魔法少女リリカルなのは The Lone Star(旧題:黒の残響) 作:世紀末ドクター
――JS事件から3年後。
ミッドチルダの穏やかな住宅街に佇む、高町家の一室。
リビングの大きなモニターからは、聞き覚えのあるクリアで冷徹な声が響いていた。
『――対応プログラムをインストールされてない状態でも即興対応できるような奴は、本当の天才だけだわ』
『わあ……フェイル選手の説明、めっちゃ分かりやすい!アタシの回答、甘かったかな…?』
『甘かったわ。次』
画面に映し出されているのは、数年前にDSAA公式チャンネルで配信され、今や伝説の神回として語り継がれている『DSAA格闘競技お悩み相談室』のアーカイブ動画だった。リビングのソファに腰掛け、タブレットの画面を熱心に覗き込んでいるのは、少しお姉さんらしく成長した高町ヴィヴィオ。そこへおやつと飲み物を乗せたトレイを持ってリビングへ入って来たフェイトが声を掛ける。
「あ、それ、姉さんの出演回の配信動画じゃない?」
「あ、うん。ストライクアーツをやるなら絶対に観た方が良いって言われて……」
ヴィヴィオはタブレットから目を離し、少し気恥ずかしそうにはにかんだ。
ストライクアーツのジムや道場でも、この配信回は「格闘理論の教科書」として指導員たちが口を揃えて勧める代物だった。
「ふふ、懐かしいな…。色んな意味で伝説の配信回だったよ」
フェイトがクスリと笑いながら、ソファの背もたれに手をかける。
画面の中では、フェイルが「空手に先手なし」の解釈やカウンターの正体について、容赦なくぶった切っていく。何度観ても色褪せないその辛辣さと、背筋が凍るほどの論理の美しさは、あの戦いを潜り抜けた彼女たちにとっても、今となってはどこか眩しい思い出の1ページだった。
「ねえ、フェイトママ?」
ヴィヴィオが動画を一時停止し、ふと気になったように首を傾げた。
「ん?どうしたの、ヴィヴィオ」
「この人、もうDSAAの競技には戻ってこないのかな?」
「うーん……どうだろうね? 今さら競技に出なくても、最強なことは皆が知ってるからね」
フェイトは少し困ったような、しかし、どこか誇らしげな笑みを浮かべ、ヴィヴィオの隣に腰を下ろした。
画面の中で冷ややかにカメラを見据えるフェイルは、今や競技の世界を完全に離れ、スクライアの発掘調査隊の護衛として、あるいは時折管理局の特例協力者として、誰にも縛られない独自の軌道をマイペースに巡っている。
「でも、姉さんなら、きっとどこにいても自分のやりたいことしかしないと思うよ。誰かに必要とされても、本当に自分の基準でしか動かないからね」
「そっか……。なんか、すごく強くて、カッコいいよね」
ヴィヴィオが憧れを込めた瞳でタブレットの画面を見つめ直したその時、玄関のドアがガチャリと音を立てて開いた。
「ただいまー」
リビングに響いたその声に、フェイトとヴィヴィオは同時に振り返った。
買い物袋を提げた高町なのはがリビングへと姿を現す。
「あ、なのはママ、おかえりなさい!」
「おかえり、なのは」
「ただいま二人とも。…って、ヴィヴィオ、その画面はもしかして……」
なのはは買い物袋を置くと、リビングのテーブルに置かれたタブレットの画面に目を留めて、少しだけ苦笑いを浮かべた。画面には、相変わらず冷徹な表情でマシュマロをぶった切るフェイルの姿が映し出されている。
「フフ……、何度見ても、辛辣だけど、ぐうの音も出ないほど本質を突いてるコメントなの」
「本当にね。言葉は厳しいけれど、何ひとつ間違ったことは言ってないんだよね」
フェイトはそう言って、運んできたカップから温かい紅茶を一口含んだ。
二人の言葉に、ヴィヴィオはタブレットの画面をじっと見つめた後、上目遣いでなのはとフェイトを交互に見つめた。
「ねえ、なのはママ、フェイトママ……。その、お願いがあるんだけど……」
「ん? なにかな、ヴィヴィオ?」
なのはが優しく微笑みかけると、ヴィヴィオは少し意を決したように小さく胸を張った。
「私……フェイルさんに、直接、ストライクアーツのアドバイスを聞きに行っちゃダメかな……!?」
「……え?」
なのはは思わず動きを止め、目を見開いた。
フェイトもまた、手にしていた紅茶のカップをソーサーに落とさないよう、慌ててテーブルに置くと、驚きを隠せない表情でヴィヴィオを見つめる。
「ヴィヴィオ……本気で言ってるの? ほら、あの時は色々あったし、その……怖くなかった?」
あのJS事件の時、ゆりかごの『玉座の間』で、立ちはだかった恐ろしい黒い魔導師。
