――後に『JS事件』と呼ばれる事件は終結した。
聖王のゆりかごは破壊され、首謀者のジェイル・スカリエッティも逮捕された。
だが、その結末に辿り着くために払った犠牲は決して少なくはない。機動六課や地上本部のエース魔導師や聖王教会の騎士たち――決戦に参加した彼らのほとんどが重軽傷を負い、ミッドチルダ市内の総合病院は完全にパンク状態にあった。そして、事件の事後処理のためにミッドチルダに置かれた暫定本部の会議室では、重苦しい緊張感に包まれていた。その中心人物であるフェイルは会議室の椅子に腰かけ、冷ややかな視線でクロノを見据える。彼女の赤い瞳には、試すような挑発的な光が宿っていた。
「…で、私の処遇はどうなるのかしら?クロノ提督」
挑発するような声が、会議室に鋭く響く。
会議室の議長席に座るクロノは、机の上で重々しく両手を組み、深く息を吐き出した。
彼の目元には、連日の徹夜と政治的調整による濃い隈が刻まれている。
「スカリエッティに洗脳されていた状況下での行動だったということを踏まえると純粋な法理では無罪……だが、被害の規模がデカすぎて、政治的に無罪には絶対出来ない」
クロノの言葉に、フェイルは口元を薄く歪めて笑った。
「そりゃそうよね。何人病院送りにしたのか、私も覚えてないくらいだもの。…で? どうするつもり?」
「責任能力に目を瞑って、被害だけで量刑を考えれば、永久幽閉が妥当だが……その一方で『ゆりかご』を破壊して世界を救ったのもキミだ。罪過と功績のどちらもデカすぎて、法の判定がバグってるんだよ。重すぎて法の天秤ごと潰れたようなものだ。現行の法体系は、キミのような存在を想定していないんだ。上層部の誰も判定を下す責任を取りたがらない」
「へえ?それで責任を押し付け合った結果、アンタの方にまでその役が回って来たってわけ?だったら、聞きましょうか。アンタ自身の正義は、私のやったことをどう判断するのかしら?」
その問いは、法と組織の狭間で揺れる男の覚悟を試す刃だった。
しかし、クロノはまっすぐにフェイルの瞳を見返し、ためらいなく言い切った。
「結論として……キミに対しては法を曲げるのでなく、法を逸脱した例外……つまり、僕の責任のもとで特例措置を取ることにした。だから、絶対に迂闊なことをしないでくれ。キミが何かやらかしたら、僕の責任になるんだからな」
「なるほど。アンタ自身のクビとキャリアを人質にしてきたわけね。…ま、従うかどうかはアンタの提示する条件次第よ」
「具体的な処遇としては、キミのデバイスと皮膚にGPSを埋め込んでの動向把握と行動制限。ただ、キミの行動を制限するなんて、現実的に誰にも出来ないし、実質的に動向の把握がされるだけだ。皮膚に埋め込んだGPSにしたって、キミがその気になれば皮膚を裂いて自分で抜き取るだろうしな」
「……フン、妥当な落としどころかもね。アンタの顔を立てて、大人しくしといてあげるわよ」
「是非そうしてくれ。それと、これは公的な命令ではなく、私的な頼みだが……」
クロノは背もたれに体を預け、どこか疲れたような、しかし人間味のある苦笑を浮かべた。
「管理局で手に負えないような厄介事が起きた時……ミッドチルダ市民として良識の範囲内で協力をしてくれると、個人的には非常に助かるんだが?」
「それは内容によるわ。…ま、アンタからの相談だってなら話くらいは聞いてあげるわよ」
フェイルはそれだけ言い捨てると、椅子から立ち上がり、振り返ることもなく会議室を後にした。
◆
そして、場所は変わり、総合病院の特別病室。
暫定本部での雑務が一段落したところで、クロノはリンディと共に怪我を負ったフェイトの元へ見舞いに訪れていた。
「クロノ、姉さんはどうなりそう?」
ベッドの上で上半身を起こしたフェイトが、不安げな色を浮かべながら兄に問いかける。
クロノは柔らかく微笑み、彼女の頭を軽く撫でた。
