう。
そしてなによりも、この声をあげている人たちの1番は私ではないのだ。
もしかしたら1人ぐらい私目的の人がいたらいいなぁ、とかは思うけど!
それでも今回のレースの主役はその人気が物語っている。
前評判圧倒的1番人気のウマ娘、三冠を取ろうかという今日のレースを見にきた人が大多数であろう。実際ここ1週間は至る所に彼女の写真が飾られていた。
G1、菊花賞。
そこに挑むは、かの皇帝と同じ無敗の三冠を狙う桜の姫。
日本中、誰しもが彼女に注目していた。
そして歩いていると比べ物にならないほどの大歓声が耳朶をうった。
ゆっくりと彼女が姿を現してくる。
だが前回皐月賞で戦った時と違うのは圧。前回はこの時点で足ガクガクになるぐらいえげつない圧があったのに、今日はそれを感じない。
弱くなった、ということはないだろうけど、もしかしたら絶好調ではないのかもしれない。そんな希望を見て彼女を見ているとこちらに気づいて目線が合う。
「……!」
目線だけで何となくわかった。逆だ、と。不調どころか絶好調な感じだ。余計な力が抜けているんだろう。
自分とは大違い、普通のウマ娘ならG1ともなれば緊張して当然だというのに。
「サンちゃぁぁぁぁん!!!」
また少し萎縮してしまった私に届いたのは入学当初からの友人の声。
「頑張れぇぇぇ!!!」
テレビでもそこそこ取り上げられて外に出るのも嫌がってたはずなのに、どうしてここにいるのか。
でも、
「!」
ありがとう。
あなたが私のために怒ってくれたことは知ってる。ダービー終わってから避けられて会えてなかったけど、ようやく会えた。
たくさん言いたいことあったんだ。
皐月賞のあと落ち込んでたのはサクラチヨノオーのせいじゃないって、伝えたかったんだ。
きっと勝手に考えて、勝手に暴れて。
それで一年の謹慎とか笑えないよ?
一言ぐらい言ってくれてもよかったじゃん。
だから、
「……終わったら絶対に殴ってやるんだ」
そうして少し緊張が解けた状態でゲートに入っていく。正直、この閉塞的な空間が好きではなかった。だけど、今日はそれほど嫌な感じがしない。
多分、楽しみにしてたんだ。彼女と、サクラチヨノオーとまた走れるこの日を。
隣の隣にいる彼女の顔を流し見る。
あの日負けてから私の目標はずっと貴方だった。この日のために色々考えて、体を作ってきた。
今日で、その無敗伝説を終わらせてやる。
空気がシンと静まる。
そうして菊花賞の始まりを告げるゲートが開く音がした。
相変わらずの好スタートを見せたサクラチヨノオーが前を陣取る。いつも通りなら彼女はここからスピードを落として前と中団を分断しようとする。
いつも通りなら。
「なっ……!」
誰かが漏らしたその驚愕の声。もしかしたら漏らしたのは私だったのかもしれない。
サクラチヨノオーが落ちてこない。
むしろ、スピードを上げていっていた。
誰もが先行策でくると思っていた1番人気はそのまま逃げを行っていた。ここにいるほぼ全員がそれぞれのサクラチヨノオー潰しを用意していたはず、だが果たして逃げに対する策を持っている子はいるのだろうか。
少なくとも、私にはなかった。
「……くっそ……!」
少しペースを上げ、中段の先頭、いつもなら彼女のいるポジションに私は位置取っていた。彼女の特徴は何と言ってもあの驚異的なスタミナ。ならばもし逃げを走らせればどうなるか。
そう、加速し続けてゴールしてしまう。
恐らくこの作戦をとっているからにはある程度スタミナが持つという計算があるはず。ならば早めに追いついてスタミナを削らなければ恐らく誰も追いつけなくなってしまう。
そう分かっているのに
「追い、つけない……っ」
足は既に疲労が見え始めている。私に逃げの脚質はないし、それに今回は3000mの長距離、無闇に走ったら間違いなくスタミナ切れを起こしてしまう。
一度、深呼吸をする。
落ち着け、考えるんだ。どうすれば彼女を止められる?