当事者でもあったヴィヴィオにとって、フェイルという存在は恐怖の対象であってもおかしくはない。しかし、二人の心配そうな視線に対して、ヴィヴィオは少しだけバツが悪そうに頬をポリポリと掻きながら、まっすぐな瞳を向けた。
「ううん、最初は凄く怖かったよ。でも、道場の先輩たちの話や自分でも色々調べて……DSAAのU19の世界大会で6連覇して、しかも無敗のまま競技を引退した伝説の選手だって知って……」
ヴィヴィオはそこで言葉を一度区切り、二人のママの瞳をじっと見つめ返した。
「それに……この動画を見てたら分かったんだ。この人は意地悪で厳しいんじゃない。他の誰より武術に対して誠実だからこそ、言葉を誤魔化さずに、一番大事な『本質』だけをそのまま教えてくれてるんだって。私、ストライクアーツをもっと上手くなりたい。だから、世界で一番強くて、世界で一番本質を知ってるあの人に、直接教えてもらいたい……!」
迷いのない真っ直ぐな瞳。
なのはとフェイトは一瞬だけ目を見張り、それから、どちらからともなく顔を見合わせて柔らかく微笑み合った。
「ふふ、すごいね、ヴィヴィオ。あの人に直接教わりたいなんて言い出すなんて」
「や、やっぱり無理……かな? 連絡先とかも、よく分からないし……」
「うーん、連絡先なら……ユーノに頼めば、近況や居場所を伝えてもらえるとは思うけど……」
フェイトが困ったような、しかし、どこか温かい笑みを浮かべる。
「ふふ、まあ……断られる可能性の方が高いと思うけれど、ユーノに聞いてみるだけでも聞いてみようか」
フェイトは苦笑混じりに端末を取り出し、本局の無限書庫にいるユーノへ通信を繋いだ。
画面が切り替わり、書架を背にしたユーノの穏やかな顔が画面に映し出される。
『あ、フェイト、なのは。それにヴィヴィオも。どうしたの、急に?』
「ユーノ、忙しいところごめんね。実はヴィヴィオからお願いがあって……」
フェイトとなのはから事情を伝えられたユーノは、端末の向こうで一瞬間をおいた後、困ったように頭を掻いた。
『あはは……なるほどね。ストライクアーツのアドバイスかぁ……。うーん、正直、言うと……フェイルに直接弟子入りしたり、手取り足取り教わったりするのは……かなり難しいと思うよ』
「やっぱり……ダメかな?」
画面の向こうのユーノに向かって、ヴィヴィオが少し肩を落とす。
ユーノは優しく微笑みながら、フェイルという人間の本質を伝えるように静かに言葉を続けた。
『彼女、訊かれた質問には答えるくらいのことはするけど、自分の武術をパッケージにして誰かに教えることには絶対にしないんだ。これまで弟子入りの希望の全部を断ってるからね』
「そっか……」
しょんぼりするヴィヴィオを見て、ユーノはいたずらっぽく片目を細めた。
『でも、落ち込まなくても大丈夫だよ、ヴィヴィオ。ちょうど今日の夜、DSAAの公式チャンネルで生配信がある予定で、彼女がそこに出演予定なんだ』
「えっ、DSAAの生配信!?」
ヴィヴィオの瞳が一瞬でパッと輝いた。
『うん。前みたいにリスナーからの疑問や質問にQ&Aで答える内容らしいから、今のヴィヴィオには凄く勉強になると思うよ。まずはそれを見てごらん。きっと、たくさんのヒントが詰まってるはずだから』
「うん! ありがとう、ユーノさん! 絶対見るね!」
◆
――そして、その日の夜。
夕食を終えた高町家のリビング。
ソファには、なのはとフェイト、そして待ちきれない様子のヴィヴィオが並んで腰掛けていた。
リビングの大型モニターには、DSAA公式チャンネルの配信画面が映し出されている。時計の針が予定時刻を指すと同時に、画面がパッと切り替わった。
『DSAA格闘競技お悩み相談室』
映し出されたのは、数年前のスタジオと変わらない風景。
フェイルは余所行き用のシンプルな黒の私服姿で、スタジオの椅子に腰かけ、冷ややかな赤い瞳でカメラを見つめていた。
「えー、本日の解説ゲストですが……特別に、あの方にお越しいただいております」
司会進行を務める公式アナウンサーの声が、微妙に裏返っている。
配信のコメント欄は、彼女が画面に映った瞬間から爆発的な速度で流れ続けていた。
【配信コメント欄】
『マジでフェイル様じゃん!!!』
『DSAA史上最大の伝説が再び解説ゲストに!?』
『生きとったんかワレ!』
『今日の配信、神回確定だろ……』
「……別に、好きで来たわけじゃないわ。スクライアの発掘資金の足しに、長老から『少しは稼いでおいで』って放り出されただけよ」
呆れたように吐き捨てつつも、フェイルはマイクの位置を軽く調整する。
そして、前回の配信の時と同様、送られたマシュマロの質問を辛辣コメントで片っ端から、片付けていく。
マシュマロ:
[最近、スランプです。どうしたらスランプから脱出できますか?]
