「マリア。あなたもレナ殿のことが心配で……?」
「うん、そうなの」
晩春のある休日。二人の兄、ミシェイルの部屋に向かう廊下で姉妹はバッタリ会って、お互い同じことを考えていたのだと理解する。
「ちょうどいいわ。二人で兄上の部屋を訪ねましょう」
「うん!」
頷き合い、二人で兄の部屋へと向かう。
「兄さん。ミネルバとマリアです。入ってもいいですか?」
兄の部屋のドアをノックしてミネルバが聞くと、中から『どうぞ』と返事があったのでドアを開けたのだが――
「きゃーーっ♡」
「……」
「どうした? 何か用か?」
今まさにTシャツを着ようとしていた半裸の兄の姿にマリアが黄色い悲鳴を上げ、ミネルバは些か怪訝な顔で口を開いた。
「着替え中ならそう言ってくれれば……」
「お前は兄の半裸に動揺するのか?」
「するわけないでしょう! あなたが“パンイチ”でも動揺なんてしませんよ!」
Tシャツを着終えたミシェイルが同じく怪訝な顔で問い返すとミネルバは怒って答えた。
「…………で? 用件は?」
ミシェイルはソファーに腰を下ろし、身振りで妹二人に向かいのソファーを勧めた。彼女たちはソファーに掛け、早速ミネルバが切り出す。
「用件は、レナ殿のことです」
「ああ……」
二人が自室を訪ねてきたことに合点がいったかのようにミシェイルが頷く。家同士の付き合い上、兄妹とレナはいわゆる幼馴染だった。
「父さんはレナ殿を兄上の結婚相手にと考えています」
「そのようだな」
『お前が学生のうちにパートナーを見つけられなかった場合、儂がお前の結婚相手を決めるからな。のんびりしていたら20代などあっという間に過ぎてしまう故』
この春、社会人になったミシェイルは先日、父から言われた言葉を思い出して内心溜息を吐いた。ミネルバが続ける。
「また他人事のように……ですがレナ殿には恋人がいるのです」
「ほお?」
「ええ。レナ殿の両親が父さんの申し出を断れるわけがありません。そうなれば……レナ殿は兄上との婚約のために恋人と別れさせられることになるでしょう」
「何だ、そんなことを言いにわざわざ来たのか」
心底呆れたように、ミシェイルが言う。
「そいつと別れたくないなら駆け落ちでも何でもすればいい。俺には関係ない」
「兄上!」
興味がなさそうに言う兄にミネルバは声を荒げた。
「それが容易なことではないことはあなたにもおわかりでしょう!」
「………俺にどうしろと?」
ミネルバは一呼吸置いてから口を開いた。
「……レナ殿だけでなく私は兄上にも好いたお相手と結婚してほしいのです。そしてあなたに交際相手がいればこの話は立ち消えとなります。少しは探すなり何なり……」
ミシェイルはその時初めて険しい目で妹を見返した。
「簡単に言ってくれるな。今まで俺が努力しなかったとでも思っているのか?」
「え……努力した、って兄様……」
マリアが驚き目を見張る。
「何度かデートに誘おうとしたが、一度もOKしてもらえなかったんだ」
兄の言葉に姉妹は驚き固まった。
「……兄様、好きな人がいるの……?」
先にフリーズが解けたのはマリアだった。
「ああ。俺だって人並みに恋くらいするさ」
憮然とした様子でミシェイルはソファーに寄り掛かり長い脚を組む。
「誰、ですか? 私たちの知っている人……?」
ミネルバが遅れて放心から回復して聞くと、
「お前は会ったことがないな。マリアは知っている人だ」
とミシェイルは答え、
「わ、私の知っている人……?」
彼の言葉にマリアの目が希望に輝いた。
*
「あーあ、高校生活もあと一年か……」
クリスがクラスの友達と下校していると、その中の一人であるルークが頭の後ろに腕を組み、独り言ちた。
「俺、一度も彼女できたことねえよ」
「まだ一年あるじゃないか」
「そうですよ」
とロディが口を挟みライアンも頷く。四人は公立楠高校の三年生だ。