「無事に、こっちの提示した条件を呑んでくれたよ。上層部を説得するのは少し大変そうだが……まあ、どうにかするさ」
「……そっか。よかった……」
ホッと息を漏らすフェイト。
しかし、すぐにその表情に複雑な陰りが戻る。
フェイトは窓の外の青空を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……姉さん、強かったな。本当に……」
機動六課や地上部隊のほぼ全てをたった一人で蹴散らした、あの異次元の強さ。
フェイルの強さはかつてのDSAAの競技時代からすでに証明されていたが、実際のそれは想像を遥かに超えていた。
クロノもまた、フェイトの言葉に重く頷く。
「……そうだな。まさか、ここまでの強さだとは、誰も思ってなかった」
「うん……。なのはがデバイスを破壊できたのも、正直ギリギリだったよ。あと、ほんの少し何かが欠けても……無理だったんじゃないかな」
一歩間違えれば、管理局の全てが彼女一人に滅ぼされていてもおかしくなかった。
フェイトは膝の上でギュッと拳を握りしめ、胸に去来する想いを言葉にする。
「私……ずっと姉さんに私と同じように救われて欲しいと思ってた。誰かにあの人を孤独の中から連れ出して欲しいって」
「……今は、違うのかしら?」
ベッドの傍らに腰掛けたリンディが、優しく静かに聞き返す。
それに対して、フェイトは静かに首を横に振った。フェイトの目には、今のフェイルの在り方が痛いほどよく見えていた。
「私を救ってくれたのはなのはだし、だから、姉さんに対してそれができるとしたら、なのはだと思ってたけど……でも、全部、私の勝手な勘違いだった」
「勘違い?」
最初は確かに悲劇だったかもしれない。
だが、今のフェイルの孤独は、誰かに庇護されるべき欠落や、救いを待つ悲劇的なものではなかった。
フェイトはどこか遠くを見るような目で語り続ける。
「昔の本当に1人で放り出された時はともかく……今の姉さんは、ただ、自分で『選んでる』だけなんだ。だから、孤独でいることをやめようと思えば、いつでもやめられる」
強制されている訳でなく、あくまで自分の選択としての孤独。
フェイルは、弱者だから孤立しているのではなく、圧倒的な強者である故に敢えてその領域に立っている。
「姉さんは救いの形すらも自分で選んだ。ユーノは姉さんの世界に『選ばれて』迎え入れられたんだよ。逆に、私やなのはは……まだ、選ばれてないだけ……」
ほんの少しの未練と、寂しさを感じる声だった。
これから先の未来、自分たちが姉の世界に選ばれる日が来るかは分からない。けれど、いつかその日が来るとしても、それもフェイルが自分で決めることでしかない。そのことをフェイトはようやく悟ることが出来た。リンディはフェイトの言葉を静かに聞いていたが、愛おしげに娘の肩を抱き寄せると、穏やかな声で応じた。
「……そうね。貴女が感じた通り、彼女の孤独は、誰かが無理やり引きずり出さなきゃいけないものじゃないのかもしれないわね」
リンディの言葉にクロノも静かに頷く。
そこでクロノは、ふと病室のベッドの一つが空になっていることに気付いた。
「そう言えば、なのははどうしたんだ?同じ病室に入院してるって聞いたんだが……」
「ん?なのはは、屋上に行ったよ。少し風に当たりたいって」
「……そうか。なら、少し様子を見てくるとするよ」
クロノはそう言ってフェイトとリンディに軽く手を振ると、病室から退室した。
◆
そして、クロノが屋上に向かう途中――
彼は病棟の廊下で、八神家の一同とすれ違った。
はやてを筆頭に、シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル――歩くロストロギアとも呼ばれるほどの強者揃いな彼らだが、それでも無傷な者は誰一人としていなかった。車椅子に揺られる者や重々しいギプスを巻いた姿に、クロノは胸を痛めながら声をかける。