「感覚を追い求めるからスランプにハマるのよ。上手く出来た時の『気持ちいい感覚』を再現しようとするから、ダメだってことが分からない?むしろホントに上手く出来た時は『え?ホントに出来てる?』と感じるくらいに力感が無いことすらある。感覚というのは重要なモノではあるけれど、客観的な運動事実と感覚は一致しないことも多い。まずは、感覚への執着を捨てて客観的な運動構造に立ち返ればいい。感覚を追い求めることを止めた時点で、スランプなんて終わったようなものよ」
マシュマロ:
[古武術系の身体論で『筋力』でなく『脱力』が強調されるのは何故ですか?]
「そもそも脱力と筋力を分けて考えてるのが根本的な間違いよ。すでに収縮してしまっている筋肉は収縮できない。つまり、筋力を発揮するためには最初に脱力してないと駄目ってだけよ。現代人の多くは、全身の筋肉に無意識の緊張が蓄積してしまっている。古武術系の身体論での脱力状態というのは、そういう無駄な緊張が抜けて筋力が最大効率で発揮できる状態のことでしかない。例えば、ニュートラルな状態から0→100で力を発揮するのと、すでに無駄な力の入っている状態から30→100で力を発揮するのじゃ、70の力しか使えないのは分かるわよね?もっとも、構造を維持するための最低限のテンションと、無駄な緊張は区別しないといけないけどね。古武術での脱力とは全身がグニャグニャになることでなく、無駄な力みを排した上で、骨格が正しく嚙み合って安定した張力構造を作れた状態を指している」
マシュマロ:
[前蹴りが相手に刺さらずに上にスカります!どうしたらいいでしょうか!?(※動画付き)]
「アンタの場合、前蹴りが膝支点の振り子になってるのが根本原因よ。膝を抱え込むときに膝から下が垂れてしまってるから振り子になる。最初に自分の踵がお尻にパチンと当たるくらいに膝を畳んでから膝を抱え込むようにしなさい。多分、アンタの場合、それで解決するわ」
マシュマロ:
[滝浴びの修行には意味はあるのでしょうか?]
「雑念を考える余裕がなくなるから精神統一しやすくなるって効果はよく言われるわね。でも、武術的に考えるなら、特別な環境でなくても、どこだろうと精神統一できないと無意味よ。武術的な滝行の目的とは、重力に沿って自由落下してくる水に身体を合わせる…つまり、自分の姿勢と軸を整える訓練だと私は考えている。もっとも、わざわざ滝を浴びてまでやる意味があるかは微妙だけどね。私からしたら、姿勢と軸の稽古なんて、普段からの鍛錬で事足りる話だわ」
…………
……
…
相変わらず辛辣でありながらも、本質だけを突いた言葉の数々。
しかも、今回は動画でなく生配信という媒体であったことから、視聴者のコメントもリアルタイムで表示されており、完全に祭り状態だった。
【配信コメント欄】
『相変わらずの辛辣さで草』
『スランプの正体ってそうだったのか…。昔の自分に教えてやりたい…』
『古武術の脱力の正体が、さらっと完全解説されてるんだが!?』
『コイツの頭の中、マジでどうなってんだよ』
そして、高町家のリビングでも。
画面の向こうでフェイルが吐き捨てるように語る一言一言に、ヴィヴィオは息をのんで見入っていた。
「すごい……! 全部、言葉の意味がストレートに頭に入ってくる……!」
「フフ、相変わらず容赦ないけれど、回答は本質から一切ぶれてないよね」
「スランプの正体とかも、言われると一発で納得できるよ。……うん、教導の現場でも参考になりそうかな」
そんな高町家の賑やかなリビングの様子など知る由もない画面の向こうでは、いよいよ配信が終盤へと差し掛かる。
そして、その終盤で彼女の口から説明された理論は、これまでの格闘理論と魔導理論を根幹から揺るがすレベルの爆弾となる。その爆弾となる理論の解説は、格闘技の基本である『ジャブ』についてのマシュマロ質問から始まった。
マシュマロ:
[ジャブを打っても、相手が止まってくれません。どうしたらいいですか?(※動画付き)]