「クリスも彼女欲しいだろ?」
二人の返しを無視してルークがクリスに話を振る。
「俺、そういうのにあまり興味ないんだ」
「学校から帰ると厳しい武道の稽古で、恋愛する暇もないんですよね?」
と困ったように答えるクリスにライアンが助け舟を出す。
「ああ、そうだ」
クリスは元々あまり恋愛に興味がなかったが、そう言うことにしておいた方が楽だと思い、頷いた。クリスは幼少の頃に武道家の竹田に引き取られた孤児だった。稽古は厳しいものの、愛情深く育ててくれた養父に引き取られたことをクリスは後悔したことなどなかったのだが、
「はあ~~っ……お前も大変だよな。厳格な武道家の爺さんに引き取られてよ」
とルークが盛大に溜息を吐いた。その時、
「クリス!」
女の子の声がして皆が振り返った。
「カタリナ……」
四人とはクラスが違うが、同級生のカタリナだった。
「今、帰り?」
「ああ」
「今日、少しで良いの。孤児院に寄れないかな?」
カタリナが上目遣いでお願いする。竹田に引き取られるまでクリスはカタリナと同じ児童養護施設にいた。彼女とはずっと疎遠だったが、高校に入って偶然再会してからは請われるままに時折、施設のチャリティー活動やボランティア活動を手伝っていた。
「いいけど……」
「よかった! ありがとうクリス」
カタリナは嬉しそうに笑った。
「実は今日、孤児院にマケドニア財閥のお嬢さんが来るの」
「マリアさんが?」
ルークたちと別れ、施設までの道のりをカタリナと歩きながら、クリスが聞き返す。国内有数の大企業であるマケドニア・ホールディングスは以前から施設に寄付してくれており、マリアの父はマケドニアHDのCEOだ。マリア自身も施設の活動を手伝ってくれていたため、クリスも彼女と面識があった。
「ええ。何でもクリスに話があるとかで……来てもらえないか聞いてほしい、と施設長に言われてそれで……」
「俺に話?」
面識があると言っても親しいわけではない。
――なのに何の話があるというのだろう?
クリスは首を傾げた。
それから二人で学校のことなどを話しているうちに施設に着き、二人を見ると施設長が駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、カタリナ。いらっしゃい、クリス。マリアさんがお待ちよ」
そう言って施設庁はすぐにクリスを談話室に案内する。
「クリス……! 久しぶりね、会えて嬉しいわ」
「お久しぶりです、マリアさん。ひと月前のチャリティーバザー以来ですね」
談話室に入ると待っていたマリアが立ち上がってクリスを出迎える。マリアはクリスを長椅子に導き、並んで座ると話し始めた。
「……実はクリス、今日はあなたにお願いがあって……」
「お願い?」
――財閥の令嬢であるマリアさんが一般人の俺に?
クリスはわけがわからなかった。金と人脈のある家柄の人の望みは大抵叶うと思っていたからだ。
「クリス……あなたに兄様の友達になってほしいの」
とマリアは両手を組み合わせて言った。兄がクリスに何度もデートの誘いを断られているというのを聞いていたマリアは、まずは二人を友人から始めさせるつもりだった。実際に会って二人で時間を過ごせば彼の中で恋人になるという選択肢も生まれるかもしれない。
「……………へ? 友達? ミシェイルさんの?」
だがクリスはマリアの言葉にかなり混乱していた。兄であるミシェイルのことはもちろん知っている。彼と初めて会ったのは三か月ほど前、施設のチャリティーコンサートにゲストとして顔を出したのが最初だった。仕事の合間に来たのか、その時の彼の高そうな黒のスーツが印象に残っている。それからは彼も妹とともに施設の活動を手伝うようになり、何度か話したことがある。が、それだけだった。
――そもそも、友達というのは『なって』といってなるものだろうか?