その瞬間、右外を抜いてくるウマ娘がいた。
2番人気、スーパークリーク。長距離向けの脚質で奇しくもまたスタミナ量に特徴のある子だ。
———彼女なら追いつけるかもしれない
そう考えた私は急いで進路を譲る。その光景を見たスーパークリークは驚いたようにこちらを見ていた。
行け、そんで追いついてくれ。もし貴方が追いつかないなら、このままゲームセットだ。
何となく言いたいことを感じ取ったのか少し頷くと再度加速する。
その足が、スタミナが羨ましいと思ってしまうけれど。
それでも今の私に諦めるなんて文字はない。
だってさ、もしこれで彼女が追いついて、潰しあって、そんで体力の残った私が差し切ったら。まだ勝てる道は残ってるんだ。
だから頼んだよ、ニューヒーロー。
***
「っ……」
ターフをいつも以上のペースで駆け抜けていく。遠くに見えるのは私と同年代のウマ娘。まさしく最強を体現する彼女と初めてのレース、菊花賞。
その内容は想定していたものとはまるでかけ離れていた。
『いいか?サクラチヨノオーがスパートをかける前に前に出る。そっからは出来るだけ内を走るんだ。サクラチヨノオーがそれについて外を回る。そしたら直線勝負、そこまでに十分にスタミナを削れば勝機はある。完璧な作戦だろ?』
「どこ、がっ!完璧な作戦ですか!」
思わず悪態をつく。色々考えてきたのに全部白紙に戻された。流石に経験値が違っている。
だがここまで逃げられると追いつけなければそのまま負けてしまう。急いで加速を始め、中団の先頭へ。
そこにいたのは3番人気のサンピアレスさん。重賞をいくつか取っており、徹底的な作戦勝ちを実行してきていたはず。少し警戒しながらも外から抜こうとすると、急に前の進路が開けた。
思わず彼女の顔を見ると、そこにあったのは諦めなどではなく、むしろ強い意志だった。
『貴方なら追いつけるでしょ?』
そう言われたような気がする。きっと彼女としては私とチヨノオーさんがぶつかって潰れて欲しいんだ。
いいですよ、乗ってあげましょう。
その譲られた道を勢いよく抜けていく。
恐らく先頭とは6バ身ほど。動揺で加速が遅れてしまったのが響いてなかなかの距離が開いている。それでもまた追いつけない距離じゃない。サンピアレスさんのおかげで少しスタミナに余裕もできた。
あとは追いつくだけだ。
また一段ギアを上げる。前へ前へ進んでいく。
進んでいく。
進んでいく。
本当に進んでいるのか?
思わず考えてしまった。おかしい、既に第3コーナーに入ろうという頃。だというのに追いつく気配はおろか。
(逆に離されてる……!?)
完璧な距離はわからないものの直感、7バ身差ほどに離れている気がする。つまり、
(追い、つけない……!)
思わず唇を噛む。まさしく独壇場、その舞台にすら立たせてもらえないことに対する苛立ちが募る。
だが実力差は明白、追いつけるビジョンが見えない。
「なに、してるんだよ……っ!!!」
まさしく茫然自失、そんな状態の私に右後ろからそんな叱咤が飛んできた。
来たのは先ほど確実に抜き去ったサンピアレスさんだった。彼女にこのペースで走り切れるだけのスタミナはないはず、つまりここまで来てしまったら————
「うる、さい!おい、まだ勝つ気は、ある、か!?」
「なに、を……」
「あるかって聞いてるの!!」
「あ、あります!でも———」
「じゃあ運んであげる」
「……え?」
「スリップストリーム、習ってるでしょ?私が、前で走るからっ、最後の直線で、サクラチヨノオーを追い抜いて……っ」
「そ、そんなことしたら貴方が……」
「悔しい、けど、もう私じゃ無理だ。でも、こんな悠々自適なのレースとして認められるか、っての。だからスーパークリーク、お前が、行け!」
「!……わかりました。お願いします!」
「あぁ!」
そうして前を譲りサンピアレスさんが前を走りだす。実質スパートと言ってもいいそれは今までにデータで見た彼女の中でも最も速く、そして
「っ!!!」
楽しそうだった。
サクラチヨノオーのスピードを上回ったそのゴールまで持たないスパートは少しずつ距離を詰めていく。
そして、
「っ……すまん、ここ、ま、でだ……」
「はい。私が勝ちます」
「……たのんだ、よ」
そして外によろけていくサンピアレスさん。顔を前に向けると後ろから倒れたような音が大外から聞こえてくる。
恐らく邪魔にならないところで倒れたはずだ。
なら、その彼女の思いを胸に背負って私は。
「勝つ!!!」
そしてスパートをかけ始める。既に差は3バ身ほど、そして私はおかげでスタミナを十分に残している。
追いつく準備は整った。
さぁ、サクラチヨノオー、レースといこう。
足を思いっきり地面に叩きつける。
最後のスパート、文字通りの死力を尽くす走り。
そして差が縮まって、ついに。
「追いつき、ました、よっ!」
「っ……!」
完全に横並びになった。
ようやく見れたその顔にはありありと驚愕が浮かんでいた。
……1人では辿り着けなかったことに不甲斐なさを感じる。だとしてもこれ以上自分を嫌いにならないために、彼女のために、
「私は、勝つんだぁぁぁ!!!」
そして残り200mで一歩、前に出ていた。
「……すごい」
そんな声が後ろから漏れた。
勝てる。
あの最強に、勝てる!