「アンタはジャブという技に対する解像度が低い。そのジャブという技の目的は何か?それらの目的を達成するために、ジャブはどんな技であるべきか?この逆算で考えなさい。例えば、ジャブで相手の動きを止めて、ストレートをぶち当てるのが目的だったら、単純に前手の素早いパンチというだけだと不十分なのは直感で分かるわよね?特に相手が突進して来てるような状況で、手打ちのパンチだけで相手の突進を止められると思う?手打ちだと相手の突進は止まらない。けど、ストレートみたいに腰を入れるパンチは二拍子になって一拍子のジャブでなくなる。だから、ヒットストップを目的としたジャブでは、踏み込みとの連動が鍵になる。アンタはその連動が下手なだけよ」
淡々と、鋭利な刃物のように言葉を紡ぐフェイル。
本来ならそこで終わっていたはずの回答だったが、そこで司会者が深掘った質問をしたことから始まった。
「ヒットストップを目的としたジャブ…?それ以外の目的のジャブもあると…?」
「当たり前でしょ。一流は目的と状況に合わせて複数のジャブを使い分ける。触るだけのジャブやフェイントとしてのジャブとかね。そして、本当の一流は、これら複数のジャブを単一動作の意識で、使い分けと意識せずに使い分けている」
「た、単一動作の意識で……使い分ける? それは、矛盾しているのでは……?」
「ジャブという技の運動イメージの中に複数のジャブが格納されてるのよ。格納されている複数のジャブから結果的に最適なものが選ばれているというのがカラクリよ」
司会者は言葉を失い、喉を鳴らした。
フェイルの語る理論は、従来の格闘理論の枠組みを根底から踏み荒らしていく。
「う、運動イメージの格納とは…?」
「大したことじゃないわ。共通項を抽出してるだけよ。例えば、回し蹴りと前蹴りとかって、外からは全く別の蹴りだけど、最初の動き出しは、共通に出来る部分もある。その共通の部分で『前蹴りと回し蹴りのどちらにも変化できる』という意識で始動する。最初から前蹴りを蹴ろうとして蹴った前蹴りと、回し蹴りと前蹴りのどちらにも変化できる意識から蹴る前蹴りは、全く別物よ。外見のフォームが同じように見えても、脳と神経系が発している予兆が全く異なる。これを極めていくと、出だしが全部同じに見えて相手は反応できなくなる」
「……フォームが同じでも、予兆が違う……」
「運動イメージの『格納』って言葉だけだと、引き出しやフォルダから出すってイメージかもしれないけど、実際は『幹(基幹運動)から枝(個別技)を生やす』という構造になっているのよ」
フェイルの赤い瞳が、冷徹な理の光を宿す。
「その幹を始動させた瞬間、相手の反応や間合いに応じて、枝となる先端がどのジャブになるか、あるいは前蹴りになる廻し蹴りになるかが自動的に決まる。つまり、始動の『幹』の段階では自分すら『どの技を出すか』を厳密には決まっていない。だから、相手からすれば、予兆どころか『何の技が来るかの決定情報』すら世界に存在してない状態なのよ。つまり、武術で言う『無想』とは、何も考えていない空白状態のことではなく、状況に応じて自動的に最適枝へ分岐する『幹』の運動プログラムを発動させている状態と言える」
スタジオ内は完全な静寂に包まれていた。
スタッフも、技術班も、全員が息を飲み込み、フェイルの講義に耳を傾けている。
コメント欄には、世界中の格闘家や魔導師と思われるユーザーからの悲鳴に似た書き込みが殺到していた。
【配信コメント欄】
『幹となる共通運動からの自動派生が無想の正体!?』
『待ってくれ、解説の解像度が高すぎて脳が追いつかない』
『ちょっと待って? この人だけ50年くらい先の理論を体得してない!?』
オカルトや精神論を完全に排し、純粋な神経科学・運動制御論から解体される武術の真理。
フェイルはさらに言葉を続けていく。
「技を個別の『点』として覚えているうちは三流。技の共通項を抽出して『線』で繋げるのが二流。最終的には『重心移動』や『地面反力の受け取り』とかの一つの巨大な『幹』の運動イメージだけが存在してて、そこから状況に応じて出力を最適に変化させた技が自然に出るのが超一流の最終目標よ。いわゆる『無想剣』とか『勝手に技が出る』ってのは、こういう境地のことで、オカルトでも何でもないわ」
