魔法少女リリカルなのは The Lone Star(旧題:黒の残響) 作:世紀末ドクター
第31話『星の誓約』
――時空管理局本局、無限書庫。
『JS事件』と呼ばれた未曾有の危機が終結し、ミッドチルダを覆っていた禍々しい暗雲が去ってから、約半年の歳月が流れていた。
復興へと向かう世界の裏側で、クロノ・ハラオウン提督は自身が現在抱えている未解決事件の関連資料を受け取るべく、無限書庫へと足を運んでいた。
果てしなく続く本棚の列と、静寂が満ちる空気。幾重にも重なる書架の隙間を抜け、目的の管理区画へ辿り着いたクロノは、受付カウンターの向こうで作業をしている青年に声をかけた。
「ユーノ、頼んでいた事件関連の資料はもう出来ているか?」
「あ、うん、クロノ。お疲れ様。資料の発掘とデータ抽出はもう終わってるよ」
カウンターの奥からひょっこりと顔を覗かせたユーノは、いつもの温和な笑みを浮かべ、手際よくまとめられた電子メディアを差し出した。
受け取ったデータを確認しながら、クロノは何気なく腕時計に目を落とす。文字盤の針はちょうど正午を指し示しており、慌ただしい業務の合間の休憩には絶好のタイミングだった。
「もしも昼食がまだなら、少し付き合わないか。資料集めのお礼に、局内のカフェでランチとコーヒーくらいはご馳走させてもらうよ」
「本当かい? それじゃあ、お言葉に甘えようかな。ちょうど一区切りついたところだったんだ」
ユーノは作業端末をスリープモードに切り替えると、カウンターの脇から歩み出た。
二人は並んで無限書庫を後にし、上層階にある局員用の静かなラウンジへと足を向けた。
◆
柔らかな陽光が差し込む窓際のテーブル席。
注文した日替わりランチと湯気を立てるブレンドコーヒーが運ばれてくると、二人は静かに手をつけた。
フォークとナイフを動かし、日常の雑感をいくつか交わした後、クロノはふとカップを置き、どこか含みのある、それでいて生々しい真剣さを帯びた目でユーノを見つめた。
「……ところで、少し個人的に聞いておきたいんだが」
「ん? なんだい、急に真面目な顔をして」
「キミと、あのフェイルの関係はどうなっているんだ?」
唐突に投げかけられた恋路についての直球な質問に、ユーノは喉に詰まらせかけたコーヒーを飲み込み、わずかに目を丸くした。
だが、すぐにどこか悟ったような苦笑いを浮かべ、カップの縁に指を滑らせる。
「どうって……相変わらずだよ」
「彼女との関係を進めるつもりは無いのか?彼女の方はどうだか知らないが、少なくとも、キミの方は彼女のことを恋愛的にも好きだろう?」
「……まあ、否定はしないけど。でも、なんで急にクロノがそんなことを気にするんだい?」
ユーノがわずかに眉をひそめ、探るような視線を返す。
それに対し、クロノは胸の底から重々しい溜息を吐き出し、深く背もたれへと体を預けた。その疲弊した目元には、管理局の中枢を担う提督として、日々政治的板挟みに遭っている男の苦労が濃く刻まれていた。
「友人としてのお節介と、政治的な理由が半分ずつだ。端的に言えば、世界を滅ぼせるような彼女が殆ど野放しになってることが上層部としては不安でたまらないんだよ。だから、彼女をこの世界に繋ぎ止める確固たる『何か』があると上層部を納得させられる材料が欲しいわけだ。つまり、一切の言葉を選ばずに言えば――…」
クロノはテーブルの上に身を乗り出し、机に肘をついて一直線にユーノを見据えた。
「さっさと彼女をコマしてくれ」
「……ホントに、驚くほど言葉を選ばなかったね、キミは」
あまりの言い草に、ユーノは呆れ返って天井を仰いだ。
だが、クロノの切羽詰まった表情の裏にある、監察・監査部門との不毛な擦り合わせの日々を想像すると、責める気にもなれず、やれやれと肩をすくめる。