「——————」
頭が歓喜で包まれそうになっていたから、今抜かれたことを頭が受け入れる準備ができていなかった。
どうして、抜いたはずの彼女が前にいるの?
抜かれた瞬間に見えたのはピンクと白で鮮やかに彩られた花、桜。
桜の姫が私たちのもう一個上の段階にいるのだとわかってしまった。
それだけでまた足がすくむ。
(違う!すくんでる暇なんてない!動かせ!足を!前に!)
急いで頭を切り替える。
諦めていいわけないだろう!私を信じてくれたあの子のためにも!
足を回す、回す。
だが現実はそう上手くは回らない。
彼女の姿が少しずつ離れていってしまう。
そして、桜がゴールに舞った。
ゴールの勢いを少しずつ殺してゆっくりと芝に寝転がる。
「勝て、なかった……っ!」
悔しさから涙が芝に落ちる。あそこまで託されたのに、私はしくじってしまった。
そうして1人俯いていると周りが暗くなる。誰かな影であると気づくと涙を拭って上を向く。
そこにいたのは手を差し伸べたサンピアレスさんとサクラチヨノオーさんだった。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
その手を取って2人と一緒に立ち上がる。
立ち上がった後にサンピアレスさんを見ると頬を少し膨らませてチヨノオーさんの頬をつんつんと突いていた。
「全く、あそこまでお膳立てしてあげたってのに」
「今回も私の勝ちですねっ!」
「次は私が勝つから!」
突かれたままチヨノオーさんが勝ち誇るような胸を張ると、額に青筋がたちそうなぐらいに顔を引き攣らせていた。
「受けてたちます!スーパークリークさんもまた一緒に走りましょう!」
「は、はい……」
急に振られてすこし声が詰まる。それを見てかサンピアレスさんがこちらに手を出してくる。
出された手を掴んだ握手する。
「スーパークリーク、いい走りだったよ」
「でも、負けてしまった……」
「いや、最後抜き返した瞬間は私も勝ったと思ったんだけどねぇ。流石は世代最強って感じ」
どこかあっけらかんとしている様子に少し気が緩んだのか、次の言葉がするりと口から溢れていた。
「……サンピアレスさんはあの人と何回か走って、その、辛くなったりとかないんですか?」
「あるよ?」
「え?あるんですか?」
思っていた感想とは違って少し驚く。負けてもあっけらかんとしていながらもその目の奥に強い意志が見てとれたからこそ、そんなことないだろうと勝手に思っていた。
「そりゃ負けたら悔しいし、辛いでしょうよ。でももうとっくに克服したし、今はそれよりもあいつに一泡吹かせてやりたいからね」
「すごい、ですね……」
「でも、わかるでしょ?胸の奥の方が熱くなる感じ」
「……はい」
「うん。そういうことだと思うよ。それじゃあまたどこかで」
言われた胸の熱。確かにわかる。だって今、
こんなにも悔しいと、勝ちたいと叫んでいるんだから。
***
「やっぱり話題になってますね」
「まぁそりゃあ事実上の最強決定戦だしな。ジャパンカップを終えて2度タマモクロスとオグリキャップは戦ってるけど、サクラチヨノオーとの2人の直接対決は初めてだから」
2人して取り上げられている記事を見ながらそんな感想をこぼす。ついに来週へと迫った有馬記念。そこに大きく書かれているのはどこの記事も私とタマモクロスさん、オグリさんの3人の写真でした。
「……半年前にオグリさんと戦うって約束したので、少しワクワクしてます」
「……2人とも先日のジャパンカップでオベイユアマスター以外の世界選抜に勝ってたからなぁ。すごい強いぞ?」
「じゃあそれに勝ったアメリカの人はもっとすごいんですね」
「あれなぁ。あんなに綺麗にレース運びするやつ初めて見たな。そんな奴がここまで無名だってんだからとんでもない伏兵だった、ん?」
先月の大荒れとなったジャパンカップの感想を語っている最中に部屋のドアがノックされます。めったに人が来る場所ではないのですが。
「宮永トレーナー、サクラチヨノオーさんと一緒に理事長室に来てほしいとのことです」
「?はい」
来たたづなさんに呼ばれ、2人して理事長室へと向かっていきます。
向かった部屋では相変わらず小さい理事長が席に座って扇子を開いていました。
促される形でソファに腰をかけます。
「感謝!よくぞ来てくれた2人とも!今回は少しばかり大事な話があるんだ!」
「なんでしょう?」
「実は宮永トレーナー、君に海外派遣の話がきている!場所はアメリカだ!」