「……みんな、ボロボロだな」
「ホンマにね。一番重症だったのはシグナムとヴィータやったけど……まあ、何とかみんな命に別状はないよ」
はやては力なく笑ってみせたが、その表情には隠しきれない疲労と重圧の残り香があった。
「いや~、しかし、まさかあんなに強かったなんてな。もしも、最初からあの人が管理局に入ってくれてたら、スカリエッティの件も全部一瞬で解決してたんとちゃうかな~なんて思ってしまうわ」
はやての冗談めかした呟き。
けれど、その裏にある「自分たちの戦いの意味」に対する揺らぎを察し、クロノは静かに首を振る。
「いや、アイツの性分だ。それはない。やはり六課は必要だったよ。キミ達のおかげで救われたものは間違いなくある。……よくやってくれた」
「……おおきにな、クロノ君。でもな、私、今回ので痛感したわ。いざとなったら部下に『死んでこい』って命令せなあかん立場だって……頭では分かってたつもりやった。けど、実際にそれをやってみて……正直、二度とやりたくないと思ったわ」
あの時、フェイルを止めるためにシグナムごと撃ち抜く決断を下した瞬間の、胸を抉られるような痛みが蘇る。
部隊を率いる指揮官としての重圧と責務――はやてにとっても、今回の事件は自分の未熟さを思い知らされることばかりだった。彼女は小さく息を吐き出し、自嘲気味に目を伏せる。
「そもそも、そんな命令を出さなあかん時点で、私が指揮官として力不足やってことなんよ……。スカリエッティの野望を挫いたかて、最後はたった一人の規格外に全員叩き潰されて……何も守れへんかった」
「……いい経験になったということにしておこう。それに、あんな桁違いの強さを想定して作戦を立てろという方が無理がある。これに関しては、キミに落ち度は何一つないさ。終わったことを悔やむより、どう背負って進むかだ」
クロノの労いの言葉に、はやては少しだけ肩の荷が下りたように微笑む。
だが、その笑顔の奥には、指揮官として仲間を死地に追いやった痛みがまだ深く残っている。その微かな翳りを察したように、傍らに控えていたシグナムが、一歩前へ踏み出した。
「……主」
低く澄んだ声が廊下に響く。
その視線は、己の不甲斐なさに苛まれていた主へと真っ直ぐに向けられていた。
「私も……今回の戦いで、一つ悟ったことがあります」
「シグナム……?」
思わぬ言葉に、はやては驚いたように丸い目をシグナムへと向けた。
かつてない真摯な眼差しで自分を見つめ返してくる騎士の姿に、はやては言葉を呑み込み、静かにその続きを促した。
「私は……これまで騎士として、己を『誰かを守る者』だと思っていました。誰かを守るために、一人孤高に剣を振るう者なのだと。……ある意味で、彼女と同じ『誰にも守られない者』のつもりでいたのです」
そう語ると、とシグナムは一度、己の掌へ視線を落とした。
「ですが、あの圧倒的な強さを前にして、己の不遜と未熟を思い知らされました。……本当の意味で誰からも守られず、誰の支えも必要とせず立っている者の強さとは、ああいうものを言うのでしょう。私は……主や仲間、この剣に繋がる多くの絆に生かされ、守られていたに過ぎなかった」
負けたことへの愚痴でも、己を卑下する言葉でもない。シグナムの声には、敗北の傷痕とともに、澄んだ納得が宿っていた。
孤高を気取っていた己の驕りを認め、他者からの愛と絆の存在を再確認した武人の、誇り高き述懐。シグナム以外の騎士たちも、誰一人として、シグナムの言葉を否定する者はいなかった。打ちのめされた痛みを抱えながらも、全員が同じ敗北を噛みしめ、同じ覚悟を共有している。
「他者への感謝と敬意を欠き、孤高を気取っていた。……騎士として、恥じ入るばかりです。……ですが、だからこそ」
シグナムは背筋を真っ直ぐに伸ばし、正面からはやてを見つめた。
