ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます   作:振り米

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53話『迷える心、燃え爛れる決意』

 ──揺れる。

 

 車輪の振動とともに、私の心も、まるでガンガンとどこかにぶつかっている感覚だった。

 重たい空気が馬車の中に満ちていて、その張り詰めた雰囲気の中心にいるのは紛れもなく私。

 

 少なくとも、それくらい自分でわかっていた。

 

「フィリア、窓開ける? なんだか暑そうだけど」

 

 ノアが心配そうに言った。彼女の声には優しさがこもっていて、私は笑顔を作って答えた。

 

「……ううん、大丈夫。ありがとう、ノア」

 

 でも、その笑顔はすぐにノアの目を曇らせた。すぐ目を伏せられたのは、まるで「無理してるな」って見透かされたみたいで、胸がちくりと痛んだ。

 

 ああ、わかってる。私、無理してるって。

 

「それにしても急だったな、王都からの召集は……まさか、あの紅蓮の盗賊団、次は王都を狙うとは」

 

 ダリオが腕を組みながらうなった。華奢なノアとは対照的に、がっしりした彼の身体が、馬車の天井にぶつかりそうになるくらい大きく見えた。

 

「貴族たちも、フィリアの帰還を心待ちにしているだろう。勇者の帰還と言うヤツを、な」

 

 私は笑ってみた。つもりだった。でもそれは、空振りした笑顔だった。

 

 胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 

 ──勇者として呼ばれたところで、今の私は何も嬉しくない。

 

 あの夜、アッシュに言われた言葉。

 翌日に聞いた、アッシュの“戦う理由”。

 最後に残されたのは、「答えは、お前が決めろ」という優しさと距離感の混じった言葉。

 

 でも、まだその答えを見つけられていない。

 

「ねぇ、フィリア……その……」

 

 ノアが何か言いかけて、でも結局やめた。代わりにそっと私の手を握ってくれるその手が、思いがけず心の奥に温かさを広げた。

 

 けれど。

 

「……大丈夫だよ、ノア。私は自分で決めるから」

 

 そう言った声は、きっと震えていなかったと思う。

 けれど内心は未だ揺れていた。

 

 ノアもダリオも、それ以上は何も言わず、黙ってうなずいてくれた。

 

 馬車はカツンカツンと石畳を刻み、進んでいく。

 その規則正しい音がやけに耳についた。

 

 ──鼓動みたいだった。

 

 ふとカーテン越しに見えたのは、王都の外壁。鉄のように高く、鉄柵のように重たく見えた。

 

 帰ってきたんだ──王都に。

 “あの頃の私”がいた場所へ。

 

 でも、“あの頃の私”はもうここにはいない。

 じゃあ、私は今、何者なんだろう? 

 

 揺れる。馬車も、私の心も。

 

 目を閉じて、祈るように、呼吸をゆっくりと繰り返す。

 

 ──兄さん。

 

 心のなかに浮かぶのは、兄の柔らかい笑顔だった。

 

 

 

 

「フィリア。力ってのはな、誰かのために使うから“正義”になるんだ」

 

 そう優しく笑いながら言ってくれた兄の声が、遠くでまだ響いている気がする。

 

「でもさ、兄さん。“誰か”って、誰のこと?」

 

 問いかけても、返事はなかった。

 困ったような顔をしていた。

 

 きっと、その頃の兄は少し疲れていたんだろう。それでも勇者として、最後まで走り抜けた。

 

 私はずっと、胸に問いを抱え続けた。

 あの人が守ろうとした“誰か”って、いったい誰なんだろう? 

 

 正義って? 

 守るべきものって? 

 戦う理由って? 

 

 

 

 

「……兄さん、私は」

 

 馬車の中で、小さな声でつぶやく。

 ノアとダリオは眠っている。いや、もしかしたら、私を気遣って“寝たふり”をしてるのかもしれない。

 

 だから、今、この瞬間にしか言えないと思って。

 

「私は、私のために、生きるよ」

 

 その言葉を思い切って口にしてみたら、胸の中でギュッと何かが震えた。

 

 ──馬車じゃない、私自身の心が震えた。

 

 “誰かの正義”に縛られていた過去を、今、私はようやく手放そうとしている。

 それが弱さでも、逃げても、自己中心的でも、構わない。

 今の私には、それが信じるべきものだから。

 

 ◾️

 

 焼けつく。

 

 俺の──クルールの身体の内側から、何かがじゅうじゅうと焦げていく。

 

 筋肉が、血管が、骨までもが炭になって崩れそうな、そんな錯覚。いや、錯覚じゃない。現実だ。もう何日この痛みに苛まれているのか、数える気も失せた。

 

 ここはミルディア王都の近くの洞窟。

 襲撃を前にして、紅蓮の盗賊団は近くの基地に身を潜めていた。

 ただ、この洞窟には俺1人。

 決してここには誰も近づけなかった。

 

 魔王の魔力を直接注がれたその日から、俺の体は俺のものでなくなった。

 

 この洞窟にこもってからどれほどの時間が経ったのかは分からない。永遠のように長く感じる苦痛の時間を、地面を抉るほど爪を立て、嘔吐を繰り返し、時には自分の身体を噛みちぎりそうになりながら、俺はここにいる。

 

「はぁ……は、あっ……」

 

 喉が焼ける。呼吸をするだけで肺が軋み、目に映る全てが赤黒い靄に包まれている。

 

 怒り。

 

 憎しみ。

 

 その二つだけが、俺を形作っている。

 

「アッシュ……クレア……」

 

 名前だけが浮かんでくる。

 

 どうして、その名前を思い出すたび、胸がひどく痛むんだ? 