「な!?」
「ええっ!?」
そこで告げられたのは思いもならない、海外へのお誘いでした。
私たちの困惑を感じ取った理事長がいくつかの資料とともに説明を始めます。
「先日ジャパンカップで勝ったアメリカのオベイユアマスターからの進言があったようでな、アメリカのトレセンと交換派遣したいと話が届いたんだ」
「ただ一つ、この話は現在3人のトレーナーにさせてもらっている状態だ。あちら側もまだ3人から決めかねているようだ」
「なるほど、では辞退させていただきます」
「ええ!?トレーナーさん!?」
隣で話を聞いていたトレーナーさんはその話を一刀両断しました。私はトレーナーさんが海外に行きたいなどというのは知りませんでしたが。
その答えを聞いて理事長も目を見開いています。
「驚愕!どうしてだ!?」
「いや、だって担当バ残して1人海外に行くのは無理でしょう。まだシニア級にも入ってないんですよ?」
言われてみれば確かに不安は残る。まだシニアにも踏み入っていない、そんな中トレーナーさんがいなくなるのは確かに怖い。けど、
「あぁ、それなら安心してくれ。その派遣は再来年のものだ。レースに支障があるようにはせん」
理事長は少し落ち着いたようにその詳細を語ってくれた。その話に私たちは2人して一息つくことができる。
「……確かに、それなら。ちなみにその3人の中からどのように決めるおつもりで?」
「相手側が欲してるのは優秀な日本のトレーナー。なら話は簡単だろう?1番強いウマ娘を担当しているトレーナーだ」
「まさか」
まさか、
「君たちは有馬記念に参加予定だと聞いている。そこにその2人、オグリキャップとタマモクロスもやってくる。そこで勝った者のトレーナーを指名する算段のようだ」
「……」
「元より、君は海外に興味があったのだろう?君の事情は把握していたし、記憶云々が解決しなければ流石にこの話を通すこともなかったが……」
少し踏み込みずらそうにこちらを見る理事長。確かにあっち側としてもわざわざ全員をひきとるよりかは1人優秀な人物を呼んだ方がいいと言う考えなのだろう。
でも、トレーナーさんは————
「今ならその憂いもない。どうであろうか?」
「……少し、お時間を「お引き受けします!」……チヨちゃん!?」
トレーナーさんの言葉を遮りながら前のめりに承諾の旨を伝える。その方法が意外だったか、トレーナーさんが目を見開いて声を上げた。
「どうせ私に負担がかかるとか考えているんですよね?」
「うぐっ……」
図星であったようで頬を思いっきり引き攣らせるトレーナーさん。
「はぁ……。私、仮にも無敗の三冠ウマ娘ですよ?全く、相変わらず蓮さんは蓮さんのままなんですから」
「どういう……」
「じゃあ久しぶりにわがまま聞いてくれませんか?」
その私の提案に珍しさからか少し驚いたようにしながらもこちらの話に耳を傾けてくれる。
確かにわがままなんて少なくとも契約してからはした記憶もないかもしれない。もっとも勝手に暴走はしたけど……。
「そりゃいいけど……珍しいね」
「はい。————アメリカに行ってください。私が連れて行きますから」
「なっ……」
2度目の衝撃とでも言うだろうか、次は少し背を逸らすような勢いで驚きを露わにしてくる。ここまでの様子は中々珍しく、少し笑みも溢れてしまう。
それでも、この人にはしっかり言っとかなきゃいけないから。
「私のトレーナーさんがすごいってことをアメリカにも見せつけてやるんです!それで今3人を選んでるとかいう上から見てる人たちにもわからせてやるんですよ!このウマ娘しか、この人しかいないって」
「チヨちゃん……」
「食堂のことは任せてください!私だって料理できるんですから!トレーナーさんがいなくなっても私が手伝います!」
「そこまでしなくてもいいって……」
少し苦笑い、それでいて嬉しそうな顔を浮かべてくれる蓮さん。やっぱりこう言う顔してる貴方が1番好きだから。
だから、進んで欲しい。
「蓮さん、まだ憂うことはありますか?」
「————いや、ない。理事長、その話謹んでお受けいたします」
「行幸!2人の活躍、楽しみにしている!」
ここまでのご精読ありがとうございました。
と言うことで次回は有馬記念、レース一本となります。
また報告したとおり、9話を8/30、10話(最終話)を8/31に投稿予定ですので、見ていただけると嬉しいです!
それではまた次回お会いしましょう。