「守られてきた者として、次こそは本当の意味で誰かを守れる強さを育まねばならない。……この敗北は、我が剣に必要な糧でした」
シグナムの凛とした言葉と、それに深く寄り添う騎士たちの佇まいは、静かに廊下に染み渡っていった。
落ち込んでいたはやても、シグナムたちの真っ直ぐな瞳に毒気を抜かれたように、ふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「……ふふ、ほんまシグナムは強いなぁ」
「いえ、彼女ほどではありません。ですが、だからこそ、より強くなりたいと思うだけです」
シグナムの澄んだ言葉と、それを受けて柔らかく笑うはやての表情。そして、言葉はなくとも確かにそこにある騎士たちの温かな連帯。
部下を死地に送った指揮官の苦悩も、圧倒的な強者に完敗した騎士の誇りも、彼らはただ打ちのめされるだけでなく、全員で己の糧として前を向こうとしている。はやてと騎士たちの強い絆と芯の強さを改めて実感し、クロノも自然と笑みがこぼれた。
「……これだけの騎士がいるなら、キミに僕から言うことは何もないな」
「自慢の騎士で、家族です。……それじゃ、クロノ君。私達はフォワードの子たちの顔を見てくるから、これで」
「ああ。ゆっくり休んでくれ」
クロノは八神家の一同に軽く手を振ると、彼女たちの歩みとは逆方向、屋上へと続く階段に向かって歩き出した。
背後から聞こえる車椅子の軋む音と、互いを気遣う穏やかな会話がゆっくりと遠のいていく。彼女たちの言葉には痛切な悔恨が滲んでいたが、同時に壊れようのない芯の強さが確かに宿っていた。打ちのめされた者たちが、その敗北すらも糧にして立ち上がろうとする姿に、クロノの胸には静かな感慨が広がっていく。
(誰もが傷つき、打ちのめされ……それでも前を向こうとしている)
フェイルという規格外の存在が遺していった圧倒的な爪痕。
だが、それは単なる破壊や絶望だけではなく、残された者たちの中にそれぞれの「問い」と「覚悟」を植え付けていた。
クロノは小さく息を吐き出すと、思考を切り替えるように階段を登った先にある重い鉄扉へと向き直る。この先にいるはずの彼女もまた、あの絶望的な死闘を経て、自分なりの答えに辿り着いたのだろうか。
「……さて」
クロノは静かに扉を押し開け、屋上へと踏み出した。
◆
――青く、果てしなく広い秋の空。
病院の屋上には、9月にしては冷たい風が吹き抜けていた。
クロノが重い鉄扉を開けて屋上に出ると、そこに彼女はいた。簡素な医療服に身を包んだなのはは、金網フェンスに両手を預け、眼下に広がるミッドチルダの街並みをぼんやりと見下ろしていた。全身のあちこちの包帯やガーゼが痛々しいが、その表情はどこか晴れやかだった。
「……黄昏てるな、なのは」
「ん?ああ、クロノ君、お見舞いに来てくれたんだ」
なのはは少しだけ肩の力を抜き、ふっと柔らかく微笑みながら振り返る。
「調子はどうだ?」
「うん、おかげさまで。体の方は大丈夫。……ただ、少しだけ、考えることがあってね」
「……フェイルのことか?」
クロノの問いに、なのはは小さく頷いた。
彼女の瞳の奥には、あの時、ゆりかごの玉座の間で交わした言葉。
そして、フェイルの放った圧倒的な一閃の残光がまだ焼き付いている。
「強かったなぁ……。まさか、あんなに強かったなんて……。初めて本気で戦って……あの人の強さが、ようやく身に染みて分かったよ」
なのはの声に、悔しさや負け惜しみは一切なかった。
ただ、圧倒的な現実に対する気疲れと、深い納得だけがあった。
「本気のフェイルさんと戦うことがこんなに大変だなんて……疲れたな……。本当に、疲れたよ……」
己の力と意志を限界を超えて試された戦い。
磨き上げた魔法のすべて、己の信じるすべて、命の炎の最後の一滴までを注ぎ込んでもなお、届くかどうかの深淵。
