ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます   作:振り米

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42話『信じたい心と信じられない私』

 護衛任務の対象──由緒正しきお貴族様の屋敷の屋上。

 

 朝の光が斜めに差し込み、まだ誰も起きていない街を優しく照らしている。

 屋根の縁には、昨夜の雨でできた水たまりが名残惜しげに光っていた。

 

 その端に、私はぽつんと立っていた。

 高所恐怖症でもなければ、屋根フェチでもない。ただ、地上にいるのが少し、しんどかっただけだ。

 

 風が吹くたびに、金の髪がさらりと靡く。

 外套の裾が瓦をすべって、草でもないのに草の上をかすめたような音を立てた。

 

 私は気づかれないほど小さく息を吐く。

 その手は、無意識に握りしめられていた。指先は微かに震えていた。

 

「世界を盗もう」

 

 あの夜。

 

「──俺とお前なら、出来ないことなんてない」

 

 廃工場の向こうで、あの人は……あの人たちは、笑っていた。

 紅蓮の盗賊団。

 そして、その横にいたのは、他でもない彼──アッシュだった。

 

 信じたくなかった。けれど、それは確かに、彼の姿だった。

 

 否応なく、脳が覚えていた。

 彼の背丈を。横顔を。その眼差しを。

 だからこそ、どうしようもなかった。

 

(違う。……違うよね?)

 

 私は心の中で問い返す。

 もう何度目かも分からない問いかけ。

 けれど、毎回、返ってくる答えは決まっていた。

 

 ──沈黙。

 風の音だけが、空から降ってくる。

 

(だって、あの人は……そんな人じゃない。……そうでしょ?)

 

 私の中の“私”がそう叫んでいる。

 けれど、それを否定する“勇者”の声も、同じくらい大きかった。

 

「……フィリア?」

 

 突然かけられた声に、肩がぴくりと跳ねた。

 背後から控えめな足音。

 振り返ると、そこにいたのはノアだった。

 

 桃色の髪が朝日に染まって、少しだけ優しく見える。

 その瞳は、いつもよりずっと心配そうだった。

 

「なんか今日、元気ないね。……何かあった?」

 

 その言葉に、私は一拍だけ、間を置いた。

 

 心臓が妙にうるさい。

 嘘をつく罪悪感と、本音を隠す安堵がせめぎ合って、ほんの一瞬だけ逡巡する。

 

「ううん。ちょっと……疲れてるだけだよ」

 

 笑顔を貼りつけた。

 割と上手くできたと思う。嘘の笑顔には慣れている。──勇者だから。

 

 ノアはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、「そっか」とだけ呟いて、少しだけ視線を逸らした。

 

「……まあ、無理はしないでね。今日の護衛、私とダリオで何とかするから」

 

 優しさを、ありがたいと思う気持ちと、逃げたようで情けない気持ちとで、私の胸はごちゃごちゃだった。

 

 そしてそのとき、場の空気を破るように、どこか投げやりな声が響いた。

 

「アッシュのことか?」

 

 ダリオだった。

 手すりに背中をもたれさせて、相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。

 でも、目だけは真っ直ぐに、こちらを見ていた。

 なぜなら彼は、いつもそんな顔をしているだけで心の底では心配しているのを私は知っていたから。

 

「……」

 

 それでも私は答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 嘘をつけるほど強くもなく、正直になれるほど素直でもなかった。

 

 ただ、視線を落とし、口元に笑みだけを残した。

 

 心臓の鼓動が痛いほど響いていた。

 罪悪感と、焦燥と、ひとかけらの希望と──全部ひとまとめにして、私の中でぐるぐると回っていた。

 

(私は、“勇者”だから。民を守る存在だから。だから……彼を、許しちゃいけない)

 

 でも。

 

(“私”としては──あの人を、信じたくてたまらない)

 

