――ゆりかご内部、玉座の間。
「ヴィヴィオ……!!」
桜色の魔力を激しく揺らめかせ、高町なのはが玉座の間へと飛び込んでくる。その肩には、小さなフェレットの姿をしたユーノがしがみついていた。
だが、聖王の器として強制的に成長させられ玉座に拘束されているヴィヴィオと、その前に立ち塞がる黒い魔導師の姿を捕らえた瞬間、なのはとユーノの表情は凍りついた。
「あ……なのはママ……! なのはママぁっ……!!」
涙を零し、助けを求めるヴィヴィオの声。
だが、ヴィヴィオの声に駆け寄ろうとしたなのはの足は、一歩たりとも前へと進まなかった。
進むことを許さない絶対的な『圧』が、空間そのものを支配していた。氷のように冴え渡り、ただ平然となのはを見据える赤い瞳。
「……アンタとは『はじめまして』ね、高町なのは」
もしもフェイルの記憶や人格が変わっていないとしたなら、絶対に出てこない言葉。
その一言だけで、彼女が記憶の封印処置か何かをされていることは察せられた。肩の上のユーノもまた、息を呑んだまま固まっている。
「フェイル……さん……?」
フェイルは絶対零度の冷徹な瞳のまま、懐から取り出した何かの破片を無造作に床へ投げ捨てた。
バラバラと床に散らばったそれらの破片の正体を理解した瞬間、なのはの息が止まる。
レヴァンティン、グラーフアイゼン、クロスミラージュ、リボルバーナックル――…
自分と共に修羅場を潜り抜けてきた仲間たちの「証」が、転がっていた。自分以外の仲間が、デバイスごと完膚なまでに叩き伏せられたという動かぬ証拠。言葉を失い、絶望的な光景に目を奪われるなのはへ向けて、フェイルはさらに追い打ちをかけるように淡々と言葉を紡ぐ。
「いつだったか、アンタが特集されてる管理局のインタビュー記事を読んだんだけど……面白いことを言っていたわね。『仲間との絆があるから、私は何度でも立ち上がれる』……だっけ?」
フェイルの口から発せられる「絆」という言葉には、温かみも敬意も微塵も含まれていなかった。
ただ冷ややかに、言葉の定義を確かめるような無機質さ。
「地上部隊……地上にいるアンタのお仲間のエース連中は全て倒した。アンタが最後の一人よ。この一人だけの状況でも、その『絆』とやらがアンタに力を与えてくれるって言うなら……私を倒して証明してみせなさい」
押し寄せ尽くす絶対的な死線。
呼吸することすら忘れるほどの重圧の中、なのはは唇を噛み締め、肩の上のユーノに視線を向けずに短く言葉を紡いだ。
「ユーノくん、下がってて……」
「なのは……!」
「お願い……!ヴィヴィオの側についててあげて」
「……分かった。気をつけて……!」
ユーノとなのはは一瞬だけ視線を交わすと、ユーノは肩から跳び降り、拘束されているヴィヴィオの元へと走った。
静まり返る圧倒的な沈黙の中、広い玉座の間に、二人の魔導師の視線が交錯する。
「……さしずめ聖王陛下の前での御前試合ってところかしら?」
高町なのはが手中に握り締めるレイジングハートから、桜色の魔力が絞り出されるように溢れ出す。
だが、眼前に立つ黒の魔導師から放たれる気配は、まるで光すら呑み込む暗黒の深淵そのものだった。
「……行くよ、レイジングハート!ブラスターシステム、リミット3!リリース!!」
《All right. Drive ignition. 》
後先など考えていられるような相手ではない。
本来ならデバイスと身体に甚大な負担をかける「最後の切り札」だが、なのはは最初からブラスターモードを解放していた。
瞬間、なのはの背後に4基のブラスタービットが展開され、桜色の光弾が嵐となって乱れ飛ぶ。
「アクセル、シューター!!」
間合いを詰めさせないための、牽制と曲導射撃の網。
圧倒的な速度と神域の接近戦の技量を持つフェイルに対し、なのはが選んだのは徹底した『引き撃ち』だった。
(近づかせちゃダメだ……! あの人の間合いに入られたら、一瞬で終わる……!)