「そもそもフェイルだったら、結婚とかだって、ただの行政上の手続きか、紙切れ一枚の差異でしかないって切って捨てると思うけど? 彼女がそんな世間の常識や形に縛られるような人間じゃないのは、クロノも良く知ってるだろう?」
「それは百も承知してるさ。あくまで、上が納得するための『形式上の根拠』があれば、僕が監査のたびに胃を痛めて頭を下げずに済むというだけの話だ」
「どうだろうね? まあ、でも……」
ユーノは苦笑を深めながらも、その瞳に静かで温かな、そして底知れない信頼の光を宿して窓の外の青空を見つめた。
「たとえば、僕が『これにサインを書いて』って婚姻届を差し出したら――『いいわよ、別に』って、何の躊躇いもなく普通に名前を書いてくれそうではあるけどね」
「なんだ、勝算はあるじゃないか」
「勝算っていうか……それが彼女なりの、僕に対しての距離の取り方で、受け入れ方なんだよ。まあ……その書類一枚でクロノや上層部が安心するっていうなら、次に会ったときに軽く話してみるよ」
ユーノはコーヒーカップを持ち上げ、ゆっくりと一口含んだ。
無限書庫の地下深く、あるいは管理端末の海に囲まれた日常から離れ、こうして穏やかに過ごす時間は、彼にとっても貴重な息抜きだった。
クロノもまた、積年の重荷が一つ降りたような晴れやかな顔でカップを傾ける。
「頼んだぞ、ユーノ。君の恋路の成就が、管理局の平和に直結しているんだからな」
「……はは、管理局の平和を僕のプロポーズが背負うことになるとはね。プレッシャーで胃に穴が開きそうだよ」
苦笑を交わしながらも、二人の間には心地よい連帯感が漂っていた。
JS事件という未曾有の嵐が去り、世界は確実に次のステップへと歩みを進めていたのだった。
――そして、その会話からわずか数日後のこと。
本局の提督執務室にて、クロノは提出された行政文書の束に挟まれていた報告書に目を通し、思わず深々と息を吐き出していた。
「……まさか、本当に速攻で婚姻届を出してくるとはな」
添えられていた行政上の手続き書類には、確かにユーノ・スクライアとフェイルの名が並んで記されていた。
上層部も彼女をこの世界に繋ぎ止める者が存在していると納得し、安堵のため息を漏らしているという。クロノにとっても、これでようやく監査のたびの胃痛が軽減されるというものだった。だが、当の本人たちがどのような会話を交わし、あの規格外の魔導師が一体どんな顔をしてそれにサインをしたのか――それを知る者は、おそらく当事者二人以外にいない。
「……はぁ。このニュースは、今頃、局内どころかミッドチルダの街中にまで、凄まじい速さで広がって行ってるんだろうな……。半分くらい冗談のつもりだったんだが、これはこれで、僕の胃が痛くなりそうだ」
クロノの予想は寸分違わず的中した。
彼の予想通り、その「世紀の入籍」という衝撃的なニュースは、瞬く間に管理局内やミッドチルダの魔導師たちの間で爆発的な噂として広がっていった。
◆
――そして、それから数日後の午後。
ミッドチルダ市内の閑静な住宅街に佇む、シックな内装の喫茶店。
柔らかな木漏れ日が差し込む窓際のテーブル席に座る見覚えのある女性を見つけたフェイト・T・ハラオウンは思わず目を丸くしていた。
「あ、姉さん……」
「フェイト?」
偶然にも同じ店を訪れ、ごく自然な流れで相席することになった二人。
互いの近況報告という無難な雑談から始まり、やがて話が今まさに世間を騒がせている最大の話題へと移り変わった時のことだった。
フェイトは手にしていたティーカップをソーサーへと静かに戻すと、目の前で優雅に紅茶を味わう姉を探るように見つめ、少し緊張を帯びた声で切り出した。