違和感はあったものの、とりあえずそこのところはひとまず脇に置いた。
「……えっ……とマリアさん、俺がお兄さんの友達、って無理があると思うんだけど……」
――片や財閥の御曹司、片やごく平凡な男子高校生では……
「そうだ! た、例えば、さ。グルニアのカミュさん、とかは? スペック的にも釣り合いが取れてると思うし、お兄さん、親しいんじゃないの?」
カミュというのはアカネイアの大企業であるグルニアHDで代々要職を勤めている名門の出で、今のグルニアの繁栄も彼の手腕に依るところが大きいと専らの噂である。そんな彼は少し前にミシェイルと組み、二社のコンツェルンを実現していた。新聞にも載っていたことだから間違いない。二人でコンツェルンを実現するほどなのだから、余程の信頼関係にあると思ってのクリスの発言だったが、
「ビジネスパートナーと友達は違うわよ!」
マリアがムキになって言い、クリスは彼女の剣幕に怯んでハハ、と笑った。
「………それもそっか。……わかったよ、マリアさん。俺でよければお兄さんの友達? になるよ」
結局のところ、施設のパトロンからの(奇妙ではあるが)お願いだった。
「本当に!? ああ、ありがとう、クリス!」
マリアの頼みを引き受けたクリスだったが、彼女が笑顔で両手をぎゅっと握ったところで一抹の不安を覚える。
「ええと。でもお兄さんが何て言うか……」
――ミシェイルさん自身が難色を示すかもしれない。
「全っ然、大丈夫よ。だって兄様自身があなたと友達(ゆくゆくは恋人)になりたがっているんだもの」
クリスの戸惑いにマリアは自信満々に胸に拳を当てて言った。
「そ、そうなの?」
――ちょっと想像つかないな。
クリスはぎぎこちなく微笑った。
「マリア。迎えに来たぞ」
そのとき、談話室の入り口から声が聞こえ、二人はそちらを見た。声の主はマリアの兄、ミシェイルその人だった。今話題にしていた本人の登場にクリスは内心焦るが、
「兄様!」
と笑顔で兄の方へ駆け寄って行くマリアの後に躊躇いながらもついていく。
「兄様、やったわ、成功よ! クリスが兄様の友達になってくれるって!」
「……」
ミシェイルは信じられない、といった顔でクリスを見た。
「本当に?」
「ええ。俺で良ければ」
「クリス……」
ミシェイルが嬉しそうに微笑む。彼の笑顔を初めて見たクリスはドギマギしてしまい、
「はは……まあ。これからよろしくお願いします……?」
図らずも顔が熱くなってくる。ミシェイルはそれを見て更に笑みを深くし、スマホを取り出すとクリスと連絡先を交換してマリアと共に帰って行った。
「クリス……マリアさん、何の話だったの……?」
ミシェイルとマリアが行ってしまってからカタリナが不安そうに聞いた。
「え? いや別に……大したことじゃないよ。何か、ミシェイルさんと友達になってくれって頼まれたんだ」
「友達……って……」
カタリナが腑に落ちない顔をする。
「それだけ? 他に何か言われなかった?」
「? ああ、それだけだ」
「……」
――彼が孤児院の活動を手伝い始めたのはクリスと出会ってから……彼のクリスを見る目と、それから……
とカタリナが記憶を辿る。
――会う度にデートに誘っていたようだけど、その度にクリスは用があると言って(本当に用があったのかもだけど)上手く断っていた……
カタリナはミシェイルがクリスを好きなのではないかと前々から疑っていた。そもそも、国内有数の大企業のCEOの御司が児童養護施設の活動を(時折ゲストとして顔を出すのではなく)毎回フルに手伝うこと自体、違和感があった。
「クリス、あなた、ミシェイルさんのこと好き?」
だから、聞いてみた。もしもクリスが何か勘違いをしていたとしても、彼に好意があるなら問題はなかった。だが勘違いしていた挙句に何とも思っていなかったとしたら……?
――彼を傷つけたら最悪、寄付を止められてしまうかもしれない。
「へ? ……まあ、嫌いじゃないよ。いつも孤児院に寄付してくれる会社の人だし」
「そうじゃなくて……」
「よしなよ、カタリナ」
突然別の声が割って入って二人が声のした方を振り向くと、三つ年上の幼馴染がドア枠に凭れかかり二人を見ていた。彼女はクライネ。奨学金をもらいながら、施設から大学に通っている。
「このニブチンには何を言ったって無駄さ。コイツももう十七なんだし自分のケツくらい自分で拭けるだろ」
「クライネったら、そんな下品な言葉……」
「はいはい。じゃ、バイトがあるからあたしはもう行くよ」
クライネは片手をヒラヒラさせると行ってしまった。