 まるで違う二人の自分が、胸の中で取っ組み合いの喧嘩をしていた。

 剣を抜く寸前のような緊張感。けれど、どちらの剣も私には抜けなかった。

 

 どちらかを選べば、もう一方を裏切る。

 そんな気がした。だから、私はどちらも選べなかった。

 

 そして、そっと目を閉じた。

 

 思い出すのは、あの人の声。

 くしゃっと笑ったときの顔。ちょっとだけ意地悪な言い回し。

 でも、それと同時に、あの日の光景もよみがえる。

 

 迫るレオニスの白と黒の魔法の螺旋。

 

 未完成だった奥義を放つ私。

 そして、あの人の手。

 

 ──優しかった彼の手と、昨日の彼の背中。

 

 そのどちらが本物なのか。

 あるいは、どちらも本物で、どちらも嘘なのか。

 

 ……私には、もう分からなかった。

 

 ●

 

 リードルの街。昼の市場は、相変わらずの雑多な賑わいに満ちていた。喧騒と喧噪と騒音が三位一体となって押し寄せ、耳という耳を容赦なく叩きまくってくる。休日の繁華街の昼間は、どこの世界でもこうなのか。

 

 そんな中で俺はというと、真剣な顔でパン屋の軒先を物色していた。

 

「……マドレーヌ三つ、干し肉、あと干し葡萄とチーズ、保存用のビスケット……っと。あとはクロが好きそうな甘ったるいリンゴのペースト、シロのハーブティーもいるか? いや、でも財布が死ぬな……」

 

 そう、これはただの買い出しではない。

 今夜、この街を出る。だから、そのための準備。

 万が一、途中であいつらの“菓子成分”が切れたりしたら最後、俺の平穏は儚く散り果てる。

 

 シロは見た目と口調こそ冷静沈着な参謀タイプだが、スイーツに関しては理性を置き去りにする(バカ舌)。あれはもはや思考ではない、欲望だ。

 そしてクロはクロで、あの脳筋スマイルの裏で「砂糖の量、あと2.5グラム足りないね」とか言う超絶繊細な舌を持っている。正直、敵に回したくない。

 

(……っていうか俺の財布はいつから毎回“食費担当”なんだ? なんでこんなに虐げられてるんだ? 俺、団長よ?)

 

 ぶつくさと脳内で文句を垂れつつ、軽く鼻で笑ったその時だった。

 

 視界の端を、金色の光が通り抜けた。まるで一筋の陽射しが割り込んできたかのように。

 

「……フィリア?」

 

 口を突いて出た名は、予期せぬ現実と奇妙に合致していた。

 

 すらりとした背。凛とした立ち姿。少女にしてはやけに落ち着き払った雰囲気。

 ……まちがいない。勇者の少女──フィリアだった。

 

 まさか本当に偶然、ってことがあるとは。

 いや、ここ最近“偶然”って名前の神様にストーキングされてる気がしないでもない。

 

 彼女が俺に気づいて、ふわりと立ち止まる。

 目を丸くし、でもすぐに柔らかな笑顔を浮かべて言った。

 

「……また会ったね、グリ。偶然です」

 

「もはや運命かもな──なんて」

 

 気取った軽口が自然と出る。どこかでこの出会いを喜んでる自分がいるのが、ちょっと腹立たしい。

 

 でも、彼女の笑顔は、どこかぎこちなく見えた。

 言葉にできない違和感が胸に引っかかる。

 

 目が、笑っていなかった。

 

「……どうかしたのかい?」

 

 自然を装った問いかけだったが、その問いを聞いた瞬間フィリアは少しだけ、目を見開いた。

 

「……どうして、分かったんですか?」

 

「いや、まあ……顔に出てた?」

 

 小さく肩をすくめて笑いながら、手に持っていた紙袋を差し出す。

 

「これ、食べる? 焼きたてっぽいよ。マドレーヌ。甘いやつ」

 

 このタイミングで甘味の布教を始める俺は、たぶん変人寄りだ。でもまあ、菓子は世界を救う。

 