「姉さん……ユーノと結婚したって聞いたけど……ホント?」
向かいに座るフェイルは、優雅な所作で紅茶を口に運んでいたが、その問いに対しても眉一つ動かさなかった。
赤い瞳に動揺の色は微塵もなく、ただ冷ややかに肩をすくめて見せる。
「ただの書類上の手続きよ。私からしたら、行政上のラベルが貼られただけで態度や関係を変える連中の方が、よほど滑稽に見えるわ。もっとも、普通の人間の『愛』なんていう曖昧な感情は、契約と取引から生じる認知の錯覚だから仕方ないけどね」
「認知の、錯覚……?」
聞き慣れない難解な比喩に、フェイトは首を傾げた。
フェイルは自身の持つ白い磁器のカップを見つめたまま、淡々と独自の論理を紡ぎ出していく。
「たとえば、パートナーに浮気されて相手を許さないと激昂するのも、自分の『所有権』の侵害や『価値の目減り』を恐れる不安から生じる身勝手な怒りでしょう。他者に自分の幸福や価値観を丸投げして委ねているからこそ、相手の動向一つで自分の世界が簡単に揺らいでしまう。私にはその精神構造の方が理解できないわ」
「え? ぐ、具体的に言うと……じゃあ、仮にユーノが別の女性と浮気とかしたとしても、姉さんは何も気にしないってこと?」
「別に何も気にしないわ。ユーノが別の女と寝たところで何とも思わない。何故なら、私の宇宙に刻まれた彼の価値は1ミリも揺らがないからよ。私の宇宙の中での彼の価値は、彼が誰と寝ようが、どこへ行こうが、その絶対値は変わらない」
あまりにもドライで、けれどどこか狂気すら孕んだあまりに純粋な持論。
フェイトは思わず言葉を詰まらせ、喉を鳴らした。眉間を寄せ、まるで未知の深淵を覗き込むような心地で姉を見つめ返す。
「いや、でも……仮にだよ? ユーノがその浮気相手のところに行ってしまって、二度と姉さんの元へ帰って来なくなったとしても……? それでも『ユーノの価値は揺らがない』って、笑っていられるの?」
「帰って来なくても、それは彼の自由よ。私達はお互いに己の軌道を巡る星であって、たまたま彼が私の星と軌道を重ねただけに過ぎない。軌道が別れたのだとすれば、それは元のあるべき姿に戻っただけよ。遠く離れた宇宙のどこかで彼が輝いていると知っていれば、それだけで私の宇宙は満たされている」
「そ、それって……もう愛を通り越してない……!?」
「通り越すも何も、最初から世間一般の『愛』なんてあやふやで都合の良い概念で相手を縛り合おうとしていないだけよ。『私の側に居続けてくれるユーノ』だから価値があるんじゃない。『ユーノという存在そのもの』が私の世界において絶対的な光である、という客観的事実だけが存在している。側にいることや見返りを求めるような条件付きの価値なら、それはただの『取引』よ」
論理的でありながら、人間の持つ嫉妬や独占欲といった感情の枠組みを完全に超越したフェイルの哲学。
フェイトは胸の奥に広がる割り切れないモヤモヤを拭い去るように、さらに身を乗り出して問いを投げかけた。
「いや、でも、それって……『ユーノがどんな選択をしても自分には関係ない』って突き放してるのと同じじゃない? もしも、ユーノが道を踏み外して、ボロボロになって、姉さんを酷く裏切るような最悪の選択をしたとしても……それでも姉さんは『それもユーノの自由。私の宇宙での彼の価値は揺らがない』って、冷たく見送るの?」
フェイトの追求に対し、フェイルはふっと一瞬だけ目元を緩めた。
「ユーノがそんな真似をするとは思えないけれど……仮にそうなったとしたら、それも仕方ないわね」
「冷た過ぎない? それって、ただ関心がないのと一緒なんじゃ…?」
困惑の混じったフェイトの問い。
そして、フェイトにそう問われた瞬間、フェイルの赤い瞳の奥の色が変わった。