フェイルの持つ薙刀『マウナ』の間合い、そして彼女が踏み込む「絶対の領域」。
そこに一歩でも踏み込まれれば、装甲も障壁も意味をなさない。だからこそ、なのはは間合いを死守し、遠距離からの削りに徹する戦術をとっていた。しかし――
――ザシュッ、と。
四基あるビットのうちの一基が、あっけなく両断された。
もしも、ここが障害物の何もない開けた空の上ならば、なのはにも見込みはあったかもしれない。
だが、いくら広いと言っても、玉座の間という逃げ場のない閉鎖空間が戦場であったことが、なのはには残酷なほど不利に働いていた。
「この玉座の間の中でなら、どこだろうと攻撃範囲よ」
「くっ……!」
放たれたアクセルシューターの誘導弾幕がフェイルを追う。
だが、フェイルは迫る桜色の光弾にも全く怯まない。フェイルの体躯が物理的な加速の溜めすらなく跳弾した。空間を滑るような神速。玉座の間の壁と天井を自在に踏み台にし、全方位から迫る黒い影。漆黒の薙刀『マウナ』を一振――ただ一閃するだけで、高密度の魔力弾が爆発を起こすことすら許されず、綺麗に切断されて消散していく。そのまま交差した一瞬、二基目、三基目のブラスタービットが次々と甲高い破砕音を立てて粉砕された。
「ビットが……一瞬で……ッ!?」
すり抜けざま、フェイルが放った不可視の衝撃波がなのはの側面を掠める。
ドガァンッ! と激しい衝撃が走り、なのはの肩口のバリアジャケットが弾け飛んだ。同時に、握り締められたレイジングハートの先端フレームに深い亀裂が走り、小さな火花が散る。
《Warning. Frame damage detected. 》
(まだ……ッ! まだ全弾撃ち落とされたわけじゃない……!)
最後の一基となったビットを守るように、なのははレイジングハートを構え直し、至近距離から砲撃魔法を――
「ディバイン、バ……ッ!?」
撃とうとしたその出先に、顔面に掌底突きが打ち込まれていた。
顔面に叩き込まれた容赦のない衝撃。視界が激しく揺れ、叫びすら喉に詰まる。
「『溜め』が大き過ぎよ。教導官さん?」
冷ややかに囁くフェイルの声と同時に、最後の一基となったブラスタービットが前触れもなく縦真っ二つに叩き斬られ、爆散した。なのはが体勢を立て直す隙すら与えられない。フェイルの手首が一旋し、返した『マウナ』の石突が、なのはの腹部を容赦なく深々と穿つ。
「カハッ……っ!?」
肺の空気をすべて吐き出させられるような絶大な打撃。
重力に抗う術を奪われたなのはの身体は、まるで投げ捨てられた人形のように玉座の間の石床へと叩きつけられ、何度も跳ねて激しく転がった。
痛みに全身の細胞が悲鳴を上げ、視界が赤く染まっていく。喉の奥から押し寄せる鉄の味を吐き捨て、なのはは力が入らない腕で必死に床を擦った。
「ハァ……っ! ハァ……っ!」
血の混じった息を吐き出しながら、なのはは必死に体を起こす。
だが、フェイルは追撃すらしてこない。壊れた玩具を見るような冷徹な眼差しで、ただ見下ろしているだけだ。
「粘った所で誰も増援は来ないわよ。アンタらの言う絆なんて、一人で戦う時には何の力にもならない。……いい加減に諦めたら?」
「……まだ……だよ……!」
なのはは膝の震えを力ずくで抑え込み、眼前に立ちはだかる壁を睨みつけた。
「まだ……絶対に諦めない……!」
「フン、諦めの悪さは相変わらずね。あの時の模擬戦も――……?」
言葉の途中で、フェイルの動きがピタリと止まった。
その赤い瞳に、かすかな揺らぎが走る。
「あの時の模擬戦?……なんだ、それは……?」
記憶を封じられ、認識を書き換えられたはずの精神の檻。その隙間を突いて一瞬だけ奔った正体不明のフラッシュバック。
意識の深層、封印されていたはずの記憶の澱から、ノイズのような情景がチラつき、紛れ込んでくる。10年前の『PT事件』の時に、なのはから挑まれた模擬戦の記憶――
その時だった。
フェイルの動作に僅かな停滞が生じたその瞬間を、なのはは見逃さなかった。
絶望的な戦況から繰り出された桜色の縛鎖――チェーンバインドが、フェイルの身体へと巻き付く。
(捕まえた……!? ううん……まさか、わざと……!?)