 本当はシロとクロのために買ったやつだ。

 すまん、二人とも。お前らのマドレーヌ、勇者に献上した。あとで十倍返しするから許してくれ。

 

「ありがとう」

 

 フィリアは袋を受け取り、そっと一口かじった。

 

 ……それはまるで、戦場で出されたティーセットのような違和感だった。

 甘い香りがするはずの空気が、どこか張り詰めている。

 

 しばらくして、ぽつりと、彼女は言った。

 

「……もし、信頼していた人が……自分たちの“敵”と繋がっていたら、どうしますか?」

 

 ド直球すぎる質問に、俺はマドレーヌの匂いを吸い込んだまま、数秒間フリーズした。

 

 空は青く、雲はのどかに浮かんでいて、市場の喧噪はどこか遠くに感じられた。

 

「……関係性にもよるけど、そうだな。俺なら……信頼できないな」

 

 これは、嘘じゃない。

 むしろ、嘘をついたほうが楽だったのに、それができなかった。

 

 俺は、かつて信じた。そして、失った。

 だからこそ、今は慎重に、愚かになりたくなかった。

 

 フィリアは、小さく眉を動かし、驚いたように俺を見つめた。

 たぶん、彼女は俺が「それでも信じる」と言うと思ってた。

 

 勇者だから。優しいから。

 そういう「信じる側の人間」だと、思われていたのだろう。

 

「……どうして……ですか?」

 

 その声には、かすかな揺れがあった。

 信じたい。でも、信じきれない。

 その狭間で、フィリアという少女は必死に立っていた。

 

「……俺は昔、それで痛い目見たことがあってね」

 

 言いながら、頭の中に過去の情景が浮かんだ。

 信じていたかつての盗賊団の姿。

 クレアの笑顔。クルールの叫び。燃える夜。

 忘れたくても忘れられない。たとえ忘れても、傷は残る。

 

「だから、ちょっと臆病なんだ。……まあ、情けない話だけど」

 

 そう。臆病者なんだ、俺は。

 自分の選択を信じきれない、どこまでも中途半端な人間。

 

「でも──」

 

 言葉を切って、改めてフィリアを見る。

 少女の目は、まっすぐに俺を見ていた。

 その奥にある揺らぎを、痛いほど感じた。

 

「誰かを信じられないって、すげぇキツい。だから……俺はちゃんと向き合いたいと思ってる。本気で、答えを探したい」

 

 ……これは、かつての俺に向けた言葉でもあった。

 

 フィリアは、そっと目を伏せ、呟いた。

 

「……そう、なんだね」

 

 その言葉に込められた想いは、重かった。

 でもきっと、彼女自身もまだ、答えを見つけられていない。

 

 沈黙が、二人のあいだに降りた。

 市場のざわめきは続いているのに、まるでここだけが別の世界のようだった。

 

 マドレーヌの甘さが、彼女の心まで届く日は来るのだろうか。

 ……届いてほしいと、俺は願った。

 

 なぜなら、それが彼女の痛みに寄り添える、唯一の方法な気がしたからだ。

 

 ★

 

 盗賊団に拾われた俺は、生きる術を、というか死なない術を教わった。

 

 ナイフの握り方、盗賊らしい立ち振る舞い、物を盗む技術。

 まあ、ざっくり言えば、どう見ても少年に教える内容じゃないやつばっかりだった。

 

 今となっては、俺は俺を優秀な人材に育ててから売るためだったのか、それとも盗賊団の未来を嘱望されてだったのか分からない。

 

 ただ、身体だけはやたらと優秀だった。

 生まれ変わった世界の俺は、なんかこう……やたら筋が良かった。反射神経、判断力、身体能力、ぜんぶ上等。

 

 今考えれば、それは“ネームドキャラ”に転生した故の利点だったのだろう。

 

 でもそのぶん──厄介だった。

 

