サッカー観戦から数日後。ミシェイルは仕事の合間にコーヒーショップ“ペガサス”を訪れた。
「まあ、いらっしゃい」
「やあ」
パオラに挨拶を返し、カウンター席に座ってコーヒーを注文する。昼食時をとっくに過ぎているためか、客はまばらだった。妹たちも学校に行っていていない。
「何か相談したいことでも?」
「……よくわかったな」
「ふふ、これでも接客業を仕事にしていますから」
「実は……」
とミシェイルはパオラに先日クリスとサッカー観戦に行ったこと、チケットと車のお礼に彼の家に招かれていることを話した。
「メッセージではもともとがお礼のつもりなので手ぶらで来てくれ、とあったんだがそうもいかないと思ってな。何か……そんなに向こうも気兼ねしないもので且つ年配の人も喜びそうな手土産を知らないか?」
「それならピッタリのものがありますよ」
パオラはうふふと微笑った。
「ここか。“秘密の店” ……変な名前の店だな」
ミシェイルがパオラに教えてもらった和菓子屋を見上げて呟く。同じ商店街にある老舗で店主とも知り合いなのだという。ミシェイルが店に入ると、ショーケースの向こうで赤茶色の髪を側頭部の高い位置で結った若い女性が出迎えた。
「いらっしゃーい!」
「パオラに聞いて来た」
「パオラさんに? 私はアンナと言って彼女とは商工会の仲間です。何をお求めですか?」
「何て言ったか……羊羹を一口サイズに切って乾燥させたものだそうだが……」
「ああ。当店名物の羊羹を乾燥させた菓子ですね。プレゼント用ですか、ご自宅用ですか?」
「プレゼント用だ」
「ではこちらでよろしいですか?」
アンナが贈答用の箱詰め見本を取り出して見せる。
「では、それで」
「ありがとうございまーす」
ミシェイルは会計を済ませてアンナから羊羹を受け取り店を出た……そのとき、よく見知った顔を見かける。
「ミネルバ!」
「兄上? どうしてここに?」
「買い物をしていただけだ。お前は?」
「パオラを訪ねようとしていたところです。兄上も一緒に行きますか?」
「いや、さっき訪ねた。これから会社に戻る。では、な」
偶然会った兄妹だったが、そこで別れた。
「あら! さっきまでお兄さんが来ていたんですよ」
ミネルバがコーヒーショップ“ペガサス”を訪ねるとパオラが言った。ミネルバは笑って、
「知っています。そこで会いました」
と言い、カウンター席に座るとコーヒーを注文する。
「大学の方はどうですか?」
「充実しています」
ミネルバはパオラの問いに答えた後、微かに憂いを含んだ顔をした。
「……パオラ。あなたが進学しなかったことを未だに残念に思うわ」
「それは……」
「ごめんなさい。言っても仕方がないわね。あなたにはあなたの事情があるというのに……」
高校生の時から、二人は秘密の恋人同士だった。だが同じ高校というわけではない。なぜ境遇の違う二人が恋人になったのかというと。パオラの母は以前、ミネルバのベビーシッター、後に家政婦をしており、幼いパオラを連れて来ることがあった。コーヒーショップを開店する際に家政婦を辞めてからは繋がりもなくなったものの、二人が高校に入って間もない頃、偶然再会したのである。恋人になったのがいつだったか……もはや記憶もあやふやで思い出せなかったが、二人にとってはどうでもいいことだった。
――今はこうして時折会いに来ることしかできないけれど……
ミネルバは思う。大学を卒業して父上の会社で誰(特に父)にも何も言われないくらい功績を上げたら、その時はパオラとのことを周囲に認めてもらうつもりだった。
「そう言えばお兄さん、この前はお友達を連れてきて」
パオラは自分たちのことから話を逸らすためにミシェイルの話題を振った。
「友達?」
友達から付き合い始めることになったという片思いの相手だろうかとミネルバは思う。二人の経緯は当然、マリアから聞いていた。