「そ、そんなことが実際に可能なんですか…?」
打とうと思って打つのではなく、 無意識下に自然に技を打ち出す境地。
とても現実に可能とは思えない境地だが、フェイルはその感覚の理解の「取っ掛かり」となるドリルをいとも簡単に示してみせる。
「例えば、拳での突きの始動を山突き…つまり、両手突きを出すつもりで始動して、相手の防御反応に応じて右か左の突きを『選ぶ』ようにしてみたら取っ掛かりの感覚くらいは実感できるわ。面白いように当たるわよ。つまり、無想剣の正体とは、技を『出そう』として出すんじゃなく、その状況に対処できる技へ自然に『選ばれて変化している』というのが、その正体よ」
剣術の究極の境地とも語られることもある『無想剣』が、神経科学と運動制御の理論から完全に解明された。コメント欄には、爆速の書き込みが殺到していた。
【配信コメント欄】
『技を出そうとするんじゃなく、技を選ぶ!?』
『両手突きからの派生のヤツ、試してみたらマジで当たるぞ』
『無想剣の正体を科学的に説明したのって、下手したら人類史上でこの人が初めてなのでは?』
生配信のスタジオにも、沈黙と熱狂が同時に渦巻いていた。
誰も聞いたことがない理論に、司会者も思わず身を乗り出して更に問いかける。
「で、では……その『無想剣』の境地というのは、どのように鍛錬すれば到達できるのでしょうか……!?」
「無想剣の境地への到達方法?だから、技や動きの共通項を抽出して統合することよ。科学的に言うなら、『運動イメージを大きくする』ってことかしらね。一見では別の動きに見えるそれらの根底にあるものを捉えて、そこに各技や動きを統合していく。統合したその部分から、各技を派生させるのよ。達人は『全ての技は同じ原理から発生する』とかよく言うけど、この言葉は、まさにそれを指している」
伝統的な武術の口伝にすらも、運動科学的に完全な解答が与えられた。
圧倒的と言えるほどに完成された武術理論に思わず司会者も息を呑む。
「そ、それほどまでの理論……では、その境地に達すれば、戦闘において無敵と言えるのでしょうか!?」
「そんな訳ないでしょう。その状況での最適技が後出しで来る……一見では無敵に見えるけど、出せる技は自分が持ってる技だけよ。あくまで、自分が出せる技の中からのベストやベターが選ばれる」
フェイルは鼻で笑い、脚を組み替えた。
「つまり、何の技を出しても『詰み』の状況や対処出来る技を持ってないなら、全く無意味よ。また、最適技が選ばれるということは、その状況を俯瞰的に見れる人間であれば、その後出しで来る攻撃も予測できる余地が残っている。例えば手の内を知り尽くした自流の同門同士とかであれば、予測可能になりやすいでしょうね。返ってくる反撃に対して、更にカウンターを待ち構えるみたいな感じにね」
一呼吸置き、彼女はフッと口元を冷ややかに歪める。
「あるいは、私の『無拍子』みたいに相手に反応自体をさせないまま叩き伏せるとかね。その状況の最適解が出力されると言っても、発動のためのトリガーが引かれないんじゃどうしようもないでしょう?」
【配信コメント欄】
『コイツ、やっぱ化け物過ぎやろ』
『さらっと自分の無拍子が無想剣の上位互換みたいなこと言ってて草』
『無想剣すら攻略対象に入れてるの怖すぎる』
「あの……では、もし同じ『無想剣』の使い手同士が戦った場合、一体どうなるのですか?」
「同じ無想剣の境地に到達した剣術家が対峙した状況では、読みの深さや技の精度とか、結局、お互いの地力の差が出るだけよ。……いや、無想剣の習得・未習得も含めて地力の差と言えるか。つまり、結局は地道に練習するのが一番の近道ってことよ。無敵な技なんていう幻想を追う前に、地道な積み重ねをしなさいってことよね」
彼女はカメラを真っ直ぐに見据え、指を一つ突き立てた。
「でも、ここまでの話を聞いたなら、ただ惰性で数をこなすだけじゃ駄目なことも分かったわよね?根幹の『幹』を太くするための稽古こそ意味がある」
「……惰性での反復練習では、ダメだと?」