確かにバインドで拘束した。
しかし、フェイルは全く慌てた様子もなく、ただ冷淡に高町なのはを見下ろしていた。
拘束を受け入れたまま、なのはの瞳を真っ直ぐに見据えてフェイルは告げる。
「……高町なのは、スターライト・ブレイカーを撃って来なさい」
「……え……!?」
思いもよらぬ言葉に、なのはは息を呑み、目を見開く。
「本来なら、あんな隙だらけの欠陥技を出させる私じゃない……が、今回は特別に撃たせてあげる。すべての力を尽くしなさい。アンタのすべてを切り裂いて私が勝つ」
脳裏に過ぎった一瞬のノイズ――それが何なのかを思索する無駄すら、フェイルは切り捨てた。
目の前の「高町なのは」という存在を完全な敗北によって打ち砕く。それによって過去の断片など微塵も残さず上書きすることこそが、フェイルの選んだ絶対的な回答だった。
「……どうしたの?普通ならバインドで捕まえることも難しい相手をバインドで拘束してる。絶好のチャンスじゃない。アンタのスターライト・ブレイカーは、チャージに時間がかかる以上、ここを逃したら撃つチャンスはもう無いわよ?」
フェイルの言っていることは正解の一つではあった。
実際、今のままの戦いを続けても勝ち目は皆無であり、最後の大技に賭けるというのも間違っているわけではない。
なのはは唇を強く噛み締め、レイジングハートを強く握り直す。
「……集え、星の輝き!」
残されたカートリッジが次々と排気され、空間に満ちる周囲の魔力までをも猛烈な勢いで吸い上げていく。
玉座の間を満たす、圧倒的なまでの桜色の光の濁流。間違いなく、次元世界における個人の魔導師として到達し得る最高峰の集束魔法。
だが、集積していく破壊の光を前にしても、フェイルの眼差しは凍てついたように冷ややかだった。
「……普通の人間が自力で絞り出せる魔力としては、あるいは次元世界で一番かもね。でも……そうやって魔力をかき集める『足し算』で私に勝てると思う時点で、アンタは私の技の本質を何一つ理解していない」
その声は静かだったが、そこに宿る絶対の自負に、なのはの背筋を冷たい悪寒が走り抜けた。
「私の一閃が光として知覚されるから、光の強さの勝負だと思ってるみたいだけど……とんだ勘違いよ」
その瞬間、玉座の間に満ちていた魔力の気配が、すっと消えた。
いや、消えたのではない。圧倒的なまでに深化し、静まり返ったのだ。
「暗闇の静寂が深まるほど、光とのコントラストと鋭さが強くなる。私の一閃は技を放つ前の『静寂の深さ』こそが本質であって、発動の瞬間の光の強さは本質じゃない。それを分かってないアンタじゃ絶対勝てない」
「……っ!」
なのはの額を冷や汗が伝う。
圧倒的な質量をもって相手を叩き潰す自身の『砲撃』とは根本から異なる、次元の違う武術の理。
だが、なのはもまた、これまで数々の死線を潜り抜けてきた空戦魔導師としての誇りを捨てたわけではない。
「……私の全力は、そんなに甘くはない……! 魔力量なら……私だって……!」
「魔力量ならアンタの勝ち? 馬鹿を言うんじゃない」
フェイルは小さく鼻で笑い、淡々と告げた。