「クリスという名前の高校生で」
「クリス? 彼と来たのですか?」
やはり、とミネルバは思った。
「ええ。今度彼の家に遊びに行くから手土産は何がいいか、ってさっきはその相談にいらしたんですよ」
「家に?」
ミネルバが意外な顔をする。
――兄上、思ったより順調なのですね。
「? 友達の家に遊びに行くのは普通のことでは?」
ミネルバの反応にパオラが不思議そうに首を傾げるが。
「実は……クリスは兄上といずれ恋人になるという前提で、まずは友達として付き合い始めたのです」
「えっ!?」
今度はパオラが驚く番だった。
「それなら……カチュアにクリスさんにはもう交際相手(になる予定の人)がいることを言わなくては……本気になる前に」
と憂鬱そうな溜息とともに呟く。
「……カチュアならこれから素敵な相手が幾らでも見つかるわ」
「そうだといいんですけど……」
パオラは再び小さく溜息を吐いた。
*
そして約束の日曜日。クリスはセラ駅までミシェイルを迎えに行った。早めに行ったものの、やはり彼は既に来ていた。住宅街なので昼時の今はほとんど人気がない。
「ミシェイルさん!」
「やあ、クリス」
ミシェイルが嬉しそうに微笑む。初めて出掛けた時のようなボタンダウンシャツにスラックス姿で片手に紙袋を提げている。
「じいちゃんと俺で色々作りました。お口に合うといいんですが……」
「メッセージでも伝えた通り、特に好き嫌いもアレルギーもないから大丈夫だ」
並んで歩きながら、他愛ない話をしつつ歩いて数分。二人はクリスの家に到着した。普通サイズの家の横に平屋の建物がある。
「左が自宅で右の平屋が道場です。そこの空きスペースはじいちゃんの武道教室に通う人たちの自転車置き場になっています」
クリスの説明にミシェイルが目を遣ると、道場の引き戸の脇に掛かっている“セラ武道教室”と書かれた表札は文字が随分と薄くなっていた。
「さあ、中へどうぞ」
「お邪魔します」
クリスが玄関のドアを開け、ミシェイルを家の中へと導く。クリスが玄関で来客を告げると養父のマクリルが奥から姿を現した。
「やあ、いらっしゃい。儂はクリスの養父で、マクリルと言い……」
自己紹介をする途中でマクリルはミシェイルを見て驚き固まってしまった。
「初めまして、ミシェイルと申します」
「彼が友達……?」
「うん、ミシェイルさん」
「……本当に友達なのか?」
「? そうだよ」
「……クリス、お前、本当にこの人と孤児院で知り合ったのか?」
――まさか“マッチングアプリ”で……
マクリルが急に心配になる。マッチングアプリならば、簡単なプロフィールと顔写真だけで出会えることを知っていたからだ。
「うん」
だがクリスはただ養父の問いに頷き、彼がなぜミシェイルを友達だと信じ難い様子なのか不思議に思った。
「まあ、立ち話も何ですから中へどうぞ」
マクリルは懃懃な所作でミシェイルを家の奥へと案内した。リビングに来るとミシェイルはマクリルに手土産の和菓子を差し出した。
「つまらないものですが……」
「おお。お礼をするためにお招きしたというのに、このようなお気遣い……」
マクリルが恐縮して受け取り、ミシェイルに食卓に着いてもらうと、クリスと二人で昼食の準備に取り掛かった。ソフト食パンを軽くトーストし、野菜スープを温め直している間に、ささみのフライとレタスが載った皿を中央に、ポテトサラダ、苺ジャムの入った小さなボウル、梅ジュースをそれぞれのランチョンマットに置く。最後にトーストしたパンと野菜スープですべての配膳を終えて父子も席に着き、皆で食べ始める。
「このジャム、苺をレンチンして作ったんです」
とか、
「この梅ジュースの梅は裏庭にある梅の木から収穫したものなんじゃ」
とか、
「このフライは肉用スパイスで味付けしました」
とか、