「すべての技の根底にある『重心移動』『地面反力の伝達』とかの共通の幹を意識し、そこから技が生えてくる感覚で数をこなすことでしか、運動イメージの巨大化・統合は達成されない。技を『独立した点』として、毎回同じフォーム・同じ意識で惰性で打ち続ける練習は、脳と神経系に『固直した個別の運動プログラム』を固定化させて、むしろ有害になる。ネット小説だと、素振りとかの同じ鍛錬を延々と繰り返してたら最強になったとかアホな設定を見かけるけど、アレの真似したら下手したら弱くなるわよ」
バッサリと切り捨てられたネット小説の定番設定。
配信画面は爆笑と戦慄が混ざり合ったコメントの嵐となった。
【配信コメント欄】
『惰性の反復練習は有害wwwネット小説の主人公全否定されてて草』
『俺のやってた練習、全部「固直した個別の運動プログラム」の固定化だった件……』
『理論が理詰めでぐうの音も出ねえwww』
相変わらずの容赦ない辛口コメントと、圧倒的な解像度を誇る武術理論の講義。
スタジオのスタッフも、画面越しに視聴する世界中の観客も、そのあまりの高みに言葉を失っていた。
だが――次に彼女の口から投下された理論は、現行の魔導理論の前提すら根底から覆す、まさに巨大な爆弾となった。
「あ、えっと……リスナーから追加の質問が届いています。『手打ちのジャブであっても、魔力を上乗せして威力を高めれば、ヒットストップとして十分に機能するのではないでしょうか?』という疑問ですが……」
「確かに魔法戦における選択肢の一つとしては、それも正解よ」
司会者のたどたどしい問いかけに対し、フェイルは即答した。
「ただし、下手に打撃に魔力を乗せようとすると、その魔力励起に引っ張られて、筋肉にも過剰な力みが発生する。魔力の揺らぎと筋肉の力み――その二重の予備動作が丸見えになるんだから、私からしたらカウンターの餌食でしかないけれどね」
「え? あの……しかし、お互いに予備動作が筒抜けなのだとすれば、実際の試合では泥沼のカウンター合戦になるのでは……?」
「その通りよ。でも、現実の試合でそうならない。何故なら、大半の魔導師は、相手が魔力をブーストさせたのを見た瞬間、意識が防御へ切り替わるからよ」
フェイルは冷ややかな眼差しでカメラを見据えたまま、淡々と続ける。
「シールドなんかの防御魔法が優秀すぎる弊害かもね。相手が魔力を高めて大技を打ち込んでくると察知した瞬間、脳が思考停止して『とりあえず防御を張る』っていう、一番リスクの低い行動に逃げる。特にデバイスの補助AIなんかは、安全志向でそう処理しがちだしね。それに、どういう軌道の攻撃が来るかは姿勢や筋肉の緊張を見ての判断だから、そこを見切るつもりのない奴だとカウンターを取るのは当然難しくなる」
身も蓋もない真実を突きつけ、フェイルは小さく鼻を鳴らした。
「本来、筋肉の支配神経とリンクしている普段使いの魔力回路は、筋肉の出力に応じて魔力も自然に追従するように出来ている。だから、魔力を特別に上乗せしないなら、そのままでも何の問題もない。……けれど、『魔力を高めて打撃出力を跳ね上げる』という逆方向の運用をした瞬間、致命的な構造的エラーが発生する」
「構造的……エラー?」
「筋肉の神経とリンクしているということは、その回路で魔力をブーストした瞬間、肉体にも過剰な力みが強制的についてくる。魔力と筋出力が連動するのは事実だけど、『魔力→筋肉』と『筋肉→魔力』のどっち方向に連動させるかで全く別物になる。そこの区別すらついていないアホばかりよ」
スタジオの空気が完全に凍りつき、司会者は息を吸うことすら忘れて固まっていた。
フェイルは自身の腕を軽く示し、冷徹な理の光を宿した瞳を向けた。
「だから、私の場合、打撃の威力を跳ね上げるために魔力をブーストさせる時は、筋肉の神経回路から完全に独立させた『専用の別回路』に意識を切り替える。そうすれば、どれほど膨大な魔力を練り上げようと、肉体側には一切の力みは発生しない。…というか、射撃魔法を撃つ時に筋肉に力みなんて発生しないんだから、筋肉の運動神経と魔力回路を切り離せることなんて、普通に考えれば分かりそうなものだけどね?」
彼女は心底呆れたように小さく肩をすくめてみせた。