「私の内にあるものを、少しだけアンタに『分かるよう』に見せてあげましょうか」
次の瞬間――
「――ッ!?」
なのはの全身が総毛だった。
それは、直接フェイルと対峙しているなのはだけにとどまらない。離れた場所で固唾をのんで戦いを見守っていたユーノとヴィヴィオの身体をも、等しく氷の恐怖が突き抜けた。
「ひっ……あ、ああ……っ」
圧倒的な存在感に圧し潰され、ヴィヴィオは息を吸うことすら忘れ、がたがたと身体を震わせる。
大好きな「なのはママ」が、戦っている敵が纏う理外の気配。幼いヴィヴィオにとって、それは言葉通りの世界の終わりを予感させる恐怖だった。世界が歪むほどの魔力圧。だがそれは、荒々しい爆発のようなものではない。どこまでも深く、どこまでも広い、底なしの「宇宙」そのものがそこにあるかのような異次元の魔力量。
「どこからこんな力が生まれてくるか……? 宇宙の理と融合し、深いところで宇宙と繋がる……古い武術家がよく言う言葉よね。私にも昔はさっぱり分からなかった境地だけど……自分の気配を無にする鍛錬の末に辿り着いた」
己という存在を消し去り、ただ、宇宙の一部となる。
気配を殺し、感情を殺し、他者との繋がりを絶ち、孤独の静寂を極限まで研ぎ澄ませた果て――今のフェイルにとって、魔力は「個人の所有物」ではなく、「無限の宇宙から引き出されるもの」へと昇華していた。
「試してみるといい。たとえ、アンタがすべての星の光を集めても、私の宇宙の広がりと静寂の深さには届かない」
まさに決定的な言葉だった。
個の限界を補うために仲間と手を取り合い、絆を紡いできた自分たちの生き方。
だが、目の前の魔導師は違った。他者との交わりを断ち切り、孤独の中で極限まで己を削ぎ落とした末に、たった一人で「無限の宇宙」へと至った存在。そこには惨めさも、哀れみが入る隙すら存在しない。ただ毅然として立ち聳える、絶対の完成形がそこにあった。
(こ、これが、そうか…!彼女がいつか辿り着くと言っていた場所…!まさか、こんなに……!)
ずっとフェイルの軌跡を追ってきたユーノでさえ予想だにしなかった高み。
ユーノですらそうなのだから、なのはにしてみれば、想像の余地すら与えられない絶対的な絶望だった。
(……届かない)
なのはの膝が、小さく震えた。
愕然とする思考の中で、冷たい絶望が胸を締め付ける。
そして、フェイルの脳裏に封印された記憶の断片がチラついたのと呼応するように、なのはの脳裏にもまた、10年前の『PT事件』の時の記憶が鮮烈に蘇っていた。
『私の孤独を弱さだとか、可哀想だとか言ったヤツを私は一生許さない』
10年前にPT事件での最後の別れ際に言われた言葉を思い出すなのは。
あの時、なぜフェイルが瞳に氷のような怒りを宿し、『一生許さない』と告げたのか。
その言葉の重みがあれから10年の歳月を経て、今この瞬間に痛いほどの暴力となってなのはの胸を打ち据えていた。
(この人にとっては、孤独は欠陥でも弱さでも何でもない……! 私たちが絆を頼りにしているように、この人は孤独を誇りと力に変えている……。私が絶対だと思っていた絆は、この人にとってはただの『別解』に過ぎないんだ……!)