ぽつりと零したその本音に、彼女が経験した死闘の苛烈さが凝縮されていた。なのはは自分の両手をそっと見つめ、胸の内に積もっていた想いを言葉にしていく。クロノは何も言わず、ただ静かに隣で耳を傾けていた。
「私、いつも『みんなで力を合わせればどんな困難も乗り越えられる』って思ってた。そばに居て……一緒に支え合って、一緒に成し遂げることが、絆だって」
それは間違いなく、なのはがこれまでの戦いの中で見出し、大切にしてきた真実だ。
仲間と共に進む温かさは、彼女の何よりの原動力だった。だが、今回の戦いは、その揺るぎない確信に全く異なる角度から光を当てた。
「でも……あの人は、一人でどんな困難も乗り越えるために強くなったんだ。そんな人に……個の力の戦いで、私達が勝てるわけないんだよ」
フェイルは誰にも頼らず、孤独の中で自身の理を極限まで研ぎ澄ませた。
孤独の静寂を突き詰めた先に、あんな異次元な強さが存在するなど、きっと本人以外には誰も想像すらしていなかったに違いない。
圧倒的な「個」の前に、組織や集団の論理はあっさりと粉砕された。その現実と強さを身をもって味わったからこそ、なのはは深く思い知る。
「たとえ、仲間が居たとしても……1人で戦わないといけない時はある。六課のみんなが倒されて残ったのが私1人で……本当にギリギリまで追い詰められて……すごく考えさせられたよ。1人だけで戦う時、本当に絆が力を与えてくれるのかって……」
誰にも助けを求められない。誰も背中を押してくれない。
すべてを自分一人で背負い、剥き出しの自分の力だけで運命を切り開かなければならない絶望的な瞬間。そんな完全に切り離された孤独の極限に立った時、仲間との絆は果たして実体のある力になるのか。それとも、ただの気休めに過ぎないのか。
なのはの語る言葉に、クロノは静かに返す。
「……答えは出たのか?」
「うん。……出たよ」
なのはは顔を上げ、すっきりと晴れ渡った瞳でクロノを見据えた。
「誰も助けに来られない……そんな1人だけで戦う時、私の考えていた絆は精神的な支え以上のものにはならない……かもしれない。実際、あの人の前では、そんなものは何の役にも立たなかった」
純粋な戦闘では、自分たちは彼女に完全に敗北した。
あの圧倒的な孤独の極限の前では、肩を並べる仲間の温もりだけでは超えられない壁があったのも事実だ。けれど、だからといって自分たちが信じてきた絆が色褪せるわけではない。敗北の果て、命がけの交わりのなかで、なのはの中に残ったのは絶望ではなく、一つの新しい真実だった。なのはは胸に去来するその確信を、言葉の続きとして紡ぎ出す。
「でも、あの人と一対一で戦って……その上で確信できた。絆は決して無価値なんかじゃないって。ただ、その形は……私が勝手に思い込んでいた形だけじゃなかったんだって」
なのはは青空を見上げながら、どこか穏やかな笑みを浮かべた。
玉座の間で交わした言葉。そして、ボロボロになりながらも最後に残された全ての力を手繰り寄せ、フェイルのデバイスへ叩きつけた瞬間。
フェイルに敗北したからこそ、彼女の中で「絆」の定義はより深く、そして強固なものへと昇華されていた。
「たとえ、離れていても……繋がることは出来る。『次の誰かに託して繋げる力』……そんな絆の形、私も想像してなかったもの」
仲間と一緒に肩を並べ、その場で助け合って勝つことだけが絆ではない。
自分が力尽き、たとえその場で敗北したとしても、自分が繋いだ一歩が、残した意志が、次の誰かの力になって未来を拓く。
フェイルのデバイスを最後に破壊できたのも、自分一人の力では断じてなかった。仲間たちが命がけで繋いでくれた時間があり、削り取ってくれた隙があったからこそ、最後の最後に届いた奇跡だった。
「仲間と一緒に支え合っても……勝てないときは、多分、ある。けれど、それでも絆には価値がある。次の誰かに託して繋げるために……私たちは戦うんだ」