「え、えっと……貴女以外の魔導師は、単一の回路しか持っていないということでしょうか……? 例えば、プロ部門のクリス選手などは予備動作が極めて少ないと言われ、純粋な剣術家としても屈指の強さを誇りますが……」
「確かに、クリスなんかはそうね。……別回路を用意するというハードウェア的な表現をしたのは少し語弊があったわ。あくまで『脳の意識での切り離し』のことよ」
フェイルは即座に訂正すると、そのカラクリを紐解いていく。
「普通の魔導師は、『魔力を高める』という意識が『筋肉に力を込める』というスイッチを同時に押してしまう。魔力を高める時は、そのスイッチを切り離せと言っているのよ。クリスみたいに魔力を高めても力みが出にくい奴は、無意識にスイッチを分けて押せているか、元から身体感覚の脱力が上手い奴ってことよ。現代の魔法教本は、初心者に『魔力を出す感覚』を掴ませるために、敢えて『力を込める感覚』と紐づけて教えているけれど……それが後々、致命的なエラーを生み出している」
【配信コメント欄】
『魔法戦の教本が全部燃えていく音が聞こえる……』
『50年じゃ足りなかった。この人、一人だけ100年くらいは先を行ってた』
『DSAAで誰もコイツに勝てなかった理由が今さら分かったわ……』
コメント欄が絶叫と戦慄で埋め尽くされていた、まさにその時だった。
「――お願いします!! キミの中にあるものを、どうかアタシ達に残して下さい!!!」
スタジオの扉が激しく開放され、乱入してきた人物がそのままカメラの前で豪快に土下座を決めた。
かつてのDSAAの世界大会の決勝でフェイルと戦った元ライバル。そして、DSAAのプロ部門での現役トップランカーのクリス・ヴァレンタインだった。
「ク、クリス選手!? これ、生放送ですよ! 放送事故です!!」
慌てふためくアナウンサーを完全に無視し、クリスは床に額を擦り付けたまま、身じろぎすらしなかった。
配信のコメント欄は一瞬静まり返った後、秒速数万件の爆発的な加速で流れ始めた。
【配信コメント欄】
『公開生配信で何やってんだよwww』
『現役トッププロ選手がガチの土下座してて草』
『でもクリス選手の気持ちも分かる。コイツの頭の中が、100年以上先の理論だってなら、知りたい欲が勝つわこれ』
『ここで土下座できるクリス選手、ある意味で武術に対して真剣すぎるだろ……』
カメラのレンズが、床に平伏するクリスと、その数歩先で冷ややかな視線を落とすフェイルを同時に捉える。
スタジオのスタッフたちが息を呑み固唾を飲んで見守る中、フェイルの赤い瞳には、憐れみも、驚きも、そして情けすらも一切浮かんではいなかった。
「前にも言ったけれど、私は弟子を取らないし、積極的に自分の技を残すつもりもない。今日語った無想剣とかの理論だって、最新の運動制御理論の知見とかと併せて考えれば自然に行き着く答えでしかないもの」
冷徹で、一切の妥協がない拒絶の言葉。
冷ややかに言い捨てるフェイルに、クリスは顔を上げ、必死の眼差しで食い下がる。
「自然に行き着く…!? こんな高次元の理論を思いつく人間が、この次元世界に何人いるって言うのよ…!?アタシのためじゃなくていい…!後に来る他の誰かのために残して下さい…!」
しかし、クリスの切実な叫びを、フェイルは一刀両断に切り捨てる。
「知りたいなら、アンタが自分で探求しなさい。他人が咀嚼して綺麗に整えた離乳食を口に運んでもらうのを待つような真似をしてるから、いつまで経っても自分の身体で真理を掴めないのよ」
「っ……!」
あまりに容赦のない言葉に、クリスは息を呑み、悔しさに唇を噛み締めて床を爪先で引っかいた。
「…ま、訊かれた質問くらいには答えるけれど、『私の中にあるものを、そのまま全部下さい』なんて思考停止の乞食根性じゃ、百年経っても私の背中には届かないわね」
そう冷たく言い捨てると、フェイルはもう用はないとばかりに椅子から立ち上がる。
そして、周囲の静止を一切無視して歩みを進め、そのままスタジオから颯爽と退室していった。
――絶対に手取り足取りでは教えてはくれない。
弟子も取らなければ、懇切丁寧に体系化した教科書を作ってくれるわけでもない。