自分の信じてきた正義や、救いという名の傲慢さが、音を立てて崩れ去っていく。
フェイルが選び取った孤独という生き方――それは決して弱さや欠陥などではなく、この世界で最も苛烈で最強の技を放つための、純粋な燃料だった。孤独に耐えて一人で立ち続けてきた人間の誇りも、その先に掴み取った境地の高さも理解せず、ただ自分の価値観だけで「可哀想」だと哀れみ、手を差し伸べようとした。
(あのとき、この人が怒ったのは、当然だった……)
自分の差し出した手は、救いなどではなく、彼女が積み上げてきた生き様そのものを否定する屈辱でしかなかったのだ。
あれ以来、謝罪の言葉を伝えることすらできないまま、10年が過ぎてしまった。そして、今さら謝ろうとしても、記憶を封じられ「はじめまして」と告げてきた今のフェイルには、過去の言葉など何ひとつ届きはしない。後悔も、謝罪も、もはや何ひとつ意味をなさない。言葉が届かないのだとすれば、今のなのはにできることは、たった一つしかなかった。
(……逃げちゃ、ダメだ)
ここで怯み、諦めて背を向けることこそが、この果てしない高みに辿り着いた孤高の魔導師に対する最大の冒涜になる。
負けるかもしれない。それどころか、ここで命を落とすかもしれない。けれど、己の全存在と全力をぶつけることだけが、今のフェイルに応えることのできる唯一の方法だった。
「……諦めて逃げるなら、無理には追わないでもなかったけど……逃げないのね?」
「……うん、逃げるわけにはいかないの」
今さらフェイルの孤独が間違っていると言うつもりは毛頭ない。
だが、フェイルの到達した境地がどれほど絶望的に高くても、自分たちが選び取って来た絆という生き方をも、また命を懸けるに値する本物なのだということを、己の全存在をもって示さなければならない。そのためには、たとえ、届かないことが分かっていても挑む姿勢を見せるしかない。
「……認めるわ。明らかにアンタよりも強い私に立ち向かえるその強さと勇気はね」
「……!」
「自分よりも強い者に立ち向かう強さ……今の私には持っていることを証明できない強さを、今、アンタは見せている」
たとえ敵であろうと、己の眼前に立つ者の強さを正当に評価し、公平に敬意を払う。
その毅然とした態度に、かつての自分がどれほど未熟だったかを思い知り、さらに胸を締め付けられる。
「どうせなら、このバインドも解きなさい。私が本気ならこのバインドも一瞬で引きちぎることが出来ることは分かってるでしょう。今さら避けたり、攻撃の出先を潰したりするような無粋なマネはしないわ。バインドに回してた魔力もすべて乗せて――アンタの全てを乗せて撃って来なさい。アンタの全てを砲撃ごと叩き斬る」
なのはは、唇を強く噛み締めた。
足の震えを力任せに押さえつけ、彼女はフェイルの誘いに応え、バインドも解除する。
バインドへ回していた魔力さえも、スターライトブレイカーへとつぎ込み、ただ、最大の一撃を放つことだけに集中する。
「いけるね、レイジングハート…!」
《All right. As your heart desires.(はい、貴女の心の望むままに)》
覚悟を決めてもなお、客観的な事実は残酷なまでに頭を支配していた。
今から放つ自分の全力の一撃は、きっと目の前の魔導師の孤独の静寂には届かない。切り伏せられ、敗れ去る未来しか見えない。
(だけど……それでも……!)
これは勝つための攻撃ではない。
一人の人間が極限まで己を研ぎ澄まし、たった一人で辿り着いた果てしない境地。
そこに辿り着いた史上最強の魔導師に対して、高町なのはという一人の魔導師が示すことのできる――最初で最後、そして最大の敬意としての全力全開。
「これが――っ!!」
レイジングハートから溢れ出る桜色の光が、玉座の間全体を埋め尽くすほどの奔流となって渦を巻く。
集められた星の光、自身の持つ魔力、積み重ねてきた空戦の歴史、共に歩んできた仲間たちの顔、その全てを一つの一撃に込める。
「私の……全力全開――――ッ!!!!」