なのはの言葉には、迷いや後悔の色は一切なかった。
すべてを出し切り、最強の敵と正面からぶつかり合った者だけが辿り着くことのできる曇りのない境地。
クロノは、かつて小さかった少女がいつの間にか自分たちの想像を遥かに超えた領域へと辿り着いていることを感じ取り、感心したように静かに微笑んだ。
「……そうか。キミらしい、見事な答えだな」
「ふふ、そうかな?」
なのはは少しだけ照れくさそうに笑い、再び青空へと視線を戻す。
その視線の遥か向こう――同じミッドチルダの空の下のどこかで、あの孤高な魔導師も生きている。
二度と交わらないかもしれない。けれど、あの戦いを経たからこそ、お互いの在り方を認め合うことができた。
「……さてと。私も、もう体を休めないと。みんなのところに戻らなきゃね」
「あぁ、そうだな。無理はするなよ」
クロノに促され、なのはは軽く背伸びをすると、屋上の扉へと歩き出す。
風は少し冷たかったが、その心の中には、新たな季節へ踏み出すための確かな温もり、そして、次代へと繋がる温かな炎が灯っていた。
◆
そして、その頃――
本局の暫定本部を後にしたフェイルは、ミッドチルダの喧騒から少し離れた郊外へと足を運んでいた。
空にはまだうっすらと雲が掛かっていたが、街を包み込んでいた不穏な空気はすでに晴れ、人々は日常を取り戻すための復旧作業に追われている。誰もが誰かと声を掛け合い、手を取り合って前へ進もうとする世界。その温かな光景を横目にしながら、フェイルはただ一人、誰とも交わることなく静かに歩みを進めていた。
――向かった先は、とある公園。
かつて、彼女がDSAAの競技時代、世界大会で優勝を果たすたびに訪れていた場所。
表彰式が終わった後、この静かな公園のベンチで待つ一人の少年に、勝ち取った優勝メダルを無造作に放り投げる――それが、彼女にとっての唯一の儀式だった。
「……お疲れ、フェイル」
ベンチには、あの頃と変わらない佇まいで、ユーノが座っていた。
「……待たせたわね」
フェイルは上着のポケットに手を入れると、無造作にひとつの小さな塊を取り出した。
それは、かつてDSAAで彼女が連覇を果たすたびにユーノへ預けられていた金メダル……ではなく、無残にひび割れ、壊れかけたサンサーラの腕輪だった。ユーノは投げ渡されたデバイスを見つめ、それからフェイルの顔を見た。
「……壊れちゃったんだね」
「さすがに『聖王のゆりかご』を破壊するような出力はね……。デバイスの方が耐えられなかったわ」
ユーノはゆりかごを破壊したフェイルの『一閃』の光景を思い出す。
一人の魔導師が繰り出した技としては、間違いなく人類史上で最大最強の一撃だっただろう。燃え尽きずに、こうして形が残っている時点で奇跡かもしれない。
「直せるかしら?」
「僕が直していいの?」
「私が留守の間、それをメンテナンスしてたのはアナタでしょう」
ユーノは手のひらの上で無残に亀裂の入ったサンサーラを愛おしむように見つめると、静かに、しかし力強く頷いた。
「うん。……任せてよ。絶対に、元の形以上に綺麗に直してみせるから」
「フン、頼んだわよ」
風が吹き抜け、二人の髪を緩やかに揺らす。
心地よい沈黙がしばらく流れた後、ユーノが思い出したようにぽつりと口を開いた。
「ねえ、フェイル。なのはが言ってたよ」
「……何を?」
「『貴女の孤独は、哀れむ必要がないほど強かった。昔、可哀想なんて言ってしまってごめんなさい』だって」
「……今さら何を言ってるのかしらね」
フェイルは鼻で笑い、どこか遠くを見るような瞳で空を見上げた。
「謝られる筋合いなんてないわよ。あいつはあいつで、自分の信じる『絆』ってやつを最後まで貫き通した。それだけで十分でしょう」
「……そうだね。なのはも、きっと分かっていると思う。だから、これは謝罪っていうより……彼女なりの区切りだったんだと思うよ」