 

 クレア──。

 

 白くて小さな手。人形のように儚い瞳。夜になると、怖い夢を見たと俺達の腕に縋りついてきた妹分。

 俺にいじられてぷくっと頬を膨らませては、アッシュに優しくされて頬を染めていた。

 

 そうだ。クレアは、俺の……大切な──

 

「……あ、あ……ああ……あああっ」

 

 ふいに、頭の中で釘が打ち込まれたような感覚。記憶が、黒く塗り潰される。まともに考えようとする度に、なにかが思考を妨げてくる。

 

 いや、妨げてくるというより、塗り替えられている。

 

 おそらく──ミレイの幻惑魔法。

 

 あの女の唇が微かに笑った光景を、俺は何度も何度も夢の中で見ている。

 

『いいじゃない。大切なものなんて、全部燃やしてしまえば』

 

 ああ、そうか。そうだった。もう、全部いらない。

 

『終わりにしていいのよ。全てを灰にして。だってそれが、あなたの──』

 

 この世界のすべてが、俺の敵だ。

 

「憎い……憎い、憎い、憎い……!」

 

 拳を地面に叩きつける。

 

 洞窟の床にひびが入る。土砂が崩れる。だが、それでも俺の怒りは収まらない。

 

 貴族ども。

 

 盗賊ども。

 

 この国。民衆。勇者。王族。

 

 そして──アッシュ、お前もだ。

 

「お前が、止めた。お前が俺を、裏切った……!」

 

 歯を食いしばる。

 

 何を思い出そうとしても、そこには血と炎しか残っていない。

 

 目の前にあるのは、焼き尽くしたいという衝動だけ。

 

 王都を燃やせ。

 

 あの城を、街を、民を、全て灰に──! 

 

「全部……全部、灰にしてやる」

 

 そうだ。これが俺の使命だ。

 

 俺を選んだのは、魔王だ。誰かのためじゃない。俺の憎しみのために、その力はある。

 

 けれど。

 

 けれど、ほんの一瞬。

 

 ほんの、ひとしずく。

 

 その怒りの炎の奥に、かすかに──光が差し込んだ。

 

「……あ?」

 

 視界の端。意識の奥。

 

 クレアが、笑っていた。

 

『クルール! 今日はパン、焦げてないよ』

 

 そう言ったくせに、また焦げていた。

 あの焦げくさくて、小麦の味しかしなかったパン。

 クレアが不器用に焼いてくれた、それを三人で分け合って食べた、あの日。

 

『いつかさ、三人で、おっきなパン屋さんやろっか』

 

 それは、叶わなかった彼女の夢。

 

「うぐぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」

 

『世界を盗もうぜ。アッシュ』

 

 それは、叶えたかった俺の夢。

 

「がぁッッッ!」

 

『俺とお前なら、出来ないことなんて──な────い』

 

「っ……あああああああああッ!!」

 

 叫びが、喉を裂いた。

 

 胸が抉れる。

 

 心臓を誰かの手で握りつぶされるような、えぐられるような、狂おしいほどの痛み。

 

 そんな感情は、もう俺には必要ないはずなのに。

 

 もう、思い出さないと決めたのに。

 

 なぜ今になって、そんな記憶が──。

 

「やめろ……やめてくれ……俺は、俺は……!」

 

 俺は、そんな優しい奴じゃない。

 

 俺は、怪物なんだ。

 

 クレアを殺したこの世界を憎み抜く、それだけの存在なんだ。

 

 感情なんて、記憶なんて、クレアの笑顔なんて。

 

 全部──全部忘れたはずだったのに。

 

「憎い……憎い憎い憎い憎い……!」

 

 自分の頭を殴りつける。壊したい。記憶を全部、粉々にしてしまいたい。

 

 クレアの声が耳に焼きついている。あの日の風が、肌を撫でていく気がする。

 

 アッシュのあの馬鹿みたいな笑顔が、なぜかこちらを憐んでいるように見えた。

 

「ちがう……違う……ちがうんだよ……!」

 

 俺は泣いていた。

 

 怒りに濡れた涙か、痛みに滲んだ涙か、それとも──

 

 もう一度だけ、戻りたかったのかもしれない。あの頃に。

 

 でも、もう戻れない。

 

 戻れないように、俺は魂ごと汚れちまったんだ。

 

 だから。

 

 だから俺は、戦うしかない。

 

 焼き尽くすしかない。

 

 そうしなきゃ、俺が俺であることすら否定されちまう。

 

「憎い……憎い……!」

 

 言葉にならないうめきと共に、俺は洞窟の奥で膝を抱えた。

 

 誰もいない。

 

 紅蓮の盗賊団も、ミレイも、魔王も、アッシュも、クレアも。

 

 誰一人として、俺のこの怒りに、答えてはくれない。

 

 俺の中にあるのは、果てしない炎だけ。

 

 その炎に焼かれながら、俺はただ、明日を待った。

 

 王都を、炎で染め上げるその日を。

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