絶叫とともに放たれた、集束砲撃。
空間すらも歪ませる純粋な魔力の濁流――『スターライトブレイカー』が、フェイルに向かって一直線に突き進む。
しかし、渦巻く桜色の光の真ん前で、フェイルは眉ひとつ動かさなかった。
――すっ、と。
漆黒の薙刀――マウナが、わずかに揺れた。
拍子も、予備動作も、気配すらもない。光の奔流がフェイルの体を呑み込む直前、世界から全ての音が消え去った。
―――瞬間、黒い光が通り抜けた。
ただ広大な宇宙の静寂だけがそこに在り、漆黒の刃が描いた一本の軌跡。
光の奔流の中心を、刃が何の手応えもなく通過する。光と熱の暴風であるはずのスターライトブレイカーが、まるで最初から存在しなかったかのように、縦一文字に綺麗に「二つに両断」された。
「――ッ!!!」
両断された光の残条の中を、漆黒の影がすり抜ける。
全身を襲う衝撃。レイジングハートが砕け、桜色の光が弾け飛ぶとともに、なのはの身体が大きく宙を舞った。
「がっ……あ……っ!?」
壁へと激しく激突し、床へと崩れ落ちるなのは。
砕けたレイジングハートがその手から滑り落ち、乾いた音を立てて転がる。
そのまま意識を失い、冷たい床の上に突伏したなのはの身体から、桜色の魔力の余光が儚く霧散していく。完全なる敗北だった。
「なのはママ……! なのはママ――っ!!」
互いの最大技の衝突が引き起こした余波により、ヴィヴィオを縛っていた拘束も完全に崩壊していた。
自由になったヴィヴィオは、涙で視界を濡らしながら、冷たい床に横たわるなのはへと必死に駆け寄る。
「なのはママ、起きて……! お願い、起きてぇっ……!!」
必死にその名を呼び、傷ついたなのはの身体を抱きしめる少女の叫びが、静まり返った玉座の間に虚しく響き渡る。
その光景を、フェイルは冷ややかに見下ろしていた。手に握られた漆黒の薙刀――『マウナ』の刀身には、先ほどの極大砲撃を叩き斬った熱量すら残っていない。
(……勝つべくして勝った。それだけのことよ)
勝利したはずのフェイルは佇んだまま、冷たい眼差しで足元に転がるデバイスの破片を見つめていた。
これまでに彼女の手によって砕かれ、この床の上にバラバラと撒き散らされたデバイスの残骸。それらは地上部隊や機動六課のエースたちが全力を尽くして挑み、そして敗れ去っていった無慈悲な証拠そのものだった。一人の魔導師の研ぎ澄まされた個の力が、束になって挑んできた組織と絆のすべてを圧倒した。それが、この場に刻まれた揺るぎない現実のはずだった。
だが、その時――
パキッ、と。
静寂の戻った空間に、甲高い亀裂の音が微かに響いた。
「……?」
フェイルの視線が、手元へと落とされる。
見ると握り締めていた黒き薙刀――『マウナ』の表面に、細い蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。
地上での連戦に次ぐ連戦。そして、高町なのはが己の人生のすべてを懸けて放った全力を、正面から叩き斬った凄絶な衝撃。限界を超えた負担が、デバイスの核を内部から叩き割っていた。
ミシリ、と亀裂が広がっていく。
次の瞬間――『マウナ』の刀身はまるで脆い硝子細工のように、儚く粉々に弾け飛んだ。
黒い結晶の破片がパラパラと床に散らばる。デバイスの刀身が砕けたその瞬間、スカリエッティによって施されていた記憶の封印と洗脳の鎖が、枷を失って一気に崩れ去った。
「……ッ、く……あ……」
フェイルは片手で額を押さえ、わずかに膝を揺らした。
脳髄を刺すような鋭い激痛。思考の奥底に溜まっていた暗雲が急速に晴れていき、封じられていた記憶の濁流が一気に脳内へと雪崩れ込んでくる。
封印されていた十年前の記憶。
スカリエッティに捕らえられ、精神を書き換えられた経緯。
そして――先ほどまで自分が機動六課を徹底的に打ちのめし、高町なのはを完全な敗北へと追いやったという現実のすべて。