 こっちは現代日本の倫理観フル装備だ。

 人を殺す? 村を襲う? はい、ムリ。俺、現代日本からの転生者なんで。

 

 結果、どうなったかというと。

 

 そう、器用貧乏っていうか、野蛮の盗賊団なのに馴染めていないというか、“ハイスペック除け者”っていうか。

 盗賊団のなかで、なんとも微妙なポジションに収まっていた。

 

 そんな俺に、ある日、笑顔で話しかけてきたやつがいた。

 

「お前、いつもしみったれた顔してんなー。雨の日なのに洗濯物干しっぱなしにしてたの思い出したみたいな顔」

 

 第一声から雑だった。

 

 振り返ると、赤い髪の少年がいた。

 年は俺と同じくらい。たぶん、入団時期も近い。

 

 実力はそこそこ。でも、明るさと人懐っこさで周囲にはすっかり馴染んでいた。

 パーティーで例えるなら、戦闘力は並だけど、ムードメーカー枠に強く振ってるタイプ。

 

「……悪いかよ」

 

「いやー、別に? むしろ味があって俺は好きだぜ。ってことで俺、クルール。そういえば話したことなかったよな。お前、名前なんだっけ?」

 

「俺? 俺は──」

 

 詰まった。

 いや、そりゃそうだ。名前なんて、ない。

 

 正確に言えば前世の名はあるけど、ここじゃ明らかに浮く。

 日本語名の名前をこの中世ヨーロッパ風味の謎世界で放ったところで確実に「呪文か?」とか言われて終わる。魔女狩り裁判にでもかけられるかもしれない。そんな事ないよな? 

 

「……分からない」

 

「へー、変なやつ」

 

 いや、そこはもうちょっと掘り下げろよ。

 

「もー! クルール、失礼なこと言わないの!」

 

 と、間髪入れずにコツンとクルールの頭を叩く小さな手。

 声の主は、クルールと同じくらいの年の少女だった。

 

「私はね、クレア! クルールと一緒に拾われたんだ!」

 

 笑顔だった。

 なんていうか──虹色の光を見た気がした。

 

 青色の髪がよく空に溶け込んでいて、どんな色も表せてしまうような、そんな笑顔だった。

 

 ああ、綺麗だ、って素直に思った。

 泥にまみれた世界に、こんな光があるなんて。

 

「ねねっ! じゃあさ! 名前、つけようよ!」

 

「おっ、それいいな。お前、髪の色……ほら、珍しいじゃん。灰色。アッシュってのはどうよ!」

 

「アッシュ……」

 

 灰。灰色。……たしかに、悪くない。

 

 だけどそれ以上に──それは、俺が前に好きだったキャラクターの名前だった。

 

 名前の響きが、胸の奥にじんわりと沁みた。

 偶然にしては、できすぎていた。

 

 もちろん、俺はまだ知らなかった。

 自分がそのアッシュ──モノクローム怪盗団のリーダーに“なって”しまったことを。

 

「アッシュ……いいね、気に入った」

 

 俺がニヤリと笑いながらそう言うと、クルールとクレアが手を差し出した。

 

 俺は黙ってその手を取った。

 

「ありがとう、クルール。クレア。俺は……アッシュ。よろしくな」

 

 その瞬間、ほんの少しだけ、自分がこの世界にいてもいい気がした。

 

「アッシュ、ちゃんと笑えるんだ。今まで、そんな顔見たことなかったよ?」

 

 クレアが微笑んで言う。

 

「アッシュはさ、なんかこう……そのキザったらしい笑顔がよく似合うな」

 

 クルールが適当に言葉を継ぐ。

 まるで、長年の兄弟みたいに。

 

 笑える自分がいる。

 笑っている自分を、受け入れてくれる人がいる。

 

 たぶん俺は、その日この世界に来て初めて──“嬉しい”って感情を、思い出した。

 

 この名前が、俺のすべてになるとも知らずに。

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