冷ややかなだけの虚無ではなく、世界そのものを飲み込むほど深く、強大な重力を秘めた、揺るぎない絶対の意志の光だった。
「それはアンタの勘違いよ、フェイト」
「え……?」
静かな、けれど鼓膜を直接揺らすような言葉の重みに、フェイトは思わず息を呑んだ。
フェイルは静かにティーカップをソーサーへと戻し、窓の外へ広がる果てしない青空へと視線を向けた。
「私が彼を追いかけないのは、彼が選んだ地獄すら、彼の自由として尊重するからよ。彼が苦しみ、私を捨てて泥を這う道を選んだのなら、それを私が『可哀想だから』『戻って来てほしいから』という私の都合で引き戻すことこそが、彼の人生に対する最大の冒涜だわ。相手の地獄を奪う権利まで、私にはない」
「……っ」
「私のユーノへの想い――便宜上、アンタたちの言葉を借りて『愛』と呼びましょうか。私にとってこの愛は、相手を自分の望む理想の形に縛り付ける鎖のことじゃない。たとえその選択の先が破滅だろうと、彼が自らの足で歩み、選び取ったのであれば……その選択の全てを、私はただそのまま受け止める。私にとって『価値の絶対値が揺らがない』というのはそういうことよ。彼が聖人になろうが、悪魔に堕ちようが、ボロボロの泥屑になろうと……彼が辿ったその人生の軌跡の全てを、私は肯定し、証明し続ける」
言葉を失う、とはまさにこのことだった。
そこにあったのは、冷酷さでも無関心でもない。人間の矮小な独占欲を遥かに凌駕した、あまりにも遠大で、どこまでも美しい「全肯定の愛」の証明だった。
そのスケールの壮大さと絶対的な深さを前にして、フェイトはただ呆然と姉を見つめることしか出来ない。
『――事象の果てまで証明し続ける』
どれほど遠く離れようと、どれほど惨めな姿になろうと、自分が生きる限りその存在の価値を証明し続ける。
それこそが、かつてゆりかごを破壊する前に、宇宙の静寂に向かって彼女が誓った言葉の真意であり、彼女がユーノ・スクライアという存在に捧げた生涯不変の答えだった。
「……まあ、そんな余計な心配をしなくても、彼が裏切るような真似をするはずもないけれどね」
自らの思想を語り終えたフェイルは、小さく鼻を鳴らすと、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。
窓から差し込む午後の光が、彼女の薄い金髪をキラキラと照らし出している。自分の隣にいても、離れていても、光り輝いていても、泥に塗れていても。彼女の宇宙において、ユーノ・スクライアという星は、いつだって永遠に変わらぬ絶対の輝きを放ち続けているのだった。
あとがき:
今回は、フェイルのユーノへの想いを書いてみました。
間違いなく愛ではあるのでしょうが、普通の人間の愛の枠組みにはどう考えても収まらないですね。…というか、普通の人間とは異なる次元の知性や力、あるいは宇宙的な理を持った超存在――いわゆる「人ならざる者」が、人間の枠組みや道徳、あるいは凡庸な恋愛観のままで描かれると、自分としては強烈な違和感を感じます。人間を超えた者であるなら、これくらい常識の枠組みをブチ破り、普通の倫理や感情の地平の遥か先を行っていなければ、自分としては到底納得できません。ちなみに、ユーノと性的な繋がりは、多分、ユーノがしたいと言ってきたら、普通に受け入れる感じじゃないでしょうかね。
「私とセックスしたいって?別に良いわよ、アナタのこと嫌いじゃないしね」
そこで自分からキスをぶち込んで押し倒す感じ。
求められたら、それに完璧以上に応える。むしろ、お店のプロの女性のように色々と気持ちよくしてくれて、多分、表情や仕草もそれ仕様になってるという感じではないかと思います。