荒い息を吐きながら、フェイルはゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿っていた無機質で氷のような焦点は消え去り、そこには冷徹でありながらも確かな自己の意志を宿した、いつもの彼女の光が戻っていた。
「……なのは。聞こえてる?」
意識を失い、ヴィヴィオの腕の中でぐったりと倒れているなのはへ向けて、フェイルは静かに声をかけた。
返答はない。だが、フェイルは構わずに言葉を続ける。
「……どうせ聞こえちゃいないでしょうけど……戦闘自体はアンタの敗北よ。……ただ」
砕け散った『マウナ』の破片を一度だけ見つめ、フェイルは小さく息を吐いた。
「私のデバイスを破壊できたことは……褒めてあげる。これは確かに、アンタ1人だけじゃ無理だった」
自分1人を相手に、何重もの攻防と犠牲を重ね、最後に残った者が命を削って残した爪痕。
単体の戦力としては圧倒的に踏み潰したはずの相手が、命のバトンを繋いだ末に自分のデバイスを砕いたという事実。
「次に託して繋げる力……アンタらの『絆』ってヤツを、少しは認めてあげるわ」
それは、孤高を極めた魔導師からの確かな歩み寄りだった。
フェイルは倒れたままのなのはから視線を外し、背を向けながら告げる。
「その褒美って訳じゃないけれど……アンタらがやろうとしていた『ゆりかご』の破壊は、私が代わりにやっておいてあげる」
静寂が満ちる玉座の間。
その時、足音が一つ、近づいてきた。フェイルが気配だけでそれと察し、視線だけを向ける。
フェレット化の変身を解いたユーノが立っていた。
「……アナタも来てたのね」
「フェイル……これ、返すよ」
そう言って、ユーノは預かっていたサンサーラの腕輪を差し出してきた。
フェイルは無言でサンサーラを受け取ると、左手首に嵌める。カチリ、と小さな金属音が響き、手首に馴染む心地よい重みが戻った。
「ユーノ、私が今からゆりかごを破壊する。そうしたらAMFも消えるはずよ。AMFが消えたら、この連中を連れて転移魔法で脱出しなさい。動力炉のところに私が叩きのめしたヴィータも転がってるはずだから、そいつも連れてね」
フェイルは倒れたなのはやヴィヴィオを見下ろすこともなく、淡々と指示を出す。
洗脳が解けたからといって、過剰に優しくなるわけでも、急に馴れ合うわけでもない。あくまで自身の責任と決着をつけるべく、ただ当然の義務のように次の行動を見据えている。ユーノはその視線を受け止め、彼女の意志の硬さを理解したように強く頷いた。
「……分かった。気を付けて」
ユーノの返答を聞くと、フェイルはそれ以上言葉を重ねることなく、翻然と背を向けた。
◆
そして、玉座の間を後にして――
彼女は静まり返った長い回廊を迷いのない足取りで突き進む。
分厚い隔壁を破り、フェイルが踏み出したのは、漆黒の宇宙に剥き出しとなった広大な甲板の上だった。
――眼下に広がる青い惑星と、頭上に浮かぶ二つの月。
原作と違い、ヴィータが動力炉を破壊できなかったため、聖王のゆりかごは、すでに地上を遠く離れ、軌道上に到達していた。
真空の静寂の中、ゆりかごが発する莫大なAMFの力場が、甲板全体を禍々しく歪ませている。通常であれば管理局のいかなる艦隊攻撃も届かず、転移魔法すら遮断される完全なる詰みの状態。スカリエッティの計画通りであれば、この建造物が二つの月からの魔力を受けられる軌道に乗った時点で、彼らの完全勝利が決していたはずだった。
『あらあら?まさか、この完全な状態のゆりかごを破壊するつもりなんですの?』
クアットロからの嘲笑するような通信が届く。
だが、フェイルはそれに対しても全く怯まず、絶対の自負を持って言い返した。
「フン……、たかが二つの月の魔力なんて、物の数じゃないわ」
月からの魔力どころの話ではない。
彼女は、それを超えて広がる宇宙そのものから無限の魔力を引き出せる。
ユーノから返されたばかりのデバイスを錫杖型の戦闘モードに起動し、感触を確かめるように軽く振るい――気付いた。
(……メンテナンスされている?)