だが、質問を投げかければ、彼女は嘘偽りのない「絶対の真理」だけを冷徹に返してくれる。
ならば、残された者たちが取るべき道は、もはや一つしかなかった。
「くっそー! こうなったら……!!」
その場から、勢いよく起き上がるクリス。
生放送が終了した直後、DSAAのプロ選手や指導者たちの裏側で、凄まじい大暴風が巻き起こっていた。
「とにかく次の配信のゲスト枠を押さえろ! ギャラならいくらでも支払う!」
「DSAAの配信企画やQ&Aの場へ、何としてでも彼女を引きずり出すんだ! 具体的な質問さえぶつければ、彼女は誤魔化さずに本質を答えてくれる!」
「質問リストを100個用意したよ! 次のQ&Aで全部ぶつける!!」
クリスをはじめとする現役のプロ選手やトップ指導者たちが総出となり、フェイルから武術と魔導の真理を引きずり出すための「超ガチ質問集」を、夜な夜な必死の形相で作成し始める事態へと発展していくのだった。
◆
――同じ頃、高町家のリビング。
リモコンの操作によって大型モニターの電源がスッと消え、部屋に穏やかな静寂が戻ってきた。
ソファに並んで座っていたなのは、フェイト、そしてヴィヴィオの三人は、しばらくの間、開いた口が塞がらない様子で画面の残像を見つめていた。
「……すごかったね、ヴィヴィオ」
沈黙を破り、なのはが感嘆の混じった吐息とともに呟く。
隣に座るフェイトも、苦笑しながら深く頷いた。
「うん……まさか魔導回路と運動神経のリンクの解消まで実用化してるなんてね。魔法戦のテキストが何冊か書き換わりそうだよ……」
「……うん!」
ヴィヴィオはギュッと小さな拳を握りしめ、目をキラキラと輝かせながら力強く頷いた。
「私、分かったよ! あの人は手取り足取りで教えてはくれないけれど……私達が本気で考えて、本気の質問を投げかければ、絶対に誤魔化さずに『本物』を返してくれるんだって!」
「ふふ、そうだね。あの人は自分から積極的には残さないけれど……私達が勝手に拾っていくことは否定しない」
なのはは愛おしそうにヴィヴィオの頭を優しく撫でた。
自分から手取り足取りで与えるのではなく、後に続く者たちが必死に背中を追いかけ、その足跡から真理を「拾い集めて」いく。
「よしっ! 私も次の配信に向けて、ストライクアーツで疑問に思ってることをたくさんノートに書き出してみる!」
「あはは、しょうもない質問だと、辛口でバッサリ斬られちゃうかもしれないよ?」
「へっちゃらだよ! どんなに厳しくても、それが一番の近道なんだもん!」
元気にノートを開き始めるヴィヴィオの姿を、なのはとフェイトは温かな笑みを浮かべながら見守っていた。
窓の外には、ミッドチルダの穏やかな夜空が広がっている。夜空には、幾千もの星々が静かに、そして変わらぬ軌道を描いて瞬いていた。
――遥か夜空の高みで、絶対の真理の軌道を孤独に巡り続けるだけの星。
だが、その光は決して届かない彼方にあるのではない。
彼女が残した無数の足跡は、迷える者たちの足元を照らす道標となり、次代を担う子供たちの胸に、消えることのない熱を灯し続けていく。
誰もがその背中を追いかけ、それぞれのやり方で光を受け継いでいく――それこそが、彼女が意図せずとも世界に刻み込んでしまった、確かな「継承のカタチ」だった。
あとがき:
多分ですが、今後、クリス達がフェイルを質問攻めしまくった結果、フェイルの頭の中の理論や普段やってる練習や基本技などが炙り出され、結果的に「一つの完成された武術体系」の枠組みが出来上がって行くんじゃないでしょうかね。
「『先の先』を体得するにはどうすればいいかって?攻撃前の予兆が見切れないと無理よ。ただ、こういう感覚、こういうタイミングのカウンターだという感覚の取っ掛かりを掴む方法はある。メトロノームを鳴らせて、攻撃側は音のタイミングで攻撃させるのよ。反撃側はメトロノームの音が鳴る直前に反撃を叩き込めばいい。その反撃のタイミングが『先の先』よ。そして、自分が反撃のために動き出す直前に感じていた相手の気配……それを予兆として学習したらいい」
最も高度なカウンターと言われる『先の先』とかの練習方法なんかもこんな感じに答えそうです。