「このポテサラには隠し味にお酢を少しばかり入れてあるのじゃ」
などと、食べている最中、クリスとマクリルは食卓の上にある料理を逐一説明する。ミシェイルは二人が何故そんなに嬉しそうな顔で話すのかわからなかったが、微笑みながら都度、頷き返した。
「どれもとても美味しいです。薄味で食べやすくヘルシーですね」
ミシェイルがすべての料理を口に運んでから感想を言うと、二人はより一層笑顔になった。実際、普段家政婦が作る物よりも美味しいとミシェイルは思った。
時々雑談を交えながら和やかな雰囲気で会食は進み、料理を粗方食べ終える頃、クリスは一度席を立って冷蔵庫からボウルを取り出し、中身を取り分け用スプーンでガラスの深皿に盛り、盆に載せて戻って来た。
「デザートのフルーツポンチです」
「これは儂とクリスが協力して作ったんじゃ」
クリスがデザートを配るとマクリルが満足げに言った。
――そう言えばホテルのバイキングや会食で出たことがあったな。
ミシェイルは思い出したが、それが特に印象に残っているわけではなかった。それなのにクリスが家族と作ったものだと思うと、目の前のフルーツポンチがより鮮やかに輝いて見える。
「これは……果物が瑞々しくて美味しいです」
ミシェイルはスプーンで掬って一口食べてみて、その冷たさとフルーツそのものの甘さに感心する。二人はニコニコしながらミシェイルが食べるのを見ていたが、自分たちもスプーンを持ち、食べ始めた。
「せっかくじゃ。ミシェイルさんが持って来てくれたものも今、皆で食べぬか?」
食べ終えるとマクリルが言い、
「え? いや、ですがあれは差し上げたもの……」
「そうだね、じいちゃん」
ミシェイルの言葉を遮ってクリスも賛同した。
空になった食器を片付け、テーブルにスペースを作るとミシェイルの持って来た手土産を置き、二箱のうち一箱を開ける。
「羊羹?」
「ああ」
「一口サイズに切れているのか。これは食べやすそうじゃわい」
中身を見てマクリルの顔がほころび、ミシェイルは手土産のチョイスが間違ってなかったと感じ、ほっとした。
「九個入りだから三つずつだね」
クリスは小皿とフォークを持って来て、中に入っていた楊枝で取り出し分けた。その間にマクリルは氷を入れたグラスにパックコーヒー(スーパーで売っている中で一番高い!)を注ぎ持って来た。そして皆でいただく。
「あっ、表面はシャリシャリしているのに中はちゃんと羊羹だ」
「和菓子なのに洋風でコーヒーに合うのう。甘すぎないのもよいわい」
二人が感想を言い合う中、ミシェイルも同じことを思いながら食していた。そして……
「ところで……ミシェイルさん、あなたは社会人でしかもクリスとは住む世界が違うように見えるのじゃが……なぜ友達に?」
羊羹を食べ終わり、寛いでコーヒーを啜りながら、マクリルが尋ねた。ミシェイルは上流階級の人間に見え(実際そうである)、はっきり言って不自然で不釣り合いで到底彼らが友達だとは信じられなかったからだが。
「彼が、好きだからです」
マクリルは彼がそう簡潔に答えた時の真剣な眼差しですべてを悟った。
――ああ。そうじゃったか。じゃが……年齢差や立場を乗り越えていくにはお互いに気持ちがなくては難しいじゃろう。
「クリス、お前はミシェイルさんをどう思っておる?」
「へ? ああ、じいちゃん、俺もミシェイルさんのこと(友達として)好きだよ」
「「!!」」
二人が驚いてクリスを見る。
「この前一緒にサッカー観戦に行った時も、何かさ、別れた後、寂しいように感じたし……」
後頭部に手を遣りクリスがへへ、と笑う(彼は自分がどれだけのことを言っているのかわかっていない)。
「「……」」
クリスの爆弾発言に二人とも二の句が告げなかったが、漸く我に返ると、
「……そうか。お前がそう思っているなら儂からは何も言うことはないな」
マクリルは重々しく頷いた。