自分がいなかった間、誰がメンテナンスをしていたかなど、考えるまでもない。
フェイルは一言も発せず、甲板の中央にまで進むと、これまでの全てを振り返る。
他者に依存せず、世界から隔絶された静寂の中で己を完結させてきた。誰かがそばに居なくても生きていける。誰の助けも要らない。けれど――
(……アナタが居なくても、きっと私はここまで生きて来られたし、困りはしない。でも、アナタだけは……)
無いなら無いで困らない。けれど、在ったなら、少しだけ世界が色付く存在。
ふと、フェイルはサンサーラを握り締め、遥か頭上に広がる漆黒の宇宙を見上げる。そこには、永遠の静寂と、無数の星々が輝いていた。
(私にとってユーノは『支え』じゃない。敢えて言うのなら……『星空』か)
星空に支えられている人間はいない。ただ静かにそこにあり続ける。
どんなに傷つき、どれほど遠く離れようとも。厚い雲に覆われて見えなくなったとしても。
その向こう側で何も変わらず、ただ静かに世界を見守り続けている。
己という存在を宇宙の静寂と同調させていくフェイル。
かつては暗闇しか感じなかったその場所に、今は、確かに『星空』という光が射していた。
「たとえアナタが、どれほど遠い場所に立っていても――」
自分以外の誰にも聞こえずに消えていく言葉。
けれど、世界のどんな物理法則よりも絶対的な確信を込めて、彼女は宇宙の静寂へ向けて言葉を紡ぐ。
「私は、私が生きる限り、アナタという存在がこの世界に確かに在ったという事実を――」
彼女の言葉は、まるで宇宙に永遠に刻み込まれる物理法則のように揺るがない。
漆黒の錫杖――サンサーラが、高空に散らばる無限の星々の光を吸い込むように、静かな輝きを放ち始める。
「――事象の果てまで、証明し続ける」
きっと、その生涯でただ一つ。
いかなる技にも名を冠さず、ただの効率と理として振るってきた彼女が、今この瞬間のためだけに名前を与える一撃。
宇宙の深淵の静寂の中から、最大の一閃が解き放たれる。
「――『星空一閃(せいくういっせん)』」
音もなく、光だけが奔った。
宇宙の真空それ自体さえも切り裂くかのような一閃。真の意味で『光が差す』ような、幻想的でありながら絶対的な物理の断絶。その一撃は、軌道上に君臨していた『聖王のゆりかご』の巨体を、縦一文字に両断していた。
「脱出するよ……!」
ゆりかごが破壊され、展開されていたAMFも消滅する。
その瞬間、ユーノの転移魔法の光が走り、ユーノ、なのは、ヴィヴィオ、ヴィータの4人は地上へと帰還を果たしていた。
◆
そして、ゆりかごの破壊後――地上。
半壊した都市の瓦礫が広がる中、救護部隊の慌ただしい怒号が飛び交っていた。
崩落したゆりかごの破片が海へと沈んでいく中、転移によって無事に生還したなのは達は、医療班によって迅速に搬送されていった。
そして、煙る粉塵の向こうから、一人の人影がゆっくりと歩いてくる。
「……お、おい!あれ!?」
その人影に気付いた局員達がざわつく。
ユーノが目を向けると、気絶したクアットロの首根っこを掴み、引き摺りながらフェイルが歩いて来ていた。
武装局員たちが警戒と恐れを込めた視線を向ける中、彼女の歩みは迷いなく、ユーノの前で止まる。引き摺っていたクアットロを雑に地面に放り投げると、彼女は息を小さく吐いた。
「……ただいま」
「……うん、おかえり」
ユーノは柔らかく目を細め、静かに頷いた。
あとがき:
今回は、これまで積み上げて来た伏線の全てが繋がる本作最大のハイライトの場面でした。
特に、なのはとの最終戦でのスターライトブレイカーと無拍子の一閃とのぶつかり合いの場面は、フェイルとなのはの思想的対立のピークであり、PT事件の時の決裂から10年越しの決着でした。フェイルの『孤独』が欠陥でも弱さでも何でもなく、そのまま最強の技の燃料となっていたというのは、なのはにとって、天地が引っ繰り返るくらいの衝撃だったことでしょう。
それにしても、フェイルのアイデンティティである「孤独」を核にして「気配を消すという武術の極意(無拍子)」と「宇宙の真理」を『静寂』というキーワードで繋げた結果、とんでもない化け物が生まれてしまいました。なのはとの最終戦も、なのはの土俵である真っ向からの威力勝負に乗ってくれたから、どうにかなっただけで、本来の無拍子の「相手に反応させない」という特性を活かしたなら、なのはは手も足も出ずにやられてました。もっとも、これくらい強くないと管理局の全戦力を蹴散らして、ゆりかごを破壊することなんて出来るわけないので、物語的には想定していた通りなわけですけどね。次回のエピローグで、ついに物語は完結です。