「区切り、ね……」
フェイルは短く呟くと、つまらなさそうに言い捨てる。
「勝手に一人で納得して、勝手に区切りをつけて……相変わらずどこまでも自分勝手で、押し付けがましいヤツね」
呆れたような毒舌。
だが、その言葉に以前のような棘や、内に秘められた激しい攻撃性はもう存在しなかった。ただ、そこにあるのは、互いに異なる哲学を限界までぶつけ合い、その生き様を確かめ合った者同士の、静かな距離感だった。
「ところで、フェイルは、これからどうするの?」
「さっき、スクライア一族の長老から連絡が来てた。スクライアの発掘調査隊の護衛に戻るだけよ」
「うん、分かった。気をつけてね」
フェイルは背を向けて歩き出した。
その歩調には、迷いも、孤独ゆえの寒々しさもなかった。
彼女は自分一人の足で、どこまでも伸びる静寂の荒野を歩んでいく。
「……フェイル」
数歩離れたところで、ユーノがその背中に向けて、ぽつりと声をかけた。
「キミがどれだけ遠くに行っても……僕はここで、キミの帰ってくる場所であり続けるよ」
フェイルの足が、一瞬だけ止まる。
振り返りもしなかったが、彼女は小さく鼻を鳴らした。
「……言ったでしょう。アナタは『支え』なんかじゃないって」
去り際、風に乗ってユーノの耳に届いたのは、宇宙の静寂のように深く、けれどどこか温かい言葉だった。
「――ただの『星空』よ。そこに在り続けていれば、それでいいわ」
それだけを残して歩き出そうとしたフェイルだったが、ふと立ち止まり、肩越しに振り返りながら言った。
「……ところでユーノ、デバイスの修理が終わったら……一緒に映画にでも行く?」
予想外の言葉に、ユーノは一瞬目を見開いた。
だが、すぐにその目元を緩め、温かな笑みを浮かべて応じる。
「うん。キミが誘ってくれるなら、喜んで」
「……フン、観たい作品は私が決めるから」
今度こそフェイルの姿は、ミッドチルダの街並みの向こうへと溶けて消えていった。
あとがき:
本編はこれで完結となります。今後、番外編的な短編を書く可能性はありますが、主要な物語としてはここでいったん区切りです。
全てを一人で捻じ伏せられる最強のオリジナルキャラクターを味方側に置くと、どうしても物語の緊張感が失われます。それを回避するために、本作ではあえて彼女を敵側に配置しました。ただ、そうすると「どうやって勝てばいい?どうやって決着させる?」という別の難問が生じるのですが……結果として自分なりに面白い答えが出せたと思っています。原作のStrikersでは『継承』を大きなテーマにしていたので、本作ではそれを自分なりに再解釈・再構築してみました。
フェイル「私は積極的には残さない。後の奴が勝手に拾え」
なのは「私は積極的に残す。後に託して繋げる」
一見では真っ向から対立する二つの公理・哲学ですが、「後に何かが残る可能性がある。そして、残るかどうかは後の人間次第」という点においては実はギリギリで重なります。全く違う前提から同じ帰結が生まれることがある。そして、この交点こそが、この物語の決着点になっていて、この交点が存在するからこそ、二人の哲学を否定せずに両立できた理由だと思っています。
また、ユーノを「星空」と喩えた表現は自分でも気に入っています。決して誰にも依存せず、一人で立つという在り方を保ったまま、誰かを受け入れる距離感ということを考えた時に、この表現が思い浮かびました。これに関しては、我ながら神が降りて来たと思うくらい完璧な表現だったと思っています。完結を機に無印~Strikers編までの物語を改めて振り返って思いましたが、この作品のタイトルは変更した方がいいかもしれないですね。この最終話の投稿から1週間くらい経ったら、タイトルを変更しておこうかと思います。
魔法少女リリカルなのは 黒の残響
→ 魔法少女リリカルなのは The Lone Star